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日本が超高齢社会に突入して久しくなりました(ちなみに1970年に高齢化社会、1994年に高齢社会、2007年に超高齢社会へと突入)。ぼくもそう遠くない未来に社会の構成人員の多数を占めている老人の仲間入りをすることになります(ってまだまだ定年という仮のゴールに至るまでかなりの歳月を要するのですが)。ぼく自身は、老後に足を踏み入れることを悲願していて、今や遅しとその時が到来するのを待ち構えていますが、実際、例えば50歳の人たちというのは、年を取ることをどう考えて炒るのでしょう。ぼくはついさっきも言ったように、仕事から解放されて気ままな毎日が過ごせるのを悲願していますが、人によっては老いることを嘆き、恐れているといったこともあるのかもしれません。老いることに対するネガティブなイメージは様々ですが、その理由の根底には孤独感があるんじゃないかって思うのです。老後に暗いイメージを抱く人というのは結局孤独が嫌だから暗くなるんじゃないのか。ぼくも一人暮らしをしていた若い頃にはいっぱしに孤独を感じたりもしていました。ぼくの知人で50歳でファイヤしたのがいて、彼は今でも独り暮らしを続けていて、たまにぼくと呑む以外は病院や買い物のため退出してその用件を済ます際に言葉を交わすといった、世間的な視線では極めて孤独そうな日々を過ごしているのです。が、当人は至って平気で、やはりぼくと同様に若い時期は孤独を感じることもあったみたいですが、今はそんな感情も失ってしまったと語ります。ぼくもそれはなんとなく分かるんですね。若い頃には将来に対する漠とした不安があって、その不安な感情が孤独を喚起するって向きがあったけれど、ある程度の年齢になってそれなりに蓄えもでき、将来の目途がある程度立ってくると不安が弱まるとともに孤独感も薄まってきたような気がします。また、ぼくなども超高齢者となって久しい両親の住む実家に行っての別れ際などはそう遠くない未来に別れが来ると感じてそれが孤独をもたらすのですが、実際にいなくなればそうした感情はわかなくなるんじゃないだろうか。 ってなんでそんな話をしたかというと、町屋の中心からちょっと外れた住宅街にある「御食事酒処 弾」で、かなり年老いた女性が2名、カウンター席でちょっと呑みつつ食事を摂っているのを見掛けたからです。お二人はぴったり寄り添って、時折言葉を交わしているけれど、たまに眺めてみても食事や飲み物にはほとんど手を付けるでもなく、ぼんやりと過ごしているのです。不思議なもので自分のことを孤独と感じずともそうした見知らぬ他人に孤独を感じることはあるのですね。将来的に一方が亡くなる時が訪れるはずですが、その場合、ぼくには残される側こそ気の毒に思えたりするのでした。こうした光景は今後、日本のそこかしこで目にすることになるのだろうなあ。その一方で若いアベックが旺盛な食欲でカレーライスなどを平らげていたのですが、彼らの視線の先に老婦人たちは収まることがあったんだろうか。ぼくが彼らの年代には未来への不安を払拭しようと馬鹿みたいに酒を呑んでいたけれど、今の若者は不安という感情が欠如しているように思えることもあります(そんなことはないことは分かっているのですが)。ちょうど中間の世代のぼくたちは死期を迎えるには(恐らく)まだまだしばしの猶予がある訳で、もっとも呑気なのかもしれないなあなんてことを思うのです。さて、こちら、酒も肴も思ったより3割増しの価格帯で、食も以前よりは細くなっており、かといってお財布事情はボチボチだから、最低限の肴で酒ばかりはお代わりが進んでしまうのでした。店の方たちは真面目そうな若者2名でありましたが、どうも若者らしい覇気が感じられないのです。誤解があるかもしれませんが、特別旨いものを食わせようということもなく、特別安価に呑ませようというでもなく、3割程度の客の入りでもまあいいかなあって感じは、集まる客の世代のバラツキにも感じられます。繁盛店を狙うなら、ある程度利用客層が絞られるはずだろうしねんて思ってしまうのです。でも少なうとも超高齢者たちの居場所を提供してくれているのはいずれ我々も有難いことと感じるようになるのかもしれません。
2025/11/24
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子供の頃、将来就きたい職業には事欠かなかったのです。あくまでも「就きたい」だけなので、実際にそうなるための努力を払ったことなどなくて、月替わりのように「就きたい」職業は変遷したのです。それを揚げていくとキリがないので、特に変わった職業をひとつだけ告白しておくことにします。それは力士になるというものでした。ぼくは小学生になる頃からぽっちゃりし始めて、高学年になると軽度の肥満児となっていました。それも相撲取りになりたいと語る一因とはなったような気もします。先ほど告白と書いたけれど、事業参観だかなんだかで将来なりたいことってな発表をさせられて、そこで堂々とお相撲さんになりたいって発言をしたのだから、少しも秘密ではなかったのです。発表前夜まではマンガ家になりたいと当時の先生には語っていて、いざ当日になって相撲取りになりたいなんて言うから先生も驚いていたことを薄っすら覚えています。その夢はすぐに映画監督だったり小説家なんて夢に上塗りされることになるのですが、力士になりたかった真の理由は龍虎のようになりたいって思ったのがきっかけでした。かつて『料理天国』って番組が放映されていて、そこで龍虎が旨そうなものを旨そうに食らっていたのが実に羨ましかったのだ。食べっぷりは良かったけれど、ガツガツ食らうって感じじゃなくて、ちゃんと味わって食べてる、しかも食べ慣れてるって感じで、小結で現役生活を終えた勅使でこれなら横妻になればどれほどの豪勢な料理が食べられるのだろうと想像するだけでも憧れるのに十分な理由があるのだった。つまり力士になると旨いものが食えるんじゃないかって安直な理由だけが力士になりたい理由だったのだから、そりゃまあなりたい職業がいくらあっても不思議じゃない訳です。こう書くと今回のテーマがちゃんこ料理屋だったり、元力士のやってる店だったり、力士たちが贔屓にする店って方に話がいくべきなんだろうけど、そうはならないのでした。 今回お邪魔したのは日暮里駅から西日暮里駅に向かう通りの踏切近く店を構える「こまつ」です。ここの店が放つイメージがたまに行くならこんな店っていう感じでなのです。料理番組好きならご記憶かもしれませんが、「たまに行くならこんな店」っていうタイトルをもつ料理番組の一コーナーがあったのですが、これが龍虎の出演する『料理天国』のコーナーだと勘違いしてしまったのです。が、よくよく考えてみるとこのコーナーは『料理バンザイ!』の番組内のコーナーだったのだ。だから前段の文章は後段とは勘違いでのみ繋がっているということになる。まあ、書いてしまったから残したまでとご理解頂きたい。といった訳で、かねてより「たまに行くならこんな店」かなあ、と思いつつ眺めてから早10数年となったけれど、未だ行けていなかったのだから、ぼくにとっての「たま」というのは寿命通り生きられたとしても人生で4度行けるかどうかという程度になる。なんとも寂しいものであります。しかしまあ家庭料理だって、少なくともそこらの普通の店で食べるものよりはずっと美味しいのだからまあ良しとしよう。贅沢を言い出すとキリがないのだからと自らに言い聞かせて過ごしてきたのです。こちらのお店は、店内もかつて見た料理番組で登場しそうな上品な店内でありますから、結構なお値段を取られるんじゃないかと思っていたけれど、品書きを眺めてみると毎晩どころか週に一度でもぼくの小遣いでは無理があるけれど、少なくとも20年に一度の店ではなく年に1、2度位ならそう財布の心配をせずに来られそうなので少し安心するのでした、いくらご馳走になるとはいえどもね。冷静になると店先にメニューが掲げられている位だからそう杞憂するまでもないことは分かるはずだったのだ。立派なお通しに始まり刺身などを食べ進めるといずれも実にちゃんとしていて、むしろお値段に比してお得感を感じる位であったのだ。さて、黒板メニューには定番通り季節のお勧めの品が記されているのであるけれど、ぼくは大概そこに記されているのは時価的な価格帯のものが多いから見て見ぬフリをしていたのだけれど、この夜のスポンサーが、土瓶蒸しって食べられるって聞いてきたのである。食べられるって聞かれてもねえ、ぼくの記憶では食べたことがあるようなないような、いや多分食べたことはあるけれど、もういつ食べたか覚えてない位に久しいのだから、ここは当然、食べられるって答えるのだ。食べた覚えはほぼないけれど、食べ方はよく知っている。たまに行くならこんな店でよくお目に掛かっていたからね。食べ方は覚えていても味や香りはまるで初めてのように思われる。つまりは余りに旨くてうっかりこれだけで清酒2杯を呑み干してしまったのでした。当然、松茸の薫るだしもちゃんと呑み切ったのでした。たまに、いや松茸の季節だけでもいいからまた行きたいなあ。
2025/11/23
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近頃何だかもう随分以前からなのか寡聞にも存じ上げないのですが、ここ十年ばかりでスペインバルなるお店が増殖しているようにぼくは感じています。バルって居酒屋に近しい業態として、日本ではよく扱われているようですが、実際にはフランスのカフェなんかと同様で酒を呑ませるだけじゃなく終日、簡単な食事ができたりお茶できたりするお店のことを指すようです。スペインバルでは、タパスと呼ばれる小皿料理が提供されて串に刺されて手軽に摘まめるようになっているものは特にピンチョスなんて呼ばれているようです。このスタイルは日本の立ち呑み店の気軽さにも通じているようで共感を抱かせてくれます。下田淳著『居酒屋の世界史』では、スペインの居酒屋の歴史にも触れられています(実際は関哲行著『スペイン巡礼史』からの孫引き)-- 一五世紀、巡礼街道沿いの宿場町プルゴスの場合、一軒につきベッド数は六〜一二台程度、もちろん共用であった。居酒屋も兼ねたのはもちろんであったが、そこで商談やエンターテイメントがおこなわれるなどの機能ももっていた。-- とのことで、これだけ読むと実に楽しそうな施設に思えます。でも実際には「一四九二年、スペイン・マラガ市では、公娼が居酒屋へ出入りすることが禁止された」といった記述もあることから、当時の居酒屋は売春宿としての機能も併せ持っていたということのようです。酒場という施設が現在に至るまでいかに明朗さや開放感を演出しようともどうしようもない暗部を感じさせるのはそうした過去(?)があってのことなのかもしれません。ピスト・カステリャーノ(pisto castellano/夏野菜のトマト煮込み)【材料】にんにく 1片/玉ねぎ(1cm角) 1個/オリーブ油 大さじ3/ベーコン(1cm角) 2枚/ピーマン(赤/1cm角) 1/2個/ピーマン(緑/1cm角) 2個/ナス(1cm角) 3個/水 1カップ/トマト水煮 1/2缶/パプリカパウダー・塩 小さじ1/2【作り方】1. 鍋にオリーブ油を熱してにんにく、玉ねぎを炒める。ピーマン、ベーコンを加える。ナス、水を加えて煮る。トマト水煮を加えて蓋をし、煮る。パプリカパウダー、塩を加える。 これまたぼくの印象でしかないのですが、スペイン料理というのは非常にシンプルに調理されることが多いように思えます。そうした意味では日本の家庭料理とも通じるようで好ましいけれど、レシピを眺めさえすれば凡そその味が想像できてしまうのです。これまた非常にシンプルですが、パプリカが幾分スペインっぽいかなって思わせてくれます。ピスト・カステリャーノのスパゲッティ(写真逸失)【材料】スパゲッティ(茹でる)・ピスト・カステリャーノ・油(オリーブ)・粉チーズ・胡椒 適宜【作り方】1. フライパンに油を熱してスパゲッティ、ピスト・カステリャーノを炒める。皿に盛って粉チーズ、胡椒を散らす。 これは単なる使い回しのような気もしますが、あってもちっとも不思議でない綾里なので一応のせておきます。トマトとオリーブのサラダ【材料】トマト(湯剥き/1cm角) 2個/玉ねぎ(粗みじん切り) 1/4個/ケーパー 小さじ2/オリーブ(黒) 12個/ピクルス(きゅうり) 4個/ツナ 1缶/卵(茹でる) 1個/塩 適宜/酢 小さじ2/油(オリーブ) 大さじ2【作り方】1. ボウルにトマト、玉ねぎ、ケーパー、オリーブ、ピクルス、ツナ、塩,酢、油(オリーブ)を入れて混ぜる。皿に盛って卵を飾る。 これまた非常に作り甲斐のないレシピでありますが、間違いなく旨いのです。だけどこれをスペイン料理って言い切ってしまっていいものか迷うところです。アホ・トマテ(にんにくトマトサラダ)【材料】トマト(薄切り) 2個/クミン(P) 適宜/【ドレッシング(混ぜる)】トマト(湯剥き/みじん切り) 1/2個/にんにく(すり潰す) 1/2片/ワインビネガー(白) 小さじ1.5/油(オリーブ) 大さじ2/塩 適宜【作り方】1. 皿にトマトを盛って【ドレッシング】をかけ、クミンを散らす。 これまた地中海沿岸の各国であればどこででも食べられそうなレシピです。でもこのレシピを見ているとトマトが食べたくなります。サランゴーリョ(ズッキーニとじゃがいもの卵とじ)【材料】ズッキーニ(銀杏切り[1cm幅]) 1本/玉ねぎ(薄切り) 1/2個/じゃがいも(銀杏切り[1cm幅]/電子レンジ(600W)で2分加熱) 1個/卵 2個/にんにく 1片/油(オリーブ) 大さじ1/オレガノ(D) 小さじ1/塩 小さじ1.5/胡椒 適宜【作り方】1. フライパンに油を熱してにんにく、ズッキーニ、玉ねぎ、じゃがいもを炒める。塩を加える。溶き卵を注ぐ。オレガノ、胡椒を加える。 こうした野菜のオムレツというかトルティーヤは材料を見ても容易に味の想像がついてしまってなかなか作ろうと思わないのですが、実際に食べてみるとやはり抜群に美味しいんですねえ。
2025/11/22
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昔から町屋は呑兵衛に人気の町だったのかなあ。ぼくが町屋でちゃんと呑み始めたのはたかだか20年前位の事だからそれ以前の状況はよく知らないけれど、ぼくが通い出した頃でもすでに酒場痛の定評がある酒場は少なくなかったように思われます。「小林」「亀田」「ときわ食堂」「大内」などなど、いずれも当時とはすっかり違ってしまったけれど、初めてお邪魔した頃は大変な繁盛ぶりだったから、きっとこの町の住民たち以外の他所の町から呑兵衛が訪れていたに違いないはずです。この町の住民だけでそこまで込むむとは思えないですしね。ちょうどその頃は居酒屋ブームとやらが世間を席巻していたようなことを耳にした気もするのです。ぼく自身は酒場巡りのきっかけはすっかり失念してしまったけれど、きっとそういう尻馬に乗っかったに違いない。なんてったって典型的なミーハー体質ですからね。ってそんなことは自慢にもなりはしまい。しかしコロナを抜けて相当町屋の酒場事情も変化を被ったように思えます。かつての雑然としていながら薄暗いちょっと危なっかしい印象はどこへやら、町は明るさを獲得する一方でどことなく元気を失ったように思えるのです。こういっちゃ誤解を抱かれそう―ホントはちっとも誤解ではないのだけれど―、酒場やそれがある町というのは危なっかしくてうら寂しいくらいがちょうどいいのだ。今の町屋は健全過ぎるように感じられるのです。かつての不健全な雰囲気はもう二度と取り戻すことはできないんだろうなあ。 この夜お邪魔したのは「辰心食堂」でした。まさにコロナが終息しつつある時期に新規に開店したお店で、実は2度トライして2度とも満席で断られたという、ぼくにとっては曰く付きのお店だったのです。でも今回は4名で呑むということで事前に予約を入れておいたから間違いなく入ることはできるはずです。ほぼ時間通りに到着すると、家族経営だというからその息子さんなのでしょうか、迎え入れてくれました。あらあら、案外空席が目立ちますね。さすがに繫盛ぶりもひと段落したということなんでしょうか。18:30のスタートです。普段の見つけない生ビールを揃って注文、目に留まったお勧めの網レバーなどもついでに頼むことにします。早速届いたビールにて乾杯。頼んだ肴も続々と届くのですが、これがどれもこれもが非常に旨いのだ。不健全さの欠片もない店内で、いつものぼくなら3杯も呑めば次なる酒場を目指そうと考えるはずですが、もう魚の注文が止まらないのでしあ。3大おつまみのミノ焼きも実にいい。なぜか残りのもつ煮込みは食べなかったけれど、注文しておけば良かったなあ。網レバなどお代わりまでしたのにねえ。でもまあこれは混雑する訳だ。でも旨い、旨いと書いてしまうと他に書くことがこれ以上何もなくなってしまうのだ。散々呑み食いしていつしか3時間30分ほど経過した頃には、店内はすっかり混み合っていたのです。ぼくには語ることはないけれど、一緒の3名は大いに満足しており、また来たいと言ってくれたのだから店選びと予約するだけの適当幹事でもちょっと嬉しくはあるのでした。
2025/11/17
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まだ実感できてはいませんが、どうやら大根が豊作とのことで、ぼちぼちうちの近所でも値が下がってくるのではないかと期待しています。先達ても書いたことでありますが、大根っていうのは思ったより食べ方に困る野菜で、煮付けにしたり味噌汁の具にするのが無難な食べ方であるのでしょうが、ここ数年はおろしで食べるのも悪くないと思うようになりました。ぼくがどうしても好きになれない北大路魯山人も大根おろしはお気に入りのようで、鮪にはわさびより大根おろしが良いと語っているし、まぐろの砂摺りを皮ごと分厚に切って付け焼きにする雉子焼に大量の大根おろしをのせて醤油をかけたものは、炊たきたて飯が飛んで入るそうだ。コツは新鮮な大根を用いることにあると、実にアホらしいアドバイスもくださっている。しかし、鮪の茶漬けはちょっと試してみたいと思っているのです。「飯は茶碗に半分目、もしくはそれ以下に盛って、まぐろの刺身三切れを一枚ずつ平たく並べて載せる。それに醤油を適当にかけて加減する。大根おろしをひとつまみ、まぐろのわきに添えればなおよい」そうです。ちなみに青空文庫でチェックすると日本の文学には大根おろしがちょくちょく重要なアイテムとして登場しており、夏目漱石著「変な音」もその一つであることを久々に思い出しました。また、潔癖症の泉鏡花が大根おろしを煮て食べていると小村雪岱著「泉鏡花先生のこと」に記されていますが、かつてこの逸話を知った時には奇異に感じたものですが、今ではさほど違和感なく受け止めています。ということで大根おろしのレシピになります。越前おろしそば【材料】そば(茹でる/水洗い) 1人前/そばつゆ・大根(おろす)・長ねぎ(小口切り)・鰹節 適宜【作り方】1. 器にそばを盛ってそばつゆを注ぎ、大根、長ねぎ、鰹節をのせる。 福井県の名物というけれど、そばと大根おろしの相性の良さは周知のことであります。大根は存在感のある野菜としての食べ方ばかりでなく、薬味としても優秀な食材ということが分かります。ダブル大根そば【材料】そば(茹でる)・大根(おろす)・カイワレ大根・揚げ玉・めんつゆ 適宜【作り方】1. 丼にそばを盛ってめんつゆを注ぎ、大根、カイワレ大根、揚げ玉をのせる。 こちらは二種の大根を一緒に食べてしまうという趣向です。今、思い付いたのが大根の千切りとおろしのダブル遣いというのもあり得そうだなあ。今度試してみようかな。鶏みぞれそば【材料】そば(茹でる) 1人前/鶏肉(もも/一口大) 30g/大根(おろす) 3cm/青ねぎ(小口切り)・生姜・めんつゆ・だし 適宜【作り方】1. 鍋にだしを沸かして鶏肉を煮る。大根、めんつゆを加える。丼にそばを盛って注ぎ、青ねぎ、生姜をのせる。 鶏もも肉の脂をおろしがふんわりと包み込んで濃厚でありつつもさっぱりと頂けていいですねえ。ただおろしを入れると汁を呑み切ってしまいたくなるので、汁の量は控え目にしておくのが賢明かと。椎茸と長芋の大根おろし添え【材料】椎茸・長芋(輪切り[1cm厚]/電子レンジで600W2分加熱)・大根(おろす)・にんにく・ごま油・醤油・酢・青ねぎ(小口切り) 適宜【作り方】1. フライパンにごま油を熱して椎茸、長芋を焼く。にんにくを加える。大根、酢を加える。皿に盛って青ねぎを散らし、醤油を添える。 ふうん、こんなの作ってたんですねえ。恥ずかしいことにまるで覚えていませんが、これはヘルシーなのに濃厚そうでもあり、酒の肴にすごく良さそうですねえ。
2025/11/21
