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初めてのソルでした。前日からある程度チェサの食事を準備。家は、親戚の行き来がないので、なんとも穏やかな雰囲気だったけど、多分お嫁さんたちが一番忙しい日の一つでしょう。お正月の朝は、早朝から始まります。日が出る前に両親宅に行って、日の出とともにチョルをするようです。その後お墓に行くのが本当らしいけど、ものすごく寒いのに、特に赤ちゃんを連れて行くのはダメだ、という事で取りやめでした。日の出に間に合うように行かないと行けないで、慌しく準備して出ようとしたら、鍵がかからない!パパは車を暖めに先に行ってしまったし、鍵は鍵穴に入らないし、途方にくれてしまった。下では早く行かなきゃとイライラしてるだろうに、鍵がかからなかったなんて言ったら絶対怒ると分かっていたけど、何度やってもダメ。仕方なく下に行って言うと、やっぱり怒った。戻ってきたパパの言うことは、お前がちゃんとやんなかったからできなかった、との事。馬鹿な、怒られるって知ってて何度もトライしなかったというのだろうか。やってもできなかったのよ、というとうるさい!とさえぎられてしまい、二人とも気分悪いまま、両親宅に行くことになってしまった。行ってすぐにそのことで文句を言う。そうしたらハルモニが、急ぐことなんて何があるの?ゆっくり来れば良いじゃない、と言った。そうよ、そう!と思ったけど、もしかしてダンナはハルモニにそう言ってもらうために、わざと私の文句を言ったかも。パパが私の文句を言ったらハルモニは絶対といって良いほど私の味方になってくれるので。私がハルモニから文句言われないように、わざと自分が悪く言ったりする戦法を使ったりするのです、パパは。そう思うことにしておこう。新年なんだから。ところで、鍵はどうやら、鍵穴が凍っていたらしい。外がものすごく寒いのに、家の中は半そでで大丈夫なほど暖かいので、鍵穴が汗をかいて、そのまま凍ってしまったみたい。ノハルモニに挨拶をしてチェサが無事終わって、食事。その後は、早起きで寝不足なので、お昼ねタイムになった。そういえば、韓国にもお年玉がある。イパルだけでなく、私たちまでもらってしまった。お年玉は日本みたいにお年玉袋があるわけではなく、そのままお金を頂いた。結婚式のお祝儀もそうだけど、あまり外見は気にしないのね。日本が気にしすぎだと思うんだけど。でも、韓国人にはその日本の外観をきれいに見せるのが好きらしく、いつも感心されてしまいます。日本人の母は、日本はラッピングなど、要らないものにお金を使いすぎだと日ごろ言ってるのに、まるで正反対の意見なので、おかしいです。
Jan 22, 2004
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よくNCLEX(正看試験)のForumとか見ると、試験を受けた後に鬱々と待っている人たちのメッセージを見かけていた。その時はあまり実感なかったが、いざ自分が受けてみるとこの待っている時間がどんなに嫌なものがよく分かる。まさに”The wait is killing me!"という感じだ。州によってはクイックサービスといって、試験を受けて48時間後にUnofficialで分かるサービスを受けられる所もあるが、CAはこれに参加していない。だから、CAのホームページを毎日チェックして、自分の名前がないか見ることと、正式な通知が来るのを待つのみだ。ホームページは受かってないと載らないが、受かっていても載らないこともあるらしいので、結局1ヶ月待って通知を見るしかない。いくら受かんなかっただろうと分かっていても、実際不合格の文字を見るまでは希望をぬぐいきれない。もう一度勉強しないといけないだろうとは思うけど、この子供たちを二人面倒見ながら、どうやってやるんだろう。今回の試験までだって、子供たちを相手しながら十分にできなかったのに、下の子がどんどん大きくなっている今、もっとできなくなるんじゃないか、不安だ。明日から韓国はお正月だ。初めての経験。
Jan 15, 2004
