メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
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ネスヴィジ城から約30kmに位置するミール城も世界遺産に登録されています15世紀末から16世紀初めにかけてゴシック様式の城として建設され1568年にリトアニア大公国の大貴族であるラジヴィウ家の手に渡りルネサンス様式の城として完成 …ここもラジヴィウ家です17~18世紀の戦火で破壊され、その後修復されるも1938年に最後の城主となったニコライ・ミール公亡き後国が管理する文化財となり、現在城内は博物館になっています見かけはネスヴィジ城よりお城っぽいわねなんだかおとぎ話にでてきそう…中は博物館になっているのであまり情緒は無いのだけれどところどころ当時をうかがいしれるようなところも天井がとてもステキ天井の模様が印象的なダイニングルームでも… 展示品の中で何と言っても好きなのは剥製達 かわいいやらおかしいやらモモンガかい っとかパンダかい っとかねミール城も暖炉のタイルが 好きだわここの敷地には花がいっぱいギボウシや百合が満開で色を添えていました最後の街ミンスクに到着夕食代わりにビール!おしゃれなグラスでした朝食の品揃えが良かったぁ~Crown Plaza MinskKirova 13 | 13 Kirov St, Minsk 220030, Belarusベレジナ川の支流シヴィスワチ川とニアミハ川の河畔に広がる首都ミンスク1242年にリトアニア大公国に併合されその後ロシアやポーランドに占領され…1793年ロシアに併合されました第二次世界大戦後かつての建築を再建するのでなくスターリン様式の都市計画が実行されたので無機質な建築物がも多く建ち並んでます1986年、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故で実はウクライナよりベラルーシの方が甚大な被害を受けたため地方の住民の多くがミンスクに移り住んだとのことで人口も多い、大都市です1934年に建設された国会議事堂や大学が囲む独立広場国会議事堂前にいらっしゃるのはウラジーミル・レーニンさん多くの旧ソ連国で取り壊されたりしていますがベラルーシでは健在です …沿ドニエストルもそうねデパートはグム百貨店っぽくてやっぱりソ連系ココはKGB(国家保安委員会) えっ えっ まだあるの?ロシアでさえKGBの名称は現在使われていませんがベラルーシではKGBの名称はもちろんソ連KGBの機構をすべて受け継いで運営されているそうです 街はすっきりしています正面の白い建物は昔の街への入り口となったところ言わばミンスク発祥の地右側に広がるのがトラエツカヤ旧市街区戦前の古いベラルーシの街並みを再現したヨーロッパの雰囲気を感じられる街並みです1600年代にカトリック教会としてバロック様式で建設され1852年にロシア正教会へと変わった聖霊大聖堂はシヴィスワチ川を見下ろすように建っていますイコノスタシスが素晴らしく特に「ミンスクの聖母」は奇跡を起こすと信じられていて礼拝者が後を絶ちませんこの風景はいわゆるスターリン計画通りってやつでしょうか無機質な建物が並ぶ様は「そのうち世界遺産になるかも」ってガイドさんが言っていましたが、それはどうなんだろソ連が誕生するきっかけもなった10月革命を記念して名前がつけられた10月広場は独立広場に次いで大きな広場↓コンサートホール↓や↑カルチャーセンター↑などがありベラルーシの0kmポイントが設置されていました近くにはPAULもあった!聖母マリア大聖堂の向かい石造りのミンスク市庁舎はもともとは1591年から1601年の間に建てられたのですが1847年にロシア皇帝ニコライ1世の命令により取り壊されてしまったため、現在のものは2004年に壁の厚さにいたるまで忠実に再現し再建されたものだそうの前に立っているのは初代市長さん?サーカス? ピエロのオブジェ勝利広場には大祖国戦争(第二次世界大戦中のソ連とナチスドイツとの戦い)でのソビエト軍とベラルーシ人パルチザンの犠牲を追悼するためと自由の獲得を記念して高さ38mのモニュメントが建てられており、不鎮の火が点されていますそろそろ空港に向かいますこの日は帰国日、モスクワ経由で帰国です無機質な共産党時代のアパートの側面がおしゃれ不気味に?変身ミンスクの空港は小さかったですがそれに比べてラウンジが大きい!ま、無駄に大きいって感じでガッラ~ンビールが んまっミンスクからモスクワは国内線扱いってのにオドロキ出国しなかったよ …良いんだろうかどんなヒコーキくるんだろ ってドキドキだったけれど、意外にというか新しい機材だったぁ周りにはこんな古いのもあったからさ国内線扱いだったけど機内食もでましたアルコールの提供は無しですモスクワからはまたまた鶴丸侍ジャパンペイントでしたモスクワは近いわよね~9時間半かからず成田だもの…ハワイからとあまり変わらないってのが不思議機内食は… 期待していなかったのに往路より美味しかった ほっそんなこんなの9日間の旧ソ連の東ヨーロッパ旅行ウクライナで100か国目を迎え、ベラルーシで101!大台に乗りましたもっとソ連っぽいイメージが濃いのかと思っていた3か国でしたが、西欧までいかずともスラブ色との融合そしてそれ故のエキゾチックな雰囲気がありとても美しい国々でしたルーマニア寄りのモルドバ、スラブ寄りのウクライナロシア寄りのベラルーシとそれぞれ美しい景色でした今回も長い旅行記にお付き合いいただきありがとうございました次回は9月… またこの近所向こうで待ってりゃ良かったかしらってところに行く予定です ....fin.2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 9, 2018
