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今年度の年末年始、私は東京の両親のもとへ帰省しました。両親と様々なジャンルの話をしたのですが、両親の結婚から2年後に「ベルギーで深刻な群衆事故があった」と父から聞かされました。 2022年6月19日の日記(父の日を迎えて) その群衆事故は1985年5月29日、ベルギー・ブリュッセルのサッカースタジアムで起こったものでした。 その日は、UEFAチャンピオンズカップの決勝戦がブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで開催されました。対戦カードは、リヴァプール VS ユベントス。その試合開始1時間前にサポーター同士のトラブルが発生。リヴァプールファンの一部がユベントスファンの観戦エリアを襲撃しました。この襲撃から逃れようとした多くの観戦客が壁際に押し寄せたために将棋倒しとなり、39人の観客が死亡した事故です。 両親は当時、ベルギーのアントワープ州に住んでおり、時折サッカーのテレビ中継も見ていたそうです。私と弟が生まれる前の話ですが、両親にとってベルギーで発生した事件の中で最大級にショックな出来事だったに違いありません。
Jan 29, 2025
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こちらも、アニメ「BanG Dream! Ave Mujica」第4話についての日記です。 祐天寺にゃむのキャラ描写についてです。 音楽番組の収録から帰宅。収録中の他のメンバーの態度への不満をぶちまけていました。 そんな中、実家から電話がきました。 にゃむち「おかーちゃーん!」 母「元気の無かね。どぎゃんしたと?」 にゃむち「どぎゃんもこぎゃんも無か!東京で絶対チャンスば掴もうと思うとったばってん、ほんなこつ、天才ばっかで」 母「そぎゃんね」 にゃむち「そう。今日の収録もむーこばダシにして話そうとしたばってん、全部持ってかれてしゃべれんくなったー」 母「あら、まぁ」 にゃむち「だけんね、いつもは肥ゆっけん飲まんばってん、いっちゃん太かラテば買うてきたとたい!」 母「心配せんでよか。『にゃむ』は若い麦って書いて『にゃむ』と読むけんね。明日のにゃむは、もっと強なっとるばい」 まさかのコテコテの九州弁(熊本弁)でした。 東京から福岡県北九州市に移住して6年の私でも「???」となる表現が多かったです。 北九州市ではそんな喋り方、せんちゃ! 言語学的に「九州弁」は3つのグループに大別されます。 (1)肥筑方言 博多弁、熊本弁、長崎弁など。 東京の人間が「九州弁」と聞いてイメージするのは、だいたいこの肥筑方言です。アニメの世界でも「九州出身のキャラクター」というと、博多弁や熊本弁のネイティブスピーカーが多いです。 (2)豊日方言 北九州弁、大分弁、宮崎弁など。 「~~せないけんけ・・・」 「自分でなおしちゃり」 「しゃあしいっちゃ!」 令和の私が日常生活で一番よく聞く方言。でもアニメの世界での登場回数はとても少ない。 (3)薩隅方言 鹿児島弁(薩摩弁)など。 西郷隆盛のイメージが強いのは気のせいか。 (参考) 私が北九州市で教師として働き始めたばかりの頃、 「新しいプリントば配るけん、後ろに回しんしゃい」 と生徒に伝えたら、 生徒「先生、この地域(北九州市)ではそういう言葉、使わないよ」 と、笑われました。
Jan 26, 2025
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1月24日にアニメ「BanG Dream! Ave Mujica」第4話を、U-NEXTで視聴しました。私はそれを見て、強い違和感の連続でした。 前回(第3話)までの睦といえば、 ・引っ込み思案 ・両親が芸能人であることにコンプレックスを感じている というキャラ描写が印象的でした。 しかし第4話の睦は・・・、 ・とてもおしゃべり。音楽番組の収録でも饒舌。 前回までの引っ込み思案なお前はどうした?という違和感の塊を私は感じました。 「でもこれはこれでいいかも」と思った場面もありました。 前回までの「解散だ!」だとか、ギスギスした雰囲気が一気に解消されたように見えます。打ち合わせでも、祥子以外のメンバーが打ち解けて会話を楽しむ場面を見ていると、当初のイメージ図とは違うけど、これはこれでいいかも・・・と感じさせるものもありました。 そう思っていた瞬間がありました。 しかし、Ave Mujicaが地方公演で博多に遠征した際に事件が起こりました。 睦「ギター、要らな~い」「だって、ギター弾けないし」 私は「こいつ、ふざけてんのか」と思いました。 睦の言動を受けて、発起人の祥子はブチギレて、マリンメッセ福岡の外で大ゲンカしました。その際、 睦「睦ちゃんは死んじゃったよ」 ・・・恐ろしい事態になったと感づいた時、すでに遅し。 睦の多重人格が疑われ始めたのです。 「最狂のアニメ」というキャッチコピーとは、このことだったんだ。 Ave Mujicaの物語が平穏に続くはずがない、と確信してしまいました。 第4話「Acta est fabula.」 ラテン語で「物語は終わった」という意味です・・・。
Jan 25, 2025
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阪神・淡路大震災の発生から今日で30年が経過しました。あれから30年という長い年月が経過していることに、驚きを隠せません。 発生から8日後の1995年1月25日の神戸新聞に、地元・神戸市出身の小説家、陳舜臣(1924~2015)の記したエッセイが掲載されました。 引用元:ネットミュージアム兵庫文学館 「神戸よ」 我が愛する神戸のまちが、潰滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。 私たちは、ほとんど茫然自失のなかにいる。 それでも、人びとは動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに答えようとしている。地の底から、声をふりしぼって、答えようとしている。水害でも戦災でも、私たちはその声をきいた。五十年以上も前の声だ。いまきこえるのは、いまの轟音である、耳を掩うばかりの声だ。 それに耳を傾けよう。そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。 地震の四日前に、私は五ヶ月の入院生活を終えたばかりであった。だから、地底からの声が、はっきりきこえたのであろう。 神戸市民の皆様、神戸は亡びない。新しい神戸は、一部の人が夢見た神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。そんな神戸を、私は胸に抱きしめる。 (終わり) 私はこの30年前の文章にじーんときました。心に来るものがありました。 先人たちの、「この町を、未来を諦めない」という気持ちを忘れずに残したいです。 1・17を忘れない。がんばろう、神戸。
