PR
カレンダー
キーワードサーチ
九月も末ですので紅葉の色が濃淡に色づき、霜枯れの草が所々に群がって、
秋の風情が広がります。
そんな中、関屋から一斉に姿を現した旅姿の者たちのさまざまな色の襖(ふすま)、
その色に調和した縫い模様や絞り染めの様子も、
旅姿であるだけに趣があって面白いのです。
源氏の君の御車は簾垂を下していらして、
かの昔は小君、今は衛門の佐(すけ)となった者を常陸の一行からお召し寄せになり、
「今日、こうしてあなたを関までお迎えに参りましたことを、よもや無視なさいますまい」
と、空蝉に伝言なさいます。
源氏の君は御心内では空蝉をひどく可哀想にお思いなのですが、
大勢の供の手前もありますので通り一遍の事しかお言伝できません。
女の方でも人知れず昔の事が忘れられずにいますので、
思い出しては何となくもの哀れな気分になるのでした。
『行くと来と せきとめがたき涙をや 絶えぬ清水と 人は見るらん
(常陸に行く時は別れの涙、帰京する今はめぐり会いながら
御文さえ交わすことのできぬ悲しみの涙。堰き止め難い私の涙を、
あなたさまは逢坂の関に湧き出でる清水とご覧になるのでしょうか)
私の気持など、あの方はご存知ないのだわ』と思ってみても、何の甲斐もありません。
石山寺から帰京なさる折のお迎えには衛門の佐が参り、
先日逢坂の関でお供もせずに通り過ぎたことのお詫びを申し上げます。
衛門の佐がまだ小君と呼ばれていたころ、源氏の君がたいそう睦まじく
可愛がっていらして、そのお蔭で叙爵までできましたのに、須磨に退去なさいますと
世間の目を憚って常陸に下って行ったのです。
源氏の君はそれを多少不愉快にお思いではいらっしゃいましたが、
お顔にお出しにはならず、今まで通り親しい家人のうちには数えていらっしゃいました。
紀伊の守という者も、今では河内の守になっていました。
その弟で、右近の将監を解官になり源氏の君のお供として須磨に下った者を、
格別にお引き立てなさいましたので、衛門の佐も河内の守も
「どうして我らは世間に媚びたのであろう」と、後悔するのでした。