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かつてはリトアニア大公国領であり1569年にポーランド・リトアニア共和国1795年にはロシア帝国領となりました第一次世界大戦中の1915年にはドイツ帝国に占領され1919年に再建されたポーランドの領土となったブレストはベラルーシ西部、ポーランドとの国境近くに位置しますウクライナからの国境越えはなかなか…なかなか… とほほなくらい時間がかかりました国境で3時間 待機 orz朝ウクライナのリヴネを出てランチが3時半という状態になってしまった orz x 2普段ならこのかわいいエクステリアにテンション上がりそうなものですが、疲れ切っていまして…ビールくださいっ!世界一ジャガイモを食べるお国柄ビールよりもスープよりも先に芋でてきた orz x 3メインは鴨のコンフィでしたが時間も時間だし疲れすぎていて… なんだか ねパリッと仕上がっていて、中はジューシーでおいしかったけど…洋ナシのコンポートが上品な甘さでした歴史の続きですが… 1939年9月のナチス・ドイツに敗れたポーランドはドイツとソ連に分割占領されブレストはソ連に併合その後第二次世界大戦中の1941年6月ドイツから攻撃に対し兵士達はブレストの要塞で約1か月もの間激しく抵抗しましたその功績によりブレストはソ連より「英雄都市」の称号を受けましたなお、1944年にブレストはソ連により奪還されソ連崩壊に伴い現在はベラルーシ領となっていますそんなブレスト要塞の巨大な正門にはソビエトの象徴である星が刻まれています門をくぐるときに聞こえてくるのは当時の抵抗の様子が再現された音声だそうでして、爆撃音しか聞き取れませんが当時のラジオ放送がそのまま流されているそうです当時のソビエト軍の軍服のレンタルなんかもありその衣装で戦車に乗っている人いる~公園内には多くの像や記念碑、モニュメントがありますで、でかいソビエトの人々の勇敢さや不屈の闘志を表した「勇敢」と名付けられた像は巨大要塞の兵舎はブレスト要塞博物館となっていて13世紀の遺物と建物が展示されています疲弊した兵士が水を汲む姿の像が見えてますおびただしい銃痕がそのまま残っている「ホルムスク門」ここからポーランドの国境はすぐ …見えてます真っ赤なナナカマド?ブレスト要塞を後に、街へ…ソヴィエツカヤ通りはカフェやレストランブランドショップ、お土産物屋さんが並ぶブレスト随一の繁華街 ホコ天ですその入り口にあったのは時計じゃない時計まだ6時ころだったのに、9時45分?実はこれはソヴィエツカヤ通りにあるガス灯の点灯時間 …毎日手動で点灯するそうですってことは、日の入りが午後10時くらいってこと?通りにはベンチも数多く配置されていてのんびりと散策するのにぴったりストローの刺さった飲み物オブジェ?マンホールはこんなでした~西欧な街並みでしたが…レーニンさんもいらっしゃいましたホテルはこんな住宅街にあるの~?ってくらい閑静なところに建っていた邸宅風ホテル併設のレストランでベラルーシ料理の定番ポテトパンケーキとでもいう、ドラニキ美味しかったけれど、ランチが4時だもん ね全然お腹空かなーーーいっ ってドラニキおいしいのに残しちゃったわ夜10時でこの明るさ …ワイン飲んじゃう@お部屋HermitageChkalova 7, Brest 224005, Belarusロールちゃんがゴロゴロしている牧草地帯を走り…ラジヴィウ家の居城として建てられたネスヴィジ城へ1533年にラジヴィウ家に与えられて以来ラジヴィウ家はリトアニア大公国でも屈指の影響力と財力を誇る存在となっていきました2005年に世界遺産に登録されています1770年代にロシア軍によってラジヴィウ家は追い出され大半の美術品などの所蔵品はロシアに移送されたり様々な貴族達の手に渡り散り散りになってしまいましたこんな衣装を着た人達歩いてます…イベント??その後、見捨てられ朽ち果てていたのですが再びラジヴィウ家の手に戻り、1881年から1886年にかけて当主アントニ・ヴィルヘルム・ラジヴィウとその妻フランス人のマリー・ド・カステラーヌによって復元されました1939年に赤軍の侵攻によってラジヴィウ家は再び追われソ連時代にはサナトリウムとして使われていたそうです寒い国ならではの各部屋の暖炉がきれい重厚な壁や天井に合わせてシックなのも良いけれど…アズレージョのような明るいタイルも好き最後にたどり着いた部屋はこんなに煌びやかな天井のサロンダンスパーティーを再現… カッケー水路越しの堰堤によって城と繋がっている1603年に完成したキリスト聖体教会にはラジヴィウ家の人達が72人眠っていますバロック様式のファザードとドームを持つバシリカ式聖堂で東ヨーロッパで初めてのバロック様式建築物だそうです1760年代以降に作成されたフレスコ画や1583年にヴェネツィア人彫刻家達によって制作された聖十字架の祭壇が印象的ですキンギョソウが満開!続きはこちら 9. 世界遺産ミール城 ~首都ミンスク ~独立広場 ~聖霊大聖堂 ~帰国2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 8, 2018
