真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2013年10月28日
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・・・ようやく・・・というべきか、この「秋」の旅日記(26)の熱田神宮~真清田神社編を記した時点で、今春の「春の旅」と今秋の「秋の旅」の関連性が読めてきた。

この「秋」の旅日記シリーズの冒頭から、「秋の旅」は「剣(つるぎ)」がキーワードだと記してきたが、この「剣」を《三種の神器(勾玉・鏡・剣)》の一つとした場合に、陰陽の関係から「剣(男性性)」に対応するのは「鏡(女性性)」なので、「春の旅」は「鏡(かがみ)」がキーワードだと気付いたのである。

そういえば「春の旅」は、《三種の神器》の「鏡(八咫鏡)」を御神体として奉祭する伊勢神宮(内宮)に参拝した経緯もあり・・・なるほど・・・と自分なりに頷けたというわけだ。

☆関連記事・2013年04月05日 「春」の旅日記(11)⇒ リンク

P9240980.JPG

さて上の画像は、「伊吹山」に向かう道中の関ヶ原のあたりで、まるで吸い寄せられるようにして辿り着いた場所で、国史跡〔桃配山・徳川家康最初陣跡〕との立看板のある「桃配山(ももくばりやま・標高104m)」の入口を撮影したものだ。

安土桃山時代に起きた関ヶ原合戦(AD1600年)の時に、家康が最初に陣をしいた場所で、この桃配山の中腹を陣地にしたことで、一日で天下を自分のものにしたと伝わる。

下の画像は、「関ヶ原古戦場」と記された石碑の立つ陣地の跡を撮影したもので、合戦時に家康が使用したとされる腰掛石(画像の左下の石)と机石が今も残っていた。

P9240982.JPG

そもそもこの桃配山は、関ケ原合戦以前の「壬申の乱(AD672年・日本古代最大の内乱戦争)」において、「大海人皇子(後の天武天皇)」が野上行宮から吉野軍を率い、ここ不破の地に出陣して、名産の「桃」を全兵士に配り戦いに快勝したとのことで、その奇縁により「桃配山」とか「桃賦野(ももくばりの)」と呼ばれるようになったそうだ。

繰り返しになるが、その後の関ヶ原合戦にて、東軍の総大将・徳川家康はその故事にならい、ここ桃配山に最初の陣を置き勝利を得たということである。



☆関連記事・2013年04月14日 「春」の旅日記(21)⇒ リンク



この日本国内で起きた二つの大戦における戦勝の陣地となった「桃配山」に導かれ、この地に立って感じたのは、「春の旅」の近畿・東海地区では「聖武天皇」に想いを馳せた旅路だったのだが、この「秋の旅」では「聖武天皇」が慕ったと伝わる「天武天皇(大海人皇子)」の存在であった。

そんな思いが過ぎるなか、その「天武天皇」が編纂を命じたとされる「記・紀」において、日本列島の中心と定められた形跡のある「伊吹山(標高1377m)」へと車を走らせるのであった。





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最終更新日  2013年10月28日 14時00分24秒


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