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日本が超高齢社会に突入して久しくなりました(ちなみに1970年に高齢化社会、1994年に高齢社会、2007年に超高齢社会へと突入)。ぼくもそう遠くない未来に社会の構成人員の多数を占めている老人の仲間入りをすることになります(ってまだまだ定年という仮のゴールに至るまでかなりの歳月を要するのですが)。ぼく自身は、老後に足を踏み入れることを悲願していて、今や遅しとその時が到来するのを待ち構えていますが、実際、例えば50歳の人たちというのは、年を取ることをどう考えて炒るのでしょう。ぼくはついさっきも言ったように、仕事から解放されて気ままな毎日が過ごせるのを悲願していますが、人によっては老いることを嘆き、恐れているといったこともあるのかもしれません。老いることに対するネガティブなイメージは様々ですが、その理由の根底には孤独感があるんじゃないかって思うのです。老後に暗いイメージを抱く人というのは結局孤独が嫌だから暗くなるんじゃないのか。ぼくも一人暮らしをしていた若い頃にはいっぱしに孤独を感じたりもしていました。ぼくの知人で50歳でファイヤしたのがいて、彼は今でも独り暮らしを続けていて、たまにぼくと呑む以外は病院や買い物のため退出してその用件を済ます際に言葉を交わすといった、世間的な視線では極めて孤独そうな日々を過ごしているのです。が、当人は至って平気で、やはりぼくと同様に若い時期は孤独を感じることもあったみたいですが、今はそんな感情も失ってしまったと語ります。ぼくもそれはなんとなく分かるんですね。若い頃には将来に対する漠とした不安があって、その不安な感情が孤独を喚起するって向きがあったけれど、ある程度の年齢になってそれなりに蓄えもでき、将来の目途がある程度立ってくると不安が弱まるとともに孤独感も薄まってきたような気がします。また、ぼくなども超高齢者となって久しい両親の住む実家に行っての別れ際などはそう遠くない未来に別れが来ると感じてそれが孤独をもたらすのですが、実際にいなくなればそうした感情はわかなくなるんじゃないだろうか。 ってなんでそんな話をしたかというと、町屋の中心からちょっと外れた住宅街にある「御食事酒処 弾」で、かなり年老いた女性が2名、カウンター席でちょっと呑みつつ食事を摂っているのを見掛けたからです。お二人はぴったり寄り添って、時折言葉を交わしているけれど、たまに眺めてみても食事や飲み物にはほとんど手を付けるでもなく、ぼんやりと過ごしているのです。不思議なもので自分のことを孤独と感じずともそうした見知らぬ他人に孤独を感じることはあるのですね。将来的に一方が亡くなる時が訪れるはずですが、その場合、ぼくには残される側こそ気の毒に思えたりするのでした。こうした光景は今後、日本のそこかしこで目にすることになるのだろうなあ。その一方で若いアベックが旺盛な食欲でカレーライスなどを平らげていたのですが、彼らの視線の先に老婦人たちは収まることがあったんだろうか。ぼくが彼らの年代には未来への不安を払拭しようと馬鹿みたいに酒を呑んでいたけれど、今の若者は不安という感情が欠如しているように思えることもあります(そんなことはないことは分かっているのですが)。ちょうど中間の世代のぼくたちは死期を迎えるには(恐らく)まだまだしばしの猶予がある訳で、もっとも呑気なのかもしれないなあなんてことを思うのです。さて、こちら、酒も肴も思ったより3割増しの価格帯で、食も以前よりは細くなっており、かといってお財布事情はボチボチだから、最低限の肴で酒ばかりはお代わりが進んでしまうのでした。店の方たちは真面目そうな若者2名でありましたが、どうも若者らしい覇気が感じられないのです。誤解があるかもしれませんが、特別旨いものを食わせようということもなく、特別安価に呑ませようというでもなく、3割程度の客の入りでもまあいいかなあって感じは、集まる客の世代のバラツキにも感じられます。繁盛店を狙うなら、ある程度利用客層が絞られるはずだろうしねんて思ってしまうのです。でも少なうとも超高齢者たちの居場所を提供してくれているのはいずれ我々も有難いことと感じるようになるのかもしれません。
2025/11/24
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子供の頃、将来就きたい職業には事欠かなかったのです。あくまでも「就きたい」だけなので、実際にそうなるための努力を払ったことなどなくて、月替わりのように「就きたい」職業は変遷したのです。それを揚げていくとキリがないので、特に変わった職業をひとつだけ告白しておくことにします。それは力士になるというものでした。ぼくは小学生になる頃からぽっちゃりし始めて、高学年になると軽度の肥満児となっていました。それも相撲取りになりたいと語る一因とはなったような気もします。先ほど告白と書いたけれど、事業参観だかなんだかで将来なりたいことってな発表をさせられて、そこで堂々とお相撲さんになりたいって発言をしたのだから、少しも秘密ではなかったのです。発表前夜まではマンガ家になりたいと当時の先生には語っていて、いざ当日になって相撲取りになりたいなんて言うから先生も驚いていたことを薄っすら覚えています。その夢はすぐに映画監督だったり小説家なんて夢に上塗りされることになるのですが、力士になりたかった真の理由は龍虎のようになりたいって思ったのがきっかけでした。かつて『料理天国』って番組が放映されていて、そこで龍虎が旨そうなものを旨そうに食らっていたのが実に羨ましかったのだ。食べっぷりは良かったけれど、ガツガツ食らうって感じじゃなくて、ちゃんと味わって食べてる、しかも食べ慣れてるって感じで、小結で現役生活を終えた勅使でこれなら横妻になればどれほどの豪勢な料理が食べられるのだろうと想像するだけでも憧れるのに十分な理由があるのだった。つまり力士になると旨いものが食えるんじゃないかって安直な理由だけが力士になりたい理由だったのだから、そりゃまあなりたい職業がいくらあっても不思議じゃない訳です。こう書くと今回のテーマがちゃんこ料理屋だったり、元力士のやってる店だったり、力士たちが贔屓にする店って方に話がいくべきなんだろうけど、そうはならないのでした。 今回お邪魔したのは日暮里駅から西日暮里駅に向かう通りの踏切近く店を構える「こまつ」です。ここの店が放つイメージがたまに行くならこんな店っていう感じでなのです。料理番組好きならご記憶かもしれませんが、「たまに行くならこんな店」っていうタイトルをもつ料理番組の一コーナーがあったのですが、これが龍虎の出演する『料理天国』のコーナーだと勘違いしてしまったのです。が、よくよく考えてみるとこのコーナーは『料理バンザイ!』の番組内のコーナーだったのだ。だから前段の文章は後段とは勘違いでのみ繋がっているということになる。まあ、書いてしまったから残したまでとご理解頂きたい。といった訳で、かねてより「たまに行くならこんな店」かなあ、と思いつつ眺めてから早10数年となったけれど、未だ行けていなかったのだから、ぼくにとっての「たま」というのは寿命通り生きられたとしても人生で4度行けるかどうかという程度になる。なんとも寂しいものであります。しかしまあ家庭料理だって、少なくともそこらの普通の店で食べるものよりはずっと美味しいのだからまあ良しとしよう。贅沢を言い出すとキリがないのだからと自らに言い聞かせて過ごしてきたのです。こちらのお店は、店内もかつて見た料理番組で登場しそうな上品な店内でありますから、結構なお値段を取られるんじゃないかと思っていたけれど、品書きを眺めてみると毎晩どころか週に一度でもぼくの小遣いでは無理があるけれど、少なくとも20年に一度の店ではなく年に1、2度位ならそう財布の心配をせずに来られそうなので少し安心するのでした、いくらご馳走になるとはいえどもね。冷静になると店先にメニューが掲げられている位だからそう杞憂するまでもないことは分かるはずだったのだ。立派なお通しに始まり刺身などを食べ進めるといずれも実にちゃんとしていて、むしろお値段に比してお得感を感じる位であったのだ。さて、黒板メニューには定番通り季節のお勧めの品が記されているのであるけれど、ぼくは大概そこに記されているのは時価的な価格帯のものが多いから見て見ぬフリをしていたのだけれど、この夜のスポンサーが、土瓶蒸しって食べられるって聞いてきたのである。食べられるって聞かれてもねえ、ぼくの記憶では食べたことがあるようなないような、いや多分食べたことはあるけれど、もういつ食べたか覚えてない位に久しいのだから、ここは当然、食べられるって答えるのだ。食べた覚えはほぼないけれど、食べ方はよく知っている。たまに行くならこんな店でよくお目に掛かっていたからね。食べ方は覚えていても味や香りはまるで初めてのように思われる。つまりは余りに旨くてうっかりこれだけで清酒2杯を呑み干してしまったのでした。当然、松茸の薫るだしもちゃんと呑み切ったのでした。たまに、いや松茸の季節だけでもいいからまた行きたいなあ。
2025/11/23
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つい先日まで大根が不作で高くなるって話を聞かされていました。でも今日の朝のニュース(11/7)を見ると、全く逆になっていて豊作となっているばかりでなく、生育も大変よろしくて通常の1.5倍にもなる立派な大根が育っているそうな。でもぼくの身近なスーパーなんかにはその影響は及んでいないし、立ち呑みのお母さんの話でもまだまだお値頃感は感じられないようです。それは未だにおでんの大根の150円という価格に現れています。テレビのニュースではお馴染みスーパーのアキダイでお買い得との報道もされているけれど,同じ都内なのにその差は何なんだろうなあ。同じ都内でそれ程価格が違うってのも不思議だなあ。と語りつつ、実のところ、常日頃から疑問に思っていることがあるのです。ぼくんちの近所は徒歩数分圏内にはスーパーマーケットは2軒しかないのですが、野菜や鮮魚関係の値段がバラツキまくっていて、不可解極まりないのです。両店は自宅からA店を経由してB店といった位置関係にあるので、時間と時間帯に余裕がある時にはA店でざっとチェックした上でB店に向かい、買い物を済ませて場合によってはA店に再び寄るといった使い方をしていますが、同じ野菜でも価格差が随分開きがあったりするのです。これってどういうことなんだろうなあ。一方が大型系列店でもう一方が独立の小売店ってこともあるんだろうけど、仕入れ先に違いがあるとしても明らかに価格差があれば売れ残るだけのような気がするのだけれど。小売店側は仕入れた以上は棚に並べざるを得ないだろうけれど、大型店であれば他店舗と融通を利かせ合うこともできそうですが、そうもいかないのかなあ。農家と直接契約していて価格も契約に縛られて高値で販売せざるを得ないってことなんだろうか。まあ、何でも高額な現在にあって比較できる店が身近にあるのはまずはラッキーだと思った方がいいんだろうなあ。そのうちこうした実店舗も減少の一途をたどるんでしょうね。大根のミネストローネ【材料】ふろふき大根用の大根・玉ねぎ(1cm角)・セロリ(1cm角)・ニンジン(1cm角)・じゃがいも(1cm角)・トマト水煮・オリーブ油・にんにく・水・顆粒コンソメ・ドライタイム・塩・胡椒・粉チーズ 適宜【作り方】1. 鍋にオリーブ油を熱してにんにくを炒める。玉ねぎ、セロリ、ニンジンを加える。じゃがいも、トマト水煮、水、顆粒コンソメ、ドライタイムを加えて煮る。大根を加える。塩、胡椒を加える。皿に盛って粉チーズを散らす。 大根を大量にふろふき大根用に下茹でしたもののすぐに飽きてしまい、かように展開したようです。もう随分以前に作ったのでよく覚えていないけれど、大振りの大根ってやっぱりちょっとワクワクします。大根のペペロンチーノ【材料】スパゲッティ(茹でる)・大根(棒状) 100g/にんにく 2片/オリーブ油 大さじ1.5/赤唐辛子(輪切り) 適宜/水 80ml/塩 小さじ1/2/酒 大さじ1【作り方】1. フライパンにオリーブ油を熱してにんにくを炒める。赤唐辛子、大根を加える。水、塩、酒を加えて蓋をし、弱火で3分蒸す。火を止めて3分蒸す。パスタを加えて加熱する。塩、オリーブ油を加える。 江部敏史氏なる方のレシピ。っていう程のものでもない気がしますけど。こう言ってはなんだし、大体想像はしていたけれど、いかにもパンチが足りないのでありました。大根マヨ醤油【材料】大根(皮を剥く/5㎜厚半月切り)・醤油・マヨネーズ・一味唐辛子【作り方】1. 皿に大根を盛って醤油、マヨネーズ、一味唐辛子をかける。 大根サラダは千切りやら短冊に切ってドレッシングでもマヨネーズでもいいけれど、きっちり和えるのが一般的ですが、これは大胆に大根にいきなり調味料をかけてしまう式です。大根とニンジンとひき肉の煮付け【材料】大根(銀杏切り/下茹で)・ニンジン(銀杏切り)・合びき肉・生姜・だし・酒・みりん・砂糖・醤油 適宜【作り方】1. 鍋にだしを沸かして大根、ニンジン、合びき肉を加える。生姜、酒、みりん、砂糖、醤油を加えて煮る。 なぜか、うどんにのっけた写真だけが残っていました。ともあれこれまで大根は色んなレシピを試してあれこれと作ってきたけれど、結局、こういう地味な煮物もしくはおでんが一番なんだろうなあ。
2025/11/15
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つくねって食べ物があります。一般には鶏ひき肉を丸めたものをつくねって呼ぶことが多いけれど、肉類ならなんだってつくねって呼んでいるようだ。また、鰯などの魚肉のすり身を丸めたものもつくねって呼んだりするから、つくねっていうのは材料に依存する呼び名ではなく、すり身を丸めたもの全般をつくねって呼ぶと考えて間違いはなさそうです。じゃあ、「つくね」って呼び方はどこからきているのだろう。とPCで「つくね」と打ち込んで漢字変換してみたら見覚えのある感じが表示されました。「捏ね」です。ぼくはこの漢字の読み方を「こね」だとばかり思っていたのですが、どうやら「つくね」と呼ぶのが正解だったみたいです。と「こね」と打ち込んで変換してみると、あらこちらも「捏ね」と表示されますね。なんのことはない、「つくね」とも読むし、「こね」と読むのも間違いではないみたいです。とすればここで不思議なのはなぜすり身を丸めたものは専ら「つくね」と呼ばれて「こね」と呼ばれることはないのだろうか。ということで気になって調べたのですが、「こね」とは呼ばないみたいですね。ちなみに「つみれ」と「つくね」の違いについては、ネット上に情報が溢れているので割愛。といったところで、今回はつくねを売りにする酒場に久し振りにお邪魔してきたのでその報告です。「生つくね元屋 松戸2号店」に行ってきました。今回お邪魔したのは松戸駅の西口側の雑居ビルの2階にある店舗。このお店、余程人気があるのか松戸駅の東口側にもあって、ぼくはこれまでそちらの方がちらほらお伺いしています。確かに東口の1号店だか本店は結構繁盛していたという印象がありますが、近頃、松戸で呑むのはとんとご無沙汰しておりましたので、今はどういう状況かは全く把握しておりません。今回行った西口の2号店は以前1度だけ呑んだことがあるみたいですが、ほとんど記憶にありません。階段を上って店に入っても少しも記憶がよみがえっては来ません。東口側はカウンター席メインでしたが、こちらは卓席のみだったような。今時の店の構えはこのいずれかに偏るようです。卓席の好きな客はカウンター席を嫌い、逆にカウンター席偏重の客も少なくないようです。当然ながら後者が酒場に対してうるさ型が多いように思われます。何にせよ一緒にお邪魔するシチュエーション次第で東と西を使い分けるなんてお客さんもいるのかもしれません。今回は3名でお邪魔したので、こちらの店舗で正解だったかな。ともっともらしく書いてみたけれど、残った写真を見ると何のことはないカウンター席がきっちり写っていますね。どっちも似たようなもんなのかねえ。でもこの時点で卓席はそれなりに客が入っていましたが、カウンター席は全く埋まっていないのでした、なんてことを書いてもいかにも言い訳めいてるなあ。ドリンクとつくね3本、ポテサラ(これは数種の中から選べたかと)のセット。それなりに充実した肴付きなのでこれだけでもちょい呑み程度なら満足できてしまうかも。味もそれなりにちゃんとしてるなあ。でもなんというか不思議と吞んでるっていう高揚感が湧いてこないのです。東口は吞んでるって気分になれたという記憶があるのにどうもこちらの店舗はノってこないんですね。不思議なものだなあ。
2025/11/16
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昔から町屋は呑兵衛に人気の町だったのかなあ。ぼくが町屋でちゃんと呑み始めたのはたかだか20年前位の事だからそれ以前の状況はよく知らないけれど、ぼくが通い出した頃でもすでに酒場痛の定評がある酒場は少なくなかったように思われます。「小林」「亀田」「ときわ食堂」「大内」などなど、いずれも当時とはすっかり違ってしまったけれど、初めてお邪魔した頃は大変な繁盛ぶりだったから、きっとこの町の住民たち以外の他所の町から呑兵衛が訪れていたに違いないはずです。この町の住民だけでそこまで込むむとは思えないですしね。ちょうどその頃は居酒屋ブームとやらが世間を席巻していたようなことを耳にした気もするのです。ぼく自身は酒場巡りのきっかけはすっかり失念してしまったけれど、きっとそういう尻馬に乗っかったに違いない。なんてったって典型的なミーハー体質ですからね。ってそんなことは自慢にもなりはしまい。しかしコロナを抜けて相当町屋の酒場事情も変化を被ったように思えます。かつての雑然としていながら薄暗いちょっと危なっかしい印象はどこへやら、町は明るさを獲得する一方でどことなく元気を失ったように思えるのです。こういっちゃ誤解を抱かれそう―ホントはちっとも誤解ではないのだけれど―、酒場やそれがある町というのは危なっかしくてうら寂しいくらいがちょうどいいのだ。今の町屋は健全過ぎるように感じられるのです。かつての不健全な雰囲気はもう二度と取り戻すことはできないんだろうなあ。 この夜お邪魔したのは「辰心食堂」でした。まさにコロナが終息しつつある時期に新規に開店したお店で、実は2度トライして2度とも満席で断られたという、ぼくにとっては曰く付きのお店だったのです。でも今回は4名で呑むということで事前に予約を入れておいたから間違いなく入ることはできるはずです。ほぼ時間通りに到着すると、家族経営だというからその息子さんなのでしょうか、迎え入れてくれました。あらあら、案外空席が目立ちますね。さすがに繫盛ぶりもひと段落したということなんでしょうか。18:30のスタートです。普段の見つけない生ビールを揃って注文、目に留まったお勧めの網レバーなどもついでに頼むことにします。早速届いたビールにて乾杯。頼んだ肴も続々と届くのですが、これがどれもこれもが非常に旨いのだ。不健全さの欠片もない店内で、いつものぼくなら3杯も呑めば次なる酒場を目指そうと考えるはずですが、もう魚の注文が止まらないのでしあ。3大おつまみのミノ焼きも実にいい。なぜか残りのもつ煮込みは食べなかったけれど、注文しておけば良かったなあ。網レバなどお代わりまでしたのにねえ。でもまあこれは混雑する訳だ。でも旨い、旨いと書いてしまうと他に書くことがこれ以上何もなくなってしまうのだ。散々呑み食いしていつしか3時間30分ほど経過した頃には、店内はすっかり混み合っていたのです。ぼくには語ることはないけれど、一緒の3名は大いに満足しており、また来たいと言ってくれたのだから店選びと予約するだけの適当幹事でもちょっと嬉しくはあるのでした。
2025/11/17
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まだ実感できてはいませんが、どうやら大根が豊作とのことで、ぼちぼちうちの近所でも値が下がってくるのではないかと期待しています。先達ても書いたことでありますが、大根っていうのは思ったより食べ方に困る野菜で、煮付けにしたり味噌汁の具にするのが無難な食べ方であるのでしょうが、ここ数年はおろしで食べるのも悪くないと思うようになりました。ぼくがどうしても好きになれない北大路魯山人も大根おろしはお気に入りのようで、鮪にはわさびより大根おろしが良いと語っているし、まぐろの砂摺りを皮ごと分厚に切って付け焼きにする雉子焼に大量の大根おろしをのせて醤油をかけたものは、炊たきたて飯が飛んで入るそうだ。コツは新鮮な大根を用いることにあると、実にアホらしいアドバイスもくださっている。しかし、鮪の茶漬けはちょっと試してみたいと思っているのです。「飯は茶碗に半分目、もしくはそれ以下に盛って、まぐろの刺身三切れを一枚ずつ平たく並べて載せる。それに醤油を適当にかけて加減する。大根おろしをひとつまみ、まぐろのわきに添えればなおよい」そうです。ちなみに青空文庫でチェックすると日本の文学には大根おろしがちょくちょく重要なアイテムとして登場しており、夏目漱石著「変な音」もその一つであることを久々に思い出しました。また、潔癖症の泉鏡花が大根おろしを煮て食べていると小村雪岱著「泉鏡花先生のこと」に記されていますが、かつてこの逸話を知った時には奇異に感じたものですが、今ではさほど違和感なく受け止めています。ということで大根おろしのレシピになります。越前おろしそば【材料】そば(茹でる/水洗い) 1人前/そばつゆ・大根(おろす)・長ねぎ(小口切り)・鰹節 適宜【作り方】1. 器にそばを盛ってそばつゆを注ぎ、大根、長ねぎ、鰹節をのせる。 福井県の名物というけれど、そばと大根おろしの相性の良さは周知のことであります。大根は存在感のある野菜としての食べ方ばかりでなく、薬味としても優秀な食材ということが分かります。ダブル大根そば【材料】そば(茹でる)・大根(おろす)・カイワレ大根・揚げ玉・めんつゆ 適宜【作り方】1. 丼にそばを盛ってめんつゆを注ぎ、大根、カイワレ大根、揚げ玉をのせる。 こちらは二種の大根を一緒に食べてしまうという趣向です。今、思い付いたのが大根の千切りとおろしのダブル遣いというのもあり得そうだなあ。今度試してみようかな。鶏みぞれそば【材料】そば(茹でる) 1人前/鶏肉(もも/一口大) 30g/大根(おろす) 3cm/青ねぎ(小口切り)・生姜・めんつゆ・だし 適宜【作り方】1. 鍋にだしを沸かして鶏肉を煮る。大根、めんつゆを加える。丼にそばを盛って注ぎ、青ねぎ、生姜をのせる。 鶏もも肉の脂をおろしがふんわりと包み込んで濃厚でありつつもさっぱりと頂けていいですねえ。ただおろしを入れると汁を呑み切ってしまいたくなるので、汁の量は控え目にしておくのが賢明かと。椎茸と長芋の大根おろし添え【材料】椎茸・長芋(輪切り[1cm厚]/電子レンジで600W2分加熱)・大根(おろす)・にんにく・ごま油・醤油・酢・青ねぎ(小口切り) 適宜【作り方】1. フライパンにごま油を熱して椎茸、長芋を焼く。にんにくを加える。大根、酢を加える。皿に盛って青ねぎを散らし、醤油を添える。 ふうん、こんなの作ってたんですねえ。恥ずかしいことにまるで覚えていませんが、これはヘルシーなのに濃厚そうでもあり、酒の肴にすごく良さそうですねえ。
