全8件 (8件中 1-8件目)
1
昨日、パンジーを小さなビニールの鉢から、少し大きい植木鉢に移し変えたのですが、まだ鉢が小さいという指摘を受けました。そこでもっと大きな鉢に移し替えました。私が園芸を全然知らないものですから、パンジーにも余計な苦労をかけてしまい可哀想なことになってしまいました。うまく育つと良いのですが。
2009年01月16日
コメント(2)
親切なアドバイスを頂いたので、それに従ってパンジーを引越しさせました。培養土を買ってきて、それを大き目の植木鉢に入れ、小さなビニールの鉢から移したのです。生き物を飼うといつもこうなりますね。パンジー自体は58円でしたが、土代はそれより高かったです。一年前に交通事故で亡くなった飼い犬タローも、ただで貰ってきたのですが、事故後入院・手術をしたので、獣医への支払いは結構な金額になりました。人間も作る時はあまり考えずに気楽なのですが、出来た後が大変です。
2009年01月15日
コメント(2)
さきほど、郊外型の雑貨店に行ってきました。そこの屋外が園芸の材料屋さんになっていて、花も売っています。植木鉢ともいえないようなビニールの小さな容器に花を咲かせた植物が入っています。二ヶ月前にもここでコスモスを買いました。春に我が家に植えたコスモスが全滅してしまい、その代わりに一鉢買ったのです。百円で、その安さに驚きました。最近生き物が安く売られているのを見ると悲しくなるのです。たくさんの鰯が一皿いくらで売られていて、一匹当たり10円なのです。「鰯よ、お前は10円で売られ食われるために必死で敵から逃げ回って生きてきたのか」とかわいそうになってしまいます。今日もパンジーが売られていました。赤や紫、黄色と可憐に咲いています。寒い風が吹いていて、夜になったら冷え込むと思いますが、このパンジーは寒さに凍えるしかありません。一鉢58円なのです。こんな安い商品を夜になったからといって温かいところに移動させるとは思えません。凍えて枯れてしまっても別に構わないのでしょう。だったらせめて一鉢でも買おうと思ったのです。風が強かったせいか花がすこしねじれていますが、世話をしたらシャンとするかもしれません。
2009年01月11日
コメント(2)
この半年以上、大学院に入るべく色々受験勉強をしていましたが、大体目処がつきつつあります。私は大学院で仏教を研究しようと考えているのです。とりあえず2年間の修士課程を修めようと思っていて、その後博士課程にいくかどうかはまだ白紙の状態です。仏教の僧侶になるために大学院に行くのではなく、仏教を良く知りたいがためです。私は別に仏教の信者というわけではなく、仏教が特に好きというわけでもありません。しかし、「日本人とはなにか」を考え続けてきた結果、仏教を知らなければならないという結論に至ったのです。仏教は非常に宗派が多く、それらは大乗仏教、小乗仏教、密教のいずれかに属しますが、その教えはそれぞれ非常に異なります。小乗仏教と大乗仏教の差に比べれば、キリスト教のカトリックとプロテスタントの差などほんのわずかです。イエスが布教活動をしたのは、2~3年でその教えを自分で聖書に書いたわけではありません。しかしイエスの死後数十年の間に弟子が聖書を編纂し教義の基本が確定したため、それから大きく逸脱することが出来ないのです。釈迦も経典を書いたわけではなく、その死後弟子たちが経典を書いたことではキリスト教と同じです。仏教の経典は「如是我聞」で始まりますが、これは釈迦の弟子が「お釈迦様はこのように仰ったのを聞いた」という意味です。生前のお釈迦様から直接教えを受けた弟子が「如是我聞」と書くのならまだ分かりますが、死後千年以上たって書かれた経典もたくさんあるのです。ですから、経典の内容が千差万別で矛盾だらけなのです。明治になるまでは日本の僧侶はこの辺の事情が分からず、経典は全てお釈迦様の教えを書いたものだと思っていました。そして経典相互の矛盾に悩み、「これはたとえであり本当のお釈迦様の真意は別のところにある」などと考えていました。日本の仏教は、釈迦の没後500年以上経って発生した大乗仏教が基礎になっていますが、それも支那を経由してかなり釈迦の考えから紆余曲折を経たものです。それが日本に入ってさらに日本的な味付けがされています。この日本化した仏教の教えが今の日本人の発想の基にあります。そして私はこの日本式仏教というのがいろいろ問題を抱えていると考えているのです。ですからまずは、日本式仏教が仏教全体の中でどういう位置を占め、どういう教義上の矛盾を抱えているかをはっきりさせる必要を感じたのです。こういうわけで、この春からオッサンの学生になります。皆さんよろしくお願いします。
2009年01月11日
コメント(0)
意味不明の議論のことを「禅問答」といいますが、これは師弟の間で公案に関する議論をすることを言います。この「公案」というのは、「公府的安牘」を縮めたもので、「裁判の判例」という意味だそうです。「公案」に関する偉い禅僧の模範解答のことなのです。修行中の禅僧はこの模範解答を暗記するまで何回も読みます。こうしてこの模範解答が条件反射のように出てくるようになると、応用問題にも対応できるようになります。こうして高僧の思想が血肉化できるというわけです。こういう修行の方法を、私がお話を伺った高僧は、「量質転化」と表現しました。同じことを幾度と無く繰り返す(量)と、レベルが上がるというわけです。「模範解答」という型にはめることで悟りに近づくというやり方で、私は日本人の思考パターンである「型にはめる」ということとの関連を連想しました。この課題は非常に重要だと思っていて、今後時間をかけて考えていこうと思います。
2009年01月10日
コメント(0)
昨日は、臨済宗という禅宗の一派の高僧のお話をうかがいました。私は、禅宗というのは仏教がインドから支那に伝わった後に、支那人がこの教えを自分たちなりに消化して作り上げた仏教だと理解しています。ですから禅宗というのはインドにはないのです。今から1400年前の唐の時代に、支那で興った仏教系の新興宗教が禅宗だ、という言い方も可能だと考えます。昨日の臨済宗の高僧は色々な話をしてくださいました。自力本願というのは、自分は仏になれるのだと信じて、自分の力で悟ろうとするもので禅宗はこの考え方です。一方仏の力に頼ろうというのが他力本願で、念仏を唱えることによって極楽浄土に往生できるという浄土宗や浄土真宗はこの考え方です。今、あなたが急に思い立って、憧れのエーゲ海に行くとします。スーツケースと「地球の歩き方」を持って、あなたはエーゲ海のロードス島の港に上陸しました。とりあえず宿を見つなくてはなりません。「地球の歩き方」を見て設備や値段・場所を検討し、あなたが自分で宿を決めるのが自力本願です。あなたが「地球の歩き方」を読んでいる時に、男がやって来て「ヘイ! ユー ホテル? カムカム」と話しかけてきました。どうやら彼は旅館の客引きのようです。彼はあなたのスーツケースを持って先に歩き始めました。彼の後に付いて行って宿を決めるというのが他力本願です。これを素直に出来る人は少ないでしょう。彼が旅館の客引きではなく、本当は強盗かもしれません。女性など恐怖で素直について行くことなど出来ないでしょう。またその宿が気に入らなかった時はどうしようという心配もあります。だから付いて行くにしても「地球の歩き方」を見ながら腰が引けた状態になるでしょう。その客引きらしき男が阿弥陀様だというのが他力本願なのです。そして自分の力で何とかしようという気持ちを捨て、すべてを阿弥陀様にお任せするのです。「他力本願というのは自力本願より難しい。私などはとても他力本願は出来ない」と、その高僧は仰いました。
2009年01月09日
コメント(3)
西本願寺の墓地である大谷本廟に納骨する場合、いくつかの方法があります。昨日写真を写した無数の墓のように、三尺四方の敷地を百数十万円出して買い、そこに自家の墓を建てて納骨する方法があります。他にお墓のマンションがあってそれを買う方法もあります。更には、一戸建ちやマンションを買うのではなく、親鸞聖人の墓の周辺に骨壷を埋めてもらう方法があります。兄はこの方法で納骨されました。10万円程度でやってくれて永代供養付です。これは独身者など子孫が供養してくれることが期待できない場合などにお勧めで、しかも安価です。ただし、これはその敷地がいっぱいになると古い順に遺骨を掘り出し、遺骨をコンクリートに混ぜて大きな仏像を作ります。毎朝・毎夕僧侶が、地中に埋まっている霊およびコンクリートの仏像になった霊をまとめて回向するのです。このように浄土真宗の信者になれば、その財力に応じて死後の平安な暮らしが保証されます。この完璧な永代供養システムの説明を聞いて、浄土真宗西本願寺派が日本最大の宗派であることももっともだと感心しました。ここの礼拝所で兄の霊に祈りを捧げた(僧侶に頼まず自分だけで祈ったので無料です)後に、無数の墓の見物をしました。メインの通路の両側の目立つところにひときわ立派なお墓が並んでいましたが、これらの多くは戦死者の墓でした。陸軍上等兵だれ野だれ兵衛 勲八等功七級 などと書かれています。一番目立つところにあるのは下士官・兵の墓で将校は少し奥に目立たないようにあります。戦死すると二階級特進するので上記上等兵の場合二等兵で戦死したということです。二等兵と言うのは兵隊の最低で、応召されてすぐに戦場で討ち死にしたのです。二十歳そこそこのこれからという時に戦死したわけで、親兄弟の無念さは大変なものだと思います。そういう心情を斟酌し、その霊に対して最大級の敬意を西本願寺は払っているのです。たしかに西本願寺が日本最大の勢力を維持しているのももっともな話です。
2009年01月02日
コメント(0)
私には兄がいましたが、事故で10歳ぐらいの時に亡くなりました。私は臆病なのですが、兄は花火の火薬をビンに詰めて遊んでいて暴発し怪我をするなど、非常にエキサイティングな性格をしていました。私の家は昔から浄土真宗の信者です。信仰というのは本来個人的なもののはずですが、日本でも他の国でも家が信仰を持つということが往々にしてあります。なくなった本人やその親がクリスチャンなのに、親類縁者が遺骨を代々の寺の墓に埋葬しないと収まらないというようなことが起きたらしいのです。兄の遺骨は、その一部をはるかなたの京都の本山に納められたということを最近知りました。兄の命日が近づいたので、今日思い立って墓参りをしようと思ってでかけました。浄土真宗は戦国時代に信長と戦ってなかなか屈しなかったというほどの武力を持っていましたから、権力者に非常に恐れられた存在でした。その浄土真宗教団が秀吉から徳川家康へ権力が移行するという戦国末期に、御家騒動を起しました。宗祖親鸞聖人の子孫が教団のトップになるという、お釈迦様が聞いたらビックリするような奇妙な習慣を浄土真宗は持っています。戦国末期の浄土真宗の宗家に正妻が生んだ息子と妾が産んだ息子がいて、その両派が跡目を争っていたのです。坊主に妻がいるだけでもおかしいのに、妾が子を産むという現象をお釈迦様はどう解釈するでしょう。この跡目騒動を徳川家康は、浄土真宗の勢力を弱らせるチャンスと考え、浄土真宗を二つに分割してこの争いをおさめたのです。二つの浄土真宗教団は当然ながら非常に仲が悪く、東本願寺は徳川幕府にピッタリと密着していましたが、西本願寺は反徳川でした。だから幕末に西本願寺は討幕運動を大いに援助したため、維新後は西本願寺の方が優勢になりました。私の家はこの勤皇派の西本願寺のほうなのです。そしてこの教団の墓地が東山の清水寺の隣の鳥辺野にあります。鳥辺野は昔から、死者を埋葬する土地で、親鸞聖人の墓地もここにあります。そして親鸞聖人の墓地の近くが教団の墓地になったのです。写真のように山の斜面が無数のお墓で埋まっていて壮観でした。次回に続きます。
2009年01月01日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1