仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.07.16
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カテゴリ: 東北
〔前回( 十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源 (2013年7月14日))の続きです。〕

旧十三小学校周辺の領主館想定地区では、領主館の南を区画すると推定される堀や掘立柱建物、井戸などが発見されている。また、十三神明宮周辺の家臣団館想定地区では、南北に延びる中軸街路及び直行〔おだずま注:直交か〕すると思われる道路跡、館にともなうと考えられている堀などが確認されている。

土塁の南側の町屋想定地区では、15世紀前半の中軸街路に面して町屋敷が形成され、それと同じ頃に、畑地も形成されたことが明らかになっている。

江戸時代には、江戸・上方を結ぶ重要な湊であったが、1672(寛文12)年頃、十三湊を経由して、岩木川筋の米を鰺ヶ沢に送る輸送経路である十三小廻(じゅうさんこまわし)体制が確立されると、移出入港としての地位は鰺ヶ沢港へ移り、岩木川舟運と鰺ヶ沢港を結ぶ中継港にかわった。水戸口は、初め明神沼の南西にあったと考えられ、現在の内湖の南端より海に出る狭門(せばと)水戸、現在の水戸口と狭門水戸の中間に古水戸(本多水戸)があった。

十三湊が商港としての役割を終えたのは、近代に入って蒸気船が増加して土砂の堆積で水深が浅くなり、港への船の出入りが困難になったことと、明治時代末期からの十三湊北岸と青森貯木場を結ぶ津軽森林鉄道の開通によるという。

十三山港迎寺 (そうごうじ) 浄土宗 1625(寛永2)年創建、開山は鈍誉(天竜とも)

港栄山願龍寺 (がんりゅうじ) 浄土真宗 1648(慶安元)年、寺の縁起によると1596(慶長元)年、雪典の創建という。

明神沼の南に、 湊神社

檀林寺 (だんりんじ)跡 1160(永暦元)年、藤原秀衡の弟秀栄(ひでさか)が平泉中尊寺に劣らぬ壮大な寺院として建立した霊鷹山(れいおうさざん)檀林寺があったと伝えられている。秀栄は1193(建久4)年にここで死去し、埋葬されたという。2000年以降に一部発掘調査が行われ、寺院跡の存在を裏付ける遺物が出土している。

■参考 青森県高等学校地方史研究会編『青森県の歴史散歩』山川出版社、2007年

■関連する過去の記事
十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源 (2013年7月14日)
十三湊を訪れる (2013年6月6日)
日の本(ひのもと)将軍の安藤氏 (09年1月25日)
津軽安藤氏と北方世界





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最終更新日  2013.07.16 05:56:42
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