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夏もそろそろそのなりを潜め始めた頃、秋津で呑むことになりました。これまでも何度かこのブログに登場してはいますが、コロナ禍以降になって訪れるのは初めてではなかろうか。実のところ以前頻繁に訪れていたこともあり、目ぼしい酒場はひと通り立ち寄ったつもりでいるからついつい足も遠のくのであります。そういう土地だから何かしら背中を押してくれるきっかけでもないとなかなか再訪してみようって気になれないのです。しかしある夜唐突にその機会が到来してしまったのであります。というのも日暮里だったか田端だったかでその親しい人と呑んでいたら相手がご機嫌になった勢いで我々を親しくさせるきっかけとなった共通の知人がまさにその秋津の住民でありましてたまには呑もうじゃないかと相成った次第なのです。そりゃまあわれわれを仲良くしてくれた人でもあるし、それぞれが知り合った当時にはそれこそ連夜の如くに酒を呑ましてくれた方だったので、すでに退職してしばらく経ったから小遣いも以前のように自由にはならないだろうから、たまにはお会いして礼の一つでも申し上げるとともにご馳走させていただこうなんて思った訳なのであります。ついでにコロナ禍以降の町の状況も確認しておきたい。店は本当であれば好みの酒場をぼくが決めたいところでありますが、ここは地元の名士(らしいのですね)顔を立ててお任せすることになりました。友人は先乗りして2人で始めるとのことなので、ぼくは列車に乗り込んで席に着くとすぐに向かう先を知らせてくれるようお願いの連絡を入れたのでした。 返事には写真が添付されていて,見覚えあるなあと思ったら以前お邪魔したことのある「ひじかた」が映っていました。酒場放浪記でも放映されています。ここなら文句のつけようがない。駅に到着するとまずは秋津の老舗パン屋さん「サントアン」でお土産を購入しました。Winkの相田翔子氏がアルバイトしていたり宮崎駿が通っていたりと何かと有名なお店ですが、そんなことよりここのお手頃でありながらちゃんとしたパンは秋津に来たらぜひ買い求めたい一品であります。主人も気がいいし(値引もしてくれたり)陽気で楽しい方です。洋菓子の「ロートンヌ」も気になりますが今回は遅くなることも危惧されるのでやめておきます。さて駅前からは喧噪に背を向けて大急ぎで会合の場に向かいます。せっかくだからとかついでだとかといったことをつねに考えているのがぼくのケチ臭さの証左であり、いまひとつ器の小っちゃさに繋がっている気がするのです。さて、駅からは歩いて1、2分程度だから息を整えるほどでもない。奥の座敷で2人はすでにご機嫌さんです。奥から懐かしいよく通るのに加えて大きな声でぼくの名が叫ばれます。相変わらず豪快だなあ、しかも元気だなあと嬉しくなるのです。久し振りに顔を合わしてみると記憶にある当時とちっとも変っていないからまた驚きです。2人はすでに気分良くなってるようなので、遠慮がちに瓶ビールと鰯餃子、〆鯖、それとお勧めのだだちゃ豆をお願いしました。これって別に支払いを気にしたって訳じゃないですからね。見ると焼酎のボトルには名前が書き込まれています。へえ、ここを贔屓にしていたのね。以前お邪魔した際に偶然遭遇するってこともあったかもしれないって訳だ。こちらが滑り出しで控えめにオーダーしたのに喋りが盛り上がってくるとちょっと草臥れたように見えた二人も息を吹き返して、酒も肴も進むこと。それにしてもここの料理は何を食べても美味しいなあ。身近にこういう良心的で高品質な料理を出してもらえる店があると重宝しますねえ。さて、先輩殿はかつては朝まで当たり前のように4、5軒とハシゴされたものですが、さすがに今ではこれで充分満足されたようです。支払いになっても絶対に金を受け取らないのも以前のまんまでした。ということで案外あっさりとお開きになって本当はぼくだけでももう一軒ハシゴしたいところですが、親しい人を取り敢えず池袋までは送り届けようと西武池袋線の乗客となったのでした。
2022/09/23
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武蔵小金井にはかねてから行きたい施設がありました。その施設について書くことは本ブログの本来の趣旨からもしかすると外れているかもしれませんが、気にせず書くことにしますが、それもちょっとあとのお話であります。武蔵小金井には、何年か前に「百薬の長」、「鳥ひろ」、「壱番館」-これ喫茶店っぽいけど居酒屋さんです-酒場巡りで訪れた、それ一度っきりなのでした。なんだか心理的に遠そうだというイメージがあるし、何より一度の訪問でもういいかなって思えてしまうような町並みだったのでした。そういや京極夏彦の『魍魎の匣』で女の子二人がプラットホーム上での姿が描かれるわけですが、この物語のきっかけであり、謎の核心に迫る重要な場面が武蔵小金井駅だったことをふと思い出しました。と書くとカッコいいのですが、たまたま先日漫画版-これがなかなかよく描かれていて、むしろ小説版より理解が深化できたかもしれません-を読んでいて知ったのでありますね。漫画版で描かれる風景は田園風景そのものだったと思いますが、地方の小さな町のような退屈で―実際に訪れてみると思った以上に近いことに驚かされるのです―、しかし駅前ビルもモデルルーム化したりどうも再開発が中断しているように見えるのでした。 せっかく武蔵小金井まで訪れて手ぶらで帰るのもつまらないので、ナイトキャップのお供用としてチョコを買うことにしました。駅の北口をしばらく歩いて、10分近くすると『魍魎の匣』で描かれた時代の武蔵小金井の田園風景が見えてきます。茶とか黒味がかった古い民家の立ち並ぶそのとてもショコラテリーとは思えぬ風貌の民家が「チョコファニー(CHOCOFUNNY)」でした。思いがけず散在してしまいましたが、ここのシュークリーム―チョコとカスタードのミックスをいただきましたが、手土産に最高ではないか―とキューブという濃生チョコ風味のケーキなどどれもこれも絶品なのでありました。 途中、なんでもない珈琲豆焙煎屋の「コーヒーロースト(Coffee Roast) 焙煎」で格安珈琲豆を用意しておいてもらい、引き返して来たらコーヒーを味見させてくれました。とてもお手頃で感じのいいお店でした。郊外の町にはこういう店が案外重宝がられるのかもしれません。 博物館とかそういった施設は嫌いじゃないけど、後回しにしてしまっていた施設があるのでした。ご存じ、「江戸東京たてもの園」であります。お目当ては無論のことに「鍵屋」であります。園内マップを手に入れるとすぐさまその場所を特定して、順路の最後にもってくるよう巡回経路を組み立てるのであります。見どころが多過ぎて語り切れないので割愛です。 しかし、「武蔵野茶房 江戸東京たてもの園店」に立ち寄った後、堀口捨己という人の設計による小出邸1階の応接室に入り、いやはやこちらでお茶できれば素晴らしかったのにと思うほどに次に入る洋館の喫茶を上回る素晴らしく魅惑的な空間だったのでした。特別展として「小出邸と堀口捨己 ー1920年代の創作活動、その造形と色彩ー」がちょうどタイミングよくやっていて、堀口捨己という人、にわか建築ファンのぼくには衝撃的な資料がずらり展示され興奮したのでした。 途中、「武蔵野茶房 江戸東京たてもの園店」に立ち寄りました。しばらく待たされた後に最も端の席に追いやられてしまったけれど構いはしまい。こういう洋風建築をリノベーションした喫茶にはあまり興味はもてなかったけれど、オリジナルに忠実なモノホン系であれば思いがけず味わい深いものとしみじみとホットワインをすすったのでありました。 いうまでもないことですが、お楽しみの「鍵屋」はやはり素晴らしくて、決まりきった感想で恐縮ですが、ここで熱燗を傾けたいと願わずにおられぬのでした。そんな機会を設けてくれないかなあ。 たてもの園から駅に引き返す途中に「CAFE LOUNGE Reve(レベ)」というお店があったので、立ち寄ることにしました。ライトな具合に山小屋チックな雰囲気でどうってことはないけれど悪くないお店でした。おばちゃまがカレーライスを召し上がり中で、コーヒーとカレーの相性の良さは十二分に弁えているけれど、あまりの香しい芳香に空腹感が助長されるのが敵わないのであります。お茶もそこそこに席を立つと、駅前の地産マルシェで買い込んだ大量の野菜を持ち帰り、この夜は自宅にてせり鍋に舌鼓を打ったのでした。
2020/03/01
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国立という町は都内でもお品のよろしい町という定評がありますが、そのせいというわけでもないのでしょうが、実はこのブログでは初登場になります。近頃はめっきり国立に行く機会も減りましたが、かつては諸々やむにやまれぬ事情により通った時期もありますが、その頃のことはあえて語らぬのであります。ということで、実はこうして今更になって2年も前のことを書こうとしているのはいつか書こう書こうと思いつつ、このブログの日曜版が喫茶ネタというよりは旅の思い出作りの場と化しつつあったため、語らぬままに放擲されていたものです。近頃、今ひとつテンションが低い状態となっており、新ネタを投入する気力がないので賞味期限切れ寸前のネタを引き出してきた次第です。 この日の目的は、相当に欲張ったものでした。酒場では例の番組にも登場したりの「うなちゃん」やその傍にあって老舗酒場として知られた「まっちゃん」-実際に現場に行くと建て替えされていました-が最大の目当てだったわけですが、いずれも時期悪くお休みのようでした。 で、肝心の喫茶については、「パモジャ」が目当てだったのですが、こちらもなんとも悔しいことにお休みでした。 なので久しぶりに「ロージナ茶房」に立ち寄ることにしました。もう随分長いこと来ていなかったので、店の印象をすっかり失念していたのですが、改めて来てみるとなかなかよいではありませんか。というのはそれは思い込みに過ぎなかったのですが、店名の生硬なこともありもっと愛嬌のない冷たい印象のお店と思っていたのですが、なんのそれは大きな勘違いでむしろ雑然としたムードのある生活感が感じられるお店でした。若い頃はちょっとスタイリッシュな位の洗練された空間設計なんてものを信奉していたような気がするけれど、今はちょっと泥臭いような人間味を漂わせたこういうお店が好きなのです。 次なるお店も定番の「洋菓子・珈琲 国立 白十字 南口本店」であります。こちらもかつて何度か利用しており、先の店の場合はかつて抱いたイメージとのギャップがうれしかったのですが、こちらは当時受けた印象のままでプチゴージャスなでも使い勝手の良いことに安堵したのでありました。 他にここらにもお邪魔したようですが、すっかり忘れてしまったので特にコメントはありません。 国立の町は、ちょっとおハイソという印象があって特に酒場なんかはすっかり綺麗になってしまったのが仕方ないとはいえ残念です。が、まあこうして喫茶にはかつての面影をきっちり留めていてくれるところもあったりして、町の方はこうした店を大事にしていっていただけたら余所者にとってもありがたいことです。
2020/01/12
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勝手を知らぬ地縁の薄い町で、ちょっとした用事があったとする。そんな機会があったら当然、その夜は早々に用事を済まして、見知らぬ町を思う存分に散策してみたくもなるものです。だから事前にすでにして綿密なリサーチを嬉々として行っているのでした。しかし、どうもその町には芳しい酒場はなさそうということになろうとそう困ったり憤慨する必要はないのです。何しろ時間はたっぷりあるのだから、近隣の駅に移動すれば何とかなるだろう。実際にお隣の駅には気になる酒場もあるから散策が不首尾に終始するとなれば、慌てず焦らず目当てを近隣に切り替えれば済むだけの事なのです。しかし、早々に用事を済ますという大前提を忘失することがある。リサーチが加速してもう本来の目的はどこへやら、興味の向くままに調べを尽くす過程で、用事が長引くといういかにも生じうる予定変更が脳内から消し飛んでしまうのです。まさに日野で起こったのがこの事態であります。日野の駅前を散策してどうにもならなかった場合は豊田なりに移動すればよいだけの事と能天気にも考えていたのです。しかし、時間は10時も近く日野を散策する余裕もないし、移動などして時間をロスする訳にもいかぬということでやむなく普段なら見送るであろう一軒の居酒屋に入ることにしたのでした。 見送ろうと、そう思った所以は極めてはっきりしています。「居酒屋 夢路」はまずもって見栄えが立派でちょっと高級そう、居酒屋と呼ぶには貫禄が有りすぎるように思えるのです。立派ということはお値段が張るに違いない。財布の中身まで予定に併せるというのはやはり想像力というか危機管理意識の欠如を認めざるを得ないのであります。だからといって躊躇する暇はないのです。愚図愚図していて店仕舞いの時間となってしまっては、わざわざ日野まで来て全くの収穫なしということになりかねぬ。金銭面に不安が生じたら潔くしまったという風な演技にて最低限の出費で店を出ればいいだけの事である。と店内のカウンター席に着くまでの間に気持ちを確認し、品書きを開いたのでした。おう、案外庶民的な価格帯ではないか。生ビールもお手頃だから当然注文することにしようか。肴は、そうねえ時間も時間だしといつものように迷うこともなく魚介サラダを注文したのですが、これが正解でした。いや、随分前の話だから実のところほとんど覚えていないのだけれど、生臭いとかの理由ではなくその正反対に旨いのだけれど量が多くて持て余してしまうほどなのでした。野菜も取れると一緒に食べてカルパッチョ風味を味わうこともできる。なんて気取った感想はみっともないけれど、ぼくはここにまた来ることがあってもこれで肴は十分だなあ。なんてカウンターの隣席の男性はこれまでに散々食い散らかしていたにも関わらずさらに3品も注文していやがる。他人が何を注文しようと構いはせぬのだけれど、聞こえるか聞こえぬかで店の大将に向かって、どうやらぼくのことをちょいとおちょくったようだから書いておくことにしよう。酒も進まずに肴ばかりガツガツ食らうのは店の方はいいかもしれんが、余りかっちょよくないぞ。
2019/02/21
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それはまあ京王線には縁が薄いことは認めるけれど、それにしたってもう少しは分かっているという自負を抱いていたのです。とりあえずは思い出せる限りは全駅に下車しているはずだし、それなら駅周辺もそれなりに散策もしているはずです。なのに都心からもそう遠くなくそこそこ便のいい仙川駅前に酒場好きなら見逃しようのない実に魅力的な酒場を見過ごしていたなんてこれはもう迂闊などという軟弱な単語で反省するのでは足りぬのである。と書いた頃から早一週間。ようやくしばらくは書く事を忘れたフリしても良い程度のストックもできていたのに漫然と日々を過ごしてしまった。そんな具合の出鱈目さだからどうもいつも同じことを述べている気がします。それはまあ置いておくとして、仙川にはまたじっくりと時間を割いて行ってみたいと少し思ったのは事実です。 細長い商店街の脇道にさらなる狭い通りがあって、そのシチュエーションだけで嬉しくなるのでした。そんな路地にはスナックが立ち並ぶけれどドンづまりもスナックらしき店舗が寄り集まっているのです。スナック街はその風情は好きだけれど、今では滅多に立ち寄る事もありません。こあした通りは風情を楽しむに留まる事が多いけれど、しかしここには立呑みの「番兵」という焼鳥の店があって、これが閑静な住宅街の印象が強い仙川の酒場かとその意外さに虚を突かれるのであります。店鋪からハミ出た客たちは小径に置かれて止まり木に群がって呑んでいます。ここは夏は暑かろうし冬は凍える寒さに違いない。そゆな過酷な環境でもここはこの夜のように盛況なのだろうか。ぼくはそれでも多くの客が身を寄せ合い呑んでいるのだろう、そんなイメージが脳裏に浮かぶのです。開放感のある店はまあ良いのだけれど、ここの場合は店舗そのものの魅力というよりは、店の表情を形作るのはむしろ人々の表情にこそ起因するように思えます。今ひとつ冴えない顔をしているのは、観察する側の部外者として振る舞うぼく位のもので、他の人達は、店の要素の一部として振る舞う愉悦を満喫しているようです。孤独に慣れ親しみ過ぎたぼくにはその一歩が踏み出せぬのです。さて、そんな孤独な男でもここの焼鳥のパフォーマンスの高さは認知できるのです。品書が奥にあるだけで良くは見えなかったけれど、かなりの品数があって、時折運ばれて行く肴を眺めるだけでそれが旨いに違いない事が見て取れるのです。家族三人の連携にはまだ難があるようだけれど、若い主人が実によく指揮を振るっています。近隣のスナックの客たちがホステスさんだかママさんと同伴するのも納得。しかも店への出入りの妨げにもなりかねぬ通路の使用にも目をつぶるどころかむしろ積極的にそこを指定席として使用する位にファンになるのも合点がいったのです。 さて、目当ては酒場放浪記に出たらしい「きくや」です。放映を見ていたらもっと早くに訪れていたに違いありません。なにせその店構えの素敵さは、見るや心をガッシと鷲掴みにするのです。しかもそれが駅舎を出て目と鼻の先にあるのだから、以前訪れた際に目を付けなかった己の観察眼の能力の低さに絶望師もするのですが、ともかく訪れる事ができたのだから良しとしよう。さて、この雰囲気だと客も多いだろうといそいそと足を向けますが目の前で女性が独りで店に入っていきます。うわ、これで満席なんじゃなかろうかという不安と焦りにその綺麗な女性に恨み言を吐きたくもなるのですが、戸を開けるとまだ席には余裕があるようでした。長テーブルの追込みスタイルというのもいいなあ。奥には座敷席もあるようです。ぼくはちょっと窮屈そうなカウンター席に通されます。案内してくれるのは学生バイトの可愛い娘さん、ここはそんなコたちが多くて目にも楽しいなどと助平心も芽生えます。先に入った女性は上司らしきおっさんと相席していますが、そんな上司への嫉妬心を打ち消してくれます。ここまでは良かった。しかしカウンター席で隣にいた二人が非常に質が悪かった。各々が常連ぶって、それはまあ良いとしても振る舞いがともかく横柄なのだ。とにかく品性が最低なのだ。そこはいくら常連といっても店の方は注意すべきではないか。
2018/10/17
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大月に未練はあるけれど、このまま呑み続けては際限がなくなってしまうと、数多の誘惑を振り切って、中央本線に乗り込んだのでした。呑み歩きの旅は高尾まで来ると安心するのだから愚かしい話であります。まだ自宅までは1時間以上は掛かるのだけどねえ。仕事に追われる日常だと、つい翌日のことに思いが及んでしまいますが、明日もお休みだと気も大きくなるというものです。ならばと下車したのは豊田駅でした。豊田駅ではちょっと前に「ベアトリーチェ」なるちょっと素敵なゴージャス系喫茶にお邪魔していて、これから伺うお店はそこからさらに駅から離れなければならぬというそれなりの遠方にあるのでありますが、ずっと座りっぱなしであったから、案外足取りは軽いのでありました。しかし、夜になっても町を取り巻く熱気が晴れることはなく、暗い住宅街に踏み入った現地に到着した時には汗が噴き出していたのでした。 この「鳥はる」という酒場の存在を知ったのがどうした経緯からだったかは既に忘却の内に埋もれてしまっているけれど、それでもここの存在は豊田という名を目にし、耳にする度に想起されたのであります。豊田なる地名にも名字でもしばしば遭遇する凡庸な字面や音を聞く度に思い出していては、それそれで邪魔くさいものです。だから早目にその反芻される記憶のぶり返しから逃れるには早いところ片付けるに限るのであるけれど、ここでもまた遠くて近い町のセオリーが課題として浮上するのであります。それもこれも乗り越えてとうとう訪れる機会を得てようやく辿り着き、しかも店灯が付いているのを見た瞬間、安堵とか感慨とか愉悦といった様々な感情が吹き出したのは気のせいではないと思う。しかしその感情の発露は同時に大量の汗を伴うことになるのだった。なんとしても空調というものがこの店には存在せぬのであります。空調のない酒場は知らぬでもないけれど、扇風機すらないのはこの夏を乗り切るにやはり少なからずヤバくはなかろうか。この酒場がいつまで営業を続けられるかは知る由もないけれど、でき得ることなら涼しくなる頃に訪れるが宜しかろうと思うのです。何にしろ暑いが何物にも先行するのであります。汗が吹き出すから滲み出るに変わった頃にようやくひと息付き冷静に店内を見渡すのです。店自体の造りは極めてオーソドックスで、何の変哲もないけれど、その年季の入りようはただ事ではないのです。オヤジさんは、こんな中でも平気で焼き場に立つのだから驚くべきタフネス振りであります。勝手を知ってさも弁えたかのように酒を呑んでみせる常連たちも平気な顔をしてみせても時に太い息を吐くのをぼくは聞き逃さぬのでありました。でもそれてもこの酒場には、それすら許容させるだけの吸引力があるのでした。試しにもつ焼を食べてみて頂きたい。絶賛するような品ではないかもしれぬけれど、しっかり旨いことはお認めいただけるであろうと思うのです。品書にはカレーのルーなんてのもあったと思うし、それは無防備に厨房のコンロの上に鎮座していて、いろんな意味で危険な気もするけれど食ってみたかったなあ。その後、結婚間近らしきアベックとその女性の母親が連れ立ってお越しになったが、彼氏の絶句した様が余りにも愉快でそれはそれで肴になるのであったのです。ちなみに基本的には5本縛りがあるらしいのでご注意を。
2018/09/12
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前回書いたように「大ちゃん」は、どこ鉄道駅からも隔絶していて、所謂ところの陸の孤島なのであります。公共交通機関はコミュニティバスのみで、東村山駅から「大ちゃん」のある青葉商店街を経由して新秋津駅に向かうというもの。うん?!、なんだ東村山駅からバスが出てたのかあ、バスのチェックは面倒でついサボってしまいます。でもまあお陰で素敵な喫茶店に巡り合えたのだから良しとするか。この後、秋津駅方面に向かうのでありますが、なんとも具合の悪いことに秋津駅からすぐの新秋津行は、17:23発が最終です。東村山駅行きで19:02発がありますが、バス運賃と西武線の運賃を払うのはいかにも勿体ない。それにしてもこの界隈にお住まいの方は新秋津駅からは17:15発が最終だし、東村山駅でも19:02発で運行が終了してしまうとなるとかなり不便なのではないか。いや案外、そんな環境だから一家に2台、3台の自家用車持ちも多いんじゃないか、住居選択の自由は国民に等しく認められているのだから、多少の便の悪さに勝る魅力があるかもしれぬから、余りとやかく言うのは傲慢に捉えられかねませんので口をつぐむことにします。いずれにせよYahoo! Japan 地図によると東村山(24分)、久米川(26分)、新秋津(26分)と表示されるのでいずこへ向かおうと変わらぬのであれば当然に目的の秋津駅に向かい歩くことにするのでした。 前回は豪雨であったように記憶するからそれに比すれば足元も確かで案外あっけなく到着しました。目指したのは「大衆割烹 ひじかた」です。こちらも酒場放浪記で紹介されていますね。全く同じルートを辿って、前回は両方お休みでしたが今回はいずれも営業していました。同行しているA氏の強運が恨めしくなります。まあ、こういうことってままあるものですけど、ぼくの場合、こういうパターンが少なくない気がします。それはきっと被害妄想に過ぎぬのでしょうし、大体においてお盆とか正月とかの誰もかれもがお休みのような日に自分も休みなのであって、そういう日に出向いている以上は仕方のないことかもしれません。ともかくやってて良かったよかった。大衆割烹が想像させるイメージ通りの内観であります。それ以上でも以下でもなくいのであります。2人なので、カウンター席かなと思っていたら小上りに案内されました。その後、ポツリポツリとお客さんが訪れますが、なるほど皆さん独り客ばかりでカウンター席は彼らのために確保しておきたいという訳ですか。お値段はまあ普通というかぼくにはちょっとお高めなので注文はほどほどに。酒もほどほどに抑えておくことにします。まあこうした上品なお店で馬鹿呑みするのも嗜みがないというか端的にカッコ悪いことなのであります。料理は品良く素材を大事にしているという意味のない感想に留めておくことにします。さて、目的も達したし、次の一軒でお開きにしておこうかな。 という訳で、「まつり」という立呑み風の簡素な店舗構えのお店にお邪魔することにしました。くねくねとうねったカウンター席だけのお店です。もともと窮屈なお店に席をたくさん確保しようと無理矢理詰め込んだような造りであるため、奥の客が通るたびに席を引かねばならぬのがやや面倒ではあるけれど、これが情緒であるとも言えなくはないのであります。ご主人はどうやら岩手県ご出身らしく、岩手の特産物がちょろちょろと品書きに並んでいますが、それが何であったかはすっかり失念しました。そうそうそんな壁の隙間に7月29日に閉店する旨の掲示があります。この夫婦連れからサラリーマンのグループ、関係不明の呑み仲間などさまざまなお客に愛されたこのお店も最初で最後となってしまいました。秋津も古い酒場がじわりじわりと減っているような気がしますが、また一軒の酒場の灯が消え去ったのでありました。
2018/08/21
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JR青梅線はあまり馴染みのない路線であります。そりゃまあ何度かは乗車しているけれど、下車したことのある駅などたかがしれたもの。そんな駅の一つが中神駅であります。東中神駅では一度だけ喫茶店巡りの流れの中で下車したことはあったけれど、駅前には団地が立ち並んでいて少しばかり歩いてみたけれどあまり楽しかったという印象はありません。中神駅も似たようなものなのだろうか。なんてことを思いながら駅に降り立つと、少しばかり様子が違っていて駅前には商店街が連なっていたのでした。とはいえそれ程見るべきものがあるわけじゃなく、ほどなくして目当ての酒場に到着しました。タイトルにあるので、今さらではありますが酒場放浪記に登場したお店に向かったのであります。実際の放映は思い付いた時にまとめて片付けるなり、放置しっぱなしになったりとかなり出鱈目な鑑賞方法で、本当なら行く前に見て番組との違いを吟味してみたり、実際にその店にお邪魔した後に帰宅後振り返りで眺める、なんてのが好ましい鑑賞法といえるのでしょうけど、なかなかそうもいかぬのであります。しかし、今回は珍しくも前者の、つまりは中神に来る前にちょうど番組を見ていたのであります。その放映で映し出された当の酒場は、まず第一に非常に好みの店であるということでありました。店名すら定かならざる素っ気ない構えに加え、店内の様子もセピア調に薄暗くて情感に溢れていました。こういうのって危険極まりないのだよなあ。テレビの無機質な画面というのは何物をもキレイに映し出してしまうという瑕疵を否応なく伴ってしまうもののようであります。 外観は悪くないというか見たまんまでありますが、番組で見るほどのインパクトに欠けているように感じられました。なのでここで気持ちを切り替える必要があります。大事なのは単純だけれど期待し過ぎないことです。なので外観が思ったほどでなかったのは、大いに歓迎すべきことなのです。これによって必要以上の期待はどこかに引っ込んでしまったようです。なので「とり中」の店内に足を踏み入れた際には、番組で見たのとそうは変わらぬけれど、番組が取りこぼしてしまったような細部がいちいち感動的なのであります。ご夫婦連れと酒場マニアらしき青年がいるばかりの年明け早々の店内は静謐さに包まれていてそれがなんとも心地よいのであります。特にすばらしいのが土間から上がった店の奥にある便所までに至る廊下からの眺めでありまして、四畳半程度の客間風の座敷がありますが、ここの暗さはもう長いこと経験をしたことがない位の真の暗さであったのでした。真っ暗闇が本当の暗さであると感じるのは誤りなのであります。さて、そんな具合で内観の素晴らしさに目が眩んでしまい―何も眩(まばゆ)いばかりが視界を眩ませるわけではないのであります―、焼鳥や酒にはほとんど記憶はないのでありますが、その点はご勘弁いただきたいのであります。微かに覚えているのは、焼鳥の串の種類の豊富さであって、実に様々な串が供されるので、好き嫌いがないのであれば、お任せで頼んだ方がついつい頼みがちな定番に偏らず、思いがけぬ味覚との遭遇が待ち受けているかもしれません。次回伺う機会があったらそんな風にじっくりと腰を据えて楽しみたいものであります。
2018/02/14
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発展目覚ましいと噂には聞く立川ではありますが、ぼくにはあまり馴染みもないし、それでもまあたまには訪れる事もあるのだけれど、その度にどうも相性がよろしくないなという気持ちは高まるばかりなのであります。立川の町のどこがどういう風に好きになれぬかのか、事細かに語ってみたところで―そんな能力はないということはこの際知らぬふりをするのであります―、詮無きことと誤魔化してしまうのです。しかし一言も語らぬとなると地元の方は不愉快であろうから、一言述べておくと立川の町にはここぞ立川であるぞという際立った個性が少しもないのが気に入らないのであります。それは立川を知らぬからであろうという指摘は聞かぬのであります。なぜというに初めて訪れた町だって、すぐに好きになることが往々にしてあるからなのだ。立川は何度か訪れているにも関わらず、気に入るということがついぞないのであります。これが照明と言えるか甚だ心もとないけれど、これで証明終了。とはいえ、未だに酒場放浪記の追っかけを続けていて、立川の酒場が紹介されていたとなると無視することができぬのだから近頃マンネリの度合いを高める番組の有り様にしばしばケチを付けるのはやめた方が良いのだろうなあ。そんな憎まれ口ばかり叩いているとモーレツな反撃を喰らいそうであります。 立川と酒場放浪記の双方に対して反旗を翻しておきながら、少なくとも立川に対しては早々と己の不徳の致すところに反省の弁を述べさせていただきたいのであります。ぼくの知るのは駅の北側だけで南側のことはほとんど知らなかったのであります。そんな町の片面しか知らぬ程度の知識で好きとか嫌いとかを語るのはあからさまに傲慢で慢心に充ち満ちているのであると深く後悔するのでした。北側こそやたら近代的なばかりで退屈に思えますが、南側はぐっと渋い町並みになってもう一度ちゃんと歩いてみたいと思わず感じてしまう程度には遊べそうです。さて、目指すは「大衆酒蔵 ふじ」です。町並みに促されるがままに歩みを進めるとやがて落ち着いた雰囲気のお店が見えてきます。といっても特段変わったところのないごくありふれたお店なのです。店内もまたオーソドックスな造りで、この点では語るべきことは何もありません。だけれど、経年によってもたらされた落ち着きが気持ちをもリラックスさせる効果を及ぼしてくれるようです。そして何よりの魅力が肴の豊富さと手頃さであります。その品々はいずれも御馳走なんて呼べるようなものではなく、むしろ家庭で作っていそうなごく当たり前のものばかりなのですが、それが第二の我が家とでも呼べそうな安堵感を与えてくれるのかもしれません。家庭の味といっても料理上手なお母さんの味ですけど。それを生み出すのは若いご主人で、もしかするとその奥さんなのだろうか、こちらが大変素敵な美人さんなのであり、独り客のほとんどが彼女目当てなのではなかろうかと下衆の勘繰りをしてしまうのです。こんなにいい店があるならやはりぼくも通っているかもしれないなあ。
2018/02/06
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それにしても近頃よく八王子に来ているなあ。初めて八王子に来たのがいつだったかなんて事はすっかり記憶の彼方に追いやられてしまったけれど、それは幼少の頃であったという気がするのであります。実際、八王子にはすっかり疎遠となってしまった親類が住んでいて、そのお宅にご厄介になったという記憶がボンヤリ残っているのであります。その次の記憶はグッと時を進めて十年位前になると思うのだけれど、その当時ちょっと好みだった女のコが八王子の近くに住んでいて、首尾よく誘い出して呑みに行った事を覚えています。そんな個人的な事はともかくとして、言いたい事は八王子という町の印象がほとんど変わらぬという事なのです。それはすごい事ではなかろうか。まああくまで個人的な実感にのみ基づいての凄いなとという感想にどれ程の重みがあるのかは置いておくとして、とにかく八王子はさほど大きな変貌に晒されてはおらぬように思われるのです。そこにもしかすると人は惹きつけられるのだろうか。近頃は立川辺りのほうが発展を遂げているように感じられるのですが、どうも人々は八王子に集っているように思われるのです。そう、もしかすると立川には家族連れやカップルが集まりかなりの賑わいを見せているけれど、昔馴染みや同窓会なんてのを催すとしたら八王子が良さそうです。仲間同士で群れ合う町に感じられるのです。だからぼくは八王子ではいつも決まって疎外感のような孤独を身に沁みて感じるのだろう。 そんなぬるま湯に使ったような緩い印象のある八王子の町外れに「居酒や 榛名」はありました。繁華街からもこぼれ落ちたような疎外感が孤独を噛みしめるぼくの気持ちを和ませてくれます。なんて気取ってみせているけれど、実はA氏が一緒なのでありました。見掛けは少しばかり古ぼけたまあライトボロ系の賑々しい外観のお店なのでした。この既視感、どこかでこゆ酒場に入ったなあという回顧的な気持ちを惹起させるのがやはり八王子風なのかもしれません。常連さんがお一人で呑まれていましたが、少しも寂しい感じはしません。なんてったって明るい店主がみっちりと話し相手になってくれますからね。お二人は麻雀仲間でもあるらしく、もうとんでもない回数の手合わせをなさっているそうな。お客さんたちは麻雀やるのと話しかけていただきましたが残念ながら中高生の頃にいたずらで牌を並べてみただけで、本格的に雀荘に入り浸ったりした経験はついぞないのでした。麻雀面白いよお、うちのはお金掛けない式だから長続きするんだよねえ、なんてホントかなあ。どうやら店主は競馬もお好きらしく、何事にもそれなりに深入りする傾向のあるA氏はこの話題には食らいついていました。酒もお手頃で肴もヴァラエティーに富んでいて楽しいし、こんな家族的な酒場が近くにあったら、ぼくも入り浸ってしまいそうで、そういう意味ではたまにしか訪れることのできない八王子という場所にあってくれて少しばかりホッとするのでした。
2018/01/13
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西武線が1日乗り降り自由という西武線スタンプラリー1日フリーきっぷが今年も発売されました。前年は萌えキャラたちが主役のアニメーションがテーマであったため、スタンプを集めるラリーシートなどを手渡され気まずい思いをさせられましたが、今年のテーマは「スナックワールド2017夏休み」というタイトルで、「スナックワールド」というNINTENDO 3DS向けのゲームでオタク色が軽度でしかもラリーシート等も引換券をきっぷとともに手わされたので気が楽でした。高田馬場駅にて発売開始時間の9時ちょうどに購入、うまい具合に9時ちょうどの西武新宿線の急行に乗車することができました。 最初に向かったのが、鷺ノ宮です。これはあくまで時間調整で立ち寄ったというと失礼に当たるかもしれませんが、「珈琲亭 郷」には以前訪れていますから、初めての興奮と緊張が去来せずとも仕方ないこととご了解ください。そういう意味では喫茶店との出会いというのは一度限りの博打のような不安定な要因が根本にあるようです。その一度限りのチャンスに恵まれない、一目惚れが叶わなかったら、ハイそれまでよという危険な賭けなのではなかろうか。それはもう至極当然なのであって、好きになれなかった店に再訪するのはよほどの変人かそこしか店の選択肢がないかというようなよほどの事情がないと考えにくいのです。実際には朝訪れた時には店内に注ぎ込む日差しに目が眩んで過大な価値を見出してその後、初訪時の感動を台無しにしたりといった経験もなくはないのであるけれど、喫茶店は何と言っても初物に限るのです。とか何とか店に来てみれば開店時間が変更になったのか、まだやっていません。早起きが無駄になりましたが、鷺ノ宮、改めて歩くとなかなか良いので、今度また夜にでも来てみることにしよう。一気に本川越に向かいます。目当ては5度目だかのトライになる「セブン」でした。またも拒絶されてしまいました。まだ現役らしいからどうにも巡り合わせが良くないらしい。もうここのために川越に来ることもないだろうなあ。 新宿線で所沢駅に引き返し、続いては池袋線に乗り換え、初めての元加治駅にて席を立ちます。実はこの日はかなり酷い天候で歩くには相当具合が悪いのだけれど、決めた事は好きな事であれば余程のことがない限りは愚直にこなそうとする気質なのです。むしろ少しの苦労もないような旅―ささやかな都内近郊の日帰りであるがぼくにとっては大事な旅なのです―には、達成感などとは無縁の感動など得られないだろうと思うのです。タクシーを使わぬのは何も金銭的な問題ばかりが理由ではないのです。道行く自動車の飛沫を不快に感じながらも歩くこと十数分、何とか「トラヤ」に辿り着けました。駅からはかなり距離があるけれど、多くのお客さんは店先の駐車場を利用しているので、徒歩で来る人など滅多にないのかもしれません。外観は味があるけれど、そこに数多の虎のキャラクターが描かれていてキュートな表情もまとわせていて、これは後付で比較的最近追記されたのだと思いますが、リニューアルの手段として良いアイデアだなあと思います。店内はカジュアルな雰囲気ですが、かなりの年季を見て取れます。お客さんの多くはカレーライスを召し上がっており、鼻腔をくすぐりますがこの先、二軒ばかり喫茶店を巡った後には呑みの予定となるので、余り胃に負担を掛けたくない。しかし、今となってはやはり食べておくべきだったなあと、コーヒーだけ虚しく飲むのでした。その間もひっきりなしにお客さんの出入りがありました。 またも豪雨の中に足を踏み出すのは憂鬱ですが、歩く他ありません。東飯能駅も初めての駅ですが歩いて向かうことになります。思ったよりは呆気なく駅前通りを通過、少し進むと「カフェ アリス(caffe ALICE)」がありました。凡その見立てはしていましたが、店名に偽りのないちょっと洒落たお店で、いわゆる純喫茶ではないけれど、思ったよりも居心地が良いのが、可愛くなりすぎずシックな風合いに留めているからなのだと思います。ここはスパゲッティ、いやパスタのランチが人気のようで、他の方は召し上がっているけれどやはり頂かぬのです。パスタはさほど未練はないかな、よほどの出来栄えでなければ自宅で作った方が美味しくなるという自負は過信が過ぎるかな。 閑散たる東飯能駅からは、秩父線、池袋線、新宿線、拝島線を乗り継いで、玉川上水駅に移動します。都心での乗り換えは気が重いばかりですが、同じ面倒でも足取りは軽やかになるのを感じます。歩き詰めだったのでしばらく雨に振られるのも気持ちを軽くしてくれます。しかしここからまた歩きが待っています。普通だったら多摩モノレールに乗り換える距離なんでしょうが、初めて歩く町だし、運賃がもったいないからやはり歩く事にしたのです。向かうは砂川七番駅です。玉川上水駅からはかなりの距離がありそうです。靴擦れなどものともせす到着、この頃には雨脚は幾分弱まりました。何だか外観を見る限りは気乗りせぬ民家のようなありふれて面白みのない建物の2階に「軽食&喫茶 ウェスティ」はありました。これが店内は思ったよりずっと雰囲気が良かったのですね。この日は無彩色の風景に慣らされていたので、生花の多い飾り付けが鮮烈な印象となって知覚されたのもあります。普通だけど清冽な心地よいお店でした。
2017/11/26
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酒場放浪記で紹介された一軒の酒場が無性に気になる。ぼくは以前も書いていますがこの番組の好ましい視聴者では必ずしもないのです。近頃、やけに見知った酒場が登場しているのも気になるところですが、それより何より番組のコンセプトに相応しからぬと言わざるを得ない酒場が頻出しているのが気掛かりです。だけどそれ以上に致命的だと断言できるのは、放映する曜日と時間帯であります。月曜日というのは、酒場の主たるユーザであるサラリーマン諸君、特に口喧しい女房や生意気な癖にどっか連れて行けと親をアッシー及び金蔓程度にしか思っていないキカンガキを抱えるパパさんにとっては、家庭から開放されて羽根を伸ばせる待ち遠しくて仕方ない瞬間のようなのです。何だか分かる気がするなあ。つまり夜の多くの正しい呑兵衛はこの時間には、自宅でのんべんだらりんとテレビなど眺めてはいられぬのであります。翻って思い出してみると、この放映のを録画したものは日曜の夜に見ることになったと思われ、当然早送りなどして見られることになるのです。 唐突に本題に突入しますが、そこは西武新宿線の東村山駅が最寄りのようです。いや、実際には最寄り駅などなくて東村山が辛うじて近いかどうかという、地元以外の酔客にとっては口が避けても便の良いと言えぬ場所にありました。たまたまその夜は、普通の距離でも歩くのにゾッとするような天候でした。第一、東村山の町は田舎臭い地名に反して少しも田舎臭くなく単調な住宅街でしかありません。夜道を濡れネズミになりひたすらに歩いたら案外呆気なく目的地に到達してしまうのでありますが、「大ちゃん」は何たることか閉まっていました。こういう時はいつも事前に電話で確認しておくべきであったと虚しくなるのです。商店街をなす周辺のお店もことごとくが閉まっているのであれは、長居は無用であります。楽しみにしていた町並みもこうしてひと巡りしたしまったので、次回のモチベーションを上げるのが困難です。 さて、これからどうしたものか。商店街のアーチをくぐる辺りまで来てしまえば、どうやら路線が変わってJRの武蔵野線の新秋津駅や西武池袋線の秋津駅まで行ってもそう距離は変わりません。同じ道を歩くくらいなら、当然、未知の道を歩くでしょう。さらに雨を浴びながら、これまた思ったよりすんなりと新秋津駅に到着です。新秋津にもまだ訪れていない酒場放浪記に出ているお店があるのでした。秋津駅に繋がる商店街とは逆側にあるのですが、こちら側にも案外酒場があったのだなあ、歩いていないはずはないけれど秋津らしい混沌とした印象な希薄な整然と軒を連ねるそんな呑み屋街に「ひじかた」はありました。あるにはあるのだけれど、やっていないんじゃ仕方ない。 すぐそばの「大衆割烹 魚船」にお邪魔してみることにしました。いかにも古くからやっている魚介料理を中心に据えた居酒屋さんらしい。店内も奥が小上がりになっていて、カウンター部分では掘り炬燵式に足を伸ばせるようになっています。そこがこの店のベストポジションに思われますが、すでに男性二人が呑まれています。なので、手前のカウンター席にお邪魔します。小学生の娘とそのお母さんが寛いでいます。居酒屋らしからぬ光景ですが微笑ましく思います。眉をひそめる方も多いとも思いますが、このお店にはそれを許容するゆったりとした時間が流れているようです。ホワイトボードには、やはり魚介類が多く、タコ刺しを注文します。わーっ、すごい量です。これじゃ、酒が進んで仕方ないなあ。ご主人は耳が不自由らしく、奥さんとは活発にコミュニケーションを取られていますが、一見では声を掛けるのを遠慮してしまいます。その代わりを奥さんが努めています。客の相手を上品に受け止めておられ、気持ちが和むのです。これじゃご主人の方が奥さんのようです。しばらくすると80歳をゆうに越えたらしきバアさんがやって来ました。母娘とぼくの間の席に腰を下ろすので常連かと思いきや初めてのようです。なかなか大胆なバアさんであります。コークハイで刺身を食べるというなかなか個性的な味覚の持ち主でもありました。眺めていて愉快なのですが、余りにもお喋りが凄いので、さすがに辟易してお暇することにします。 やはり、この辺は面白い店があるなあ。東村山と新秋津の二軒も十分にハシゴできる事が分かったので改めて訪れたいと思います。
2017/09/26
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小平駅は、西武新宿線のもう少しで所沢駅という東京の端っこの駅の一つです。こう書くと憤慨される方も少なくないだろうか。この先にはまだ久米川駅と東村山駅を挟むのだから確かに叱られれば黙って頭を下げるしかないかも。じゃあ、小平駅から所沢駅まで歩いてみろと言われれば、ぼくはきっと喜んで歩くに違いありません。まあ、そういう場所にありますが実のところ小平駅前を歩いたという記憶がありません。駅前の意外と開けているけれど窮屈なロータリーがありますが、視線はすぐさまに左手の古い雑居ビルに釘付けとなります。2階には喫茶ファンにはお馴染みの「ポエム」があり、ここは当たり外れがありますが、こちらは当たりでした。ただ土曜の夜だというのに周辺は人通りも疎らで、やってる店も少ないのです。こんな状況で目指す酒場がやっているのか少々不安ではありますが、その場に行く前にウジウジと悩んでいても仕方ありません。 目指すお店は、「だいます」です。雑居ビルを通り抜けて線路沿位いに進むとやがて看板を灯して営業しているのが見えてきます。遠目にやってるかやってないか分かるのは嬉しいものです。暗くても未練たらしく店の前まで行くに決まっていますが、遠目に確認できると接近しながらも呑みの心構えが違うというものです。まあ遠目にも分かるだけあり、他には酒場もほとんどない正直寂しい町並みです。それが古くて小ぢんまりとしたこの酒場を引き立てるためのセットのようです。なにはともあれ戸を開けて店に行ってみるとどこがで見た覚えのあるようなカウンター席が10席に満たぬほど並んでいて奥には1卓のみの狭い小上がりがありました。それも味わいのある眺めですが、それ以上にズラリと貼り巡らされた品書の数に圧倒されます。肴の豊富さばかりでなく、銘酒の品揃えは驚くばかりです。しかしながら、ぼくはというと貧乏人の味方、ホッピーをお願いするのであります。それからしばし品書に真剣勝負を挑みます。するとまあ立派な三点盛りのお通しが出されます。これがあるならもうそうたくさんの肴は不要です。好物の焼きなすがあるなら、存分に酒が進むというものです。お隣の初老の常連さんは結構なペースで呑み進めておられます。その常連さんももっぱら呑みが中心らしく、奥の厨房のオヤジさんが手持ち無沙汰で表に出てきてしまいました。店内はテレビの控えめな音と店のご夫婦と常連の日本酒談義を交わし、ぼくはそんなやり取りをボンヤリと聞くともなしに聞きつつ、実にゆったりとした気分で呑むのでした。これだけゆったりとした気分に浸れたのは久し振りです。土曜なのに日曜の夜のような感じです。ここは正しく地元の常連さんのためのお店に違いなく、よそ者のぼくは静かにでもあまり長居せぬよう身を引き剥がすようにして駅を立たねばならぬのでした。
2017/09/16
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こちらのブログは、主に酒場巡りの記録、日曜日には喫茶巡り―正確には明らかに喫茶店ではない飲食店で酒を提供していない店も含みます―の記録を主たる対象としています―近頃は、それも少しばかり怪しくなって日曜、月曜と旅の記録の場と化していますけど―。色々と例外はありますが、基本的にやがては失われることが決している酒場と喫茶の愉しさを記録に留めておこうという細やかな目論見を持って綴られるもなであります。さて、こんなどうでもいい事を書いたのは今更の所信表明などでは少しもなくて、便宜上、上記のような方針で書き分けているので喫茶店と酒場の境界線上にある店の取扱に迷う事があるのです。その店で酒を呑んだかコーヒーにしたかで峻別出来るほどには事は単純ではないのであります。いやまあ、そんな事に迷ってみても読まれる方にはさしたる支障はないのじゃないか。いやでも喫茶店などには露ほども興味がない方だっておられるだろうし、逆に日曜の喫茶巡りを応援してくれる方も僅かながらおられるのであります。それは無論ありがたい事でありまして、大いに励みになるのですが、さて、そう考えると迂闊に扱う訳にはいかなくなるのです。いっその事、酒場報告と喫茶報告の両方をそれぞれの視点で書き分けようかとも思うのですが、非才なるぼくにはちょっとばかり荷が重い。と書き始めてキッチリ1分ほど迷った挙句にやはり酒を呑んだのだから酒場報告として取り扱う事にしたのでした。そういえばぼくは案外律儀な一面があって、昔はともかくとして喫茶巡りを始めてからは、喫茶店でアルコールは頼んだ事はないのです、恐らく、多分。一応告白しておくとノンアルコールビールは頼んだことがあります。それも何度か。その理由は、そこで一番安い商品がそれだったからであり、けしてアルコールの代用ではないのであります。念のため自分の名誉のために言っておくと、喫茶店以外ではこれは飲んでいない事を申し添えておきます。 さて、酒を呑んだを理由にしたけれど、有名な「ほんやら洞」にお邪魔したのは、日中のことでありました。蔦の絡んだ外観は好みだけれど、草木に覆われた店舗というのは喫茶店にもたまにあるけれど、どちらかと言えば夜のイメージです。店内も雰囲気も国分寺らしい(ヒッピー文化華やか―ヒッピー文化に華やかという表現はそぐわぬなあ―なりし頃の面影を今に引きずるといった程度の意味)70年代風のコテージ風です。これはこれで悪くないけれど、喫茶店として利用するにはちょっとばかり肩が凝りそうなムード、やはりこのムードは洋酒中心の酒場風だと思うのです。戸を開けてすぐのカウンター席では、通い詰めてる風な老人がビールを傾けてて、それはこれから同じくビールを呑もうとするぼくには心強いのです。テーブル席の隅に腰を下ろすと、お隣の若者グループがこぞってカレーライスを食べています。3時までの提供となるらしいのですが、ちょうど腹も減っていたこともありましたので、ぼくもカレーをもらうことにしました。追加料金を払えば生ビールをセットにできるということなので、注文します。思ったよりもサイズが小さかったけれど、だったら300円だか400円だかを追加するよりは、瓶ビールを頼んだ方がよかったなあ。値段もそんなに変わらないし。後の祭りなのに愚図る辺りがみみっちい。隣の若者たちがカレーを食い終わり、大汗をかいています。かくというより流すという位の大粒の汗が顔面を覆っていて、悪い予感が脳裏を過ります。ぼくもまた顔汗のひどい体質なのであります。ところが届いたカレーはさほど辛くなくて、上品だけれどスパイシーでなかなか奥深い味わいであります。と思っていたのは半分位食い進むまででした。突如汗が大量に吹き出すのは、いかなるスパイスの効果だったのか。カイエンペッパーだとここまで発汗せぬだろうしなあ。つい先日、アド街でこのお店が登場したのを見ていて、ママさんと呼んでいいのか、気恥ずかしいがマダムなんて呼んだ方が良いのか、ともかくちょっと勝気なムードだったのですが、本来の彼女は非常に上品で素敵な方でありました。やはりここには夜に訪れるのが適当なようにぼくには思われますが、おいしいカレーが食べられたのは収穫でした。
2017/09/14
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こかられ向かうのは京王高尾線の山田駅です。わざわざこんな聞いたこともないように駅を目指すのは、つい先だっての酒場放浪記でこの駅からそう遠くないところにある居酒屋を紹介していたからです。しかしそれにしてもこんな都心から遠い酒場を紹介するならもう少し前にしてくれればいいのに。放映される少し前に京王線の喫茶店や酒場を巡ったばかりだったのです。それはすでに報告を終えているので、興味がおありの方はご一読頂ければ。ともかくその時には、八王子駅行きと分岐する北野駅にて列車を乗り換えると、京王片倉駅、一つ飛ばしてめじろ台駅、狭間駅、高尾駅、高尾山口駅と停車するのですが、その一つ飛ばした駅が山田駅です。前回訪れたときは、その5駅で下車しているのに、見事な位に山田駅は素通りしています。しかし、両隣の京王片倉駅とめじろ台駅を歩いた限りでは、酒場らしい酒場がないどころか商店すら疎らでした。山田駅周辺もきっと似たり寄ったりだろうと推測したくなるのは、致し方ないことであるはずで、果たしてそのような町にぼくのような偏屈な酒場好きの気に入るような酒場があるとはとても思えないでいたのです。 ところが、これが大間違いだったのです。駅前は京王片倉駅ほどにはローカル色を前面にしていなかったけれど、新京成電鉄とか武蔵野線の小さな駅の駅前のような侘しげな風景が待ち受けていました。駅前には自動車道路が走っているのも、なんだかゲンナリとさせられます。通りに沿ってちらほらと古びた居酒屋さんもあって、目指す「ろばた焼 いずみ」が開店しなかった時には、それらの店を訪ねてもやむなしと思える程度の風情はありました。開店の5時を過ぎた頃に店の前に戻ってくるとちょうど、店のオヤジさんが開店準備でホッピーの看板を設置しているところでした。いやはやホッとしました。ここまで運賃を払って訪れてやっていないなんてことになってしまっては、将来に遺恨を残しかねません。酒場放浪記って番組も罪作りなことをやっていて、これまで何度となく振り回されたものです。まあ好き勝手にやってるのだと言われればそれまでだけれど、全店制覇を目標に掲げる人たちが少なからずいるらしいことを考えると、あまり無茶な場所にある、しかも紹介するまでもないような酒場は取り上げずにいていただきたいものです。なんて愚痴はともかくとして、外観を見る限りはどうってことのなさそうなお店ですが、店内に入った途端にこの店の歴史がひしひしと感じられるのであります。夏の刺激の強すぎる日差しから一転しての薄暗い空間に眩暈するのもこうした酒場の常ではありますが、背中がゾクリとするような冷気に得も言われぬ快感が全身に染み渡るのは夏の酒場の醍醐味です。カウンター席と小上りといういたってオーソドックスな造りの酒場がカッコいいと思えるようになるまでには、相当な歳月を要するものです。さて、この後、所用があるので早めに注文しなくてはなりません。刺身三点盛り550円!とクジラベーコン450円!を注文、夏場はやはり瓶ビールの1杯が堪らなく旨いのです。お通しはマカロニなどのサラダ盛合せ、サラダ好きのぼくには非常にうれしい品です。刺身もベーコンもとてもいい。値段も考慮すると抜群の出来です。そうする間にも次から次へとお客さんがみえますが、けして混み合うという訳でもなく、小上りで独り寛いだりと適当なほっぽられ加減が具合いいのです。ぼくが近所に住んだなら間違いなく常連になりそうです。このようなローカルな土地にこれほどの酒場があるとは驚きです。久しぶりに酒場放浪記はよい酒場を紹介してくれました。
2017/08/22
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布田には、酒場放浪記で登場した酒場があって以前一度そこを目当に訪れています。まあこうして書いているから容易に察しの突く事ですが、その時はやっていませんでした。でもそのなんとも言えぬ風情は、ずっと脳裏から離れずに常にもやもやしていたのです。もやもやの在り処がハッキリしている以上は早々に解消すべきという事は、常々申していることなのですが、どうも京王線沿線に足を伸ばすのは気乗りしないのです。いや京王線沿線というのは語弊があります。この沿線にも愉快な町がいくつもあります、はっきり言うと調布という町が余り好きになれぬのが、布田すらも嫌いにしてしまうのかもしれません。実際、布田の駅前の殺伐とした無機質な雰囲気は思い浮かべるだけでも憂鬱になるのだから、そこに実際に行くのに躊躇うのも仕方ないのです。いつも酒場のことを書いているとそこまでの道程がなきもののように記されてしまいますが、神出鬼没とは程遠いぼくには電車の乗り継ぎは楽しくもなんともない。空いてる駅での乗換えはそう嫌いではないけれど、新宿駅はぼくにとって鬼門なのです。実際に行ってみればどってことはないけれど、行くまでは憂鬱で仕方がないのです。 それでもなんとかかんとかやって来た布田駅を下車すると、一目散に「焼鳥 寿起」を目指します。一目散と気合を入れるまでもなく脇目を触れるような何かがあるわけではないのでした。今度はやってました。店の佇まいはいつ店仕舞いしてしまってもおかしくはないように思われたので、とりあえずは胸を撫で下ろします。地方の小都市の駅裏の呑み屋街にありそうなうらびれた呑み屋長屋が一時ここが都内ということを忘れさせてくれ、旅情を醸すのは胸が躍ります。店内の雑然として古色蒼然たる様もなかなかのものです。残念なのがカウンター席の椅子がどこかのスナックのお下がりのような味気ないスツールであったこと、これひとつで店の雰囲気がぶち壊しになりかねないのでちょっともったいない。この夜は食欲からは完全に見放されていたので、それでも何かしら摘まんでおかねば申し訳ないと、トマトなんていう面白味の欠片もない注文をしてしまうのが、ぼくの保守的なところ。ブログという媒体に対して少しの配慮もないのであります。馬鹿でかい声で放言しまくりの地元の鼻つまみ者4人衆(想像に過ぎない)のくだらぬ話もこういう酒場では、不思議と愉快なBGMとして響いてきます。それにしても団塊の世代のオヤジたちというのは、どうしてこの齢になってまでもガキ大将とその手下みたいな関係を維持し続けるのだろうか、ぼくには気がしれません。ともあれしばらくして、近くのスナックに流れていき、すっかり静まり返ってしまったので、これで潮時と店を後にしたのでした。 先述したとおり、店の感じは悪くないにもかかわらず、どうにも今ひとつ気勢が上がらぬので、調布駅から大人しく帰途に着こうと思案しつつ歩いていくとなんとなんと先の店に劣らずかっちょ良い「おたい」というお店とばったり遭遇してしまうのでした。大体そんなもんなんだよなあ。とても固形物は喉を通りそうにないけれど、構わず入ってしまうなんてぼくも随分図々しい呑兵衛に成長したものです。店内もいい、先の店に劣らずどころかむしろ上回る位に味があります。スツールも昔から使っているものに違いなく、これもまた私的な評価を高めています。清酒を軽く燗してもらい、ゆるりゆるりと盃を口に運びます。他にも3名ほどのお客さんがいて、店主の婚活応援話で盛り上がっています。知らぬ間にぼくもその一員として愉快なお仲間に加えていただいていました。こういう一見客をすんなり受け入れてくれるなんて、これまで調布を嫌っていて誠にすまぬと胸の内で詫びるしかなかったのでした。そして一品の肴も頼まず勘定を済ますけれど、みなさんそんな客なのに気にする風もなく暖かく見送ってくれたのは、懐の深い酒場だなあと感動したのでした。
2017/03/28
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ぼちぼち夜も更けてきたたので自宅に近い野方から所沢方面に遠ざかるのは気乗りしませんが、自宅には西武新宿線より西武池袋線が便利なのです。少しでも節約しないと今回のアニメ協賛切符を利用するメリットをみすみす放棄するようなものと再び西武新宿線で所沢方面に向かいます。でもまだ終電まではたっぷりと時間があります。というわけで田無駅で下車。駅前通りではなく駅裏に当たる南口に酒場放浪記の登場店があるので、ちょっと立ち寄ってみることにします。 ところが猫の額のような狭小な駅前に立ち呑み店を目撃してしまっては、立ち寄らざるを得ません。「田無横町酒場 立ち呑み処 俺んちの屋台」という長ったらしい名のお店です。まずこの店名のことごとくが腑に落ちぬのです。横丁とありますが、駅前の細い通り沿いに面しているので、それを横丁と呼ぶのは不自然な気がします。また、よくある事ですが、椅子があるのだから少なくとも立ち呑みではなかろう。さらには屋台というのは、どこをどう取ってみても縁遠いように思われます。まあ、店名なんて実体を伴っていなくてもいけないなんていう法はないはずですし、事実世の中にはむさ苦しい爺さんしかおらぬ「おかあさん」だったり、焼鳥を出さぬ「鳥福」なんてのが溢れかえっているのだから、ここで目くじらを立てるのは大人げないというもの。さして広くはないけれど店内が結構賑わっているので人気のある事は見て取れます。そしていきなり結論めいたものを語るのは、気が引けるのですがぼくにはこのお店のどういうところが支持されているのかどうにも掴めぬのでした。もしかすると田無に限らず高架化されていない駅のこちら側と向こう側とは、厳格に縄張りがあって、その結界を越えるとたちまちの内に店々に知れ渡り出入り禁止になるなんてことがあったりするんじゃないのか。南側にはもとより酒場が少ないから、そこでも小規模な闘争が繰り広げられているのか。まあ、それはともかくとして余所者のぼくはどうも収まりが悪い。値段も立ち呑みを標榜するにしては安くないような気がしました。座り呑みだからと言われたらそれまでの事ですけど。 これまた駅の階段出るとすぐのこぢんまりとした建物の二階に「だるまさん」はありました。実はテレビに出る以前からここの存在は知っていたのですが、正直それほど惹かれなかったのです。駅前の雑居ビルの二階にある居酒屋が良かった試しはほとんど経験がなかったからです。立地から考えてもこうした駅近の店は利便性を最優先にして、それ以外のサービスはお座なりとなり事が多いようです。先の立ち呑み屋もそうした意図から立ち呑みとしたのではないでしょうか。手身近に呑んでさっさと勘定を済まし家路を急ぐ、それが駅前酒場の宿命だし、役割でもあるはずですが、どうもここ田無の酔客はそんな店側の思惑には、素直に乗っかってはくれないみたいです。立ち呑みで長っ尻するくらいだから、こういう椅子のある席だと粘り腰はもっと端的なものとなるはずです。階段を登ってすぐに扉があります。更に奥に別な店舗が潜んでいたりとかいう遊びはないようです。店に入ると案の定、大変な繁盛ぶりです。意外にもカウンター席がわずかですが、辛うじて空きがあります。後の席は長テーブルがメインで客同士が詰め合って相席する流儀なのは駅前酒場らしい工夫に思えますが、実際にはどうだったのか分かりませんが、長テーブルごとにグループに分かれているようで、皆が皆顔見知りのような親密さです。ここに来れば必ず見知った顔がいる、そういうのこれからの超高齢社会での孤独死防止にとっても有効ではないかと社会派呑兵衛っぽく振る舞ってみせたりする。でも酒呑みってのは案外己の正体をぼやかして語って見せることが多いから、アテにはならないのだろうなあ。さて、こちらのご主人、ぼくが一人でキョロキョロ落ち着きないものだから色々気遣ってくれるのは親切で有り難いような、ちょっと面倒なような。単に店の様子を肴にしてるだけなんですけどね。主人だけでなく総じて店の人が親切、フロアー係の女のコたちも明るくていい。酒も肴も普通で気分のいい店でした。なるほど、近所なら通っちゃうかも。
2017/02/20
