真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2016年10月31日
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尺間山の八合目までは車道があるので、その八合目から途中400段もの急な階段を経て山頂へ・・・。そして「大入島」と東西軸を形成する「尺間山」の山頂部から、東方にある同島を展望した画像が上である。

まるで弓のような美しき形状の大入島の向こうに、春分・秋分の朝日が東方の海を照らしながら昇る風情を、もしこの地に立って展望できるならば、それはさぞかし荘厳で感動的な景観であろう・・・。



上の画像は、大入島方面から見て真西にある「尺間山」(画像中央の頂)を映したものだ。

この尺間山の山頂部は、遠目から見ても剥き出しの岩場が目立つ貫禄の溢れる山容にして、佐伯市周辺でも屈指の高い山であり、冒頭の画像のように頂上部からは四国や豊後水道を一望することができる。


ところで、現在の佐伯市の大部分は、古くは豊後国の八つの郡のひとつであった「海部(あまべ)郡」の郡域であり、今回の記事で例を挙げた太陽信仰を背景とする軸線の配置から、東の起点となる「大入島」から西の「尺間山」を結ぶ東西軸を基軸とする地域一帯が、古代の豊後国海部郡における中心地だと思われた。

古代において海浜を含む地域一帯を治めた海人族の首長は、領地の主要海浜部に近い島に居を構える例が多かったようで、その古代海人族の習俗から類推するに、大入島に神武伝説が謳われてきた一つの背景をうかがうことができる。

ちなみに最先端の歴史研究によると、古代海人族「海部(あまべ)氏」の本貫(氏族集団の発祥の地)は、この古代の海部郡にあったと推考されており、今回の現地探訪による私的感覚からも、この「大入島」こそ豊後国海部郡における祭政の中心を担った島であり、「海部氏」の一大拠点ではなかったかと感じたところである。

またその歴史研究によれば、豊前国海部郡を本貫とする「海部氏」の末裔には、丹後半島の付根に鎮座する丹後国一宮「籠(この)神社」の宮司家「海部氏」があるとのことだ。





さて上の画像は、佐伯湾内で大入島の北方にある「豊後二見ヶ浦」を撮影したものである。なんでも毎年の3月3日前後と10月10日前後には、夫婦岩の間の中央から日が昇る様子を見ることができるそうだ。

今回の行脚の締め括りとなった、この二見ヶ浦の岸壁を夕暮れ時にじっくりと周遊し、この夫婦岩を結ぶ日本一のしめ縄(長さ65m)を様々な角度から眺めつつ、古代日本を代表する海人族「海部(あまべ)氏」の、永くて深い伝統の息吹を感じたところである。

最後となるが、この記事を旧暦十月という「神有月(神無月)」の朔日(旧暦10月1日)に公開できたことを、とても嬉しく思う今日この頃である。





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最終更新日  2016年11月01日 10時00分57秒


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