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つい先日まで大根が不作で高くなるって話を聞かされていました。でも今日の朝のニュース(11/7)を見ると、全く逆になっていて豊作となっているばかりでなく、生育も大変よろしくて通常の1.5倍にもなる立派な大根が育っているそうな。でもぼくの身近なスーパーなんかにはその影響は及んでいないし、立ち呑みのお母さんの話でもまだまだお値頃感は感じられないようです。それは未だにおでんの大根の150円という価格に現れています。テレビのニュースではお馴染みスーパーのアキダイでお買い得との報道もされているけれど,同じ都内なのにその差は何なんだろうなあ。同じ都内でそれ程価格が違うってのも不思議だなあ。と語りつつ、実のところ、常日頃から疑問に思っていることがあるのです。ぼくんちの近所は徒歩数分圏内にはスーパーマーケットは2軒しかないのですが、野菜や鮮魚関係の値段がバラツキまくっていて、不可解極まりないのです。両店は自宅からA店を経由してB店といった位置関係にあるので、時間と時間帯に余裕がある時にはA店でざっとチェックした上でB店に向かい、買い物を済ませて場合によってはA店に再び寄るといった使い方をしていますが、同じ野菜でも価格差が随分開きがあったりするのです。これってどういうことなんだろうなあ。一方が大型系列店でもう一方が独立の小売店ってこともあるんだろうけど、仕入れ先に違いがあるとしても明らかに価格差があれば売れ残るだけのような気がするのだけれど。小売店側は仕入れた以上は棚に並べざるを得ないだろうけれど、大型店であれば他店舗と融通を利かせ合うこともできそうですが、そうもいかないのかなあ。農家と直接契約していて価格も契約に縛られて高値で販売せざるを得ないってことなんだろうか。まあ、何でも高額な現在にあって比較できる店が身近にあるのはまずはラッキーだと思った方がいいんだろうなあ。そのうちこうした実店舗も減少の一途をたどるんでしょうね。大根のミネストローネ【材料】ふろふき大根用の大根・玉ねぎ(1cm角)・セロリ(1cm角)・ニンジン(1cm角)・じゃがいも(1cm角)・トマト水煮・オリーブ油・にんにく・水・顆粒コンソメ・ドライタイム・塩・胡椒・粉チーズ 適宜【作り方】1. 鍋にオリーブ油を熱してにんにくを炒める。玉ねぎ、セロリ、ニンジンを加える。じゃがいも、トマト水煮、水、顆粒コンソメ、ドライタイムを加えて煮る。大根を加える。塩、胡椒を加える。皿に盛って粉チーズを散らす。 大根を大量にふろふき大根用に下茹でしたもののすぐに飽きてしまい、かように展開したようです。もう随分以前に作ったのでよく覚えていないけれど、大振りの大根ってやっぱりちょっとワクワクします。大根のペペロンチーノ【材料】スパゲッティ(茹でる)・大根(棒状) 100g/にんにく 2片/オリーブ油 大さじ1.5/赤唐辛子(輪切り) 適宜/水 80ml/塩 小さじ1/2/酒 大さじ1【作り方】1. フライパンにオリーブ油を熱してにんにくを炒める。赤唐辛子、大根を加える。水、塩、酒を加えて蓋をし、弱火で3分蒸す。火を止めて3分蒸す。パスタを加えて加熱する。塩、オリーブ油を加える。 江部敏史氏なる方のレシピ。っていう程のものでもない気がしますけど。こう言ってはなんだし、大体想像はしていたけれど、いかにもパンチが足りないのでありました。大根マヨ醤油【材料】大根(皮を剥く/5㎜厚半月切り)・醤油・マヨネーズ・一味唐辛子【作り方】1. 皿に大根を盛って醤油、マヨネーズ、一味唐辛子をかける。 大根サラダは千切りやら短冊に切ってドレッシングでもマヨネーズでもいいけれど、きっちり和えるのが一般的ですが、これは大胆に大根にいきなり調味料をかけてしまう式です。大根とニンジンとひき肉の煮付け【材料】大根(銀杏切り/下茹で)・ニンジン(銀杏切り)・合びき肉・生姜・だし・酒・みりん・砂糖・醤油 適宜【作り方】1. 鍋にだしを沸かして大根、ニンジン、合びき肉を加える。生姜、酒、みりん、砂糖、醤油を加えて煮る。 なぜか、うどんにのっけた写真だけが残っていました。ともあれこれまで大根は色んなレシピを試してあれこれと作ってきたけれど、結局、こういう地味な煮物もしくはおでんが一番なんだろうなあ。
2025/11/15
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つくねって食べ物があります。一般には鶏ひき肉を丸めたものをつくねって呼ぶことが多いけれど、肉類ならなんだってつくねって呼んでいるようだ。また、鰯などの魚肉のすり身を丸めたものもつくねって呼んだりするから、つくねっていうのは材料に依存する呼び名ではなく、すり身を丸めたもの全般をつくねって呼ぶと考えて間違いはなさそうです。じゃあ、「つくね」って呼び方はどこからきているのだろう。とPCで「つくね」と打ち込んで漢字変換してみたら見覚えのある感じが表示されました。「捏ね」です。ぼくはこの漢字の読み方を「こね」だとばかり思っていたのですが、どうやら「つくね」と呼ぶのが正解だったみたいです。と「こね」と打ち込んで変換してみると、あらこちらも「捏ね」と表示されますね。なんのことはない、「つくね」とも読むし、「こね」と読むのも間違いではないみたいです。とすればここで不思議なのはなぜすり身を丸めたものは専ら「つくね」と呼ばれて「こね」と呼ばれることはないのだろうか。ということで気になって調べたのですが、「こね」とは呼ばないみたいですね。ちなみに「つみれ」と「つくね」の違いについては、ネット上に情報が溢れているので割愛。といったところで、今回はつくねを売りにする酒場に久し振りにお邪魔してきたのでその報告です。「生つくね元屋 松戸2号店」に行ってきました。今回お邪魔したのは松戸駅の西口側の雑居ビルの2階にある店舗。このお店、余程人気があるのか松戸駅の東口側にもあって、ぼくはこれまでそちらの方がちらほらお伺いしています。確かに東口の1号店だか本店は結構繁盛していたという印象がありますが、近頃、松戸で呑むのはとんとご無沙汰しておりましたので、今はどういう状況かは全く把握しておりません。今回行った西口の2号店は以前1度だけ呑んだことがあるみたいですが、ほとんど記憶にありません。階段を上って店に入っても少しも記憶がよみがえっては来ません。東口側はカウンター席メインでしたが、こちらは卓席のみだったような。今時の店の構えはこのいずれかに偏るようです。卓席の好きな客はカウンター席を嫌い、逆にカウンター席偏重の客も少なくないようです。当然ながら後者が酒場に対してうるさ型が多いように思われます。何にせよ一緒にお邪魔するシチュエーション次第で東と西を使い分けるなんてお客さんもいるのかもしれません。今回は3名でお邪魔したので、こちらの店舗で正解だったかな。ともっともらしく書いてみたけれど、残った写真を見ると何のことはないカウンター席がきっちり写っていますね。どっちも似たようなもんなのかねえ。でもこの時点で卓席はそれなりに客が入っていましたが、カウンター席は全く埋まっていないのでした、なんてことを書いてもいかにも言い訳めいてるなあ。ドリンクとつくね3本、ポテサラ(これは数種の中から選べたかと)のセット。それなりに充実した肴付きなのでこれだけでもちょい呑み程度なら満足できてしまうかも。味もそれなりにちゃんとしてるなあ。でもなんというか不思議と吞んでるっていう高揚感が湧いてこないのです。東口は吞んでるって気分になれたという記憶があるのにどうもこちらの店舗はノってこないんですね。不思議なものだなあ。
2025/11/16
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巣鴨駅を出て、板橋方面に呑みに行こうと思い立ち、ひたすら白山通りを歩きます。味はあるし、食事メニューが充実して重宝されているようですがなんだか好きになれない喫茶店「プール」を素通りし、青果市場も越えるとやがて荒川線の新庚申塚電停に辿り着きます。特にこの辺りで呑もうなんてことを思っていたわけではなかったものの、荒川線の軌道からちょっと外れた暗い裏通りのずっと先に赤提灯らしき灯りを目にしたぼくは一目散に当のお店を目掛けて突進したのでした。これといった変哲のないお店でしたが、この酒場過疎地にあってはぼくにとってオアシスどころか極楽浄土とも言っていいほどの輝きー赤提灯のことーを放っていたのでした。 「たぬき」というもつ焼のお店でした。屋号のまるで気張らぬ素朴さーっていうかなんでたぬきって屋号は多いのでしょう、突然記憶が曖昧になりますがたぬきって客寄せの定番キャラでしたっけーが個性のなさを際立てることなく、この町のランドマークともなりそうな程の存在感を誇るのでした。店内に入ると、びっしりとお客さんで塞がっておりま、その客は常連ばかりであるのが瞬時に感じら取れるのでした。カウンター席だけの店内の最奥ー便所の前ーに唯一の空席を目敏く見出したぼくはこの機会を逃してなるものかと居切り立つように奥の空きカウンター席に突進するのでした。まあ意気込みは大抵から滑りするもので、確かにこの町にあっては十分人気店となるだけの実力があるように思われましたが、あえて電車を乗り継いでまで出向くようなお店ではないのかもしれません。むしろそれがいいのかもしれません。ぼくのように好き勝手に店の好き嫌いを垂れ流し続ける輩なんぞの思いつきの御託など常連たちの愛の前には一蹴されることでしょうし、これはこれで物見遊山の一見さんを遠ざけるにも妥当なことのようにもおもえます。とまあまた伺うことになるかは未知数ですが、何と言っても酒場を愛する人たちにとってここはとても愛されていることがしみじみ感じられそれが何より嬉しいのでした。
2015/04/23
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五反野にとんでもなく無茶な―いや、店の方にお聞きすると何とかやれてるらしいから無茶というのは失礼に当たるかもしれません―ルールでやっているお店があるという事を知りました。店のお兄さんにはネットでお知りになったのかと尋ねられて、咄嗟にたまたま道に迷って辿り着いたのですよ、ひどい暴風雨ですがオアシスのように思えましたよ、なんていう出鱈目を語ってしまいました。それは誠実じゃないし、そもそもくすりとも笑えぬ詰まらぬ答えであったなあ。実はアド街で見たんですよね。アド街で見てすぐにネットで調べたらせんべろのお姉さん―せんべろというテーマはぼくにはどうもピンと来ないけれど、その精力的な夜の活動振りには素直に敬意を評します―のHPに行き着いて、するとおやおや他にも良さそうな酒場があるじゃないの。早速向かう事にしました。でも己の土地勘を過信する余り綾瀬からの勝手知ったるずの道中に色気を出してしまった。ちょいと色気を出しただけでとんでもない遠回りを余儀なくされるのだから何が土地勘があるというものか。 そうして一時間近く掛けて辿り着いたのが「居酒屋 ガツン!」でした。お向かいには随分と前にお邪魔した酒場放浪記でも放映されたお店があります。思ったよりは客の入りは良くないようですね。駅から少しばかり離れているからだろうか。それはともかくとして豪雨の中、一時間近く歩いて濡れそぼってしまった。とっとと一杯いただくことにしよう。しかし、ここで思案せねばならぬ事がある。それは番組もしくはネットの情報をご覧になった方ならご記憶かもしれぬけれど、こちらでは300円払うと他人のボトルキープした酒を呑み放題とする事が叶うのだ。これは真性の呑兵衛であれば見逃せぬ驚愕のシステムであるはずです。このシステムの詳細については他にもいくらでも詳細な説明がされているので割愛させていただくのでした。ここでは果たしてそのシステムを行使できるかに焦点を当てる事が重要なのであります。ところがであるにも関わらずどうしたものか空いている。ただひたすら閑散としているのであります。思いは一点、300円の呑み放題を口に出来るか否かに掛かっています。隣のサマリーマン二人組は生ビールで日和っている。そうだよあ、沢山呑んだら得だって思える年頃でもないのだし、大体普通に頼んでも生ビールやサワーは200円しないのだから、そこらの立ち呑みなんかよりずっと手頃です。しかし、結論から申し上げると初めに日和ると呑み放題に移行するのは至極困難となるはずです。ここを紹介していたせんべろ嬢は金宮の一升瓶を貢ぎなさったようです。そうして改めてカウンターに並ぶ酒瓶を見ると、マッカランの12年物などがズラリとあるがほぼ空っぽなのだ。果たしてこれで呑み放題となり得るのか。その心配は余計なお世話でした。システムの是非はともかく志は大いに買います。やはり馴染みにでもならぬ限りは、ぼくのような小心者はシステムを活かしきれぬようです。しかし、ここの魅力はそれだけに留まらない、道に迷ったというぼくを常連さんが雨の降る中をわざわざ道案内してくださったのです。ここまで来たら迷う事もないのだけれど、有り難いことです。丁重に礼を述べて五反野駅に向かったのです。 五反野駅のすぐそばにある「酒とめし 意気投合」にお邪魔しました。以前から同じ構えの酒場でしたが店名が違ったような。ともかく狭い店とはいえかなりのお客さんが入っています。入口付近のカウンター席が常連席になっているようです。不機嫌そうな表情を隠そうともせぬ女将さんと親しく言葉を交わせるなんて相当通い詰めぬと難しいのではなかろうか。千円のセットをもらいます。ドリンク2杯は梅干サワーにしようか。肴は小鉢2つに牛スジ煮。この肴が実にいいのです。マカロニサラダとクリームシチューというお子様ランチ風の肴が並ぶのですが、これが抜群に味がいいのだ。大したものだ。しかも牛スジ煮が圧力釜でキッチリ煮込まれてるのか、柔らかくてでも脂もシッカリ落とされていてサッパリとでも濃厚な風味は失っていないのだ。これだけで3杯は呑めてしまう。という事でバッチリと酒を2杯追加して席を立ったのでした。せんべろ嬢にはいい情報を授けて下さり感謝を述べさせたいただきます。って、伝わるわけもないだろうけど。
2017/11/22
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駒込にはアザレア通りという呑み屋通りがあるのは都内の呑み屋事情に通じる方であればきっとご存知であると思います。ぼくもここではしばしば呑んでいて、あちこちのお店に顔を出してもいます。と数日前書いた文章ををそのままに使いまわすのは横着に過ぎるかもしれません。でも定期的に通っていても見逃してしまうような店ってどうしてもあるんですね。店探しも面倒なちょっとだけ遅くなった残業後のことです。これといった目当てもなくまたしても駒込にやってきたのでした。この時も途中でO氏が合流することになってしからば以前立ち寄って気に入った居酒屋があったので営業しているかどうかを見定めようとアザレア通りを進んだのでした。その店の近くまで来て通りを脇道に逸れると、おやおやそのお隣にも居酒屋があるじゃないか。じゃあ、落ち合うまでの時間をそこで過ごすことにしようか。 その店の店名は「季節料理 より道」とあります。あゝなるほど、季節料理というのが引っ掛かったのだろうな。大抵この冠言葉を従えるお店は高めと相場が決まっています。相場は決まっているけれど例外というのはどこにでもあります。端正な店構えとこの冠語のリスクを顧みず店に近寄ると品書がちゃんと貼ってあるのでした。何だ、それならそうともっと目立たせてよなんて悪態をひとりごちるのですが、それをざっと眺めた限りはなんだ案外お手頃じゃないか。ガラリ引き戸を開けると店のご夫婦が瞬時にこちらの内面すべてを見通すかのような視線を浴びせてきて幾分かたじろがされるのでした。カウンターの隅の席に身を寄せます。初めての店でカウンターの真ん中の席に堂々と腰を下ろす客がたまにいますが、彼らは相当懐事情がいいのか、それとも呑み歩き番組の見過ぎか、まあごく普通の小市民なら端に寄りたいと思うのが人情でしょう。喫茶店だと結構図々しく眺めの良い席を確保してしまうのとは大いに異なります。350円と最安価のお茶系サワーで決めました。お通しはなんかコリコリした臓物のヌタと筍と鯖の煮物、そしてこちらも400円と肴の最低価格ラインの一品、イカワタバター焼を所望します。この時点でぼくの内面のみならず懐具合も掴まれたとみて間違いないことでしょう。まあそれでも構いはしないけれど。お通しは気が利いているし、イカワタもたっぷりで一人では多いくらいで大変結構でした。ところで気になるのは安住の隅の席なのにどういうものか女将さんがこちらをじっと見詰めるのが視界の端に入り込むのです。それは頭上にテレビがあることに気付きホッとできましたが、やはり気になるので改善されてはいかがか。 さて、O氏と合流したので勘定を済ませてお隣の「鯉幟 2号店」にお邪魔しました。最近開店したお店でつい先達てもお邪魔しています。お手頃で変わった肴もあってなかなか面白かったので、駒込に来るという人がいたら案内したいと思っていたので、O氏が合流するのであればぜひともお連れせねばならぬのです。なんてまあそこがたまたま駒込だったからここにしただけのことであって、独りだったらきっと余所に行っていただろうなと思わぬでもない。と考えていたのでありましたが、改めて呑んで考え直しました。ここは安いからきっと一人でもまた来ることになるだろうということです。何が安いってなんと言ってもホッピーがお手頃なのであります。セットが300円で中が150円、中は2回追加するだろうから、合計3杯で600円はやはりかなりお得なのであります。しかも中1杯の量がとんでもないとまでは言わぬまでもけっこうな量なので、呑み甲斐もあります。これは残業帰りにサクッと呑む場合に大変都合がいいのです。カンガルーの赤ワイン煮がこの夜はないと言われたのはちょっと残念だったけど、鹿肉のステーキはおいしかったなあ。ジビエなんて気取った呼び方がされたりもする品がここでは当たり前の顔をしてメニューに収まっているんだから愉快であります。庚申塚に1号店というか本店があるらしいので、近くの酒場が始まるまでの時間調整でも利用させてもらいたいと思うのでした。
2017/05/11
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酒場好きなら門前仲町は、見逃せぬ酒場が少なくないはずです。ばくもそのご多分に漏れることなく、ひと頃はせっせと足を運んだものです。それ以前は滅多に足を向けなかったかというとそんな事もなく、それは例によって映画絡みで通っていた訳で、今はどうしているのだろうか、無声映画研究会というマツダ映画社というフイルムの貸出を主なる生業としている会社が定期的に門仲―地元の人は仲町と呼ぶ、そして決まって門仲と口にする者を小馬鹿にするのだ―で上映会を開催していたから、まあ嫌でもちょくちょく顔を出すことになるのでした。ここでは女性弁士が無声映画に解説を加えるのでありますが、これは物語の理解を助ける一方で自由な解釈の余地を奪うということで、ぼくはかなりの部分後者よりの見方をしていたので、正直余り好きな催しとは言えなかったのであります。そこでは未だに付き合いのある連中たちの間でささやかなドラマが繰り広げられたのであるけれど、それはぼくの口からは語れないのであります。その後、長く厳しかった映画との付き合いに一旦の終止符を打ってからというもの、この町はすっかり酒場の町となったのです。世評の高い酒場をひと通り巡り終えてもそれはこの町ではまだトバ口に過ぎぬのでしょう。まだまだ門仲の酒場巡りは取っ掛かりに過ぎぬのだ。 そんな気持ちに「山幸」はさせてくれるに充分な良い酒場でありました。すぐそばには数年前に店を閉じてしまった味わいある酒場がありましたが、そこほどストイックなムードはないけれど似た味わいを讃えた清酒酒場があったのですね。この酒場については、しかしこれまでずっと勘違いし続けていたのでした。これまで2回赴いては満席と断られていたのですが、そのどちらも階段を登って2階の暖簾をくぐったのですが、ご存知の方は苦笑なさるだろうが実際には1階こそが本体なのですね。例のごとく2階から入ると一杯ですと断られたのですが、この夜は何としてもとの気持ちが高まっていたため、それなら1階の店で頃合いを図ろうという気持ちになったのです。最初、広くはないけれど色んなシチュエーションに耐えうる実に良い造作の酒場であるなあと感心してしまいました。入口そばの大きなテーブルを囲むのも良し、数名が座れるだけのカウンター席も素晴らしい。また奥の個室のように仕切られたスペースも密談にうってつけに思われます。店の女性たちも親切だ。と眺めているうちにどうも出たり入ったりが多いし、インターホンでの交信も多い。ここに至ってここはまさしく「山幸」そのものなのだなと思い至るのだから鈍すぎる。これまでも1階であれば難なくお邪魔できていたかもしれぬ。さて、冷え込んできたので一番安価な銘柄を燗をつけてもらう。栃尾揚げは品切とのこと、これで安心してホタルイカの干物やら簡単なものでいいのだ。これはローソクで炙るというちょっとしたイベントも楽しめるので、独り呑みには恰好の手慰みになるのでした。さっき清酒酒場と書きましたが、ぼくは酒の種類はほとんど頓着しません。そういう店は銘酒酒場と呼ぶのでしょうが、こうした決まった銘柄を出すほうが好みです。当然、地方の限定した土地の酒を提供するだけに郷土料理店に多いのですが、こちらも鮎を名物にしているようです。「酒ぐら 浅七」なき後をこの地でしぶとく続けてもらいたいものです。
2017/12/28
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柏にはまだまだすごい酒場があります。これまで度々通ってはしごしていますが,それでも行くたびに違った酒場が目に留まりなかなかこれまで通った酒場を再訪問する機会がもてないほどです。「やき鳥 太平楽」や「マルチョー」は何度行っても入れず,近いうちにまたトライしてみたいと思っています。柏 仲屋 安い酒場のたくさんある柏界隈でもとりわけ安いのが御兄弟でそれぞれ店舗を構える「仲屋」。どちらも西口にありますが,南方面の線路際のお兄さんの店ではなんとチューハイ:200円。狭くてぼろくていいお店です。柏 里の味 仲屋 西口の北側にある飲み屋通りの一軒です。こちらもビール大:400円,酒小:210円,チューハイ:220円,卯の花やセロリ:100円,豆腐ステーキ:200円,鯨ベーコン:320円,包子シュウマイ:200円とほんとにうれしくなるような価格設定。ここは長いカウンターがあるのでひとり飲みでも使い勝手が非常にいいです。柏 やなぎや 「里の味 仲屋」と同じ通りにある食堂兼居酒屋。狭いコの字カウンターで過ごすまったりした時間が気持ちいいです。柏 鳥平 駅西口からすぐのビニールテントがこの店。焼鳥のお店で店の寂れ具合から想像するとやや高めではありますが,なかなかおいしい焼鳥をいただけます。でもそれより何より店の雰囲気そのものが楽しませてくれます。柏 とり八 東口からすぐのこじんまりとした焼鳥屋。こちらも少々お高めではありますが,細長いうなぎの寝床のような店内が不思議と落ち着きます。柏 平井食堂 柏銀座通りの突き当りにある食堂兼居酒屋。ボロボロで安くてオヤジさんがかっこいいお店。本八幡駅前の「飲み食い処 ふるさと」がどことなく雰囲気が似ているような気がします。南柏 伊達(旧店名:炭火焼鳥 ガチンコ屋) 西口の寂しい商店街を一本入るとさらに寂しい通りに出る。ここまで商店がないと場末とはもはや言えない位です。そんな一角に看板や照明も控えめに,よく言えば上品に佇むのが「伊達」であす。15席ほどの立派なL字カウンターで非常に清潔感あふれる店内です。場末とはまったく別物ですが,これはこれで好き。焼鳥はどれも丁寧に処理されていて,旨い。特に大振りに処理されたはつと逆に小さくカリカリに焼かれたなんこつはまた食べに来たいと思わせてくれました。
2012/02/18
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もしかするとこのブログは、堀切菖蒲園の衰退を見つめるためにこそ書かれているのではないかとふと思ってみたりする。これまで堀切菖蒲園では相当数の酒場にお邪魔しているし、そうして様々な酒場の風景を目にしてきたし、そこで語られるあけっぴろげでちょっと可笑しい会話も耳にしているし、記憶にも留めてきました。そんな記憶の断片に過ぎぬであろうこと程度しかここに残してこれなかったのは非才なる身ということでご容赦願うしかないのですが、幸いなことに堀切菖蒲園に足を運ぶようになってから今のところ一度も店が閉められるのを見ずに済んでこれたのは、ひとえに地元の呑兵衛たちの努力というかだらしなさに感謝したいところです。「きよし」にしたところで、旧店舗を失っても再びかつての面影そのままに復活を遂げているではないですか。ところがとうとう恐れていたことが起きてしまいました。このところ店を閉めていることが多く、営業時間もジワジワと短くなっていた印象のある「喜楽」がとうとう店を畳んで仕舞われたようなのです。かつて店のあった場所には、早くも建物が取り壊されて更地となっていました。かつて若かりし頃は暴れん坊だったに違いない常連といつも不機嫌そうだったけどホントはお喋りが好きなオヤジと珍しく閉店時間を過ぎてなお言葉を交わし続けたことがあって、常連はここのハイボールがホンモノだよ、食いもんもうめえしなとぼくの思っていたことすべてを代弁され悔しい思いをしたものです。これ以上書いても詮無きこと、奇跡の復活はきっと有り得ないのだろうな。 グズグズ言ってもしょうがない、気を取り直して久しぶりに「富吉」にお邪魔しました。線路沿いに軒を連ねる酒場の一軒で、2階に広い宴会場のあるホルモン焼のお店です。って見てきた風なことを書いていますが、あくまでも想像に過ぎぬのでその点はご承知置きを。1階席は酔っ払いの書いたような歪んだコの字のカウンターで随分ご無沙汰ぶりに来ましたがなかなかいいですね。ここでもホルモン焼をいただけるようですが、実は焼台を使って肉を食べたことがありません。酒を呑むのに十分な酒の肴も揃っているので、焼物を返したりするのが億劫なぼくにはむしろありがたいのてす。それにしても堀切菖蒲園の酒場は良くわからないことがあって、お客でびっしりという次に訪れる店のような店もある一方で、かつての「喜楽」もそうでしたがぼくにとって素晴らしい酒場なのにどういうわけか空いている店が極端に顕著なのです。こちらは後者で2階には客もいるようですが1階は他にお客はいないのでした。 実はこの夜、堀切菖蒲園て呑んだことのない同僚と一緒だったのですが、次は繁盛した酒場を教えるため「きよし」に向かいます。入れますように。カウンターはほぼ満席ですが何とか詰めて入れてもらえました。同僚は初めこそギョッとした表情を浮かべていましたが、若くて可愛い女性客もいることで安心したようです。定番のチリコンカンがお気に召したようです。お代りしたいとまで言いますが押しとどめ、ミョウガの天ぷらとか気の利いたのがあるからそういうのにしときなと諭したりするのです。このボールもいいけど「喜楽」のボールはずっと濃くて美味かったのだと語ってみても、ふうんと気のない返事なのは悔しいな。ここはまだまだ安心して通えそうです。
2016/08/05
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金町の酒場では知らぬ店などもはやなかろうという根拠のない自負は、そう感じること自体が散々経巡ったということの根拠ともなるのではないでしょうか。それでもやはりまだまだ知らぬ酒場があるわけで、その夜は、自宅が小岩で職場が都心であるにも関わらず、何をどう思ったのか京成本線を利用もせず、金町経由で京成小岩駅を利用するという金銭的にも時間的にもどう考えても不合理極まりない無茶をしている同僚Se氏がいます。彼は酒もぼくより強くて好奇心も強い方ですが一人で呑み歩くという習慣は幸か不幸か持ち合わせておらず、しばしば「大竹」行きましょうよ、アド街のこの間の放映、新小岩でしたねえ、凄いですねえなどと語りかけてくるわけですが、当然金町でもそれは似たようなもの。一度、京成線を潜った呑ん兵衛横丁を案内したのですが、折角なので今度は駅の反対側を教育することにしました。 いくつか思いついた店がありますが結局ぼくの趣味を優先してお邪魔したのは「みやご」でした。随分久々の訪問です。よくこんな町外れの店知ってますねえなどと煽てられて悪い気分がしないのは、どんなもんかねえと今となっては思うのでした。ここもまたぼくが好きな無理のある三角地に無理矢理建てたような変形建築。久々にお邪魔しましたが以前とちっとも変わっていないのが嬉しいことです。V字型の外観そのままの作りも健在です。その頂点に座ると、角度が鋭角すぎるのでぐっと身を乗り出して腕を伸ばさないと飲み物を受け取れないのも以前のまんま。常連はこれを知ってかこの先を避けられるようですがたまにしか訪れぬぼくのような客にとってはむしろ印象に残る愉快な仕掛けに思われます。変わったといえば主人もその奥さんも以前よりずっと陽気で感じよく思われることです。その陽気さを求めてか、客は二人ながらも大変に愉快そうに呑まれているのでした。もつ焼はすごいうまいという記憶だったのが案外平凡だったのはやや残念でしたが、それでもこの暖かな雰囲気は何もの変えものがたく思われるのでした。 さて、次はどうしようと駅方面に引き返しつつぼんやり歩いていると見過ごしていたらしき、ちょっとだけいい感じの「たま城」という居酒屋がありました。初めての店はやはり軽く酔っていてもそそられるものです。これといった魅力がなくても、ちょっとだけ古そうな酒場だとついふらり立ち寄ってしまうのは悪い癖です。ここては随分長いこと呑みました。そういえば今の今までその存在を忘れていましたが、Se氏、かなりのうわばみにもかかわらず、なぜだかこの夜は控えめな呑みっぷりなのが気になります。肴は店の雰囲気と違って、大雑把だけど何だかおいしい男の料理みたいなもので、それはそれて悪くない。ただ呑兵衛の悪いところは、いつしか肴など邪魔なばかりと肴が目の前にぶら下がりながらもまったくないもののように振る舞えるーいや目に入らくなるのでありました。かくなる故にSe氏とはいかに別れたかなど当然のごとく覚えてはいないわけで、自宅のベッドで繰り返し鳴り響く目覚ましのアラーム音に苛立つことになったのでした。
2014/11/15
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特に何があるってわけではないのに小村井にはどうしてだか気になると言うか、ほっておけないところがあって近頃足を向けることが増えています。繰り返しになりますが来てみたところでなにか新しい発見や面白いスポットとの出会いがあったりするわけではありません。強いて言えば、そこにはどこかしら懐かしさを感じるのでした。団地があって、行き止まりの路地があって、しょぼくれた商店街がある、その何気のないところに惹かれているのかもしれません。 まず駅の周囲をぐるりとひと回りしてみました。これといった収穫のないままに周回を終えようとした駅からすぐの路地裏に「えちご」という古ぼけた店を見つけました。勇んで暖簾をくぐりますが、5席ほどのカウンターには男女客があるものの焼酎ボトルやコップでいっぱいになっています。奥の座敷で宴会のようです。それで店もてんてこ舞いのようで、丁寧ながらもガンとした物言いで断られてしまいました。 やむを得ません、この夜の一軒目はとりわけ面白みのない「たのしみ」という店に決めました。最近オープンしたばかりのような自宅一階を呑み屋に改造したような素っ気のない造りです。非常に濃いレモンサワーを啜りながら、砂肝のバター炒めなど頂戴しましたが、なかなか美味しかったです。ママさんは韓国の方でしょうかちょっとイントネーションに違和感を感じました。でもとても気さくな方でぼくにも時折話しかけてくれて、母娘で来ていたお客さんとも打ち解けておしゃべりしていました。この娘さんとは1才違いのお子さんがいらっしゃるようです。 続いては、駅前踏切を渡ってすぐにある「仲よし」にお邪魔しました。外観からはごくありがちな、全く持って平凡極まりないどこにでもありさうな居酒屋さんにしか見えず、駅からも近く何度も通っているにも関わらず敬遠し続けてきました。この夜も行くつもりはなかったのですが、一軒目に入る頃から降り出した雨の勢いがひどくなつたので、まさしくやむを得ず伺うことにしたのでした。そんな偶然が思わぬ良店であったたことに気づかせてくれることもあるのでした店もそうでした。店に入るとまず目に飛び込むのが20席ほどあるコの字のカウンター、その右側にはテーブル席も充実していますが当然ここはカウンターにすべきでしょう。定番の肴が充実するなかで、牛もつ煮込みの豆腐入りが気になりました。一人用鍋でぐつぐつと煮込まれた牛もつは念入りに処理されていて、臭みも脂のしつこさもなくさつぱりいただけます。一人でやってきてなれたように席に着くと、ご主人を含めた男性店員に生ビールなどを振舞っています。こうした行為を気取らず出来るのはかっこいいです。また、仕事中、酒を呑む店の人を見て眉をひそめる向きもありますが、ぼくはそんなに堅苦しく思わないでもいいんじゃないか派です。
2014/07/14
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北習志野駅には、何度も来ていて何度かは呑んでもいます。なのに習志野駅では下車したこともないし、当たり前だけれど呑んだ事もないのです。親しくする知人も住んでいるし行く機会を設けようと思えばできなくもなかったのだけれど、何故かそうしなかったのは、その知人が習志野には呑むとこなどないと散々聞かされたいたからかもしれません。一方で、ある時、車に乗せてもらって習志野を通過した時に、乗せてくれた人から自衛隊のそばに彼らが入り浸る酒場があるとの情報も得ていたことは忘れていませんでした。たまたま仕事の用件でコチラに来る機会があったので、同行した同僚と行ってみようかということになったのでした。 自衛隊に入り込める仕事ではないので振り出しは北習志野駅です。駅前は見知った町並みとさほど変化はなさそうです。駅前の団地と並行して延びる商店街は、各店舗はチェーンも多く余り面白味はないけれど、以前から知ってはいた喫茶店、「COFFEE AND CAKE かりん」に寄り道する事にしました。アーケードのある歩道から見上げてみても積極的に立ち寄る理由はなさそうに思えたのです。だけど、近頃のぼくはこういうどうって事の無い普通の店が好きだから面倒だけれど階段を上って店内を見渡したら、あらまあいいじゃんって事になるのです。いかにも普通です。店のオーナーなのか店主なのかは知らぬけれどその彼も普通に感じのいいお兄さん。ぼくは日毎に、純喫茶好きという狭量さから徐々に心地の良い喫茶という緩くはあるけれどどこまでも広がりのある地平へと気持ちがシフトしているのかもしれない。それが果たして良い事か寂しい事かは判別が出来かねますが、近頃は無理のある事に頓着するだけの気力はなくなってしまいました。 歩いても十分程度の習志野駅にこれまで来なかったのは単なる怠慢でしかなかったのでありまして、しかしいざ習志野駅前に立つと、知人の言葉を真に受けたくなります。確かにこれといった酒場があるようには見えぬのです。とりあえず自衛隊のある方向に向かう事にしますが、自衛隊の通りの向かいは、住宅街をなしていて本当にこの辺に酒場があるのかと思い出した頃に不意に焼鳥の文字を見出すのです。隣近所は普通の民家ばかりなのに周囲に少なからず住環境を左右する影響を及ぼす焼鳥店が共存するのが不思議に思えます。「焼とり つるぎ」は、繁華街にあったとしたらうっかり見逃しかねぬさりげない構えのお店なのでした。店内は律儀な程にオーソドックスな造りで、カウンター席が7、8席に小上がりに2卓あるばかりの収容力は少ないけれど、贅沢に広々した席の配置なのが嬉しい。身を寄せ合うような窮屈なのも時には悪くないけれど、今のぼくならゆったりしたお店を選びたい。カウンター席には独り客ばかりです。ここが知人の言うところの自衛官たちが入り浸るたいうお店なのか。どうも今いる客はそうではなさそうだ。煮込みやら焼鳥を見繕い注文します。客にとって広いのは有り難いけれど、店の女将は行ったり来たりが難儀そうです。だからカウンター席で構わぬと申し出たんですが、そこは常連たちのためにキープしておきたいのでしょう。客たちは案外滞在時間が短いみたいです。余り無駄口を叩かずに食べるものを食べ適度に酒が回ったら未練も現さずに立ち去ってゆく。これが習志野流だとしたら我らもそれに倣うべきでしょう。しかし、ここが噂に聞く店なのかは分からず仕舞でした。さすがに店の方にここが自衛官の溜まり場酒場なのかとお尋ねする訳にもいかぬでしょうから。 折角習志野に来ているのだからもう一軒くらい立ち寄っておきたい。街灯も少ない夜道を歩いていると普段は見逃しがちな地味なお店もよく目立ちます。外観は新しい感じの「一休」 ですが、もう彷徨うのも面倒なので入ることにしました。中に入ってびっくり。先の店のようなオーソドックスな内装かと思いきや思いっ切り大衆酒場のそれだったのです。広いカウンター席のみが視界には入りますが、どうやら奥やもしかすると2階にも客席があるのかもしれません。というのはいかにも自衛官という精悍な顔付きの男たちが吸い込まれていくから容易に想像できるのです。こちらこそが自衛官の溜まり場のようです。しかし、カウンター席には女性客がいるばかりで、お通しの煮込みの鍋を火にかけて温めてくれたりします。ホッピーを頼むと発泡スチロールのリンゴ箱から勝手にとって、氷と焼酎―宝焼酎の一升瓶が無造作にどんと置かれています―も好きな量を入れて頂戴だって。これだけでもう大いにここが気に入りました。自衛官だけに利用させるなんてもったいない。女性客が振る舞ってくれた煮込も見るからに頑固者のオヤジが焼くやきとんもかなり良いのですよ。お任せのコースも三千円位でできるようで、ここならきっと酒代込みなんだろうな。だんまりのオヤジとお喋りかあちゃんがテキパキと用意する宴会コース風の料理も旨そうだなあ。手洗いを所望しようと店の奥に進むとそこには座敷席があって、ビッシリと屈強そうな男たちが身を寄せ合っているのだけれど、驚くべきなのが彼らは揃って押し黙って緊張した表情を称えていたのであります。アレは一体どういう状況だったのだろう。もしや不穏な企てなどを決起していたりしやしないだろうなあ。そんな事はないよねえ。。。
2019/02/07
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梵寿綱の建築物件巡りも佳境となって来ました。もうすぐ持ち玉は打ち尽くしとなりますので、この一連の報告が目障りだと思っていた方はあと少しの辛抱ですので、懲りずにお付き合い下さると幸いです。てな訳で、実際に訪れたのとは順番も違っているのですが、そうした些細な事は脇に放っておくとして、この日、訪れたのは代田橋でありました。 代田橋には氏の建築物件として早稲田のものに準じて著名な「ラポルタ和泉(作品名;La Porta IZUMI:和泉の門)」と「マインド和亜(作品名;舞都和亜)」があります。代田橋では何度か呑んでいますし、喫茶巡りもしているから巡り合っていても少しも不思議ではなさそうなのにどうしたものかそうした機会には恵まれませんでした。無論、ネットの珍スポット関係のサイトで目にはしていましたが、それだけで早稲田とか池袋の物件と結び付けるだけの想像力と記憶力に恵まれていなかったのです。それにしてもこの2棟の奇天烈な事といったらこれまで見てきた氏の物件の中でも派手さとアピール度では最強かもしれません。これで通常のマンションなんかと変わりなく賃貸しているというのだから驚きです。まあ、ネット情報を読む限りでは各室内は極めて穏当な造りとの事なので、実際に住んでみると異世界生活をしているという気分もそうは長続きしないものなのかもしれません。 そばには「とんかつ クラウン」なんてお店があったのですね。こちらも見逃していました。ここもちょっと良さそうです。機会があればお邪魔したいですね。 続いては、方南町に向かいます。梵氏が寿舞と呼ぶ個人宅については、ネット上にその写真が掲載されていますし、ストリートビューでもより鮮明な画像を確認することができますが、とりあえずここに掲載するのは遠慮することにします。というかまあ氏の魅力をお伝えするにはいささか物足りないからなのでありますが、ピンク色のファンシーな外観に氏がお気に召しておられるタイルなどもちばめられていたり、何より装飾の施されたブロック塀がいかにも氏らしいななんてことを思ったのでした。ここは探すのがちょっと厄介かとも思われますが、ぼくは難なく辿り着けました。どうやって探したんだっけなあ。その次は、「カーサ和泉」です。こちらはまだまだ余り氏の個性の感じられぬ仕上がりとなっています。クラシカルなマンションでそれでもどこかしらリゾート風のムードが漂っています。 ちょっと「ボルボ」にて休憩。特に目立ったところはないけれど、こういうお店好きだなあ。マスターもどことなく投げやりでいい加減な感じが不思議とこちらをリラックスさせてくれます。そして値段の安さにも驚かされます。身近にあったらいいなあと思うお店です。 せっかくなので「立正佼成会本部」のモスク風の建物を改めて近くから眺めたらやはり巨大ですごいなあと思う一方で、改装中の筒状の建物、世界宗教者平和会議日本委員会がより興味深く思えました。そんな宗教施設の裏手に「喫茶 砂時計」がありました。これはもう営業していないのだろうなあ。 峰南町を後にしてさらに北上を続けます。かねてより行きたいと思っていた「堀之内妙法寺」を見学しに向かいます。こちらは厄除けで知られているそうですが、ぼくの目当てはこの境内にある和洋折衷の鉄門です。国指定重要文化財となっているそうですが、格調よりもユニークさが目立ちます。鹿鳴館、旧岩崎邸、ニコライ堂などを手掛けたジョサイア・コンドルの設計であります。そばには「COFFEE ROOM 白十字」があったようです。 新高円寺駅を過ぎ、行きそびれていた「ニッタラタン(Nitta Rattan)」にお邪魔します。外観はとても喫茶とは思わせぬ不愛想な雰囲気でふと立ち寄ろうとはなかなか思えぬのです。内観もやはりあっさりとしすぎかとも思うのですが、広々としてリラックスできたのは良かったかも。
2019/11/03
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居酒屋の屋号でよく目にするのが「のんき」です。他にもいくらでも例を挙げることができるけれど、今回は町屋の「のんき」を取り上げる都合上、典型例という体で挙げさせてもらいました。といって書き出したはいいけれどあえて書きたいことはないので、まずはこれまで訪れた「のんき」でお茶を濁すことにしよう。記憶が曖昧だったり面倒だったりもするので系列店やすでに閉店してしまった酒場なんかも一律で取り扱うことにするけれど、田端「大衆酒場 NONKIYA(のんきや)」、鶯谷「酒楽 のんき」、綾瀬「もつ焼 のんき 綾瀬店」、馬橋「居酒屋 のんき」、赤羽「堀切のんき 赤羽店」、王子「のんきや」、浅草「立飲み のんき屋」、四ツ谷「のんき 四谷店」、堀切菖蒲園「のんき」、京成高砂「もつ焼 のんき」、二子玉川「のんき」、京急蒲田「のんき屋」、上本郷「もつ焼 のんき」、五反田「呑ん気」、名古屋「のんき屋」といったお店を巡ったようです。ぼくが訪れているだけでこれだけあるんだから国内の全居酒屋を隈なくチェックするととんでもない数の「のんき」が見つかるはずです。とここまで書くと屋号としての「のんき」についての語りは行き詰まるのだ。ということで酒場の話題からは脱線するけれど、「のんき」の漢字表記について思うところを述べようと思っています。左記に挙げただけでも一般に「のんき」は「のんき」の表記が主流のようですが、注目すべきは五反田「呑ん気」です。辞書を見ると「のんき」の漢字表記には呑気/暢気/暖気があるようです。試みにJMDB(日本映画データベース)で検索してみると「のんき」11件、「呑気」6件(「呑ん気」0件)、「暢気」1件、「暖気」0件といった結果になりました。平仮名がトップで次いで「呑気」が多いのは想像通りでした。「暢気」は尾崎一雄の『暢気眼鏡』などあるからもっと普遍的に使われていると思いましたが、映画タイトルに限らず検索してもほぼ『暢気眼鏡』が結果表示されるばかりでした。それはともかくとしてぼくには「のんき」は「呑気」という当て字が実はしっくりするのです。太宰治『走れメロス』、宮沢賢治『オツベルと象』といった用例もあります。のんき者=酒呑みというイメージがぼくには自然に感じられるのです。ところがその一方で呑気症という症状があります。この読みは「のんきしょう」じゃなくて「どんきしょう」ですね。空気をお腹に溜め込んでしまう症状で、ぼくは学校の授業の苦痛で特に中高の生徒だった頃にはこれに悩まされた(苦しまされた)ことをよく覚えています。「のんき」さとは程遠い症状が同じ当て字というのも日本語の愉快なところです。 ところで、町屋の「おでん処 乃んき」の「のんき」は何とも意表を突いて「乃んき」という文字が当てられています。これは珍しいパターンだなあ、なんてことを思いつつも念のためネットを調べると綱島に「乃んき食堂」なんてのがありますね。他にも京都に「旬魚食彩 乃ん喜」があったり、何と同じ町屋に和菓子屋の「乃ん喜庵」なんてのもあるようです。漢字ペディアによると「乃」という文字は、「①すなわち。接続の助字。「乃至(ナイシ)」 ②なんじ。おまえ。「乃公」「乃父」 ③「の」の音を表すのに用いる。」の意味があるようですが、単に③として用いているに過ぎないんだろうなあ。と「のんき」だけで思いっきり引っ張ってしまったけれど、こちらのお店、駅近でそれなりに雰囲気の悪くない店構えなのにこれまでお邪魔したことがなかったのが今更に不可解です。と一気呵成に書いてしまったが、ここで急に息切れしてブレーキがかかってしまいました。散々来ている町屋でようやく出会ったこのお店、おでん以外は正面切って扱っている商品は数える程ですが、常連さん(というか我々以外は全てのお客さんが常連みたい、ピン客ばかりだけどでもカウンター組は孤独を好む傾向にあり、小上がりは店の縁で仲間になった面々といった構図があるようです)には品書きにない肴も出しているようです。そういう依怙贔屓、ぼくは許容できる方です。でもまあ特段安くもないし、味も普通なのにここにあえて通い詰めるのがぼくにはどうも理解の及ばないところではありました。
2025/01/26
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上野駅のそばにある中華料理店をハシゴしました。標題そのまま繰り返すのはこのブログをご覧頂いている皆様方の貴重な時間を奪ってしまうようで非常に申し訳ないとは思うのだけれど、適当な発句が浮かばぬのだから勘弁いただくこととして、上野には実際どれほどの中華料理店があるのやら。もしかするとスナックなどのジャンル違いの呑み屋を別にすれば、居酒屋などよりずっと数は多いかもしれません。とか言ってはみるけれど、実際によく町中華なんて呼ばれたりする店に出会う事はそう多くない。中国人の経営によるぼくが適当な気の利いた呼び名を未だに掘り起こせずに中国料理店という間に合わせの呼び方で誤魔化している、そういうお店が大多数なのではなかろうか。全体上野には往時のままに姿を留める店というのは少ないように感じられ、上野マニアの方でも町中華マニアの方でもどちらでも良いから、食べ歩きマップを拵えてもらいたいものです。すぐに他力に本願してしまうのでありますが、ぼくの身には余る所業なのであります。 ちょっとした会合が「東天紅」でありました。この池之端の老舗中華料理店にも何度か来る機会がありましたが、残念ながらこれまで一度として感心した事はありません。そうだ、今中華料理店と書いたばかりだけど中華料理店=町中華ということにするのであれば、ここはいずれにも該当せぬだろうなあ。じゃあ中国料理店のサブジャンルとして高級中華料理店というカテゴリーを設けてみてはどうか。そうすると町中華は低級中華料理店となってしまうのか。それはまずい、よろしくないのだ。マダム中華とおっさん中華も差別的かなあどちらも若干の侮蔑的な意味を汲み取られると良くないよなあ。いっそのこと「東天紅」や他では「銀座アスター」なんかを中華料理店と呼んでおき、日本人好みの古い店は中華食堂と呼ぶことにしよう。チェーン系のお店にそういうの見たような気もするけれど構っていられぬ。こんな事にいつまでもかかずらわっていては一向に先に進められぬのです。などと書いてはみたけれど、さほど語りたい事はないのであります。中国料理店と呼ぶ事に決めたは良いけれど、ここは料理店と考えるよりはむしろ宴会場と捉えるのがいろんな意味で適切かもしれぬあ、などと捉えなおしてみる。すると、あらあら不思議なことに美味からず不味からずのどっち付かずの曖昧さ―本当の不味さは素材の悪さでなく調理の才能の有無からもたらされる事は極めて稀な事に思われるのです、だから料理下手な店に遭遇するとそれはそれで稀有な体験なのです―にも至って冷静に対峙できるのだ。だってここには適度に暖かい好環境があるし、立食をポリシーとして回避するためちゃんと席も用意されている、そして何よりも酒が呑めるのだから本望は叶っているのだ。 でも自分で店を決めることができるなら、ぼくはこの「揚子江」のような中華食堂を選ぶはずです。立て続けに中華料理の店に入ってしまったのは、少しく酔っていたからでありましょうか。こういう店ではザーサイなんかを肴にゆっくりやればいいのだ。アメ横辺りで一個50円もあれば買えるだろうザーサイをスライスして塩抜きしただけなのに何だか悪くない気がする。これが先の中華料理店で普通に一皿として出されたらムッとするところだろうけれど、中華食堂な場はこんな粗末な料理ともいえぬ品すら美味しく感じさせる魔力があるようです。そう、中華料理店だって寿司屋がガリを添えてくれるように本格的な韓国料理店がとりどりのキムチやナムルを突き出してくれるようにザーサイを出してくれると良いのに。ともあれ、カウンター席だけのガード下らしいこの店は不思議と馴染むのでありました。しかしまあほとんど食べられなかったのは申し訳なかったです。
2018/02/15
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何かと気忙しい年の暮れではありますが、この年末はどうしたものか、大掃除をいい加減に済ますなど何事につけ横着してしまった結果、一泊程度の旅行を目論める程度には時間が確保できました。一泊では行ける土地も限られー新幹線や飛行機の利用は予算的に問題外ー、福島県のいわきを訪ねることにしたのでした。常磐線は日頃も度々利用することもあってなかなか気乗りしないわけですがこんな暮の差し迫った時期にちょいと行くには適当な場所であります。交通手段はいつものことながら青春18きっぷ、旅の道連れは代わり映えせぬA氏と相成ったのでした。 日暮里駅にて合流、ここから改めて改札を入り直し18きっぷの旅のスタートです。最初に目指す駅は、石岡駅です。石岡には今年一度やってきていますが当初の目的であった純喫茶が何故かお休みで無念の思いをずっと引きずっていたため、満を持してのリベンジです。今回の旅の最大の目的と言っても大袈裟ではないでしょう。そんな訳で旅の予定を決めるのに本当に例外的なことですが、事前に電話までして当日営業することを確認してしまいました。本来は店との出会いは一期一会と言いたいところでがす、心中ではなりふり構っている場合ではないというのが本心です。9時30分頃には開店するということなのでそれに合わせて石岡駅に到着するよう調整しました。途中、列車が藤代駅のホームに滑り込む際、車窓から純喫茶の文字が飛び込んできました。老朽化したビルの2階に「純喫茶 道」とありましたが、果たして現役なのでしょうか。 駅前の目抜き通りを歩き、遠目に店が見えてきてもなお、休みであるかもしれぬという疑念が拭えません。正面に回り込んでようやく明かりが漏れ出ているのを見てひと安心します。「喫茶 マツ」は、半地下と中二階のある町の規模からすると破格に広いお店です。ツートンの合皮張りのソファが整然と配置され、割岩やレンガの壁面の意匠が贅沢なもうやはり来ておいてよかったとしか言いようのない大好きな喫茶店になりました。窓からの採光もあって、暗すぎないのも日常遣いの店としても魅力的でした。 さて、まだ水戸にさえ辿り着けていないので先を急ぐことにします。水戸駅では乗り継ぎもスムーズでしたが、乗り継いだ列車は高萩駅止まり。本当は、翌日訪れるつもりでしたが、乗り継ぎまでしばらくあるし車窓から喫茶の文字が見えたので当然ながら途中下車することにします。 駅前喫茶の「軽食 喫茶 プランタン」は、既に廃業して久しいようですが立地の利便性などを考慮すると往年は、たいそう繁盛したものと想像できます。駅を後ろに南へと進路を進めるとやがて衰退露わな呑み屋街が姿を見せます。居酒屋ともスナックともはたまたさらにいかがわしい店ともつかぬ店舗が何箇所かに散らばって軒を連ねているところを見るとかつては、それなりの悪所を含む盛り場であったのでしょう。「ムードサロン 浮世絵」なんていう何とも艶めかしい看板ご残されています。 呑み屋街の外れに「喫茶 スタッグ」を見掛けました。もちろん入ってみることにしますが、それにしてもなんともはや怪しげな佇まいであります。営業しているのが不思議と言っても過言でないほどの店構えです。飾り気のない外観からは店内を予想することはまず不可能に思われます。そこを無理矢理に想像を膨らますとすれば、恐らくはデコラ張りの安っぽいカウンターに小さなカウンター2卓、毛の削げたカーペットには所々破れのあるー同色のビニールテープで補修されているー合皮とひと目でわかるスツールにソファといったところでしょうか。一言で言えばあからさまに場末のスナックの典型的なお店であるということです。ところがそんな投げやりな想像などあっさり裏切るかのようにこれが結構ちゃんとした純喫茶の表情をたたえていたのでした。余計な装飾は排除した潔さが外観の淡白さとともにいっそ清々しい印象を与えてくれます。ところでこのお店の最大の見所は、昔懐かしいぼっとん便所であります。この地域は今でも汲み取り式なのでしょうか。なんとも情けないことにA氏は、和式が苦手なばかりでなく、ぼっとんは初体験とのこと。ということは、きっとチリ紙も初めてだったんだろうなあ。 せっかくなのでもう一軒、思い切りのいい黄のファサードがやけに目立っていて、純喫茶というムードがほとんど感じられないため一瞬の躊躇が脳裏を過ぎったことは否定できません。実際入ってみて想像とまるで異なるあまりにも正当な喫茶空間が広がっていることに驚かされます。茶を基調とした店内はいささか生硬にすぎる印象がありますが、主人の生真面目さの表れと受け止めることにします。コーヒーのしっかりした味わいもそれを反映するがごとくに丁寧にドリップされ美味しかったのでした。「珈琲 美留区」ですが、この裏側から眺めるとなんとも愉快な風貌を確認できますので、お出かけの際はお見逃しなく。主人の別な一面を見ることができると思います。
2015/01/11
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松戸駅付近の飲食街の中心が西口の線路沿いの一角だとしたら何とかお寒い限りで、初めて松戸で呑もうとする友人知人を連れ回すのも気が引けるのです。それは松戸市の大概の駅前に共通していて、精々が馬橋駅辺りに場末めいた町並みの名残を見て取れる程度というのは返す返すも情けない話であります。しかしまあ仕事をかして早くもない時間に松戸で終えた後に電車を乗り継いで遠出する気力はもはやない。まあ、仕事から解放される場所がどこだとしても移動に掛ける情熱は衰えつつあるようです。電車の乗り換えには憂鬱になる一方で、歩いて移動するのはさほど苦にならぬという補足はしておきますが、この夜にお邪魔した店は駅からすぐなのでこの話はまた別の機会に取っておきます。 さて、この松戸西口の呑み屋街をなす交差点の真ん中に立ち―実際は車の往来がそこそこあるので真似するのはお勧めできません―ぐるりと見渡してみると確かにそれなりの軒数の居酒屋が縦方面にも拡散してありますが、どこもかしこも松戸以外でも見慣れた外観ばかりです。いやこの夜、グルリと視界を巡らすと見慣れぬ佇まいのお店がありました。そのお店は「大衆酒場 ホームベース 松戸店」というようです。松戸店とあるので恐らくはチェーン店なのでしょうが、寡聞にもぼくは見聞きしたことがありません。そこがなんであれ、見たことなければ新鮮なのであります。それにチェーン店でも仮にそこが1号店でさえあれば行ってみたくなるという俗なところが間違いなくある。だからと言って実際に足を運ぶかと問われるときっと否定してしまうのだろうな。さて、表から見る以上にオオバコで広いお店であります。独り呑みにはお誂えの広いカウンター席があるのは、高評価を与えても良いなんて偉そう振りたくなります。何というか店名にも言えることですが、気張り過ぎずカタカナ表記の馴染みのいい英単語を用いたのはセンスを感じます。当然ながら意味合いについてもマイホームとは別な秘密基地めいた安息の場所というイメージも喚起されるし、そのまま野球という球技の帰るべき場所という風にも解せられてなかなか凝っていると思います。さて、ここはちょっと欲張りなくらいに名物を揃えていますが、とりわけ煮込が売りなようです。目の前の大鍋でクツクツと煮込まれているのでひとまず頼んでみることにしましょう。串を打った都内では珍しいスタイルを採用しているのも拘りが感じられます。とびきり旨いというわけじゃないけれど、酒の肴なんだからこれで過不足ありません。全般に手頃な価格の設定なのだけれど、不思議とそれなりの値段になるのがこうしたお店の不可解なところ。その辺をあと少し考慮してもらえれば、松戸駅前には少ないホームベースともなり得るかもしれません。
2017/11/23
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さて、風情満点で気持ちのいい大衆中華食堂を出て、いよいよお隣に移動です。こういう場合、いきなり隣にハシゴすることに躊躇してしまいます。別に悪いことしている訳でもないし、女将さんやお隣の店の方が注視している訳でもないけれど、どうも直行してしまうのは嗜みとしていかがかと思ってしまうのです。知人に対し約束事をキャンセルする場合に、直接その旨を申し出ることができずにオブラートで包んでみたり、比ゆ的に語って相手の洞察力に依存したりするという迂遠な策に頼ってしまいます。こういうところを日本人的と言ったりするのでしょうか。とにかく、意味もなく坂道を往復して戻ってくると中華の女将さんと鉢合わせしてしまったりして、逆に気まずい思いをしてしまったのですが、今度は坂を少し下って戻ってくると入店には支障のない状況が整っています。 お邪魔したのは、「ほまれ」でした。外観もいいけど中も素晴らしいですねえ。店に入った時点では、初老の女将さんだけがおられてしばらくぶりに訪れた常連さんと互いの壮健を喜び合っていました。ぼくがチューハイを注文した頃には店の奥からご主人が出て来られて、見慣れぬぼくのような闖入者をチラリと一瞥はしたけれど、さして気にした風もなくコロナ嫌だねえと至極普通な社交辞令をもって語り掛けてくれるのです。チューハイには贅沢にも数種のドライフルーツを含む乾き物が添えられました。もつ焼きを適当に焼いてもらうことにしました。品書きはとてもシンプルで迷わないで済むのが有難い。この注文がきっかけにご夫婦に常連も含めてこちらのお店の来歴を伺うことができました。もともとご主人は脱サラしては先にお邪魔した大衆中華で店を始めたそうですが、手狭なのと日当たりの悪さからこちらに移ってこられたそうです。すでに開店して50年とのことでありましたが、脱サラして50年ということは一体おいくつになられるのだろう。さて、居酒屋を特集したムック本や雑誌なんかではやけにコの字カウンターがもてはやされて、今となってはそれを口にするのが憚られますが、コの字カウンターに関してはこれ以上適当な呼び名はありそうもなく、早くブームが沈静化することを待つしかなさそうです。こちらのカウンター、重厚さとは無縁でありますが、こぢんまりしていてしかも清潔なのが素晴らしいですね。ああ、こちらも素晴らしいお店ですねえ。近所にあったら間違いなく週に1度は訪れるのになあ。
2021/07/05
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唐突ですが、昨年亡くなった松本零士氏は、「大」がお気に入りだったようです。松本氏のマンガのファンであれば敢えてぼくが語らずとも『元祖大四畳半大物語』『大純情くん』『大不倫伝』など多くの作品をご覧になっているだろうし、これらの作品中にも大喫茶店やら大酒場などなど「大」を冠した単語が頻出します。松本氏にとって「大」は接頭語というよりは固有名詞に近い単語なのかもしれません。松本氏の話はこの程度にしておいて、大東京って歌のフレーズなんかでたまに耳にすることがあるような気がします。確かひと昔には東京の都下全体を指していたと思うのですが、「大」を冠する単語っていうのはそこはかとなくユーモラスな気がします。先ほどの松本氏のマンガにしても『純情くん』はひたすら恥ずかしいし、『不倫伝』はいかがわしいばっかりだし、『元祖四畳半物語』も貧乏臭いばかりでなく、「大」付のタイトルじゃなかったら映画化されるまでのヒット作となることもなかったんじゃないかと思うのです。居酒屋では「大都会」なんてのがありますが、これはテレビドラマや歌謡曲など多くで用いられていますが、もう少し捻った店名のお店があります。 市ヶ谷駅のお堀の向こう側、市ヶ谷橋を渡ってすぐに「大東京酒場 市ヶ谷駅前店」があります。もともと市ヶ谷近辺は昼呑みのできるような町ではなかったのですが、近頃になってこの周辺に昼呑みスポットが増殖しているように思われます。もう大分前のことにはなりますが、「大衆食堂 安べゑ 市ヶ谷駅前店」などは、11時から呑めるので重宝です。ここ松本零士風のネーミングの酒場は、15時の開店。出張で早めに仕事を抜けられたので、知人と合流するまでの時間調整でお邪魔することにしました。1階に空席もあるけれどどしたものか2階に通されます。時間潰しでしかないから2階に上がるのは面倒なんですけどね。この時、季節はまだ初春だったので、外堀を眺めつつ呑めたら良かったんですが暗くどんよりとしたエリアに通されてしまいます。2階は若い人たちで大賑わいです。卒業式シーズンなんでしょうね。残り少ない自由な時間を満喫したいという気持ちは分かります。喧しいけどまあそこは大人の度量で我慢です。この先があるので、酒と肴は控え目にすることにします。なのにオーダーはスマホ経由というのが面倒です。近頃こういうQRコードを読み取ってwebサイトからオーダーするシステムが増えていて、まあ、慣れればどうってこともないのですが、やはりひと手間です。混んでたからまあ、仕方ないって気持ちにもなりましたが、空いてたら苛立つところです。まだ、4時過ぎというのにサラリーマンも訪れ出しました。こんな時間帯に呑み始めるのはどういう商売なんだと、自らを省みず不可解な思いになります。にしてもこの雰囲気からは大東京ってイメージは全く感じられず、そういう辺りは松本氏の一連の「大」付きの酒場や喫茶店と似ているように思えました。
2024/06/17
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先日の予告通り、今日は一之江で出逢った素敵な老舗喫茶店を報告します。といっても最初の1軒目は新小岩駅からも一之江駅からも歩くと20分近く掛かるでしょうか。この日は都営バスの一日券をもっていたということはすでに書いておりますが,錦糸町駅から小岩駅行のバスに乗り込みました。この路線は本数が限られているので,ずいぶん待たされる羽目になったのですが,これから向かう喫茶店は戦術のとおり鉄道各駅からはどうやっても遠いのでした。このバスはちょうどいい場所に停留所があるのでじっと我慢して待つこと30分,目的地に向かってようやく出発したのでした。京葉街道をバスで移動するのは初めてです。ふと気づくと数軒の味わいあるつまり古そうな居酒屋を通過しました。これはぜひ立ち寄ってみたいものですが,改めてここまで来るのはなかなか面倒だなあと半ば諦めつつも凝視して記憶に焼き付けたのでした。 江戸川区役所前で下車。数軒のこじんまりした飲食店が並ぶ中に「純喫茶 マンボウ」はあります。店名も愉快ですし,雰囲気もいかにも純喫茶という感じでぐっときます。店内に入るとなんともはや,近所のじいさんの溜り場になっていて,ほぼびっしりです。テレビでは競艇中継が流れており,じいさんたちはこれ目当てに集まっているようです。客席も少ない店ですが,見知らぬじいさんとの相席となりますが,テレビを見る視線がぼくの頭上を向いているのですが,どうにも落ち着かない気分です。内装や調度はちゃんとしているのですが,客層がその良さを曇らせてしまっています。これも喫茶店の一典型なのでしょうが,どうにもいたたまれませんでした。主人はとても愛想がよくて,マッチの有無を尋ねるとあるよとの答えでしたが奥さんが探してくれたのですが見つかりませんでした。残念。主人は今度探してとっておくからお茶飲まなくてもいいから立ち寄ってよと言ってくれたのが救いです。ちなみに昭和55年の開店だそうです。 この後,すぐに一之江の名酒場「カネス」に向かうはずだったのですが,「カネス」のある商店街の通りに車窓からちらりと視線をかすめていった喫茶店があまりにも気になったので、通過してすぐの停留所にて下車、S氏との待合せのことも気にならなくもないのですが、喫茶店を優先してもらいました。目撃した2軒のうち最初にお邪魔したのが「シルク」です。こちらは町の片隅にひっそりとあるのがいかにも似つかわしいこじんまりとしたお店です。お客さんはひとりもおらず、寡黙な女主人が独特の緊張感を醸し出しはするもののけして居心地悪くはありませんでした。体がすっぽりと嵌ってしまいそうな茶色の椅子が気持ちよくじっくりくつろぎたい気分ですが、待合せもあるので次に移らざるを得ません。 次のお店は、「正統派珈琲の店 あすなろ」です。店内を覗き込めない珈琲色のガラス扉を開くと想像通りの正統派喫茶の佇まいですっかり楽しくなります。椅子は「シルク」となんとなく似た形状の体のラインにぴったり収まるカーブを描いていて、座り込んでしまったらここを離れられなくなるのではと心配になるほどです。高齢の静かなご夫婦で営まれており、人気ない商店街にあって、ここだけは数組のお客さんがおり、うるさくない程度に賑やかさを感じさせてくれます。この喫茶店の存在はまるで知らずにいたこともあり、まさか一之江の駅からもかなりの距離があるこんな場所で出逢えるなんてなんと幸せなことでしょうか。とても毎日通うことができる土地ではありませんが、この喫茶店に毎朝通うことを夢想してしまいたくなるのでした。新小岩から一之江にかけて見掛けたその他の喫茶店です。
