私訳・源氏物語

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March 18, 2006
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カテゴリ: 雑感


疲れている、そうです疲れています。
けれどまだ言い得ていません。
心が荒れている、そうです荒れています。
しかしそれだけではまだまだ不十分です。

その奥のもっと深いところで、何が起こっているのだろうと、その度に心の中をかき回して、探る作業をしてきました。

そうして「ことば」をたくさんの篩にかけたあとに残ったものは「わがまま」でした。
自分の思い通りにならない苛立ちや足掻き、自分が理解してもらえない寂しさ、空しさ・・・。

「神」は私にそれを気づかせてはくれましたが、「自己中心」のわがままの池の中に陥ったのは「私」なのだから、自力で這い上がらねばならないこと、或いは底なしの沼から吊り上げてくれるものは「自分」しかいないことにも気付きました。
私が神に、そこからの救いを求めるのは、フェアなことでないように思えたからです。
それに気付いたことは、恵みといえるでしょう。

しかしまた、気付いた人には恵みによって楽になれる、というものではなく、いずれにしても苦しいには変わりがないのですが、だからといって、いつまでも気付こうとせず哀しみの中に浸り、無力なままで、高みに目を向けようとする積極性をもたないことは、もっと不幸なことではないでしょうか。

いつまでも「絶望」という泥沼に落ち込んだままでいない自分、光に向かって能動的に歩み出そうとする自分がいることに気付いた時に、「神の摂理」という大きな希望を見出したようで、勇気がわくのです。





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最終更新日  March 8, 2017 06:49:04 PM
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