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ペチェルスカヤ(ペチェールシク)大修道院は現在はロシア正教のウクライナ本部となっている11世紀の創建の南スラブで最大の修道院丘の傾斜に建っており大きく分けて2構成に分かれています上の修道院にはウスベンスキー大聖堂や博物館があり下の修道院は現在でも信仰心の篤い信者が多く訪れる洞窟修道院や地下墳墓などがあります1990年にソフィア大聖堂などとともに世界遺産に登録されています正門を兼ねる聖三位一体教会(至聖三者大門教会)から入場します1106年から1108年の間に建立された聖三位一体教会は1240年にウスペンスキー大聖堂が破壊された後は大修道院の主要な教会となり、18世紀初めに復元されウクライナ・バロック様式に建てかえられましたこの修道院の中では一番古い建物だそう…門裏側は現在も修復中…写真右手のくぐり戸を抜けて教会正面へこちらから中に入ります門の厚さ分の聖堂なのでかなり狭いです奥行きが無いので入ったらすぐにイコノスタシスけれど… すばらしいフレスコ画を見ることができます出たところには元病院だったという星付き玉ねぎドームの聖ニコラス教会ロシアっぽい風景修道院内にヴェンディングマシンがあるとは…修道院にある一番高い建物はこの鐘楼高さは96mあるそうです大修道院内の一番大きなウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)第二次世界大戦時にソ連によって爆破されたのにも関わらず戦後、ソ連のプロパガンダによって「ナチス・ドイツによる文化遺産の崩壊の一例」としてナチスによる蛮行であると歪曲され事実は隠蔽されたそうです… さもありなん?現在の建物はソ連崩壊後に再建されたものです(トップ写真も)ちなみに↓は裏側です教会だけではなく博物館も多いので目がチカチカしてくるくらいです… ふぅウスペンスキー大聖堂のさらに奥にはすこし平たい緑色のドームを持つトラペズナ教会19世紀後半に建てられた教会なので新し目ですドームのフレスコ画がきれいでしたトラペズナ教会を出ると展望台になっていてそこからドニエプル川と下の階の洞窟修道院が見渡せます階段と坂を下りていき、下の修道院エリアへこちらは洞窟の上には造られた教会で聖僧たちのミイラが多数安置されておるところ…この洞窟教会では女性髪を隠す必要があります中は暗く細い道が続き棺が安置されています熱心な信者が多く、邪魔にならないようそ~っと脇を通り出口へこの日はさすがに教会疲れ…ホテルに戻るも、食欲もなく…近くのスーパーで食料調達して… 部屋飲みの夜でした翌朝はキエフからウクライナ北西部のクレーヴェンに向かいますまだまだ高速道路がないお国柄…移動にはかなり時間かかります です午前中はほぼ移動…で、ランチビールからの…スープはトマトベースのボルシチ系ウクライナではボリシチと呼ばれていますワレニキは日本でいうところの水餃子ですが具の種類はジャガイモ、キノコ、お肉、チーズが多いみたい甘いものもあるそうですが…ロシアのペリメリ、ポーランドのピエロギも似ていますが個人的には皮が一番薄いペリメリ推しですピエロギもそうですが、このワレニキも皮が分厚くてモチモチお餅みたいに思いの…だものクレーヴェンにきた目的は… クレーヴェンとオルツィヴを結ぶ鉄道があってこの鉄道の線路は両側に木が生い茂っていてきれいなアーチを作っているんですで、何故だか何時のころからだかは不明ですが愛のトンネルと呼ばれていまして… 観光名所ふ~ん、愛ね ってな気もするけれど日本語名だけロマンチックにしたのかと思いきや英語でも「The Tunnel Of Love」っ書いてありましたマダガスカルの2本の幹がきれいに渦状に巻きあがっているバオバブの木なんて日本語だと「愛し合うバオバブ」って名前つけられているけれど英語名は「Twisted Baobab」とただねじれてるバオバブとロマンスの欠片ないもんねま、それは置いておいて…3kmに渡って木のトンネルが続いているのは確かに幻想的であるとも 言えるかな…言い伝えで、恋人同士が手を繫ぎトンネル歩けば「2人の愛は永遠に続く」と言われていて恋人のいない人はこのトンネルをくぐると素敵な相手が見つかるんですって あっそっ ってあまり興味ないのもあったのと蚊が多いので早々に離脱して戻っていると…列車きた っえっ 廃線じゃなんだと思ったら、これって一両編成一応資材運搬用だということですが観光客用のイベントかしら?だって、そこで止まっちゃったし…この日はクレーヴェンの近く、リヴネで宿泊ですオペラハウスの目の前のホテルこれでホテル・ウクライナと読むのは本当にむずかしいショッピングセンターも近かったので便利なとこでしたこの日は移動ばっかりで運動量ほぼゼロだったので食事はパスっ!明日はベラルーシに入るのでウクライナの通貨も使い切りたいとショッピングセンターのスーパーへスーパーでスマホの計算機を使いながら買えたのはこんだけ!残り10円以下のぐっじょぶでしたHotel UkrainaSoborna vul. 112, Rivne 33028, Ukraine続きはこちら 8. ベラルーシ 英雄都市ブレスト ~ブレスト要塞 ~世界遺産ネスヴィジ城2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 7, 2018
