仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.11.09
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カテゴリ: 仙台
本格的な登山には無縁のため、知らなかったのだが、登山の世界における仙台は、まさに世界をリードする都市だそうだ。

まず、世界的な登山家の槇有恒。明治27年仙台生まれで、二中、慶應義塾へ。昭和31年、未踏のヒマラヤ第8峰、マナスル遠征隊の隊長として、5月9日と11日にマナスル登頂に成功する。

ヒマラヤの8千メートル級の巨峰は13座あるが、最高のエベレストはじめ7峰は既に登頂され、他の6峰は人類を退けていた。8,125mのマナスル征服は東洋人として初めてであるとともに、日本の科学技術と精神力を世界に知らしめた。

この業績で不朽の名を残した槇有恒は、仙台市名誉市民、文化功労者。

マナスルというと、私は記念切手をまず思い浮かべる。カタログで見た記憶があるから。

次いで、世界のピッケル王、山内東一郎について。

登山の世界で「山内ピッケル」と言えば、命を守る信頼度の高い名品である。KS鋼に加えてニッケル・クローム鋼も合わせることで、優れた性能を示し、1936年立教大登山隊がナンダコット峰登頂に使用して世界に認められた。皇太子などにも献上されている。

山内東一郎は、明治23年青森県生まれ。鍛冶屋の徒弟を経て、仙台高等工業学校に就職。学校が東北帝大に吸収されたため、本多光太郎が所長の鉄鋼研究所(現在の金属材料研究所)に勤務。ある時、外国製の登山用ピッケルを見せられて関心を持ち、大正15年大学を辞職して山内鉄工所を開設。優れたピッケルを作り出した。

昭和40年暮れに自宅の火災で仕事場を失い、八木山に新しい仕事場ができる矢先の昭和41年4月4日、76歳の誕生日に生涯を閉じた。自らは名声を求めず、ひたすら鞴(ふいご)を吹き、ニッケル・クロームを打ち続ける名工であった。


 仙台文化出版社『仙台きょうはなんの日』(せんだい新書2)仙台文化出版社、1988年





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最終更新日  2009.11.09 06:57:01
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