仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.04.04
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カテゴリ: 宮城





「東方乃薬師 黒川神社 参拝のしおり」から


【黒川神社御由緒】
 当社の起源は多賀城の鎮守府将軍大野東人の流れをくむ黒川郡三ヶ内城主報恩寺可則(よしのり)が仁和年間(885-889)智証大使(ちしょうだいし)の作になる薬師の像を霊験あらたかな当所にお祀りしたことに始まると伝えられています。
 この薬師像は、永承年間(1046-1053)源義家が東征に際し尊崇して「袖振薬師」と称しました。
 安永年間の風土記(1774)によれば、この薬師像は「功徳山八聖寺」と言われ、黒川郡を領していた黒川晴氏が特に「東方の薬師」と称し崇敬されました。
 明治元年になりますと、新政府によって神仏分離令が発せられ、同5年薬師堂は村社「黒川神社」となりました。
 旧社殿は前出の風土記によれば三間四面の堂宇とあり、現在の社殿は明治11年に起工、同13年竣功されたもので、用材はすべて境内周辺の木材が充てられ、建設当時は本殿・幣殿は木羽葺、拝殿は茅葺屋根でした。

【御祭神と御神徳】
 御祭神は薬師如来と通ずるところから「少彦名命」(すくなひこなのみこと)が祀られています。
 命は『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子で、大国主命の国土経営に助力し、貢献されました。また、医療・医薬・温泉・禁厭(まじない)・酒造の道に優れた神でもあります。
 薬師如来は衆生のあらゆる病気・災難を取り除く役割を担っていたとされ、氏子崇敬者は今もって「お薬師様」とも呼び、家内安全・病気平癒・無病息災・災難防除・商売繁盛・子育て・交通安全・学業成就等を祈願しています。
【仁王尊】
 仁王尊は仏法の守護神であり、寺門の左右に寺門神として仁王像が立てられることが多く「金剛力士像」と言われます。
 向かって左の那羅延(ならえん)金剛は口を開いた「阿形」、向かって右の密迹(みつしゃく)金剛は口を閉じた「吽形」に表されます。《阿吽の呼吸》
 3尺2寸の本尊に対して仁王尊は6尺8寸と大きく、昭和60年解体修理の際に「永享4年(1432)再興勧進」という胎内の記述が判明しました。
 桧の寄木造りで、子どもがその股をくぐると「はしか」が早く治るという言い伝えがあり、無病息災を願う人に親しまれています。
 現在の仁王堂(鞘堂)は昭和60年に建立されたもので、元は本殿に安置されていて明治15年4月より現在の位置に新築された記録があります。
 また、仁王像後方に祀られております十二神将は1尺8寸でやはり智証大師の作と伝えられ、薬師如来の「十二の大願」を護持するための守護神です。


黒川神社は明治以前は「薬師堂」として1200年もの歴史を持っているが、その間火災にも会わず奥の院に当初からの薬師如来が祀られている。明治になって神社になり、薬師如来と一致する少彦名神が御祭神として祀られることになった。(社報黒川神社第24号から)

訪問日2024年4月4日午前
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最終更新日  2024.04.09 15:03:21
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