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聖ミハエルの黄金ドーム修道院を出ると…見えているのは聖ソフィア大聖堂の鐘楼が、その前に ぷちっと寄り道ドニエプル川からも見えていたブルーのファサードに緑色のドームがのっかったウクライナ独立正教会のアンドレイ教会外観はバロック様式だけれど内はロココ様式だそうただいま絶賛修復中で中には入れずでしたでは、世界遺産のソフィア大聖堂へ参りますユリがきれいキエフ大公国のヤロスラフ大公によって1037年に建立されたキリスト教のソフィア大聖堂は1990年に世界遺産に登録されています遠くから見えていたときは白く見えたけれどこんなにブルーだったとは…ヤロスラフがペチェニーヒの大軍を破り大勝利した場所に建てられたというソフィア大聖堂振り返ると先ほどまでいた聖ミハエルの黄金ドーム修道院中世ヨーロッパの建築物の中で最も大きい建物の一つで5つのネーヴ、5つのアプスと13のドームを有していたソフィア大聖堂 …ですが、その歴史はやはりいろいろあり略奪や占領、それによる被害で荒れ果てたこともあったそう最近?では1569年にウクライナ・カトリック教会の司教座となり1633年にウクライナ正教会の手に渡り内部の古来の装飾は保存され外部だけウクライナ・バロック様式で造りかえられたそうです現存している聖ソフィア大聖堂は当時の姿のままだとのことちなみに現在ソフィア大聖堂は、ウクライナの複雑な宗教事情を反映して特定の教派が管理しない博物館となっていますウクライナ正教会やウクライナ東方カトリック教会などが日時をずらして使用することで共存しているそうです中は豪華で美しいのですが写真は不可でした敷地内は整備されていてオダマキやユリ名前はわからないけれど赤い実がなっていましたこちらは黄金の門、キエフ大公国時代の城壁の一部に造られていた中央門ですビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)の門にちなんで「黄金の門」と言われてます …黄金じゃないけどね門の脇にはキエフを造ったヤロスラフ公がなんと… ソフィア大聖堂を持っている銅像キエフはキリスト教の街であることを示すため門上に受胎告知教会が造られていますヤロスラフ公の近くいるパンテレイモンという名前の猫なでなですると願いごとが叶う猫だそうです ハイハイ、こういうの信じてるわけじゃないけれどやっちゃうんだよね、強欲女です・・・が、しかし肝心の願い事が無いことに気が付くorzキエフはギボウシが多く咲いていましたというか、この後どこでも見かけたなぁキエフの街って絵になるわ黄色いファサードの教会はウクライナ正教会のウラジミール教会別名というか本当の名前?は聖ヴォロディームィル大聖堂1896年に建立なので歴史は浅い教会です1920年には共産党政権によって閉鎖され第二次世界大戦後にロシア正教会に渡されたためソ連時代にもキエフにおける数少ない教会だったんですね1992年のウクライナ独立後にウクライナ正教会に渡され現在はキエフ総主教庁総主教座となっています紫のはリアトリス(キリンギク)かなりんご?小さいけど…なんだか濃密だった午前中の教会巡りちょっと疲れました… 夏日とまではいかずとも暑かったので…これはビールが美味いパターン ふふディルがたっぷりとのった野菜これだけで良いわ~ ディルの味はロシアの味~~こちらのお店はウクライナ料理がウリもちろんキエフ風チキンカツですキレイなフォルムです割ってみるとバターがドバっと流れる系チキンはさっぱりしていてもやっぱりコッテリ系がお好きなお国柄かしらPervakRognedinskaya St., 2 | Corner of Velyka Vasilkivska St, Kiev 01004そうそうキエフで気になったのはタクシー受話器になっているルーフ上のサイン最近はこんな受話器も見かけなくなりましたけど続きはこちら 7. ウクライナ キエフ 世界遺産ペチェルスカヤ大修道院 ~クレーヴェン ~リヴネ2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 6, 2018
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オデッサから首都キエフまでは1時間ほどのフライトバタバタと移動していましたが、ここキエフは2泊の予定到着してすぐにホテルのレストランでディナー珍しくお魚メニュ、マッシュルームソースでしたキエフはさすがに大都市高いビルも多いし、無機質なビルも…の、空を染める朝焼け朝食の取り揃えもなかなか…というか、好きなものが多かった(ってことです)特に… 鯖薫が脂がのっていておいひかったわ庭に出てみると…あじさいが咲いていたのには驚いた~こんな濃い紫がかったピンク どんな土壌なのやら百合も咲いていましたん、今日も良いお天気 暑くなるかな… と言っても25度ほど↑37度の東京の夏満喫しながら書いてるので悔しいくらい戻りたいウクライナ とほPresidentHospitalna vul. 12, Kiev 01601, Ukraine東ヨーロッパにおける最古の都市でキリスト教の聖地の一つであるキエフまず向かったのはキエフから黒海へ向けて流れるドニエプル川クルーズ …街きれいウクライナの国旗色のバス停キエフ大公国時代の建築物が多数残されていますが戦火や共産党時代に破壊されたものも少なくありません復元されているため戦火の傷跡はパッと見わかりませんが多くの記念碑が建てられています見えているアーチも何かの記念碑だそう …聞きそびれドニエプル川に浮かんでいるというか建っている小さな小さな聖アンドリュー教会クルーズ出航っ!で、すぐに見えてきたのは丘の上に建つアンドレイ教会 …後ほど行きます川から眺めるキエフの街…ドニエプル川には数多く橋が架かっていて電車が通る橋もありました世界遺産に登録されているキリスト教のペチェルスカヤ大修道院の教会群こちらも後ほど行っきま~す…のすぐ左手に建っているのは誰?