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2012.01.08
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~筑摩書房、1991年~


『ハーメルンの笛吹き男』 などの著書で有名な、阿部謹也先生(1935-2006)が平易な文体で記した、西洋中世の男女の関係を分析した一冊です。
 歴史のなかの女性にクローズアップした分野というと、「女性史」という言葉が思い浮かびますが、阿部謹也さんの次の指摘は興味深く、自分のなかで反省する点もありました。
「私は歴史のなかに、人と人の関係のあり方とその変化を探ろうとしていました。その立場からすると、女性史はありえないのです。あるとすれば、男と女の関係の歴史なのです」(3頁)
 まず、本書の構成を掲げておきます。

ーーー
まえがき

第一章 『緋文字』の世界
第二章 古代・中世の宇宙観のなかの男と女

 ローマ人の男女関係
第三章 聖性の形成・解体と聖職者・女性
 ユダヤ教と男女関係
 初期キリスト教と男女関係
 聖なるものの変質
第四章 聖なるむすびつきとしての結婚
 ゲルマン人の結婚
 教会に管理される結婚
 贖罪規定書から
第五章 娼婦たちと社会
 娼婦の位置

第六章 中世の男と女にとって愛とは何か
 聖性の呪縛の下で
 個人の誕生

あとがき
参考文献


 ここでは、本書のなかで特に興味深く読んだ点について、メモをしておきます。

 まず第一章での、ヨーロッパの文明と、ヨーロッパの文化の違いについての指摘。阿部先生は、高村光太郎の詩と手紙を引用しながら、その二つの違いを説明します。前者は、たとえば「パリは珍しくもないような顔をして人類のどんな種族をもうけ入れる」という詩の一節からもうかがえるような、私たちが理解しやすい一面。一方で、「僕の身の周囲には金網が張ってある[……]駄目だ、早く帰って心と心とをしゃりしゃりと摺り合せたい」とい手紙の一節からうかがえるような、私たちとは異質の部分です。これを阿部先生は、「ことばの背後に感情がこもっているような、そして具体的な事物のなかで育ってきた人びとの文化」と言っています。
 文明は理解しやすいけれど、文化は理解しがたい。そしてその文化の次元に入っていかなければ、ヨーロッパというものは理解できない、と言います。
 本書は、男女の関係という面から、ヨーロッパの文化を理解しようとする試みです。
 また同時に、第一章ではヨーロッパと日本の比較が簡単に行われています。そこでなされている「日本には文明がない」という指摘、その具体例の列挙も、納得しつつ、また寂しい気持ちで読みました。

 第二章から第四章を、簡単に整理します。
 ローマ時代、性的な関係の規制は、倫理的な基準をもとに行われたというよりも、社会的な配慮(社会的身分の維持、人口増加=そのためには離婚も許容される、など)から行われていた、と指摘されます。
 他方、キリスト教は、離婚を認めません。また、初期には、性的な関係を絶つ禁欲主義が強く、オリゲネスという学者のように、自ら去勢する者もいました。たとえ子供ができなくても離婚が許されないということ、この点がローマ時代との決定的な違いと、阿部先生は指摘します。
 また、初期キリスト教の時代には、まだ聖職者身分がかたまってきておらず、禁欲的、模範的な生活を送る者は、聖性を担っていました。
 しかし、次第に聖職者の階層が整備され、また修道士という集団も現れるにつれて、聖性を担う集団が限定されていきます。
 そしてその教会が、性的な営みを規制するような規則や告解の手引きを整備していきます。これを阿部先生は、「聖性の呪縛」と呼んでいます。

 なお、第四章で挙げられているヴォルムス司教ブルヒャルトによる贖罪規定書(『教令集』第19巻「矯正者・医者」)は、同じく阿部先生の『西洋中世の罪と罰―亡霊の社会史―』に抄訳が、野口洋二先生の 『中世ヨーロッパの教会と民衆の世界』 に全訳が収録されているので、日本語でも手に取りやすい史料となっています。
 また本書には、その贖罪規定書の規定を整理したブランデージという研究者の業績にもとづいて、性的交渉をいつ禁止され、いつなら可能なのか、というチャートも掲載されています。厳しい規制ですが、フランドランという学者( 『性と歴史』 『農民の愛と性』 について記事を書いています)は、そうした規制が11-12世紀には守られていたのではないか、と考えているそうです。

 第五章は、都市のなかの娼婦の位置をみています。都市のなかでは、娼婦は重要な役割を果たしていたという指摘や、娼婦の収容施設が作られ、教皇もそれを承認していくということなど、興味深い点が多いですが、ここでは詳細は省略しておきます。

 第六章は、本書の山場だと思います。
 有名な学者アベラールと、彼が恋をして家庭教師に行くことになるエロイーズとの往復書簡の分析から、 12世紀頃に「個人」が誕生したことを指摘します。
 二人の往復書簡に、阿部先生は重要な部分を引用しつつ、分かりやすく解説を加えていきます。
 アベラールは教育という口実のもと、エロイーズと愛を深めていきます。そして、エロイーズの妊娠。ここで、アベラールは、結婚をしようと動きつつ、しかし、自分の名誉が損なわれないように、それを公にしないようにと条件をつけます。このあたりから、二人の不幸がいよいよ深まっていく感じです。
 なお、「自分の名誉を損なわないように」というところが、阿部先生のいう「聖性の呪縛」のもとにある考え方です。理想となる古代の学者(教父ヒエロニムスの名が挙げられています)たちは、結婚をしていない。それが理想なので、学者である自分が結婚するというのは、不名誉だと考えたというのですね。
 しかし、妊娠について怒っていたエロイーズの叔父であるフュルベールは、二人の結婚を公にします。そこでアベラールは、エロイーズを修道院に入れるのですが、これでさらに怒り、アベラールを去勢することになります。
 その後、アベラール自身も修道士になるのですが、プライドが高く、修道院でももめたりしたそうです。
 …と、これが二人の大きな流れなのですが、特に興味深かったのは、女子修道院長にもなるエロイーズが、当時の修道院の会則である「聖ベネディクトゥス会則」に不平不満を言っているということです。というのも、その会則には男性修道士のことしか規定がない。女性である私たちはどうすればいいのか、というのですね。
 またエロイーズは、アベラールと分かれてからも、二人で交わした愛のことを言っています。妻と呼ばれるよりは、愛人と呼ばれる方が良い、とも。
 二人の書簡を通じて、当時の愛のあり方ともとに、「個性」「個人」の誕生も指摘する本章は、とても面白かったです。

 本書は「~です・ます」体で書かれていて、時に難しい言葉や引用文は易しく説明してくれているので、とても読みやすく、分かりやすいです。
 知的興奮に満ちた読書体験でした。

※私はハードカバー版を持っていますが、ちくま学芸文庫版(2007年刊)の画像はこちらです。





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Last updated  2012.01.08 23:07:56
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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