第一話 さっちゃんは河原幸代っていうの 後編
二人の声などどこ吹く風、勝手知ったる我が家のように、初老の女性はふうらふうら、スタスタ奥に入っていく。相変わらず、「さちよだよ、かわいいね、さっちゃん」と繰り返し歌い続けている。
のぶとネギが追いついて、両方から腕を取ろうとして、態度も言葉も改めた。何か、波長が違う。
「お客さん………ですか。事務所を通してくださいよ」
「ここ部外者立ち入り禁止ですよ」
「あっ、お兄ちゃん達、新しく入った人? 私 さっちゃん。初めまして」とにっこり笑うと、両手を膝の前で揃えてペコリ。
のぶもネギも、ついつられて返事をしてしまった。
「初めまして…ってか、え~と、どちら様で」
「さっちゃんで~す、パパいない? あっ、さっちゃんのパパはね、ここの課長さんなの。部下が二人しかいないけど、課長さんなんだって言ってるんだよぉ」
のぶが事務所の方に向かいながら大声を出した。
「課長、お客さまですよ~。課長も隅に置けない、ってか年増趣味なんですねぇ。それとも…まさか、本物のお嬢さん? ってなわけないですよね~さっちゃん だそうです」
事務所から、マスクの下で口をもぐもぐさせながら出てきた課長を見て、さっちゃんの側に張り付いているネギが、頭の横で左手人差し指をくるくる回してニヤッとして首を傾げた。まったく、何しているんだ。少年鑑別所まで行ったことを自慢たらしくしゃべるネギには後で注意しておかなきゃ。あの婆さんには気付かれなくとも、三方が開いている敷地では、どこで誰が見ているかわからないってのに。家で仕事してりゃぁ、たまには双眼鏡覗いてる誰彼がいるかもしれないってのに。ああいうところがまだまだダメなんだ、あいつは。近所は皆顧客って思わなきゃ。壁に耳あり障子に目あり、あっ、こんなこと言っても通じないだろうな。障子ってなんですかぁ、だもんな。
「私、こちらの課長の鈴木ですが、え~と、どちら様でらっしゃいますか」
「課長さん? えっ、パパはもしかして社長さんになっちゃった?」
「社長にお嬢さんいたっけ?」
「社長は先月亡くなりまして」
「パパなくならないもん、やっぱり社長さんじゃなくてぇ、課長さんだってば。パパ~、かくれんぼしてないでよぉ。さっちゃん来たよぉ。 パパを迎えに来たんだって。さっちゃんはね、パパと一緒にお家に帰るのっ。あれっ、私のランドセル どこ」
「ねっ」と言って、ネギが頭の横でまたしても指を回すのを「やめろ」と手で払い除け、課長は事務所に戻り、マスクをしたまま駅前交番に電話をかけた。受話器からだってコロナが伝染るかもしれない。後で消毒しなきゃ。いや、消毒のアルコールも貴重品だし。
しばらくして、サイレンを鳴らさず敷地内に入ってきたミニパトカーの女性警察官に「ランドセルを一緒に探しに行こうね」と話かけられながら、後部座席に別の女性警察官と一緒に乗せられて、初老の女性は去って行った。
第一話 終
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