右手に剣、左手にソ連のエンブレム付きの楯を掲げているこの方は「祖国の母」だそう第二次世界大戦の勝利を記念する「大祖国戦争博物館」に建造され高さ102mもありまして女性像としては世界一の高さを誇っていますあ、ヒコーキが上を飛んでるここでUターンをして戻ります乗船前に通ったときはまだただのカタツムリのオブジェだったのだけれど… あ、お店だったのねカタツムリ君今度はフニクラで丘を登り上の街へなんだか遊園地の乗り物みたいにかわいい実際上の駅が見えてるくらい短っ!一応2機で運行されていますブルーのファサードと黄金の玉ねぎが印象的な建物は「黄金ドームの都」と呼ばれるキエフのシンボルの一つでキエフ総主教庁ウクライナ正教会の聖ミハエルの黄金ドーム修道院…黄金ドームってつけるあたりけっこまんまな名称かも修道院はキエフ大公ヤロスラフ1世の孫スヴァトポルク2世大公によって建立され1113年に完成した大聖堂はキエフ大公国の守護天使ミハエルにちなんで名づけられ中世キエフの最も大きな教会の一つです鐘楼1240年にモンゴル軍、1482年にタタール軍の略奪によって破壊されましたが、1469年にウクライナ正教会の修道院として復元され、1620年以後キエフ主教庁の本拠となっています18世紀には敷地と領地を拡大し、聖堂内の12世紀のモザイクと壁画が保存され、外部はコサック・バロック様式で立て替えられたそうです18世紀末にウクライナはロシア帝国に編入されたため1922年にはとうとう修道院は廃止さらに1936年までに大聖堂や鐘楼などの建物は共産党政府機関を建設するために破壊されてしまいました文化財や貴重品はモスクワやレニングラードの博物館送られた …というか、強制徴収されてしまった?1991年のロシアからの独立後復元が開始され1998年に終了、ウクライナ正教会のキエフ総主教庁に譲渡されましたその後2004年までにロシアの博物館から文化財(モザイクと壁画)を取り戻したのです現在は教会としてだけでなく博物館としての側面も持っていますブルーのファサードには色鮮やかな花が映えます続きはこちら 6. 首都キエフ ~アンドレイ教会 ~世界遺産ソフィア大聖堂 ~黄金の門 ~ウラジミール教会2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 5, 2018
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エカテリーナ2世の広場からまっすぐ黒海の方へ歩いていくと…リシュリュー公爵の像が立っている広場へ1803年にオデッサの長官に任命されたフランス人のアルマン・エマニュエル・リシュリュー彼の下でオデッサは劇的に発展したのですが1814年9月に長官の職を辞しフランスに帰国したそうです船形のお土産物屋さんリシュリュー公のある広場からオデッサの一番?の観光スポット「ポチョムキンの階段」が始まりますそれにしてもエカテリーナ2世の愛人のポチョムキンの階段が広場に立っているエカテリーナ2世から見えるところにある(見えないかな…)ってのもねロシア革命前の1905年に戦艦ポチョムキン号で「食事で出されたボルシチの肉が腐っている」という理由から、水兵による反乱が起き国の体制に対する批判へまで発展したという実話をベースにしている映画セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」の舞台となったところ赤ちゃんを乗せた乳母車が階段から落ちるシーンが有名だそう実は見たこと無いのです… すんまそん上から見下す感じだと、横に広いせいか階段は舞台の階段みたくそれほど急には感じられません折角だから降りますわよなだらかだけど… 結構段数あるわねでもって下から見上げてみるとあらあ~なんだか高く感じます人間の錯覚を利用した設計がなされているそうですしかし下りたら上らなきゃならんのよね数えてみたら 192段っ ひぃっそんな方のために?ちゃんとフニクラ設置されてます乗ってませんが…オデッサで見かけたマンホール右側のは …なんだろ階段を上りきり ぷちっとぜーぜー緑道を左手に歩いていくとオデッサ市庁舎にでます 市庁舎前には姉妹都市の距離が書いてある標識が…横浜市がありました実はココから出発地点のオペラハウスは目と鼻の先…広々とした公園の中に花が咲き乱れ…美しい建物が点在していますおそらく美術館だとか博物館だとか図書館だとかだと思うのですが…こちらはオデッサのシンボルなんだかキュート少し離れたところにあるパサージュを目指しますの、前にあったプレオブラジェンスキー大聖堂地下2階に正教会があるそうです…ミサ中で中に入ることができませんでしたこちらがパサージュミラノのガレリアに比べると… 比べちゃいけないけれど小さいです突き当たって左に曲がったらえ、もうお終い?くらいの距離でもですね、パリのパサージュの一角って感じレリーフもステキだし…アーケード入口に残っているオリジナルの天井モザイクもっ!オデッサの街にはこんなかわいいレトロなトラムパサージュを出たところにあるデリバソフスカヤ通りはオデッサの繁華街人も、観光客はさほどおらず…なのにカフェだらけでして…気っ持ち良~くビール休憩かなりランチ時間には遅れましたが…レストランのテーブルクロスが思いっきりネイル模様ボルシチとハンバーガーの中身風ハンバーグそれとパンナコッタ …おしゃれな盛り付けです全然と言ってもいいほどお腹が空いていなかったので食べるより… こっちがメイン?!?外にでるとぶどうの絡まる壁&わいん! と わんこ!!この後空港に移動して一路首都キエフへ!続きはこちら 5. ウクライナ 首都キエフ ~ドニエプル川クルーズ ~聖ミハエルの黄金ドーム修道院2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 4, 2018
