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現場に行くと、机上で考えてもわからぬことが、一目瞭然に判明することがしばしばあります。 屋島の壇ノ浦に行くと、那須与一が海中に馬を入れて、船上の扇を射たという、平家物語にある故事が事実である可能性が高いことがわかります。 船上にある扇は揺れている、与一を乗せた馬も揺れている。矢を的中させるのは難しかろうと、長年思っていました。 壇ノ浦海岸に行きますと「駒立て岩」と称される大きな長方形の岩があります。 那須与一は、愛馬をこの岩の上に乗り上げて上下動しないようにしてから、矢を射たのです! 私の高校の古文の教師も屋島に来たことがなく、このことを生徒に教えることかなわずでした。
2009年08月16日
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8月10日 香川県高松市にて四国新聞社主・元労働大臣平井卓志氏の合同告別式に出席。 四国新聞社と西日本放送の合同によります。 十年ぶりの高松市訪問です。前日から高松駅前の全日空ホテルに滞在していました。(十年前は新築工事中でした)屋島の壇ノ浦を、勝手ながら、この機会に見たいという思いもあったからです。 台風8号の影響による豪雨で外出もままなりませんでした。 「人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び日々に楽しまざらん」 上記は平井卓志氏が古希の心境を語った文章で、徒然草から引いています。もうひとつ「無功徳」という言葉もお好きであったそうです。 一切の報いを期待しない無償の行為の貴さを示す禅の言葉です。 この二文だけでも、平井卓志氏が巨大な器を持った新聞人であることが窺われます。 享年77歳 惜しまれる死です。 高松市の避難勧告は11時にすべて解除になり、午後4時からタクシーを飛ばして,四国八十八箇所のうち八十四番札所である屋島寺まで登りました。 屋島の展望台からの瀬戸内海を見下ろす光景は絶景です。 義経は弓を流してしまい、熊手で拾おうとした平家の目前で命がけで拾った逸話があります。屏風絵にもなって現存していますから事実に近いのでしょう。 弓を惜しんだのか、命がけで弓を拾うなど将の行いではないと源氏方からも責められてこう答えました。 「(自分は体が小さく非力なので)弱い弓であることを平家に笑われたくないから」 6軒あったホテル・旅館のうち4軒が閉鎖されていました。うーん。
2009年08月11日
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大原れいこちゃん、死んだの。 野獣会の頃の麗子ちゃんの眼が、だんだん小さくなってきていましたね。 でも、眼が小さくなってきても、あなたの魅力は変わりません。合掌
2009年08月06日
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