Jan 17, 2025
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今年に入って放送・配信が始まったアニメに、「BanG Dream! Ave Mujica」があります。その主要キャラクターに、若葉睦(わかば・むつみ)がいます。 Pixiv百科事典より ・住所は東京都世田谷区成城。 ・両親は共に芸能人。父はお笑い芸人、母は女優。 ・学校は、月ノ森女子学園(作中ではお嬢様学校として知られる)。 でもお笑い芸人の父と女優の母なんて、なんかよく似た夫婦を現実世界で聞いたような(藤原紀香&陣内智則の元夫婦とか)・・・。いずれにしても両親ともに著名な芸能人だと、友達関係では大変な思いをするでしょう。 睦は中学時代からバンド活動をしていました。親友の豊川祥子が主導して作ったCRYCHICというバンドに入ったものの、CRYCHICは解散。しばらくして睦は高校生になり、祥子が作ったAve Mujicaに加入しました。 今思えば、Ave Mujicaに入ったことが、睦にとって人生の大きな分岐点でしょう。睦本人は「芸能人の娘」として注目されることを全く望んでいなかったのです。それにもかかわらず・・・。 「Ave Mujica」の第1話の終盤にて、メンバー全員の素顔が明かされてしまいます。バンドの世界観や哲学を全く理解しようとしなかったにゃむち(祐天寺にゃむ)に、私は怒りを覚えました。 ああ、プロスポーツの世界でも言われるけど「どんなに優秀な選手であっても、そのチームの哲学に合わない選手は要らない」という考えは理解できます。 閑話休題。睦はにゃむちによって正体をバラされたことで、世間からの見えないプレッシャーに苦しめられます。芸能人夫婦の娘として、過度に期待されるようになってしまったのです。 私は強い違和感を覚えるようになりました。 作中の外野は、睦のことを「女優・森みなみの娘」として見ています。でも、睦のことを、等身大の高校生・若葉睦として見る人は、ほとんどいませんでした。私は彼女の置かれた境遇がとても辛そうでした。 私は教師として働く中で、兄弟そろって教え子・・・というパターンがありました。私はその場合、「〇〇君の弟として」ではなく、「△△君として」見ることを心掛けました。色眼鏡でその生徒のことを見るのを恐れたからです。 F1ドライバーを見ててもそうです。 ミハエル・シューマッハーの息子はF1では大成しましたか? 答えはNoでした。 でもF1ファンである私は彼のことを「ミック・シューマッハーとして」ではなく、いつの間にか「ミハエル・シューマッハーの息子として」見てしまっていました。 私、本人の人柄を見てほしい。 それが、若葉睦の願いです。
Jan 10, 2025
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東京の両親の家で1週間お世話になりました。冬コミを訪問したり、大山阿夫利神社に参拝したり、両親、弟夫婦、甥っ子と一緒に食事ができたりと、実りの多いお正月休みでした。 私はこの日、新幹線で北九州市に戻りました。 品川8:37発、のぞみ17号(博多行き)で帰還しました。当初は飛行機の予定でしたが、気が変わって急遽新幹線での移動となりました。それにしても品川~小倉間は4時間36分。「ずっと列車で移動」と我慢しようとすれば我慢できる所要時間になりましたね。1975年の山陽新幹線全通当初は、東京~博多間は約7時間でした。50年前と比較すると2時間以上の時短です。技術の進歩の凄さを感じます。 参考サイト:新幹線の最速所要時間の推移 ちなみに東京滞在中、私が一番驚いたことは、冬の東京の日の出・日没の時刻がとても早いと感じたことです。元日の日の出・日没の時刻を比較すると・・・、 2025年1月1日の日の出・日没の時刻。 福岡市 (日の出)7:22 (日没)17:21 新宿区 (日の出)6:50 (日没)16:38 福岡県が西に位置していることもあり、福岡の方が30分以上タイミングが遅いです。 私が北九州市に移住してもうすぐ6年です。北九州市での日の出・日没のタイミングに慣れてしまいました。そのため、東京での感覚を完全に忘れていました。
Jan 3, 2025
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明けましておめでとうございます。 Frohes neues Jahr! 本年も当ブログをよろしくお願いいたします。 元日の今日、私は神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社へ初詣に出かけました。5年ぶりの大山での参拝になります。 世田谷区から小田急線、神奈中バス、大山ケーブルを乗り継ぎ、大山阿夫利神社(下社)に到着です。 元日、初詣にしてはこれ以上ない素晴らしい天気(快晴)でした。 2025年、みんなが明るく過ごせますように。 せっかくの快晴なので、参拝を終えた後、もっと素晴らしい景色を見たいがために、登山することにしました。 午後2時から登山開始。こんな時間に登山を始めること自体、間違っていますが。 だいたい標高900メートル地点からの景色。 江ノ島、房総半島も見えます。これだけでも雄大な景色です。 結局、28丁目のうち半分を過ぎた地点で途中下山してしまいました。 2025年の私は、堅実に、自分を成長させる物事に取り組んでまいります。
Jan 1, 2025
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