2025/11/21
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近頃何だかもう随分以前からなのか寡聞にも存じ上げないのですが、ここ十年ばかりでスペインバルなるお店が増殖しているようにぼくは感じています。バルって居酒屋に近しい業態として、日本ではよく扱われているようですが、実際にはフランスのカフェなんかと同様で酒を呑ませるだけじゃなく終日、簡単な食事ができたりお茶できたりするお店のことを指すようです。スペインバルでは、タパスと呼ばれる小皿料理が提供されて串に刺されて手軽に摘まめるようになっているものは特にピンチョスなんて呼ばれているようです。このスタイルは日本の立ち呑み店の気軽さにも通じているようで共感を抱かせてくれます。下田淳著『居酒屋の世界史』では、スペインの居酒屋の歴史にも触れられています(実際は関哲行著『スペイン巡礼史』からの孫引き)-- 一五世紀、巡礼街道沿いの宿場町プルゴスの場合、一軒につきベッド数は六〜一二台程度、もちろん共用であった。居酒屋も兼ねたのはもちろんであったが、そこで商談やエンターテイメントがおこなわれるなどの機能ももっていた。-- とのことで、これだけ読むと実に楽しそうな施設に思えます。でも実際には「一四九二年、スペイン・マラガ市では、公娼が居酒屋へ出入りすることが禁止された」といった記述もあることから、当時の居酒屋は売春宿としての機能も併せ持っていたということのようです。酒場という施設が現在に至るまでいかに明朗さや開放感を演出しようともどうしようもない暗部を感じさせるのはそうした過去(?)があってのことなのかもしれません。ピスト・カステリャーノ(pisto castellano/夏野菜のトマト煮込み)【材料】にんにく 1片/玉ねぎ(1cm角) 1個/オリーブ油 大さじ3/ベーコン(1cm角) 2枚/ピーマン(赤/1cm角) 1/2個/ピーマン(緑/1cm角) 2個/ナス(1cm角) 3個/水 1カップ/トマト水煮 1/2缶/パプリカパウダー・塩 小さじ1/2【作り方】1. 鍋にオリーブ油を熱してにんにく、玉ねぎを炒める。ピーマン、ベーコンを加える。ナス、水を加えて煮る。トマト水煮を加えて蓋をし、煮る。パプリカパウダー、塩を加える。 これまたぼくの印象でしかないのですが、スペイン料理というのは非常にシンプルに調理されることが多いように思えます。そうした意味では日本の家庭料理とも通じるようで好ましいけれど、レシピを眺めさえすれば凡そその味が想像できてしまうのです。これまた非常にシンプルですが、パプリカが幾分スペインっぽいかなって思わせてくれます。ピスト・カステリャーノのスパゲッティ(写真逸失)【材料】スパゲッティ(茹でる)・ピスト・カステリャーノ・油(オリーブ)・粉チーズ・胡椒 適宜【作り方】1. フライパンに油を熱してスパゲッティ、ピスト・カステリャーノを炒める。皿に盛って粉チーズ、胡椒を散らす。 これは単なる使い回しのような気もしますが、あってもちっとも不思議でない綾里なので一応のせておきます。トマトとオリーブのサラダ【材料】トマト(湯剥き/1cm角) 2個/玉ねぎ(粗みじん切り) 1/4個/ケーパー 小さじ2/オリーブ(黒) 12個/ピクルス(きゅうり) 4個/ツナ 1缶/卵(茹でる) 1個/塩 適宜/酢 小さじ2/油(オリーブ) 大さじ2【作り方】1. ボウルにトマト、玉ねぎ、ケーパー、オリーブ、ピクルス、ツナ、塩,酢、油(オリーブ)を入れて混ぜる。皿に盛って卵を飾る。 これまた非常に作り甲斐のないレシピでありますが、間違いなく旨いのです。だけどこれをスペイン料理って言い切ってしまっていいものか迷うところです。アホ・トマテ(にんにくトマトサラダ)【材料】トマト(薄切り) 2個/クミン(P) 適宜/【ドレッシング(混ぜる)】トマト(湯剥き/みじん切り) 1/2個/にんにく(すり潰す) 1/2片/ワインビネガー(白) 小さじ1.5/油(オリーブ) 大さじ2/塩 適宜【作り方】1. 皿にトマトを盛って【ドレッシング】をかけ、クミンを散らす。 これまた地中海沿岸の各国であればどこででも食べられそうなレシピです。でもこのレシピを見ているとトマトが食べたくなります。サランゴーリョ(ズッキーニとじゃがいもの卵とじ)【材料】ズッキーニ(銀杏切り[1cm幅]) 1本/玉ねぎ(薄切り) 1/2個/じゃがいも(銀杏切り[1cm幅]/電子レンジ(600W)で2分加熱) 1個/卵 2個/にんにく 1片/油(オリーブ) 大さじ1/オレガノ(D) 小さじ1/塩 小さじ1.5/胡椒 適宜【作り方】1. フライパンに油を熱してにんにく、ズッキーニ、玉ねぎ、じゃがいもを炒める。塩を加える。溶き卵を注ぐ。オレガノ、胡椒を加える。 こうした野菜のオムレツというかトルティーヤは材料を見ても容易に味の想像がついてしまってなかなか作ろうと思わないのですが、実際に食べてみるとやはり抜群に美味しいんですねえ。
2025/11/22
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さて、一ノ関での本当のお楽しみはこれからです。苦手とするジャズ喫茶はこういうと叱られてしまうかもしれませんが、どこかノルマとか義務のようなところもあってこれをたまたまバーとして楽しんでいたならもっと全然違った印象として記憶に留まっていたはずです。出会いのあり方一つで店の好き嫌いにさえ影響してしまうことさえあるという事実に目を背けることはできないでしょう。ともあれ喫茶店遊びは、早々に切り上げて居酒屋巡りに気持ちを切り替えることにしました。と言いつつも今回は太田和彦氏御推奨のお店をハシゴするだけなので、酒場探索の愉悦とは無縁です。一ノ関に宿さえ確保できていれば喫茶店探しの際に見掛けた数軒の気になる店にもお邪魔できたのですが、今回はそれもお預けです。大人しく二軒の酒場をハシゴしたら列車のあるうちに水沢駅に移動しなくてはなりません。なにせ列車の運行状況が1時間に1本だけなので、うっかり乗りそびれると水沢を散策できないだけでは済まないかもしれません。しかも時間調整で呑んだりすると水沢駅を乗り越してエライ目にあいかねません。なんといっても周辺のホテルはことごとく満室、盛岡に出ればなんとでもなりそうですが、できれば避けたいところです。 そんな気弱なことはもとより考えていたわけではなく、正直さほどそそられる酒場のない一ノ関は早めに切り上げて、その先の水沢の町への期待に気持ちは早くも及んでいたのでした。それでもよほどのことでもない限りは下りる機会の少ない一ノ関の定評ある酒場くらいは立ち寄っておきたいし、同行してもらったご夫婦にもそこなら恐らく満足してもらえるであろうお店にお連れしておき恩を返しておきたいのでした。そういうわけで駅からすぐのホテルロビーにて待つ夫婦を連れてまたもや駅前に引き返し、駅前ロータリーの外れにあるささやかな呑み屋街の一軒「喜の川」にやって来たのでした。ついさっき通過した際はシャッターも閉じられていて果たして営業するのかいくばくかの不安を抱えていましたが、しっかり営業してくれていたのは幸いでした。口開け草々なためか先客はお一人だけ。この方もブログかなんかやってるのか、やたらめったらと大きな一眼レフカメラで料理を1品1品しつこいくらいに撮影していました。350円というお通しは5種ほど並ぶ大皿から選ぶスタイル、お通しというには過ぎたほどの品揃えと手の込んだ品でこれだけでも十分な一皿として楽しめます。1500円からという刺身盛り合わせは甘鯛やこちなど6点盛という豪勢さで、どうしてこんな内陸でこれほどまでの刺身を出せるのか、この店の心意気の高さに驚かされました。開店してまだ16年程と歴史はさほどではないものの、今では一ノ関を代表する居酒屋として認知されているようで、次から次へとお客さんが訪れ、われわれが出るころにはすっかり満席となり、さらに入りきれないお客さんが丁重に謝されていました。これはさすがに人気の出るはずと納得した思いで店を後にしました。 次なるお店は古い蔵をリノベーションしたらしい 「こまつ」というお店にお邪魔しました。駅から5分ほどの商店もまばらなさびしい場所にあります。ぼくの好みでいうと酒場がこういう風に一軒だけぽつりとあるというのはなんだか場違いな印象でどうもピンとこないのですが、やはりここにもその違和感を感じざるを得ませんでした。地方都市の居酒屋ってこのタイプが多いので、このことにあまり頓着していてもしょうがありません。早速店内にお邪魔することにしました。内装は蔵作りを活かしたなかなかいいムードですが、お客さんは2階に少し入っているようですが、1階にあるカウンターとテーブル席は空いています。やはりGWの東北の北部では帰省者たちを実家にて迎えるということが多いのでしょうか。先般いわきに行った際は暮れも差し迫っているというのに驚くほどに町が賑わっていたのとは好対照で、仙台辺りを挟んで呑み方に差があるのかもしれません。こちらも魚介もあるものの、どちらかといえば山菜などの山の幸が豊富で、地元の郷土料理がメインに提供されているように思われました。でもわれわれは山菜よりもややしょっぱめながらガーリック風味のポテトフライのおいしさが鮮明で、日本酒を呑みつつポテトを齧るといういささか面目ない飲食をそれでもきっちり楽しんだのでした。先の店はおいしいものをいただき、この店ではゆったりと時を忘れて呑むのが上手い利用の仕方のように思われました。 しかしそうそうのんびりしているわけにはいきません。駅前の大衆食堂に後ろ髪を引かれながらもぼくは一人列車に揺られ水沢へと向かうのでした。
2015/05/10
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その思い込みが当たっているか、外れているかなんてことは、正直保証できるようなことでもない。でも住民の方、特に生まれてこの方ずっと京成小岩駅の近隣で過ごして来られた人にとっては失礼極まりない決め付けをこれから書きますので、左記に該当する方がもしいらっしゃったらこの先は読まないようにしていただきたい。これで一安心、ここから先は小岩の人はお読みになっていないはず。はっきり言うと小岩という町はあまり評判がよろしくない。ぼく自身はそれを経験したわけではないけれど、とにかくガラがよろしくないというもっぱらの定評があります。ぼくはご存知の通り田舎者ですから、そんな評判などちっとも知らぬままに都内に越してきた以前から、呑みに行ったり映画を見に来たりー映画館ではなく図書館で日本のドキュメンタリー映画ばかり見てたんですけどー実は古くから馴染みのある町でした。だかぼくにはこの町に対する偏見は少しもないのですが、小岩はそれでも場末という言葉の喚起するイメージにしっくりくる町に思えます。特にJRの駅の北側、さらにははるばる歩いたその先の京成小岩駅の北側にも、それもかなり歩いたあたりにまでうら寂しい商店街があったりしてそれがよそ者にとっては大変面白い。 でも振り出しは駅前の「はむら」にしておきます。そう言えば新小岩にも同じ屋号のお店がありますが、雰囲気が全然違うので系列とかではなさそうです。「うまい 早い 安い」が堂々掲げられているのは何とも頼もしい。やはりそれ位勢い良くアピールしてくれるとついお邪魔したくなるっていうもの。ガラリ戸を開け店内に入り込むと、おやおや大変な盛況ぶりではないか。店内はゴチャゴチャしたまあどこにてもある枯れた酒場であります。かろうじて空いていたカウンター席に収まることができてちょっと安心。安さはムラがあるけれど全般には確かにお手頃か、でもまあこれに旨さが同伴せねばまあごくありきたりのどこにでもある店とさほど変わらないだろうな。結論を言ってしまえば全然悪くないし、自宅でも職場でもどちらでもいいけれど、近場にありさえすれば月一位は通うかもしれない。というかどうしてぼくの通勤経路上にはこうした普通の酒場が少ないのだろう。普通の酒場こそが普通に通いたくなるもんだけどね。 しばしほっつき歩いて、やがて「居酒屋 俵屋」で折り合いをつけることにします。土地の雰囲気は場末極まりないのだけど、店はあくまで凡庸です。凡庸さはいつもネガティブなものとは言えぬ。ここも一見すると町外れにあることは確かだけれど、とりわけ特別な雰囲気は少しもない。でもまあ選り好みするのもいい加減にせねばととびこんでみると意外にもコの字のカウンターのお店なのでありました。ぼくもカウンター席は好きだけれど、必要以上にコの字カウンターを賛美する風潮がどうも気に入らない。「深夜食堂」はぼくも愛読というほどではないまでも新刊が出ればまあすぐに目を通すくらいには愛読していますが、ああいう希薄な関係性をけして嫌いではないのてす。でもここで主人もしくは常連に目を付けられるとそうも言ってはいられぬ。とにかくこういう店ではぼくのような新規の客は格好の話題となるのでしょう。どうでもいいようなネタをきっかけに話はどんどん広がりを見せ、自分の住処やら家庭環境などをペラペラと見知らぬ他人に語り始めてしまうのだからどうかしている。日本なんて海外のスパイにとってみればいかにチョロい対象であるかを証左する出来事であります。どうも日本の人民は危機意識に欠如していることの自覚に足りぬなどと嘆いてみせながら、愚かにも己の高度つ範囲を語ってみたりするのでした。
2016/11/17
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先日報告しましたが、東急池上線の洗足池駅からも久が原駅からも徒歩15分は覚悟せねばならぬだろう陸の孤島化した土地があります。シロウト考えでは、この辺に洗足池を配することができたなら地元民の憩いのスポットとすることも期待できたのだろうけれど、恐らくこの路線が引かれる以前からこの池はあったのだろうし、利便性や将来性、そして多分に政治性が加味された上での現状なのだろうから、余所者がとやかく嘆いてみたところで詮のなきことです。だからこれから向かう酒場に初めて向かおうというのであれば、先に書いた店とのハシゴで予定しておくのが常套なコースとなるのでしょう。この二軒は何れも酒場放浪記に登場しているから、実際にそれを実行した人も少なくないと想像します。ぼくもウッカリしないでちゃんとHPをチェックしていさえすればきっとそうしたはず。そして二度に分けて訪れたことで思いがけぬ出会いや知見を得るというようなことはなかったのだから尚更なのです。とまあこんな愚痴など似たような経験をされている方も少なくないのだろうからこの辺にしておきます。 前回は洗足池駅から南下するコースを選択しましたがこの日は久が原駅を起点にしました。まあそうしたところで、これといって愉しむ間もなく案外あっさりと目的地に到達しました。すると肝心の酒場に劣らぬくらいに気を惹かれる「pivot」という喫茶店がありますが閉まっていて、店内には灯りもありません。前回ここを通っていたら入れたかもしれぬのに。 さて、本来のお目当ての「三陸」は、予想していた以上に町外れのしんみりと古ぼけた佇まいでした。この立地だと通勤客の来店を見込むのは現実的ではなさそうだから、恐らくは地元の方を相手に地道にやっていこうと店を始め、その思いはもうすぐ成就せんとするかのような、終焉を常に目前に据えているような雰囲気です。店内は提灯やテナントもあったかなもとは原色が無造作に散りばめられていてかつては民芸調のふるさと酒場だったのでしょうが、今ではそれも燻蒸されて茶褐色を通り越して黒ずんでしまっています。先客は近所のご夫婦だけ、店の老夫婦も基本的には沈黙を崩さず、皆がテレビに流れる時代劇に見入っていて、水戸黄門はやはり東野英治郎だなあ、今度武田鉄矢がやるらしいよ、案外はまり役かもなどと他愛ないことを呟くのみです。酒場の店主が休憩にタバコを燻らせたり、独り呑みの客が黙りこくって盃を傾けたりしていると、何やら切実で深遠な物思いに耽っているかのような印象をもたらすものでありますが、その思いを巡らせる何かの正体は実にしょーもない事だったりするから、女性客はうっかり惚れたりしちゃいけない。さて、番組では刺身を盛り合わせてもらっていたように記憶するけれど、ぼくにはここで刺し身という気分にはなれない。せいぜい、塩辛とかくさやなんかの簡単なもので良いはずだ。目の前にインゲンを茹でたのがあるからそれ頂戴とお願いします。ぼくに続けて入ってきた若いカップル、彼らはぼくとは正反対に遠慮なく注文しています。きっと同じく番組を見て来ているのだろうけれど、さして感銘を受けてもいないようなのです。こういうところでは、大声を挙げたりせずにひっそりと快哉を挙げればそれでいいのだ。
2017/10/17
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ずっと懸案にしている喫茶巡りルートというのがあります。それこそ日本各地に土地ごとのプランを組んでいて、それを実行する機会を常に待ち構えているのであります。しかし、そんな機会は待っているだけではそうそう到来するはずもなく、やはり強い意志と交渉力で勝ち取らねばならぬものなのですが、面倒は後送りにしてしまいがちな性癖が災いしてなかなか実行に結実することはないのです。でもそうしたプランは何も遠隔地にばかり用意している訳でもなくて、半日もあれば行って帰ることの出来そうなものもあったりするのです。ならば目先のそちらを先に片付ければいいではないか、いつまでもあると思うな喫茶店なんてことを普段口走るぐらいなら今すぐにでもやっつけてしまうべきとのご意見はもっともであります。が、しかし、怠惰で吝嗇なぼくにはどうせやるなら一日掛かりで遊べるプランを練り上げてから実行したいと考えてしまうのです。そこで思い付いたのが先日決行したけれど、不調のままに終えるしかなかった酒場放浪記の取りこぼしをついでに攫ってしまうというアイデアでした。日中に東武東上線の志木駅をスタート、志木街道をJR武蔵野線の新座駅と東所沢駅の中央を串ざすように走る志木街道を通って、西武池袋線の清瀬駅まで至るというものです。武蔵野線を通過する付近がほぼこの散歩の中間地帯で、ここまでで約6キロ、計12キロ程度の行程であります。近くはないけれど、途中4軒の喫茶店に寄る予定だから、適度に休息も挟めるし何とかなるだろう。ところが、今年の夏はそうそう甘い考えを許してはくれなかったようです。 志木駅に到着し、早速歩き始めます。紙で用意した地図上の「純喫茶 ミコノス」は、駅からそう遠くないはずですが、実際に歩いてみると思っているより歩き甲斐があったのでした。この時点で方針を変えることも可能であったはずです。しかし、楽しみにしていたこのお店が閉まっていたことが、そうした冷静さを完膚なきまでにぼくから奪うことになったのです。入りたかった喫茶に肩透かしされた無念と、そこで寛いで改めて地図を精査することで今回のプランを無鉄砲さを見直し機会を逸したのです。 そこから次の目的のある新座団地までは、場末の呑み屋街などもあり見どころもあったし、いざとなれば逃げ込む店なんかもありました。「CAFE & TANGO にんじん」のある周辺にも団地に寄り添うように何軒かの飲食店があって、これは悪くないななどと呑気に構えてのんびり写真なんぞ撮ったりもしたのです。 さて、ここから先は透かしばかり距離があります。基本的には志木街道をひたすらに進み続けることになります。ところがここから先には日蔭すらほぼないのであって灼熱の日差しをモロに浴び続けるしかないのであります。途中、一度だけコンビニに立ち寄りましたが、まさにオアシスのような楽園に思われ、再び炎天下に踏み出すのを躊躇ったほどです。それでも視界の先に関越道と武蔵野線の交錯するのを捉えるととりあえずあすこまで行けばという希望が湧いてきました。 駅でいえば幾分か東所沢駅よりは新座駅が近いだろうか、そんな妙な場所に「みづほ」はありました。しかし、またもややっていません。貼り紙には休業する旨の断り書きがあります。ちゃっかり店内をじっくり眺めてきましたが、その感想はまだ見ぬ方の楽しみを奪うことになりかねぬのでここでは控えさせて頂きたいと思います。ただ、この絶望的な状況に急激な吐き気と目眩に見舞われます。典型的な熱中症の初期症状ですね。でもここで立ち止まっても狂暴な日差しを受け続ける事になり、いつも以上に重く感じられる身体を引き摺るようにして、最後の目当てを目指すしかなかったのです。 やっていました。「Coffee shop Paris」という何とも場違いな店名ではありますが、ともあれ、ここまで足を運んだ苦労が一挙に吹き飛ぶような喜びでした。一般化するのは好きではないし、かりの欺瞞が混入する事にもなりかねぬので避けたいところですが、この喫茶、純喫茶というものが仮にあるのだとすれば、その原点のような古典とも呼んで良さそうな程の端正さと厳密な計算が施されているように思えるのだ。疲労困憊したいつもよりも虚ろなぼくなどが語り得る店ではなさそうです。とにかく、この環境に一度身を置いてしまうと席を立つのがとんでもなく苦痛に感じられるのが参ってしまう。しかし、強烈な光線の下から突如として薄暗がりの空間に移行したことが、疲労と眩暈も相まって激しい眠気へと転化するのは自明の理なのでありました。さすがにここで寝込んでしまう訳にはいかぬ。うつらうつらと眠りを欲する身体に鞭打ちながら、この地からの離脱方法を模索していると、何のことはない近くの団地―清瀬旭が丘団地というらしい―前から想定していた清瀬駅行きの路線バスが走っているではないか。途端に元気になり、睡魔を振り払い席を立つのでした。 清瀬駅からは所沢駅を経由して東村山駅に向かいます。元々の予定では余所にも立ち寄るつもりだったのですが、その余力は残っていません。というか、この先も夜の部である酒場放浪記に登場の酒場を巡らねばならず、まだかなりの距離を歩かねばならぬから余計な体力の消耗の余地はないのでした。 写真を見るまですっかり失念していましたが、駅前のこちら「ゆーもあ」にもお邪魔したのでした。何度も通り過ぎてはいるけれど、ついつい見て見ぬふりを決め込んでいました。店名と看板の能天気さとはそぐわぬ極めて真っ当かつ平凡なごく普通のお店で、普通に喫茶時間を過ごす方にはとても使い勝手の良いお店かと思いわれます。 さて、青葉町の酒場に迂回しながら向かう途中に「コーヒーショップ ポイント」がありました。何気ない構えの喫茶ですが、ここが実に良かったのであります。駅からは歩いて15分は要するであろうから、お客となるのは地元の住宅街の住民たちばかりのはずです。わざわざ東村山駅から歩いて訪れるには遠すぎるし、街道からは外れた狭い通り沿いにあり、駐車場も設置されていないようだから車で来るわけにもいきません。やはりお客さんはご近所さんが帰った後は仕事帰りの中年女性が立ち寄るといった使われ方をしているようです。シックで端正な装飾を禁欲的に排した内装は堪らなく素敵なのでありますが、品書などに今風の軽めのロゴで貼り出されていたりするのが少しだけ違和感があります。店内から扉を眺めると「珈琲専門店」の文字がくっきりと浮かび上がり挙がります。逆光をこれ程に効果的に活かすとはなかなかのセンスの持ち主です。アイスコーヒーのお供にはチーズが添えられており、これは面白いサービスです。お替りまで注いで頂きすっかり大好きになってしまいました。
