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玉鬘の巻で源氏の口を通して「すべて、女は」といった
いわゆる男性側からの理想的な女性論があったが、胡蝶にもそれが出て来た。
「すべて、女の、物づゝみせず 心のまゝに 物のあはれも知り顔つくり、
をかしきことをも見知らんなん、そのつもり 味気なかるべきを」
(何事も、女が控えめに振舞わず、得意げに物の哀れも知ったような顔をして、
風情も解する振りをしていると、それが積もり積もってよくない結果になるものです)
これは「紫式部日記」の中の、
「清少納言こそ したり顔にいみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真字書きちらして侍るほども、よく見れば
まだいとたへぬことおほかり。
かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、
行くすゑうたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、
いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、
をかしきことも見ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ」
(清少納言こそ得意顔をして、実にみっともない人です。
利口ぶって漢字の才能をひけらかしてはいるのですが、
よく見ればまだまだ見るに堪えぬ事が多くあります。
こんなふうに自己顕示欲の強い人は必ず見劣りがし、
決して良い結果には繋がらないものです。
また優雅さが身についた人は、
何と言う事のない折であっても「もののあはれ」を無理に感じようとして、
ちょっとした事さえ見過ごさないようにしているうちに、
それが自然に軽薄な風にもなりましょう。
所詮そのような人には、良い結果が得られないものです)
と、こき下ろした箇所が思い浮かんで、
私には清少納言に対するあてつけのように感じられた。
紫式部という人は、知的で感受性豊かで、観察力と洞察力に優れた女性だった
と想像するが、それ故に己が才を「物づゝみ」して本当の自分を出さず、
周囲の女房たちからは『何を考えているか分からない、
地味で暗い性格』の孤独な女性だったように私には思われる。
だからこそ彼女とは正反対に、自分の思ったことを素直に、
あっけらかんと文章化できる清少納言を酷評しているのではなかろうか。
式部は、そんな清少納言の存在が気に障っていたのだろうし、
和泉式部の歌詠みの才能、言葉に対する鋭い感受性を
羨ましく思っていたように私には感じられる。
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