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お部屋の調度品などもたいそう古めかしく、
長年使いこまれた昔風の格式ある品ばかりです。
由緒ある品々を欲しがる物知り顔の未熟者が『常陸宮が名工の誰それに、
特別作らせなさった品』と聞きつけて買い取りたいと申し出るのですが、
自ずと「貧しい暮らしぶり」を侮るような言い方をしてきます。
邸の売却を進言した例の未熟な女房たちは、
「どうしましょう。これも世の常、仕方のないことでしょうね」
と、人目につかぬようにしてとりあえず今日・明日の
不体裁な暮らしを支えようとする時もあるのですが、
末摘花の君は厳しくお諫めになります。
「亡き父宮は『これを使うように』とお考えになって、作らせ置きなさったのだと思います。
どうしてこのような軽々しい成り上がり者の家の飾りなどにできましょう。
私にとっては亡き父宮のご本意に背くほうが悲しい事です」
と仰せになり、売ろうとなさいません。
末摘花の君には、ちょっとしたお付き合い程度の人もないおん身の上です。
ただ御兄の禅師の君だけが、たまに都に出ていらした時お立ち寄りになるくらいです。
その兄の禅師という人も世にも珍しいほど古風で、
同じ法師の中でも暮らしの手立てを持たず、浮世離れした仙人のような方でいらして、
庭に繁茂する雑草や蓬を掻き払うことさえお思いつきになりません。
このような有様ですので浅茅で庭の面も見えず、
茂った蓬は軒の高さまで生い上っています。
八重葎は西や東の御門を閉じ込めていますので戸締りには頼もしいのですが、
崩れがちな土塀の上を馬や牛が踏みつけて往来していますし、
春・夏ともなれば牧童までが牛馬を放し飼いにするほどの無礼さなのです。