2018/08/19
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神田の町は、路地の裏に入り込めばまだまだ掘り出し物が潜んでいることを確信しています。確信はしているけれど、近頃駅を中心に大きく変貌を遂げつつある神田駅を見るにつけ、あまりの速度にそれを見届ける気分にもなれず、このところめっきり寄り付かなくなった町のひとつです。町だってほとんど生き物のように変化し続ける宿命なのだから、発展といった方向で変わることは本来であれば喜ばしい事態であるはずなのであります。駅前が駐車場やマンション、下手をすると更地にされてしまうようなむごたらしい事態に比するまでもなく、発展的な変化はそれを受容する側の心構えひとつで大いに祝福しうる出来事に違いないのであります。その変化の過程を楽しむという受容の仕方もあるはずなのですが、どうもぼくにはそれに対する適性が決定的に欠如しているようです。 お邪魔したのは、見るからに風格があり構えの立派さに怖じけをなさしめる「尾張家」であります。普段なら見向きもしなかった―というか実際ここが放映されるまでこの居酒屋が視界に入り込むことはなかった―、そういう類のお店です。大抵の場合、番組を見てから現場に出向くという事は少ないのですが、今回はたまたま暇だったのか番組を見て、安くはなさそうだけれど案外リラックス出来そうで、悪くないじゃないかという事で、放映されてすぐの金曜というリスク―視聴者が大挙して押し寄せるというリスクですね―も省みず、ヒョコヒョコと出向いたのであります。現地についてもその敷居の高さは明らかですが、何、勝手は知っているから恐るるには至らぬのです。店内に果敢に足を踏み入れるとコの字のカウンター席はほぼ埋まっているけれど、うまい具合に2席空いています。2席というのはT氏を伴っていたからですが、これで予約が入ってますなんてことにならねば良いのだがという杞憂もすんなりと通過しました。お隣りは老女お二人と、世代を超えて好まれているのは安心感を助長してくれます。席に着いて早速ビールを注文。その間に肴を見繕おうという寸法ですが、ここはおでん屋だからそれを中心に頼めばいいから気も楽です。そのおでんが思った以上に大振りで値段は予習済みだからまあこれならいいかと思えるコストパフォーマンスだななんてT氏とひそひそ感想を述べ合います。その後も次々とお客さんが訪れて,これはテレビ効果ではなくもともとが繁盛店なのだろうなあなんて思うのでした。こういう居酒屋に普通の素振りで呑みに行けるようなそんな大人に早くなりたいものです。
2019/11/29
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松戸駅西口からほど近い場所に狭小な名もなき呑み屋横丁があります。いつも書くことですが、松戸という町は呑兵衛向きには出来上がっていないようで、そりゃまあチェーン店だったりはそれなりにあるし、少し古い目の居酒屋もあるにはあるけれど、非常に軒数が少ないし減少する勢いが加速しているように思われます。むしろイタリアンなどの西洋料理の店や中華料理店、韓国料理店、インド料理店などが目に付きます。しかも特に中華料理店は高級なお店が主流でありまして、余程のことでもない限り食べに言おうなんてことは思いもよらぬのです。どうしてそんなことになったのかは与り知らぬところですが、居酒屋好きのぼくにはやはりつまらなく思えるのです。松戸の町がぼくのために存在しているわけじゃないからそんなことをボヤいてみても始まらぬのですが、それでもまだ駅から簡単に歩ける位置に横丁があるだけでもありがたいと思うべきなのでしょうか。 この横丁については、常々不思議に思っていることがあります。というのがそれなりに目立つ場所にあるし、酒場マニアにもよく知られた酒場に向かう際にはきっと通過することになりそうだからその存在はそれなりに広く認知されているはずなのに、どうしたものかネットでの露出度が非常に低いということです。まあ低けりゃ低いで構わないし、むしろそうあって欲しいとすら思っているのです―とか言いつつこうして衆目に晒している―。というのが10年以上前に初めてここで呑んだ頃ですらうち何軒かは非常に混み合っていたくらいだから、現在はもっと人が押しかけていることでしょう。ともあれ何軒かお邪魔した覚えのある店もありますが、どうも今回お邪魔した「ボラちゃん家 お祭りや」は行ったことがない気がします。いや、この店舗には間違いなく入っているはずです。古い店舗ではありますが、店そのものはかなりの頻度で入れ替わってるんじゃないでしょうか。10年ほど前には新参者だった酒場が今では古株のような貫録で営業しています。ってそんなことより想定していた以上に混雑してますね。辛うじて入れそうなこちらにお邪魔しましたが、日本人の平均よりは大きいぼくなど着ぐるみの中身になりそうなほど巨大な客たちで相当に窮屈だったのです。皆さん気遣いのマナーがいきわたっているようで、長くいる方から席を譲り合ってくれてちょっと空いたと思いきや次なる客でまたみっちりと客席が埋まってしまうのでした。だから注文もできるだけ取りまとめてハイボールなんかはメガジョッキで頂くことにします。タコ焼きをつまみながら肩を寄せ合いってのもいいものですが、気分も身体もちょっと疲れるかな。
2022/03/14
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千葉県って県外の人々の多くがあまりポジティブのイメージを抱かれていないように思えます。他県の人は、関東の第3の自治体をライバル(?)埼玉と争うのをどこか嘲りの支線を向けて冷やかしている気がしてならないのです。ならばお前はどうなんだって問い質されると口ごもってしまうのですが、一応自己弁護するとすれば、住みたいとまでは思えないけれど、程よく田舎びていながらもそこそこの規模の町がたくさんあって遊び歩くには行き先に事欠くことがないと感じています。それはまあ千葉に限らず埼玉も同じです。肝心なのは埼玉なら浦和であればまあ埼玉の一等地だから住むのもアリかなあって思わなくもないのですが、同様に千葉には市川があって、千葉の一等地の市川であれば老後に住むのもアリかもしれないなあって思ったりもしていたのです。でも最近の市川はなんだか酷いことになっていますねえ。浦和も共学化を頑として受け付けないプライドの権化みたいな連中が行政で幅を利かせていると聞くと不愉快な気分にもなったりするけれど、市川のそれはもっと俗悪で、前市長がテスラを公用車にしたりシャワー室を市長室に設置したりとやりたい放題したかと思えば、現役市長はどうやら選挙の際にえげつない不正を働いたんじゃないかという報道がなされていてそれが真実かどうかはまだはっきりしないけれど事実とすれば余りにも情けないことであります。浦和と市川なら住めるなんて言ってみたけれど、正直言ってこの両市、あんまり好きじゃないんですよね。町はまあ適度なサイズで好ましくはあるけれどさっきのウラコーやイチジョとかやたらとプライドが高い感じが嫌なんですね。だったら来てくれなくて結構って言われるかもしれないけれど、それはまた話は別なのです。 さて、やって来たのは市川真間駅からすぐ目と鼻の先にある「立ち飲み処 串のしん」です。京成本線の線路に面していてこれって酒場にとってはすごく好立地に思えるのはぼくだけなのだろうか。馴染みとまでは言えぬ路線に揺られてぼんやりと車窓を眺めていく視線の先にぼんやりと浮かび上がる赤提灯やはためく暖簾を視界に収めるとそこが見知らぬ酒場ならなおのこと気持ちを奪われてしまうのです。仮に目指す酒場へとまさに目指す途上にある場合など約束がなければ途端に心変わりして間もなく発車せんとする列車を駆け下りて一目散にその酒場を目指すことでしょう。そんな時、当初の目的を果たさねばという使命感が優先してしまい見過ごしてしまうと後々、そこを訪れなかったことがいつまでも無念の種として巣食ってしまうので結局は後々訪れる羽目になる訳です。でも逆に目当ての酒場に行かずにおくとそれはまたそれで禍根を残すことは間違いなく、結論としては両方の酒場を訪れておくしかないのです。なので、うっかり車窓に見入り過ぎると気になる酒場が次から次へと出没なんていう嬉しくもヤバい事態に陥りかねません。それにしても夜景に紛れる酒場というのは実にいいものです。とまあそういった条件をこの市川真間の新しい立ち呑み屋は備えておるのです。店先にオープンな止まり木が設置されているのもいいですねえ。カウンター席は間仕切りされていて、これは賛否の分かれるところでありましょうが、スマホで動画を鑑賞する人や読書する人なんかもいるから、この夜のお客さんにとっては、独りで過ごす時間が快適に思えたようで結構結構なのです。ぼくも見知らぬ他人と語り合う気力がなかったのでこの晩はこの方が有難いのだ。さて、こちらは串ものメインの肴でありますが、ひと手間掛けた変わり種が多くてそれも日替わりだったりするみたいだから飽きることもなさそうです。ぼくの上の世代の人たちは飽きることもなく決まって同じ肴を頼んだものですが、ぼくのように飽きっぽい人にとっては、こうした工夫があって欲しいのです。酒も最近の流行りをしっかり押さえていてなかなかに意欲的な主人でありました。
2025/10/05
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阿佐ヶ谷のちゃんこ屋さんで呑むことになりました。別に好んでちゃんこ屋に来たわけでなく、正直食が細くなっているのを日々感じている身にとっては、大量かつ安価に摂取することを主たる目的として開発されたちゃんこ鍋は、大して食べられぬくせに腹ばかり突き出てきた自らの見苦しい姿をこれ以上ひと目に晒さねぬ事態とならぬようむしろ忌避すべき調理法なのでありますが、誘われた以上は断るわけにもいなぬ浮世の事情があるのてす。 そんなこんなでやって来たのは「ちゃんこ料理 たなか」です。南口の東京銘菓ナボナのお店を右折して、しばらく歩くと見えてきます。途中なぜか縁のない雰囲気のある呑み屋街を指を加えて通り過ぎ、目当ての店に向かいます。1階のテーブル席だと嬉しいのですがそうもいかずこの夜は2階の座敷が会場です。1階にはなんだら人相の良くない親分が従えた背広族が呑んでいるばかり。壁にはもと相撲取りだったらしきオーナーの写真が飾られています。正統派のお相撲さん系のちゃんこ料理屋のようです。その味とかなんとかはさておき、とにかく量の多さがぼくを圧倒します。ある程度の量を食べるには酒の力は絶対です。当然のように相当酔っ払いのおぢさんになり果てるのでした。 そんな状況で「善知鳥(うとう)」に行ったところで、存分にこの店のクオリティーを堪能できるはずもない。それでも行ってしまったんですね。店に入ってからお通しの茶碗蒸しだったかを肴にして燗酒を呑んだとこまでの記憶は案外鮮明で、今でもそのカウンターの落ち着いた雰囲気や若く真摯な感じの主人の丁寧な応対、上品な料理と好ましい印象を受け取ってはいます。でもこれはぼくにとっては居酒屋というよりは小料理屋とか割烹というのがイメージに近いようです。太田和彦という人の好む居酒屋というのが近頃さらにこういったタイプに偏向しているようてす。特に地方都市の居酒屋となるとこうした店が多いようで、正直あまり参考にできません。迂闊にこの人のオススメの店をハシゴしたりすると帰りの電車賃まで使ってしまうことになりかねません。ともあれ、そんな次第なので折角思い切って念願の「善知鳥」にお邪魔したというのに存分に味わえなかったのは残念至極でありますが、次の機会は当分訪れそうにありません。
2016/01/19
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どうして各駅停車の電車しか停車しない上福岡駅の周辺がこれほど栄えているーいた?ーのかを調べる余裕は今はないので、ここでは近隣の都市である川越とほぼ隣接しながら、実のところは東武東上線の利用者にしかあまり認知されぬ、ふじみ野市という聞き慣れぬ、はっきり言えばかなりマイナーであると言っても言い過ぎにはならぬであろう町の純喫茶の驚くべき充実ぶりにただひたすらに驚愕することにします。 酒場巡りで何年ぶりかに上福岡を訪れたぼくは、かつて来た際にはまだ目覚めていなかった町というものを酒場を通して見ることにより、この町のことが少し分かってきたことを感じたのですが、今回は喫茶店を通すことでさらにこの町の魅力に出会いたいものです。 最初に向かったのが「珈琲専門店 エーデル」です。店はビルの2階にあって、一軒家の店を期待していたので、ちょっと残念。階段を上るのも面倒に思えますが、せっかくなので覗いてみることにしました。入ってみると案外良い雰囲気でまたもや店の真価を表側からだけで見極めるのは早計に過ぎるとの当然すぎる反省を迫られるのでした。店の様子は写真をご覧いただければおおよその印象はお分かりになると思います。なのでここで特筆しておくべきはおばあちゃんと言うにはお若すぎる女性店主のことで、この方がまあなんともご親切な方でしかも優しくて、良いおばあちゃんのお手本として世に蔓延るわがまま放題のばあさまたちに見習わせたいほどです。きっと何度も通うとここに来るたびに自分のおばあちゃんの家でくつろいでいるようなんになれるのでしょう。 次なるお店「ビーンズ」もまたビルの2階にあって、でもここはビルの壁面を見るやすぐにも入りたくなるのでした。店名が貼り出されていてるわけですが、そのロゴがとても可愛かったのでした。階段を上がり店内に入ると左右に長くカウンターが伸びていて、これが主たる座席になっています。装飾はごくストイックで地味な印象ではありますが通うにはむしろ落ち着けそうです。左手奥にグループ客にも対応できるテーブル席になっていますが、こちらに来るとガクンと味気なくなりますので、あまりお勧めできません。 すぐそばに「珈琲の樹」というお店もあり取り敢えずお邪魔しましたが、こちらは、「珈琲館」系列と似通っていて、あまり代わり映えしない分、気楽に利用できるようで、多くのお客さんで賑わっていました。
2014/12/14
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亀有は、地縁のない方にとってはここを舞台にした漫画なんかの影響もあって下町らしい情緒漂う町でそうであるからには当然気の利いた酒場も数多くあるのであろうなと思われることでしょう。尻限りにおいては、下町らしい雰囲気を感じられると言えばせいぜいが「お好焼・おでん のり倉」や「大衆酒場 だるまや」、「江戸っ子」、「常盤仙食堂」位のもので、ビールの大瓶の380円という安さが魅了の「一力」や、おでんのタネ1個が50円からというこれまた安さが魅力の「まづいや」、新興店としてはかなり善戦している「居酒屋 祭音」や「立ち呑み 第八たから丸」もあり、こう書いているとまんざらでもないんではないかという気にもなってきますが、やはりしょっちゅう顔を出すまでにはあと一歩至らないという酒場が多く正直この日も気乗りせずに出向いたものです。S氏がどうしてだかやけに亀有にこだわるのでやって来たまででした。そんなうんざり気分が帰宅時には思いがけないハイテンションへと変化しようとは合流した時点ではまるっきり思ってもみなかったのでした。 最初にお邪魔したのは、「こぶた」というお店です。駅の南側をしばし散策、かつてはもっとうらびれた商店街であったよのお、亀有名画座はここにあったんだっけなあなどと若干感傷的になりつつも視線は居酒屋を求めます。大型ショッピングストアーを横目にうんざりとした気分で歩いていると真新しいさほど心躍らぬ雰囲気の店が目に留まりあまりだらだらうろついても益はなしと考え、ようやく踏ん切って入ることにしたのでした。客の入りはそこそこで駅から若干は慣れている割にはまあ悪くないのであろうととりあえずは胸をなでおろします。カウンターにはひとり客もいて、どうやらひとりでも使いやすそうです。チューハイを呑みながらもつ焼きの到着を待ちます。先にレバに食べるラー油みたいなのをどかどかまぶしたものがやってきて、これが思いがけず量があって、しかもうまい。食べるラー油を小振りのレバに大量に乗っけて食べるには利き手ならざる左手ではやや困難であるなあなどと思うのでした。もつ焼きは、塩がちょっときつめではありましたが肉汁感がしっかり感じられるこれまた思いがけない旨さでありました。塩振りは今後の精進に期待します。店の方は初老の夫婦にその娘さんくらいの年代の女の子と敷居も低いので今後人気店となる可能性ありと見ました。品書:チューハイ:315,もつ焼:105~,ししゃもフライ:315,ポテトサラダ:420 続いては、北側に移動。駅前をまっすぐひたすら進み、左手にある風俗街に混ざりこんでいる居酒屋に行ってみようかといくらか躊躇するものの予感のようなものがあって途中で右手にそれることにしました。環七通りの向こう側には、悪くないけ無愛想な印象のある「まかや」が見え、駅前の通りまで斜めに切れ込んだ通りの右手には味はいいけど気取った雰囲気でもう一度入るには躊躇われる入りずらい「ひぐち」があります。その向かいには、なかなか縁のないすき焼き・しゃぶしゃぶ・ふぐ・すっぽん・天ぷらという普段なら見向きもしないであろう文字が赤いテントのひさしに掛かれる「むかさ」があります。何の気なしにべたべたと張り巡らされている張り紙に注意を向けてみたところ、1,000円の晩酌セットがあります。生ビールやひれ酒なら2杯,サワーなら3杯に肴が3品でこの値段はかなり破格であろうということで早速入店。カウンターもありますが,先客2名がカウンターで残りは,2,3席と窮屈なのでテーブル席へ。本当であればもっと客席を増やすことは容易に可能な広さがありますが,なんだか雑然と散らかっていてこのままでは増設も難しそうです。どことなくくたびれた人の良さそうな夫婦だけでやっているのでこの客席数で丁度よいのでしょう。さて,サワーを頼んだぼくの元には720mlの瓶に詰められた緑茶割と氷の入ったグラスが届けられます。4杯分位入ってますとのことでしたが,途中奥さんが氷を追加してくれたので5杯分取れてしまいました。三種の肴は筍なんかも入ったもつ煮込,ふぐの皮のにこごり(多分),おかひじきの酢味噌和と旨いというほどではないもののちゃんと手が掛かっています。土日祝は飲物1杯サービスでアルコールのダメなお子様にはアイスクリームの天ぷらがサービスされるらしいのです。肴も200円位からがメインで500円の肉炒め(6種類の肉からチョイス,味付けは4種から選択)などなど安くて品数も驚くばかり。雑然とした店内にあって,一際目を惹く2台の業務用冷蔵庫にはそれこそありとあらゆる食材が詰め込まれているのでしょう。ふぐやらすっぽんの含まれたコースも2,000円からありました(恐らく)。50周年(!)サービスで純だかの焼酎ボトルが1,200円で提供されていたり,これは安いんだかそうでもないんだかなんとも言いがたいところがあります。ちぐはぐな点もいろいろありますが,何はともあれサービス精神の凄さには,日頃あまり表情を表に出さないS氏をも笑顔にしたのでした。今度は500円の刺身定食にトライするとのことであります(定食メニューに併記された1,000円で500円定食と生ビール付きはこの店の価格設定の不可解さの最たるもの)。
2013/06/11
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酒を呑む行為というのが、飯を食う程には日常的なものではないにせよ、それに準ずる程度には特別ではないから、それを準日常的とでも称することはさして異議を唱えられる類の主張ではなかろうと思います。ただまあ、食が万人にとって生きていく上で欠かせぬ行為であるのに対して、呑みが呑兵衛にとっては切実な行為でこそあれ、命を繋ぐに必至であると強硬に言い張るつもりはありませんし、むしろ用法容量を謝ると命を奪う振舞いともなり兼ねぬからまあ、ここでは呑む事がそこそこ日常的な事と述べるに留めます。だから、マンガに限らず大部分の物語を描写する事を主な目的とした表現で主に人を対象ー人ならざる人外とか幽霊なんかを描いていたとして大体においては人の思考や行動を範としているようですーとすれば、酒を呑むシーンが頻出するのは無理もない事なのです。無論、特にマンガに顕著でありますが、マンガというメディアが主な購読層を子供に据えているため、必然的に自主規制が作用してしまいがちで、その表現は一定の制限が掛かるものですが、例えば今回取り上げるちばてつやの『おれは鉄兵』などでもまだまだ義務教育真っ只中の少年が大人を驚愕させつつも大酒を呑んでいるし、実際に酒を呑まずとも、例えばクレヨンしんちゃんなどのように牛乳を呑んで実際に酔っ払っているようになるといった描写は珍しくもないのであります。そもそも酔っ払いというのは特にギャグマンガの登場人物として頻出する存在なのでありまして、その登場の有無もしくは多寡があるのは単に作者自身の酒好き/酒嫌いに依拠するものに思えます。というわけで、マンガには必然として多くの酒呑みが登場し、彼らがいきなり酔っ払った姿を晒すことも少なくはありませんが、酔っ払っていく過程を丹念に描かれることも多いのであります。ちばてつやのマンガにあっては、酒場は単なる切り取られた景色の一枚に留まらず、ドラマを生起する舞台でもあるし、登場人物たちに安らぎをもたらしたり、苦悩を深化する場でもあったりするのです。 では、具体的にちばてつやを代表するまんがのいくつかを見ていくことにします。ちばてつやのマンガ家としてのベースは少年誌を中心とした少年マンガということに異論はないと思います。戦後期に活躍していた人気マンガ家たちには珍しいことではないのですが、少女誌などでも執筆をしましたが、まあ概ね少年マンガの作家として差し障りはないと思います。やがて、ちばは活躍の場を青年誌に移行することになりますが、途端に酒場の描写が激増するのがなんとも分かりやすくて嬉しいのでした。実際に少女マンガ誌に連載、執筆された『1・2・3と4・5・ロク』などは途中まで再読したけれど、酒場の描写など皆無だったのです。この際、そうした些事は無視して、分析などもあえて介入させずに列挙することにします。『おれは鉄平』(講談社, 1983-80)の主人公である上杉鉄兵は中学生。野生児と呼ばれたりもするのですが、単なる暴れん坊ではなく酒もガブガブと浴びるように呑んだりするから恐ろしい。というか、それが良いか悪いかはともかくとして中学生が酒など呑むのはさほど不思議ではないのですが、ちばの描画が丸っこくて可愛いせいもあってか小学生低学年のような見掛けなので、さすがにそんなガキんちょがガバガバと酒を煽るというのはヤバそうであります。そのためかその後は鉄平が呑む姿が描かれることも(恐らく)なくなって、物語も当初のギャグマンガから学園スポ根マンガ=>冒険宝探しマンガと驚愕の展開を繰り広げることになるのです。最後の埋蔵金探しの件、ほぼ大団円を迎える頃になって、ようやく蕎麦屋での呑みのシーンも登場します。 続いては、『紫電改のタカ』(講談社, 1992)。主人公の滝城太郎の正確な年齢は不祥ですが、本人もまだ未成年と語っております。鉄平よりは間違いなく年上ですが、滝は至って真っ当な人生を送ってきたようです。周囲の若い兵士たちが事あるごとに行われる酒盛りの席でも一人飲酒を固辞し続けます。ぼくは、ちょっと滝氏とは仲良くなれそうにないなあ。可愛い許嫁もこんなお堅い男だとそれはそれで息が詰まりそうだなあなんて思わぬでもないけれど、ご想像通りそれは叶わぬ杞憂となるのでした。