2013/09/14
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家から遠いので北松戸で飲むときは,あまり飲みすぎないように常々注意してはいるのですが,またまた激しく酔ってしまいました。もとより北松戸で飲むことに積極的なわけではなく,たまたま御馳走してくれる知人がいるのではるばる訪れているのでした。御馳走といっても北松戸に2店舗ある中華居酒屋で,その安さが魅力ですでに何度も訪れていますから新鮮味はまるでありません。まあ愚痴を言ってもしょうがないので,落ち合うまでの時間を軽く飲んで過ごすことにします。 最初に向かったのは,「千草」です。常磐線各駅停車の車窓からチラリと看板の灯りが見えたのでした。以前は恐らくオンボロ食堂だったはずですが,店をたたんで随分経っていたと思います。それが1年ほど前に急に改装して表の看板も新しくなり,近いうちに再オープンとなるのだろうなとわずかばかり期待を膨らませていたのですが,その後,一向に店を開けている気配がありませんでした。それがここ1,2か月どうも営業を開始したらしき様子があります。そうなったら行ってみるしかない。もとのお店がどうだったかはわかりませんが、今はすっかりこぎれいで、カウンター10席に小上がり2卓のお店になっています。すでに3,4名の先客がいて、まだ開店からさほど経っていないにも関わらずすでに常連らしき振る舞い。常連が付くということはなかなかいい店なんでしょうか、期待が高まります。主人は案外若くて、先代から店を継いだのでしょうか。焼鳥は特殊な部位は肉を切って、串に刺すところからはじめているので出されるのにはちょっと時間が必要。カウンターに座ったにわかの常連さんがここはいい店だ、焼鳥が旨いし、何より主人の丁寧なお喋り、調理に好感がもてるとやたらともてはやしています。確かに愛想の言い方ではあります。焼鳥も丁寧に仕上げただけあっておいしいですね。カウンターももう一人は主人の同級生だったようで、褒められているのを自分のことのように喜んであげていて好ましく思われました。老婆とその娘さん世代のお二人も入って来られます。どうやら娘さんではなくどうした縁からか老婆の面倒をみているようで、時折この店で夕食を兼ねた焼鳥を食べるのを楽しみにしているようです。どうしてちょっといい店でした。でもホッピーを頼んだら注意が必要。主人が8割方のソトを注いで出されるので、瓶のまま出してもらってください。 まだまだ時間があるのでお次は「居酒屋 きくちゃん」。このお店は「千草」のすぐお隣にありますが入るのにはけっこうな思い切りが必要でしょう。以前、暗い北松戸駅の東口周辺を歩いていると居酒屋の看板の明かりがほんやりと灯されているのが目に留まったので、早速向かうことにしたのですが、そこがスナックの2階にあるのです。しかもごくありふれたアパート風の造りで細くて暗い階段を上っていくことになります。となかなか敷居の高い店ですが中に入るといかにも居酒屋でひと安心した記憶があります。しかもウーロンハイが200円とお財布にも優しい。というわけで久々にお邪魔することにします。以前は数卓あるカウンターで呑ませてもらい、店のおばちゃんといろいろ会話できてよかったのですが、今回は小上がり。この近隣の店はどこもそうですが、客層は競輪客がメインで話題はもっぱらこの日の結果について。しかもカラオケもあって今回は歌声を聞かされることはなかったものの日によっては騒々しい中で呑む羽目になりそうです。というわけでおばちゃんの愛想の良さとウーロンハイの安さが魅力ではありますが万人にお勧めできる店ではなさそうです。 時間になったので集合場所の中華料理店「華の星 北松戸東口店」に向かいます。こちらはお客さん入ってないですねえ。西口店はいつも盛況で、そちらは競輪客だけでなく工場街の勤め人たちがお客となっていることもありますが、それよりも値段が東口店がやや高めということがメインの理由だと思われます。例えば、西口店では180円の餃子が東口店では200円となります。まあ今晩は驕りなのでまったく気になりません。ここの料理はいずれも味はよいし、酒の肴になる素揚げの落花生なんかも充実していて重宝します。中華店のお通しと言えばザーサイやメンマなんかが定番ですが、ここはいつも手の込んでいるものを2品ほど出してくれてこれだけでもサワーの2杯はいけそうな感じ。という次第で普段はめったにないほどに食べて、そして呑んですっかり出来上がってやっとのことで帰宅するのでした。品書:生中:390,サワー:290,餃子:200,鶏肉とカシューナッツ炒:640,中華くらげ:490
2013/04/26
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本当は全然違う酒場に行くつもりだったんですね。そこがやっていないからやむなく酒場などないと高を括っていた駅の西側、疎らになった呑み屋街の外れに行ったのですが、そちら側を全く知らぬというわけではないけれど思ったよりずっと色んな店がある事を知ることになりました。それらの酒場については追々報告するーその前に呑みに行かねばならないけれどーこととして、とりあえずは母子二人で仲睦まじく焼鳥店を営むとある一軒を訪ねることにします。 と書くとさも予め知っていたかのような書きぶりですが、先述したとおり目当ての酒場に裏切られ、通りすがりに立ち寄ったに過ぎないのです。でもここが良かった。カウンター席が10席にも満たぬためもあってか入口すぐの窮屈な席だけが空いています。「けん助」は馴染みの客で成り立つ典型的な地元密着の酒場です。物静かで二昔前のドラマの中の母子のようなお二人は実直過ぎて苦労してきたけど、この地でようやく安住の店を出したという長閑な幸福感を堪えています。しかし、近頃話題の十条駅前の再開発の波にこの辺りも呑み込まれてしまうのでしょうか。それに抗う事は国策への抵抗として排除されることにでもなるのでしょうか。その時には、是非お二人と彼らを慕うお客さんたちがともに納得いく代替地を用意することが行政の使命であります。でも仮にそうなったとしてもお二人は柔和な笑みを絶やすことなく、それも運命であるとでもいうようにすんなりと受け入れられてしまいそうな気がします。入口付近で寒さに震えるぼくを気遣い、お客さんが少なくなると奥へと誘ってくれた優しさは形だけのものではないはずです。そしてこんな人柄ばかりを書いていると誤解されかねないーそれは単に日頃の己の文章が招いた結果であるのですがーので、ここらで申し上げておきますと、ここの焼鳥はかなり上手いです。見えない事をいいことに山椒をたっぷりとまぶしたつくねや正肉のジューシーさはどこででも頂けるものじゃありません。あと他の方が召し上がったりお土産にしていたそぼろ丼だったかな、あれが凄い美味そうです。焼き台に気を遣いながらもフライパンで注文のたびに丁寧に炒められたそぼろ飯は間違いなく旨いに決まっています。十条に酒場が少ないなんてこれまで書いてきて済まない気持ちになりました。でもこちらのお店はそっとしておいたほうがむしろ賢明なのでしょう。
2017/02/25
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志津では、思いがけぬ興奮に遭遇することができました。その興奮も冷めやらぬので、これはもう勝田台でも幸運を持ち越すことができるであろうと信じるのでありました。幸運というのはそもそも個人に付随する属性などではなくて、世の中に不均衡、不公平にばら撒かれているものであるようです。その幸運の種を感受し、芽吹かせることができるかどうかに関しては、多分に個人に備わる適性に依存しているように思われます。無論、ぼくにはその適性が欠如していることを認めざるを得ないわけで、つまりは等しくばら撒かれた幸運の種はぼくには塵や芥として見過ごされることになるということなのです。そしてこればかりはいくら研鑽を積んだところで育まれるような性質ではないらしいのが口惜しいのです。でももう己の生まれの不幸を憂いてみたところでどうにもならぬのであります。どうにもならぬけれど、運に恵まれた人にはこれからも恨みつらみにやっかみ嫉妬は絶やすことはないことでありましょう。酒呑みは概してかくも根が暗くて粘着的な精神の持ち主であり、夜な夜なその陰惨な性格を醸造しているのであります。 おや、雑居ビルの1階になにやら良さそげな「だるま」という酒場があります。志津のもつ焼店の孤高の存在感と比較するとなんと見劣りすることだろうか。でもこうしたごく普通の居酒屋があってこそ、ああした孤高の酒場がそこにもここにもあったとしたらそこに感動を見出すことは困難になるに違いない。数知れぬ路傍の酒場に安らぎを見出すからこそ、特別な酒場に対して緊張をもって接することができるのだと思うのです。って、まあこの文章の口火から無理矢理失礼にならぬようにこじつけてみたけれど、実際こちらのお店はとてもいいのだ。いいからお客さんも駅から離れている割にはいい入りなのであります。っていうかこれまで訪れた勝田台の酒場はどこも大層賑わっています。賑わっているのもすごいけれど、町の規模に比すると愕然とするほどに酒場が林立しているように思えます。それが悉く繁盛しているといは一体この町はどうなっているのだろうか。さて、店のご夫婦もすごい感じがいいですねえ。温厚というよりは、もっとこちらの懐にがっしりと入り込んでくるようで、酒場で異邦人を演じて悦に入るタイプには合わないこと必至。肴はギョッとする位に丸くて白い里芋の煮付けに赤カブ漬けでもう沢山。こういう何だか暗示的でドギツイ肴だけれど酒場では大抵のものが旨く感じられるのです。時折、すごいボロの酒場で肴が喉を通らぬ程不味いことがあったりするけれど、それはそれで楽しかったりするから、まあ酒呑みには旨い不味いはどっちでも構わぬのだろうな。 もう一軒行っとくことにしよう。近頃は無理してハシゴするのもキツくなってきていて、それよりは一つ処に腰を据えてのんびりやる方が性に合ってきたけれど、本来ぼくは長っ尻で呑むことが多かったのです。それが酒場巡りをするようになってからというもの、一軒に一時間も留まるともう飽き飽きするという特異体質の持ち主になりおおしてしまったのです。いや、若さにあかせてハシゴするだけの気力と体力の衰えと素直に認めるのが潔しなのであります。「酒処 酒菜屋さん」に寄ったのは気力でも体力に促されたということもなく、ただひたすらにくたびれて立ち寄ったというのが正解に近いかもしれません。ここまでは酒場巡りの熱情が多少なりとハシゴの原動力となっていたはずですが、この最後の酒場は本当に休息のためにお邪魔したようなものです。カウンター席は常連らしき決まった顔触れがひそひそと時には声を張り上げて思い思いに過ごしておられる。見た所、彼らの多くが毎日が日曜日という緩んだ表情を浮かべておられて、いかにも羨むべきご身分であらせられるのですが、こういう緩い酒場には自宅とは全く別種の安息を感じるのでしょう。さて、もう酒の肴などどうだっていいのです。だって望むのは終電前の休息だけなのだから。そんな時に重宝するのがポテトフライであります。もともとが油モノには弱いし、イモだけにハラにも溜まるはずなのですがなぜだか手が伸びるのです。そんな質素なオーダーなのに嫌な顔も見せずに居させてくれるのはまずは有り難い。カウンター席の人達も似たような使い方をしているらしいけれど、それを受け入れてくれる度量のある酒場のようです。
2019/03/20
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JR武蔵野線と直角に交わっているのが,東武伊勢崎線です。南越谷駅の接続駅が新越谷駅になります。新越谷駅を越えた武蔵野線のガード真下にある「とりげん 南越谷店」に入店します。ここも安いですねえ。しかも随分早い時間からやっているようです。向かい側にはさらにすごいことに24時間営業の「いちげん」なる店もあります。ここら辺に住めばとにかくどんな時間帯でも飲む場所を探すのに困るようなことはなさそうですね。品書:チューハイ:280,ホッピー:280(中:150),もつ煮込:350,もつ焼:80~,梅味味噌きゅうり:250,揚げだし豆腐/ジューシーから揚:350,とり皮ぽん酢:200 気になる店があったので15分程度時間潰しをしなくてはなりません。界隈をうろうろしますが適当な店が見つからないのでまたもやマンション商店街に引き返し,「居酒屋 あかさたな」に入ることにします。ここも「大漁船」や「末広」同様の造りでさすがに飽きてきました。チューハイセット(サワー+肴3品):900というのがあるのであまり考えずにオーダーします。よくよく考えると全然安くないですね。ちなみに肴3品はマカロニサラダと冷奴,刺身二点盛でした。入りが悪いのが納得の残念な店でした。 気になっていのはた「千野屋(千住加賀屋分店)」。開店する頃を見計らって出向いてみました。木の両引き戸は,いかにも「加賀屋」といった風情です。カウンターと座敷で先ほどまで回った店よりやや狭めですが,大体似たような感じですね。ちなみにここまで「やまちゃん」と「とりげん」以外は,時間が早いこともあるのでしょうが,まったくのガラガラ。ここでようやく一人客を見掛けて一安心しました。それにしても千住加賀屋分店と暖簾書きされていますし,スタミナ焼やもつ煮込鍋もちゃんとあるので紛れもなく「加賀屋」の系列なんでしょうが,驚くほど活気がありません。これほどまでに静かな「加賀屋」ははじめてかも,あの活気溢れる北千住店から暖簾分けされたとはとても思えません。品書:サワー:300,もつ焼2本:200~
2012/08/23
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常磐線快速電車は、頻繁に利用していて今では車窓から視界に飛び込んでくる景色にもほとんど新鮮さを求めてもしょうがない、と思うことさえしなくなってしまったとある夜、前夜の酒がまだ抜けきっていなかったせいか読書をする気力もなく上野行きの上り電車から久々に流れゆく夜の町明かりを眺めていました。列車が三河島駅に到着、 間もなく日暮里駅で乗り換えです。もう少し列車に揺られていたいと思ってふと顔を上げると目の前を見覚えのないもつ焼屋が視界を横切るのを見逃さなかったのでした。そうとなれば体調がどうのと日和っている場合ではありません。日暮里駅に着くとすぐに折り返して三河島駅に取って返したのでした。 目指すべき酒場は、駅からすぐ。最近完成したばかりのやたらと巨大かつ目障りなマンションを横目に程なくして到着したのが「もつ焼き れいや」です。いかにも開店早々といった雰囲気かと言えばそうでもなく、案外ずっと商売を続けてきたふうな落ち着いた印象があります。以前は焼肉屋かなんかだったかも。入ってみると厨房がちょっと昔は悪かったよ的なお兄さん、フロアーはそのお嫁さんでしょうか、やはりこちらもお若いのは予想通り。カウンターもテーブルもそこそこのお客さんで埋まっています。店主の友人らしきいくらかヤバ目のお兄さんもいますが、大方はおっちゃんなのでちょい安心です。おやスタミナ焼がありますね。察するに北千住あたりの「加賀屋」ででも修行したのかもしれません。でその焼物の味、北千住と決めつける何ら根拠はありませんが、むしろ美味しいように思われます。若いのに独立して店をやってるだけあって、意欲も実力もなかなかのものとみた。大衆酒場らしい雰囲気も心得ているし、何より本家を上回るまでの中ーお替り焼酎ーの量の太っ腹なところは大いに評価されるべきであります。ここまま飽きずに喧嘩もせず、欲を張らずにやっていければ、きっと長く愛される店になると思いたいものです。 また駅まで引き返すだけなのも虚しいので、日暮里まで歩くことにしました。以前はちょうど中間にある荒川区立の図書館を愛用していたのでちょくちょく歩いたものですが、最近はすっかり図書館を利用しなくなったのでーまた、読みたい本のリストが充実したら再開するかもー、わざわざ変化に乏しいこの界隈を歩くこともまれになっていました。とまあ久しぶりだから歩いてみてもいいかなという程度の軽い気分で歩いていくとまたもや見たことのない酒場に行き着いてしまったのでした。「串焼肉 まさゆき」という名のお店でした。店内を観察するとどうやら1年くらい前にできていたようです。それだけ足を向けていなかったということか。ここのコンセプトは看板を見ただけで推測できるのがありがたいと言えます。よほどへそ曲がりの店主でない限りは、焼肉用の肉を串に刺して出してくれるのでしょう。さて店内に入ると2階もすでに大賑わいとなっています。こちらも先程よりはいくらか年長ですがそれでも30歳前後の方が一人でやっていてー後から不慣れなバイトの女の子も登場ー、そうとうに慌ただしそう。ぼくの前に3人組が入ったので、唯一のテーブル席もふさがり、散らかり放題のカウンターにとりあえずは収まります。ここのお兄さんもしっかりとした経験を積んでいるようですテキパキと作業をこなす姿はなかなかのものとお見受けしました。覚悟していたもののA5ランクとかいうカルビだかの串はいいお値段でしたがあやむを得ませんここは一年でしっかり若者を中心としちゃう固定客を獲得したらしく、後は優秀なサポート役がいれば長くやっていけそうです。
2015/01/15
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雑司が谷は、ぼくの暇な休みの散歩コースの定番です。池袋という都内指折りの繁華街の至近にありながら、ほんの少し外れただけでこうも落ち着いた佇まいの町並みが残っているのは不思議なことです。見所はほうぼうにあって休日のそれも翌日には出勤の控えた日曜日の昼頃に遅くならない時間帯に訪れて、疲れぬ程度に歩いたら早めに夕餉の支度をして晩酌なんていうのが一連の過ごし方になっています。斯様に雑司が谷の界隈はのんびりした気分を醸成する効果のある好きな町ですが、惜しむらくはちょいと立ち寄ろうと思える食事処が少ないことです。最近こそ洒落たビストロやイタリアンのお店ができていて、これも気にならぬではないけれどお得なランチコースでも呑み過ぎてしまいそう。インド料理店もちらほら見掛けるけど、折角なら東池袋の南インド料理のお店にしておきたい。ハタと思い立ったのが古そうな構えの全く持って江戸前寿司屋以外に見間違えようもない正統派のお店が、車通りも多くこれといったお店も少ない明治通り沿いにある事を思い出したのです。鬼子母神の参道そば、もつ焼の名店「高松屋」もすぐそばにあります。 散歩の途中、時折店のオヤジさんが掃除する姿を見掛ける事がありました。それも椅子を上げで三和土に水を巻き念入りに掃除する姿に好感を持っていました。「竹寿し」というこれまた真っ当な頑固さすら読み取れそうな屋号のお店です。店内はカウンターとテーブルが2卓。他にお客さんもおらずカウンター席の隅に腰を下ろします。白木のカウンターはきれいに磨かれ、過剰でない程度に飾られた店内は寿司屋はこうじゃなきゃと首肯したくなるほどです。テレビがついてるのはご愛嬌。寿司とは言え独りでは手持ち無沙汰です。息子さんが注文を取りに来られたのでまずは熱燗を注文です。嬉しいことに箸休めに煮凝りが添えられています。それも十分に一品として楽しめる程の大きさがあるのだから、昼だというのに進み過ぎてしまうかもしれません。松竹梅とあると日本人は大抵の場合、余程通いつめて信頼していない限りは真ん中の竹を頼んでしまうようですが、そこら辺ぼくは少しも躊躇わぬのであります。しかも握りではなくちらし寿司を頼むのは、好きということもあるけれど何より安価なのが理由です。帰宅後にネットで調べると平日にはランチサービスもあり、大盛の無料サービスもあるようです。しかしまあ、並の盛りで十分でした。卑しいぼくはこれ以上量があっても頑張って食い切って後でひどい目を見るのがオチであります。自家製に違いない卵焼きやらとりどりの魚介は何れも旨くて、酒が進んでしょうがない。寿司飯は生姜酢付や椎茸、蓮根の煮付けたので食べてしまえば良いのだけれど、これすら手抜かりなく味が良いのでさらに酒がさ進んでしまうのだから困ったものです。これは機会を見つけて夜のこのお店を堪能してみたいと思うのです。
2017/03/25
