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講話と祈り、ミサの集いです。東京教区ニュースにも毎月の案内が掲載されています。--最初にラテン語聖歌「アドロ・テ・オ・パニス」を歌い、聖霊に導きを祈る祈りを唱えます。「聖霊来たり給え。信者の心に充ち給え。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え。主よ、聖霊を遣わし給え、しかしてよろずの物は造られん。地の面は新たにならん。祈願 聖霊の光をもって信者の心を照らし給いし天主、同じく聖霊をもってわれらに正しきことを悟らしめ、その御慰めによりて常に喜ぶを得しめ給え。われらの主キリストによりて、願い奉る。アーメン」(ペンを忘れたので、メモできず、心揺すぶられるお話だったとしか思い出せません。記憶違いもあると思います)新しい年となりました。今年はちょうどあと10ヶ月後に大きなお祝いがあります。188殉教者が福者となる日です。これは単なるお祝いの式典があるだけではありません。これからの日々、188殉教者にならって10ヶ月をどう過ごすか。私たちの生き方を反省し、考えてみましょう。第2バチカン公会議の成果である「教会憲章」に「教会の中において、すべての人は聖性に召かれている」とあります。司祭、修道者だけでなく、すべての人です。188殉教者は信徒、女性や子どもも大勢います。キリスト様の教えに従い、忠実であった。キリストを通してすべての人を愛しました。今の時期、ミサではサムエル記が読まれています。サムエルに主が語りかけた場面を思いだしてください。3度,主から呼びかけられ、祭司の元へ行く。4度目にやっと「主よ,お話下さい、僕は聞いております」と、応えた。主の言葉を聞くためには準備が必要です。人は急に悪くなるのではありません。徐々にです。同じように、回心も徐々にです。私たちのうちでイエス様と語り合ってください。(黙想)豊かな実りのためには、あと自己否定。イエスが先、イエスが中心で自分は後となる生き方です。神と隣人への愛がイエスキリストの弟子の証し。キリストの教えのために血を流す殉教は限られた人だけですが、殉教はなくなりません。「世が私を憎んだように、あなたたちのことも憎む」とイエス様がおっしゃったように。隣人のためにいのちを捨てるほど大きな愛はない。隣人のためにいのちを捨てる人、不正を公にしたり、正義を訴えて殺される人。。。続けてミサとなります。ゆっくりした口調、少しふるえる手。すべての動作が丁寧に献げられるミサです。ご聖体も一人1人時間をかけてゆっくりと渡してくださいます。祈りの集いのまとめのような説教。全身の力をこめて献げていらっしゃる美しいミサでした。
2008.01.24
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中国を愛し、中国文化を尊重した宣教者1月29日は聖ヨゼフ・フライナーデメッツ神父(神言会、1852-1908)の記念日です。聖ヨゼフ・フライナーデメッツの略伝1852年ドロミテ地方で生まれました。1879年から帰天された1908年まで中国宣教に。山東省全体で信者が158名しかいなかった時代です。義和団の乱にまきこまれ暗殺されそうになったこともありました。結核治療のため、一時長崎に滞在されたこともあります。神言会創立者と共に、1875年に列福、2003年に列聖されました。カトリックでは福者が聖人としてバチカンから列聖されるためには、奇跡が必要です。この聖ヨゼフ・フライナーデメッツの取り次ぎによる奇跡と認定されたのは、1987年3月日本での24歳の男子学生のケースです。プロテスタントのクリスチャンで、白血病M2型により危篤状態に陥っていました。取り次ぎを願うミサがささげられ、医学的には治癒不可能な病状が現存していたのに、奇跡的治癒の恵みが与えられました。カトリック系病院ではなく、ある日赤病院でのこと。日本で聖人がそういう働きをされたことは何だか嬉しいです。
2008.01.19
