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恐ろしくオヒサしブリりんでございます。ぶふふふふ 今日はすこぶる天気が良かったかなぁ~~~。(なんせ書いてるのがもう6月だからさ、忘れてまったなぁ~~)天気は良かったような気がするなぁ~~。本日は父の手術日和でございます。病室に入ると母と弟が既に来ておりました。父はウツラウツラしててしまいには、ぐおぉ~~~~~とイビキをかいておりました。どうやら、あまりにも緊張して眠れなかったらしい父は、お医者に一服盛られたようでございます。違うかー!手術前ってぼやぁ~~~~とする薬を飲まされるんだか点滴に入れられるだかするらしいですな。今日の父の手術には母、弟、母の姉、父の弟夫婦と、もう1人の弟のお嫁さん、私の計7名が見守りにやって参りました。朝、9時半からの手術です。9時になったら手術室に入ると聞いていました。8時くらいから看護士さんが代わる代わる病室に入って来て、父にいろんな処置をしておりました。見守り人は病室から出て、ただ其れを黙って見ているだけです。母だけが病室内で何やら動いていましたが、どうも無意味な行動をするばかりでした。どうやら母も緊張してるようでした。8時半が過ぎ、看護士さんが「さぁ、行きますよ」と父が横たわっているベッドを移動させました。私達見守り人は「頑張って来いよー」と父に言い、父も手を振って手術室に入って行きました。話では9時半から始まって終るのは2時くらいで、麻酔が覚めたら呼ぶという事だったので16時くらいになるのではという事でした。これから長い待ち時間です。家族待合室に入り、「コレからが長いよね。でも絶対に大丈夫だ」なんて少し緊張して話してる所にです。看護士さんがやってきて「らび父さんのご家族ですか?ごめんなさい、らび父さん、手術室に入るのが早かったんですよー。また前の病室に戻しましたんでぇ~~、うふふふふ」と言いました。・・・振り出しに戻るさすが私の父でございます。本人に関係なく笑かせてくれます。らびの血の元ですからスンナリとは参りません。ぶっ。どうりで予定より手術室に入るのが早いと思ったんだよー。とりあえず、元の病室に戻った父に会いに行ったのは父の弟だけでございました。他の人たちは家族待合室から出ませんでした。見守り人とは冷たいものでございます。そして本当の時間。看護士さんが「今度こそ、手術室に入りますよ」と伝えに来たので再度父の顔を見に、廊下に出て「頑張れよー」と見送ったのでございます。あとは何もする事がなく待つだけです。ソファに座っていた私達ですが、お昼になり、じゅうたんの敷いてある所に上がってお弁当を広げ始めました。窓からは気持ち良い風が入って参ります。桜の無い花見状態です。時計を見たら13時過ぎ。人間、満福になると眠くなるもので、時間もあるし、布団もあったので、みんなで雑魚寝をしておりました。こうなると緊張感が全くございません。14時過ぎ、看護士さんの「らび父さんのご家族の方ですねー。終りましたよー」ってな声で目が覚めました。7人の雑魚寝状態を見て、看護士さんはどう思ったかねー。ぶふふ。ICUに入った父に面会しました。父は麻酔がまだ残っているようで血の気が無く、目を瞑ったままでした。手術をしてくれた先生が来て、言ってくれたのは、父の首は素直な首だったとの事でした。なので思ったよりも時間がかからなかったと。そして手術は成功との事でした。そして後でレントゲンを撮るとの事でした。なのでまた更に見守り人は待っておりました。しかぁし、どんだけ待っていてもレントゲンの説明がありませんでした。母が婦長さんに確認すると婦長さんは先生に確認してくれました。すると、レントゲンは数日後の話で術後の説明はICUでの話がそれだったのでそうで、無駄に2時間程待ってしましました。何処までもスンナリと行かないらび親族でございました。ってな事でここにこのまま居てもどうしようもないので帰り際に再度、父に面会しました。ダイブ麻酔が覚めたようで血の気が戻り、暑いと言って布団を剥いで横になっていました。話し掛けるとキチンと返事をし、更に私達に「もう良いから帰れ」との事。そこまで言えれば大したもんです。「ほんじゃ帰るよー」と帰ってきたのでした。ふっへっへ優しい家族じゃわ私は健在だよぉ~~ただサボってるだけぇ~~許せ
2004年04月15日