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ウクライナの国境を越え黒海に面したリゾート地オデッサに到着したのはすでに日が暮れかけていたころウクライナ最大の港湾を備える工業都市でもありロシア帝国時代には経済・文化の交流の拠点でもある街「ウクライナに行ってきま~す」って言うと「えっ、ダイジョブ?危なくない?」と言われちゃったけど、ウクライナ東部の一部とクリミア半島以外は平和な空気流れてます …でもってキレイですホテルに隣接しているレストランはあらぁ~ ゴージャスなインテリアじゃないこと?なんだけど…サービスは東欧チックそのものでして…喉乾いたぁ~ ビールが飲みたいぃ~だったのに、届けられたのはメインがきてからOMGメインのビーフは美味しかったのだけれどやっぱり先にビールよね ねねねちなみに朝食はこのレストランではなくホテル併設のブレックファストルームでしたいちごがあったわ 北の国は春から秋まで花も果物も一斉に旬なのよねすがすがしい朝ですもんちょっと散歩… と庭に出てみると目の前にオペラハウスが!(トップ写真)MozartLanzheronivska vul. 13, Odessa 65026, Ukraine15世紀にトルコ人によって造られたオデッサ18世紀のロシア帝国とオスマン帝国の戦争(露土戦争)後にオデッサはロシア帝国領に編入されオデッサがウクライナになったのは20世紀のソビエト連邦時代からなんですなので、オデッサはウクライナ語よりロシア語のほうが通じるとか… ま、しょせんどっちも話せませんので旧ソ連時代のような横長の威圧的な建物はなくあくまで、おや… ここはヨーロッパ西欧の風~オデッサは建物もキレイだけれど公園も多く緑あふれるきれいな街でしたこちらオペラハウス前に広がる公園本格的に観光に出かけますここはオデッサでも一番古い地区「愛の橋」と呼ばれる太鼓橋?がある公園ま、良くある?話ですがいわゆる恋人たちが欄干に南京錠をかけ鍵を捨てて永遠の愛を誓うっていうやつ…でも、欄干に南京錠はなし…どうやら増えすぎちゃって、荷重に耐えられず…こちら♡のオブジェに移し替えたそうです黒海が見えてます… う~ん、工業都市感満載でしてリゾート地って感じは無いです古い地区を歩いていると木造のアパートなんかも残っています …ほとんど石造りなのにねあ、にゃんが歩いてきた!エカテリーナ2世の像が立っている広場そもそもオデッサは18世紀後半にエカテリーナ2世が港湾を整備して発展した街ロシア最後の王朝ロマノフ王朝(1913~1917年)のピョートル大帝が造ったのはサンクトペテルブルグそれに対抗して?エカテリーナ2世は南のオデッサを造っちゃったんです続きはこちら 4. ウクライナ オデッサ ~ポチョムキンの階段 ~パサージュ2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 3, 2018
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良質な葡萄がたくさん採れることからワインの国としても有名なモルドバ今回の旅の目的の一つはココのワイナリーに行くことだったんです ふふいろんなところのワイナリーに行ってますがモルドバはなかなか行く機会がなかったからうれしっ首都キシナウにある世界最大規模と言われているミレスチ・ ミーチ・ワイナリー入り口には きゃぁ~これが本物だったら…というワインの泉がございました ですキャァーキャァー言いつつ写真を撮っていたんだけど奥にもう一つっ!赤い泉もあったよミレスチ・ ミーチの全長200kmにも及ぶ地下ワイナリーは55kmにわたる世界最大の地下ワインの保管庫でありそのワインの保有量が150万本という数と共にギネス記録になっていますヨーロッパの最貧国と言われるモルドバ共和国ですがワインの生産量はヨーロッパでも上位にあり以前はロシアへの輸出が多かったのですが最近では日本にもかなりの量が輸出されています小型バンに乗せてもらって地下深くに降りていくと大きな洞窟のようなワイン庫が迷路のようにつながっていますいやホント、マジ迷いそう…埃を被っていますがこれ全部ワインなんだよね~かつては英王室も御用達だったというこのミレスチ・ ミーチ個人でもブースを借りることが可能でこんな鍵付きのところは個人のものだそうプーチン大統領は今でも保有しているとかしていないとか…保管庫にあるランプがブドウでかわゆいさああて、お楽しみのティスティング驚いたのはランチを取りながら… という趣向10人くらいのテーブルにはおつまみというよりしっかりと前菜然としたお料理が並んでいます白x2、赤x3、スパークリングx1と聞いていたのでう~ん、テイスティングの量だとこの前菜片付かん…なあんて思っていたんですだって、このくらいの量ですもんねが、こちらのテイスティング めっちゃ太っ腹飲み終わるとその瞬間に注ぎに来て下さる…こりゃわんこワイン??ミレスチ・ ミーチは白の方が有名だそうですが赤もおいし~ 軽やかなボディからかなりしっかりとしたフルボディまで酔っぱらっちまうぜぃ …なんてご機嫌でしたらばメインまで出てきて驚いたっ!