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さて、今回の日帰りの小さな旅は、何度か肩透かしも食らってしまいましたが、それでも随分と密度の濃い、充実したものとなりました。総括するにはまだ旅はその途上にあるわけですが、東村山の一軒の食堂で最高潮に達したと思っています。嫌いな人にはとても足を踏み入れぬような外観のお店でありますが、ぼくにとっては大好物のまさしく期待通りのお店でした。以前、すっかり夜の帳が下りた頃に見掛けた時には、無礼ながらも廃墟に違いないと思ったのですが、万が一を期待し、写真に収めるとともに店名を記録に留めておきました。帰宅後にあまりにも呆気なく検索に引っ掛かり、世の中にはやはり多くの同好の士がいるものだなあとうれしくなったことを覚えています。 さて、向かったのは「ひの食堂」です。東村山駅の駅前を斜めに突っ切るように歩きます。前回暗い中で歩いた時は、西武線の八坂駅から久米川駅を経由したと思うのですが、どこをどう歩いているのだかさっぱり見当もつかぬままに、方向感覚も麻痺してしまい不安いっぱいだったのですが、無意識に碁盤の目を想定して町を歩く未熟な散策者をあっさりと煙に巻くような町の造りとなっています,まあ迷子になるのは嫌いではありませんが、夜遅いとどうも焦ってしまう。さて、前回の困惑はどこへやら、道程を調べているので案外あっけなく到着しました。この店の佇まいのすごさはもう無駄な言葉を弄するよりも写真を見ていただく方がずっと手っ取り早い。こういう時には、写真のありがたさを痛感するなあ。どうですか、素晴らしいですねえ。昼飯時も過ぎていたこともあり、2人組のサラリーマン―ちゃんと背広の客も来るのです!―が帰ってしまうと、店内には店の夫婦とぼくだけになります。これはもう贅沢なものだなあ。カウンター席と小上りがありますが、ここが客であふれかえることはあるのだろうか。空調もなく扇風機が回っていたかどうかすら覚えがないのですが、不思議と不快感はあまり感じず、ビールの冷たさが身に沁みます。味覚が幼児期のまんまなのでカレーライスがあれば大満足。ご飯を少なめによそってもらいますが、その替わりなのか味噌汁をサービスしてくれます。ぼくは良くしたもので、炭水化物であろうが汁物であろうが、なんだって酒の肴にできるのです。もっと色々と書きたいのですが、どうも言葉が出てこない。うろ覚えですが、夜の営業は休んでいるそうですがぜひともここでじっくりと腰を据えて呑みたいと切に思いました。東村山では、前回もすばらしいバラック風の酒場に出逢いましたが、まだ他にもこのような極上物件が潜んでいると思われ、出掛けたいと思うのですが、ちょっとばかり東村山は遠すぎます。
2017/02/13
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さて、分倍河原で呑んですっかりご機嫌になったぼくですが、でもまだまだ呑めそうです。じゃあ以前お邪魔することが叶わなかった酒場放浪記の放映店に途中下車してみることにします。そう、日中にも立ち寄っている西調布駅なのですが、その際見あての店の戸が開放されているのを見ていたので恐らく夜は営業してくれるものと確信を強めました。そこに至るまでにもプレハブ作りのオープンな串揚げ店が昼間から営業をしており誘惑を振り切るのにそれなりの努力を強いられました。そしてその二軒より惹かれた酒場が前日報告した喫茶店のそばにあったのです。その喫茶店にはさほど感心しなかったのですが、それでもこの酒場と出会わせてくれたことだけでも立ち寄らせていただいた甲斐があったというものです。 ぼくは美味しいものは最後まで取っておくタイプです。初めに好きなものから責めるのもあまり品があるとは言えませんが、どちらかと言えばあとに取っておくほうが卑しくて貧乏臭い印象がありますが、幼少期からの性癖なのだから今になって変えるのも困難です。そんな訳で先に「居酒屋 金八」に寄っておくことにしました。昼間に戸が開け放たれていたので、その気があれば店内の様子を見ることもできましたが、後回しのぼくは当然そんなことはしません。想定通りに店の明かりを見て取るといそいそと店に入ります。カウンターとテーブルが結構たくさん置かれていますが、お客さんはカウンターにお一人だけ。あれあれどうしたんだろう、地元に人気店と思い込んでいたので予想外の閑散とした様に瞬時たじろぎます。もう何軒も呑んでいるので、さすがに肴は簡単なものでいいと控え目に注文したら、一緒にお新香を出してくれました。お腹はいっぱいだけどこうした心遣いは嬉しいものです。高齢の夫婦でやっていて、お客が少なかろうが気にする風もなく飄々としているのが心強い。ご主人はゴルフが大好きなようでーコンペを予告する模造紙に書きなぐられたポスターも貼り出されていたような気がしますー、テレビではマスターズだかなんだかの実況が流れ常連と時折感想を述べあっています。それ以外は至って静かな店内はこれこそが今のこの酒場そのものだと思うに至りしみじみとした気分になると同時にしんみりと滲みる寂しさを覚えるのです。やがてご夫婦が夕食に頼んだ出前のそばが届き、女将は卓席で食べ始めるものの、オヤジは厨房の片隅でゾゾゾとそばをすするのですが、陽気なテレビ中継のアナウンスの影ですすり泣いてるように聞こえるのです。 さて、昼間に立ち寄った喫茶店のそばにある店は「串あげ 一心」と言いました。昼間通りかかった際はかなりくたびれた酒場てあるなあと感心して眺めつつもきっと夜また訪れようと思った次第なのですが、何とか無事に辿り着くことができました。無論くたびれたとはぼくにとっては褒め言葉なのであって、こんなにーこのこんなにの言葉には何の意味もないのですがー長い歳月を生き延びてきた店主たちへの敬意と大事に店を手入れ続けた店への愛情への畏怖が込められているのです。ところが夜改めて来てみてさらにじっくり眺めてみると、枯れた中にも格調を忍ばせることが感じ取られます。こちらのお店、思った以上にちゃんとしているのではないかと瞬間財布を気にしてしまうのがみっともない。カウンターだけの店内は、毎日大量の油を扱う店なのに掃除が行き届き、清潔そのもの、まさに頭の下がる思いです。親子三人でいらしていた常連さんは、ぼくへの好奇心を隠そうともせず質問の応酬を掛けてきます。この辺の酒場事情もあけすけに語ってくれるのが楽しいけれど、やはり今いる酒場以外の話を店の方に聞こえるように語られるのは抵抗があったのですが、店主夫妻は至って気さくで、むしろその話題に加担するのです。という一見でも一切気兼ねせずに済む気持ちの良いお店です。一枚板の立派なカウンターは奥様のご自慢らしくあれこれと店の細部を説明してくれました。ここからもご夫妻の自負と愛情が迸っているようで微笑ましい。さて、瞬時高いかと思ったお勘定はちゃんと手頃だし、味もいい、しかも食べ切れず残してしまった南瓜の天ぷらはプラスチック容器に詰めて持たせてくれたのでした。この店、改めて好きだなあ。
2016/06/06
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さて、続いては西調布にやって来ました。しばらく後に西調布まで引き返すことになるのですが、それは酒場篇にて報告させていただきますのでここではあえて触れぬようにします。 西調布駅を出るとすぐに「陶しん房」というギャラリー系喫茶があって、ギャラリーを兼ねた喫茶は多くの場合、こざっぱりした正直退屈なタイプのお店が多く、絵画でも工芸品でもどちらでも構いはしないのですが、基本的に自己顕示欲の強いタイプなはずなのにそうした作品に込められているらしい美意識やら個性などというようなものが店作りに向かうことは極めて稀な事のようです。店そのものを作品と見做す視点が決定的に欠如しているのです。その点この喫茶はバランスが取れていたように記憶しますが今回は素通りします。引っ張るだけ引っ張って通過してしまうのでした。向かったのは「喫茶 楓」です。結論から申し上げると期待は見事にはぐらかされてしまいました。かつてはそれなりに雰囲気のあるお店だったのかもしれませんが今では綺麗に改装されてしまい、味も素っ気もないツルリとした手触りの垢抜けないカフェのようなお店となっています。こちらは食事が良さそうなので、やはりお客さんも遅いランチを楽しまれていました。 次は府中です。こちらには何度もトライしているのですが空振り続きで正直なところ縁がないものと割り切りかけていたのですが、この日最初の酒場が開店するまではまだひと時時間を潰す必要があるのでした。「珈琲館 シャガァル」は、その酒場と20m程の近距離にあるので、営業しているのを見て取ると迷うことなく店に続く階段を上がるのでした。そう言えば持ちビルでやっているはずなのに一階部分がどうなっていたのか一切の記憶が欠落しています。それは写真で確認することにして店内の様子は想定していたとおりのシックな正統派のそれでありました。全般に好きなタイプではあるのですが、内装や調度の見せ方がやや生硬な印象で、必要以上に照明に凝っていたり、インテリアの色使いがキッチュだったりとどこかが過剰であったり狂っているくらいの方が面白い。そこらのバーなんかよりも店内が暗いのが少しこだわりを感じるところですが、特筆すべき個性というほどでもありませんでした。 最後に知らなかった喫茶店のことを。分倍河原を歩いていたら「カトレア」という喫茶店を見かけました。こちらもビルの二階にあるお店で屋内にに路上看板がしまい込まれていましたが、二階からはぼんやりとランプの灯りが漏れ出ていて少し良さそうに思われました。次のお楽しみに取っておきます。
2016/06/05
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京王線とJRの南武線が交錯する分倍河原駅にやって来ました。分倍河原駅にはこれまでも来たことはありましたが、漫然と歩いたせいかこれほどに味わい深いとは思っていませんでした。そのユニークさは段崖という土地柄に負うもののようで、京王電鉄が管理するというこぢんまりとした共同駅舎だけでも少し酔いの混じった頭ではやけに複雑に感じられました。南口だったかロータリーのある方の町並みは再開発されたらしくすっかりすかした雰囲気でちっとも面白くないのですが、駅舎を越えた北口側は狭苦しい敷地をびっしりと商店が埋めていて、それも整然とは程遠い出鱈目さなのでなんとも愉快なのです。商店はブツリと途切れて後は住宅が並んでいます。商店の中には喫茶店もあって気を惹かれましたが残念ながらすでにキーコーヒーの看板は仕舞い込まれています。また来ることにすればいいです。 分倍河原駅の周囲をぐるりと一巡りしてみましたが目指す酒場は見逃してしまったなあ、どうしたものかと駅前に引き返してみます。もしやと思ってドンづまりと思っていた呑み屋の並ぶ路地の奥に進むとそこには闇市の名残かと思えるような裏路地がひっそりと控えていたのでした。その防空壕のような飲食街に「扇家」はありました。まずこの立地の素晴らしさだけですっかりこの店の虜になってしまいます。他店がこの風景に馴染みきれていないのに対して、このお店の外観は風景に負けず劣らずで戦後の当時からずっとそのままの姿を留めていたかのようです。さて、古いお店は案外造りは平凡なものというご多分に漏れずまあごく一般的な店の構えではあるのですが、それてもしっかり染み付いた歳月のもたらす色調にはそれらしくニスなんぞを塗りたくったところで出すことの叶わぬであろう老醜の美とでも言いたくなるような風情が色濃く漂います。こういう店では肴ばかりでなく酒さえもが店を引き立てるための小道具でしかないように思われるのです。こうしたお店ですが高齢の老人に混じって若者グループの姿を多く見掛けたのですが、彼らはどのような判断を持ってここに呑みに来ているのか聞いてみたくなります。こうした町並みは分倍河原という田舎ともつかぬ半端な土地にとって財産となるはずですが、これから先、この一角をどう扱うかで町の命運は間違いなく左右されるはず。住民たちには今そんな課題が突きつけられているはずですが、そんな岐路に立たされていることに当の住人は意識的なのでしょうか。 せっかくなので同じ呑み屋街の一軒、「立ち呑み いっさ」に立ち寄ることにします。綺麗にリフォームされた店にはまったく魅力がないと言っては失礼でしょうか。白く無機質で飾り気のない店内には洒落っ気というものがまるきり感じられぬのだから仕方がない。でも表の様子を眺めているだけでもそれなりに場末の呑み屋で呑んでる気分が味わえるのだから得をしている。値段はまあそこそこで表通りに立ち呑みのチェーンも店を出していたのでうかうかしていると客を奪われかねないのでもう少し工夫が必要なように思われます。酒も肴もあまりにも簡単すぎるようです。ぼくのような酒や肴にそれほどのこだわりがない人間でさえそう思うのだから。今のところは店主夫婦?の人柄の良さでそれなりのお客さんが入っているからもうちょっとの工夫で店にも活気が出るものと思われます。これは苦言ではなく、役立たずではありますが激励です。「扇家」と人気を二分するまでになってこの一角を支えていただきたいと切に願うのです。
2016/05/30
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中河原にはあと一軒行っておきたいお店があります。駅の周辺こそ大規模商業施設やスーパーなんかがありますが少し駅から離れるとすぐに住宅街の様相を呈してきて、さほど歩いていて楽しい町には残念ながら思えませんでした。そな退屈な通りを歩いていくとやがて目指すお店が見えてきました。 「喫茶 スナックかくれんぼ」とはまた魅力的である一方で、スナックというのがちょっと引っ掛かります。実際外観も微妙な雰囲気です。一軒家なのでなかなか構えは立派ですが、スナックが住居を兼ねることはけして珍しいことではありません。緩いスロープ状の階段を上がった先にある扉を開けた瞬間に突如大音響が響き渡った瞬間にこれはなかったことにしてそっと扉を閉ざすべきと本能が告げたのですが、時すでに遅しママさんはいらっしゃいの言葉とともにぼくを誘うように席を指差すのでした。カウンターがほとんどのいかにもな内装でこれはコーヒーより水割が合うに決まっています。入ってすぐにはソファが置かれ夜ならそこでくつろぐのもまあ悪くなさそうですが、あいにく他に二人しかお客もいませんので、カウンターに大人しく腰を下ろしました。独特の節回しによる熱唱を聞き流すように努めながら、店内を見渡すと2階に続くムーディーな階段があってこれはなかなかに良い感じてはありますが、とても見させてくださいという状況ではありません。早めに出てくると頼んだアイスコーヒーをぐっと飲み干し、不審がられぬ程度に時間を過ごして店を後にしました。 続いては八王子に向かいます。八王子には何度も来ていますがここのことはどういうわけだか見逃していました。酒を呑みに来た際には間違いなく通り過ぎているはずなのに縁がない店というのはなぜかあるようてす。「珈琲専門店 憩」となかやか良いネーミングですが、店内は外観に比すると随分とあっさりとしたもので、リフォームの失敗としか思えぬのですが、それは古臭かったり懐かしかったりするものを好む偏った趣味性のみから判断しては礼を失しているというものです。辛うじてかつての意匠を留めるカウンター上部の銘板を眺めることで気持ちを慰めるしかないのでした。 京王電鉄の一日乗車券の旅なので当然ながら京王八王子駅を利用しましたが先のお店はJRの駅の近くにあります。なのて向かう途中に見掛けて帰りによらずんばなるまいというお店には過大なる期待を抱いていました。引き返して来た際にここは以前目にしているということに気付きましたが、どうして前に入らなかったのか。地下の階段を一心不乱に降りていくと「菩提樹」の扉はあります。その重厚な扉に期待か高まります。ワクワクシタ気持ちを抑えようもなく、興奮して扉を開くとまたもや大音響が耳に飛び込んできました。先程のような得体のしれぬ唸り声でこそありませんが、昼日中に聞きたい歌声ではありません。いやいや歌はむしろ達者なのです。その方がどうやらママさんで、それを取り巻くように大勢のおばさま方が手拍子を送っていて一身に注目を浴びてしまいました。煌々として眩しい表とは違った人工的な光り物の眩さに一瞬途方に暮れてしまいます。逃げ出したいのですが目眩と諦念が身体をうまく動かしてくれません。思わずカウンターに腰を下ろしてしまいます。なかなかきらびやかなお店ですが、やはりこういうお店、どこかがぼくの求める喫茶店とは決定的に異なる点があるようです。後悔と失意のまま、京王八王子駅を目指し次なる町にすぐさま逃げ去ることにしたのです。
2016/05/29
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京王線の一日乗車券を使っての旅が小さいと言えども喫茶巡りだけで終わるはずもありません。この夜の一軒目は初めから決めていました。府中の大人気店で、これまでも何度か入店を試みるものの満席ばかりで、しかも時間をずらして再訪してもすでに品切れとかで断られています。なので、開店前には目当ての酒場にやって来て、そのそばにあるこちらもまた空振り続きだった喫茶店で開店時間を待ち受けたのでした。 おっと、うっかりのんびりしているうちに開店時間を30分も過ぎてしまいました。ぼくの知っている「大定」は、いつもお客さんがいっぱいで、大いに騒がしい印象がありますが、さすがに店を開けたばかりだと先客もお一人だけでした。焼物召し上がりますか、と聞かれるのでカウンターを見ると、七輪が並んでいます。ホルモン焼の事のようですが、あまり気分じゃなかったので一品ものにしますと言うとカウンターの奥の席に通されます。ここは厨房からの配膳の動線らしく、七輪はありません。思ったより奥までは浅くてこれじゃあ入れなくても仕方なかったですね。念願かなってようやく入れたのですが、あまり感慨は湧いてきません。思ったよりありふれていたのに拍子抜けしたのですが、それはまあぼくの趣味の問題でしかない。肴は随分と充実していて、迷いに迷ってとりあえず頼んだのは鳥の入った生春巻。お隣が召し上がっているトマトやら鮪刺はとてもじゃないが食べ切れぬ量があったので、遠慮気味に注文しましたが、これはごく適量でした。味はいいけどーただし基本的に味のベースはスイートチリソースなので、これを付けたら何でもそれなりに旨いー皮がトルティーヤとかそんなもので、生春巻のライスペーパーとは程遠いものなのが残念。でもちょっと気の利いた肴を出そうという心意気は嬉しいもの。この時間に呑みに来れるのは土曜だけか。他の肴、いや気分の乗った時にホルモン焼を食べにまた来たいものです。 ここで、また振り出しから遠ざかるように南平駅を目指します。「やきとり よっちゃん」に行っておきたいのです。南平ってどう読むのか気になっていましたがみなみだいらと読むようですね。開店時間の五時を少し回っていますが、まあまだ大丈夫かと駅の階段から見える酒場の建物を見下ろしつつ、町を一巡りしてから入ろうと思い、店を横目に通り過ぎようとしますが思いもよらぬ繁盛ぶりに慌てふためき入店します。コの字カウンターのお客を掻き分け掻き分けして、何とか潜り込んだのですが、そちらにも入り口があったようです。やばかったなあとひと心地ついてとりあえずは酒とすかさず焼物も注文します。このすかさずが愚かな行為であったことに気付くのは間もなくのことです。美女、とにかく綺麗な女の子がいくら可愛い女性に不自由したぼくでも騙されてしまいそうな満面の微笑みを目にすると、なんで俺ー話題が女のことになると俺になってしまうぼくはまだ色恋沙汰から開放されてはいないらしいーは一体何ていう早急かつ愚かな行為に至ってしまったのかと最後まで後悔は止まぬのでありました。さて気になってしょうがない美女は常に視界の隅に止め置くことにして、深呼吸して他の客を眺めると、どうやらぼくと同じくした欲望を潜め持つ者は多いようで、真の目的は彼女なのではないかとまで思うほど。目の前には生のザク切りのキャベツがサービスでございと客の健康と美容のために待ち構えていますが、それに手を出す者はついぞ有りはしません。サービス品に手を出すことで、何かが失われてしまうとでも言うのだろうか。トッピングとして用意されたニンニクに手を出すのは老人ばかりで若者は見向きもせぬのは、世代によるケアすべき箇所に差異があるに違いありません。それにしても旨い。旨いけれど、冷静には呑めぬ、呑めぬけどかと言って彼女にいなくなってしまわれるのも何とも寂しい。そんな煩悶に身悶えしつつ予定以上に長居してしまうのです。
2016/05/23
