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大 山
出雲へと向かう山陰道。
バックミラーに映る朝焼けの風景に、
私はそこが確かに神話の国であると感じたのでした。
不思議なもので、本や写真で見るよりも
その場所に立つことで感じる何かがきっとあるものです。
慌ただしく走り回った、たった1日の出雲の旅でしたが
意宇や杵築の空気を吸うだけで
多くの何かを感じることが出来たような気がします。
今回、出雲に行き
是非とも確かめたいことがありました。
私の個人的な妄想なのですが、そこに蘇我氏の痕跡がないかということを。
聖徳太子の時代、いち早く仏教を広めようとした蘇我馬子。
周囲の猛反発を受けながらも、彼が仏教を取り入れることに熱心だったのは
渡来系氏族であるがために氏神を持たず、
飛鳥時代の朝廷内で祭祀権がなかったからだとする説があります。
すなわち、仏教を国中に広めることにより
宗教の面でもイニシアチブを握ろうとしたというわけでしょうか。
しかし、大きな疑問があります。
仏教と出会うまで、蘇我氏は信仰を持たなかったのか。
占いで政治を動かしていたような時代に、それは考えにくいと思うのです。
渡来系氏族だから、氏神を持たないという説にも納得出来ません。
渡来系の代表格とも言える秦氏は、山背に多くの神社を残しています。
出雲大社
さらに、出雲と大和に関する疑問。
大国主命の幸魂・奇魂と言われる、大物主神。
その大物主神は、出雲系の神でありながら
大和の三輪山にすんなりと祀られています。
しかし、天皇家の祖神である天照大神は大和の地に鎮まることが出来ず
数十年間も各地を転々とし、それらの場所が「元伊勢」として今に伝わっています。
丹後国一之宮 元伊勢・籠神社(宮津市)
天照大神は結局、大和から遠く離れた伊勢に鎮座することに。
出雲系の神が大和の最も重要な山に祀られ、
天皇家の天照大神が大和から離れて祀られることも不思議でした。
今回の出雲の旅で、それらの疑問に
少しだけ回答のヒントが与えられたような気がします。
古代史仲間の盟友、素盞嗚さんは(「素盞嗚さん」=HNです)
蘇我氏は九州王朝の実力者で、「磐井の乱」(素盞嗚氏曰くは「継体の乱」)後
天皇家を監視する役目で大和にやって来たと考えています。
私もその考えに異論はありません。
だとすれば、蘇我氏と出雲はつながらないのですが
あくまでも「妄想」です。
ちょうど素盞嗚さんも多忙なのか、ブログの更新が途絶えて姿が見えません。
このスキに、蘇我氏の妄想でしばし戯れたいと思います
つづく
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