2020/06/21
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前回もったいぶって書かなかった樋口氏のレシピとの初遭遇について、忘れぬうちに書いておきます。それはほぼちょうど一年前に大量にパクチーを入手した時のことでした。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/nilic/diary/202004230000/"パクチーサラダ</a>について、得意気に書き残しています。わが事ながら赤面の至りでありますが、それはさておき、かつてクレソンをクレソンドレッシングで合えた料理やこれは定番、トマトをトマトドレッシングで合えたものなどにハマったことがあったのですが、この時にはパクチーをそれに応用してみたのでした。この時には大いに満足してその出来栄えに大いに自身の料理センスを見直したのでありますが、その後、より改良を目論んでネットを調べてみると何のことはない、ぼくなんかより余程スマートでよりパクチーの風味を活かしたレシピに遭遇したのでした。<a href="https://note.com/travelingfoodlab/n/n4c1107f46104?magazine_key=mab0f1aba24f8">パクチーのサラダ</a> それが、樋口氏のこのレシピです。してやられたと思うと同時に、このパクチードレッシングは冷奴や厚揚げ、豚しゃぶなんかに乗せたりと今では定番ドレッシングとなっています。<a href="https://note.com/travelingfoodlab/n/n29ac37bd4eb4?magazine_key=m2471f8dc7f48">2つの材料でチョコレートムース</a> 樋口氏の多様なレシピの中でも飛び切りのシンプルレシピの一つがこれかもしれません。そこらで売られているチョコレートと熱湯だけでチョコレートムースが作れるなんて。ということでようやく先日試してみました。買ってきたのは明治の板チョコ。1枚50gとレシピどおりの分量ですが、これでは物足りぬかもと2枚分で作ってみました。横着してハンディミキサーのオプションの泡立て器で混ぜたところ、飛び散りが酷かったですねえ。もっと大きなボウルを使って斜めに倒す、分量をさらに増やす、そうでなければ面倒ですが手で泡立てるのが結局は正解かもしれません。数分すると確かにそれらしく色が白濁してきて、むっくりと膨らみ出します。冷蔵庫で冷やし夕食後のデザートとして頂きました。うおっ、旨い。結局板チョコ1枚分を食べてしまいました。小さめ目のタンブラーで2杯分摂ることができます。で、食べている時にはスッキリ感じられたのですが、しばらくすると胃が重くなるので、この半分量が適量なのかも。<a href="https://note.com/travelingfoodlab/n/nf712fe9596e9?magazine_key=m2471f8dc7f48">スイスチャードの蒸し煮の作り方</a> 近所のスーパーでスイスチャードが1袋100円で販売されていました。しかも半額となっていたので2袋を購入。多分、ぼくは目新しい野菜を随分食べてきたと思うのだけれど、これも何度か購入したことがあります。でも見た目は賑やかですが、味の方は余り印象がありません。ほうれん草と似たようなもんだなあなんて思った気がします。買ってきたはいいけれど、さてどう処理しようか。困った時にはこちらのサイトをチェックします。おお、ありました。では、今回はオイルを用いた蒸し煮を試してみましょう。もともとがちょっと傷みかけということもあり、色味は余りよろしくありませんが、歯と茎が食感も風味も違ってなかなか美味しく頂けました。憧れ野菜のセロリアックなどの調理法もありとても参考になります。でも、この2年程―ちょうどコロナが猛威を振るいだした時期から―、物珍しい野菜が高級スーパーなんかを覗いても品薄状態が続いているようです。主な購入先であろう飲食店での需要が下がっているんでしょうか。ユニークな野菜が食べられなくなるのは寂しいですねえ。
2021/06/01
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夏もそろそろそのなりを潜め始めた頃、秋津で呑むことになりました。これまでも何度かこのブログに登場してはいますが、コロナ禍以降になって訪れるのは初めてではなかろうか。実のところ以前頻繁に訪れていたこともあり、目ぼしい酒場はひと通り立ち寄ったつもりでいるからついつい足も遠のくのであります。そういう土地だから何かしら背中を押してくれるきっかけでもないとなかなか再訪してみようって気になれないのです。しかしある夜唐突にその機会が到来してしまったのであります。というのも日暮里だったか田端だったかでその親しい人と呑んでいたら相手がご機嫌になった勢いで我々を親しくさせるきっかけとなった共通の知人がまさにその秋津の住民でありましてたまには呑もうじゃないかと相成った次第なのです。そりゃまあわれわれを仲良くしてくれた人でもあるし、それぞれが知り合った当時にはそれこそ連夜の如くに酒を呑ましてくれた方だったので、すでに退職してしばらく経ったから小遣いも以前のように自由にはならないだろうから、たまにはお会いして礼の一つでも申し上げるとともにご馳走させていただこうなんて思った訳なのであります。ついでにコロナ禍以降の町の状況も確認しておきたい。店は本当であれば好みの酒場をぼくが決めたいところでありますが、ここは地元の名士(らしいのですね)顔を立ててお任せすることになりました。友人は先乗りして2人で始めるとのことなので、ぼくは列車に乗り込んで席に着くとすぐに向かう先を知らせてくれるようお願いの連絡を入れたのでした。 返事には写真が添付されていて,見覚えあるなあと思ったら以前お邪魔したことのある「ひじかた」が映っていました。酒場放浪記でも放映されています。ここなら文句のつけようがない。駅に到着するとまずは秋津の老舗パン屋さん「サントアン」でお土産を購入しました。Winkの相田翔子氏がアルバイトしていたり宮崎駿が通っていたりと何かと有名なお店ですが、そんなことよりここのお手頃でありながらちゃんとしたパンは秋津に来たらぜひ買い求めたい一品であります。主人も気がいいし(値引もしてくれたり)陽気で楽しい方です。洋菓子の「ロートンヌ」も気になりますが今回は遅くなることも危惧されるのでやめておきます。さて駅前からは喧噪に背を向けて大急ぎで会合の場に向かいます。せっかくだからとかついでだとかといったことをつねに考えているのがぼくのケチ臭さの証左であり、いまひとつ器の小っちゃさに繋がっている気がするのです。さて、駅からは歩いて1、2分程度だから息を整えるほどでもない。奥の座敷で2人はすでにご機嫌さんです。奥から懐かしいよく通るのに加えて大きな声でぼくの名が叫ばれます。相変わらず豪快だなあ、しかも元気だなあと嬉しくなるのです。久し振りに顔を合わしてみると記憶にある当時とちっとも変っていないからまた驚きです。2人はすでに気分良くなってるようなので、遠慮がちに瓶ビールと鰯餃子、〆鯖、それとお勧めのだだちゃ豆をお願いしました。これって別に支払いを気にしたって訳じゃないですからね。見ると焼酎のボトルには名前が書き込まれています。へえ、ここを贔屓にしていたのね。以前お邪魔した際に偶然遭遇するってこともあったかもしれないって訳だ。こちらが滑り出しで控えめにオーダーしたのに喋りが盛り上がってくるとちょっと草臥れたように見えた二人も息を吹き返して、酒も肴も進むこと。それにしてもここの料理は何を食べても美味しいなあ。身近にこういう良心的で高品質な料理を出してもらえる店があると重宝しますねえ。さて、先輩殿はかつては朝まで当たり前のように4、5軒とハシゴされたものですが、さすがに今ではこれで充分満足されたようです。支払いになっても絶対に金を受け取らないのも以前のまんまでした。ということで案外あっさりとお開きになって本当はぼくだけでももう一軒ハシゴしたいところですが、親しい人を取り敢えず池袋までは送り届けようと西武池袋線の乗客となったのでした。
2022/09/23
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羽田空港のすぐそば、早朝便に搭乗する人や欠航による宿泊難民の方のためのホテル街のような味気ない大きな通りが目に付きますが、京急の羽田線の線路に寄り添うように歩いてみると、案外に庶民的な商店が立ち並び、今回向かう穴守稲荷のような歴史を感じさせてくれる神社などもあって、思いのほか散歩の楽しさを味わえるのですが、今回は日もすっかり落ちた頃にやって来たのでした。ここに来たのは以前入りそびれた酒場放浪記のお店に入りたかったというのが主な理由で、調べをつけておいた喫茶は前回同様見つけられず、しばらくは駅周辺をウロウロしてから開店のタイミングを見計らい、いそいそと呑みに向かうのでした。 お邪魔したのは、「季節料理 なべ料理 淀」です。実はあと一軒、無性に気になる良さそうな焼鳥店もあったのですが、今は目の前の酒場に集中することにしましょう。通常より幾分か狭く感じられる戸を開け入るとすでに呑んでいてもうそれなりに出来上がっている高齢のご夫婦がおられます。二人とそう年の変わらぬような店の主人夫婦は矍鑠としていますが、オヤジさんはほぼ口を開くこともないので案外喋るとお客の夫婦同様、何だか噛み合わない会話となるかもしれませんが、少なくとも料理の手さばきを拝見するにまだまだ老境には達しておられぬようです。大繁盛すると聞いていたので早めに来ましたが、入ってしばらくは手前の6人分程度のカウンターにまだ余裕がありましたし、奥の2卓分の小上がりも空いていました。しかし、次第に分かるのですが、奥の席は両卓とも予約が入っていて、どうやら名物という鍋が目当てのようです。そうそうカウンターの背後にも2名掛けの小上がりがありましたがこれは今は使われていないようで、46周年を祝う花鉢が置かれています。ここで呑むのも良さそうに思えたのでちょっぴり残念ですが、今ではここまでは手が回らないのでしょう。評判通り肴は魚介を中心になかなか新鮮で美味しくいただけました。そうこうするうちにカウンターは埋まり、奥の小上がりの客も三々五々と集まり始めています。とてもわれわれまでは手が回りそうにありません、ちょっと物足りなくはありますが、次の店の目星も付いているわけだし、移動することにしました。 店の前がバス停だったので帰りは蒲田駅行きの京急バスに乗ることにしましょう。駅方面に折り返して、川崎大師の方角に伸びる路地を進むと「やきとり すみちゃん」がありました。殺風景な外観がなんともいい雰囲気です。何でもないといえばそれまでですが、直感的にこちらはかなりの年季がある店だと確信します。ところがあれれれ、細長いカウンターに奥は座敷になっていて子連れ客たちがガヤガヤと楽しんでいるという光景はこの町のものとして相応しく思われます。しかし、想像より明るくて若い人も多いので何だかイメージと違っていてどこか拍子抜けの感があります。肴はボリュームがあってつまみ甲斐がありますが、逆に値段を下げて少なめにしてくれたほうがいろいろ食べられるのにな。ところで概ね悪くない店なのですが、とにかくわれわれー同行者ありーが一見ということもあるのか、女将さんがとにかく強面でおっかないのです。われわれに対しては警戒の表情を崩すこともなく、それは勘定が済んでも変わることなく、寒々とした気分に浸るのでした。ところが奥の座敷は女将さんの家族のようで、子供たちが絡む時だけは笑顔を浮かべーそれでも引きつった表情なのでもともときつい顔立ちの方なのかもー、その百分いや千分の一でも愛想があったら印象はぐっと良くなったはず。 バス停に引き返してみると「季節料理 なべ料理 淀」はまだまだ縁たけなわ、真暗な停留所にて街惚けるのが悲しくなるのでした。
2015/12/01
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春日部市という町すべてを知り尽くしているわけでもなく、春日部駅に限定しても駅を中心にせいぜい半径1キロメートル程度を歩いた程度であるので、このように確信めいたことを言うのは傲慢なのかもしれませんが、やはり春日部という町には魅力がないと言い切ってしまうことにします。そんなぼくには少しも魅力のない町ですが、いつもお馴染みのA氏にとっては、幼年期から青年期までの多感な時代を生き抜いた大切な土地なのでありました。そんなA氏の導きにより、春日部にわずかに残された酒場を案内してもらうことになったのでした。というのは真っ赤なデタラメで、やはりぼくが以前の散策で目にしていた酒場やいつものあのテレビ番組で紹介されたお店を事前にチェックしたうえでの少しも冒険心のないノルマのような呑み歩きとなったのでした。 初めからほぼネタの割れている推理小説を読むような味気なさはあるものの、そう言っても酒さえ入れば結構ごきげんになれるのですから、まあ酒呑みとは幸福な人種であります。目当ての「丸金」は、繁盛店とのことなので、どうしても急かされるような心持ちで足取りは必要以上に速くなってしまいます。もともと西口だか南口だかの風俗街周辺を除くと呑み屋さんが固まっている場所のない春日部らしく、この店も住宅街と言ってもおかしくないような、暗い夜道に一軒だけが居酒屋らしき赤い灯りを照らしています。外観を眺めるのもそこそこにそわそわと引き戸を開けると店内は意表を突かれるほどに閑散としています。カウンターに2名ー椅子席はこのカウンター10席弱のみー、広い小上がりにも一組だけで、店の方たちの方が人数で勝っています。ご多分に漏れずカウンター席は常連さんの御用達となっていて、それぞれお気に入りの席があるようです。そのおひと方が妙な人でたった独りで4000円近く呑んで、精算を済ませたのですが、済ませた後に立ったまんまわれわれがひとしきり呑んで勘定を済ませて席を立ったあともずっとー30分近くはいたのではないかー、店に人にとても辛くてしようがない家庭の愚痴を語り続けたのでした。いろいろ愚痴りたいのはわかるけど、さすがに度が過ぎてますね。もつ焼はなかなか美味しいのですが、特別すごいわけでもなく、値段も安くないことを考えるとぼくにはさほど感心できないのでした。まあ、店の雰囲気や店の方たちが親戚の家に遊びに行ったような気分にさせてくれるというところが取り柄でしょうか。 続いては「福島や」、同じくーいや、むしろさらに暗い通りにひっそりと営業しているー住宅街にぽつんとあるお店です。田んぼの中の掘っ立て小屋のような、安普請さに惹かれる感性はかなりの程度で満足させてくれます。座席の配置も当てずっぽうに並ばていったようでありながら、実のところ入念に計算しつくされているようでもあり、かなり楽しめるのでした。不思議な事にこちらも客の入りは悪く、結構な広さがあるにも関わらず、店の方がお二人なのも納得なところ。酒も肴も豊富で値段もかなりのリーズナブルであることを考えると、客も店の方もこの数倍くらいいてもちっとも不思議でないのにどうしたことなのでしょう。危険な落語家である楽亭ブラックが時折、落語会を催すらしいのですが彼はきっと春日部在住なのですね。ともあれ、ぼくにとってこのお店は春日部における酒場の最後の砦と言っても過言ではありません。またいつか訪れるまで壮健あれ。
2014/12/18
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あまり下車したくない、いや何度か降りたこともありますが再開発の進む愛想の欠片もない町という印象ばかりが先立ってしまう立川の町ですが、正直じっくりと散策するのはー実際は仕事絡みなので時間制限があったのですけどー、はじめてのような気がします。悪い印象が前提なのでこれ以上悪くなりようがないのは心強いことです。到着後すぐに用件を済ますまで、少し時間があります。すぐにちょっと良さそうな喫茶店が見つかったのでまず一軒、仕事を終えて呑み会が始まるまでもう一軒、喫茶店によることができたのはついていました。 最初は「コーヒー&パスタ ロビン」です。真鍮フレームに茶色の合皮クッションのスツールが整然かつズラリと並んでいて地味ではありますが結構好きなタイプの喫茶店でした。リラックスできる洋風食堂の趣でした。 次は、駅前のペデストリアンデッキの先、階段を降りた目の前のビルの地下に「珈琲 はなや」はあります。緑のテント看板が目には眩いものの一瞥しただけで古いお店であることは明らかです。店内もオールドファッションで落ち着けます。コーヒーはいい値段ですがこの雰囲気を求めてか、なかなかの入りです。再開発の波にも晒されず、頑張り抜いていることに頭が下がるのです。 呑み会までまだ間があるので酒場放浪記でも紹介されたらしき昭和20年開店という古いバーを訪ねてみることにしました。駅北側の都心よりの線路沿いはかろうじて昔からやっている古いお店が健在のようです。ところが探せど見つからず、観念して、どこかのなにがしかのお店の呼び込みのをする娘さんに聞くとビル飲食店まで案内してくれて、店名が列記されている看板を示してくれました。礼を述べて確かに「スタンドバー 潮」とあるのを確認、果たしていかなる地下飲食街かと胸踊らせて階段を降りると、そこはいきなりのチェーン店らしきお店の入り口となっています。他に階段を探しますが見当たりません。どうやら地下の飲食店街はそっくりと一軒のチェーン居酒屋に取って代わられてしまったようです。 時間も過ぎてしまったので会場である「大衆酒場 あま利」を目指します。ここも先の2店の最寄りであるため迷うまでもなく到着します。大衆酒場という触れ込みにもかかわらず、店はまったくそれらしき雰囲気はなくこざっぱりした和食店のようです。1階は塞がっていたため、地下に案内されます。地下は靴を脱いでの小上がり席となっています。なんか失敗したなあと思いますが、もう一軒、目星を付けておいた居酒屋が満席でとても入れそうにありませんので、仕様がありません。まあ金曜日ではこんなものでしょうか。8名のグループなのに予約もしなかったのは、急なこととはいえ、無鉄砲でした。酒は人数が人数なので焼酎をボトルで注文します。若者が酒も世話をすることになりますが、今時の多くの若輩はこうした作業をけして厭う訳ではありませんが、焼酎が多すぎたり少なすぎたり、何度かお替りを繰り返しても、加減を覚えられず叱責されたりしています。ぼくは無論自分で注ぎます。いつもお前ばかり濃い目に作るンだよなと嫌味の一つや二つはいつものこと。いろいろかったるいことではありますが、たまには賑やかに呑むのも悪くありません。 予定外に長居して皆いい具合に酔っ払ってしまいました。ぼくもご多分にもれぬわけですが、せっかく遠路はるばるやって来た立川でこのまま引き上げるのはもったいないというものです。初めお邪魔するつもりだった「玉河」を再び覗いてみました。いい時間だし、一人ということもありすんなり入ることができました。かなりのオオバコで活気に満ち満ちています。掻き分け掻き分けしてようやく店の奥のカウンターに辿り着いたのは、結構酔っ払っていたためでしょうか。正直ここで何を頂いたのやら記憶にないのですが背中越しに喧騒を感じながら独り酔い潰れるのも何だか愉快に思えるのでした。
2014/10/02