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さて、駅からも随分外れている事だしーゆうに1km以上はあるはず、まあ酔っ払って5km位歩くことなど珍しくもないことですが、ここのようにちょっと道を踏み外したら退屈極まりない住宅街が続きそうな場所は気乗りしませんー、そろそろ引き上げるのが無難なのですが勢いが付いてしまったものだからまだまだ呑むことにします。いや、正確に言うと面白そうな酒場に行き当たってしまったということに過ぎぬのです。 そのお店は「とり磯」というお店だったはず。ネットで調べようとも恐らくは検索に引っかかりもしなさそうです。ゴチャついた一角でもとりわけ細っこい路地にポツンとありました。店内はうなぎの寝床状の路地に沿って建てられた店らしく目一杯狭い敷地を活かしたお店になっています。長いカウンターの奥は座敷になっていて、どうも女将さんのご家族らしい。この思いは同行したA氏も同様だったらしく、二人デしばらく悩んだのですが、こうして拙いながらも文章として残している分、ぼくの記憶に歩があったみたいです。そう、京急の羽田線の空港の直前の寂しい駅にあった焼鳥店に感じがよく似ていたのです。東京の東西がこうして思いがけずリンクしたことの唐突さにほんの少し興奮します。それにしても憤ることがあって、どこにでもマナーの悪い客はいるもんだ。カウンターに二人くらいだったら潜り込めそうなスペースがあるのに何だよ女じゃねえのかと一寸の冗談も含まぬ本気発言が飛び出してきて、ぼくとしても先ほどまでのほんわか気分はどこへやら殺気立つのを抑えるのに苦労するのでした。コイツは終始、己のセルフスペースの確保と女のことに腐心しているのが見て取れて、やがて失笑に至るしかないのです。結論、こちらは見かけよりはずっと普通でありふれています。好き嫌いはことこのおっさんさえいなければ付けようのないまあそんなお店だったのです。 ケチが付けば引き上げるが得策、だとは思うのですが、そうならぬのが酒呑みの性状たるもの。凝りもせず次なる店を求めて彷徨う事になるのです。〆の一軒は気分よく終えたいなんてもっともらしい事を思ってみたりもしますが、仮に前の店が良かったとしてもそれに乗じて今晩は快調だからあと一軒だけ行っておこうなどと自らに言い訳するのがオチでしょう。だから「むさしの弁慶」を見かけてもこれは何だか良さそうだぞという予感はありましたが、三鷹駅からはまだ随分距離があるし、いやむしろこの夜ハシゴを始めてから、少しも駅までの距離は埋まらないばかりか、もしかすると少しづつ遠ざかっているのではなかろうか。ともあれ、味のある今度の店を見てしまった以上、みすみす見逃すこともできません。カウンター5席に小上がりに一卓あるだけの狭いお店は、モノで溢れていてそれが不思議と落ち着いて楽しくなる、つまりは似ては似つかぬものの自宅で呑んでいるかのような錯覚に囚われるのです。これがまあ端的にヤバイんですね。こうした町外れにある酒場というのは当然のことに近所の人を相手に商売しているわけで、呑兵衛の腰を据えさせることにかけては抜群の才覚を発揮するものです。ここまでひたすらにもつ焼店を巡ってきたわれわれにいきなり差し出されたお通しはなかなかに立派な刺身なのであります。ムムッという何とも言えぬ表情を浮かべていたであろうわれわれを見た主人は安いから安心してよと一言断るのですが、そうじゃないんですよね。ツマミは控え目にイカゲソ刺だけ、いじましいようですがこれ以上頼んでは本当に帰れなくなる。よほど新鮮じゃなきゃどこで食べても似たようなもののはずのイカゲソもまた不可解な位にうまくて、だからカウンターから身を引き剥がすのにかなりの決心を求められたのでした。
2016/05/10
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昨日の三鷹の喫茶巡りに引き続き、酒場篇をお届けします。喫茶篇で三鷹との相性の悪さを大いに語らせてもらいましたが、酒場についても事情はさほど変わりません。これまでも三鷹の酒場についてはほとんど書いていないはずです。なぜって言うまでもなくほとんど呑んだ事がないということもありますが、指折り程度に訪れた店も朝方から呑める優良食堂など好ましい店もあるにはありますが、ほぼこの町の酒場事情は知らぬに等しい無知ぶりです。なので、当初は酒場放浪記に出ていた一軒に留めるつもりだったのですが、つもりでは済まなくなってしまったのです。三鷹には酒場がありました。それをホンモノなんて言うのは明らかにわざとらしい言いっぷりでありますが、ここら辺は語彙に乏しい者の下手な修辞と軽く読み飛ばしていただきたい。とまあ前置きはこの位にして早速三鷹の酒場について語ってみることにします。 いやあ、それにしても三鷹を知るには歩かないとならないようです。歩くことでしか三鷹の真の姿を見られぬという事もないのでしょうが、酒場放浪記に出た「鳥しげ 西久保」がこんなにも遠いとは思ってもみませんでした。しかもその酒場に至るまでの道程の退屈さときたら、途中何度も引き返そうと思う程です。大体行ってみたところで営業しているという保証はどこにもない。逆に駅から遠いということが地元客のために店を開けているかもしれぬという期待感だけが足を前に進ませます。ようやく辿り着いた頃にはすでに店はやっています。それが遠目にもハッキリ見て取れるようになると店先に並ぶ自転車に急に不安を感じます。自転車が店の前に並ぶ酒場は例外なく良い酒場であるとの確信めいたものがぼくにはあって、それは満更外れではないのですが都合よく都合の悪い記憶は改竄されていなくもなさそうてす。そんな事はどうでもいい、果たして入れるかどうかが肝心なところ。大丈夫でした。カウンターばかりでなく奥の卓席もほぼ埋まっていましたが、2人掛けの席が空いていました。一足飛びに結論を申し上げるとこちらのお店、大変に素晴らしい、近頃ハズレばかりの酒場放浪記でありますが、この酒場の存在を教えてくれた事には感謝します。テレビにでも出てなければさすがにここまで訪れようとは思いもしなかったはずです。もつ焼も旨いし、何より店主夫婦の人柄がとても良いのです。しかしここまではあまりに遠い。 当然まだ良さそうな店が見つかりそうなので、もう少しぶらついてみることにします。渋い団地があるなあとフラフラとハエ取り紙に吸い寄せられるように近づいていくと前面ガラス張りの呑み屋さんがありました。「もつ焼処 かわ乃」というらしいです。こういう団地酒場、好きなんですね。どうしてかって聞かれてもその理由はなかなか説明し辛い。一言で言うと何だか不自然なんですね。違和感があるんですね。だから当然入ることにします。店内は広々としているけど殺風景なのは団地酒場の特徴と言えましょう。とにかく内装に面白味や個性などというものは期待するのは間違いなことが多い。強いて言うならその不必要にオオバコなところや殺伐とするほどに飾り気のないところをあえて個性と捉えて楽しんでしまうことができれば、かなりの団地酒場好きと言えるのかもしれません。もちろんぼくは大いに楽しい。いつも思うのですが団地の一階にある居酒屋ーこういう形態のテナント形式を下駄箱団地と呼ぶようですが、もうちょっと気の利いた呼び方はないものでしょうかーには、どうしたものか焼鳥店が存外に多いのです。焼鳥屋のように盛大に煙を吹き出す業態がすんなり受け入れられているのは不可解極まりないのです。それにしてもお客さん入ってないなあ。卓席に夫婦一組とカウンターにスタイル抜群の美女一人だけ。ともあれ、急に冷え込んできたので日本酒をお燗して貰います。焼鳥を数串とトマトをいただく事にします。そして驚いた。250円のトマトは何だかグシャッとして見えましたが、これは品が悪いんじゃない、完熟のウマウマかつアマアマなんですね。フルーツトマトらしいのです。これは焼鳥も期待して良さそうです。期待以上でした。店構えに騙されてはいけない。ここは紛れもない良店です。もしかするとこの団地の上の階の人たちは無料でここの美味しい焼鳥を提供でもされているのではないか。もしそうならぼくもここの住民になってみたい、洗濯物が干せないくらい目をつぶる事にしちゃうでしょう。いや、ここのお値段だったらご馳走にならずとも自腹で十分通えるか。
2016/05/09
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なんて挑発的なタイトルにしてしまったのは、ようやく書き上げた記事が操作ミスで消えてしまったことへの苛立ちでしかないので、気になされぬようお願いします。当初、ダラダラと書き綴っていたのでまだしも初めの方であれば消えてしまって良かったと思わなくもないのですが、後半で熱がこもってからの文章は素晴らしい名文でありました。あれ程の名文はやたらめったらのことでは書けはせぬ。返す返すも悔やまれます。 ところで、三鷹は喫茶、酒場に限らずこれまでほとんど登場していません。なぜなら若い頃通い過ぎてうんざりしてしまっているからです。また、特に喫茶店については、それ程の店があるはずもないと高をくくっていた節もあります。三鷹には主に2つの理由で通っていました。ひとつは三鷹オスカーという3本立て名画座で映画を見るため、もうひとつは三鷹の病院に入院していた友人を見舞うため。今はなき「喫茶・軽食 クラウン」、「珈琲家」にもその行き来の際に立ち寄ったものです。今も残る「茶房 ふれーず」にも何度かお邪魔していて久しぶりに立ち寄ろうと店の前に立ったもののお休みなのは少し残念でした。 そうもう一軒何度か訪れたのにはどうしてか縁がないのか入れた試しのない喫茶店に向かうことにしました。南口駅前を通ると、中野の有名酒場がよく知られる「第✕力酒蔵」の何番目かの店があったり、立ち呑みの優良店がありましたが、いずれも立ち退かれてしまったようです。これでまた三鷹の町もどこぞの町とも見分けの付かぬ退屈千番なありきれた町の一つでしかなくなってしまいました。でも数少ない往時の情緒を醸している飲食ビルが残っています。その地下飲食外に人気ラーメン店なんかと並んで1958年から営業しているという「リスボン」があります。今日は開いているようです。「珈琲家」や「茶房 ふれーず」と同様に木製のさり気ない椅子がいかにも三鷹の喫茶らしく感じられるのは、特に愛着もないこの三鷹にもぼくのこっ恥ずかしい青春の残滓が留まっているのでしょうか。何気なくそれ程の年季を感じぬ品のいいよく手入れされた店内を見渡しながらコーヒーを口に運ぶと、名画座のスクリーンに映し出される名画ともいえぬ数多の駄作が蘇ってきたり、入院中というのにやけに元気だった友人との他愛ない会話が思い起こされたり、なんてことはまるでなくて、隣席の客の食べるやけに気になるランチばかりが目に付くのでした。この身も蓋もない言い方をするとコーヒーショップのような素っ気なさが三鷹の喫茶を特徴付けるとこの時は早急に結論付けたのてすが、それが全くの誤りであることが追って判明するのでした。 どうやらお腹が空いてきたらしい。少し南に外れた場所に食堂があったはず。足を運ぶと何たることつい先達、長い歴史に幕を下ろされたようです。駅前を見ていたので特段の感慨もなく目当ての喫茶店に向かいます。延々ひたすらに20分も歩いたでしょうか。念願の喫茶店にようやくたどり着きました。 ところが一軒家の特に目立ったところはないものの、店内から溢れる暖色の照明が間違いなくよい雰囲気の喫茶空間が広がるとのさしたる根拠のない予感に見舞われますが、その戸は押せど引けども開く気配はなし。無念な感情に叫び出しそうなくらいの苛立ちを感じるのも空腹がもたらすものです。「オリーブ」に再び来ることはあるのでしょうか。 またも無駄足を踏んだと三鷹の町を呪いそうになったその瞬間、なんだか良さそうな食堂を見かけただけでご機嫌になるのだからぼくのことを操縦するのは実に容易いことです。ところがさらなる歓喜がぼくにもたらされるのです。お隣の中華料理店も何とも味わい深いではありませんか。これは困ったどちらに入るべきか、いやこちらは暖簾がしまわれてるな、では食堂にしとこうかと思ったのも束の間、さらに一軒先には暗いフイルムの貼られたガラス戸に洒落たロゴで店名の「エポック」が記されています。食堂や中華料理店はなかったかのようにすぐさま扉を開くことになりました。仄暗い店内はオレンジのチェアが置かれることで和やかさをもたらしています。テーブルセットの椅子も背もたれがバーになっていて見た目にも楽しく、同色のテープで補修されているのも何だかいじらしくて、好意的に見られるのです。まだ空腹なのにおかしいですね。さて、さらに圧倒されるのが並大抵の食堂では太刀打ちできぬであろうメニューの豊富さです。迷い迷って頼んだカレーライスはお安い450円、同行者はナポリタン550円也。しかもその盛り付けの凄さときたらたまげるくらい。味もまた特徴的でどんなもんだというくらいに甘いのです。甘いのだけど不思議と癖になる味で匙を置く暇もなく口に運ぶとすぐまた次を欲しくなる常習性のあるヤバさです。食べ終えると猛烈な満腹感に見舞われます。嬉しくも苦しいひとときは、生きてることの充実感そのものです。そんな馬鹿みたいな大袈裟さもまんざら的外れではなく思われるのてす。くれぐれも食が細いことに自負のある方は小盛りでお願いしてください。途中で止めることなど叶わぬはずです。 そんなわけでハシゴするはずの隣の2軒は諦めざるを得ません。でもでも次には「オリーブ」とお隣を組合せるプランに興奮してしまうのです。だけど果たしてぼくに「エポック」を無視するなんてことができるのか、その点には一抹の不安を残すのです。
2016/05/08
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武蔵境には、少しだけ縁あって何度か訪れているのですが、呑むチャンスにはなかなか恵まれず、昼日中から呑むことはあっても夜に呑むのはこれが初めてかもしれません。その時には線路沿いにあるちょっと気になる呑み屋通りの端にある洋食店で嬉しくもちょっと後ろめたいー気恥ずかしいという感性はとっくに失っていますーのでありましたが、それ以上にこの通りの夜を堪能したいという欲求がメラメラと燻ったものです。 ということもあって久々に訪れる機会を得ることができ、加えてこの日は夜なので何軒かハシゴすることにします。まずは酒場放浪記にも登場したという「たけちゃん」に入ってみることにしました。表から一瞥した限りではこれといった個性のないありきたりのお店でしかありません。ありふれた酒場が悪いというわけでもないのですが電車を乗り継いできた身としては、ちょっとした旅気分なのでその高揚を高めてくれるようなお店であることをついつい期待してしまうというのはわがままというものでしょうか。いや客なんてものはわがままなのが当たり前なんだから、これ位の愚痴を言っても罪には当たらぬはず。女将さんがチャキチャキした人柄で、それを魅力と感じられるようであれば通うことにもなるのかもしれませんが日参するにはちょっと遠すぎるな。 むしろ「素浪人」というすぐそばぼにあるお店の方が酒場らしい魅力を備えているように思いました。近頃感じたことのない昔風の居酒屋です。何も建物遺産に残したいとか言いたくなるようなお店と言っているわけではなく、時代が昭和だった頃によく見かけたような、その時代に典型なタイプという程度であって、こういうぼやけた言い方をしざるを得ないのも、今振り返ってみるとしかと店の輪郭を浮かび上がらせるのが困難なのです。それだけぼくの記憶の引き出しにはこうしたタイプの酒場の記憶が多く仕舞い込まれているということなのでしょうが、それにしてもまだ数ヶ月前のことすら視界に浮かび上げることができぬとは年のせいでしょうか。昭和生まれではありますが、本当の意味での昭和の酒場にはほとんど縁がないと言っていいぼくはまだまだ若いつもりでいましたが、どうやら着実に老いが到来しているようです。などと店の話と関係ないことを書いているのはお察しのとおりあまり記憶がないからです。でも懐かしい酒場を求めるならここは格好のお店と言えましょう。
2015/10/08
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ひたすら中央本線を坂上駅から塩尻駅を経て乗り継ぎます。途中、坂下駅の2つ先の駅で木曽路散策を終えたS氏が予定通りに乗り込んできました。バスの連絡が良くなくて、かなり時間を持て余したようです。その後、途中塩尻駅で乗り継ぎ時間にかなりの余裕があったので、塩尻駅から少し足を伸ばして散策するつもりが時間もなくひたすら単調な中央本線の車窓を眺め続けることになりました。この列車には外国人観光客も多いのですがほとんどが車窓の風景を見るでもなく、寝るか喋るかをして時間を潰すばかりで、西洋人に比べ日本人は旅が下手であるという言い方をする人がいますが、そういう人達にこの実態を見せてやりたいと思うのでした。中津川駅から乗車し、同じ列車を乗り継いでいた客がたくさんいたのですが、中に一人、とんでもなくマナーの悪い客がいて、列車は大変混雑しているにも関わらず2席シートの1つを荷物置きにし、恨めしげに立ち通しの客の視線を無視して酒を呑んで寝たふりを続けた不届き者は、その罰が下ったのか甲府駅を過ぎたどこぞやの真っ暗な駅のホームになぜか降りていた隙に車両の扉が閉じ、絶望的な表情を浮かべて立ち尽くすのが車窓を横切ったのを見て、思わず喝采の声を上げそうになったのでした。まあそれはどうでもいいこと。やがて八王子駅に着くと、すっかり東京に戻ってきたという楽観に捕らわれるのでした。普段の生活にあっては八王子ははるばる出かける町という心象がありますが、それでも中央本線に長いこと揺られてくるとこの町が紛れもなく東京の一都市であると感じられるのです。 気が大きくなったわれわれは当然呑みに行くことにします。店をえり好みする暇はなさそうなので、酒場放浪記を参考にまずは手っ取り早く「やきとり 小太郎」に向かうことにします。八王子は折に触れて訪れているもの、なかなか呑み歩く時間を確保できないでいたのでした。その暢気さがまたもや後悔を招く結果となったようです。再開発が進んだかに見える南口で以前は老朽化した店舗が魅力的であった「小次郎」ですが、すっかりその面影はなくなっており、やけに広いのがますます寒々しい印象のありふれた居酒屋に変わり果てていました。それでも多くの客で賑わっているので、むしろ客の大多数はこの新しい店舗のことは大歓迎ということなのかもしれません。実際、店の方にとってもメリットが多々あるのはわからぬではないのですが、一酒場ファンとしては無念であります。自慢の煮込みはまあうまいけれど驚くほどではないし、お勧めのカレー粉をつい大量にまぶしてしまいます。それにしても郊外といってもさほど非難されぬであろう八王子の物価の高さはどうしたものか。都心で呑むよりずっと高いのはなんだか納得いかぬのも無理のないことだと思うのですが、いかがでしょうか。 続いては、北口側の呑み屋街にある「広小路」に伺うことにしました。店の構えを見てこれなら大丈夫と胸をなでおろしますが、それもつかの間ものすごい混雑です。幸いにもグループ客が清算中だったのでしばし外で待機します。それでも空いてる席はカウンターのみというあたり人気のほどが察せられます。若い客が多いのもこうした古い酒場の需要があることの証です。品書きを見るとこちらもけっこうなお値段なので控えめに注文します。焼き物の値段にもぎょっとさせられました。最初はあわただしく忙しそうにしていた店主も手が空くと、われわれを旅行客と思ったのか-荷物は日常使ってるカバンでしかなかったのにどうして旅行者と思ったのかしら-、どこから来たのかと尋ねてこられます。気難しいというか寡黙な人かと思っていたら、案外気さくで明るい方のようです。青春18切符で岐阜から帰ってきたのだと答えるといつものように、18切符の講釈をすることになってしまいます。これからどこへ向かうかとの問いにも結局長い説明を要し、結局長っ尻となってしまうのでありました。こうした酒場で呑むと、たまにはあくせくせずにぐずぐず酒を呑むのも楽しいものだということを思い出させられます。そんなことで、ぼくもS氏もほとんど終電すれすれになったのですが、翌日も休みどという気楽さが最後の最後で旅に余裕を持たせてくれたようです。
2015/09/21
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中央線に揺られて初めての東小金井駅にやって来ました。東京都下の大抵の駅では下車ないしは歩いていると思っていたのでしたがーいやいやそんなことはないかー、ここで降りるのは恐らく初めてです。土曜の昼下がり時間を持て余したので来てみることにしたのでした。東小金井駅といえば、最近カサハラテツローという漫画家が描いたロボットみたいなのにヤクザの娘たちが乗り込んでレースしたり、恋愛したりという面白くなりそうでいながら尻すぼみで終わってしまった作品があって、この舞台がここ東小金井なのでした。だからということではないのですが、ちょっと親近感が湧いています。 実のところ目指したのは「純喫茶 毬藻(まりも)」があるからでした。ところが何ということか、またしても出遅れてしまったようです。七月中旬から店を閉めているようです。 本当なら東小金井で呑むつもりでいたのですが、まだ何処も開店までは時間がありそうです。駅前にド派手な中華料理店があって、妙にそそられたのですがこの日はダラダラ過ごしてしまい、ちょっとは体を動かしたほうが良いと考えせっかくなので武蔵小金井駅まで運動がてら歩くことにしました。この駅は何度か降りています。勝手知ったるとまではいかぬまでも、駅に着くとすぐに町の記憶が蘇ります。「喫茶室 たきざわ」でお茶を飲んでー普通なので写真なしー、まだ陽は高いものの呑みに向かいます。 「壱番館」です。和風の立派な居酒屋でかなりの収容力がありそうです。でも正直好みの店でないことは一目瞭然、実はこの後、2軒ばかりハシゴすることになりましたがそちらの方がずっと好みです。といきなり決めつけるの申し訳ないのですがこればかりは好みというものがあるのでご勘弁いただきたいのです。それにしても記憶というのはいい加減なものです。小規模ながら武蔵小金井にこんな味わい深い呑み屋街があったとは、これを記憶していなかった自分の記憶のダメっぷりに嫌気が差します。そのどんづまりにあるスナックビルの妖しさ、裏にある共同便所のうらぶれっぷりはなかなかのものです。さて、肝心の「壱番館」ーそれにしてもこの店名はどうしたものか、どう考えても喫茶店そのものですーは、魚介系を中心とした肴とそれなりに揃う日本酒が売り物のようですか、どうというものでもないとしか思えません。大人数で腰を据えて呑むにはいいのかもしれませんが、少なくとも今のぼくにはその良さが今ひとつ感じられないのでした。
2015/08/13
