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2008.09.03
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テーマ: 洋楽(3569)
カテゴリ: 70年代洋楽



バッドフィンガーは、私が もっとも愛するバンド のひとつである。
ニルソンやホール&オーツ、マライヤ・キャリーなどで有名な 「Without You」 のオリジネイターといえば分かりやすいだろうか。
が、その実力や名曲の多さのわりには、 彼ら自身の知名度が低い のは悲しい。
「ビートルズの弟バンド」という形容がよく使われるバンドなのに、ビートルズ・ファンにもあまり聴かれていないというのがフビンだ。。。(泣
ピート・ハムとトム・エヴァンス、特にピートのソングライターとしての才能は今聴いても素晴らしいと思うんだけどなぁ。
「悲劇のバンド」 だったっけ……


アイヴィーズ(その前はパンサーズ)という名前で活動していた彼らが世に出るのは'68年。ビートルズが設立した アップル・レコード からのデビューだった。
しかし、デビュー・シングルの「Maybe Tomorrow」が不発だったこともあって、同名タイトルのアルバムはイタリア、西ドイツ、日本の三国でしかリリースされなかった。それも売り上げは芳しくなく、市場から早々と姿を消し、長きにわたって コレクターズ・アイテム と化していた。

そして翌年、Badfingerと改名し再出発した彼らは、ポール・マッカトニーの作品である 「Come And Get It」 をリリース( 過去ログ 参照)。
この曲は'70年に全米6位、全英4位となり、バンドは本当の意味でのスタートを切ることとなった。
なお、この時期には、脱退したロン・グリフィスに代わってジョーイ・モーランドが加入している。

同'70年には傑作2ndアルバム『No Dice』をリリース。
「No Matter What(嵐の恋)」 (米8位、英5位)のヒットも生まれている。
バンドの人気上昇に伴うようにして、メンバーはジョン、ジョージ、リンゴなどのセッションに参加する。
'71年には、ジョージ・ハリスンをナビゲーターとしたチャリティ・イベント 「コンサート・フォー・バングラディッシュ」 にも脇役ながら出演を果たした。

バンドの活動がいちばん波にのっていたこの時期にリリースされたのが、3rdアルバムの『Straight Up』(上ジャケット)である。
ジョージ・ハリスン トッド・ラングレン という豪華な面々。
元々はジョージがフル・プロデュースする予定だったが、途中で彼が降りたため、その役がトッドに引き継がれたということらしい。
そんな経緯はともあれ、アルバムは『No Dice』と並ぶ傑作に仕上がった。

「Day After Day」はピート・ハム作のバラード・ナンバーで、アルバムを代表する一曲である。
プロデュースはジョージ・ハリスン。
シングル・カットもされて、'71年に 全米4位、全英10位 を記録するヒットとなった。

イントロにおける スライド・ギター の音色からしてもう骨抜きにされる(このへん、いかにもジョージっぽい)。
憂いをふくんだピートの歌声、アコギを使ったやわらかなコード・ストローク、シンプルで美しいメロディが切なく響いてくる。
ビートルズの弟分だけあって、 コーラス・ワークはバッチリ
所々で聴ける レオン・ラッセル のピアノも絶品だ。
さらには、間奏部に入るとジョージとピートによるダブル・スライド・ギター(ユニゾン)が聴けるという具合。
う~ん、泣ける。
分かりやすいポップさと叙情性をそなえた、完璧な3分12秒だ。
ドラムのフィルがよろける箇所もあるが、まぁご愛嬌というコトで(笑

なおこの曲、プロデュース自体はジョージ・ハリスンだが、最終ミックスはトッド・ラングレンが手掛けているとのこと。
そう思って聴くと、サウンドの処理(特にアコギ)にはトッドっぽさも感じられるような。。。
自分のような人間には "ひと粒で二度も三度もおいしい" 曲だなぁ。
ちなみに、ジョー・ジャクソンの'82年のヒット曲「Breaking Us In Two」は、「Day After Day」のメロディを おもいっきり借用したもの となっています

『Straight Up』からは「Baby Blue」のヒット(全米14位)も生まれ、バンドのキャリアは順風満帆のように思えた。
だが、彼らの全盛期はそこまでだった。
この後の彼らは 転落の一途 をたどることとなる。

悪徳マネージャー、 スタン・ポリー を雇い入れたバンドは、アップル・レーベルとの関係が悪化。4thアルバムにして同レーベルからの最後の作品『Ass』は、商業的にも散々な結果に終わった。
その後も、新しいレーベル(ワーナー)と契約して'74年に二枚のアルバムを出すものの、これも(傑作にもかかわらず)セールス的に伸び悩んだ。
その上、ポリーに 印税をピンハネ されるなどをして、メンバーは貧苦の淵へと追い込まれてしまう。
さらには、これまたポリーのせいでワーナーとの契約トラブルが起き、結果、 レコードが市場から回収 されることとなってしまった。
精神的に深い傷を負ったピートは'75年4月に 首吊り自殺 をしてしまう。
バンドは一時活動停止した後、トム・エヴァンスとジョーイ・モーランドを中心として活動を続けたが、そのトムも '83年に首吊り自殺 してしまう(ジョーイとのいさかいが原因だった)。

こうしてバッドフィンガーは事実上消滅。
いくつかのヒット曲とともに「悲劇のバンド」として人々の記憶に残ることとなった。
オリジナル・メンバーであるドラマーのマイク・ギビンズも、2005年に死去。
現在はジョーイ・モーランドが、モーランドズ・バッドフィンガーとして活動を続けているという。


彼らは決して器用ではなかったし、突出した個性もなかった。音楽的に革新性のあることもやらないバンドだった。
それでも、残された楽曲の数々は 今も色褪せてない と思うし、人懐っこさを漂わす存在感も好きだった。
それゆえに、豊かな才能にめぐまれながら 非業の死 を遂げていったピートとトムを思うと、美しいメロディがいっそう胸にしみてくる。
90年代に入ってからは再評価がすすみ、 「元祖パワーポップ」 という側面からのスポットもあたったが、それでも「悲劇のバンド」の形容からはまだ逃れられてないような気もする。
これも運命か。
日本人好みのメロディ なんだから、ここらでCMやドラマの主題歌にでも使われてバッドフィンガー・ブームでも起きないかなぁ、と思うワタシです

つーコトで「Day After Day」を聴くには ここ をクリック!
ついでに、ワーナー時代の名曲 「Know One Knows」 こちら


※ ポム・スフレのメインHPではバッド・フィンガーの名盤 『Straight Up』について 取り上げています。





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Last updated  2008.09.03 06:27:26
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