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ちばてつやとあきおの両氏がメジャーなマンガ雑誌で活躍した一般には恵まれたマンガ家人生だとしたら同時期にマンガ家として活動しながらも常に貸本向けや「ガロ」などのマイナー雑誌に作品を発表し続ける事となったつげ義春と忠男両氏との差異は、資質の違いというひと言で語って済ませるのはいかにも安直な結論であろうと思うのです。また、発表媒体のメジャーか非メジャーかで差別化を図るのはいかにも乱暴な区分の仕方であります。これもそう言い切る事に躊躇いはあるけれど、あえて言ってしまうとすれば、ちば兄弟がマンガというメディアを信じていたのに対して、つげ兄弟はマンガの表現をさほど信用しておらずたまたま多少は絵が描けるから書き続けてきたまでという諦念が常に付き纏っているように思えるのです。そんな信念とかややもすると宗教的な思いの有無などというものは、人の思うままになど出来はしないのであります。人が幾らマンガを愛したとして、マンガに愛されない人はどうしたって読者の気持ちを揺さぶる事などできるはずもないのです。ちば兄弟がマンガを愛し愛されるというー無論、そのためには常人には計り知れぬ苦労があったはずですー幸運を享受し得たのに対し、マンガから一方的な愛を向けられた人たちの苦悩はいかばかりだったろうか。これはまあ好きなだけで信奉するほどの読者などではないぼくの捏造したフィクションでしかないのだけれど、どうもそんな風な想像が頭を離れないのです。そんな人たちの描く酒場だったり喫茶店なんかは一体どうしたって心ときめくような場所にはなりそうにありません。『つげ忠男漫画傑作集3 けもの記』(ワイズ出版, 1996)「けもの記①」・「けもの記②」では、「大衆酒場 三次」、「スナック 純」が描かれます。景色としてではなく極めて希薄にしか浮上してこないながら物語の綴られる場所として重要です。 「シンプルライフ」で二人が連れ立って入ったのは「一力」だろうか、ここでは酒場は酒場としての積極的な機能を果たしてはいない気がします。 『つげ忠男劇場』(ワイズ出版, 1998)大衆酒場と天ぷらの提灯ある夜の町のスケッチがありますが、絵の中に絵を置くという描写、そう多くは見られませんががつげ氏はもしかしたら好きな気がします。 『つげ忠男選集1 狼の伝説』(北冬書房, 1994)「無頼漢サブ」。流しの2人が入る「てる美」では尾張の盛田が出している忠勇を扱っているようです。どうというドラマがここで描かれはしないのだけれど、今しも激動のドラマが始動しそうな張り詰めた空気感が漲っていて心穏やかではおられません。 『つげ忠男選集2 昭和御詠歌』(北冬書房, 1995)「カマの底」、まあどうということのない一コマ。名無しのなべ料理屋などが絵が出てきます。 「雨季(一)」と「雨季(二)」「酒の店 五六亭」この連作はつげ氏が夜の作家であることを教えてくれます。重苦しいけれどドライ、息苦しいけれど爽快さもある不可解な夜の町を迷いはないけれど、どこかしら正確さを欠いたような線で描きます。 「雨季(完)」徹底して暗いつげ忠男の風景ですが、餃子の店「長栄軒」、「中華料理 末広」といった看板が辛うじてその重苦しさ沈鬱さを救いのある表情として見せてくれます。 『つげ忠男選集3 屑の市』(北冬書房, 1999)「ドブ街(二)」に出てくる「名物 養老乃瀧」など現にあるものとはちっとも違っているけれど、「支店1,000店目標」など微笑ましくて息苦しくなりがちなこの作家の物語に長閑な印象をもたらしているようです。【新品】【本】アックス Vol.115 特集つげ忠男 青林工藝舎/編集
2020/07/11
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もしかすると目白台のビストロは、このブログでも登場回数のかなり多い一軒ではないでしょうか。酒場巡りのブログでビストロをそんなに登場させてしまうのも気が引けるのであります。でもこちらのお店、すごい好きなんですねえ。だからまた書いてしまうのです。って以前と内容はほとんど変わらないだろうけど。初めてこちらにお邪魔したのは10年、いやさらにもっと前のことだったと思います。こじゃれた感じでどうにも腰の引けて訪れたいなどと思ってもいなかったビストロでしたが、当時、案外気楽で楽しいものと遅まきながら知り、都内の有名どころを時折訪れるようになりました。その一軒が目白台の「パ・マル レストラン(Pas Mal RESTAURANT)」でした。護国寺の坂を目白台に向かって登り切ると日本女子大学がありますが、坂の途中、道の左右に数軒の飲食店があります。坂の下には講談社があったり、坂を登り切ると椿山荘もあるなどおハイソなイメージがどうも馴染めないと思っていましたが、ちゃんと眺めてみるとどのお店も高級感漂うといった印象でなく、町の裏通りのような気取らぬ程度に洒落ていてだけど庶民的なお店であることが分かるのです。さて、今はなき「パ・マル レストラン」を後にして雑司が谷を抜けて池袋方面に向かおうと歩き出すと、すぐに「ル・モガドー」なるお店があったのです。ビストロというよりアメリカのダイナーっていうか食堂風の薄暗い店内で米兵風のいかつい白人男性2名が実に愉快そうに呑み食いしていたのです。すっごい気になるけど、ビストロを称してもちっともフランス料理っぽくない洋食のお店に過ぎぬのではないかと懸念しつつも、どうにも気になるのでそう日を置かずに訪れてみると、高級フレンチのそれとは当然違うけれど、お手頃でボリュームたっぷりのビストロ料理が頂けることを知りそれ以来、思い出したように訪れるようになったのでした。 いつの間にか店名と内装を刷新した「ル・マルカッサン(Le Marcassin)」との付き合いはそういう訳で案外長いのですが、こちらのなんでもこなすシェフとはすっかり顔馴染みになっておりまして、予約する時には必ずその夜の〆の客となるよう調整し、食後のお喋りを待望するようになったのです。この夜は、しばらく体調不良でやめていた酒も再開したことなどとともにコロナ渦のご苦労などもお聞きして楽しいということだけで済ませることはできなかったのですが、これからも細々とながら末永くお付き合いしたいと思うのです。ってこの夜のメニュー位は記載しておいた方がよいかなあ。アミューズはバゲットにリエット、前菜は牡蠣とキノコの香草バター焼、メインは牛ほほ肉の赤ワイン煮、デザートはヌガーグラッセといった具合でいつもながらに美味しく頂きました。でもいやしくきっちり食べきるせいか、食後に胸やけしてしまったことは正直に記しておくことにします。まあ、その原因の大部分は自身の加齢のためであると思われます。あと、以前よりお値段が上がったように思えますが、それでもお手頃感があると強硬に主張するのは、やはりぼくはここが好きで好きで仕方がないからなんです。
2021/05/24
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あまり名指しで特定の店の悪口を言うのは,その酒場を好きな方にとっては不愉快なことかもしれません。あくまでも個人的な印象による苦言であり,あくまでもぼくの偏った印象となっています。いやな思いをしたり,不快に感じたことがあったので,ほとんどの酒場には1回だけ行ったきりで,普遍的にダメな酒場であるとは限りません。そういうわけで,もしこのブログをお読みの方で悪口なんか読みたくないという方は飛ばしていただきたいと思います。仮に読まれてしまった場合でもこの感想だけで訪れるのをやめたりする理由にならないことを祈ります。【不愉快な主人or店員さんがいる!】 建物や内装が抜群に素晴らしくても,恐ろしく安い値段で美味しい酒や肴を提供してくれたとしても,酒場を切り盛りする人の一部がどうしようもないばかりにすべてがぶち壊しになることがあります。大事に施設を維持して,安く美味い物を供する酒場には誰かしらお客を大事に考える矜持のある人物がいるはずですが,そんな見事な心掛けをもった人物の苦労をひとりのダメな人が無碍にしてしまう,そんな酒場がたくさんあります。ダメな人さえいなくなればそれこそ一気に大好きな酒場になりうるそんなお店が並びます。まあ主人がダメな場合はどうにもならないかもしれませんけど。五反田 もつ焼き ばん 五反田 本店とは異なり若い方が働いています。オーダーミスがあったり,よそ見をしながら生ビールを注いでぼくの服や鞄に泡を飛び散らせてしれっとしていたり,何より腹立たしいのがそんなことをしておいて,しらっとしていること。目白 いわし料理 すみれ 喫煙していいか断ってから煙草を吸い始めたにも関わらず,煙草嫌いらしい常連さんがやって来たら,今時煙草を吸うなんてねえ,なんて聞こえるように嫌味を言われたのでした。亀有 居酒屋 ハッピー 主人が女性の従業員に聞いていて耳をふさぎたくなるような罵声を投げ掛けています。下町風の街でありながら感じのいい酒場の少ない亀有にあっては,大人気の酒場ですがとても通いたいとは思えませんでした。東十条 埼玉屋 以前書いているので繰り返しになりますが,こちらの主人の高圧的な態度を経験した以上,二度目の訪問はあり得ません。自慢のもつ焼は確かにうまいとは思いますが,もっと安くて匹敵する位にはうまい酒場もあるし,もとより肴の良し悪しは酒場に通う理由としては小さな理由です。京成立石 鳥房 立石の有名店で雰囲気も名物の鳥丸揚の味もぜんぜん悪くないのだが,とにかくおばちゃんたちの人間関係の悪さを見せつけられるのは勘弁してもらいたい。行くなら座敷の奥に着いておばちゃんたちのコミュニケーションが届かないようにしたい。自由が丘 金田 名店としての誉れ高い「金田」ですが,ファーストコンタクトは不調に終わりました。接客担当の女性の応対の悪さはただごとではありません。不愉快過ぎて最低限で注文したものを飲み食いして勘定をしたらお礼はともかく,うんともすんとも言わずむしろ小馬鹿にしたような態度をされてしまったのでした。たまたまこのときだけがひどかったのでしょうか?
2011/12/20
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珍しく体調のいいとある土曜日、野暮用を済ませた昼前に、突如思い立って都営バスの一日券を購入、池袋駅を起点に 日暮里・舎人ライナー沿線の喫茶店を虱潰しに探索してみることにしました。この思い付きが後で過酷な事態を招こうとは、当初思ってもみなかったのでした。 ひとまずは尾久橋通りに向かう必要があります。浅草行きか西新井大師行きのいずれかに選択肢はほぼ絞られますが、ちょうど浅草行きが出発直前だったので飛び乗ったのがこの日の行動を決定づけることになりました。当初、尾久橋通りから一挙に見沼代親水公園に直行する予定が、土曜日には1時間に1本あるかなしやの粗密ダイヤ、やむなく歩いて北上することにしました。 浮島の小台を越えて、扇大橋駅で東に進路を変えウネウネとした都内とは思えぬ田舎びた路地を歩いているとかなり歩いたとこらに突如商店街が現れます。本木町中央商店会と興野銀座会と言ったでしょうか。そんな始点にー実際は迷いに迷ってずっと北側の 興野銀座会から引き返すように歩きました ―一軒目の喫茶店があります。本来であればこの日最後の一軒とする予定でした。 「喫茶 りあな」です。一軒家の立派なお店ですが、需要が少なくなったせいか開店当初は美的センス溢れた恐ろしくかっこいい喫茶店だったかもしれませんが、今ではいわく言い難い美的とは正反対の要素が混ざり込んでしまい誠に惜しいことになってしまっています。特に店の奥の大画面スクリーンの異様さはそれはそれで愉快かも。まだ空腹を感じていなかったのでパスしましたが多くのお客さんは、ボリューム満点のランチを召し上がっていました。アルバイトの若者がママと呼ぶまあママさんは調理中は厳しい表情でしたが会計の際マッチを所望したら満面の笑みと優しい口調でもうつかないかもしれないけどとどっさり下さろうとしました。 同じ道を引き返しながらやはり「大衆酒場 精ちゃん」が気になってしょうがない。なんとも味のあるボロ酒場振りで、あゝ路線さえ間違えなければ夕方ここに来れていたのにと後悔しきり。なんとか機会を見つけて訪れたいものです。 さらに東武の大師前駅方面に進路をとって歩いているとやがて脇道に「喫茶 アゼリア」を見つけました。緑のテントの庇が眩しい枯れたいい雰囲気のお店です。店に入るともう終わりなんだけどと高齢のママさんがおっしゃいます。それは酷い、コーヒーだけでいのですがとお願いすると、あら食事じゃないのねと案外簡単に入れてもらえました。テーブルが5卓ほどの小さな可愛いお店で、真鍮のパーテーションや柄入りのソファなどインテリアの細部にもこだわりが見て取れて楽しめます。コーヒーをすすりながら、まったりと店内を眺めているとママさん駄菓子もサービスしてくれます。他のお客さんは食事をしに来た老女たちだけでこの店がなくなったら彼女たちの行き場がなくなってしまいそうです。いただいたマッチには咲き誇るアゼリアの花の絵が描かれていますが、褪色掛かっていてされが無性に寂しく感じられるのでした。 ウネウネと北上していたら「東洋」とかいう喫茶スナックがありますが、お休みのようです。西新井駅から池袋に向かう都営バスの経路上に達してようやく一安心、確かこの道沿いに喫茶店の看板が出ていたはずです。注意深く見逃すまいと歩きますが、一向に見当たりません。見逃しただけならいいのですが、おそらく店をたたまれたのでしょう。これまたバスの車中から見かけた良さそうな酒場があったことを思いだし、注意していたらこちらはちゃんと残っていました。今でも営業しているのが店先にうず高く積まれたホッピーの空き瓶が教えてくれます。 何軒かのカフェをスルーしながら、さらに進むと「エンジェル」があったので入ってみることにします。取り立ててどうということもない喫茶店ですが、カフェなんかよりはずっと居心地は良いのでした。 尾久橋通りを通過してさらに直進すると、「西山酒店」という木造家屋があります。店内を覗き込むとテーブルに椅子、灰皿もセッティングされているのでもしかすると角打ちなのかもしれません。いつもなら店に入って確認するところですが何故かこの日は遠慮してしまいました。ネットで調べてもここの情報はまるでなく今になって後悔しきりです。 さらに進んだ路地裏に「珈琲館 ル.ビアン」があるはずです。ドキドキしながら店のある場所に近寄ります。こんな場所にも商店街があるらしく片手にも足りぬ子供たちが餅つきをしています。その先に、「大政」という酒場があって午後3時から5時までは酒がサービス価格になるようです。さそんな時間から営業してるなんてさすが足立区と住民の方ならきっと嬉しい顔などせぬであろうことに感心していると、そのお隣が目指す喫茶店でした。というか今では看板もなく、すでに手遅れだったようです。この立派な建物を見ると、自分の怠慢が悔やまれるのですが、自らの怠惰の罪は甘んじて受け入れざるを得ません。かつてのせめて現役の頃の写真だけでも見てみたいものではありますが。 それでもまだ行っておきたい店はあります。進路を北に切り替えてかなりの距離を歩いたでしょうか。事前の調べの住所には無情にもまっさらなアパートがありました。「ニュー白十字」は痕跡さえ留めていません。なんとも気になる店名で今更ながら自分の行動力の低さに憤ります。 折角なので江北の団地街にある「アプリコット」も眺めてみましたが、スナックの並ぶ空きテナントがそれらしい、テナント募集中と貼り紙があるのがそこらしいと確認するだけでした。 この後、結局日暮里・舎人ライナーの終着駅である見沼代親水公園駅まで歩くことになったのですがーそして良い雰囲気の喫茶店にも辿りつけたー、長くなったのでその話はまたの機会に。
2014/12/21
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ビストロなんてものは本来が大衆のための食事処なのだろうから、このタイトルは矛盾しているのかもしれぬけれど、実際、日本のビストロで仮にプレフィックスのコースを食べて、例えば三千円のコースだったとすると、これで週2回通って食事だけという訳にもいかぬからワインをボトルでもらったりすればあっという間にエンゲル係数が跳ね上がるのだから、やはりとても大衆とは呼べぬことが多いのであります。だからここでは大衆フレンチとは呼ばず素直にビストロと呼ぶ事にします。そして、ぼくのようなセコい人間は、例えば高級フレンチ店なんかで食事をする機会に恵まれるとそのサービスのゆったり感にも促され、酒に掛かる費用が食事を簡単に上回るから要注意なのです。そんなぼくでも時にはビストロ料理が食べたくなったりするのです。さすがにビストロで高級店のクオリティは望むべくもないけれど、日常生活におけるプチ贅沢としては充分なのです。 この夜、訪れたのは早稲田の「モンテ(montee)」であります。早稲田通りの路地を入ってすぐの立地で学生街からは少し距離があるから騒がしくもなくいい感じです。こちらは、手頃な価格でフレンチ気分を楽しんでもらおうと伊川順二氏という方が曙橋「オー・ムートン・ブラン」にオープン、四ツ谷「パサパ」へと店を移っても良質でカジュアルなそして低価格で気張らない雰囲気もお店をやってくれたのは、ぼくのようなたまには旨いものを食いたいけれど、根がケチなものだからあまり大金は払いたくないという吝嗇家でも通えるお店を生み出した功績は素晴らしいものであります。今は無き目白台の「パ・マル レストラン(Pas Mal RESTAURANT)」、千石の「プルミエ」、高田馬場の「ラディネット」を始め、荒木町「スクレ サレ」は新宿御苑に移転されたようですね。今でも高田馬場「ラミティエ(L'AMITIE)」、神楽坂「ブラッスリー・グー(Brasserie Gus)」、護国寺「ル・モガドー」「ル・マルカッサン(Le Marcassin)」、市ケ谷「ラベイユ(L'Abeille)」、落合南長崎「エシャロット」といった志を継ぐ店があり、その料理の質や店の雰囲気、サービスのレベルには開きがあるけれど、それでも他の追従を許さぬ魅力を維持するのはシェフたちスタッフのあくなきサービス精神と研鑽の賜物と考えるのであります。なんて何処かから拾ってきた情報を切り貼りして何ともみっともなく辿々しい文章になってしまったけれど、こうした月に一度のお楽しみというようなお店が増えるのは大いに歓迎したいところです。 さて、この早稲田の新しいお店は、左記に書いた「ブラッスリー・グー(Brasserie Gus)」で修行したシェフが独立して始めたお店だそうな。彼の姿は店を出る際のお見送り時に拝顔したけれど、はじめは修行僧のような厳しい表情だったのが瞬時に心からと思える笑顔に切り替わってすっかり好きになったのでした。ここでは前菜で鶏レバーのパテ、メインに鴨のコンフィ、デザートにガトーショコラと大定番を頂きましたが、何れも満足感はしっかりあるのに嫌な胃もたれを残さぬサッパリとした仕上がりで胃腸の衰えを日々自覚させられるぼくにはとても美味しいばかりでなく、食後感も爽やかでした。もう一つ重要なのが、ワインがデキャンタにて手頃な価格で頼めるのが嬉しい。ボトルを開けてもう少しとなり、ボトルを開けてしまい、グラスの残りもあとわずかというのに料理がまだ結構な量残っているということがしばしば生じます。そういう時、グラスワインでは結局2杯、3杯と歯止めが掛からなくなり、ボトルだと呑み切ろうと躍起になりオーバードリンクとなってしまう。こんな時に大変ありがたいのであります。これから齢を重ねてボトル1本呑み切れなくなってしまう時が来ると考えると姉妹店の皆さんにもぜひ取り入れていただきたいと願うのでした。
2019/01/01
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さて、上福岡での呑み歩きもいよいよこれで締め括りです。自分が仮にこの町の住人だったらまだまだ宵の口という時間ではありますが、自宅までは結構な距離もあるし、当然時間も掛かります。池袋までは途中急行に乗り換えしても最短で40分近く要するからなかなか大変です。ってあら大したことないですねえ、とはいえこんなご時世に夜更けまで遊ぶのはまあ褒められた振舞いではなかろうから、この位に弱気でいる方が良いと思うことにしよう。 さて、今回の気になる酒場は先般報告した廃業したらしい喫茶店の奥まった場所にあります。「大衆酒場 信濃」と看板にはありますねえ。様子をしっかり眺めるまでもなく廃業して久しい感じです。とまあ書いた途端に不安になるのは、いくら外観が古びていても夜になると、取り分けこちらのように駅から十分程度離れた場所だったりすると暗くなると周囲を見渡すのも困難な位に暗闇に包まれたりするから、そこに赤提灯など下がれば立派に現役であると見て取れるだろう。だからもしかすると夜になると息を吹き返したように現役の風情を取り戻すかもしれぬなどと夢想してみる。そうすると苦もなくここが夜な夜な変わりなく客を迎えているように思えてくるのでした。 さて、最後に訪れたのは「風来坊」でした。駅西口を出たロータリーの裏通りにあって、並びには雑居ビルの名残りがあります。かなり歯抜けになっているけれど、かつてはこの通りにズラリと酒場ばが立ち並んでいたのだろうと推測されます。このポツンと置いてきぼりされた店舗とわずかにロマンへの憧憬を思わせる店名からコチラのお店は最近のことかもうそれなりの歳月を経ているのかは判断はつかぬけれど、居抜きでやってきたのだと推測されます。カウンター席は埋まっていて、夜毎通う常連に加わり自粛宣言解除後に久々に訪れたやはり常連もいたりして、店の歴史の長短に関わらず愛されてきたことが見て取れます。我々は6人掛けだったかの大きな卓に通して貰えました。この後更に混み合えば相席があるかも知れないところですが、その杞憂は無用でした。ホッピーを注文、そういやホッピーを呑むのも久しぶりかも知れないなあなどと思い賑やかに掲示された肴の品書きを眺めるといやはや実に盛り沢山でしかも手頃なのですね。これはいいなあ。半年位は食べていなかった肉ジャガが特に旨かったけれどここは酒呑み好みのちょいと辛めの味付けでビールとはまるで違うサッパリした呑み口のホッピーに良く合うのです。さすがにこの段になってコチラの肴をそんなにあれこれ頂けはしませんでしたが、手が混んでるということではなく、定番やひとひねり効いた肴が安価で頂け、これならなるほど毎晩のように通ってきても飽きることはなさそうです。これだけ酒場の充実した町で支持を得続ける理由が分かった気がしました。これはまた上福岡に来ざるを得ないなあなどと思いつつ、西武池袋駅に到着、馬鹿らしい精算金をはらわされてしまいました。ここだけは要注意と以前も反省したんだよなあと、この経路の乗り入れの煩雑さには改善を促したいところです。
2020/10/12