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西調布にやって来ました。京王線の沿線であるこの駅で下車するのは初めてのこと。初めての町には興奮せざるを得ないはずなのに、どうしても良い印象がほとんどない調布のお隣ということもあって少しも気分は高まりません。でも酒場放浪記に登場した酒場があるというのでは一応行っておこうかと重い腰を上げたのでした。この番組の意味っていうのは良かれ悪しかれ、知らない町に人を走らせる役割をほんの少しだけ担っているところにあるのではないでしょうか。ともかくそうでもなければ来ることもまずなかったであろう西調布に降り立ったのでした。 駅を出ると素敵な呑み屋街がいきなりあって思ったより退屈しないで済みそうだぞとほくそ笑むのも束の間、あっという間もなく呑み屋街は途切れてしまいました。ここぞという酒場も見当たりません。まあ、この日目指すのは駅の向こう側です。喫茶店というよりはスナックそのものといった風の「ピエロ」を越え、踏切を渡ると程なくして目指す「金八」が見えてきました。三日月状の奇妙な形状の長屋の弧の外側にその店はありましたがなんとも無情なことにお休みのようです。こうした経験は嫌なくらいに積んでいるはずですが何度味わっても慣れることがありません。已む無く別な店を探すことにしました。 探すまでもなく良さそうなお店に行き当たることができました。「どびん」という店名を持つなかなかどうして味のあるお店です。長屋の弧の内側、その先っちょにあります。こういう造りなので店内も狭くてちょっと窮屈な席の配置となっています。でもそこはかとなく実力を漂わせるのがその品数の豊富なことと工夫が凝らされているのが一目瞭然なカウンターに置かれた大皿です。実際何気ない一品にも一手間かけていることが食に疎いぼくにも感じ取れるほどの品でした。先客が父娘―一人暮らしをする娘を出張に託けて様子を見に来た子離れできない父とそんな父を疎ましく思いながらも美味しい料理をご馳走してもらえるとなれば如才なく振る舞える今時の娘といった様子―と呑みよりも食の方に重点を置いていそうな方たちであったことも宜なるかな。次に西調布に来るのはいつのことになるのやらでも次はじっくり腰を据えて呑みたい酒場でした。
2015/08/01
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本当であれば布田で呑むつもりだったのです。ちょっと早めに布田に到着したので、「バロン」という喫茶店を訪ねてみたもののお休み、というかどうも今ではスナック営業の夜だけのお店となっている様子です。駅前を歩けばきっと古い酒場の一軒や二軒位はあるものと予想していたのですが、それどころではなくそれほどの名店を期待したわけではないも古い酒場どころか新しい酒場さえほぼない住宅街が広がっているばかりなのでした。やむを得ず目当ての一軒である酒場放浪記の登場店「寿起」に向かうことにしました。ところが、何たること店の戸は固く閉じられたままで人の気配さえまるで感じられません。これは休みと考えるしかないとしばらく待った後に諦めをつけて調布駅に向かうことにしました。 向かったのは先般訪れた際に閉まっていた「とりまさ」という古い酒場です。屋号からは焼き鳥屋さんらしいことが見て取れますが、業態などよりその店構えの渋さに打たれました。単に古いだけの店であってもそれなりに有り難く感じられる現代の東京都心にあっては、いやそれ以上に都心と呼ぶのを憚るベッドタウンにあっては状況はかなり悲惨なことになっていて、かろうじて見出されるのが中華料理店かそば屋位である―無論他に目ぼしい店がなければ躊躇なく立ち寄ります―ということになっています。調布も正にそのような状況であってこのお店が残されてあることが奇跡のようにさえ感じられます。きっと駅から離れるとそれなりに面白いお店に出会えるのでしょうが、どうもこの界隈は京王線の線路から遠ざかる気分になれません。開店したばかりの店内は期待そのままの様子で、カウンターの隅にそっと収まると多くを喋らずとも温かみを感じさせてくれるオヤジさんが、ゆったりとした動作でもつ焼の串を焼くなどの調理する風景を眺めているとこの姿は脳裏に確かな映像として留めておきたいとじっと眺め入るのでした。
2015/07/15
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まあ大体において秋津を訪れるのは呑みが目的なわけでありまして、随分以前には「ロートンヌ」という洋菓子店を訪れたりしたこともあるのですが、今では呑み以外では、少しの縁もありません。単に昼呑みするということであれば、自宅からもっと近い都心寄りにもいくつかのエリアが思い浮かぶのですが、ここ秋津はそう遠くない割には田舎びた、旅情を幾ばくなり感じられるのが気に入っています。とは言ってもベッドタウンの町であるに過ぎぬ小さな町ですので、目新しい酒場がそうそう見つかりはしないでしょう。 定番のお店は何処も大繁盛、無理して混み合った酒場で呑むのは避けたいところなので、しばし秋津駅と新秋津駅を往復しつつ彷徨ってみたところ、「Bar Tienda 秋津店」というのがあったので、暑いこともあるし、まずは手っ取り早く生ビールでもいただくことにしました。秋津らしからぬ若者向けのカジュアルなスタンディングバーといった感じのお店で、近頃こうしたバーのチェーン店が増えているようです。ここも秋津店というからにはそれらの系列の1店舗であるのでしょうが、何とも競争の激しい場所を選んだものです。店のお兄さんは飄々としてお勧めの酒場など紹介してくれ至って気がいいのです。店の方との会話を楽しみたいという方には選択肢に入れてもいいかもしれません。 続いてはすぐ目と鼻の先にある「立ち飲みスタジアム なべちゃん」にお邪魔しました。入ってみるとすぐ分かるのですが、こちらは西武ライオンズを全面に押し出した立ち呑み店で、店内は所狭しとライオンズグッズで溢れかえっております。テレビでは西武のデイゲームが放映されており、他の客はみな当然のようにライオンズを応援するのです。なので、客たちの視線はどうしてもテレビの画面に向けられるということになります。新参者が店に入ってギロリと睨めつけられるのもゾッとしませんが、まったく無視されるのも不思議な感じです。さて、それ以外はこれといった特徴のないごく有り触れたお店でライオンズが嫌いでなければ行ってみてもいいかもしれません。
2015/07/14
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実のところ飛田給で下車したのは初めてのことだし、かと言って駅の線路を挟んで両側を少し散策してみたもののこれといって面白そうな何かが見つかるでもなく、歩いて西調布にでも向かうのが良さそうかと考え出した時、若者の集団が呑むとか呑まぬとか気になる会話をかわしつつ歩いているので後をついていくと、なんだかちょっとというよりかなり味のある構えのお店がありました。いやそれが蔦なのか雑木で覆われているのだかはもはやどうでも良いくらいに店と土地が一体化してしまっています。 それだけでもうけして礼儀正しい訳でもない学生たちに感謝したいような気分です。そんな古民家風の店に入っていくとそば屋の風情のやはりいい空間が広がっています。そして店内にはそれ以上に驚愕すべき品書きの数々、つい勢いで頼んだ品はどうでも良くなって、次から次へと気になる品が目に入るのでした。なので注文も次第に小出しになり、細々頼んでいたら入った時からそうではあったのですが店のオヤジがご機嫌悪くって―というかこれがナチュラルなんだというくらいは察せられます―、席を移ってくれとか、それは巨大な客が来るからだなどという突飛もないことも言ってくれたりして、さすがに癖のある親父を愛するぼくでもちょっぴりむかっと来るのですが、それが間違いでないことは巨大な客を見て納得、でもやはりこのオヤジは曲者です。嫌いではないものの、愛すべきオヤジとまでは言えぬのが残念。「いっぷく」でした。いい店、近くにあれば間違いなく通う。でもここに住めるとは思えません。確かに良いけどここだけじゃ、ぼくには寂しすぎるのです。
2015/06/26
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清瀬の趣きある町並みに近頃どんどんハマっています。でも自宅からはちょっとばかし遠いし、何より町は楽しくてしょうがないのに酒場が思いの外少ないのてす。これで酒場さえ充実していれば、移り住むことさえ厭わぬというのは、誇張というより全くの嘘でしかありませんが、ぼくのこれまで暮らし住んだどの町とも違うのに何だか懐かしくて、飽きさせられることがありません。というのは誇張が過ぎますが生活するにもなかなか便利そうで引退後であれば住んでみてもいいかななんてことを思ってみたりもしますが、そんなずっと先にこの町が今のままであるはずもないのでしょう。しからは今のうちにせいぜい清瀬を存分に愉しむのが賢明です。と言っても今回は軽く立ち呑み店をハシゴします。時間もちょっと遅くなってしまったので、駅からもほどない場所にあるお店にしたのです。散策すらしている間はありません、さっさと呑みに行くことにします。 まずは駅前の路地にある呑み屋通りの一軒、「たちのみ 奥州衣川 どろのき」という通い詰めねばとても覚えられないような屋号のお店です。ごくありふれた代わり映えのせぬ、それでも郊外の駅前酒場、しかも立ち呑み店としてはかなりのキャパシティーを有しており、広いだけで客がいないなどという寒々しいことにはならず、ぼくが入り込む隙間さえ探すのがやっとという繁盛ぶりです。都内の私鉄でも西武線は立ち呑み店が多い地域のように思われます。それも池袋から離れてむしろ所沢の周辺―当の所沢にもありますがむしろその周縁部―に多く分布しているようです。ここはその広さ以外にこれといった特徴があるわけでもないのですが、この界隈に住む方たちの―一瞥したところ勤め人は少なく、ほとんどが地元在住の方です―立ち呑み好きを実感するには適当なお店です。ぼくなら地元で呑むのならむしろ座れたほうがいいんですけど。 そんなことを言ってはいますが、全然地元でもない清瀬なのでまだまだ立ち呑みで呑むことにします。どういうことなのか店内の写真は残っていませんが、なにはともあれ「もつ家」にやって来ました。このブログをご覧になっていただけている皆様にはこれまで度々報告させていただいているので、ご記憶いただけている方も多いことと思いますが、秋津を中心にローカルに勢力を拡大している立ち呑みチェーンです。もつ焼きをメインにした特にこれといって目立ったところはないお店ですが、居抜きをメインにした店造りが均質化された近頃の立ち呑みチェーンとは一線を画しており、ぼくはなかなかに気に入っています。この清瀬店はどちらかと言えば平板で退屈な感じがします。もっとボロっとした店舗だと楽しいのでしょうが、そこまで期待するのは図々しいのかもしれません。先の店の繁盛ぶりに比するとどうにも見劣りするのはここがチェーンであることを知る地元の方の知識が、地元びいきを喚起しているように思えてなりません。
2015/06/11
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とある土曜日の昼下りに調布にやって来ました。調布の町に来るのは実に10年振り―確たる記憶はありませんがおおよそそれ位久しぶりであるということの意と解してください―、正直町の記憶はほとんどありません。最後に行ったのは調布で映画祭のあった時のことで、確か喜劇映画研究会とかいう組織があって、度々御茶ノ水のアテネフランセ文化センターのホールで主にサイレント期の喜劇映画を上映しており足繁く通ったものですが、そこで見そびれていたフィルムが上映されるとのことで億劫ながらも出掛けたものです。そこには今と変わらずO氏やA氏もいて、レオ・マッケリーというかローレル&ハーディーの『リバティ』もいうすごいフィルムを見た事を彼らは今でも覚えているのでしょうか。そんな事はまあどうでもよくて、それ位に調布とは縁のない日々を送ってきたのでした。 さすがに居酒屋の開く時間ではないので、町をぐるりと一巡りした後はお決まりの喫茶タイム。「あなたの街の喫茶店 シュベール 調布店」―このチェーン、実はちょっと気に入ってます―、「絵のあるティールーム サンマロー」程度しか喫茶店が見当たらぬかなりお寒い町でしばらく時間を潰すと、3時を過ぎたかどうかやおら酒場を目指すのでした。 調布には呑み屋街が2つあります。ホントのところはもっとあるのかもしれません。たまたま目に止まったのが2つだったというだけです。その1つ、調布銀座商店街ゆうゆうロードをまずは目指すことにします。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の作り物が控えめに点々と置かれていて、撮影する観光の方もおりますがそれほどのものではありません。まあ亀有のこち亀キャラクター像よりは、さり気ないところが上品かもしれません。いろいろ難癖をつけたくなる宣伝行為ではありますが、水木しげるが大好きで、この町が水木しげるの数多くの作品に影響を与えたのであれば調布の町と人に感謝の気持ちも芽生えるというものです。ともかく最初にお邪魔するのは「もつやき処 い志井 本店」です。正直調布の町を席巻し、それどころか都内各地にまで勢力範囲を広げようとするい志井チェーンには、正直いい思いは持っていませんでした。近頃では調布ローカルであれば何とかやっていけたかもしれぬのに妙な色気を出したせいか、「日本再生酒場」などの都内各地の店舗は店を閉めてしまったようです。そんな思いは表情に出さぬよう注意を払いながら通されたのは焼場正面の席なのでありました。この日の二組目の客です。相当な混雑を想定していたのであまりにも呆気なく入れてしまったことに驚かされたほどです。実際、同じような思いの客も多かったらしくて1番手の客は鬼太郎像のそばで時計を眺めてソワソワしていたし、2番手は一反もめん、3番手はぬり壁と、これは少し脚色が過ぎますが、遠巻きにて開店を待つ客が多かったのは確かです。というか繁盛する老舗酒場では普通開店待ちの行列を作るものなんですけどね。ここはむしろわれわれ同様にマスコミに踊らされる客ばかりのようです。もつ焼も煮込みも確かにそこそこ悪くないものの値段も値段だしあえて通う気にはなりません。 そんなわけで、程々で席を立つと次には調布百店街を目指すことにしました。こちらの方が呑み屋街らしい小路となっていてなかなか愉快な気分になるものの、実のところはこれという鹿場があるわけでもないので結局身近立ち呑み店に吸い込まれることになるのでした。伺ったのは「フジヤマテキサス」という大層なネーミングのお店で、関西立ち呑みに忠実でアランとする意気込みは感じるものの値段の面でしっかりと西東京に落ち着いています。頑張っているのはわかりますが今のところは単なる模倣店のそれでしかなく、レンコン串揚げ一本でなんでここまで時間が掛かるのかと少々の怒りが湧き出すのでした。
2015/06/06
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先日の朝霞台での呑みの続きです。朝霞台では昼酒は無理であろうと早々に見切りをつけたはいいものの、果てさてどこに移動したものやら。喫茶店巡りには出遅れたし、大体が東上線は大体の喫茶店は回っているはずです。どうしても再訪したい店もないので、せっかく呑み始めたことだし、武蔵野線沿線を呑み歩くことも脳裏を過るわけですが、軍資金も乏しいことだし、しからば秋津が良かろうということになったのでした。何たることか、S氏は一度も秋津に行ったことがないらしいのでした。それはイカンと急に目的地の定まったほくは気になる喫茶店のある新座を通過して新秋津駅を目指すのでした。 駅を降りて田舎臭い駅前ロータリーをグルリと歩いてみますとすでに開いているお店があるのはさすが秋津というところでしょうか。ところで、知ってる方にとっては何を今更というお話ではありますが、秋津は、JRの武蔵野線新秋津駅と西武池袋線の秋津駅が500m位なのでしょうか、微妙に距離を開けているのは、地元の商店街が反対したとかしないとか。この2駅を結ぶ商店街こそが近頃、雑誌なんかの呑み屋特集をするとたびたび紹介される呑み屋街なのでした。以前、酒場巡りという際限のない深みに落ち込む以前にも何度か訪れていたのですが、それはもっぱら界隈の洋菓子の名店である「ロートンヌ」にてちょっとクラシカルな絶品の洋菓子を求めるためでした。知人も暮らしていて何度か泊まりがけで呑みに行ったこともありますが、さの知人とも今はすっかり疎遠となりました。 ともあれ、まずは新秋津駅駅前の「サラリーマン 新秋津店」に立ち寄っておくことにしましょう。不埒なことにS氏は、秋津ばかりか西武線沿線で安定した人気を誇る「サラリーマン」チェーンを知らぬというのです。しからばこちらも久しぶりなのでご案内することに如くはない。すてにほぼ満席の店内のカウンターになんとか席を見つけ、早速ハイボールを注文します。いきなり腐すようで恐縮ですがこちらのちょっと残念なのが酒類がやや高めなところ。雰囲気も肴も抜群なのにね。魚介ばかりでなく、ステーキなんかも激安かつ旨くてこちらは秋津巡りの最初の店として格好と言いたいところですが、実のところ秋津は大概この価格設定が適用されているのでした。たまには贅沢して―安いけど―エンガワ、ハマグリなどで贅沢して次なる店に移るのでした。 次なるお店は「居酒屋 鳥しん」でした。枯れた佇まいのこのお店もすでに開店しています。暖簾をくぐると賑やかなこの町には似つかわしくない沈鬱とした雰囲気が漂っています。沈鬱な雰囲気、好きです。結構広い店内にはお客は二人だけ。その沈鬱さを打ち破ろうと女将さんは陽気な素振りで闊達に語り、テキパキと行動しますが今ひとつ店のムードを変えるには至っていない。オヤジたちは相撲中継を見るともなしに眺めながらボンヤリと時間を潰しているように思われます。実際これから眠りにつくまではひたすらここで時間を潰すことになるのでしょう。ところでいかにも焼鳥屋の屋号ですが焼鳥はありません。ソーセージ炒めなどのどうでもない肴を出してくれるだけです。でもそれでもいいじゃないか少ないとはいえどおっちゃんたちの居場所はきっとここにしかないのだから、彼らが望むただ時間を潰す場所を提供してくれるだけでもこの酒場の価値はあります。
2015/05/28
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西武線と縁のない方にとっては「もつ家」と言っても馴染みのない店名であると思います。ぼくも通勤経路の途上に西武線があるわけでもなく、半年ほど前までは秋津にある本店を訪れた程度でほぼ縁も縁もないような存在でした。ところがこの半年位の間にフラリと訪れた西武線のいくつかの駅、それも郊外と呼んでもまあ失礼ではなかろうと思われる池袋線と新宿線の合流する所沢駅の周辺に降りた駅の何処にも―実際では必ずしもそうではないのですが、それほどに遭遇率が高い意と解釈してください―、「もつ家」という立ち呑み店があるのを見るとこのチェーン店の成り立ちを知りたくもなるものです。 そんなこんなで今回は「もつ家 ひばりヶ丘店」を訪れることにしました。長く手付かずのまま放置されていた北口にも再開発の波が押し寄せているようで、空き地も目立つようになったその町並みは場末めいた様相をかつてより以上に呈しています。そんな路地裏の狭い通りに店舗がありました。開店の3時まではまだ少し時間があり無残な崩壊をたどっているかのように感じられる町を一巡りすると開店準備が整っていました。これまて、お邪魔したり見掛けたりしたこのチェーン店の特徴は、基本的に居抜きの店舗を利用しているらしきこと、どこも傾きかけた古くてお世辞にも綺麗とは言い難い建物を極力手を掛けないで立ち呑み店としている所にあります。まさにその手作り感に見られる安上がりな造りにこの店の増殖の要因を見出すことはあながち間違いではないはずです。一見したところや)神経質そうな見かけによらずお喋りのお好きな女性店主によると、元あった東久留米店など数店舗は店主の体調不良などで閉店したもののそれでも系列店は20店舗を超えており、うち(ひばりヶ丘店)の他に清瀬、入曽、新所沢のお店は独立して営業しているとのこと。ぼくの好みの店舗は主に後者に傾いています。さて、こちらの店舗は他店よりいくらかお高めの印象はありますが、肴は手頃で使いやすいよい酒場であることに変わりありません。こうした各店に個性のある店ならばチェーンであろうが通いたくなるというものだということを確認して次なる酒場を目指すのでした。
2015/05/20
