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☆ももかについて~はじめにお読み下さい☆


出生時の不思議な夢


☆なぜ今を楽しんで生きているかの答え☆


みんな大切なひとりひとりだということ


こころは大切な宝箱


障害者ってなあに?はてはて?


もしあなたの大切な人だったらどうしますか


☆みなさんに伝えたいこと☆


「見ちゃいけません」


車の爆音☆エレベーターそして感覚のこと


みんなが使える大切なトイレの話


小さなハリーポッターたち


子どもからのお願いです


災害と車いすそして逃げられない人たち


朝から不思議発見♪


☆人との出会いと成功体験☆


☆それぞれに与えられたギフト☆


車椅子用自販機とこども


数字の8と先生の愛情


一日10時間以上車いすに座るということ


☆休日の救急病院と温かいスタッフ☆


ヘルパーさん方へ


増えてきた電動車いすの子どもたち♪


小さな成長・あゆみの小箱


人生を左右したふたりの医師の言葉


ママ「しゅじゅつおめでとう」っていって


プリキュアに語りかけた言葉


本当?ミップルに会うの巻


かわいい提案


平べったいおにぎりさん


娘にした「つよい心のお話」


車いすの応援団と心に優しい雨


温かい手~ありがとう~


ピンク色のほっぺ~みなさんありがとう~


心に感じたぬくもりとギブス用スカート


☆子どもの回復力のすごさ☆


☆シールと温かい先生の気持ち☆


☆突然の大泣きと子どものきもち☆


ママは小人になるからね


ラブラブ交換日記


大丈夫の魔法(o^-^o)♪


☆かっこいいギブス足とモリゾー☆


やったあ!車いすに(o^-^o)♪


☆初めてのおこづかいで欲しがったもの 笑


初めての母の日の想い出


どんなことも心を見つめるラッキーチャンス


☆嬉しかった言葉と思いがけないプレゼント


悲しい顔でママも悲しくなったけど、、


髪の病院


☆傷つける言葉と包丁☆


涙があふれてきた、、


☆いたずらってしあわせなこと☆


☆院内学級の様子と先生の温かさ☆


遊び・学び・楽しむ子育て一緒に体験♪


葉っぱぐい


ももかの詩1☆かみさまがきめているから


ももかの詩2☆ありさんのせかい


8才車椅子の娘と二人でアメリカへ その1 


アメリカDWE電動車いす二人旅その2


ももかの詩3 虹色のありがとう


大好きなプリキュアに会いに


☆ふと気付いて微笑んだこと☆」


我が子を教えることは難しいけれど


☆子育てを楽しむ魔法


秘☆私流子育てを楽しむ魔法のかけ方


子どもを叱る時の魔法の言葉


子どものあまのじゃくな性格をどうするか


しあわせになる魔法


秘☆夢をかなえる魔法


つらい記憶を消す魔法


怒りを静める魔法あります♪


親子の絆を深める魔法


お金をかけず心を癒す魔法♪


勉強を楽しむ魔法~幼き子どもへ


子育てがつらくなったときは、、(o^-^o)


☆しあわせの種まき☆幼い心へ


私は捨て子だと思っていた


尊いイノチの輝きをこころに感じた日のこと


☆大切なお子さんが天使になったご両親へ☆


楽しい想い出♪(゚ー゚☆


おばけの森への電話


へんな獣医さん再び現れる


輝く素敵な女性と初☆ラジオ取材


お誕生祝いとへんな獣医さん


本当に素敵です!+ハートマーク♪


☆おばけの国からの手紙と一通のメール☆


パンダとニコニコ笑顔のプレゼント


たこたこたこやきパーティ♪


私の天使(o^-^o)♪


☆福山雅治in大阪の熱い夜☆


☆我が子の障害の受容と私のココロ☆


こころがクリアになった日のこと


生まれてくる意味と役目


人生で与えられた問題集


美しき人


決断


心いっぱいの感謝をこめて


☆カタチのないもの、目に見えないもの☆


☆同じだった手をつないで歩く夢☆


☆決めるのはすべて自分☆


感動☆お薦めの本


壁を乗り越える共通点


どんなこともチャンス


「僕の大切な友人なんです」


☆バンコクの奇形児を抱えた物乞いのお話


一期一会


母子通園のススメ


障害児のパパとママへ


☆こころのバリアフリー教材・絵本作成☆


伝えたい思い


学校教材の展示会へ


夢へ向けての第一歩


ハートを抱きしめた天使


意見収集中


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こころのバリアフリーを伝えるツール


輝く女性たちにお会いして


二人の私から9年後☆明日は成果発表会


ドキドキ成果発表会当日です。


反省して心を切り替えて前へ


☆人生はピクニック☆


☆楽天ブログでの素敵な出会い☆


初めての絵本作成


☆絵本作成そして明日はまるかん寺子屋


まるかん寺子屋さん講師をして学んだこと


☆シンクロと黄色い光のイメージ☆


☆心のバリアフリー教材化までの道


☆絵本とこころのバリアフリー教材の夢☆


真実の記録☆私が乗り越えてきた道


私のこころの変化(バンコクの話)


☆「ぱしっ」で変わった未来のお話☆


徒然なるままに、、


浮気をしないには訳がある


あなたのあなたのための素敵な冒険旅行を☆


まるかん寺子屋


☆愛と調和☆


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☆ただ自分を信じるということ☆


これお薦め!\(^▽^)/


かなり便利☆携帯用車いす用トイレ


絵~こころをこめて~


大切なイノチ


プロフィール

miyuhappy710

miyuhappy710

2005.06.08
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カテゴリ: 成長の記録
~真実の記録☆心のバリアフリーを伝えるための教材化に向けてたどった道~




我が子は正常に生まれた。

首がなかなか据わらず肢体不自由児だとわかったのは生後半年のこと。

以前は関東の千葉に住んでいた。

0歳のまだ赤ちゃんの頃から母子でお迎えにくるバスに揺られて

毎日地域の成長がゆっくりでまだ歩けない子どもたちのための

市の施設、みどり学園さんに母子通園した。

毎日保育があり、訓練はたしか週に2~3回、PTとOTが入っていたと思う。

内容的にも充実していた。





しばらく、電車に揺られて全く首の座らず

過敏で泣きじゃくる6ヶ月の我が子を抱っこして

外来という名の訓練に通ったけれど

それは毎回 実に大仕事だった。

自宅からはかなり遠く駅からもかなり歩いた。


前抱っこでまだ赤ちゃんの小さな我が子の顔を見ながら

夏の炎天下をリュックを背負って帽子をかぶり

とぼとぼと歩くその道は 当時我が子の障害というものを

受け入れたくない気持ちでいっぱいで まだ慣れない初めての育児、

不安と緊張、自責の念、絶望感が交じり合って

とても遠い道に感じられた。、



何かの間違いだ、、そんな風に思いたかった。

首さえ座ったらきっと追いつく。

あの頃の私は何も知らず本当に無知だった。

首の座りが遅れるということはお座りも遅れてすべての成長が

遅れるということを全く解かっていなかった。



知りたくなかったのだと思う。





産後数ヶ月で私は精神的にまた授乳もあり

なんと20キロ近く痩せてしまった。

ベビーカーを押しながらこのまま倒れてしまうんじゃないかと何度も

思った。

今では羨ましいことだけど体重計に乗るたびに一キロずつおちていった。

産前プラス10キロだからちょっと太めさんになっていたのだけれど

見る見るうちに授乳で胸はふ~みんのような爆乳でウエストは引き締まり

よく書けばとてもナイスバディなお痩せさんになってしまったのだ。

(授乳ダイエットかもしれない~でも一挙に痩せすぎてつらかったかも

 ダイエットは健康的にがいちばん♪だからこれはお薦めできない~

 現在は元に戻っている(。_+)☆)



実家は遠くて初めての育児、しかも障害児の子育ては手探りだ。

主人は仕事で忙しく常に母子家庭状態。

私はいつも一人ぼっちだった。

障害宣告を受けたとき 実家の母が一番に泣いた。

私は泣くことすらできず ただそれを見ていた。

いや正確には 涙も出ないくらいつらい時を過ごし

それでいて 遠く離れている両親にこれっぽっちも心配させたくなくて

「私は大丈夫だから」と無理に笑顔を作り気丈に振舞った。

両親はただおどおどと 心配をするばかりだった。

離れていて何もしてあげれなくてと電話口で泣く母。

そんな姿を私は見たくなかったのだ。

親不孝だとすら思った。


(今では笑い話だけれど

 うちの両親本当に大丈夫と思っていたらしい、、(;_;)



