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June 3, 2006
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カテゴリ: 教授の読書日記



白洲次郎・・・。最近、というか、ここ数年といった方がいいのか、彼についてマスコミがさかんに取り上げるようになってから、急に人気が出てきた観があります。まあ何と言っても、まずその日本人離れした容姿がカッコいいですからね。また戦前の、まだ日本が貧しかった時代にイギリスのケンブリッジ大学に留学したというのもカッコいいですし、さらに神戸の実業家であった父親の巨万の富を背景に、あちらの貴族の子弟たちと肩を並べて洒脱に遊び回っていたというのも凄い。

しかし凄いといえば、その後の活躍がまた凄いですよね。第2次世界大戦前には日米開戦の避け難きを予言し、戦争が始まるや今度はいち早く日本の敗戦を予知。まだ若い盛りなのにあっさり都会暮らしを放棄して、東京郊外にある鶴川村に隠遁すると、その地で農作業に没頭。かくして戦争中の食料難を軽やかに乗り切って見せたというのですから、その明敏たるや只者じゃ、ありません。

そして戦後は吉田茂首相を助けて戦後処理にあたり、GHQと対等に渡り合ったばかりか、時にはマッカーサー元帥の無礼を叱り飛ばすという快男児ぶりを発揮。後には吉田首相に随行してサンフランシスコ講和会議の準備に奔走し、一時は通産省のトップとなって日本の経済復興を指揮するも、復興が軌道に乗ったと見るやさっさと官職を辞して、東北電力など民間企業各社の経営に大所高所から携わりつつ、ポルシェを乗り回し、ゴルフなどして遊び暮らしたというのですから、まさに男としてこういう生涯を送ってみたいと思わせるようなことをすべてやっているところがある。

そんな白洲さんですが、たまたま私の実家が、彼が隠遁していた鶴川のすぐそばにあり、彼の家であった「武相荘」にも何度か足を運んだこともあるもので、私も白洲次郎の何たるかは、一応前から知ってはいたんです。武相荘の白洲さんの書斎というのが、これが実にいい書斎でね。書棚を背に、緑豊かな庭を眼前にしながら、掘炬燵式になった机に陣取ると、ほんと、落ち着く感じがするんですよ。

しかしその一方で、私が白洲次郎という人にすごく共感してきたかというと・・・実はそうでもないんだなー。どうも、様々な本を通して見えてくる彼の人物像からすると、直情的で裏表のないやんちゃ坊主ではあるのでしょうが、そういう行動の人だけに、人間的な深さというのがどのくらいあった人なのか、よく分からんのですよ。強く、優しく、いい人ではあるが、人間のことを深く考えようとした人ではないのではないか、という気がするんです。そういうのは面倒くさいと思っていた人なんじゃないか、と。

そういう「ドライ」なところこそが日本人離れしていていいんだ、と言われれば、その通りだと思います。が、それにしても、ね・・・。白洲さんのそういう割り切ったところに私が若干の反発を覚えるのは、単に私が「ウェット」過ぎるのかも知れませんが。

もっとも、私が白洲さんを絶賛するのを幾分留保していることには、これまで白洲さんについて書かれた本ばかり読んできて、白洲さんご自身が書いた文章を読んだことがないということもあると思うんです。ですから、つい最近、新潮文庫から『プリンシプルのない日本』という彼の著書が出たのを知って、とりあえずこいつを読んでみるかと思い立ったのも、私の中ではごく当たり前の成り行きなんですな。

さて、前置きが長くなりましたが、実はこの本、まだ読み始めたばかりで、結論的なことを言うだけの準備がまだないんです。しかし、それはそれとして、最初の数十ページを読んだだけでも、興味深いところの多い本だと感じます。



一見すると、何だかお金持ちのボンボンが好きなことをやっただけのように見えて、やはり彼の生涯にはそういう意味での逆境時代が色々あったんですな。それでも、きっとそんなことを意にも介さず、じゃんじゃんやるべきことをやったのでしょう。うーん、やっぱり、カッコいい人ではありますね。それは認めざるを得ない。