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夜中に出発するフライトでソウルに戻った。到着したのは早朝。機内の放送ではソウルは気温マイナス8度。30度前後あった暖かいサイパンとはまるで正反対の気温に、あ~現実に戻ったんだと実感せずにはいられなかった。機外にでたら冷たい空気がさぁっと感じられる。気を引き締めないと風邪引いちゃう、と体を硬くした。ソウルに戻る便はほとんどが韓国人だったため、外国人用のイミグレーションはガラガラ。パパも私に便乗して外国人用から入国した。ロビーに出ると、早朝でもかなりの人ごみ。バスのチケットを買って、都心ターミナル行きのバス停を探す。外に出た瞬間、切れるような冷たい風が容赦なく吹き付けてきた。サイパンに行くために、厚着をしていかなかったので、本当に寒さが身にしみてきた。やっとバスに乗り、サイパンからの小さい飛行機のエコノミー席から比べたら、ファーストクラスのような座席で悠々と座った。渋滞でかなり時間がかかったが、見慣れたCOEXや現代デパートが見えてきた。ここからはタクシー。とりあえず、自宅に戻り、着替えて両親宅に向かった。もう下の子は起きてたけど、私たちを見てもあまり反応がない。ハルモニにだっこされたまま。ひさしぶりのおっぱいをあげて、やっと思い出した様子。それにしても、沢山食べていたようで、たった数日間でちょっと丸くなってた。おなかを空かせないこと、怪我をさせないことに神経をすり減らしていたハルモニ。本当につかれきったようだ。好きな時だけ面倒を見ていたハラボジは、ずっと仲良くしてたぞ、これだったらお前たちだけアメリカに移住しても大丈夫そうだ、なんて言い出す。何はともあれ、二人の子供を見てくださってありがとうございました!そういえば、帰りの機内には私も見たことのある、韓国のおばさんタレントがいた。ビジネスとかかな、と思ったら私たちの隣だった。
Jan 14, 2004
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私たちは韓国系のホテルを利用したのだけど、予約はソウルの事務所でしてきた。その際、サイパン便は明け方に到着して夜中に出発するため、出発する直前までホテルに滞在できるように予約したつもりだった。なので、4泊を考えていたが、事務所側が3泊だけ請求してきたので、あ~きっとサービスなのか、と楽天的に考えて来たが、やっぱりどうもおかしい。夜にフロントに念のために確認しに行った。いつもなら地元の女の子がいるのだが、今日は韓国人のスタッフ。なら話が早い、とパパが色々聞いてみたが、やっぱり恐れていた通り、昼の12時には出ないといけないらしい。そうなると出発まで12時間近くいる場所がない。いくら外で遊ぶ、と言っても見るところはみんな見てしまったし、絶対時間が余ると思っていたが、延長するとなると更に1泊分払わないといけないし、しかも予約した時より全然高い。掃除の関係で12時にチェックアウトなんですよね~なんて話すので、私たちがチェックインしてきた時の、部屋の中のタバコの箱やコンドームのごみなどを思い出して、じゃ私たちの時はあまりちゃんと掃除されてなかったのかな、とパパがポツリと言ってみた。困惑気なフロントのおばさん、私たちが入ってきた時の部屋の状態を話すと、ものすごくびっくりして、そんなことは早く言って下されば良かったのに!!と言いながら、出発されるまでお部屋使ってください、と言ってくれた。渡された名刺を見たらマネージャ-だった。私たちはタイミングも言った人も良かったのだ。おかげで滞在する部屋も確保して、残りの観光をのんびりした。そういえば、サイパンにもCostcoがある。でもやっぱりメインランドに比べると全然品数も少ないし、価格もそれほど安くない。それでも韓国では手に入らない日常品を少し買ってきた。全て見尽くしてしまった私たちは、地図に載っている反対側のビーチを見てみようと、ドライブに出た。地図どおりに世中から横道に入っていくと、そこは舗装されていない道路。しかも細くてジャングルみたい。セダンではいけないだろうと思われる道をどんどん進んでいくと、岩場のビーチが出てきた。すっかり嬉しくなった私たちは、もっと先のビーチも、と進んだけどその先は本当にセダンではいけない道路だった。どこかではまってしまったら大変と、慌てて出てきた。それにしてもサイパンは自然がそのまま手を加えず残っている。自然だけではない。太平洋戦争で使われたと思われる戦車や大砲などの残片もそのままビーチに残っていたりする。飾られていない、ありのままの自然が美しい島だと思った。海の色は絶対忘れられない。試験に失敗して又受けないといけなかったら、ここに来よう。もちろん受かっているにこしたことはないけど。
Jan 13, 2004
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いよいよ試験当日。朝が苦手なので、午後12時の試験にしてもらった。行ったら、まずサインをさせられる。自分の持っているIDと同じでないといけないとの事。でも電子版の上で書くのと緊張と、それに自分のサインがどんどん変わっているのとで、全然マッチしない。10回ほどトライしてやっと受け入れられた。その後顔写真を撮って、人差し指の指紋を取って、入室。コンピューターが与えられ、最初に簡単な練習があって試験を開始する。制限時間は5時間。問題数は75問から265問。その人の出来具合で質問数が変わる。結果、135問位まで来た所で(記憶がない)コンピュータがストップした。この試験は1問答えて正解すると更に難しい質問、間違えると簡単な質問を次に出してくる。そうやってある一定の難易度の質問を平均何%正解できたら合格、できなかったら不合格という風になっている。なので、コンピュータの方でここまでやったらOKとか、これ以上やってもダメと判断したら勝手にストップしてしまうのだ。自信は全然ない。もう1回目を通してたら、と思うような問題ばかりあった。本当にもうちょっと時間があったら…。でも、終わってしまったことはもう仕方がないので、これからさあ遊ぼう、と思ったら雨が降ってきた。地元の人の話では、今は雨季だということ。仕方ないので早めの食事をした。レンタカーのおばさんに勧められていたCountry Houseというレストラン。行ってみたら日本人をターゲットにしているようで、メニューも日本語、客も日本人が多かった。ディナーはちょっと高めだけど、ボリュームがあるので、損した気分にはならないわよ、という話の通り、本当にすごい量。全然食べきれず、お持ち帰りをした。おいしかったし、本当に満足な夕食だった。帰ってからも到底食べられず、ホテルに住み着いている子猫2匹に上げてしまった。シーフードのフライなので、あの子たちにはすごいご馳走だっただろう。夜に帰ってきてからやっと雨が止んできたので、南の方にドライブに行ってみたけど、何もない。やっぱり夜はGarapanだけなのね、と実感した。
Jan 12, 2004
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サイパンには夜中に到着。フライトは4時間なので、ほんとあっという間に着いてしまった。少し寝たけど、やっぱり眠い。ホテルに到着してすぐ寝る。朝ゆっくり起きて、レンタカーを探した。でも安いのは全部出てしまった。中級以上になると高い高い! それでも、おばさんが古くてもよければ、と現代のソナタをディスカウントしてくれた。本当にボロボロだけど仕方ない。見れば、サイパンの人たちはみんなボロ車。いい車は極端に目立つ。Garapanというダウンタウンに行くとラーメン屋を発見。そこで、遅いブランチ。それから観光スポットと言われる北の方をドライブしに行った。Suicide Cliff, Banzai Cliff, Last Command どれも戦争の傷跡。どれもそのままそこに残っている。そこだけ時間が止まったように。どれだけの人がどんな思いで亡くなったんだろうと思ったら、心が痛かった。でも、そんな場所に来ると絶対いる日本人、日本軍がどんなにすごかったか、偉そうに自慢げに大声で話す。そこには韓国人も現地人もフィリピン人も訪れている。中には日本語が分かる人も沢山いる。そんな中で戦争に行ったわけでもない人がそんな心無い言葉を言うのを見ると、本当に情けなくなる。日本が本当に国際化したのなら、精神的にも国際化してほしい。他の国の人への思いやりができないなら、海外旅行なんて来ないでほしい。いつもながら頭に来てしまった。何はともあれ、観光はあっという間に終了。本当に小さな島だ。明日の試験場も分かったし、後は試験に挑むだけ。はぁ~。
Jan 11, 2004
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正看の試験のために、いよいよサイパンへ出発。最後の1週間位集中して勉強できたら、とハルモニに子供たちを頼んでやるつもりだったけど、予定が入ってしまったり、ハルモニの体調が崩れたりで、無理はさせられず、結局大してできないままの試験入りになってしまった。こうなったら、もうできるだけやるしかない。飛行機は夜中に出発。子供たちを置いてパパと二人で行く。パパと二人で旅行なんて、実は出会って以来初めてのこと。もう8年以上になるのにね。
Jan 10, 2004
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