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東久留米って駅は、西武池袋線の沿線にありますが、町の印象というのが希薄で何度か下車しているはずなのにいつも初めて訪れたかのような印象を受けます。これは町が混沌としていて掴みどころがないという歓迎すべき場合と単に町自体に魅力が乏しいという残念な場合が主な理由のようです。さて、東久留米はどちら側かというとまあ想像通り後者だったわけです。西武池袋線に限らず西武線の沿線の駅は厳密に確認したわけではありませんが、ぼくにとって魅力あふれる駅とそうでない駅が交互に並んでいるように感じられます。なので西武線で呑むとスタートが地味な駅ならいいのですが、古びた町並みを今に留めるような駅を振り出しにして、良い覚ましに一駅歩いてみたりすると次の駅前は関心として途方に暮れるなんてことがあるという気がします。 ともあれ、そんなダメな駅前の東久留米に降り立ち、やはりなんだかやっぱり退屈じゃないかと、地元の方には失礼ながら思ってみたりするのでした。まあ実際のところ住む人にとってみれば、退屈で閑静な町のほうが暮らしやすいのですけどね。さて、北口を出て店舗も少なく寂しいばかりの商店街を進んでいくとちょっといい味のある店構えの焼鳥店がありますが、まだ開店前のようです。待つのも面倒なので、すでに口明けしている「酒蔵 珍兵衛」というお店に入ることにしました。沖縄料理のお店であることが看板から分かります。沖縄の食べ物は大好きですが、東京の沖縄料理店って総じて馬鹿みたいに高かったりして、どうしても嫌な偏見を持たざるを得ないわけですが、選り好みするにしても他に選択肢がないのだからやむを得ません。まだ客のおらぬ店内に入りとりあえずの注文を済ませるとやがて店主らしき若い男が戻ってきます。これから調理なのか、待たされるのは叶わんなと思っていると案外早く料理が届きました。都内の沖縄料理店のご多分にもれず値段はそこそこで屋号のユニークさとのギャップが感じられます。店の方もなんだか客を迎えるというには不機嫌そうで、居たたまれなくなります。あまり長居しないことにしましょう。ところで沖縄餃子とかいったものを頼みましたが、沖縄って餃子なんか有名なんでしたっけ。特に個性もなかったような気がします。
2015/05/04
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西武池袋線のひばりヶ丘は、かつて所沢で勤務していたこともあって何度となく通過した駅ではありますが、下車するのは極めてまれなことで、数年前に喫茶店巡りで訪れるまてはそれこそあまり歩くこともなかったのでした。どうもひばりヶ丘って所沢まであと数駅ということもあり、えらく遠いという印象を抱いてしまうのですが、実際には池袋駅から急行に乗れば20分程度で着いてしまうのだから、都心からの距離という点ではよく行く松戸なんかともさほど変わらぬ時間で着けてしまうのでした。 ともあれ喫茶店を訪ねて町を歩いているとここだと言い切れるだけの規模の呑み屋街があるわけでもないのですが、ぽつりぽつりと良さそうな酒場が見受けられます。機会を伺っていたのもすっかり忘れていたとある土曜の朝に急に思い立って出向くことにしたのでした。どうして呑みたかったのに日中に来てしまったのか、それにすら思いが至らぬほどに近頃慌ただしくて、A氏を誘って快諾を得たはいいものの、ともかくひばりヶ丘に向かうことだけを約し、池袋で合流したのでした。やがて冷静になってみるといざとなれば昼呑みには店に事欠かぬ秋津に行けばいいと思い当たりました。 まずは幾分か再開発されたものの中途にて放棄されたような半端感のある南口を歩くことにします。前回見逃していた喫茶店を見かけますが残念ながらお休みです。更にしばらく歩くと良さそうな風情の「お食事処 ふる里」といお店が営業しているようです。店内に入ると外観を裏切らぬ良いムードです。数名の客がビールと定食を摘んでいるのが郊外のベッドタウンの定食屋さんっぽくて、日頃の慌ただしさを忘れさせてくれます。昼間とは思われぬ暗さが気分を楽にしてくれます。程よく狭く小ぢんまりした造りが落ち着けます。肴は気張った品などなくありふれたものだけですが、こうした店で変わった品なんか必要ありません。昼酒をやっても暖かく受け入れてくれる雰囲気があれば十分です。ことさらに褒め称えるようなタイプのお店ではありませんが、近所に一軒でもこういう店があれば何もやることのない昼下がりにブラリと寄らせていただくのですが、うちの近所には全くないなあ。 線路をわたって北口に移動します。すると線路沿いに「定食 やき鳥 越路」というこれまた古びて小ぢんまりした、外観からはより酒場寄りに思われるお店がありました。カウンター席10席にも満たぬ程度のいかにも線路に接する狭小な土地を無理くり利用したような窮屈さが楽しく感じられます。かつては似たようなお店が軒を連ねたのでしょうか。カウンターの端っこには40年来通い詰めるというご老体がおられ、朝から呑み始めてすでに2軒目とのこと。と言っても眺めていると小鳥のように啄むようにお茶割か何かを召し上がっているようで、呑むというより人との交流を求めて酒場を巡っているようです。こちらもまた特別な肴などあるわけもなく、毎日毎日この場をこの老人のような方たちのために提供し続けて来たのでしょうか。常連は一人ひとり姿を見せなくなり、やがては訪ねるものもなくなる運命を辿るように思われます。そんな頑丈に囚われながらも老人はひとりカラオケに向かい暗い将来など微塵も感じさせず健常ぶりを誇らしげに見せつけるのでした。
2015/04/20
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世の人々はどれだけ町のことを記憶しているのか、ぼくなどはつい最近行った町であってもそれが地名とうまく結びつかないという傾向があるようで、数字なんかは随分昔に暮らした町の郵便番号や電話番号なんかは不思議と淀みなく口に出来るのに、記憶にも得意不得意があるのかしら。なんてことを考えながら難解な映画作家の固有名詞を自らクイズとして設問したところ、アッバス・キアロスタミやらモフセン・マフマルバフ、ユーセフ・シャヒーンなどなどがなんの苦もなく想起するのだから事はそう単純ではなさそう。その一方でマドレーヌで過去の記憶のあれこれが蘇ることもないし、記憶とは全く持って出鱈目なものだと思うしかなさそうです。 さてかつて清瀬を訪れて2軒だけは記憶に鮮明な喫茶店が清瀬駅のそばにあったことはすっかり記憶の外で、「みゆき食堂」という酒場に感動しつつやむを得ない事情で立ち寄れなかった悔しさは忘れてはいません。でもそれが清瀬だったことはどうも記憶する町の名とは結びつかず実は東久留米駅で下車してしまったりとあの町は幻だったのだろうかなどと、思い込もうとするのでした。こんなことはよくあることなのですぐさま気を取り直して隣駅に向かうのですがこれもなんとも心もとない。しかし駅前の風景を見ると一気に記憶の残滓が噴出し、商店街を進むとすぐに何だか琴線を揺さぶりまくった店があったはずだ位の朦朧とした記憶が蘇ります。そしてすぐにそれが誤りでなかったことを知るのです。 ノスタルジックなまさに大衆食堂という構え。夕焼け空にオレンジ色のテント庇が映えています。向かって左がテイクアウトの焼鳥店、右に「みゆき食堂」があります。この日はS氏と西武池袋線沿線をブラブラと散歩することにしていたのですが、互いに疲労が溜まっていたためかあまり長距離を歩くだけの体力も気迫もなく、S氏が近所に親戚が住んでいるんだけど、ほとんど来たことないんだよねなんて言うことを語りつつ、呑むにはまだ早いかという時間に清瀬に辿り着きすでに営業しているこの店を見てしまっては当然お邪魔するしかありません。店内は思った以上に広く赤っぽい照明が店内を常に夕暮れ時の物悲しい印象にしています。しかし、客たちは夥しい程に張り巡らされた品書から思い思いの品を肴に早目の呑みを楽しんでいます。壁にはあらあら『孤独のグルメ』の作家と出演者の色紙が無造作に飾られています。これを見て訪れたらしい客の姿もあって、ここはそっとしておいてもらいたかったなと身勝手なことを思ったりします。われわれはタイミングが良くて隅っこの絶好のポジションを確保できました。人々のさんざめきの中で、これといった話題もないわれわれはここいいねえ、多すぎて迷うねえなどと埒もない言葉を交わすだけです。運ばれた品をゆったり呑んでいると、うちのおばさんはーこのそばに住んでいる親戚のことらしいー若い頃一人でロシアに渡ったりしたエキセントリックな人だったといったことを日頃は寡黙なS氏が語り始めた時、お隣にお客さんが腰掛けようとしていました。なんとそのお一人がS氏のおばさんであったのでした。あまりの奇遇に驚愕します。このおばさんとそのご友人もここを贔屓にしているようで、お薦めというすごいボリュームの玉ねぎフライをご馳走になったのです。 おばさんたちを残し商店街を進んでいくと脇道に「居酒屋 長男」というのがあります。壁だか扉だかに「もつや」とあります。ひばりヶ丘の「もつ家」で聞いていた清瀬に3軒あったもののうち一軒は独立したらしいと教えてくれたその一軒がまさにここのようです。細長いカウンターがずっと奥まで伸びていて、立ち呑みだと一人で切り盛りするのは大変そうだななんてことを思ったりします。この夜はお客もなく静まり返っていて寂しいくらいです。店主も至って無口で黙々と仕事をするばかりです。肴は思った以上にちゃんとしていて安いのも嬉しい。「もつ家」という系列は空き店舗を見つけては居抜きでほとんど内装に手を入れず極力安価に開店に持ち込むという手法で拡大したように思われ、そのさらに前は一体どんな店だったかを店主に尋ねるきっかけもないまま想像を膨らませて夢想に耽るのでした。
2015/04/10
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どういう気の迷いなのか全く想定していなかった東青梅駅で下車してしまいした。通常の精神状態であれば自宅までまだまだはるかな東青梅で下車することもなかったであろうに、疲労と空腹がもたらす想定外の酔いの速さに戸惑いつつもまだ一日を終えるには早過ぎます。この時間であれば武蔵野線を始め幾つかの回り道をするという工夫の仕様もあります。 それはともかくとして勢いで下車した東青梅駅の駅前は何とも言えない寂しさで多少なりとも飲食店はありますが、それも改札を出て表を見渡した範囲内に限られるようです。選択肢もほとんどなかったなかで、ここぞと見きってお邪魔することにしたのは、「鳥の玉串 駅前店」でした。屋号からは焼鳥店であることが予想されますが、果たしていかなる酒場でありましょう。店に入るとカウンターと小上がりがあるごく普通の造りでありますが、それでもなかなかに長い年季のあるお店であるのが一見して見て取れます。カウンターで一人おじさんが呑んでいる以外は、客の姿がなくちょっと寂しいかな。しばらくすると奥の座敷から賑やかな声が響いてきて、実は10人ほどの客があることが分かりますが、それもどうやら店主の家族のようです。カウンターのお隣さんはかなりのご機嫌振りて、しきりとこちらの名物らしき鶏の半身揚げを勧めてきます。揚鶏のお店だったようですね。 揚鶏というと自由が丘や柏なんかにもよく知られた店がありますが、都内近県てはあまり普及しておらずいずこも結構な料金を取られたりするのでー立石のお店は高くもなかったようなー、一瞬躊躇しますが空腹とおじさんの期待に満ちた熱い視線に負けて、注文してしまうのでした。お勧めするだけのこともあって確かにうまい、むさぼるように隅々まで大骨以外はほぼ余すことなくしゃぶり尽くしたら、当のおじさんも店の女将さんも驚くほどでした。値段もお手頃でたまには揚げたのも旨いものです。都内で食べさせる店を調べてみようかな。 さて、この短い旅の最後の下車駅にしたのは福生駅です。さほどテレビで見ていて記憶に残るような酒場ではありませんでした。と言うよりはむしろなんの特徴もない、せっかく青梅線に取材に来たのだからついでに立ち寄っておこうという消極的な理由しか番組を見た限りでは思えませんでした。「酒悦処 みづほ」は、駅からそう遠くない商店街の路地にひっそりとは正反対のあからさまに情緒のない姿で佇んでいます。想像以上にありふれたお店で、その印象は店に入っても変わることはありません。入ってすぐにはこの特段変哲のない居酒屋にそれ程までに長居することになろうとは思ってもいませんでした。元気で陽気な若い女将さんが自ら自虐的に番組で放映されることになった時に、取材の申し込みがあった際うちは代わり映えしませんよと遠慮したそうですが、是非にとの申し出に応じて番組を見てみたら吉田類氏は特に目立った何かがあるわけでもないというような事を店を出てから語ったと、その割には苦々しさもなく、脳天気に語られたのでした。この大らかな女将さんがこの店の持ち味のようです。そんな会話を交わしていたらカウンターに二人だけいた凸凹コンビ風のリタイアおじさんたちが絡んできます。古い映画や小説のことなど見かけによらず博識のようで、昔とった杵柄という事でもありませんが、彼らの話題であれば十分についていけます。そんなこんなですっかり気に入ってもらえたようで杯が空くたびにご馳走してくれて、ひたすらに呑み続けることになりました。おじさんたちも楽しそうですが、ぼくも大変楽しかったです。女将さんはミスタードーナツやらをお裾分けしてくれてツマミにも事欠きません。去り際にはいかにも残念そうにまた来なよと嬉しいことを言ってくれます。いずれまたきっと訪れたいと思います。
2015/03/17
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奥多摩に後ろ髪を引かれますが、楽しみはまたの機会にとっておくことにして、うかうかしていると帰宅できなるかもしれぬ青梅線なので、ひとまずは青梅駅まで退散することにしました。随分とご無沙汰してしまった青梅駅、酒場巡りを始めてからは発の訪問となります。近頃名産の梅が病気でピンチに陥っているという話をニュース番組で耳にしていましたが、最近ちっとも噂を聞かなくなりましたがどうなったのでしょうか。まあ、夜も更けてから訪れるような無粋な人間にとっては梅は眺めるものではなくて食べるものでしかないのだから、実際のところはさほど気にしてもいないわけなのです。かつては都内とは思えぬ田舎臭い町という程度の認識しかありませんでしたが、降り立ってみてこれもまたテレビの情報番組で見かけたような奇妙な町づくりが推進されていたのでした。というのが町中に古いーそうは言っても戦後ー映画看板がそこかしこに張り巡らされているのであって、いかなる縁があるのかはすっかり忘れてしまいましたがどうやら赤塚不二夫のオールタイムベストの映画から選ばれているようです。当時の映画ファンの一般的な名作と呼ばれるような作品ばかりで、ぼくにはいかにも俗に感じられるのでした。それにしても青梅市はこんな半端な郷愁主義で集客を見込んでいるのかと思うとうそ寒い気分です。 駅の周辺には酒場も少なく、一度行きたいと思っていた「もりたや」はお休み のようです。さすれば目当ての「やきとり おでん 銀嶺」を早速目指すことにしましょう。やってます。ここまで来て入れないのは残念なので一安心です。想像したとおりの枯れた酒場で、満席で入れないこともあり得るものと覚悟していましたが、実際に入れなかったら時間を潰すのに結構難渋しただろうと思われます。カウンターの奥には居間のような座敷がありますがここは使われることはあるのでしょうか。いきなりですが便所を借りるとこの座敷の奥にあるのでした。最初はよそ者が闖入したかのような疎外感がありますが、強面ながら実は気さくそのものの女将さんとの会話をきっかけに先客の常連たちともかねてからの知己の間柄のように親しくしてもらえました。青梅の酒場のことーそうそう女将さんは、先ほど立ち寄った奥多摩の老舗酒場のおばあちゃんのこともよくぞ存じらしく元気だったとか奥多摩の一昔前の酒場事情なども教えていただきましたーや鉄道の旅の話題ー隣の常連の爺さんが背後の壁に貼られた国鉄時代の鉄道路線図を指してこれは貴重だろうと自分のもののように自慢するのでしたーなどでしはし歓談してから席を立ちましたが、入った時と顔ぶれはそのままなのでした。 駅方向に引き返して次はどうしようか思案しつつ歩いていると民家らしき木造の一軒家に看板らしきものが見えます。舗装もされていない獣道のような小道を進むとどうやらここは居酒屋で間違いなさそうです。「おふくろの味 お酒処 津(みなと)」というお店でした。引き戸を開けると案外こざっぱりとした清潔なお店ですが、客の入っている様子がありません。奥で休んでいた女将が面倒臭そうに席を立つと注文を聞くと、こちらが話しかけてもいかにも鬱陶しいという表情を隠そうともせず見も蓋もないのでした。奥には座敷がありますが使われていないようで、カウンターの背後には樽がドンと置かれ小上がりとしての機能を無駄にしていますがそれでも差し障りはないのかもしれません。都内山間部の方たちは人懐っこいという印象を持ち掛けていたので、ここの女将さんの応接ぶりには面食らいますがこれはこれでいかにも酒場らしくて悪い気はしませんでした。それに何よりここはロケーションだけでも十分に味わいがあるのであり、それがあればあとはもうどうでも良くなるのでした。
2015/03/16
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桶川でもたもたしている18きっぷの旅 喫茶篇ですが、予定の行程とは大いに違ってしまったもののなんとか目的地の奥多摩にはたどり着くことができました。目的地とはいったもののこれという目的があったわけではなく、近頃めっきりと乗車する機会の減った青梅線に揺られてぼんやりと車窓を眺めること、現地に無事たどり着いたら記念に駅前の酒場で一杯引っ掛けるのが目的と言えるでしょうか。 時間が押せ押せになってしまい、当初の漠然たる予定とは随分違ってしまいましたが何とかかんとか奥多摩に向かう車中を日のあるうちに通過できたのでまずは良しとしましょう。思ったほどには積雪もなく幾分もの足りぬ気分もありますが、ここが東京とは思われぬ山里の風景は目にも楽しく、やはり無理矢理にでも来てよかったなあと感慨を深めるのでした。壊れかけの緞帳がドスンと落ちたかのように突如闇に包まれた車窓でしたが、奥多摩駅が迫る頃に徐々にか細いながらも灯りが見えています。いそいそと駅前に立つと視線の先に呑み屋街があります。改札を出てすぐそこに向かいたいところですが、あえて遠回りすることにします。すると駅を出てすぐ左手にも数軒の呑み屋が軒を連ねていますが、泣く泣く見過ごすことにします。橋の手前まで歩いて呑み屋街に入ると、早速良さそうなのが2軒軒を連ねています。 その一軒はたいそう繁盛しているようです。とてもすぐには入れそうにありません。お隣にしておくことにしましょう。カウンターを開けると、照明が汚れきっているのか、ぎょっとするほどに暗く感じられます。「居酒屋 しんちゃん」というお店だったはず。カウンターのみの店内にはわずか6席ばかりあるばかりで、それも一席を残しては埋まっています。その残りの一席に腰掛けて三岳のお湯割りを頂きました。表の静謐な包まれた奥多摩の山々とは隔絶されたどんよりと淀んだ空気感は、これぞ酒場という濃密さです。まさに日本的ハードボイルド酒場といった雰囲気にあっては肴はお通しのお新香があればそれで十分です。周りの客たちはみな顔見知りのようでしたが、顔を見合わせて語り合ったりせず、女将さんを経由することで辛うじてコミュニケートを交わしているようです。静まり返ったと思うと突然一人のオヤジが何やら呟きドキリとすると、暫くしてからそれに答えたと思われる言葉をいかにも唐突に独りごちてみせるのです。この打ち解け合う風もなく、しかし全く孤独ではない独特の奥多摩の流儀に唖然としつつもどこか惹かれるところがありついつい3杯のお湯割りを頂いていました。 そうそうこの呑み屋小路は柳小路と言うようで、暗く細い通りに10軒ほどの酒場が軒を連ねており、その最古参であるとあとから訪ねることになる青梅の老舗酒場で伺うこととなった「やき鳥 美好」にお邪魔してみることにしました。小上がりにカウンター席が10席ばかりの狭いお店ーというかこの小路の作りから考えればいずれも奥行きのない店が多そうで、ここは割合広い方なのかもしれませんーでした。かなりのご高齢の女将さんがスローモーな、都心の慌ただしくせわしない空の下で呑んでいたら苛々してしまいそうなのんびりとした振舞いが、この都心からそう遠いとは思えぬ町においては相応しいものに感じられ、この上なく贅沢な時間の過ごし方のように感じられます。こちらは先客はお一人だけで、地元の消防署だかに勤務されている方だったかと記憶しますが、ぼくよりも幾つかの年少であるのに女将さんを気遣って時折顔を見せておられるようです。ここは先程の酒場とは異なり穏やかな空気感のお店で、それはいかにもこの女将さんの性格によるもののように思われ、暖かなその人柄に触れていると欲張ってあちこち移動せずにこの店で時間の限りを尽くしたいという気にもなりますが、あまりに女将さんを独占して話し込むのは常連さんに対して傲慢な態度と思われたので、きっちり3杯呑んだところでお暇させてもらったのでした。 このかつては悪所であったに違いないこの小路には、まだ他にも数軒寄りたい酒場がありますがまたの楽しみにとっておきます。あと、駅そばの小路の酒場も楽しみです。
2015/03/09