地下の穴倉でいただく豪華なランチとフリーフローのようなテイスティング楽っし~ぃっ最後にドルチェのスパークリング甘いけれど、こんなドルチェならウェルカム途中フォークロアミュージックも演奏していただき…力の入ったテイスティングツアーでございました名称:ÎS Mileştii-Mici住所:Milestii Mici Village, Ialoveni Districtワイナリーを後に、一路ウクライナを目指すのですが…途中未承認共和国の沿ドニエストルを通過しました国際的にはモルドバ共和国の一部であり主権国家としては承認されていませんが、モルドバ共和国政府の実効統治は及んでおらず事実上の独立状態にあるという沿ドニエストルモルドバの東部ドニエストル川沿いにありウクライナと国境を接していますこんな細長い国の首都はティラスポリ独自通貨も持っている国なんですココを目指していたわけではないのですがウクライナに陸路で行くには通らざるを得ないのでしょうか凱旋門かな??“Back in the USSR”と言われる沿ドニエストルスーパーに立ち寄りましたがめちゃくちゃモダンで普通にヨーロッパな感じでしたま、今やロシアも商品はヨーロッパと変わらないですもんねスーパーの前にポチョムキンの像が建っていましたロシア帝国の軍人であり政治家でエカテリーナ2世の愛人だったというグリゴリー・ポチョムキンここにいらっしゃるのは …なぜ?政府関係の庁舎の前には…前にはレーニン像 やはりソ連?結局のところ沿ドニエストルへの入出国はさほど面倒もなくそれよりもウクライナへの入国の方が時間がかかりましたウクライナのイミグレの役人さんの対応は(も)ソ連系よね~そんなこんなで既に夕方ですがさすが北の国6時を過ぎてもこの昼間っぷりこの時期ひまわりが満開ですこのあたり、ブドウは採れるのにオリーブは育たないとかでひまわり油のためのひまわり畑ですこの日の目的地は黒海に面するリゾート地オデッサひたすら続くひまわりを眺めながらもうひと眠りzzz続きはこちら 3. ウクライナ「黒海の真珠」オデッサ ~オペラハウス ~愛の橋2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 2, 2018
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7月の旅は旧ソ連の構成国、モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの3か国巡りサッカーのワールドカップで盛り上がっていた時期で折しも日本が決勝トーナメント進出しその日の夜が試合!って日にモスクワに出発急遽ロシア行きを決定された方がいらっしゃったそうで満席~~ ひぃ~~ 空いているはずだったのに ぐすんま、それはさておき おくんかいっ成田空港でらーめん食べるのお初かも…このところのラーメンに偏る外食状況はどうしたもんだか…空海そば塩をつるんといっておいて機上の人となりました東京上空は相変わらず空気は淀んでいるわよね~その割にはスカイツリーなんぞ見えていていましたが4月にアクシデンタリーに乗ったくらいで予約時からってのは超々久しぶりの鶴丸フライト日本発の便は和食しかないってどうなんでしょうねご飯にお汁が染みるのが好きではないので牛丼かチキンの照り焼き丼って選べない小鉢?のおからや冬瓜は良いおつまみでしたモスクワまでは10時間ほどのフライトこの日はモルドバまで行ってしまうのでトランジットVISAで一度入国&チェックイン時間がかかると言われていたので焦りつつも結果的には出国手続きしてもまだ3時間あったわモスクワから3時間強のフライトモルドバの首都キシナウに到着したのは午前0時を回っていましたきちんとした食事をしていなかったので朝食がありがたい~Jolly AlonMaria Cibotari Street, 37, Chisinau 2012, Moldova西にルーマニア、その他はウクライナと国境を接する内陸国のモルドバ共和国現在ドニエストル川東岸地域は沿ドニエストル共和国として未承認国ながら事実上独立状態にありますモルドバ人は言語的、文化的にルーマニア人との違いはほとんどないそうです歴史的には中世のモルダビア公国以後トルコとロシア(ソ連)、ルーマニアの間で領土の占領・併合が繰り返された地域です1991年8月に「モルドバ共和国」として独立を宣言しモルドバの国旗はルーマニアとよく似たものに変更また都市名の表記等もキシニョフ(Кишинёв)をキシナウ(Chişinău)というようにロシア語(キリル文字)からルーマニア語へ全て戻したのですちなみにソ連時代のモルダビア・ソビエト社会主義共和国の国旗と国章は、スラブ系住民が多いことから分離独立を宣言した沿ドニエストルがそのまま継承していますモルドバ滞在はこの日だけまず向かったのは青いファサードに金ぴか玉ねぎの19世紀半ばに建造されたルーマニア正教の聖ティロン大聖堂さほど広くはない敷地ですがきれいに花を咲かせていてとてもきれい右手の白い建物が現在の聖堂ですが中はとても簡素一番奥の建物、旧聖堂旧聖堂内は立入禁止でしたがガラス越しに中を除くことができ素晴らしいイコノスタシスが見て取れますフレスコ画が見られないのが残念帰国後もう少し詳しくこの教会のこと知りたいなとググっていたら、何年か前までは金色玉ねぎは濃いブルーだったようです …どして変えたのかな手前に小さな聖堂もあり中を覗くと…笑っちゃうくらいきらびやかに修復?されていました小さなドームにもフレスコ画スターリン様式で建てられたいかにもソ連!