しかし、そういうことよりもむしろ今回私が感心したのは、彼の回想録の書きぶりですね。これがまた、いかにも彼らしく、自分が何をやったか、ということはほとんど書かずに、その時、人が何をやったか、ということばかり書いてある。で、その書き方がまたあっさりしていていいんだ。

たとえばサンフランシスコ講和の時の回想では、吉田首相の演説のことに触れ、「総理はなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らないが、英語でやるか、日本語でやるかを、前からはっきりきめていたわけではない。演説の草稿は英語で書き、それを日本語に直して演説したのだ。だから、議場で演説と同時にイヤホーンで放送したのは、その草稿の英文だった」などと書いてある。占領時代の終結を迎えた独立国日本が、その記念すべき演説を自国の言葉で行わないなんてことがあるか! と激怒し、ことの直前になって吉田首相に日本語での演説を半ば強要、夜を徹して英語の草稿を日本語に直したのが白洲次郎その人であることは、歴史的事実として今ではよく知られているわけですが、そういう自分の関わりについては彼は一言も言わないわけ。その辺が、なかなかいいじゃないですか。

それでいて吉田首相についてはこんなふうに書いている・・・:


「調印の時も、演説の時も、総理の態度は本当に立派だった。その姿を見ながら、総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。昔の人はわれわれと違って、出るべきところに出ると、堂々とした風格を出したものだ。総理が、自分のポケットからペンを出してサインしたのも、いかにも一徹な総理らしかった」(41ページ)


ね、この一文だけでも、我々読者の、吉田首相に対する見方がいい方に変わってくるような気がするじゃないですか。「昔の人」か・・・。いい表現ですなあ。

それから、さすがに歴史上の大舞台を直接見てきた人だけに、「そうだったのか!」と思わされることもしばしばです。たとえば同じサンフランシスコ講和会議の回想録で、各国全権の品定めをしているところも面白い・・・:


「会議を通じて、印象に残ったのは、まず第一にアチソン長官の名議長振りだった。じつにスムーズに議事を進めていく手際はたいしたものだ。第二は、ダレス全権の演説だった。ソ連のグロムイコ全権に対する反駁などは、いかにもアメリカ人気質丸だしの率直さで、好感が持てた。議場での演説のうちで、言葉といい、調子といい、態度といい、非常に感心したのはフランスのシューマン全権だった。また演説の内容が終始日本に好意的だったのはルクセンブルグだった」(41-42ページ)


ルクセンブルグが終始日本に対して好意的な演説を・・・。そうだったのかぁ・・・って気がしますでしょ? その他、あの講和会議がどのような雰囲気の中で行われたかということは、実際にその場にいた人物の口から語られて初めて分かるわけですから、白洲さんの書かれていることには、いちいち説得力があります。

とまあ、そんな感じで、まだ全部読み終わったわけではありませんが、何だか色々勉強になるし、読んでいて不思議と気分が良くなってくる本ですよ。また、本書のところどころに挟まれる「注」が面白くて、時々「へぇ~!」っと思わされることがあります。たとえば岩手県に「小岩井牧場」という有名な牧場がありますが、あの「小岩井」というネーミングは、彼の牧場を作った小野義真(日本鉄道会社副社長)・岩崎弥之助(三菱社長)・井上勝(鉄道庁長官)の三人の名前の頭文字から取った、なんて、この本を読んで初めて知りました。

ってなわけで、この白洲次郎著『プリンシプルのない日本』という本、私もしばらく楽しみながら読むことができそうです。その意味で、本書を、白洲ファンの方にも、またそうでない方にも、おすすめしておきましょう。週末の読書に、ぜひ!




プリンシプルのない日本
プリンシプルのない日本





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Last updated  June 3, 2006 11:07:28 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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