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一葉の作品に、紫式部と清少納言とを比べた短文がある。
「ある人の元にて、紫式部と清少納言の善し悪し如何に、など言ふ事の侍りし。
人は式部、式部と、ただ褒めに褒めぬ」
一葉は式部の才能は認めながらも、
「本当に式部の方が上なのだろうか。
式部の才能はともかく、清少納言は世にも気の毒な人ではないか。
名家の末に生まれしゆえ、世の評判も軽くはなかっただろう。
しかし何事につけ女というものは経済的に頼りない存在だから、
しっかりした後ろ盾もなく、世の中に放り出されたような育ち方をした。
そのために世の中の哀しさ辛さなどを身に沁みて感じる事が多かったにちがいない」
(以上、私訳)
といった具合に、清少納言のみじめなおい立ちに想いを馳せ、肩を持っている。
ところが式部については、
「富裕の家に生まれ、父親や兄からさまざまな事を教わり、
素直な娘として幸福に育ち、ほどほどの人に嫁いだと言えよう」
とそっけない。
「少納言に式部の才なしといふべからず。
式部が徳は少納言に勝りたる事もとよりなれど、さりとて少納言を貶しめるは 誤れり。
式部は天つちのいとしごにて、少納言は霜降る野辺に捨て子の身の上なるべし。
あはれなるはこの君の上や」
と同情すると、皆が一葉を嘲笑った、と書いている。
私は、一葉の文章には『喜々とした清少納言』よりも、
『抑制の利いた式部』の影響が濃く見られるし、
それゆえ好きなのだろうと勝手に思いこんでいたので、この内容には驚いた。
しかしひょっとすると「式部式部とたゞほめにほめぬ」
という学友たちへの反感があったかもしれぬし、
あるいは「萩の舎」で共に学ぶ上流家庭の子女たちを式部に、
「後見もなくて はふれけむ」納言を、自分の境遇に重ねていたのかもしれない。
★
ところで1872年生まれの一葉が、
島崎藤村と同い年である事を私は今まで知らなかった。
1862年生まれの森鴎外より10歳も後に生まれ、
1867年生まれの夏目漱石とは5歳しか違わないと知って、
私は何故か不思議な気持ちになった。
一葉はもっと古い、幕末あたりの人と思い込んでいたのだ。
それはきっと、文語体で書かれた一葉の小説の持つ、
王朝文学の香りのせいかもしれない。
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