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前回書いたように「大ちゃん」は、どこ鉄道駅からも隔絶していて、所謂ところの陸の孤島なのであります。公共交通機関はコミュニティバスのみで、東村山駅から「大ちゃん」のある青葉商店街を経由して新秋津駅に向かうというもの。うん?!、なんだ東村山駅からバスが出てたのかあ、バスのチェックは面倒でついサボってしまいます。でもまあお陰で素敵な喫茶店に巡り合えたのだから良しとするか。この後、秋津駅方面に向かうのでありますが、なんとも具合の悪いことに秋津駅からすぐの新秋津行は、17:23発が最終です。東村山駅行きで19:02発がありますが、バス運賃と西武線の運賃を払うのはいかにも勿体ない。それにしてもこの界隈にお住まいの方は新秋津駅からは17:15発が最終だし、東村山駅でも19:02発で運行が終了してしまうとなるとかなり不便なのではないか。いや案外、そんな環境だから一家に2台、3台の自家用車持ちも多いんじゃないか、住居選択の自由は国民に等しく認められているのだから、多少の便の悪さに勝る魅力があるかもしれぬから、余りとやかく言うのは傲慢に捉えられかねませんので口をつぐむことにします。いずれにせよYahoo! Japan 地図によると東村山(24分)、久米川(26分)、新秋津(26分)と表示されるのでいずこへ向かおうと変わらぬのであれば当然に目的の秋津駅に向かい歩くことにするのでした。 前回は豪雨であったように記憶するからそれに比すれば足元も確かで案外あっけなく到着しました。目指したのは「大衆割烹 ひじかた」です。こちらも酒場放浪記で紹介されていますね。全く同じルートを辿って、前回は両方お休みでしたが今回はいずれも営業していました。同行しているA氏の強運が恨めしくなります。まあ、こういうことってままあるものですけど、ぼくの場合、こういうパターンが少なくない気がします。それはきっと被害妄想に過ぎぬのでしょうし、大体においてお盆とか正月とかの誰もかれもがお休みのような日に自分も休みなのであって、そういう日に出向いている以上は仕方のないことかもしれません。ともかくやってて良かったよかった。大衆割烹が想像させるイメージ通りの内観であります。それ以上でも以下でもなくいのであります。2人なので、カウンター席かなと思っていたら小上りに案内されました。その後、ポツリポツリとお客さんが訪れますが、なるほど皆さん独り客ばかりでカウンター席は彼らのために確保しておきたいという訳ですか。お値段はまあ普通というかぼくにはちょっとお高めなので注文はほどほどに。酒もほどほどに抑えておくことにします。まあこうした上品なお店で馬鹿呑みするのも嗜みがないというか端的にカッコ悪いことなのであります。料理は品良く素材を大事にしているという意味のない感想に留めておくことにします。さて、目的も達したし、次の一軒でお開きにしておこうかな。 という訳で、「まつり」という立呑み風の簡素な店舗構えのお店にお邪魔することにしました。くねくねとうねったカウンター席だけのお店です。もともと窮屈なお店に席をたくさん確保しようと無理矢理詰め込んだような造りであるため、奥の客が通るたびに席を引かねばならぬのがやや面倒ではあるけれど、これが情緒であるとも言えなくはないのであります。ご主人はどうやら岩手県ご出身らしく、岩手の特産物がちょろちょろと品書きに並んでいますが、それが何であったかはすっかり失念しました。そうそうそんな壁の隙間に7月29日に閉店する旨の掲示があります。この夫婦連れからサラリーマンのグループ、関係不明の呑み仲間などさまざまなお客に愛されたこのお店も最初で最後となってしまいました。秋津も古い酒場がじわりじわりと減っているような気がしますが、また一軒の酒場の灯が消え去ったのでありました。
2018/08/21
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つげ義春は、ぼくにとっては必ずしも手放しで好きと言えるマンガ家ではありません。というのもぼくがこの人を知った時にはすでに人によっては神格化されるまでに高められた存在であり、うっかり語ることを禁じられた者に祭り上げられてしまっていたのです。一方で、つげ氏のことを「私小説」になぞらえてか、「私漫画」のパイオニアとして位置付けるという極めて凡庸かつ大雑把な評価がまかり通っていたから情けなくなります。でもまあ実際に読んでみると必ずしもそんなのばかりでなく多様な表情を見せてくれて楽しく読んだのでした。そんな中には実際に私小説と呼ばれる一連の小説と似たような内容のものも少なくないのでありますが、私小説というのものの大前提があくまでも「私」という一人称で記述されるのであれば、マンガには真の意味での一人称などありえないだろうし、だからして「私漫画」などというものもないと思うのです。誰だって自分のことを書きさえすれば一冊の書籍をものすることができるといった人がいたと思うけれど、その言葉の真偽はともかくとしてつげ氏らしき登場人物を見ていてもその多面的な人物像を眺めるだけでもこれは面白い逸話をたくさん持っているだろうななんて思うのでした。『つげ義春初期傑作短編集 第3巻』(講談社漫画文庫, 2008)「指斬り剣士」には、武士たちが集団で呑むシーンがありますが、ここが酒場というよりは蕎麦屋に思えるのです。酒器ももう少し丁寧に描いて欲しいものです。 『つげ義春全集 第1巻』(筑摩書房, 1994)「四つの犯罪」には、「大学バー」というのが出てきますが、看板以外は少しも酒場らしく思えぬのです。「鉄路」に出てくるのは西部劇の酒場みたいな雰囲気であります。それはスウィングドアがあるからなんですが、サントリーのだるま風の酒瓶がないとやはり酒場には見えないかも。 『つげ義春全集 第2巻』(筑摩書房, 1994)「一発」では、カウンターで横並びになって呑む男二人が描かれます。どうも初期のつげ氏はバタ臭いイメージの酒場をよく描きましたが、どうも素っ気ない印象です。 『つげ義春全集 第4巻』(筑摩書房, 1994)「不思議な絵」に出てくる居酒屋は、赤提灯もあるし着流しの侍が立ち寄るにはそれらしい雰囲気でつげ氏の描く居酒屋としてはいい方かも。 『つげ義春全集 第5巻』(筑摩書房, 1994)「もっきりやの少女」は、つげ氏のマンガ作品では稀有な酒場を主たる舞台とした物語で貴重です。「もっきりや」で一人商売をするコバヤシチヨジは、近隣の若者たちにおっぱいを触らせて辛うじて商売をしています。ファンタジーでしかありえぬような酒場ではありますが、やはりこうした酒場に憧れるのです。 『つげ義春全集 第6巻』(筑摩書房, 1994)「窓の手」の殺風景な酒場は、酒場というムードは全くなくて、それどころかここは酒がなければ牢獄かというほどにあらゆる細部が削がれています。ここまでくれば案外いいかもと思ってしまいます。「日の戯れ」に出てくるのは、角打ちのようなお店ですが、「だから駅前の道でお酒呑んでる連中が」の一文を読むと今でいうコンビニ前で群れて呑んでるようにも思えるのです。でも、絵には暖簾も下がっているのが描かれているし、銀杏みたいでちっとも旨くはなさそうだけれど焼鳥らしき皿も描かれているから、これはまあ駅前の立呑み屋からはみ出てしまった酒呑みのスケッチなのかな。 『つげ義春全集 第7巻』(筑摩書房, 1994)「少年」には、屋台でも角打ちでもない屋外に開かれた酒場がチラリと描かれます。こんな酒場そうそうはない気がしますが、密閉された屋内の酒場よりずっと魅力的に思えます。「別離」には普通の大衆酒場が描かれています。この前後の酒場もそうだけれど、つげ氏のマンガ作品がずっとこのクオリティの酒場を描いてくれていたなら、もっとも魅力的な酒場を描けるマンガ家にもなりえていたかもしれないと思うのです。「無能の人」ではやきとん屋が描かれますが、ここでも「少年」同様に開放的なお店が登場します。夜景を背景にすることで、書き込みの省力を図ったのではないかと邪推しますが、それでも背景の黒が効果的で実に素晴らしいのです。ねじ式(1) (コミック文庫(青年)) [ つげ 義春 ]
2020/07/14
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長々と続けてしまった水木マンガからの酒場などの引用記事でありますが、残すはあと2回分というところまで辿り着けました。まだまだ多くのマンガ家が待機しているから、次のマンガ家さんからは引用するコマももっと厳選すべきかと思わぬでもないのですが、パラパラめくってみるとどれも愛おしくて選別などできぬということになることを覚悟しているのでした。まあ長く続けるのは構わぬとして何が困るかというとさすがに書くことがなくなってしまうことであります。引用した絵だけをペタペタと張り付けるのが楽チンではありますが、それはどうも気乗りがしません。ということで今回は人気スポットである「水木しげるロード」、「水木しげる記念館」ではなく、その立地する鳥取県境港市について何か書きたいと思ったのでした。しかしいざとなると境港って随分昔に一度行ったきりだからこれといった書きたいネタなど思いつかぬのでした。困った時のGoogle Mapということで境港を見てみると、その地形がとても面白いのですね。境港市と松江市でほとんど取り囲むようにして中海があり、眼鏡状になってもうひとつが宍道湖がありその向こう側が出雲市になっているのです。恥ずかしながら鳥取県の地図をまじまじと眺めるのはこれが初めてらしくて、その日本海側の地形の独特な形状はとても印象に残ったのでした。昔、山陰本線を鈍行列車で座りっぱなしなのにひいこら言いながら乗り継いだことを思い出しますが、その際はこんなユニークな地図上を走っているとは気付かずにいたようです。『ゲゲゲの鬼太郎 2 妖怪軍団』(ちくま文庫, 1994)(「ぬらりひょん」,「悪魔ブエル」)『ゲゲゲの鬼太郎 5 妖怪大統領』(ちくま文庫, 1994)(「天狐」)『ゲゲゲの鬼太郎 6 妖怪反物』(ちくま文庫, 1994)(「かまぼこ」,「朧車」)『ゲゲゲの鬼太郎 第15巻』(講談社コミックス)(「鬼太郎夜話」)『ねずみ男の冒険 妖怪ワンダーランド1』(ちくま文庫, 1995)(「ああ無情」,「不老不死の術」)『怪奇館へようこそ 妖怪ワンダーランド4』(ちくま文庫, 1995)(「すりかえられた肉体」,「たたり」)『奇人怪人大図鑑 妖怪ワンダーランド8』(ちくま文庫, 1995)(「なめちゃん」)『京極夏彦が選ぶ!水木しげるの奇妙な劇画集』(ちくま文庫, 2001)(「鬼婆」)『幻想世界への旅 妖怪ワンダーランド3』(ちくま文庫, 1995)(「原始さん」)『死神の招待状 妖怪ワンダーランド6』(ちくま文庫, 1995)(「死神の招き」)『水木しげる特選怪異譚1 フーシギくん/おばけのムーラちゃん』(文藝春秋社, 2000)『糞神島』(双葉社, 1973)(「当世ますらお団 野坂昭如「当世ますらお団」より」) 今回は、ぼくが大好きなねずみ男がちょくちょく顔を出していますね。このキャラクターが精密に描かれた町や飲食店の前に佇む様子が実に可笑しいのであります。それに蕎麦屋でも中華料理屋でも寿司あでもなんでもいいけれど、どれも素晴らしいのです。こんな店だったら酒を出さぬはずはないだろうけれど、万が一にも酒を提供しない店だと知っていても入りたくなるだろうなあ。
2020/10/24
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近頃、めっきり呑みながらの飲食量が落ちています。と言いながら、不思議なことに宴会なんかでコース料理が出されるときっちりと食べ切ることができてしまうのです。酒量は普段と変わらないのに。普段呑むのがチューハイ、もしくはビールというのが定番であるから、炭酸で腹が膨れるのが原因ではないかと思ったりもするけれど、どうやら違うようです。というのが自宅では、主に焼酎やウイスキー(いずれもロックか水割りが多い)、ワインがメインとなるけれど、この場合も同様で、すぐに満腹状態に陥ってしまうのです。そこから推し量るにどうやら飲食に費やす時間の長短が理由のように思えてきました。宴会の場合は、一定時間の拘束を余儀なくされるのに対して、普段の呑みは時間の縛りもないからどうしても短時間で済ませる場合が多くなりがちです。大体においてぼくは呑みのペースが他の人に比べてかなり速め(吸い口が速いと評される)なので、そう時間を要することもなくそこそこ満足して席を立つということになります。それもあって尿意も催さぬうちに呑み終える場合が多いのです。なので、中華屋さんで呑むのは日に日に厳しくなっているのを感じています。餃子の一皿もあればビールなら2本、チューハイなら3杯はイケてしまうので、どうしてもシケた客となってしまうのが否めないのです。と書けば書くだけ実態とはかけ離れていく気もしますが、近頃、中華屋に行く際は大概二人で訪れて3品程度は頼むように配慮しています。そんな気遣いはもしかすると無用かもしれないが、客として店で過ごす際にケチ臭いと思われながら呑むのはなんとも居たたまれない気分になるからです。 さて、この夜は、「中華料理 ふくや 後楽園店」にお邪魔しました。先般後楽園を訪れた際に見掛けていたお店です。にしても先般夜間に通っていなかったら気付くことのできなかったような著しく目立たないお店であります。そもそも余り馴染みのない壱岐坂通りの裏通りになりますし、しかもそこがわざわざ抜けて通ったからといってもどこかに通じるような場所ではないから夜道の店の灯りを目に留めない限りは気付けっこないのです。さらには店舗の構えも飲食店と認知ができるかどうかの瀬戸際のような非常に控え目なものであったのです。さて、店に入ります。ご夫婦2人でやっておられるようです。町の中華屋さんは夫婦二人三脚というのが非常に多いですね。居酒屋を夫婦でやってる店は少ないように思えるからこの点が、中華屋さんで呑むのと居酒屋で呑むのとの違いとなって感じられるポイントなのかもしれません。旦那は寡黙にもくもくと調理、細君は元気ハツラツに応接対応。で、サービスの冷奴を摘まみながらのんびりと料理を待ちます。ドリンクと料理1品のほろ酔いセット風のメニューもあるとのことなので、ニラ玉と豚肉のなんかを頼んだのでありますが、これがすっごいボリュームなのです。特に後者は食べど減らないって感じでありまして、しかもいずれも正直驚く位にちゃんとした料理に仕上がっていて、ここはきっとなんだって美味しいんだろうなあと思わされるのでした。にしてもこのハーフサイズがあればいいのになあと思わされるのです。
2024/07/07
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最近、昔のことばかり語ってばかりで、まるで死期が目前に迫っているかのようだと思われるお優しい方もいらっしゃるかもしれませんが、幸いなことに年相応に悪いところはあるものの、飲酒を禁止される程の大きな煩いもなく過ごしていること、とりあえずは申し上げておきます。過去のことばかり書くのは、単純に書くべきことが思いつかないからであって、本当はこうして何かを書かねばならないという状況でさえなければ色々と思い付くこともあるのです。でもそうした思い付きをちゃんとメモしておけばそれなりに書くことに難渋することもないのですが、そうしたマメさは残念なことに持ち合わせていません。これはことブログに限った話ではなくて、久々の友人と吞んだりする場合も同様なのです。最近は久し振りに誰かと約束して会うってことになると、個人的な酒場趣味を優先させることよりもさっさと店を決めて呑み始めた方が、より一緒に過ごす時間も確保できると考えるようになりました。そういう趣味性を排していざ呑み始める。ところが、いざ喋ろうと思ってもそんなに話すべき話題って多くないんですね。いや、吞むまでは今晩はこれについて意見を聞きたいとか、あの話題について盛上ろうとか、共通の知人の近況について尋ねようとか思ってはいるのですが、いざ呑み始めるとどうでもよくなるっていうか、すっかり失念してしまうんですね。だから若い頃にはぼくは酒を呑むと猛然と語っていたはずなのに、すっかり言葉少ないおっさんになってしまったと感じるのです。でも、どうもそれだけじゃないような気がします。当時のぼくは聞く側も気持ちなどどこ吹く風といった具合で、とにかく自己顕示欲を満たそうとしていたんじゃないかと思うのです。今となっては赤面の至りでありますが、まあ今更後悔したって仕方ないですねえ。 この夜も田端ではお手頃で居心地の良い「麺飯食堂 八右衛門」にお邪魔しました。いわゆる町中華のような風情もまるでない、どこにでもありそうな笈瀬であります。駅から数分なのにそれ程混み合う訳でもなく、それなりにゆっくりくつろげるのでたまに寄らせてもらってます。一人客も多くてそうした人たちは生ビールと食事系の品をあっという間に平らげるとさっと立ち去るのでありますが、そんなせっかちな飲食のスタイルはぼくにはどうも理解しかねるのです。まず一杯だけ呑むってのはいかにも寂しい。一杯だけ呑む位ならぼくは呑まずに帰宅してゆっくり呑むことを選択します。食事も書き込むように食べる位なら自宅でテレビでも眺めながらのんびり食べた方がいいんじゃないかと思ってしまいます。テイクアウトの方がまだいいと思うんだけどなあ。ていうかそもそも吞みよりも食事がメインであるならぼくはあえて外食する気にはなれないのです。もしかしたらもう我慢できない位に空腹なのかもしれないけれど、そこまで耐え切れない空腹ってそうあるのかなあ。もしかするとこれから職場に戻ってもう一仕事するのかもしれませんが、ぼくなら食事に時間を掛けずに一刻も早く呑める体制に持ち込むんだけどなあ。とお節介なことを書いてしまったけれど、そうしたあくせくした人たちには申し訳ないという後ろめたさのうちに呑むのも悪くないのです。この夜一緒だったのは早々とリタイアして日々のんべんだらりと暮らしている人だったのだ。実に羨むべき境遇でありますね。羨ましい身分ではありますが、日々孤独に過ごしているのでもともと寡黙気味だったのがさらに口が重くなった見たい。長々書いたようにぼくも口数が少なくなったので、せっかく会っても思ったようには盛上れません。ここでお気に入りのチャーシューエッグで飲酒のピッチを上げようと思うのだけれど、どうも勢いが付かない。そうかあ、酒を勢いに帰るほどには呑めなくなってしまったのかもしれないなあ。
2025/09/22
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イタリア料理って日本人の口にも馴染み良くって美味しいと思うのだけれど、表で食べる事ってほとんどないんですね。というのもイタリア料理っていうのは、手の込んだものはそれなりに手間が掛かるものもありますが、概して簡単で時間もそんなに掛からず、食材も案外入手しやすかったりするから自宅で作れる範囲のものは作って食べれちゃうってのが大きな理由となっています。無論、ミシュランの星付きレストランなんかで出される料理となると同じイタリア料理でもとても素人が手を出せそうもないものがいくらでもある訳で、それは技術的な側面があるのは当然として、素人が家庭向けに購入したら店で食べるより食材費が嵩んだりすることもあれば、そもそも個人輸入したり、現地で買って来ないとどうにもならないものもあるものだし、そうなるともう諦めるしかないのです。自分より上手に調理してくれて(時折、プロの料理人が作ったものと思えない料理を食わされることもあるけれど)、安上がりとなれば、手間が省けることを思うともう自分で作ろうなどとは思えなくなるのです。調理の手間のみならず、片付けの手間ってのもありまして、ぼくが粉物を余り作らないのはその手間を厭うからというのが大きな理由です。つまりまあ、ぼくの場合、自分で作ろうと思うものと思えないものは歴然と分かれるのであります。世間には、料理が趣味という人もいるみたいですが、残念ながらぼくはそういう趣味は持ち合わせていないのです。 ということでイタリア料理に関しても普段、その気になりさえすれば作れるものはまず食べようと思わないのだ。せっかくなら家で食べない料理を中心に食べたいと思うのだ。といった次第で「ダイニングバール がじゅまる」にやって来ました。数あるイタリア料理店からここを選んだのは、ここが都内でも有数の名店であるとか異常な価格破壊のお店であるといった特別な理由がありはしないのでありまして、単に田端で呑もうか、であればああ、あすこにイタリア料理のお店があったなあってな流れでやって来たまでです。にしても以前から感じていたのだけれど、ここの看板のチープな感じはどうしたものなのか。店名もとてもイタリアンのお店とは思えぬのだ。余計なお世話ではあるけれど、若いオサレなカップルをハナから排除しているようにも思えるのだ。店の主人があえてそうしたいのであれば、それはそれで一向に構わぬのでありますが、とても美味しいお店とは思えぬけれどそう思われたって構わないということなのか。店内はカウンター席に加えて奥には寛げそうな合皮張りのソファシートとなっていて、これはどことなく現地の場末のお店っぽく見えなくもない。ここで大いに呑みまくるつもりはなかったので、オードブルの盛合せを頼んでみました。キッシュやパテドカンパーニュは作れないことはないけれど、一度作るとそれなりの量が出来上がるのでどうしての二の足を踏んでしまう。特にキッシュは粉物で台所が散らかりそうであります。プロシュートやローストビーフ、チーズなんかは買ってくればいいだけのことなんですけど、これまたデパ地下で買うと結構なお値段になる割には量が多過ぎて持て余しかねないからこの程度をたまに食べるのがちょうどいいのです。しかもこれらが想定していたよりずっと美味しかったからこれは嬉しい誤算です。ハウスワインもこれが案外侮れないのだ。というか普段自宅で呑んでいるワインがいかにも劣悪っていうだけのことかもしれないけれど。そのご確かマルゲリータのピザを食べたりしたのですが、こちらもGOOD。コスパも良くてちょっとした時にお手頃に使えそうだと思いました。平日の夜だというのに中高年カップルが多かったからここで食事を済ましちゃう人も少なくないのかも。
2025/11/03
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豊洲は,関東大震災の瓦礫処理のために埋め立てられた土地です。元々工業地としての利用が多く,大工場や火力発電所,その勤務者向けの住宅や商店もあったようです。この頃,なんと日本初のコンビニエンスストアとも言われるセブンイレブン日本法人の一号店が開店したということです。現在は大規模再開発が進み,高層住宅や商業施設が増加しています。また,2014年を目途に築地市場の移転が計画されています。豊洲駅の周辺にはかろうじて古くから続く店が残されており,そのほんの一角でのみ懐かしい町並みを楽しむことができます。 ぶらりぶらりと10分弱歩いて豊洲駅方面に向かいます。豊洲には酒場好きには知られた店「大衆酒造 山本」があります。昭和49年の創業ということなので,再開発前から年配の夫婦お二人で営業しているお店です。さて,「大衆酒造 山本」ですが,界隈では古い飲食店の集まる一角から道を隔ててぽつんとある一軒家で,寂しげな佇まいがなんともいいですね。店内はL字のカウンター15席程度にテープル席2卓とごく標準的な居酒屋の造り。客はかなりの入りでようやくカウンターにもぐりこむことができました。ぬる燗をすすりつつ,注文したなめろうをちびりちびりとつつきます。これが350円とは思えぬ量でついつい酒が進んでしまうのでした。他の客の注文の品を見てもどれも量があってこれは繁盛するはずだと納得したのでした。 ちょっと飲み足りないので背広族で盛り上がる「ピーコック(Pコック)」に入ってみます。なんだか喫茶店みたいな店でちょっと失敗したかな。喫茶店兼食堂兼居酒屋といったお店でどうってことのない店ですが,チェーン店の少ない地域にあっては,品数も多く,落ち着ける数少ない店として愛されているのでしょうね。 そのお隣の「まるはな食堂」は,暖簾もだらしなく下げられていてほんとに営業しているのかやや不安になってしまう店で,ここら辺ではもっともボロい店と言っていいでしょうか。食堂なのでもちろん定食物が多いのですが,一品物も多少はあります。定食も単品でもらうことが可能なんでしょうね。飲み物はビールだけなのが残念。カウンター5席程度にテーブル2卓のみだったでしょうか。客はひとりも入っていません。照明も薄暗く,最初はちょっと居心地悪く感じましたが,おばちゃんが感じよくて安心します。居酒屋使いはやや厳しいかもしれませんが,ほっとした気分になれる店でした。 最後に居酒屋気分を味わいたくて入ったのが「居酒屋 鳥ふじ」。外観から判断するとそこそこ渋い感じです。ところが,店内は案外小奇麗でしかも広くちょっとがっかり。値段はまあまあで文句はありませんが,特筆すべきことはありません。