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前回も書きましたがぼくはとり・みき氏の全くダメな読者でしかないものだから書くべきことはすでに書き尽くしてしまいました。ってほとんど何も語っていないのですが。ということで安直ではありますが、お決まりのWikipediaからとり氏情報をゲットしてそれにコメントを加えるという自堕落対応となりますが己の教養のなさがなさしめることとはいえご容赦願います。--漫画表現そのものをギャグとして追求する作風は「理数系ギャグ」と呼ばれ、内容の無い表層的な作品として批判されることもある。しかし、とり自身はそれこそ自らが描きたいものだと語っている。とり自身があげるこの路線の作家に唐沢なをきがいる。--この一節がよく理解できないのです。「漫画表現そのものをギャグとして追及する作風」というのは、一体どういう意味なのでしょう。具体的な記載がありませんが、恐らくは自己言及などの叙述的な実験的要素を指しているのかと想像します。パロディ、SF、不条理というとり氏的なジャンルは、そうした実験を盛り込むのをお手の物としているはずで、それは大御所の手塚治虫を引き合いに出すまでもなく日本マンガの自家薬籠中の物とするところです。確かに雑誌連載時になかったコマを追加したりというメタ・メタフィクションといったような離れ業も飄々と使いこなすあたりは洗練されているとは思いますが、どうもぼくには手垢の付いた用法に思えてならないのです。それが「理数系ギャグ」と呼ばれるのもよく分からない。「内容の無い表層的な作品」ってのも意味不明であります。と引用しておきながら腐しているけれど、実はこれを読んで再読したくなったのです。吾妻ひでおや大友克洋の影響を語っているけれど、多分に前者の影響を感じます。吾妻氏は晩年にとんでもない傑作を上梓しましたが、とり氏ももしかすると驚くべき傑作を胸に秘めているんじゃないかと期待しているのでした。『クルクルくりん 第5巻』(トクマオリオン)『トマソンの罠』(文藝春秋, 1996)「トマソンの罠」、「帰郷」『とりから往復書簡 第3巻』(共著:唐沢なをき)(徳間書店, 2010)『パシパエーの宴』(チクマ秀版社, 2006)「パシパエーの宴」、「カラオケボックス」、「宇宙麺」『山の音』(早川書房, 1989)『キネコミカ』
2022/04/09
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一時期、堀切菖蒲園には毎週のように足を運んでいました。何度となく通ってその度に未知の酒場にお邪魔していたけれど、それは必ずしも堀切菖蒲園に限った話ではない。この町を気に入っていたのは、再訪したいと思えるような酒場が数軒あるところが特筆すべきところなのでした。ぼくは自分では格別選り好みの強い方と思ってはいませんが、大概の場合、またお邪魔したいなあと思える酒場が一軒あるかないかであり、この町のように数軒のお気に入り酒場が存在するなんてのは極めて稀なことで、例えば、未知なる酒場をハシゴしてどうにも満足いかないなんて場合でも〆にお気に入りを訪れるというお楽しみがあるからどんな場合でも一定程度以上の満足感を得ることができるといった寸法です。そんなだからついつい堀切菖蒲園へと出向く機会が多くなっていたのですが、時の流れは無慈悲なもので一軒また一軒と閉店したり、繁盛し過ぎで入るのが難儀になったりしてくると〆の酒場が担保できなくなってしまい自然と足が遠のくようになるのでした。それでは今回堀切菖蒲園に向かったのはどうしてかってことになりますが、単にこの町にセカンドハウスを所有する知人ができたってことがあります。その人とこの町の酒場について語り合ううちに、気がかりな情報があったのでそれを確認したいと思ったのです。 数多くの中華屋さんがある堀切菖蒲園ですが、どうしたことかお邪魔していない店もいくつかあることが判明しました。通い詰めていた頃は中華屋さんで呑むこともあるにはあったけれど、そこまで積極的ではなかったようだ。というか気になる酒場もまだ残っているし、中華屋さんにしたってかなりの数の店があるからどうしても後回しになってしまっていました。ここ「美山亭」もそんな一軒です。店名の読みは「びざんてい」って口走りそうになるけれど、きっと「みやまてい」が正解なんだろうな。人名にせよ地名にせよ「みやま」が一般的みたいだから。こういうのって現場ではどうでもいいって思うけれど、後になって気になるものなんですね。まあ今は気になっているけど、明日になったらすっかり忘れてるんだろうなあ。ということで入店です。久々の堀切菖蒲園なので、ちょっとだけソワソワとした気分で店に入ります。駅からここまでの道中も何度も歩いているはずなのにどことなくよそよそしくされているような気持ちになるのでした。さて、まだお客さんはいないようです。結局店を出るまで他のお客さんはなく、ちょっと寂しい。ハイボールってあるけど、きっとこの地ならと頼んでみると案の定、ウメ割りの焼酎ハイボールでありました。久々でちょっと嬉しいけれど、キンキンに冷えておらず、炭酸も弱めなのがちょっと残念。肴はお通しで立派な冷奴が出されたので、控えめに餃子と肉うまにを注文。餃子は皮がちょっとヘロっとしているけれど、餡は好みです。肉うまには思いがけず賑やかで贅沢な具材です。次があるかどうかは分かりませんが、しんみりと過ごせるお店でした。この町の酒場はやたら賑やか過ぎるか、ちょっと寂しいかに分かれるようです。無論ぼくは後者が好みです。
2025/05/11
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またもや更新をさぼってしまいました。諸々の事情があってのことですが、申し訳ありません。取り急ぎ手短に近況を報告します。といっても単に昨夜お邪魔した居酒屋のレポートなんですけどね。 居酒屋でたらふく食べて飲むなんていうことは、めったにないことですが、数少ない例外が藤沢にある「久昇 本店」です。太田和彦の新刊『太田和彦の居酒屋味酒覧〈第三版〉: 精選173』では、同店で20年間勤めた方が独立して「昇」なるお店を開店していて本来ならこちらへお邪魔したいところですが、足はついふらふらと本店に向かっていたのでした。 相も変わらずの大盛況。時間制限つきでなんとか入れてもらえました。ここに予約なしでくるのは無謀ともいえる所業ではありますが、人にはそれぞれやむをえない事情があるものです。こちらは肴がおいし過ぎるのでついつい飲むよりも食べるほうに目線が行ってしまって、他のお客さんも似たようなものでついついすごい勢いで肴を嚥下してしまい、あっという間に満腹で予定していたよりずっと早く店を後にすることになってしまうみたいです。 さて、お通しのセロリの葉と桜海老のきんぴらをつまみながら今月の品書きをチェックします。でもその前にこちらの定番中の定番メニューのおからと卵焼きをいただくことにします。これと生クリームをかけて食べる牛スジ煮が大定番ということになるのでしょうが、今晩はこれはパス。相も変わらずおいしいなあ。おからと卵焼きなんて家庭料理そのもので、わざわざ藤沢に行ってまで食べるのもどうかと思うのですが、つまみ始めるとその複雑な味わいに思わずうなり、あれよあれよと皿はきれいになってしまいます。 さて、目に付いた茗荷のチャンプルーをお願いします。これがなんともうまいのです。茗荷に卵、少量の肉にニラが入った程度のシンプルな料理ながらとても家庭では真似できないであろうことが予想されます。と言いつつ今晩トライしてみようと材料は揃えていますがどうでしょうか。続いては鴨と夏野菜の酒盗煮です。こちらにもたっぷりの茗荷が入っていますねえ。火を通した茗荷がこんなにもおいしいとは。その後は豆腐ステーキとつぶ貝とにんにくの芽の炒めです。どれもこれもうますぎてついつい酒も進むというものです。ここで、箸を持つ手の動きがぱったりと止まってしまいます。すでに満腹。まだまだ食べたいものがいくらでもあるのに、なんということだ。 近日中にまた来ることを心密かにとどめつつ泣く泣く店を後にしたのでした。次に来るときはちゃんと予約を入れておくのを忘れないにしよう。
2012/08/18
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立て続けに「赤坂酒場」、「三祐酒場 本店」と二軒の名酒場が店を畳んでしまい、曳舟の町の魅力は半減したかに思っていました。東京スカイツリーの存在が正直うとましいのも足が遠のく理由のひとつかもしれません。あとぼくにとっては足の便が悪いのが正直面倒で、よほどこれぞという酒場の情報が耳に入るまではなかなか足を向ける気にはなれません。ところが、先頃どういう気の迷いか、曳舟を訪れることにしたのでした。なんてことを言いながらつい1か月前には行っているのだから実は心の奥底ではこの町の潜在力は先に記した二軒だけではなさそうだと思い込ませられるだけの磁力があるようです。 それでも最初の一軒を手軽に駅前に済ませてしまったのは少々横着すぎたかもしれません。京成曳舟駅を出てすぐに「立ち飲み処 串揚げ おとん」があったので、手始めに立ち寄ってみようと思ったのは、今すぐにでも呑みたい気持ちを抑えて、あまたひしめく酒場の誘惑を乗り越えてようやく辿り着いたのだからしょうがなかったのかもしれません。店先ではテイクアウトの串揚げも販売されているようで、店内には近所のママ友らしき団体客が子連れで大いに盛り上がっています。って、ここって立呑み屋って看板にも堂々と謳っているのに、座敷でそれも30名近いママ・ガキグループが大いに盛り上がってるのってどういうことなのよと、しばし店の選択が誤ったという念が脳裏を過ります。しかし今更後には引けず、カウンターのある入って左手のスペースに向かいますが、ここにも椅子が置かれています。串揚げと呑み物をオーダーするとバイスなんかもあって、その辺は最近の酒場事情には通じているようです。ところが、注文した串揚げが一向に手元に届かない。ママ・ガキグループはほぼ呑み食いはひと段落しているにもかかわらず、この遅さはどうしたものか。揚がった串が厨房に放置されていますが、どうやらこれはわれわれの注文の品のようです。せっかく揚がっているのに放置しっぱなしってどういうことなのよ、わざわざ冷まして火傷しないよう気遣ってくれてるのなんてありそうもないことを考えます。時計の針は刻々と針を進めていて、あと3分待って出なかったら店を出よう、食べなかった串揚げ代も支払って颯爽と出て行ってやろうなんて意気込んでいると、お兄さんが塩やカレー粉、辛子を小皿に盛って、出してくれました。残り30秒のきわどいタイミングです。すっかり食べやすくなった串揚はまあ悪くないものの、揚げたてを頬張る―たとえそれがいかに熱くて上顎がベロンと剥けたとしても―のが醍醐味のはず。大体が串揚げなんてものはアツアツでさえあれば、味なんてそうとやかく言わずともおいしくいただけるものですから。出鼻を挫かれしょげ掛かりながら、次なる酒場へ急ぐのでした。 向かった先は東武伊勢崎線―スカイツリーラインなんて間抜けな呼び方は認めたくない―の駅前の呑み屋街です。呑み屋街といっても京成との間にある狭い横丁、「居酒屋 むさし」というのに入ってみることにしました。カウンターに2人掛けのテーブルが2卓と3つ席のあるテーブルもありますがどうして4席にしないのだろうと思いながらも奥の2人掛け席に着きます。そう、この日はA氏と一緒なのでした。ひとまずチューハイと〆鯖、ちくわ揚げを注文します。お通しと一緒に運ばれてきた〆鯖がすごいボリュームです。さっと酢漬けされたすっぱすぎない頃合で大変おいしい。続いて出されたちくわ揚げを見てまたびっくり。中くらいの平皿から溢れんばかりに盛られたその量はギョッとするほどです。カウンターに並ぶ常連のじいさんやばあさんたちはこれだけの肴を食べ切れるのか心配になるほどです。こちらのお店女性客の入りも大変よくて、この夜初めて出会ったらしいお二方もくつろいでお喋りに花を咲かせています。女性客に愛される店はやはりよい酒場が多経験則はやはり間違いがなかったようです。ここには3,4名位であれこれ注文するがいろんな肴を頼めるチャンスであり。機会があれば次回は4名で伺うことにします。
2014/06/16
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千駄木を最寄りとするエリアは谷根千などとさほど気が利いているとも思えぬ呼ばれ方で近頃人気の町でありますが、夜のこの辺りを楽しもうという方は少ないようです。いや、この界隈の民泊宿などに宿泊する外国人の姿を見かけることは多くなった気がします。下手をすると日本人よりも多く姿を見ることもあるのです。夜店通りの立ち呑み店などはそこだけを見ればまるで六本木かという位に外国人客で埋め尽くされていたりもします。しかし、道灌山に近いすずらん通りはいつもと変わらず寂しくて、外国人すら見掛けぬほどです。だからというわけではないけれど、この夜の写真もどこぞへ消え去ってしまったので、真っ黒な記事になることをお断りしておきます。せっかく久しぶりにT氏と一緒だったのだけれど、彼の御尊顔を披露できぬのが残念です。 最初に訪れたのは「たまゆら亭」です。店の張り紙によると静岡おでんがお勧めらしいのが決定打になりました。この通りの酒場は結構回っていますが、見覚えのない酒場を見るとつい立ち寄りたくなるのがぼくの性癖であります。と書きましたが、改めて調べてみますとすでにここには来たことがあるようです。まあ、それはそれで構わぬというのは結局は強がりでしかないのでありますけれど、もう行ってしまった後のことなのだからどうにも取り返しがつかぬのであります。カウンター席に腰を下ろししばらく店内の様子を眺めます。眺めても思い出せなかったのだから始末に終えぬ。というか酔っ払うということは、記憶するという脳の働きを放棄する行為であり、それどころか場合によってはすでに脳にインプットされていたはずの情報をも排除する機能すらあるような気がします。しかしこの夜のことは少しだけは記憶しています。お客さんはご近所さんらしき常連が多く、店主は三々五々に集まる客たちに親しげに声を掛けて店ぐるみで楽しまれている様子です。肝心の静岡おでんは現地で食べるものとはやはり―このやはりは先般の亀有のそれと比してかなり食べやすかったということです―どこか違ってはいたけれど、それなりに美味しくいただけました。どうもこの店の雰囲気を楽しむには足繁く通う必要がありそうです。 すぐそばの「小料理 紫穂」にお邪魔しました。こちらは初めてのお店で間違いないようです。女性の名を持つ酒場というのは少なからずありますが、どうも警戒してしまう。特に深い理由をもって名づけたわけではなかろうかと思うのですが、少し穿った見方をすると女性のやってる店であることで客たちの関心と安心を植え付けるのが目的であろうと思われるのです。それは女性という性を活かした少しばかりズルい経営戦略と思えなくもありません。カウンターに5席程、奥には土間から続くような懐かしい気持ちを惹起する茶の間風の座敷席があります。人も良く感じも良い女将さんが出迎えてくれて一安心。お話によるとこの界隈ではかなり古参のお店とのことです。常連さんがカラオケをしきりに勧めるのであるが、丁重にお断り。それなのになぜかわれわれのことをお気に召したらしく何杯もビールを振舞ってくれたのでした。それにしてもお勘定を済ませた後にビール大瓶を3本も追加するとは、確かに一番好きな酒はビールと語っていたけれど、あの小さい身体のどこに収まるのか不思議でなりません。特に旨いものを食わせるとか手頃であるとかいうこともないけれど、こうした田舎っぽさを感じさせるお店というのはそこがあると思い描くだけでほんわかとした気持ちにさせてくれます。そして心がギスギスした時には、実際に赴いて心を穏やかにしてくれるのだから嬉しいことです。ただし、ついつい長居してしまうのがこうした店の持ち味なので、その点は留意が必要です。
2018/03/01
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竹ノ塚に来たのは半年程前のことだっただろうか。その時は夜道を延々と彷徨った挙げ句に訪れることを悲願とする一軒の大衆食堂に物の見事に空振りし、再びここにやってくる機会など当分訪れぬものと思っていました。その位に絶妙に駅からも遠いお店という事です。その食堂の周囲にこれといって目を引く店が他にはないことも躊躇する所以となるのでした。一度空振りした程度でめげていては、酒場巡りや喫茶巡りなどという酔狂は楽しめないことになるのだけれど、やはりさして面白くない町を歩かされるというのは嫌気がさすものです。これまで前もって電話で確認するのが賢明なのかもしれませんが、まずそうはしないのであります。予め差配するのを潔しとせぬなどと気取った理由ではないのだ、単純に電話でのやり取りが苦手であることと電話代がもったいないという世知辛い理由があるだけなのです。という訳で以前からやってる気配を見掛けたことのない「フロリダ」がやっぱり閉まっていてもいちいちがっかりしたりはしないのであります。目指すべき店はそこではないからです。 国道4号に面しているから、車を足代わりにしている方なら目にしたことがあるかもしれません。ぼくなどはもっぱら電車と己の足だけが頼りだから、国道4号が奥州街道、陸羽街道、日光街道、中央通り、江戸通り、昭和通り、東京街道なんて多くの通称があることをつい今しがた知ったばかりなのであります。「松永食堂」はだから駐車場完備のドライブイン的な味わいのお店であります。外観が青を基調にしているのも非常にハイセンスでかっちょいいのです。結構大きめな造りながら、席数は案外少なくて広々としています。写真にはありませんが、小上り席もあってそこでは赤ん坊連れの家族が昼下がりの遅いランチを楽しんでいました。目玉焼きやらウインナー炒めなど酒の肴も揃っているけれど、酒はビールだけのようであります。大人数を連れだって座敷で昼から盛り上がるなんてのもいいなあなんてことを思いますが、ビールだけじゃ厳しいなあ。ていうかここの主人らしき方が結構おっかない雰囲気だから、騒いだりしたら怒鳴られてしまうかもしれぬ。ここは大人しくして呑み過ぎも禁物と節度を持った振る舞いが正解のようです。ともあれ念願叶っての入店はやはり電話などせぬのが肝要であります。無論それを完全否定するものではなく、特に旅先では予約も必須となる場合があると、近日予約することを自己弁護するためあえて伏線を張っておくのでした。 国道を渡った先に「お好焼 食事 飲物」のお店と「ゲームコーナー ピットイン」なんてお店も並びであったりして、さすがに足立区は奥が深い。まだまだ探索の余地がありそうです。
2019/02/12
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園山俊二のマンガは子供の頃からずっと馴染みがありました。でも不思議なことに実作に触れた機会はそう多くない気がするのです。『がんばれゴンベ』や『ペエスケ』といった作品は長期連載であったにも関わらず、そんなに読んだ記憶がないのです。前者は毎日小学生新聞に連載されておりましたが、これはセールスをやっていた母親がバーターにより購読していた時期に読んだだけだし、後者は気まぐれで引っ越すたびに購読紙を変えていた父親がたまたま朝日新聞をとっていた時期に読むことができただけでした。むしろぼくにとっての園山作品とは、『はじめ人間ギャートルズ』と『はじめ人間ゴン』というテレビアニメ作品に偏るようです。というかここまでさも万人の知られたマンガ家であるかのように書いてきてしまったけれど、今の若い世代ー若いってのも曖昧だけれどーには既述のマンガ作品のタイトルすら知らぬ人も少なくないのかもしれません。でもそんな若い世代やそれこそマンガにほとんど接する機会のない方でもある園山氏にまつわる食べ物を示しさえすれば、あゝ、あれは園山氏の発明によるものなのかと膝を打ってくれるだろうと思うのです。そのある食べ物のことは次回送りにさせていただきますが、ぼくにとって親しく感じられる園山氏はお馴染みの藤子不二雄A氏の『まんが道』でとりわけの親愛の情を込めて好漢として描かれる園山氏の姿です。『第二部』にもちらりと登場したかもしれませんが、それよりも『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』では相棒の藤本氏以上に登場しているのではないかと感じられるほどです。園山氏の仲間である福地泡介、東海林さだお両氏の描かれ方を大幅に上回る贔屓振りです。もともとは藤子氏らトキワ荘組の兄貴分であった寺田ヒロオ氏が新漫画党に招き入れたようですが、安孫子氏には園山氏の早過ぎる死は藤本氏のそれに勝るとも劣らないものだったのではないかと愚考するのです。『ギャートルズ 愛蔵版』(全3巻)(中央公論社, 1988)
2021/08/22
