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昔、岩波の「図書」の中で、
「忘れられない私の3冊」というようなお奨めの文庫本特集があった。
年代にもよるのだろうが、そこで圧倒的に多かったのが
中勘助の「銀の匙」という小説だった。
書名すら知らなかった無知な私は興味が湧き、
買って読んでみたのだが、ちっとも面白くない。
今では「乳母日傘」というイメージが何となく残っているだけで、
残念ながらストーリーすら覚えていない。
今年の正月、太宰治の作品を劇化したような、ちょっと面白いTV番組を見た。
中学生のころ読んだのだがあまりに遠い記憶。
それにしても「人間失格」では、主人公が小銭しか持ち合わせがなくて
「死のうと思った」という件では、期せずして家人と一緒に笑ってしまった。
あまりにも唐突で、可笑しかったのだ。
「何で『死のうと思った』につながるのかしらね?」
「死ぬにも理由が要るんだよ」
太宰の、というより「人間失格」を愛読書とする幾人かの男女が集まって
さまざまな意見・感想を述べる場面では、
太宰作品に対する参加者の思い入れが強すぎて辟易した。
そういえば太宰治の手紙の中に、
酷評された川端康成への成り振りかまわぬヒステリックな反撃文がある。
あんなに自意識過剰で醜悪な文章までも「作品」として扱われるのでは、
太宰自身気恥ずかしくはなかろうかと思ってしまうのだが、
人間、酷評されるとメンツも体裁もすっかり忘れてしまうという事なのだろう。