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「もつ家」を出ますがくたびれていたので、もう一軒、次は座れる店を探してみることにしました。駅周辺は案外賑やかで探せば良い酒場もありそうですが、探し回るだけの元気がありません。これまた秋津駅にある「サラリーマン」という酒場もありますが、真新しくて混雑するのが通りの対面からもはっきり確認できたので、やめておくことにしました。 横着して久米川駅の正面の最高の立地に店を構える「やきとり ろばた焼き むらやま 久米川店」にお邪魔することにしました。かなりのオオバコでかなりの盛況ぶり、人気店のようです。ろばた焼きの店といえばカウンターの向こうに焼き場があって、しゃもじのでっかいので差し出されるスタイルかと思うのですが、ここはそんな伝統は関係ないみたいです。土曜の夜なのにぼくと同じく孤独な呑みに徹する客も多く、居心地はけして悪くない。里芋のコロッケを頼むとこれが大変なボリュームでー値段も安いー、しかもおいしいものだから、肴はこれだけで充分。ついだらけてしまってマンガなど読んでしまいました。見渡すと独り者の同士たちも皆各々一人の時間を楽しんでおられるようです。ちなみに箸袋の情報によると新所沢店、航空公園店とやはり西武線ローカルの酒場は何処もハイレベルなのであるなあと感心するのでした。 さて、そろそろ東村山に向けて歩き出すことにしましょう。やたらと複雑に交錯する道路をだるい体を引きずりあげるようにして歩道橋を渡り、しばらく歩くとまだまだ東村山駅には遠いところに、見過ごすことのできない酒場を目にしてしまいました。今思うと、自分の現在地さえ定かでないこんな場所で寄り道してしまって、果たして自宅にたどり着けるのかという不安に駆られなかったのが不思議なほどです。 「居酒屋 みっちゃん」がそのお店。こんなバラック風の店舗を見てしまっては、見過ごすことなどできないというものです。思った通りのカウンターだけのお店です。お客さんは2、3名ほどがいるだけでちょっと寂しいかも。それでもぼくが席に着いたのとほぼ時を同じくして脇の入り口からご老体が入って来られ、それを契機に次々とお客さんが入り、あつしかほぼ席が埋まっています。お隣になったご老体は大きな袋を下げており、店の方に渡されました。そうそうお店は母娘のお二方でやっておられて、この上ないほどにフレンドリーで楽しい方たちです。そんな明るい可愛らしいお二方は常連の皆さまに愛されているようです。ところで袋の中身は早生のミカンでたまたま散歩中に見かけたので店派のお土産にしたとのこと。ぼくも数個ほどご相伴させていただいたのですが、こんなにミカンのことを美味しく感じたのは一体何年ぶりのことでしょうか。店の暖かな雰囲気ばかりが記憶に残り、正直何を頂いたかなどまるで覚えておらず、写真から推測いただくしかありませんが、間違いなく美味しかったということはぼんやり思い返すことができます。店を去るときには、店のお二人やご老体にまた来てねと口々に声を掛けられ、これ程まで後ろ髪を引かれるお店はめったに出会えないと感じ入ったのでした。ところで、いろいろお話した中で記憶している数少ない情報をひとつ、「やきとり ろばた焼き むらやま」の2階にかつて喫茶店の「パール」というお店があってよく通ったということを伺いました、どんなお店だったのでしょう。
2014/12/17
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先日の初めて歩き回った八坂駅界隈が楽しかったので、またまた高い運賃を払って、東京の端っこまでやって来ました。今回のスタート地点は西武多摩湖線と拝島線の乗り入れる萩山駅です。車窓からの眺めを見て、すぐさま下車するのを断念しようかという思いが脳裏を過ぎらずにはおられない何とも無残なまでに探索しがいのなさそうな光景が広がっているのです。団地のただ中に駅があるみたいなもので、躊躇われるのも無理からぬところとお察しいただければ幸甚なわけですが、今回下車しないと金輪際この町を訪れることはなかろうとの思いから意を決して改札を抜けたのでした。 改札を出ると、絶望の予感が現実のものとなりました。団地商店街があるのではなかろうかという淡い希望も絶たれてしまったようです。駅前には数店の商店があり、かろうじて2軒ほど居酒屋さんもありましたので、大衆感のある一店に入ってみることにしました。店頭では、怖いくらいの静寂に包まれた駅前で、一人この静寂に挑むかのように大きな声で呼びかけるおじさんがいました。藁にもすがらん気持ちで店内に入ると、まっすぐ奥に伸びる20人は並べそうなカウンターにお客さんはただ一人だけ。しかもその客はすぐに席を立ってしまい、ほぼ一人きりでお店の方3名を相手にせねばなりません。無言でオーダーを要求する視線を必死で跳ね返し、可もなく不可もない、まるで印象に残らぬ焼鳥を手繰りながら、もはや読書する気にもならず、黙々と呑んでは食べを繰り返すだけの機械じかけの人形に徹してしまうのでした。やがて一人の女性客がやって来たので、これ幸いと席を立つのでした。「居酒屋 おつかれさん」というお店です。この店名は客に気疲れさせておつかれさんということなのかしら。 単調な眺めの続く団地を通り抜けると続いてはさらに暗い住宅街を進みます。やがて線路が見えてきました。ここまで来てようやくホッと一息つけました。この線路はきっと西武新宿線のもので、先には久米川駅があるのでしょう。久米川駅は、先般の八坂駅から伸びる商店街の帰着先で、案外賑やかなことは確認済みです。おっ、ちょうどいいところに近頃頻繁に遭遇するようになった立ち呑み店があるではないですか。 「もつ家」です。このチェーンは、西武線沿線を中心に10店舗近くを展開し、本店は酒場激戦区の秋津駅の呑み屋街を牽引する一店です。いそいそと店に入ると何たることか、ここも客はお一人しかおらぬではないですか。でもこのなんだか素人が日曜大工で適当に組み立てたような適当な店舗では、空いていてもけして不安な気持ちにならないのが不思議です。思い違いかもしれませんが、よその店舗よりもさらに安さと肴の豊富さが勝っているように思われ、ガラガラの店内で感慨に耽っていると、新規の客がやって来ました。この人がなんだかすごくて、本ばかりでなくゲーム機などのいろんなヒマつぶしグッズを持ち込み、あたかも自宅で呑んでいるかのようなリラックスぶりなのです。店のおばちゃんも常連なのか、あまりいい顔はしておらずとも口出すことはありませんでした。確かにここの値段と味は、近所のスーパーや惣菜店で買ってきて呑み食いするよりずっとお手頃でしょうけど、ちょっとやり過ぎな気もします。それにしても「もつ屋」、頑張って池袋にも進出してくれないものかと願わずにはいられないのでした。
2014/12/16
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八坂駅というのは、西武多摩湖線という沿線住民や通勤、通学者以外はそうそう利用することのないように思われるローカルな路線であると思っていました。そんな沿線のひと駅が八坂駅で行くまではどんな寂れた町が待ち受けているのか不安だったもののこの辺は同じ西武鉄道の新宿線や国分寺線、JRの武蔵野線が複雑に交錯する場所で案外混沌とした町並みをなしていることも期待されます。しかもここは東村山市で一応は東京都内だったのですね。ここらへんの路線は乗ったことはあってもほとんど下車することもなく楽しみです。 日中は、多摩湖線の始発駅の国分寺駅からほぼ沿線に沿っていつものように喫茶店に寄り道などしながら歩いてきましたが、八坂駅の迫る頃には、日も傾いてきていましたので、そろそろくたびれたし、一杯引っ掛けたい気分が膨らんできました。そんな時、都合よく5時前なのに店を開けてくれている一軒の居酒屋に遭遇しました。家を出る前には、東村山駅まで頑張ってそこで呑むつもりでしたが、古めかしい小さな一軒家の店舗を見てしまった以上見逃すことはできません。しかも屋号もお誂え向きに「居酒屋 やさか」とは、うまくしたものです。さて、店内に入るとオヤジさんがあ独り仕込みに余念がありません。店の枯れた様子をつぶさに眺める僕のことに気づいたのは、ひと息ついて腰掛けているぼくの視線を認めた時です。慌てるでもなくいらっしゃいと、声を掛けられ、飲み物をお願いします。カウンターに小上がりと狭いお店ではありますが、店主一人では丁度よい広さです。ぼくに酒とお通しを出すと堰を切ったかのように質問攻撃です。正直うんざりした気分でしたが、喋りを引き出すのが上手で適当なタイミングでコメントを挟んだりとなかなか達者な喋りです。店の歴史を尋ねると40年にもなるそうで、線路の向こうに1年早くからやってる店があるということを聞かされますー後ほど通ってみたのですがそれらしい店は見つからずー。肴をあれこれ勧められますが、あと数軒寄ってくからと遠慮しました。お通しが立派だから。この店をひたすら40年通い詰めた常連にお会いしてみたいとも思いましたが、そんな客はもはやいないなかも知れません。 駅を越すと思いがけず立派な商店街がありました。まっすぐ進んでいくと「とり幸 本店」というテイクアウトの焼き鳥店があります。なんとはなしに眺めると脇に扉があります。中では呑んでる人たちもいるようです。作業着姿のけして人相の良くない客たちがずらりと並んでいて、かなり人相と柄が悪い雰囲気ですが無論入ってみることにします。まるまる肥えた店長と品のいい女性が店をやっています。カウンターの台の上に大皿というほどでもないさらに何種か惣菜が並んでいて、定番のキムチなどと組み合わせて3品選ぶおつまみセットがお得です。たまたま掛けた席の両脇はとりわけ、おっかない顔をしていますが、むっつり押し黙って害はなさそう。あゝ、手軽に楽しめていい店だなあと思い始めた頃、お隣が退院間もない女性客もやって来て、今晩から復帰なのと間違いなく水商売の方なんでしょうが、商売前の景気づけに愛用されてるようです。こんな店が、どんどん増えればいいのにと、八坂も悪くないなあなどと来るまでの気乗りしなかったことなどどこへやら、勝手な感想を抱くのでした。ところでこちら2階もあるらしく、団体さんもOKだとか。
2014/12/09
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吉祥寺は、便もいいのでちょくちょく立ち寄りますが、その割にはここぞと言う気に入った店のない町です。喫茶店もそうですが、古い店が通うたびに次々と姿を消していくのが耐え難い虚しさとなり、来るたびに暗澹たる気分にさせられます。東京ではじめてオールナイト上映を見た吉祥寺松竹ーでよかったかしら? 加藤泰の松竹で撮影した大作3本立て!ーは閉館して久しく、かつてしばしば通ったバウスシアターまでもが閉じたとあってはもはや吉祥寺には未練がありません。 昭和47年創業と吉祥寺では老舗となる「玉秩父」も、古参ではあるらしいのですが、その店舗は改装を重ねているようで、格別の感慨をもたらしてくれるものではありません。どうせならカウンターでじっくり呑むべきかとも思ったのですが、そこはこれだけは老舗であることを感じさせる高齢の常連たちの指定席となっているようです。当然顔見知りであるのでしょうが彼らはひたすら押し黙って、視線を動かすことなくひたすらどこか一点を見つめている姿が印象的で、諦念すら感じさせる寂しさにこの酒場の本質があるのではとこちらまで沈鬱な心持ちになるのでした。 それにしてもこの写真はいったい何なのだ。相当にべろべろになっていたようです。こんなの載せてもしょうがないですが,まあせっかくなので酔っ払った記録として残しておくことにします。
2014/11/08
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あまり下車したくない、いや何度か降りたこともありますが再開発の進む愛想の欠片もない町という印象ばかりが先立ってしまう立川の町ですが、正直じっくりと散策するのはー実際は仕事絡みなので時間制限があったのですけどー、はじめてのような気がします。悪い印象が前提なのでこれ以上悪くなりようがないのは心強いことです。到着後すぐに用件を済ますまで、少し時間があります。すぐにちょっと良さそうな喫茶店が見つかったのでまず一軒、仕事を終えて呑み会が始まるまでもう一軒、喫茶店によることができたのはついていました。 最初は「コーヒー&パスタ ロビン」です。真鍮フレームに茶色の合皮クッションのスツールが整然かつズラリと並んでいて地味ではありますが結構好きなタイプの喫茶店でした。リラックスできる洋風食堂の趣でした。 次は、駅前のペデストリアンデッキの先、階段を降りた目の前のビルの地下に「珈琲 はなや」はあります。緑のテント看板が目には眩いものの一瞥しただけで古いお店であることは明らかです。店内もオールドファッションで落ち着けます。コーヒーはいい値段ですがこの雰囲気を求めてか、なかなかの入りです。再開発の波にも晒されず、頑張り抜いていることに頭が下がるのです。 呑み会までまだ間があるので酒場放浪記でも紹介されたらしき昭和20年開店という古いバーを訪ねてみることにしました。駅北側の都心よりの線路沿いはかろうじて昔からやっている古いお店が健在のようです。ところが探せど見つからず、観念して、どこかのなにがしかのお店の呼び込みのをする娘さんに聞くとビル飲食店まで案内してくれて、店名が列記されている看板を示してくれました。礼を述べて確かに「スタンドバー 潮」とあるのを確認、果たしていかなる地下飲食街かと胸踊らせて階段を降りると、そこはいきなりのチェーン店らしきお店の入り口となっています。他に階段を探しますが見当たりません。どうやら地下の飲食店街はそっくりと一軒のチェーン居酒屋に取って代わられてしまったようです。 時間も過ぎてしまったので会場である「大衆酒場 あま利」を目指します。ここも先の2店の最寄りであるため迷うまでもなく到着します。大衆酒場という触れ込みにもかかわらず、店はまったくそれらしき雰囲気はなくこざっぱりした和食店のようです。1階は塞がっていたため、地下に案内されます。地下は靴を脱いでの小上がり席となっています。なんか失敗したなあと思いますが、もう一軒、目星を付けておいた居酒屋が満席でとても入れそうにありませんので、仕様がありません。まあ金曜日ではこんなものでしょうか。8名のグループなのに予約もしなかったのは、急なこととはいえ、無鉄砲でした。酒は人数が人数なので焼酎をボトルで注文します。若者が酒も世話をすることになりますが、今時の多くの若輩はこうした作業をけして厭う訳ではありませんが、焼酎が多すぎたり少なすぎたり、何度かお替りを繰り返しても、加減を覚えられず叱責されたりしています。ぼくは無論自分で注ぎます。いつもお前ばかり濃い目に作るンだよなと嫌味の一つや二つはいつものこと。いろいろかったるいことではありますが、たまには賑やかに呑むのも悪くありません。 予定外に長居して皆いい具合に酔っ払ってしまいました。ぼくもご多分にもれぬわけですが、せっかく遠路はるばるやって来た立川でこのまま引き上げるのはもったいないというものです。初めお邪魔するつもりだった「玉河」を再び覗いてみました。いい時間だし、一人ということもありすんなり入ることができました。かなりのオオバコで活気に満ち満ちています。掻き分け掻き分けしてようやく店の奥のカウンターに辿り着いたのは、結構酔っ払っていたためでしょうか。正直ここで何を頂いたのやら記憶にないのですが背中越しに喧騒を感じながら独り酔い潰れるのも何だか愉快に思えるのでした。
2014/10/02
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とある地方都市からはじめて上京したその夜、今は無きとある映画館でオールナイトを見たことで思い出深い町として記憶されています。そのとき観たのは加藤泰が松竹で監督した高橋英樹主演の三本立てだったことを今でもついこの間のことのように思い起こせます。かようなこともありぼくにとっては吉祥寺と加藤泰は分かち難い記憶として結びついます。ここで私的な思い出を述べてみたのは近頃吉祥寺は住みたい町のランキング一位をずっとキープし続ける一方で加藤泰はすっかり忘れられた存在になりつつあります。このことがここまで酒場とはあまりかんけ関係そうな話を続けてきた大きな理由なのでした。言いたいことは一つ、加藤泰の映画を観たことのなない方是非ご覧ください、と言うことを言いたかったのでした。 最初にお邪魔したのは「もつ焼 カッパ」です。中央線沿線、例えば荻窪なんかにもありますが、きっと何らかの関連はあるのでしょうが寡聞にも聞いたことがありません。駅の南口、井の頭公園側からすぐの場所にこの酒場はあります。ハモニカ横丁同様に周辺の景観こそごちゃごちゃとした猥雑さが感じられるものの近寄ってみると存外新しいのがやや物足りないところ。昔ながらの情緒を活かそうとする意図は汲めるもののわざとらしさがもたらすしらじらしさは否めません。さて知人のF氏と合流しますが既に店内をぐるりと囲む大きなカウンターには座る余地はありません。辛うじてカウンターを挟んで壁側が立ち呑み出来るようになっています。窮屈なそのスペースは店内が見渡せて案外いいポジションでしたがやはりせわしない気分にさせられます。そこそこうまくて、そこそこいい値段のもつ焼をさっと摘んで場所を変えることにしました。 実は吉祥寺に来るまでに結構な量を呑んでいたため、早くもいい気分。酔いざましをかねてのんびり物色をしていると何処かで見たような酒場に辿り着きました。「酒房 豊後」なる居酒屋で「吉田類の酒場放浪記」や『東京 横丁の酒房』などでも紹介されていたようです。昭和33年開店とかなりの老舗店です。戦後まださほど間もない時代の開店という事はまだハモニカ横丁なんかもヤミ市そのものの危険な表情をたたえていたのでしょうか。この酒場や周辺の当時のことなど伺いたかったのですが一見の身としてはそれも憚られます。いずれ戦後すぐの創業と知ったのが帰宅後でしたし、平成18年に移転されたそうで年季を感じさせてくれるのはカウンターにずらりと並ぶ高齢者たちばかりと合っては、尋ねる何事も浮かばなかったことでしょう。黙りこくる高齢の常連を眺めているとひたすら気分は重くなるばかりでやはり激しく痛飲してしまったのでした。
2014/05/27
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またまたやってきました府中の町。今回の目的はこれといってなかったので、呑み屋横丁にあるという「吉田類の酒場放浪記」の訪問店をハシゴしてみることにしました。近頃めっきりこの番組のお店に寄ることが強迫観念のようになっており、何度も言うとファンの方に叱られそうですが、外れのお店も多くどちらかといえば早々にノルマを消化して、とっとと自分の目と感覚だけで酒場探しをしたいというのが本当のところです。前回見た通りに府中駅南口駅前のヤミ市の名残はすっかり姿を消してしまい、数軒は営業を続けていた店舗もすっかり解体の養生に囲まれてしまっています。けやき並木を渡り、府中街道まで伸びる細い呑み屋横丁だけがなんとかボロ酒場好きの気分を癒してくれるようです。まずはこちらにあるという酒場を目指すことにします。 ところが通りがかりに見掛けた「やきとり としま」は「吉田類の酒場放浪記」に出ていなかったとしても間違いなく立ち寄ってしまいそうななんとも味のあるお店でした。昭和42年頃の開店とのことなので、すでに店の歴史は40年以上、店舗も当時のままをでやっているのではないでしょうか。店内もすっかり古びた風情を醸しております。お客さんたちも定年間近と思われるオヤジグループが小上がり席、何やら怪しげな商売人2人組がカウンター席にいます。奥のカウンター席に落ち着くことができました。ところでこの酒場、他の老舗酒場にはない違和感があるのです。それは店の方たちの顔ぶれです。店主が案外若かったのはともかくとして、その奥さんにしては若すぎるきれいな女性が気になります。また、配膳を担当するのは女子高生かしらと思われるほどの若い娘さん。このお二方がなんとも魅力的なのでした。ぼくがもっと若くて近所に住んでいたとしたらこのお二人目当てに通いたくなったはずです。それにしては若い客が少ないのはどうしたことでしょう。さて、こちらのお店、焼鳥屋さんではあるのですが、どういうわけだか沖縄の料理が豊富で泡盛もあります。職場の同僚の巨漢のM氏は府中在住で加えて沖縄をこよなく愛する人物なので、この酒場に足繁く通わせて店の女性と親しくなってもらった頃に改めて伺いたいものだと密かに思案しつつ呑んだのでした。 横丁の通りがかりに見掛けた「大定」は大盛況ですぐには入れそうもなく、後から寄るつもりでした。そういうわけで引き返しながら店の前に立つとすでに暖簾が仕舞われてしまっています。よくよく観察していなかったのでこの店は暖簾を店内に下げるスタイルかもしれぬと随分調子のいい考えで店に入るとあらら早くも閉店するとのこと。なんとも大繁盛店ですね。ここへはいずれまた並ぶことを覚悟してやって来ねばなりません。これほどまでに繁盛する理由をぜひとも確認したい。というわけで、やむを得ず解体現場をぐるりと巡ってもしや営業を続ける店舗がないものかと歩いていると、これまた酒場放浪記で放映された「居酒屋 磯吉」が仮店舗で営業中との掲示を見掛けたので、行ってみることにしました。 昭和52年創業という風情もまるでなく、「大定」の裏手の京王線ガード下にて営業をしています。とんでもなく繁盛していて、ちょうど入れ替わりでお客さんが出てこなければカウンターに独り入り込むことさえ至難であったかもしれません。窮屈なカウンター席に身を細めて腰掛けます。ものすごい賑わいで注文さえままならぬほど、ようやく若いおねえさんにオーダーを通してもくつろぐ余地はありません。店の方は若い人が多くてみな疲れ切っているのかぶっきら棒で愛想も全くなく憮然とした気分で虚しく酒をすするばかりです。長いカウンター席があって独り客向きかと思ったのが間違い、ここはどうやらグループで来るのが無難なようです。でも確かに肴は豊富で味もボリュームもなかなかのもの、特に煮凝りが気に入りました。混雑時にはつまみやすいのでいい選択でした。それに比べると酒はやや高めだなあ。それでも大衆的で活気のあるお店でした。今更ではありますが以前の店舗で呑んでみたかったなあ。
2014/04/21
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