本当は赤ちゃん誕生で喜びで過ごした部屋を見るだけで

心は痛くつらくえぐれるような時間を過ごしていたのに、、。

当時の私はかなり無理をしていたと思う。

その頃のももかは泣き虫で過敏状態が続き

掃除機や電話の音、ファックス音、家の呼び出しのインターフォンの音に

大きく反応して泣いた。

新聞の勧誘等の突然のピンポ~ンは本当につらいものだった。

「赤ちゃんが眠っています」と玄関のインターフォンの前に張った。

それでも平気で押してくる無神経さは本当に信じられなかった。

相手はそんな生活がわかるわけもない。


トイレに行ったりお風呂に入るたびにも大泣きした。

何をしても泣く。

泣くのは抱き癖がついてるからだと勝手なことを言う人もいた。

泣けるだけ泣かしてみたらいいとアドバイスしてくれる人もいた。

でもそれは娘には通用するものではなかった。

また心にも痛いもので私にはできなかった。

私はいつでもどこでも優しく抱きしめて育てることをチョイスした。

まともな精神状態だったら気が狂ってしまう状態だと思う。

私は自分のこころを見ないようにした。

心の成長にとって大切な時期である3才になるまでは

どんなことがあろうと親という権限で

感情的に叱ることは絶対にしないでおこうと

心に強く決めたのだ。



慣れない訓練、過敏で先生も触れることもできず泣いてばかり、、

正直行く意味などがあるのかと思うほどで

帰ってきたらもう母の私は身体的にも肉体的にも毎回ぐったりだった。

いつも心の中は張り詰めていた。

ももかは過敏だったので一日の授乳とオムツ変え回数も

2倍~3倍はかかった。日記には一日にオムツ買え16回という記録が

今では勲章のように残っている 笑(それくらい過敏だった)