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ご無沙汰さんの まる です。やっとこ画像を整理いたしました。見てください。このスピード感あふれる まるをー。ぶぅぶぅ言いながら足の周りを走っております。 どじゃ、元気じゃろー。今日で、まるは7歳になりました。オメデトウじゃあ~~~~!!イチゴを食ったぞー。と、言いながらもこの日記も画像も5月11日だったりするですー。ふっ。そしてまるのドアップ。 ほらね可愛いでしょー。親大馬鹿は健在でございます。そしてこの日、私の父が入院いたしやんした。つづく・・・つづき、いつ書くんかなぁ? ぶつぶつ・・・
2004年04月06日
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それは私が日記を2日続けて書いたからじゃ。許せ 続き・・・・その病名ってのは・・・・忘れたぶはははははははは漢字がさ、沢山並んでた事だけは覚えてたんだけどね。すぐに読めなかったんだわ。母に聞いても忘れたって言うしさ。正常な場合、喉側と後ろ首側の骨の間に脊髄が水にプカプカと浮いているんだって。レントゲンで写すと、その水の部分は白く映るです。うちの父の場合、普通にレントゲン撮るとキチンと水が映るんすが、首を後ろに反らせると水が全く映っとらんのです。普通の人ならばこれくらいでは圧迫して水が映らないなんて事はないらしーんすが父の後ろ首側の骨が小さいらしくて狭いとか。老化もあるんだけど、これが原因なんだそうです。そして放っておけば更に悪化するとか。命には関わらないんすけどね。どうやって手術するかってばく~び切って~~♪縦にね。]←こうなってる後ろ首の骨の | の部分の真ん中を切りまぁす。そして真ん中にセラミックを足すんだとか。そうして後ろ首の骨の間隔を広げるんだとか。それを3~4本ばかり。S先生はこの手術をなんどもされてるらしく、難しい手術ではないんだそうです。でもね、全身麻酔だから、やはり恐いさね。これ以上に進行させない為の手術なんすが、実際には、腕のだるさや痺れが良くなったという話をよく聞くんだとか。これで確実に手術する事決めた父でございました。母も納得です。そして4月6日の日記のまるの写真の下につづくので御座いました。つづく・・・どじゃ、上手く繋げたじゃろー!
2004年04月05日
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今年の1月くらいから父は右腕が上がらない、力が入らない、ダルイってな事でいつも行ってる内科に通いだしました。その病院には整形が入っているです。レントゲンとって、まずは薬で様子を見ましょうと言う事でした。それと同時に更に詳しく検査した方が良いと言う事で脳神経外科を紹介してくれたです。レントゲンを撮ると、「おそらく薬で治るであろう」と言う事で、やはり薬で様子をと言う事でした。暫らく薬で様子を見ましたが何も変わりませんでした。父は、詳しく検査できると言う事で病院は脳神経外科に絞りました。父「薬の治療では何も変わらない」と先生に言うと、先生「首を切るしかないですな」と言われたそうです。なぜに首かってば、脊髄を首の骨が圧迫してるらしーから。手術を受けるか受けないかは本人しだい。死ぬ病気ではないから病院では無理しては薦めないってな事でした。父は受けると決めたです。母は、父の即決に不安があったようです。3月の末だったかな。札幌から首に詳しい先生(S先生)が赴任してきました。父のためにではなく。たまたまタイミングが良かっただけなんすがね。S先生が担当になる事になりました。最初に撮ったレントゲンでは手術するほどではないんだそうで、凄く、どうしてかと疑問に思い、改めて違う形でレントゲンを撮ったそうです。そして原因が判明病名は・・・・・・・・・・続くいやぁ~~~、なんだかマジだなこの日記。笑うとこないじゃん。らしくねぇ~~~!!
2004年04月03日
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旦那からお昼の12時過ぎにメールが来ました。旦那『今晩、俺のおごりでラーメン食べに行くか?』私『おぉ!!行くぞー』旦那『うっそだよぉ~~ん』今日はエイプリールフールです。私は旦那に嘘をつかれたわけです。他の事なら「うはは」と笑って済んだでしょうが、食べ物の事になるとそうはいきません。食い物の恨みは恐ろしいのです。私『本当におごらないと帰ってきたらデコピンすっぞ』旦那からの返事はありませんでした。その代わり普段よりは早く帰ってきたです。そしてラーメンを食べに行きました。ふっふっふ デコピン免れおったな。食い物の事では嘘をつかせるわけにはいかんのじゃー!!改めて思い知った旦那で御座いました。ごちそうさん♪
2004年04月01日
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