2012/05/31
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お花茶屋のつづきです。すでにはしごした二軒はこれといって特別な酒場ではありませんが,なぜか気分が高揚しています。どうしてこんなにうきうきするのか判然としませんが,これが京成線沿線の魅力なんだろうと思うことにします。そんなわけではしご酒はまだ続きます。 続いてお邪魔したのは,「喜八」です。なんだか即席に準備されたような飾り気のないお店で,居酒屋で酒を呑んでいるんだっていう気分はあまり盛り上がってきません。肴は豊富で味もまずまず,酒もそこそこ揃っていて,いずれも値段は安いのに店の雰囲気が損させています。もう少しなんとかならんのですかね。お店の方たちもどことなく無愛想な印象でこれまた減点。若い夫婦に小さい息子の3人だけがお客で,それぞれゲームなんかしてくつろいではいるのですが,これじゃ家で呑んでるのとそんな変わりません。はじめてのお店かと思っていたのですが,3年前にふらり寄り道しているようです。外から店内丸見えなのにどうしてまた入ってしまったんだろう。品書:焼酎ハイボール/ウーロンハイ:250,牛すじ煮込/豚もつ煮込/豚レバ・カシラ・タン・トロ焼:380,デミグラス肉団子:250,冷奴:150 駅を越えて向かうとなれば定番は「東邦酒場」ということになるのでしょうが,悪い店ではなかったとは思うのですが,実はあまり楽しめませんでした。「東邦酒場」のみ青い看板の怪しい灯りがあるのみで,それ以外は照明が落とされっぱなしになったどこまでも暗い飲み屋街がかつての繁栄を偲ばせてくれてそれはそれで情緒がありますが,駅のこちら側だと「かみなりや」という酒場のほうが入りは悪いのも含めて好みでした。 駅から2,3分の「居酒屋 麻美」は,外観はいかにも居酒屋らしい居酒屋です。ところが店内に入ると,おっかない顔をしたちょっと無愛想そうなおっさんがいて,この人が主人のようです。中年の男女がいるだけで,いささか不安を感じます。おっかない主人が女将の体調が悪いのでたいしたものはできないよとやはりドスの聞いた声で言うので,まあ飲ませてもらえればいいよと答えます。このところお邪魔する酒場ではたびたびこうした事態に行き当たります。こういう古くから女将さんがひとりでやってるようなお店も高齢化が進んでいるわりに世代交代はうまくいっていないようです。早速日本酒をお燗で注文。強面主人,案外慎重に付きっ切りでお燗番に徹します。もはや肴を注文する気持はみじんもなくなっていたので,ひたすら黙々と酒を呑みます。1杯にしとけばいいのについお替りしてしまいしたたかに酔ったのでした。
2013/04/25
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かてつ若かりし頃の大森はぼくにとって、大井町、蒲田という隣町とともに映画のためにある町でした。そこに川崎を加えてみると学生時代の何割かの時間は、この界隈で費やしていたといってもさほど大袈裟ではないと思います。大井武蔵野館、蒲田パレス、川崎国際劇場、そしてここ大森にはキネカ大森があります。そして今や残るのは大森のスーパーマーケットの上にあるこの劇場だけとなりました。今はどのような映画が上映されているのか、ちっとも分からぬようになってしまいました。映画に人生の大半を捧げ、殉じ続けている人たちが未だに存在するという。今思ってみるとぼくのあの当時の狂熱の出処は、今こうして酒場や喫茶店を日々巡るのとさほど変わらないように思われます。若い頃には確かに一端の知識人になりたいとかの邪念を孕んでいなかつたかといえば嘘になってしまいます。とにかく日本で一番は無理でも指折りのシネフィルとして、それなりの権威であるかのように振る舞ってみるなんてことを思ってみたりもしました。そうした憑き物が墜ちてみると、かつての狂熱は愚かしく醜い所業に思えてくると同時に変に懐かしく愛おしいものに感じられるのでした。それでも今は野心とか向上心などという邪さから開放されたかというと必ずしもそうなり切れてはいないようです。このブログ書きなんかもそうした気持ちを埋めるための行為なのかもしれません。それでも抱えている物は随分軽くなったと思うのです。軽やかな分、頭と目を切り離して自由になったのは年のせいか、それとも酒やカフェインの効用なのでしょうか。イカン、どうもここらの町のことに思いを馳せると思考が青臭く回顧的になる。 そんな約たいもないことを考えていたのかは定かではないけれど、「居酒屋 豊作」のカウンター席に腰を下ろして独り酒を呑んでいると、その孤立感からどうも下らぬ事ばかりが脳裏に浮かんでくるようです。実際、かつて頻繁に大森に足を運んだといってもそれは駅前のごく決まりきった一角に限定され、駅から10分近く歩かねばならぬこの辺に来るのは今の趣味に移行してからのことてす。回想に身を任せて良い気分になろうとしてみたところで、それはちょっとばかりムシのいい話なのです。嫌味にならない程度に民芸調の店内は、これでもかと飾り立てられた同系統のお店に比すると居心地は悪くないけれど、先に書いたように独りで呑むのに適した店とは言えぬようです。誰もこちらの事など気にしてはいないのだろうけど、こちらは気になる。独り客は別の独り客を認めることにより心の平静を得られるものです。時として高齢の方にそんな事など気にもかけぬ方がいますが、そういう方はセルフスペースが己の身体とわずかなカウンターのスペースで事足りるのでしょう。他人のことを気にせぬように己がどう見られているかすら気にしない。店の方すらその結界を破れぬのです。と書いたまでは良いが時間をおくと何を言ってるか分からぬ。だから、この前のことは振り返らぬようにします。「豊作」のことを書いていたらしい。何を摘んだんだろう。それはなかなか美味しかったような気がする、値段もそこそこだったけど。酒は何を呑んだのだろう。それすらどうでもいい事なのかもしれない。何でもいい、そこに酒があって、ぼくが満足いけるまで呑めさえすれば安くて、そこらの兄ちゃんねえちゃんが安やすとは足を踏み入れられぬのであれば、そこはぼくにとって安楽の場所なのです。 だからむしろ「鳥まさ」がその希望に近いのでしょう。つい見掛けてしまうと足が向きます。場末にも関わらず客が入るのはいいことです。その彼らは敢えてこちらからちょっかいを出さねばぼっからかしてしてくれる。誰だって時には独りで呑みたいのだ。そんな時の酒は旨いかどうかなどどうでもいい。酒に優劣を求めるのは、真実酒の旨さを知るひと握りを除けば、ブルジョワジーのあからさまに見栄の皮を張りまくった嬉しみでしかないか、酒を語ることで何某かの欲特を希求するさもしい心根の持ち主の何れかであるように思えてならないのです。無論、ぼくような者でもごく稀に酒に旨さを求めはする。しかし、独りで呑む酒は旨いとかまずいより、それ以上に大島なことがある。酔えるか酔えぬかそれこそが寛容なはずです。己の味覚が好ましく感じる酒などより、震えるような危険を感じる酒の方が余程ぼくには親しいのです。ここでひとつお断りしておくと「鳥まさ」の酒が危ないなどと語るつもりでは少しもないのです。ここの酒はいわば大衆酒でしかないわけで、庶民が好んで口にする味わうなどという悠長な営みなど無用と口に含む暇もなく流し込んでしまうだけのものであります。でも肴はオヤジが腕をふるってくれるから、時に普段は口にせぬような贅沢な食材を選んでみるのもいいかもしれません。だってここではそれすらが手頃な値段で頂けるのだから。しかも下手をするとそこらの店で買って来て自ら調理するより手頃だったりするのだから、家で料理するのがアホらしくなる。実際お隣は何やら旨そうな煮魚を骨までシャブって酒すらあることを忘れて熱中しておられる。それを平らげると次はカニに移行してまたしても貪り食うのは酒場の客としてどんなもんかと思わぬではないが気持ちは分からぬでないのです。ここは腹をすかしてくるべき店だと遅まきながら後悔するのです。 そうそう、蒲田駅に向かう途中に「酒の店 つかさ」という酒場がありました。ここには次回はきっと立ち寄りたいものです。
2017/03/16
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西武池袋線の秋津駅は,JR東日本の武蔵野線,新秋津駅との乗換駅です。駅間は歩いて約5分と距離があり,接続もイマイチで不便です。連絡通路の設置がかねてより計画されているものの地元商店街の反対などの理由で実現されていません。せめて商店街のアーケード化だけでも実現されればいいのに。 たまたま所沢に出張となったので,これ幸いと仕事はさっさと終わらせて,15時前には秋津駅に到着することができました。 最初にお邪魔したのは「もつ家 本店」。本店というからには支店があるのかなと思ったら店の壁に張り紙がありました。ひばりヶ丘にあるようです。ここは駅のほんとに目の前で12時から営業してるんですね。新宿や浅草には昼間から飲める店がいくらでもありますが,東京のどん詰まりのこんな場所で真昼間から客が入るのが不思議でしょうがないですね(近くにお住まいの方,すいません)。せいぜい10名も入れば一杯の店内では,すでに3名程が飲んでおられます。店自体はさほど古びておらず,清潔な感じ。店主のオヤジときれいなおねえさんがいます。チューハイ:300円をもらうと炭酸は瓶で出してもらえます。かなり濃い目です。ホッピー同様に中:150円をもらうスタイル。牛すじ串(1本150円,アキレス2本:120円)をもらってみます。これがなかなかうまい。なかなかいいけど,立飲みとしてはやや高めですね。他の品書:ビール大:500,ホッピー:400(中:150),モツ焼:110~,ポテトサラダ/湯どうふ:150。 続いて「やきとり 野島」,「もつ家」から10m程の場所にあります。こちらはすでにすごい客の入り。店はかなり脂が染込んでいていい雰囲気です。ここは15時開店。立飲みカウンターには10数名は入れるかな。こちらはほぼ埋まっているので,奥に2つほど広めのテーブルが見えたのでそちらに潜り込ませてもらいます。やはりチューハイ:300円と焼鳥(もも・皮・ハツ):90円をいただきます。チューハイは濃いし,焼鳥はでかくて,うまい。なるほど繁盛するわけだ。サラリーマンやジャンパー姿のおっちゃんたちに混じってリタイアした夫婦もんが目に付きます。秩父辺りを散策した帰りなのでしょうか? 会計後,おばちゃんがポイントカードをくれました。通い詰めると割引サービスがあるようです。値段ではなく通った回数でスタンプを押してくれるようですね。わいわいがやがやと明るく楽しい雰囲気で陽気に呑みたい人向けのお店でした。他の品書:ビール大:500,酒:300,焼鳥:90,牛焼き:300,モツ煮込:350,ポテトサラダ:200。 「大漁船 秋津店」に入ります。この日行った中では一番居酒屋っぽいお店。けっこうぼろい外観と店内の造作は悪くないのですが,カウンター15席に奥の小上がりにテーブルが6卓で,単なるテーブル席がないのが不便といえば不便かも。生しらす刺身:472円とどじょう鍋:?を肴に飽きもせず酎ハイを呑みます。恐らくこの「大漁船」は西船橋に本店,八柱や亀有に支店がある小規模チェーンと思われますが,武蔵野線沿線にぱらりぱらりとかなりの距離を隔てて店を出しているのがおもしろいですね。他の品書:ビール大:472,ホッピー:399,中:262,生クジラ刺:682。 最後は「サラリーマン 新秋津店」。いかにも横着な,脱力系のネーミングですが,店はちゃんと大衆酒場といった感じで堀切菖蒲園の「小島屋」のような複雑な変形カウンターで楽しめます。とりわけすごい店ではありませんが,身近に一軒位こういう店があると重宝するかも。この後の記憶が吹っ飛んでいるので何を呑んで食べたかは不明です。他の品書:ホッピー:400(中:250),焼物:2本240,刺盛/貝盛:500。 本当はもう1,2軒行っときたかったのだが,昼間から飲んだせいか,けっこういい具合に回ってしまいました。秋津は確かに昼から飲める店が充実していて面白いのですが,酒場そのものはさほどディープな印象はなくて,むしろあっけらかんとした明るさが印象的でした。
2012/04/08
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特に何があるってわけではないのに小村井にはどうしてだか気になると言うか、ほっておけないところがあって近頃足を向けることが増えています。繰り返しになりますが来てみたところでなにか新しい発見や面白いスポットとの出会いがあったりするわけではありません。強いて言えば、そこにはどこかしら懐かしさを感じるのでした。団地があって、行き止まりの路地があって、しょぼくれた商店街がある、その何気のないところに惹かれているのかもしれません。 まず駅の周囲をぐるりとひと回りしてみました。これといった収穫のないままに周回を終えようとした駅からすぐの路地裏に「えちご」という古ぼけた店を見つけました。勇んで暖簾をくぐりますが、5席ほどのカウンターには男女客があるものの焼酎ボトルやコップでいっぱいになっています。奥の座敷で宴会のようです。それで店もてんてこ舞いのようで、丁寧ながらもガンとした物言いで断られてしまいました。 やむを得ません、この夜の一軒目はとりわけ面白みのない「たのしみ」という店に決めました。最近オープンしたばかりのような自宅一階を呑み屋に改造したような素っ気のない造りです。非常に濃いレモンサワーを啜りながら、砂肝のバター炒めなど頂戴しましたが、なかなか美味しかったです。ママさんは韓国の方でしょうかちょっとイントネーションに違和感を感じました。でもとても気さくな方でぼくにも時折話しかけてくれて、母娘で来ていたお客さんとも打ち解けておしゃべりしていました。この娘さんとは1才違いのお子さんがいらっしゃるようです。 続いては、駅前踏切を渡ってすぐにある「仲よし」にお邪魔しました。外観からはごくありがちな、全く持って平凡極まりないどこにでもありさうな居酒屋さんにしか見えず、駅からも近く何度も通っているにも関わらず敬遠し続けてきました。この夜も行くつもりはなかったのですが、一軒目に入る頃から降り出した雨の勢いがひどくなつたので、まさしくやむを得ず伺うことにしたのでした。そんな偶然が思わぬ良店であったたことに気づかせてくれることもあるのでした店もそうでした。店に入るとまず目に飛び込むのが20席ほどあるコの字のカウンター、その右側にはテーブル席も充実していますが当然ここはカウンターにすべきでしょう。定番の肴が充実するなかで、牛もつ煮込みの豆腐入りが気になりました。一人用鍋でぐつぐつと煮込まれた牛もつは念入りに処理されていて、臭みも脂のしつこさもなくさつぱりいただけます。一人でやってきてなれたように席に着くと、ご主人を含めた男性店員に生ビールなどを振舞っています。こうした行為を気取らず出来るのはかっこいいです。また、仕事中、酒を呑む店の人を見て眉をひそめる向きもありますが、ぼくはそんなに堅苦しく思わないでもいいんじゃないか派です。
2014/07/14
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東浦和駅は、JR武蔵野線の駅で都心からは多少アクセスが良くなかったりもするけれど、今では宅地化が進み、都心に通う勤め人のベッドタウンとして定着しています。ぼくなんか、いくら住居費や地価などが都心に比べて圧倒的に安くても住みたいとまでは思っていなかったけれど、今となれば少しばかり職場が遠くともアフター5になれば毎夜とまでは言わぬまでもたびたび都心の周縁にいそいそと出向くわけだから、転勤などを命じられるたびに各地を転居して回るのも悪くはなかったと後悔しつつあります。それを言い出したら元々がほくの仕事というのは転勤がそう多くもないし、さらにはそれを理由に今の勤め先に決めたのだから全ては身から出た錆に過ぎぬのです。しかし、行き先が武蔵野線の沿線となるとわざわざ安くもない運賃を支払ってまで手掛けるのは馬鹿らしく思えもするのは、けしてこの沿線が冴えないからなどという暴言を吐くつもりはサラサラないのであって、それこそ通勤で利用していた頃があったからに過ぎぬのでした。 さて、それでも東浦和にはほとんど縁なく過ごしてきました。数ヶ月前にキムタクの出演した連ドラでロケ地となったらしい喫茶店を訪れた際に見掛けた一軒の酒場が気になったから再訪する気にもなったのでした。普通の感性であれば見過ごすのが当たり前なのかもしれぬけれど、その点ぼくは只者ではないらしいのだ。駅からトボトボと退屈な住宅街を進んで行くとやがて「やきとり みちのく家庭料理 あづまや」という看板が見えてきました。置き看板は真新しく眩く灯っているけれど、以前目にした日中にはこんな目立つ、さして現役であることをあからさまにする様な根拠になるものは皆無であったから、さてここがやっていないとなると万が一の時には押さえの酒場など想定していない。なのにそれでも人を誘ってしまったのだから何という大胆というか無謀さだろう。お誘いした方は既にリタイアした久しく時間は持て余すほどあるなどと、ぼくをして猛烈な嫉妬心を煽り立てるのでありました。しかしそれでもいくらでも時間があるとはいえ、ぼくなんぞに付き合ってくれるとはありがたい事です。しかもわざわざ自宅から遥かに離れた東浦和まで足を伸ばしてくれる、そんな稀有な人物はそうはいはしまい。それはともかくとして、おお、やってるじゃないの。お隣りは「あづまや酒店」なので、酒屋さんが副業として呑み屋さんを併設したのでしょうか。そう思うとこの呑み屋店舗の方は酒屋の備蓄用倉庫だったのではなかろうかなんて風にも思えてくるのです。看板には山形の料理が記されているから、こちらの女将さんは山形のご出身か。店内に早速入ってみるとカウンター席のみで十席足らずです。席は半分程埋まっています。壁の品書にも山形の味覚がいくつも記されています。大定番のいも煮に始まり、玉こんにゃくやもってのほか―これは菊花の酢の物だったか―、山菜も色々ありますが、この日はまだ入荷前だったようです。残念だけれど季節物だから仕方ないねえ。他にも数は少ないけれど酒に合いそうな肴が取り揃えられているからまず支障はなかろう。でもやはり玉こんにゃくは外せないですね。ここのは串に指したものではなくて、丸いのが皿の上で落ち着きなくコロコロするのを串で捕まえて頂くスタイルです。本場では出汁をスルメで取るようですが、ここのもそうなのだろうか。よく味が染みていて大変美味しい。なんでこんな質素なものにシミジミと旨味を感じられるのかいつも不思議に思うのです。初めは常連ばかりに構っておられた女将さんですが、リタイアさんとぼくの山形旅行の話を聞き付けたらしく、色々とお話させたいただきましたが、結局ここまで書いた疑問を投げかける機会は逸してしまったのでした。次回こそ伺いたいところだけれど、ちょっと遠いしその機会はあるのかなあ。 さて、もう一軒。まだまだ面白い酒場が住宅街の片隅にでも潜んでいそうですが、手近な「居酒屋 河水」にしました。見掛けは郊外型のゆったりした造りの食事処といった雰囲気で先におられた2グループが帰られるとパッタリと客足は途絶えてしまい、我々だけのためにこの広いお店を開けて頂いているようで凝縮してしまうのですが、ここ、見掛けはどうということもないけれど、料理がなかなかの物なのであります。なかなかの物って何だかよく分からぬ出鱈目な物言いですが、里芋のコロッケはトロトロでクリームコロッケのような優しさ。しかも芋本来のトロトロだからヘルシーで大変結構です。もとより里芋はカロリーが低いから尚更です。芋づくしですがジャガイモのピザという品は想像通りの見栄えですがこれが家庭ではこうはいかぬのが摩訶不思議。こんなありきたりの料理なのにどういう技を用いて成し遂げたのかしれぬけれど、どうもぼくの調理技術ではこうはならぬと白旗を上げることになったのでした。その技を知るためにもまた出向きたいところですが、いささか遠いのであると繰り返すしかないのでした。
2018/05/14
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まだまだ魅力尽きせぬ勝田台ではありますが,八千代台でも呑んでみたいですし,なにより翌日は朝が早いのでそろそろホテルの近くに移動しておいた方がよさそうです。八千代台駅に到着するとすぐにホテルにチェックイン。さほど訳ありとも思われぬ若干設備の古臭いホテルの一室にて一憩します。このまままったりとくつろいでしまっては腰が据わってしまうので,気力を振り絞って町に繰り出しのでした。 南口側はホテルから近いのでまずは北口側に行ってみることにしました。ぽつぽつと居酒屋らしき灯りは見えますが,呑み屋街が形成されてはいなさそうです。うら寂しい様子に惹かれて「鳥せん」にお邪魔してみることにしました。店に入ると天井の高い広いお店で案外小奇麗です。拍子抜けしてしまいましたが,とりあえずはカウンターに着きます。先客は2名だけ,ご夫婦のようです。店の方もご夫婦のようで感じがいいというよりは調子のいい感じの方達でした。みなさん親しいようで楽しげにお喋りをされていますが,こちらはどうも居心地が悪いのでした。時折ご主人が声を掛けてきてくれるのも親切だとは分かっていても煩わしく思えてしまいます。どうもこのお店とは相性があまりよくないようです。焼鳥数本をつまんで(味についてはノーコメント),チューハイ2杯で早めに店を出たのでした。 さらに北口側を歩き回りますが,やはりこれといったお店が見当たらないので南口に移動しようと駅の階段に向かったところ線路沿いの長屋風の建物の一軒が「居酒屋 咲」というお店でした。ちょっと雰囲気のあるお店なので早速入ってみることにします。狭い店内ですが,効率よく大小さまざまなテーブルが置かれているところは,どこか最近あまり見かけなくなった都市部の駅前食堂のような感じです。先客1名,女性店主と2名でのんびりと会話を交わしています。とりあえずカウンターに腰掛け,短冊の品書きを見るとチャンジャやチヂミなどの韓国系の肴が豊富です。女将さんは韓国の方なんでしょうかね。当然キープされた焼酎の銘柄は真露なのでした。お通しは純和風の煮奴でしたか。豆腐とさつま揚げがあっさりと煮付けられています。先客のオヤジさんは独りでは多すぎるほどの肴を並べて女将さん相手にとめどもなくお喋りを続けています。女将さんが肴の準備を始めるとお喋り相手としてぼくを見定めたらしくしきりと話し掛けてきます。まあこちらとしても暇を持て余している身ですから,どうでもいいようなことを受け答えしているうちになんだか妙に元気になってしまって,いても経ってもいられなくなり南口の酒場探索へと向かったのでした。