一日の授乳回数20回と記録が残っている。

これは新生児期だけれど。

欲しがったときに与えたのだ。

泣く回数も一日20回以上。

いつまでたっても新生児状態の育児は続いていて

緊張感を解くと一緒にすべてが崩れてしまいそうだった。

私は私の心を閉じた。

それでも見ないようにしていても

十分に心は色んなものに勝手に反応した。

自分のことで悩めることは本当にしあわせだな、、と思った。

そんな時間もなくて

ただただ一日でいいから

ぐっすりねむってみたい、、

そう思っていた日々だった。



当時母の私は色んなことに過敏にだった。

成長の遅れは著しく 

それまで撮っていた写真もビデオも一切撮ることも

できなくなっていった。

育児のマニュアル本のようなそれまで楽しみに買っていた

た○○クラブなどの育児雑誌なども 突然に辛いものになり

以後買うのをやめた。



「この子は歩けるようになるのですか?」という問いに

医師はしばらく無言だった。

出産のお祝いに頂いた靴は一番つらいプレゼントとなった。

ずっときれいなままで飾ってある3足の靴。

触れたくないからしまえばいいのに でもお祝いでかけつけてくれた

友人たちの顔が浮かぶ。 いつか、、と思い

片付けられずずっとそれは飾りっぱなしになっていて

でも見るたびに何かが心に刺さった。



あんなに大切にしていた楽しみだった

母子手帳の記入も一切できなくなった。

楽しみにしていた検診も一切行かなくなった。

正確には行く気力がなくなっていた。

はっきり遅れているのがわかっているのにそれを指摘されるのは

もう十分だと思っていた。

書いてあってもいちいち細かく医師たちは聞いてくる。

読むより話した方が早かった。

何度も何度も繰り返して医師たちに伝えるうちに

私はすべてのことを暗記して簡潔にすらすらと経過を答えている

私に驚いた。


毎朝通っていた公園も 

それまで仲良くしていた生まれる前から仲良しだった

赤ちゃんグループのお友達やママたちとは会う勇気もなくなり 

時間帯をずらして朝早く出かけた。


それは避けていたというよりも

みんなには会いたかったけれど

いっぱい色んな話もしたかったけれど

他の子どもの成長を見ることが目にも心にも痛くて

我が子と比べたくなくても比べてしまう。

あの頃の私はただ会う気力もなかったのだと思う。



みんなにどう説明をすればよいのかも、

どう自分自身が受け入れたらよいのかも

わからなかったのだと思う。

人はご挨拶のように「まあ赤ちゃん、、今何ヶ月?○○ヶ月位かしら」という。

一才半の時に生後半年と間違われたり

今となっては全然たいしたことではないけれど

そんなことにも過敏に反応する時期が私にもあった。

それ以来私は勝手に推測して年齢を言ったりすることはなくなった。

幼く見えても小学生だったりするお友達もいる。

なんて酷いことを私は過去無意識にしてきたのだろうと思った。



昔 それはもう遠い娘が生まれる前のことだけれど

私は大空で仕事をしていた。

ある日 高校生の修学旅行生の団体の担当になった。

そこには一般のお客様ももちろんいらした。

高校生の男の子の横に小さな幼稚園児位の男の子がちょこんと座っていた。

高校生の男の子に「お客様、お飲み物何に致しますか?」と丁寧に

聞いて その後私はその小さな男の子に

「僕は何がいいかな?(o^-^o)オレンジジュースと○○ジュース、、、」と


説明を始めた時 隣の高校生の子が私に言った。



「お姉さん、僕の大切な同級生なんです」


私は驚いて 即「本当に失礼しました。ごめんなさい」と即謝った。



小さな彼は「お姉さん大丈夫です。いつもみんな間違えるから。

全く気にしないでね」と優しく笑顔で言ってくれたけれど

せっかくの修学旅行で、、と私の心は申し訳なさでいっぱいだった。

私は娘が「何ヶ月?」と聞かれるたびに

あの時のあの二人のことを何度も思い出した。





外来で訓練をするよりも 

毎日通園をする方が訓練の回数が多いとのことで

私は即母子通園を決めた。

またこの訓練施設は自宅からは離れて駅からも遠くとても毎日電車で

赤ちゃんを抱えては通うのは厳しかった。



通園になればバスのお迎えがあることと、バランスのよいお給食もある。

保育の時間も充実していた。

泣きじゃくる我が子だからこそ

多くの人たちに慣れていかなければいけない。

幼い時期からの集団生活が必要だと判断した。

あの時の私と娘には母子通園が本当によかったと思う。

娘のためもあるけれど 私の心のケアーのために

先輩のママたちの話を聞くことや新しい友達を作ることは

とても大切なことだった。

障害を受け入れるための大切な第一歩は

まずは地域の母子通園できる施設に行くことと私は思っている。

悩んで途方に暮れているママたち全員に勧めたいと思っている。

それは必ず新しい出会いがそこにあるからだ。





我が家は学園からいちばん遠くて

バスはみんなのおうちを回るので

最初に乗って最後に降りるパターンだった。

一時間は乗っていただろうか。

でもそのバスタイムも

他のママたちや学園の保母さんたちとお話していたら

あっという間だった気がする。

気が紛れた。

その頃の一日はとても長かったから、、、、



バスの中で見えないようにそおっと授乳をした。(女性しかいません念のため)

おっぱいはももにとって魔法のおっぱいだった。

ももかの魔法のこころの安定剤だった。

だからあえて私は他と比べず

ももが自然におっぱいを離れる時期を待った。

2才3ヶ月まで、、、。

おっぱいの香りとママの胸に抱かれているその時間は

ももにとっていちばん居心地のよい安心できる空間だから

障害があるならばあるからこそ愛情たっぷりのその時間は

もっともっと彼女には必要と私は思っていた。



小さな声で歌を歌いながら 

そしていつも数冊の絵本を

持参してパスの中で読み聞かせをした。

そんな毎日がももにとったら楽しい時間のようだった。

積み重ねで

知らないうちに

3才までの読み聞かせは延べ3000冊を軽く超えた。

そんなに読むつもりもなく

ただ積もり積もってそうなっただけのことだ。

一日10冊。

小さな子の絵本は短くてあっという間だ。

お気に入りばかりを読んでいたかもしれない。

赤ちゃんが生まれたらお歌を歌って絵本をたくさん読んであげることは

実に高校生時代からの夢だった。

そんなささやかな夢を娘はかなえてくれた。

何冊読んだかは記録をとってないからその後はわからない。



続く





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最終更新日  2005.06.12 16:40:41
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