って感じのキシナウ・ホテル前にある解放広場真中の塔はソ連時代のモニュメントだとか…かつてはレーニン像もあったのでしょうか…素っ気ないつくりの建物が多い中市庁舎はとても優美、多少ごつい気もしますがスターリン様式の建物の中にあっては優美さが際立ちます国立劇場は威風堂々な建物トロリーバスが走り抜ける目抜き通りは車の量も、新車のようなきれいな車も多くヨーロッパ最貧国などと言われているけれどそんなに貧しさを感じることはありませんでした郵便局の後ろにはものすご~くモダンなビルも建ってました郵便局の前にはキシナウからの距離を示す表示板が歩道に埋め込まれていました日本はないわね… 北京ならあったけどこのビルは何だったかしら??狛犬さんならぬ狛獅子さんがかわいくて思わずパチリそのまま歩いていくと見えてきたのは国会議事堂他にも政府関係の庁舎になっているのかかなり大きな建物ですそしてその前にあるのが19世紀に東方教会が建てた凱旋門はい、凱旋門ですパリの凱旋門を想像するとかなりというかめちゃくちゃ小さいですがれっきとした凱旋門、中には大きなモルドバの国旗が翻っています国会議事堂の向かい側、凱旋門を挟んで反対側は木々に囲まれた中に1830年代に新古典主義様式で建造されたロシア正教会のキシナウ大聖堂が建っています鐘楼の鐘はオスマン帝国からの解放後にトルコの大砲を使って鋳造されたものだとか第二次大戦中に大きな被害を受け外観は新しくなんとも素っ気ない簡素な建物に見えますが…聖堂内は見ごたえがあります正教会っぽい立派で派手なイコノスタシスロシア正教会らしくイエス・キリストに後光が…キシナウ大聖堂のはす向かいにあるシュテファン・チェル・マレ公園公園入口に十字架を掲げて立つ方はモルドバ公国建国の父シュテファン・チェル・マレ『トランシルバニアのフニャディ・ヤーノシュやワラキアのヴラド・ツェペシュと並んで反オスマン帝国闘争を展開し1475年にはヴァスルイの戦いに勝利しローマ教皇から「キリストの戦士」と称えられた』英雄だそうです木漏れ日の差すベンチに座っている人も多く(平日の昼間なんだけど…)市民の憩いの場所のような気持ちのいい公園噴水もあり… 花も咲き… たくさんの銅像があって、ロシアの詩人プーキシンもいました一番のお気に入りはこの子クロスした手がかわいい~ちなみにこの公園を突っ切ったところに宿泊していたホテルがありました続きはこちら 2. モルドバ ミレスチ・ ミーチ・ワイナリー ~未承認国家の沿ドニエストル共和国2018年7月:モルドバ~ウクライナ~ベラルーシの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
August 1, 2018
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いわゆる中世のヨーロッパのお城とは趣が違いますが…世界遺産に登録されていますギボウシがベラルーシ中で満開!そしてベラルーシで訪問国が101か国になりました!!Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 9, 2018
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何故「愛のトンネル」なのかはイマイチ不明でしたがウクライナからベラルーシへの通りすがりの観光スポットなのかしら…Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 8, 2018
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ナイフを入れると中からバターがドバー系インスタから投稿していたのに…画像が現れないしかもアップできなくなって( ;∀;)溜まっていたのをアップいたします旅行記はまた後日…ウクライナで100か国達成!!Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 7, 2018
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ウクライナの満開のひまわり畑黄色いじゅうたんが広がっていましたInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 6, 2018
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黒海の真珠と呼ばれるウクライナのオデッサでもね、街から見える黒海は工業地帯というか…あまりね、真珠じゃなかった街はヨーロッパ!キリル文字じゃなきゃココドコ状態ですInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 5, 2018
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モルドバワインの噴水おとぎの国のワイナリーでフリーフロー的ティスティング(^O^)Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 4, 2018
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ワールドカップで賑わうモスクワを経てモルドバの首都キシニョフに到着ルーマニア正教の聖ティロン大聖堂ブルーと金ピカ玉ねぎ、なかなか目を引きますInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
July 3, 2018
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