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June 17, 2006
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カテゴリ: 思わず納得!



平泉さんの方は、英語を日常的にしゃべらなくてはならない日本人なんて、そんな沢山いるはずないのだから、英語の授業なんて必修にしなくていい。その代わり、国民の5%くらいが、実用に足る本格的な英語教育を受ければいい、というような「エリート主義」的な主張をしたんですね。一方、対する渡部さんの方は、英語教育には論理的思考訓練の意味合いもあり、またたとえ日本流の文法中心・訳読中心の英語教育法では英語を話せるようにならなくとも、目に見えぬ素養としての英語力はついているので、決して無駄にはなっていない。よって英語はすべからく必修にすべきだ、という主張をした。そんな感じの論争です。

ま、どちらもそれなりに一理ある主張ですよね。それに、よく考えてみると、一見真っ向から対立しているかに見える両者の主張は、実は両立し得るものでもあります。中・高・大と英語を必修にしておいて、その上で、とりわけ英語が好きな学生だけ集中的に上級英語を仕込めばいいわけですから。

ところが、それから30年経ってみると、両者の主張とも、文部行政によって見事に否定されてしまったことが分かります。英語は依然として中・高・大と必修科目ですから、平泉さんの主張は受け入れられなかったわけですし、渡部さんが主張された文法・訳読中心の英語教育の効果も強く否定され、中学校の教科書の段階からして、ヒアリング・スピーキング中心のカリキュラムが組まれるようになってしまったのですから。

が、その結果として、英語が自由にしゃべれる日本人が増えたかというと、そんなことはありません。「英語が話せない日本人」の問題は、今なお存在する。いや、その点で言えば、30年前よりもっと英語力は落ちていますよ。昔は、大学生ともなればそれなりに英語が読めたものですが、今の大学生は、ごく簡単な英語の文章すら読めませんから・・・。

じゃ、日本の英語教育はどうすべきだったのか。そして、これからどうすべきなのか。

そんな問題意識が再び高まってきたためか、このところ英語教育を巡っての論争がにわかに喧しくなってきました。この2、3年、あちこちの学会が「どうする! 日本の英語教育」というようなシンポジウムを行っています。

ちなみに、こういう論争が再燃することになったきっかけの一つは、東大の斎藤兆史さんの影響じゃないかな、と私は思います。この斎藤さん、数年前に『英語達人列伝』(中公新書)という本を出版し、岡倉天心であるとか、新渡戸稲造であるとか、大昔の日本の英語達人のことを調べ、最新のAV機器もなければ、「駅前留学」も出来ない時代に、彼らがどうやって英米人と対等に渡り合えるだけの語学力をつけたかを紹介したんですね。で、文法・訳読といった昔流の英語教授法でも、きわめれば絶大な効果がある、というようなことを主張し出した。

で、これがきっかけとなって、旧来の日本式英語教授法は、実は不当に排除されたのではないか、その結果、日本人の英語力がさらに落ちたのではないか、というようなことになってきたわけですよ。でまた、こうした主張に対する反論ももちろんあるわけですし、また、どっちがどうだか分からないけれど、とにかく今英語教育に携わっている人間は、一体何をやればいいのか? という基本的な問いも、改めて問われる機会が降って湧いてきた、というわけです。



しかし・・・。実は私、この問題についての論争、とっても嫌いなんです。だって、あまりにも多様なレベルの問題が関わり過ぎていて、どのレベルの話をすればいいか分からないんですもん!

「どの方法で英語を教えるべきか」だけを論じるならいいですが、しかし、一方で、「どんな教え方をしても、生徒・学生側の意欲と能力がなければモノにはならない」という真実がある。また、そもそもなんで日本人のすべてが英語をやらなければならないのか、その必要性も論じる必要があるし、英語よりもまず母国語たる日本語をちゃんとしなければならない、という論点もある。理想的な教え方はこれだ! というのが分かったとして、その教え方で教えられる教師がどのくらいいるか、という問題もある。さらに論争の結果、仮に「日本の学校・大学には英語の授業なんか必要なし!」という結論が出たとすると、それはつまり、そういう結論を出した英語の先生方が、自分で自分の存在理由を否定してしまったことになって、それはそれで問題だったりする・・・。

とまあ、こんな調子で、この問題に係わる幾つもの論点が、互いに相矛盾する側面を持つので、シンポジウムやっても意見が噛み合わないか、あるいはごちゃごちゃになるか、そのどちらかに決まっているんですね。

しかも、そういう論争のことなんぞてんで気にもしない文部科学省が、「英語が出来ないのは、スタートを切るのが遅いからだ」という短絡的な考え方のもと、どさくさに紛れて小学校に英語の時間を導入なんかするじゃないですか・・・。ですから、これら論点の定まらない論争に、また一つ、「小学校における英語教育の是非」という論点が加わってしまった・・・。

だから、私はこういう論争には係わりたくないんですーーー。

ま、もっとも、この問題に関し、私自身に何の意見もないかというと、そんなこともないような気もちょっとしたりします。その辺りについては、また明日にでもお話しますかね。

それでは、またこの話の続きをお楽しみに!


斎藤兆史さんの本はこれ!

英語達人列伝
英語達人列伝






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Last updated  June 18, 2006 01:43:05 AM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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