2014/03/20
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ぼくがその目と鼻と先に住んでいた頃には、みたけ通りなんていう立派な通りの名など持たぬ人がすれ違うのがやっとという程度の細い路地でした。何でみたけ通りかというと通りに面して池袋御嶽神社があるからで、ここには夏場は涼みに行ったり、夜は祭礼で騒がしくて寝てもいられなかったりとなにかと縁があったのですが、御嶽神社ってどういう神社なのかまったく知らずにこれまでの人生を生きてきたのでした。お馴染みのウィキペディアで調べてみると修験道の神である蔵王権現を祀る神社が御嶽神社であり総本山は奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)にあるということ。「蔵王権現は,日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊」なのですね。へえ、知らなかったなあ。しかも「『金剛蔵王』とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王」だとか。本尊が仏教寺院にありながら、各地に散らばった際には神社となったのにはそういう所以があるからなんですね。いやはや勉強になるなあ。しかし、そんなウンチクなどどこ吹く風、この神社の周辺にはスマホをいじくる老若男女が群れている。この集団はどうやらひと頃大ブームを巻き起こした例のスマホ向けゲームに躍起になっているらしいのだが、近所に住んでいたら目障りだっただろうなあ。 実は上記のようなことを書いたのには、御嶽神社と三業地には浅からぬ因縁があると考えたからです。その考えはどうやら的外れであったようですが、料亭などに紛れて古い神社のある風景はそれなりに風情があったのではないかと思うのです。場末の風俗街であった池袋の片隅は、かつては路地が入り組んでいて歩き慣れても知らぬ通りを歩くと思いがけぬ場所に抜け出たといったことがあったものです。今やその混沌とした町並みも姿を消しつつありますが、不思議と古い店が変わらず営業していたりもするのです。「やぶ富」はそんな一軒です。見た目にはどこの町にだってありそうなとても普遍性のある構えであります。平凡だけれどそこにこそ蕎麦屋建築の醍醐味がある気がします。奇天烈なお店に好んで通っているけれど、こと蕎麦屋に関してはオーソドックスな方がしっくりとくるのです。店内もまた渋くて落ち着きがあります。つい端っこの席を選びがちなぼくでありますが、ここ位にまったりとしたムードだとどこの席でもくつろげそうです。ご老体が一人、ウーロン割を呑んでいます。2度ほどお代わりを頼んでいましたから、5杯位召し上がっていたんじゃないでしょうか。ぼくなんかだと夜のことを考えると呑み過ぎないよう2、3杯に留めるように調整してしまいますが、彼にはもはや昼も夜もないのかもしれません。時間の事を気遣って呑むのは世知辛くて虚しさが付きまといますが、致し方ないことです。さて、燗酒のお供には松前漬を用意していただけました。なかなか気が利いておられる。もりそばとミニカレー丼のセットはボリュームもたっぷりで飛び抜けて旨いということもないが安定の美味しさであります。店の前の通りもそうだけれど、よくよく見れば少しづつ変化していることが確認できますが、全体のトーンは以前と少しも変わっておらず、この店内も時の経過を止めてしまっているかのようで、急に不安になりそわそわとお尻が落ち着かなくなるのを感じます。でも時の縛りも無視して生きられるようになった時にはここほど安心できる空間もそうはなさそうです。「珈琲 蕃」もそんな一軒。前々からその存在は認知していましたが、いかにもスナック風の外観を放つ夜間しか目にしたことがなく、いつの間にか本当にここをスナックと思い込んでしまっていましたが、この日、珍しく日中に営業しているのを見掛けたので、満腹だったこともあり、思い切って扉を開けるとそこは思ったよりずっとちゃんとした正統派の珈琲店だったのでした。先入観を持たずにいるとたまにはこういう素敵なご褒美がもらえるようです。
2019/02/16
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都内でも高円寺を初めて訪れたのはかなり遅れてのことだったような気がします。ねじめ正一のベストセラー小説なども流行ったりして、かねてからその地名は認知していたし、駅を中心に放射状に商店街が張り巡らされている事も聞いてはいたのです。でも都内に通い、暮らし出した頃のぼくの行動範囲は映画が中心だったのです。そして今考えてみたら不思議な事に思えますが、当時の高円寺は映画とは無縁な町だったように思われるのです。だから高円寺は中央線を利用するにせよ自転車で荻窪なんかに行く場合であっても、単に通過するだけの町でじっくり町並みを眺めたのは、酒場ないしは喫茶巡りを始めてからのことだと思うから案外付き合いの薄い町なのです。しかもこの町は、意外と古い喫茶店も少ないし、酒場らしい酒場よりは定食屋や中華飯店だったりと、どこまでも若者仕様の町に思えて今でも充分に全容を知り尽くしているとは言い難いのです。 この日の目的も高円寺ではなかったのですが、その予定が思ったより早く済んだので高円寺に移動して昼呑みしようということになりました。高円寺であれば夕方前であっても呑める酒場もあるだろう、仮になかったとしても定食屋や中華飯店があるだろうと思い出向いたのですが、いざ探そうと思うとなかなかこれといったお店に行き着かぬのです。もちろん、選り好みさえしなければやっている店もあるし、呑んでる客の姿も目に止まりはしますが、気の向かぬ店で呑むのはどうにも気に入らぬのです。でも横丁風の町並みであれば話は別です。いつもの発言で退屈ですが、横丁というのは傍から眺めるのは愉快な割に実際にそこに身を置くと暑さ寒さもそうだし、衛生面やら快適性などでとかく問題が多いものです。でも一度位は立ち寄りたくなるもので、高円寺駅高架下のストリートの地下にあるチカヨッテ横丁なる初めて目にした横丁風の小さな地下飲食店街には気持ちを持っていかれました。「四代目 鎌倉酒店 高円寺店」は昼から営業しているようで、その点が気に入ってお邪魔することにしたのです。オープンではないけれど、オープンな開かれた感じは悪くはない。何より涼しく快適なのが案外悪くないと思えるのは年のせいだろうなあ。すでに4名が呑んでいます。カップル2組でいずでもシルバー世代というのが羨ましいやら悔しいやら。この世代の人たちってホント恵まれてるなあ。煮込みで一杯です。この煮込みがぼくの好みでよかったなあ。こちらも定番のポテサラもなかなか良いではないか。お手頃で快適で、そりゃまあ近隣のご隠居さんたちも気に入って通うわけだ。でも気候がよくなったら、こういうなんちゃって横丁でなく本物の横町に行ってもらいたいものです。 さて、近所の元マーケットである大一市場にやって来ました。こんな駅近にマーケット跡がほぼ原型をとどめているのが嬉しいなあ。嬉しい割にこれまでここで呑んでいなかったのは、若い人が始めたようなお店が多くてどうも気乗りしなかったのです。何度も通り抜けているうちにもうここで呑んだような気分になって、あえて本当にここで呑む必要はないのかなと。でもこの夜は、ちょっと懐かし系の雰囲気をとどめる「田舎料理 おかめ」と出会えたから、じゃあちょっと寄ってみるかとなったわけです。カウンター席だけの店内は店内とはいえ開放されていて、でもここだけは他店の今風な感じとは一線を画するちょっと渋い感じです。清酒をあっためて貰うことにしました。お通しは小肌かクリームシチューから選んでくれとのこと。ぼくは後者をお願いしたのですが、これが実に具沢山でこれだけあれば2、3合はいけてしまいそうです。でもまあそういうわけにもいかぬから適当に品書きから安い品を選びます。そうこうするうちにも近所のおっちゃんたちが集いだします。こちらは先の店とは異なり現役の勤め人の方が仕事明けに立ち寄ってるみたいです。やはり夕暮れを迎えた酒場には、疲れたおっちゃんの姿が似合うなあ。
2019/09/18
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押井守という人が立食いに対して、並々ならぬ執着を隠しもしない、いやむしろ嬉々として自身のみならず周辺の人々をも巻き込んでその描写に勤しんでいることはファンであれば当然周知の事実でありましょう。立ち食いそば屋は、押井守にとって「ディスコミニュケーションを求める若者の集う不穏な空間」であるらしいのですが―実際の表現では必ずしもそうなってはいないようです―、一方で、やはりその偏愛ぶりを誇示する屋台という舞台は、「コミニュケーションを求める若者の集う不穏な空間」として機能しているようです。しかし、立食いそばの発祥を江戸時代の屋台に求めることができるとしたら、もしかすると立食いそば屋と屋台、ディスコミュニケーションとコミュニケーションとは表裏一体なのかもしれません。ともあれ『dancyu』の1993年10月号に「立喰いそばの正しい食し方」と題する記事も掲載されているらしいから筋金入りの立食いニストであることは間違いなさそうです。実際、ご存じのように『立喰師列伝』(2006)、『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』(2006)といった実写映画を集大成と見做すべきかは様々な意見がありそうですが、とにかく並々ならぬ思い入れを抱いていることは疑うべくもないのです。とくどくどしい文章を書いている暇はありません。とても満遍なくとはいきませんでしたが、過去に遡及して押井作品―及び関連する作品―を見直してみると思っていた以上に多くの立食いそば屋やそれに付随するお店が登場することが判明したのでその一端をご覧いただきたいのであります。詳細なコメントを付するよりは実地にご覧いただくためにも極力事務的に報告させていただきます。[参照1][参照2][参照3]『うる星やつら』(1981-86)「第122話 必殺! 立ち食いウォーズ!!」(ほぼ全編を通して立食いそば店が舞台[キャプチャー参照1])、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)(ハリアーの発射基地となっている友引銀座の立食いそば店、その他巨大な狸の置物のあるお好み焼店、名曲喫茶、牛丼屋)、『紅い眼鏡/The Red Spectacles』(1987)(天本英世が「ソバ喰う映画」と評した、その他映画館や「純喫茶 再会」(看板のみ))、『機動警察パトレイバー』(1988)(旧OVA版(1988)「第5・6話 二課の一番長い日」、『機動警察パトレイバー テレビアニメシリーズ(ON TELEVISION)』(1989-90)「第29話 特車二課壊滅す!」(シリーズではお馴染みの「上海亭」の従業員不足による機能不全を描く)、新OVA版(1990-92)「第10話 その名はアムネジア」(立食いそばだけでなく「上海亭」や「喫茶 回想」なんてのも登場)、『御先祖様万々歳!』(1989-90)の「第6話 胡蝶之夢」(立食いそば屋[キャプチャー参照2])など。 参考:『ケルベロス-地獄の番犬』(1991)(中国料理の露店、ラーメン屋台)『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(喫茶店)、『イノセンス』(2004)(ヤクザの事務所を兼ねた?中国料理店) おまけ(押井は関与なし?)):『タイムボカンシリーズ ヤットデタマン』(1981)「第12話 危うしジュジャクの曲芸」(立食いそば店)[キャプチャー参照3]、『機動警察パトレイバー テレビアニメシリーズ(ON TELEVISION)』「第11話 雨の日に来たゴマ」(ラーメン屋台) といったように、ざっと眺めただけでもこれだけの執着を確認できたのだから驚きです。でも、なんか物足りなくないですか、ぼくは物足りません。そうなのです、これだけリストアップしたのにも関わらずそこには酒がないのですね。何も子供向けの番組だから酒が出てこないわけではないのです。その2では、いよいよ飲酒シーンの登場する押井作品をご披露したいと思います。
2020/05/23
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ひばりヶ丘は西武池袋線の急行では、石神井公園駅の次に停車する駅です。その次が所沢駅ということを考えると随分大きな町のような印象がありますが、実際は通過される練馬駅ほどにも栄えていないと感じられる駅でこれまで何度か訪れながらもまるで印象のない駅でした。とある休みの日にひばりヶ丘のすばらしい2軒の喫茶店を訪れて町の印象が強く心に刻み込まれることになりました。 再開発によって開かれた駅前通りを歩きながらこんな場所に純喫茶はあるのだろうかと不安を覚えつつさらに進むとふいに「アート茶房」が現れます。ごくさりげない外観ながら丸いアーチを描く窓と扉に期待は高まります。店内は思った以上に広く白いレンガのパーテーションが店の印象を個性的なものとしています。こういう喫茶店こそ普段使いで毎日のように通いたくなるのだと地元の方が少しうらやましくなりました。 駅の南側とは一転、北側にはごみごみとした商店街が小規模ながらも残されており、これなら期待できるかもとつい足早になります。正方形の提灯型の看板にここは間違いないと確信は深まります。「珈琲専科 倫敦」です。店の前面のガラス格子の扉を開き店に入るととびきりクラシックで王道とも言える空間が想像以上の広がりを見せてくれます。長いカウンターを抜けてぽっかり広がるスペースに入り込むと抜け出すのがつらくなるほど居心地がいい。奇をてらわずに堂々とした構えはここがひばりヶ丘であることを忘れさせてくれます。都心部の高級喫茶店を遙かに凌駕する贅沢がここでは味わえます。
2013/04/28
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武蔵境には、少しだけ縁あって何度か訪れているのですが、呑むチャンスにはなかなか恵まれず、昼日中から呑むことはあっても夜に呑むのはこれが初めてかもしれません。その時には線路沿いにあるちょっと気になる呑み屋通りの端にある洋食店で嬉しくもちょっと後ろめたいー気恥ずかしいという感性はとっくに失っていますーのでありましたが、それ以上にこの通りの夜を堪能したいという欲求がメラメラと燻ったものです。 ということもあって久々に訪れる機会を得ることができ、加えてこの日は夜なので何軒かハシゴすることにします。まずは酒場放浪記にも登場したという「たけちゃん」に入ってみることにしました。表から一瞥した限りではこれといった個性のないありきたりのお店でしかありません。ありふれた酒場が悪いというわけでもないのですが電車を乗り継いできた身としては、ちょっとした旅気分なのでその高揚を高めてくれるようなお店であることをついつい期待してしまうというのはわがままというものでしょうか。いや客なんてものはわがままなのが当たり前なんだから、これ位の愚痴を言っても罪には当たらぬはず。女将さんがチャキチャキした人柄で、それを魅力と感じられるようであれば通うことにもなるのかもしれませんが日参するにはちょっと遠すぎるな。 むしろ「素浪人」というすぐそばぼにあるお店の方が酒場らしい魅力を備えているように思いました。近頃感じたことのない昔風の居酒屋です。何も建物遺産に残したいとか言いたくなるようなお店と言っているわけではなく、時代が昭和だった頃によく見かけたような、その時代に典型なタイプという程度であって、こういうぼやけた言い方をしざるを得ないのも、今振り返ってみるとしかと店の輪郭を浮かび上がらせるのが困難なのです。それだけぼくの記憶の引き出しにはこうしたタイプの酒場の記憶が多く仕舞い込まれているということなのでしょうが、それにしてもまだ数ヶ月前のことすら視界に浮かび上げることができぬとは年のせいでしょうか。昭和生まれではありますが、本当の意味での昭和の酒場にはほとんど縁がないと言っていいぼくはまだまだ若いつもりでいましたが、どうやら着実に老いが到来しているようです。などと店の話と関係ないことを書いているのはお察しのとおりあまり記憶がないからです。でも懐かしい酒場を求めるならここは格好のお店と言えましょう。
2015/10/08
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先日の朝霞台での呑みの続きです。朝霞台では昼酒は無理であろうと早々に見切りをつけたはいいものの、果てさてどこに移動したものやら。喫茶店巡りには出遅れたし、大体が東上線は大体の喫茶店は回っているはずです。どうしても再訪したい店もないので、せっかく呑み始めたことだし、武蔵野線沿線を呑み歩くことも脳裏を過るわけですが、軍資金も乏しいことだし、しからば秋津が良かろうということになったのでした。何たることか、S氏は一度も秋津に行ったことがないらしいのでした。それはイカンと急に目的地の定まったほくは気になる喫茶店のある新座を通過して新秋津駅を目指すのでした。 駅を降りて田舎臭い駅前ロータリーをグルリと歩いてみますとすでに開いているお店があるのはさすが秋津というところでしょうか。ところで、知ってる方にとっては何を今更というお話ではありますが、秋津は、JRの武蔵野線新秋津駅と西武池袋線の秋津駅が500m位なのでしょうか、微妙に距離を開けているのは、地元の商店街が反対したとかしないとか。この2駅を結ぶ商店街こそが近頃、雑誌なんかの呑み屋特集をするとたびたび紹介される呑み屋街なのでした。以前、酒場巡りという際限のない深みに落ち込む以前にも何度か訪れていたのですが、それはもっぱら界隈の洋菓子の名店である「ロートンヌ」にてちょっとクラシカルな絶品の洋菓子を求めるためでした。知人も暮らしていて何度か泊まりがけで呑みに行ったこともありますが、さの知人とも今はすっかり疎遠となりました。 ともあれ、まずは新秋津駅駅前の「サラリーマン 新秋津店」に立ち寄っておくことにしましょう。不埒なことにS氏は、秋津ばかりか西武線沿線で安定した人気を誇る「サラリーマン」チェーンを知らぬというのです。しからばこちらも久しぶりなのでご案内することに如くはない。すてにほぼ満席の店内のカウンターになんとか席を見つけ、早速ハイボールを注文します。いきなり腐すようで恐縮ですがこちらのちょっと残念なのが酒類がやや高めなところ。雰囲気も肴も抜群なのにね。魚介ばかりでなく、ステーキなんかも激安かつ旨くてこちらは秋津巡りの最初の店として格好と言いたいところですが、実のところ秋津は大概この価格設定が適用されているのでした。たまには贅沢して―安いけど―エンガワ、ハマグリなどで贅沢して次なる店に移るのでした。 次なるお店は「居酒屋 鳥しん」でした。枯れた佇まいのこのお店もすでに開店しています。暖簾をくぐると賑やかなこの町には似つかわしくない沈鬱とした雰囲気が漂っています。沈鬱な雰囲気、好きです。結構広い店内にはお客は二人だけ。その沈鬱さを打ち破ろうと女将さんは陽気な素振りで闊達に語り、テキパキと行動しますが今ひとつ店のムードを変えるには至っていない。オヤジたちは相撲中継を見るともなしに眺めながらボンヤリと時間を潰しているように思われます。実際これから眠りにつくまではひたすらここで時間を潰すことになるのでしょう。ところでいかにも焼鳥屋の屋号ですが焼鳥はありません。ソーセージ炒めなどのどうでもない肴を出してくれるだけです。でもそれでもいいじゃないか少ないとはいえどおっちゃんたちの居場所はきっとここにしかないのだから、彼らが望むただ時間を潰す場所を提供してくれるだけでもこの酒場の価値はあります。
2015/05/28
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この所、北松戸とか松戸で呑むことが多くて、だからと言うのは言い訳めいているけれど、どうも書いていて気分が乗ってきません。それは書く方もそうだけれど、きっとお読みになられている皆さんも同様だと思います。でもご安心下さい。それももう少しです。こんなに何だかんだと毎晩呑んでいて忙しいなどと宣うのはちゃんちゃらおかしいとは思いますが、それでもここしばらくは結構な多忙な日々を過ごしてきたのですが、ようやくそれも目処が付きそうです。できる事ならこのブログの記事も10日分位、書き溜めておければ気分も楽にリラックスしたものを書けるのですが、今は朝の通勤時にその日、もしくは翌日分を必死になって書くものだからどうにもいい加減なものになりがちで、だとすれば内容が退屈なのは松戸とか北松戸のせいとするのは、ズルい逃げ口上でしかないかというとやはりこの地域ではなるべく呑むのを控えたいと思うのでした。なので北松戸でどうしても近寄り難く、ぼくの抱く居酒屋のイメージとは掛け離れたお店に行っておくことにしました。 こういう洋風というよりはアメリカンな外観のお店はなんと呼ぶのが適当なのでしょう。余り行き慣れぬタイプの酒場なので適当な呼び名が浮かんで来ませんけど、カジュアルバーとかで構わないのでしょうか。店には一般に介錯されているとは言い難いのですが酒BARと看板に書かれているから、やがてはこれが普及する可能性はあります。「酒BAR Gino」はそんな雰囲気の酒場なので敬遠していましたが、近頃内装工事を終えて店の前にも値段の記された置き看板も出すやうになり、チューハイが300円など手頃であることを知ったのでお邪魔することにしました。かつてはカウンター席のみだった気もしますが、表から覗いただけなので断言は避けます。二人掛けの止まり木風テーブルも設置されていますが、不安定なそこよりは真っ当なカウンター席が気軽そうです。小学生の娘さんがリビング代わりに店内をチョロチョロしています。そういうのを嫌う酔客も少なくないようですが、その点においてはぼくは寛容な方です。犬とか猫と一緒にしては悪いけれど店のマスコットみたいな存在と思えば可愛いものです。その両親でやっていて、父親が調理、母親がフロアー係です。前者が寡黙で後者が如才なく振る舞うという様も定番です。肴はピザなどが主力らしいけれど刺身なんかも揃っていて、酒もワインからホッピーまで用意されていて、特に酒は手頃で悪くありません。腕がいいとか褒めるような品は頼まなかったのですが、肴もちゃんと美味しいし何だ来てみれば悪くないじゃんか。酒BARとかじゃなくて洋風居酒屋とか名乗ってくれればもう少し早くお邪魔していたかも。なる程、意識してみればここを通る際に見遣るといつだってそこそこにお客さんがいるし、それも納得なのでした。 でもやはりそれだけでは気が済まずお気に入りの「中華料理 天津」に立ち寄ります。ここは何度か書いているのでさして付け加える事はないけれど、酒呑みが好む品をちょいと濃い目の味付けで出してくれてとても酒が進むのです。ホッピーも中身の量が以前ほどではないけれどかなりたっぷりめなのもケチなぼくには嬉しいところです。帰宅客の姿をよく目にしますが、もうすぐ自宅なのだから帰ってからゆっくり呑むなり食事するなりすればいいと思わぬでもないのですが、ついついここの味を求めてやってくる人たちの気持ちは実際良く分かるのです。
