仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.05.20
XML
カテゴリ: 東北
赤坂憲雄氏の論説だ。

男鹿半島のナマハゲには、こんな起源伝承がある。漢の武帝が5匹の鬼を従えて男鹿に来た。ある年に一日だけ鬼を自由に放したところ、家畜や娘たちをさらって喰らった。困った村人は、毎年1人づつ人身御供を差し出す代わりに、五社堂まで千段の石段を一夜に築くよう鬼たちに求めた。5匹の鬼は寒風山から石を運び石段を築いたが、999段まで築いたところで村人が一番鶏の鳴き真似をしたため、鬼達は驚き、怒り、傍らの千年杉を引き抜いて逆さに突き立てたが、結局約束を果たさなかった責めを負わされ海に流される。村人は鬼の祟りを畏れて、毎年若者に鬼の扮装をさせて里を訪れ、饗応を受けて山に還る行事を始めた。

ほかにも、難破して男鹿に漂着したロシア人や女真族などの起源譚があるが、ナマハゲは、海辺の集落を舞台にすることが多いにも関わらず、お山から来たと名乗りを上げるのが常で、山中奥深くの異界から出現するのである。

ナマハゲの出自をめぐっては、海と山と、2つの他界観が交錯する。

ところでナマハゲは、簑笠をつけて現れる鬼の一種と思われるのだが、もとは鬼ではないという解釈もしばしば語られる。男鹿のナマハゲには以前は角がなかったというのだ。実際に、男鹿で最古とされる北浦・真山のナマハゲ面(1662年頃)には、角も牙もない。

ナマハゲ系の儀式は、アマハゲ、ナモミハギ、シカタハギ、ヒカタタクリなどの名称で東北や北陸の海沿い地方に、かつては広く分布したという。これらは小正月の来訪神の系譜の中で、恐ろしい邪悪な祟りをもたらす鬼の来訪を主題とした儀式とされてきた。

しかし、男鹿のナマハゲは角がない、かつては鬼ではなかった、ということにこだわりたい。仏教以前からの信仰であり、習俗なのだ、と。

仮面・仮装の神は海上はるかな他界から訪れるというが、宮古島や八重山の来訪神と共通している。柳田国男は『雪国の春』で、八重山と男鹿の来訪神の祭が同一根源であると説いた。ナマハゲのまとう鬼の衣装を剥ぐことだ。善悪二元論以前の、原初的な来訪神信仰として、ナマハゲ儀礼を再構成できないか。

例えば、ナマハゲ祭祀の担い手が若者であったことは何を意味するか。しかも女や子どもには強固に閉ざされた秘密結社的な性格もあった。



■出典
 赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、2009年

■関連する過去の記事
なまはげと東北人の記憶を考える (10年4月27日)
なまはげ事件を考える (08年8月13日)
秋田なまはげは秘密結社か (07年8月13日)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.05.20 06:11:13
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

ななし@ Re:北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(09/10) 『1917年(元和3)年頃の統計では、佐竹藩…
おだずまジャーナル @ Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03) 風小僧さんへ 規模の大きい囲いがあった…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: