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右近は、あの西の京に残してきた姫君の行方も知らず、夕顔の死をひたすら隠し、
また『今さら詮ないことのために、我が名を世間に漏らすな』と
源氏の君から堅く口止めされていましたので、
ずっと遠慮し申し上げて安否さえ知らずにおりました。
そうこうするうち、夕顔の御乳母の夫が太宰の少貮となりましたので、
一緒に筑紫に下って行きました。
あの姫君も四つになる年に、筑紫へ行ったのでした。
乳母は姫君の母君の御行方を探して、よろずの神・仏に祈願し、
昼夜泣きながらしかるべき所々を尋ねてみたのですが、
ついに知る事ができませんでした。それで、
『こうなったら仕方がない、姫君を母君の形見としてお育て申すことにしましょう。
さりとて賤しい身分の私と一緒に、都から遠い筑紫にお連れ申すのは何とも不憫だわ。
やはり姫君の父・内大臣にそれとなくお話し申そうかしら』
と思うのですが、良い機会も見つかりません。
「内大臣にお話しするとしても、母君の行方も分からないのですよ。
もしお尋ねになったら、どうしましょう」
「姫君は父上をご存知ないのですもの。
そんな幼い人を内大臣にお預けしては、私たちだって気掛かりですわ」
「我が子と知ったら、筑紫への同行をお許しにはなりませんわね」
など、皆で話し合います。
たいそう可愛らしく、今から気高く上品なご様子をしていらっしゃる姫君を、
格別なしつらいもない舟に乗せて伏見から漕ぎ出でるのは、
ひどく哀れに思えるのでした。
姫君は幼心にも母君・夕顔を忘れず、
折々「お母さまの御元へ行くの」とお聞きになるにつけ、
乳母たちは涙の絶える時がなく、乳母の娘たちも夕顔を思いこがれるのですが、
「舟路に涙は不吉」と一方では諫めるのでした。