2019/06/13
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またも松戸で申し訳ないのですが、今回は少しだけ皆さんのお役に立てるかもしれぬ情報を含んでいるかもしれません。ところで駅前という言い方が良く使われるけれど、どうもこれがぼくにはイメージし難い言い回しなのです。一般的には繁華で賑やかな町が広がる側を駅前とよんだりするようですが、それに不快感を表明し東西南北で呼び習わそうという傾向があります。例えば仙台などもそうで、小学生の頃にばくは仙台駅の東口側の寺町の片隅に住んでいたのですが、当時その辺は駅裏と呼ばれていました。ぼくにはそれはもっともな呼び方と思えて一切反感を抱くような事もなかったのですが、その後、地元の方の訴えで東口と呼ばれるようになったらしい。ところが松戸の場合はいささか事情が違っているようです。行政の中核が東口にあり、商業の中心は西口にあるせいか、町の役割が上手く分断されているのです。それには松戸駅周辺が西に江戸川、東に相模台と呼ばれる台地に封じ込められるという狭隘な土地であるという理由もあるのだと考えられます。それはともかく通常は鉄道を中心とした公共交通機関を利用する者にとっては、未だに町の中心は鉄道駅であるという印象がありますが、町などというのは中心がない方が絶対に面白いのだし、駅を起点にすると見落とすものも少なくないのだと、どんどん論点がずれているので、話を無理矢理引き戻して、松戸駅の行政の中核地たる駅東側の激安酒場を標榜するお店へと向かうことにしたいのです。 というか、これから向かおうとしている「激安酒場 福宝苑」は、実は激安立呑み店「ドラム缶」の激安ならざる松戸店にお邪魔した後に立ち寄ったのでありますが、本来は同時に報告する予定がどうした手違いからか失念してしまいましたが、こうして分割してしまう羽目になり誠に申し訳ない次第なのです。誤ったからこの話はここまでにして、店の一番目立つところの看板に激安酒場とあるけれど、その自身はどこから来るのだろうか。どうやら500円でドリンク1杯と料理1品がその所以らしいのです。確かに安いことは安いけれど、激安というには物足りぬ気がします。パッと見にはこれだけでも安い気がするけれど、よくよく考えるとそう安くもないんじゃないか。しかも料理の量はレギュラーサイズよりもかなり控えめなのであります。その割には棒棒鶏は立派なボリュームだったから、まあ肴については文句はないというものです。しかし、ドリンクが何を呑んでもいかにも薄いのだ。こうなると安全な瓶ビールや日本酒も疑ってかかるのは人情です。ならばと紹興酒を奮発したのですが、これが今なら半額というのだ。つまり1本の料金が通常は900円ちょっとだっただろうか、だから500円しないというのはなかなか良いし、しかもこれだけは薄くはなかったからこれはなかなかの激安商品と認めても良いと思うのです。ただし、これは期間限定ということなので、注文の際は確認することをお勧めします。
2019/06/18
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さて、恨み言で始まった戸田公園の呑み歩きですが、まだまだ愚痴を述べたい。そうそうこの夜はA氏も一緒だったのですが、ぼくよりも少し年長の彼はつい先達て人生の大きな節目を迎えたのでした。だからといってこれからの彼とぼくとの関係性にさほどの変化が生じることもなさそうではありますが、まあそちらの話題を肴にまだまだ呑みたい気分だったのです。呑んで酔わないと元来寡黙なA氏から今後の展望なりの好奇心露わな興味津々ネタを引き出すことは困難なのです。ともあれ、戸田公園で呑むことの本来の目的は失われたけれど、A氏と呑むという理由は相変わらず継続しているので、もうちょっと戸田公園で呑むことにしたのであります。 先の中華飯店の側にも数軒の呑み屋さんが軒を連ねています。何処も価格の分かる品書きが衆目に晒されているので安心です。一番お手頃な感じの「いろは」というお店に入ることにします。店に入ろうと扉に手を伸ばしたところに店を出てくるお客さんが二人。入れ替わりに入ったら、あらまあ店内には店のご夫婦がいるばかりです。やたらと広い小上りには巨大なホワイトボードが掲げられ、そこ一面に品書きが板書されています。近頃のバル風の演出はこの店に向いているかというと疑問の残る所ではありますが、そこで食いつくつもりなど微塵もありません。カウンター席に腰を下ろしここで最も手頃な価格だった清酒に移行します。冷えてきたので少し燗をして貰うことにします。肴はそうねえ、そんなに腹は空いていないけれど塩肉じゃがに炙り〆サバを頂きます。どちらも悪くない、というかちゃんと旨いのです。ここが一軒目ならがっついて摘んだかもしれませんが、この程度の量がちょうどちょっと多いくらいで塩梅が良いのです。肴をあまり頼まなくなり、勘定は安くなってきたけれど、長っ尻なのは相変わらずどころか酷くなっている気もするから、店の方には恐縮な気もするのです。そろそろ帰宅の途の事に思いが至るのですが、まあもう少しとなかなかに埒が明かぬのでした。 やっとこさ席を立ち、これで終いにするはずだったのだけれど、通りがかりに「田舎料理 たんぽぽ」を見て考えを変えたのであります。さっきまでの帰路を急ごうという気持ちはあっさりと振り切れるだけのそんな興奮を感じたのです。でもそれは酔のなさせる業でしかなかったのかもしれぬ。今こうして写真を見てみると―見てやしないけれどね―、あんなに興奮してA氏を説得する必要があったのか疑問に思わぬのではないのです。これは今からすると酔いが回っての至極フィルターを通した過剰な反応だったのだろうと思うのです。でも店内は居酒屋というよりはくたびれた洋食店とかに近い感じがあって、その狭くカウンター席のみの造りがここの女将さんの雰囲気に似つかわしく思えるのです。ここは、秋田ご出身のその女将さんが20年程前に始めたという。その前にすでに30年もの長きに亘り居酒屋を遣っていたというからすでに半世紀もの歳月を経ているということになります。シャケのアラ―というには身もたっぷりで贅沢なのですが―に大根と人参を炊いただけの味付けは味噌なのか酒粕なのか酔いせいばかりでなくして判然とはしなかったけれど、とても美味しいのです。これを仮に自宅で拵えても持て余すのだろうなと思うのです。各地で色んな名で呼ばれもするこの料理は秋田ではなんて呼ばれているのだろう。そもそも名などない程に各家庭に浸透しているのかもしれません。女将さんの愛情だとか言いはしないけれど彼女の故郷の味が反映してたりするのだろうか。ただ一人いたお客さんは世代の近い我々の来た事をとても歓迎してくれて、女将さんを交えての談笑が途切れることもなく危うく帰れなくなるところでした。戸田公園にも良い酒場があって胸を撫で下ろすのでした。
2019/07/27
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すっかり放り出してしまっていたけれど、まだまだマンガネタはとんでもない分量が待機しているので、ドシドシ放出することにします。今回は諸星大二郎に登場してもらいました。諸星大二郎は国内の名だたる漫画賞を総なめとまではいかぬまでも多くの賞をもらうようなマンガ家であるにも関わらず、どこまでもマイナーなマンガ家であることを固辞し続けているかのようなのです。そんなマンガ家さんだから、読者たる人々はついつい諸星大二郎のことを本当に理解しているのは自分だけだなんて思い込みそうになるのです。いっぱいのマンガ好きであれば知らぬ者などいないことは間違いないのだから、当然諸星氏のことも知らぬはずなどないのです。そして同氏のファンはそれを公にすることが恥ずかしいことなどではないにも関わらず、こっそりと愛でるように愛好しているんじゃないか。恥じらいもなく氏のことを絶賛できるのは、手塚治虫に宮崎駿、細野晴臣や高橋留美子などの大御所位しかいないんじゃないだろうか。黙ってて欲しいものであります。氏にはこれからも数多くのマイナーでメジャーな作品を披露してもらいたいと思うのです。『アダムの肋骨』(集英社, 1982)「詔命」、「真夜中のプシケー」、「不安の立像」『グリムのような物語 スノウホワイト』(東京創元社, 2006)「小ねずみと小鳥と焼きソーセージ」『グリムのような物語 トゥルーデおばさん』(朝日ソノラマ. 2006)「ブレーメンの楽隊」『コンプレックス・シティ/諸星大二郎傑作集』(双葉社, 1980)「ジュン子・恐喝」『子供の王国 諸星大二郎珠玉短編集』(集英社, 1984)「子供の王国」『私家版鳥類図譜』(講談社 ,2003)「鳥探偵スリーパー」 諸星大二郎はやはりすごいということは、ストーリーマンガ家である諸星氏のそれなりに紙幅を要するであろう作品のほんの一コマとか数コマを抜き出すという人によっては蛮行とも捉えられて不思議ではない作業を経てさえも、さほどの魅力をそぐことにならぬというのはまったくもって驚くばかりであります。すごいという言葉がやはり相応しいのです。ほぼ独りで作品を仕上げるそのスタイルからどうしても寡作傾向になりがちな諸星氏でありますが、ぼくが生まれる以前からマンガ家人生を歩んできただけあって、その作品は相応のボリュームになっております。飲食・飲酒シーンも必ずしも多くはないのでありますが、搔き集めると結構な量になりました。稀少な飲食・飲酒のシーンではありますが、まとめて眺めるとやはりここにも諸星氏のユーモアや不気味さ、掴みどころのなさなどが表現されていて実に楽しいのです。
2020/12/17
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千束といえば吉原、吉原といえば高級ソープランドなどの風俗店の密集地帯となるわけです。こうした業種を必要悪だとか法治国家において営業が認められているから可であるとかいう虚しい言葉で擁護つもりはまったくないけれど、一定の需給関係が成立しているらしい存在し続けるわけで、だから一概に否定するのも難しそうです。とにかくこうした施設に関して、ぼくの態度としては「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」というウィトゲンシュタインの言葉に従うことにしたいのです。っていかにも誤用である気もするけれど、今のぼくには確固たる意見として人を説得するだけの準備はありはしないのでした。ともあれ、この界隈は比較的よく足を向けるから特段興味本位で訪れたということでもなく、山谷辺り―こっちはこっちで冷やかしで訪れるのは避けたい待ちであります―をぶらついていたらいつの間にか足を踏み入れてしまっていたといった次第で、何度も来ている割には見過ごしていた居酒屋があったのでフラリとお邪魔することにしたのでした。 このお店はどういう組合せになっているのだろう。立派な和風の構えの家屋には「季節料理 大黒屋」と揮毫されていている割に目立つのは煙草屋だったりするし、写真には取り損ねましたが看板は側面にも伸びていてそちらには、「趣味乃御履物 大黒屋」と記されているものの肝心の御履物は飾られている気配はないのです。間違いなくこの一続きの店として、意味深な「お待合せ処 ダイコク」があるわけですが、こちらだけは悩ましい店名ながらそれなりに賑々しい外観ではあったのでした。ならばまあ入ってみるかと暖簾を潜ったのは、けして待合せ客たちの様子を眺めるためではないので誤解なきようお願いしたいのです。店内には女性客が独りだけ、お待合せというよりは、ご出勤前のひと時を過ごしているという御様子。店の夫婦は、実直そうな方達だったので内心ホッとするのでした。って、また誤解を招きそうなことを書くのでした。まあ、これだけ書いてしまうともう書くこともない位に至って普通の居酒屋さんで、ごくごく普通のお酒があって肴があるといった具合。色々と言い訳めいた前口上を述べてはみたけれど、どうしてもこの土地で呑むとなると避けようのない偏見がどす黒い雲のように視界を覆うのでありましょうか。
2021/02/26
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白山界隈は、最寄りの東洋大学をはじめとして近くには日本医科大学や東大もある文京区らしい文教地区であると同時に小石川植物園があったり、あじさいまつりで知られる白山神社があったりと都心のど真ん中であるにも関わらず、落ち着いた情緒のある町並みを形成しており、都心の利便性と閑静さを兼ね備えたいかにもおハイソなムード漂うちょっと憧れのある町であります。実際に住んでみると買い物に不便だったり、フラリと出向ける居酒屋や飲食店がそう多くはなさそうだし、それなりにお気に入りができてもお値段もそこそこで夜な夜な訪れる派のぼくが過ごすにはちょっと厳しいんじゃないかと思わぬでもないのであります。この発言は文京区の住民に対する嫉妬心の発露とは思わないで頂きたいとくれぐれもお願いする次第であります。 それどこか取り澄ましたおハイソかつおインテリな環境だから、わずかながらに存在する酒場もやはりスカしたお店が多いかと思いきや、「居酒屋 まぬけ」なるすっとぼけたお店があったのですね。この界隈で呑むことはそうないから気付かなくても仕方ないけれど、多少注意深くさえあれば気付けていたと思うけれど、でもこれが酒場であるとは思わなかったかもしれません。笑えるといったほどではないけれど、落書きとは思えぬ程度のクオリティがあって、悪ふざけの域を脱してはいますが、酒場という人が一生を賭けても恥ずかしくない商売を起こそうという時にこのようなおふざけな店名と外装で本当に良かったのだろうかと心配になります。まあ店の方にも心配など無用と一蹴されそうではあります。店内は大学の町らしくカジュアルな内装となっており、広々としているので快適に過ごせます。どこの大学だかここで書くのは控えるけれど、現下の状況であんなに大騒ぎしていいものだろうか。衛生面というよりは単に喧しいことに溜まりかねた常連のおっさんが説教を垂れた途端にだんまり状態になるのだから今時の若者は案外聞き分けが良いようです。さて、煮物のお通しにポテトフライに三種の珍味セット、ホッピーもお手頃でぼくもここらで学生生活を送っていたならたまに立ち寄っていたかもしれません。でもまあいい年のおっさんに成り果てた今となっては懐古的な気分に浸りそうで通うのはどうかなあとも思うのであります。併設のカラオケ店もあるらしく、セットで使うと楽しそうだけど、今は自粛が必要でしょうか。
2021/05/05
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湯島って上野のそばに立地している癖にちょっと気取った感じがします。散策するには悪いところではないのですが、呑み歩いてみるとその気取った印象がてきめんに勘定に反映されているように思われるのです。無論、そんな中にも気取らぬ肩の力を抜けるようなお店があるのですが、総じて気の抜けない感じのお店が多いようです。この夜お邪魔したお店もそういったちょっと油断ができない印象を抱かせられる雰囲気でありまして、スポンサーがいるからといっても気を緩め過ぎてはならないのです。奢ってもらうってのも結構気遣いがあるもので、ぼくの場合は酒は遠慮なく呑むけれど肴は自らの好みは主張しないことをモットーとしています。無論、注文を面倒がるスポンサーと一緒になることもある訳で、そうした場合は臨機応変に対応せねばなりません。なんてまあそんな湯島への思いだったり、スポンサーに対する気遣いなんかも呑んでるうちにどこかに消し飛んでしまうんですけどね。 「二代目 圭」って店でした。改めて外観を見てみると、前面ガラス張りではありますが庶民的な感じに見えます。でも内装は白の合皮のスツールなんかがなんか嫌だなあ。ちっとも酒場っぽくないですね。和風の居酒屋なら和のテイストで構えて欲しいと願うのは、おっさんの感性なんでしょうかね。客層も助平野郎医者3人組だったりご出勤前ケバ嬢だったりと少なくとも金は持ってそうな面々で、そうした人たちをぼくはけして好きではないけれど、交わされる会話は非常に愉快に聞き入りたいところなのです。ところが、この夜はスポンサーに加えて先生と呼ばれるぼくにとって未知の人が同席する予定となっているらしいからいつも以上に気を遣わねばならないのでした。おお、お通しからえらい気合が入ってますねえ。まあお味の方はそこそこで見た目重視って感じはしますけど、けして悪くはありません。刺し森もなかなか悪くないビジュアルですね。松戸辺りの魚介系居酒屋だと豪快な盛り付けに目を奪われるけれど、こうした見目麗しいタイプも悪くないですね。気取ったお店に毒されてしまったか。そうこうするうちにお初にお目にかかる方が現れました。おやおやまだうら若い女性だったのですね。若い女性ですが、酒の肴のセレクションはなかなかに渋い。お新香だったり焼きタラコって先行して一通り呑み食いしているおっさん泣かせなのであります。おっさんを酔わせてどうするのなんて思ったりもするけれど、本当にこういう酒の肴っぽいのがお好みみたいです。おっさんという生き物は、ただでさえ若い女性が同席すると興奮を鎮めようと呑み過ぎてしまう傾向があるんだけどなあなどと、当然ながら興奮は鎮まるどころかそのボルテージは昂じるばかりなのでした。
2022/04/18
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どうしても好きになれない酒場があります。といった書き方をすると、世の中の酒場の大部分は好きだが、ごく少数の酒場が嫌いであるといった解釈をするのが自然な受け止め方に思えます。それは実際とはまるっきり違っているのだ。ぼくは非常に狭量な人間であるので、好きな酒場はごく少数に限られており、ほとんどは嫌いな酒場ばかりなのだ。それは以前からこのブログをご覧いただいている方には自明であると思うけれど、万が一にもたまたまこの記事に触れた方がいるかもしれないので、一応お断りしておきます。とまあ、結局ぼくにとっての「好きになれない酒場」は、どういう酒場かというと「一見様お断り」を掲げる酒場なのです。この夜はO氏と一緒だったのですが、O氏はぼく以上の原理主義者(本人は口を尖らして異を唱えるだろうけど)でありまして、自分がこうと決めた基準に収まらぬ酒場を頑なに拒否するのですが、彼の嫌う酒場の筆頭に挙げるのがこうした「一見様お断り」の店なのです。ちなみに確かにぼくも「一見様お断り」の店にはその高邁な態度(実はこの断り書きを掲げる理由はそれだけに限られてはいないのだけれど)が大いに不快に思っているクチなのですが、この夜訪れた一見様お断り酒場はそうした不愉快な気分を押してでも入ってみたい気持ちが掻き立てられたのです。無論O氏はぼくを見て気は確かかってな表情を浮かべて拒否の態度をアピールしていたのだけれど、ぼくはそんな素振りは見て見ぬふりで制止される前に戸を開け放ったのでした。 やって来たのは「酒処 ままや」です。何が気になったってここは以前、「餃子舗 芙蓉」として営業しておられて近いうちにお邪魔しようと心の片隅に留めておいたのが、当の片隅がしっちゃかめっちゃかになってしまって埋没してしまったままになってしまったのでした。今では看板に過去の残滓を見出せるばかりです。と思ったらどうやら内装は当時の基礎はそのままに表面のみ磨いた風のようです。女将さんはおやっって表情を浮かべましたが、何とも呆気なくどうぞって迎え入れてくれました。どうやらぼくは人畜無害な酒吞みであるとの判断が下されたようです。こうも呆気ないとちょっと物足りない気持ちになるのだからわがままなものです。きっと安全保身のためにアブナイ客への牽制の意味で例の貼り出しをしているのでしょうが、いざ入れてしまうとこうしたアナウンスもなく一見はお断りしていると告げられる(そんな無体がコロナ禍中は頻繁に発生したのです)よりはずっと納得がいく話のように思えるのでした。セットが400円、中が200円とリーズナボーなホッピーをお願いしました。お通しと一緒に届きました。ワカメときゅうり、茗荷の酢の物のようです。よく見るとイカのゲソなんかも紛れ込んでいます。いいじゃないの。ってさらに掘り下げるとなんとトリガイまでがちょろちょろと顔を覗かせるのです。すごい立派なお通しじゃないの。つい嬉しくなって贅沢にも600円(あららセコい)の馬面ハギを注文。ぶりっぶりに弾力のある身が美味であります添えられた肝がまた濃厚ながらしつこくないのだ。カワハギの代用品として低く扱われた魚ですが、少しもカワハギに負けていないように思えました。それと箸休め程度に頼んだお新香がまた素晴らしい。茗荷の酢漬けに大根の糠漬けに加えてしゃくしな漬けまでしっかりとした量で出されるのだからついつい中だけで4杯も頼んでしまったのだ。先客のカップルはこちらが勘定待ちで苛立つほどに賛辞を送っていました。我々もそうしたけどね。すると女将さんによくあれ見て入ってこれたねえだって。これには酔っていても返事のしようがなかったのでした。
2023/06/12
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