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2022年04月28日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学
お釈迦様の説法で「 毒矢の譬え 」というものがある。
毒矢が刺さったらまずは抜くことが肝心だ。それなのに、「この矢はどこから飛んできたか、誰が射たのか、毒の種類は、矢じりの形は、誰の責任でこうなったのか?」等を先に知りたがり、「それらが分かるまでは矢を抜くな」という人はいないだろう。それと同じように、解答の証明不能な形而上学的な問いにこだわるよりもまず苦を逃れる修行を優先せよというお話である。

お釈迦様は証明不能な形而上学的問いに対して答えなかった。これを「 無記 」いう。
私はこれをカントの「 アンチノミー 」にそっくりだと考えました。
そのような理解で、これまで何度かブログで取り上げてきました。
今回は少し違う視点から。


主観と客観の話は何度かしてきました。客観で主観を説明することはできない。
主観無き客観は存在しない。故に、主観と客観の対立を解消するには、まず独我論の方法論から入らなければならない。主観優位な観念論で客観を説明するのだ。

するとどうなるか。
客観世界を問う。これは(超越)。自然科学などの扱う分野ですね。(それ)が「何なのか?」を疑う分野です。
主観の内に客観自体は存在するという事実。これは(内在)です。この事実は疑うことができません。

客観事物の質を問うのが超越。(可疑性)
(主観の中にある)客観自体の存在を認めるのが内在です。(不可疑性)



毒矢の譬えの場合、「矢はどこから飛んできたか、誰が射たのか、毒の種類は、矢じりの形は、誰の責任でこうなったのか?」等を先に問うのが超越。
まずは毒矢を抜くことを優先するのが内在ということになります。

だから主観側から客観を説明するのが正しいということになるのですが、これはサルトルの「 実存は本質に先立つ 」と同じなのではないでしょうか?


実存とは現実存在の略です。まあ「今あるこの私」を指すことが多いですが。
意味や質は二の次なのです。

仏教で謂いますと、「それが何か?」の打ち消しが顕教の「空」で、「まず在る」が密教です。具体的には六大の名を含んだ胎蔵界大日如来です。ともかくもこの世界はまずあるのです。六大の名は「質」ではなく、「内在」を言い表した言葉なのかもしれません。





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最終更新日  2022年04月28日 00時51分21秒
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