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またもや堀切菖蒲園にやって来ました。さすがに駅そばには目新しい酒場もなくなりつつあるので、名所になりきれぬらしい菖蒲園の方に出向いてみることにしました。こちら側は以前も随分散策していて、やはり住宅や大衆食堂などの店舗の名残があるばかりで、さらに歩いたところでこれ以上の出会いはなかろうと期待もせずに歩いていたのですが、ありました。どうしてこれまでこの酒場の存在に気付かずにおれたのだろうという位にオンボロな店舗なのです。一度店先をそっと覗いながら通り過ぎてみますが、日も落ちてきたのに店内は暗いままです。でも土間の暗さの怪しさに目を奪われてつい足を踏み入れてしまいます。 改めて今、考えてみるとこれまで見てみぬふりをしてした理由が分かるような気がします。まず店名が良くない。これまた残念な要素である、それだけはピカピカな内照式の袖看板には「食呑処 おばば」とあります。まず店名が曰く言い難い。なんとも困ったなあという脱力感とはっきり自らをばばあ扱いすることの不信感が同時に、危険信号としてぼくのわずかばかりの危険察知レーダーがビンビン反応するのでした。加えてこれまでは暗くなってからしかここら辺を歩いていなかったので、口開け前の準備中で戸を開け放った状態ということもなかったのです。でも今回は戸は開け放たれていたのです。そして、その中を見てしまったからには入らないわけにはまいらぬのでした。伝統的な日本家屋で未来に向けて残すべき文化遺産だなどというつもりは毛頭ありません。ただ、こうした荒み切った木造家屋で細々とやっている酒場があったことを記憶にとどめるには恰好の酒場です。店に入ると70代と思しき女性が店開きの支度を終えて一服付けています。この女将、新潟の古町で水商売稼業に足を踏み混み、10数年前に居抜きでこの酒場を始めたそうです。どのような縁があって、新潟から東京のしかも堀切菖蒲園に流れ着いたのかは伺い損ねてしまいました。かつては奥の座敷どころか2階の広間で大きな宴席も持たれていたそうです。実際には天井には天袋さえなく、大人一人が2階に上がっただけで天井がたわんでしまうとのことでした。女将さんがここに来てからは、カウンター席には夜な夜な集まる常連さんが付いたものの、ここ数年で雪崩を打ったように亡くなり、実入りは減るし大きな痛手だわよとなかなか厳しいようです。席に着くと支度済みのお通しを2鉢出てきて、まあこれは旨からず不味からずという程度ではありますが、こうした店では酒があって、女将の愚痴をうなずきながらちびりちびりするだけで十分なのです。 もう1軒だけお邪魔しておくことにします。これ以上はそう面白い店もないだろうなと駅に引き返しながら歩いていると「モーブ」とかいう洋食屋風のお店がありました。扉に貼られるお勧め品に牡蠣のグラタンとあり、案外お手頃だったのでちょっと迷って入ることにしました。洋食屋のイメージは一転して、店内はお馴染みの居酒屋風景が広がっているのでした。ママさんだけは少しバタ臭い風貌と物腰で、メニューも洋食屋らしいラインナップもありますが、居酒屋で洋食を出すこともあるのだからまあそれが逆転しただけのようなもの。気のせいか近頃になってあまりうちみたいな店に若い方が来られることはめったにないのよなんてことは言われなくなりましたが、ここではぼくはまだまだ若輩者と認知してもらえるようです。常連の奥様にチューハイを御馳走になってしまいました―そこら辺、ママさんはがっちりしているようで、御馳走になった分も勘定に含まれていたように思われます―。そうそうお通しも洋食屋のこだわりか、ポルシチのようなトマトシチューでありました。念願の牡蠣のグラタンは殻つきのものが3個となかなかのお得さです。しかも最後には差し入れのチョコレートケーキまで振る舞っていただいて、思いがけずにちょっとしたコース料理になっていたのでした。まあ呑むものはいつもと変わらずチューハイなんですけどね。
2016/09/16
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近頃怠け気味で、自身の行動範囲から想定してもそう訪れるに面倒ではない東十条にすら足を向けることがめっきり少なくなりました。といっただからどうしたと自らツッコミを入れたくような文章を書いたのは、2度目の非常事態宣言発令以前のことだったようです。どうにも書くのが億劫で途中で投げ出してしまったようです。続きを書いているのがまさに宣言下の最中でありまして、当時よりもさらに行動に制限が掛かっています。仕事を終えてからだとそれこそ呑み始めた途端に帰る支度をしなくちゃならない。そういう意味ではこの宣言は多くの問題を含みつつも一定の効果を上げているという評価はできるけれど、始める時は及び腰で終える時だけ勇み足となり失政となることは容易に想像されるのです。まあぼくなんかは、案外この時期をさほど苦と感じることもなく凌いでいると思いますが、それだって遠からず以前の日常が戻ってくると心の底では思っているからだと推測されるのです。 ってそうこうしているうちにも「小料理 おばこ」は閉店してしまっており、店舗の痕跡すら留めておらぬのでした。今ならストリートビューでかつての内装を眺められるかもしれぬので、興味のある方は探してみて頂きたいけれど、外観の淡白さに比して内装がぐっとシックなのです。その逆にお向かいにあってかつて一度だけお邪魔していた「チャンコ鍋 ホルモン焼 大龍」は、外観の寂れたというか簡素な雰囲気に惹かれるものの店内は至って穏当な景色であったわけで、といっても久々で記憶も曖昧だしやはりこの外観を見ると看過できぬのでありました。まあ、余り記憶にない位だから過度の期待をしなければ、女将さんの親し気な接客振りに身を任せるのも悪くないのです。こちらはそんな明るい女将を慕ってなんだろうなあ、女性客が大半を占めているのであります。というかこの夜は他のお三方は皆さん女性で連夜のごとく顔を合わせておられるようです。あら珍しいこと、若いお客さんがいらっしゃるのねえといちいち声を掛けられ、その度にいやいや全然若くないですよと答えるのがちょっとばかり煩わしいのでありました。チャンコ鍋やホルモン焼はご主人がお亡くなりになってから取り扱いはやめたようで、出せる肴はごくありきたりのものばかりです。でも簡単なものでちっとも構わないのであります。こんな時期でありますから、落ち着いてゆっくり静かに語らいつつ呑めさえすればそれで満足なのです。いやいやこんな時期に限らずいつだってこういう酒場が良くなってきました。旨い店とか安い店とかばかりもてはやされるのも分かるけれど、こういう店が今後貴重になるのだと思うのです。
2021/02/15
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以前のように貪欲に酒場巡りをしていた頃は、じっくりと腰を据えて呑むといった姿勢が大いに欠如していたように思います。一目惚れがロマンに過ぎないとまでは思わないけれど、大概の場合、一目惚れというのは願望していたものが実在したと勘違いするような感情に過ぎないんじゃないかなあ、なんて思ってしまうのです。内田樹もどこかでこんなことを書いています。「一目惚れ」というのは、「今会ったばかりの人」のことを「ずっと前から会いたいと思っていた人」だと信じ込むことですよね。この人とは「いつか出会うことを運命づけられていた」というような不思議な既視感を味わうことですよね。 相変わらずの内田節で上手いこと言ってるなあって感じが若干鼻につきますが、もっともらしいですねえ。全くの不意打ちのような真の意味での一目惚れがないとまではぼくは思わないけれど、でも大部分がこんなかんじなんじゃないだろうか。とここまで一目惚れについて愚図愚図と述べてきたけれどよそ見しながら書いていたので、どうしてこんな話題を語ったかすっかり失念してしまいました。なにせ今回取り上げる酒場に対して一目惚れしたって訳ではないからねえ。でもまあ好きとか嫌いとかっていうのは、一度経験しただけで判断すべきではないものであって、幸か不幸か一目惚れしなかった今回の酒場に、仮に再訪する機会があったとしたらその時はもしかすると大いに気に入るといった事態に至るかもしれません。 今回お邪魔したのは大塚の「お料理 銘酒 あら井」です。酒場放浪記でも取り上げられていたのですね。この夜は3名で呑んだのですが、その一人が第2だか第3だかの人生を踏み出した記念すべき日であったので、ちょっと落ち着けそうな店で呑みたいと思ったのです。大塚で落ち着けそうな酒場って思い浮かべてもなかなか浮かんできません。少なくともこれまでお邪魔した大塚の少なくない酒場で好きな酒場はあっても落ち着ける酒場があったかといえば、記憶を振り絞ってみてもなかなか思い当たらないのでした。それでも大塚サンモール商店街には数軒、候補となる酒場があります。それもこれまで何度となく暖簾をくぐろうと思いつつ、果たせていなかった酒場だから都合がいいのです。というか実はここを決めるまでとうの昔に訪れていたものとばかり思っていたのです。これも一目惚れではないけれど、既視感と同じようなものなんじゃないかなあ。さて、雨脚が強くなってきたのでいそいそと店内に入るとすでに4名の高齢者グループができあがっていました。うち一人が女性だったのですが、あとの男性3名は皆、彼女に惚れた連中じゃないかとも思えたのです。そうでもないとこの顔合わせはなかなかなさそうですから。取り急ぎ店のオヤジさんにビールを注文すると、お通しを用意してくれます。急に寒くなったので吸い物付きなのは有難いですねえ。お腹が温まって胃腸が活性化するような気がします。肴のメニューは控え目ですが、火を通した魚介料理が多いのは助かるなあ。刺身も無論好きですが、そんなに量は食べられないのです。そのうち常連さんがやってこられて、オヤジさんがご機嫌になられました。よほどこのお客さんのことが好きなんだろうなあ。こういう酒場って店の方に好きになってもらったらきっと大いに楽しくなるんだろうなあ。そんな関係が築けて初めて本当に好きとか嫌いとかを語るべきなんだと思うのでした。
2025/11/10
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あちらこちら散歩していてもいわゆる純喫茶と称するような喫茶店を見掛けることが少なくなりました。それでも東京下町方面にはまだまだ多くの喫茶店が健在していますが、東京の山手線西側になると事前に調べをつけていてもその多くが取り壊されたり、廃墟となっていたりします。 そんな寂しい中でなぜだか駒込には渋い喫茶店やユニークな喫茶店が残されています。休日昼間のこの街を歩くと駅周辺には数多くのカラオケ店があって、地元のおじちゃん、おばちゃんが集っている姿を見かけることからも、地元の店を大事にするという意識が強く感じられ、喫茶店の存続にも大きく貢献しているのだと思われます。 「純喫茶 Rio」など本格派の喫茶店がある一方で、喫茶店兼スナックといった店も多くあって、うっかり入ってしまって、げんなりすることもありますが、これから紹介する二軒はいずれとも異なる独自の世界観をもった喫茶店です。 一軒目は「喫茶 シャルル」です。駒込の居酒屋は随分通いつめていて、居酒屋がもっとも集まるのがアザレア通りでやはりこの通りも頻繁に通過していたのですが、つい最近までこの喫茶店の存在に気付かずにいました。こんなに派手で目立っているのにこれまで認識できなかったのが不思議なくらいの存在感があります。外観からもその特異さは明らかですが、店内の独自の美学に貫かれたケバケバしいまでの装飾っぷりにはひとしきりあっけにとられること必至です。ヒョウの剥製やら数々のオブジェにも事欠かず、店主はいったいどんな人かと訝しむ向きもあるかと思われますが、これがまったくもって普通の御婦人なのでした。値段はやや高くはありますが、この空間を楽しめる人にとっては高くはないと思います。 二軒目もまたアザレア通りにありますが、まったく意識せずに歩いていると通り過ぎてしまうことでしょう。焼肉店の外に置かれたスタンド看板に「喫茶 ひまわり」とあります。2階に向けての階段を上ると彫刻等がディスプレイされているのがガラス戸越しに見えており、案外シックな喫茶店ではないかと期待が高まります。店内に入ると「お疲れ様~」の声。なんだか喫茶店に入ってこの言葉は新鮮というか、意表を突かれます。しかも店内はもともとはキャバクラだったのではなかろうかと訝ってしまいます。メニューもないので、コーヒーをオーダーするとなんと驚くべきことにバナナとゆで卵が当たり前に付いてくるのでした。しかも塩は高級品のヒマラヤンソルト。たまにビスケットやクッキーなどを付けてくれる店もありますが(先述の「純喫茶 Rio」ではバウムクーヘンが付いてきました)、バナナとゆで卵はびっくりでした。三河島の名喫茶「喫茶 ふじ」でもコーヒー:250円を頼むとトースト半枚とゆで玉子が付いてきましたがやはり特異なサービスと言っても過言ではないのではないしょうか。 さすがにこうした喫茶店は慣れていたとしてもそれなりの緊張感を強いられたりするため、図太い神経の持ち主以外には立て続けで訪れることはお勧めできませんが、刺激の足りない日々を送られている方には楽しめるお店かもしれません。
2012/06/16
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つい昨日にこの旅レポもどきは原則として時系列に沿った報告をしていると書いたそのそばではありますが、早速例外となることをお許しください。伊豆急下田の喫茶巡りを終える頃には昼も近くなり、朝から飲み物以外、口にしていないので―って大体平日は朝昼と食べていないのだから、別に普段と変わらぬはずですが、休みの日、とりわけ旅の最中はモーレツな空腹を覚えるもののようです―そろそろ固形物を口にしたくなってきました。無論、そのお供に飲料もあると、実際にはそう自由でもないけれど、それでもいくらかの開放感というか特別感が気持ちの奥底から湧き上がってくるものです。 そういうことで、伊豆急下田駅から少し離れた点々と商店のある、それでも恐らくここが中心地であろうと思われる場所に「温州軒食堂」はありました。素敵な屋号のお店で見た途端に好きになってしまいました。ごくありふれたと言われるとまあそれまでの話ですが、この何でもない感じが実に郷愁を呼びさまされるのは年のせいでありましょうか。店内もいたって普通でありますが、このごく当たり前な雰囲気が世の中から奪い去られようとしているのだからなんと寂しいことでしょうか。まだお客さんはいません。ビールをいただくことにします。そして、何度でも言いますが、ぼくはラーメンかカレーがあれば昼は事足りるという安上がりというかお子様舌の持ち主であります。なのでカレーライスを注文。S氏にしつこく占いをやるよう迫ったのだけれど、互いに吝嗇の癖が身についており、ネタとして悪くはないけれどそんなものに投資するだけの気概は持ち合わせていないのであります。カレーもまたごく普通に美味しくて、はっきり言ってしまえばぼくの手作りの方が常套かどうかと言えばずっと上等な味に仕上がるはずでありますが、こうした庶民的な味わいというのはなかなか出そうと思っても出せるものではないのであります。一部の好事家の好む黄色いカレーライスなんかも自宅で模倣を試みるのだけれどどうにも成功した試しがなく、むしろ白い飯に掛けてしまって取り返しもつかずに持て余すことが何度かあったものです。そんな他愛ない話をするうちに列車の時刻が迫ってきたので、慌てて勘定を済ませて駅に急ぐのでした。 その先、伊豆急行や伊東線のいくつかで途中下車をしたり、東海道線で新蒲原駅に向かったり、そして御殿場線で御殿場駅そばの酒場に立ち寄ったりもしたのだけれど、それは後回しにします。この夜の宿泊地、三島でホテル近くで営業していた数少ないお店が中華食堂であったから、食堂繋がりという理由だけで、時系列を無視することにしたのであります。三島には古い食堂があちこちに残っていて、何度か書いていますがやはり三島にも数年暮らしたことがあって、その頃は呑み歩きするという趣味もなかったのでこの「酔虎伝」なんて店も何度となく通り過ぎているはずだけれど、やはり入ったことはなかったのでした。入るどころかその存在すらスルーしていたけれど、きっと当時からこのお店はあったはずで、それは写真からも汲取っていただけるものと思います。昔はこんな感じの中華食堂はそれこそ駅から外れたらどんな町にだってあったものですが、今ではそれは中国人による中国料理店に取って代わられ、希少な存在へと移り変わりつつあります。時代の趨勢というよりは世継ぎの問題が斯様なお寒い現況を生み出しているのでしょうが、寂しいと愚痴るだけでなんの助けもできぬのが歯がゆくもありますが、致し方ないことでもあります。店内は外観以上の寂れっぷりで深夜であったこともあり、お客さんもほとんどいません。われわれと同様に遅い夕食―って散々呑み食いしているのだけれど―を取りつつ、〆のビールという方の後姿を眺めやることももはや残り時間少ないのかもしれず、思わず感傷的な気持ちになります。そんな気持ちはさておきやはり中華丼はどうしたって旨いのであります。自宅でこしらえても上品すぎてここまでの満足感はどうしても出せないのです。三島にはまだまだ味のある食堂があるので今度はじっくり腰を据えて呑みに行きたいと思います。閉店してしまった「食堂 富士屋」(<a href="https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220501/22012370/">食べログ</a>)に行きそびれるような失態は繰り返したくないので、なるべく早く実現できればいいのですが。
2018/03/19
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先般、大井町で呑んだ際の報告をアップロードした際に、今行っておかねば永遠に後悔してしまいそうな酒場があるなんてことを書いて、そんな大袈裟なコメントで告げた酒場のことをズバリと猫またぎさんから的中されてしまい、今さら改めて報告するというのもなんだか間が抜けていてこっぱずかしいのでありますが、特にどこがどうすごいというわけではないのだけれど、そこがやはり沈黙を保ったままに投げ出すには惜しいような好きにならずにはおられない酒場だったものだから、こうして臆面もなくやはり報告することにしたのであります。 その酒場は、それこそ何度となく通り抜けていたはずなのです。というかかつてのぼくが最も足繁く通ったであろう映画館のひとつである大井武蔵野館から劇場前の路地を30秒歩くか歩かぬかといった位置関係であろうか。その先にあるコンビニで安パンを2つほど買い込んで3本立てを見るということが数え切れぬ程したという記憶があるからそれこそ「大衆酒場 寿々山」前は、嫌になる位に歩いていたはずです。しかし、今になっては取り返しのつかぬことだし、当時のぼくにとっては映画こそが至上の興味の対象であったわけで、そのことについては後悔はしていないつもりであります。さて、写真では良く分からぬかもしれませんが、この酒場は緑のテントの庇が独特のニュアンスを店にもたらしていて物珍しいと同時にその潔い位に無駄を排した構えに好感と期待が高まります。店内も至って素朴な造りとなっていて、むしろスッキリし過ぎで描写の意思すら放棄して、これぞ居酒屋の神髄であり、居酒屋はこうでなくてはならぬというお手本であるとすら言い切りたくなるのです。肴も至ってシンプルかつ少数精鋭の王道の肴で勝負しています。300円だったかのにら玉がまたこれこそ酒場で出される最高峰のにら玉であると言い切りたくなるのです。実のところそれほどたびたびにら玉を注文してはいないし、ここでも単に手頃であったことが注文の理由なのだからやはりかなり出鱈目な発言ではあります。、このにら玉だけでこの酒場の肴は居酒屋として随一であると言い切ってしまうのはやはり無理があるか。でもそれでもなおこの安い肴で呑む酒はしみじみと旨くて、大井武蔵野館のレイトショーを終えた後にこの酒場でにら玉を肴に呑めぬことはやはり悔やんでも悔やみきれぬのでした。
2018/03/20
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居酒屋編につづいては喫茶編をお届けします。喫茶店の魅力を意識しながら訪ね歩くという意味においては,居酒屋と同じく大阪もほとんど未知の領域です。大阪の喫茶店に思いを馳せると幼い頃の記憶が蘇ります。 平成24年に定期運行を中止したという寝台特急 日本海で両親が出身地に帰省する際に伴われたことです。大抵の場合,早朝に出発し,和歌山から阪和線に揺られて天王寺駅で下車します。そして,天王寺駅のそばの喫茶店でモーニングサービスをもらいました。この喫茶店でのモーニングこそがぼくの喫茶店における原風景のような気がします。その後,天王寺動物園や通天閣などで夜まで遊びまくりました。しかも夜には大好きな寝台列車に揺られるのです。このぼんやりとした記憶はいまとなってはなんて贅沢であったことでしょう。二等寝台でひとしきりはしゃいだらそのままストンと眠りに落ちるなんて,今から思うと過去の自分に怒鳴りつけたくなる気持ちになります。まあ,今の自分なら流れ去る夜景を眺めながら,酒を飲んでやはりストンと眠ってしまうと思われるのであまり成長していないのかもしれませんけど。 ともあれ,大阪には東京とはまた趣を異にした味わい深い喫茶店がたくさん残されているようです。その一端でも垣間見れればと思い,いそいそと駆けずり回りました。酒場編では基本的に時間軸に沿って紹介しましたが,喫茶編は地域別に紹介したいと思います。 まずは高速バスの到着地である梅田を中心に訪ねます。バスを下車してすぐにあったのは,酒場の「大阪屋」ですが,やはりここからすぐの新梅田飲食街にある「珈琲通の店 ニュー yc 直営店」に入店します。まだ6時を過ぎたばかりなのに広い店内はほぼ満席状態で,従業員のみなさんはてんてこまいされています。400円のモーニングセットは,トースト(バターorジャム)+ゆで玉子+サラダ+ドリンクとお得ですね。これこそ子供時代に親しんだモーニングだと夜行バスでぐったりしていたのがとたんに元気いっぱいの気分になりました。大阪人は酒場も好きだし,粉モンも好きですが,実は何よりも喫茶店が好きなんじゃないでしょうか。岐阜県が住民一人当たりの喫茶店軒数が日本で第1位ということを聞いたことがありますし,愛知県民も好きなようですが,大阪人もぜんぜん喫茶愛では負けていないなあと感心しました。 阪急百貨店の東側には新御堂筋を挟んで6つの商店街があり,総称は阪急東通商店街と言うようです。いずれも居酒屋をはじめとした飲食店や風俗店が立ち並ぶアーケードの薄暗い商店街ですが,色使いもケバケバしいド派手な看板に猥雑さ,いかがわしさも加わり,なんとも大阪らしくまったく飽きさせません。4つもの巨大な百貨店がせめぎあい,優雅に観覧車も回るすぐそばにいきなりディープな商店街があるのも大阪だなあとつくづく感心させられます。そんな梅田から数分の場所にある阪急東中通商店街を歩くと見つかるのが「喫茶 マヅルカ」です。木枠に透かしガラス,レースのカーテンが掛かる古い扉を開くとカウンターだけの小さなお店です。一軒家の喫茶店でテーブル無しというのはこれまで出会ったことがないかもしれません。古いけれどもきたなくない店に出会うと店の人の愛情を感じて感動してしまう,そんな店でした。この店の店主は思いがけず若く,丁寧にコーヒーを入れてくれます。こんな喫茶店で毎朝を迎えられたらさぞ幸せでしょう。 梅田ではまだまだ数多くの素敵な喫茶店に出会えたので,次回に続きます。 ところで写真が横になってます。ごめんなさい。
2012/05/23
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