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先月クリスマス当日の神父様の講話が心に残っているのでまとめの部分をアップします。 昨日朗読されたルカ福音書には「天のいと高きところには栄光神にあれ、地にはみ心にかなう人に平和」という言葉があります。 厳しい歴史の現実に押しつぶされ傷つき泣き叫び助けを求めている人々の真ん中に、この言葉が響きました。 現実の真ん中に神様はどういう方であるかという告げた「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和」 人間のあらゆる制度よりも強力なエネルギーで人間の社会の中に、魂の中に刻まれていきますよということを告げました。刻まれた人をたしかに神様は2000年間作り続けた。神様のいのちにあずかっている、イエスキリストの心を心としていくことを小さな所から選び始める、あなた自身も変わっていき、あなた自身の周りから幸せが広がっていく 飼い葉桶に身を横たえた幼いイエス様は全世界に11億の信者をいきなりお造りりにはなれなかった 神の子でありながら、赤ちゃんとして小さな一歩を踏み出した。だから私たちにもそうしなさいとおっしゃっている、ちいさなところから始めて行きなさい。あなたができることがあるでしょう。 20歳の時にできたことがある、でも今はできない。でも20歳の時にはこんな風には思えなかったことが、今思えるようになったじゃないですか。それが宝です。 20歳じゃない人もやっぱりやることがある。皆がそんな風につながりあっている クリスマスの馬小屋で一つの家族を構成していった聖家族、小さな家族を見つめていくとき私たちが学ぶことがあります。 この小さな家族から4つの力が私たちの所に伝わってきます。 この4つの力を養うようにすること、来年のクリスマスの間まで意識してみましょう。 1,信じる力 ヨゼフは信じました。自分自身がすり込まれた教育や社会の規範を越えて神様の心を信じたのです。その信じる力です。 神だけを信じるというのではありませんよ、間違わないでください。神様のことはものすごく信じているけどご主人のことは信じないという奥さんが教会にもいっぱいいるの、そうなっちゃ駄目(笑)、人間を信じるということです。我が子を信じる。教会の中でも将来がわからない若い人を信じるということです。人間に対して神様が寄せて折られる信頼をあなたの中で力にしていく 2.一緒にいる力を養う 飼い葉桶の周りに一緒にいることによって、すさまじい暴力の世界に生き始めることができた 人と人が一緒にいるということはものすごい力です。 3,生かされているということに気づく力 もう与えられているもの、気づく=意識することによって与えられている力は百倍、千倍にもなる。 あなたが気づかないとからし種のまま、あなたが自分の意識という土の中にうめると100倍200倍になる 4.思い出の力,思い出す力 キリスト教的な力です。ミサは何なのかというと、イエスキリストの死と復活の記念。思い出す、思い起こす、想起することによって力づけられる、力が与えられる、キリスト教はそれをもっとも鮮烈に表現 思い出すのはイエスキリストの十字架だけではありません。 あなたが「しずけき」「きよしこの夜」この歌を思い出す。あの時あんな風に子どもと歌ったなあ、お遊戯会で歌ったなあとそういうことを思い出すだけで力づけられる。思い出の力はパワフルです。 この4つの力を使って1年間生きてみてください。必ずあなたの生き方、生きる姿は変わっていきます。必ず1年後に今よりずっと幸せになっています。。
2008.01.17
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高橋留美子の漫画のテレビドラマ化です。ちょっと頼りない気の弱い男性の主人公と、美しくてしっかり者の女性というのが、高橋留美子の漫画で多いパターン。主人公の周囲に癖のある人、ずるい人、弱い人、お人好しは登場するけど悪人が出てこない。登場人物は皆、何かしら重いもの、悲しみも抱えていますが、それをさらっと描いてほのぼのしたコメディに。明るい雰囲気が好きで良く読んでました。「1ポンドの福音」もその路線。根性なしボクサーと若くて美しい見習いシスター。「やっぱり猫が好き」の小林聡美がボクシングジム会長、もたいまさこが修道院長。この二人が登場するのも嬉しいです。寛容で温かく主人公を見守る修道院長。声色、表情、雰囲気がまさにシスター。さすがです。これからの展開が楽しみです。カトリック下井草教会でのロケシーンも興味を持って見てます。1ポンドの福音
2008.01.14
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教区ニュース1,2月号1月、2月のミサやイベント、講座などの紹介が掲載されています。vivid欄をご覧下さい。
2008.01.12
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本年もよろしくお願いします。 元旦は、神の母聖マリアの祭日、世界平和の日となっています。ミサにあずかるのは無理かと思いましたが、所属教会のメインミサにぎりぎり間に合いました。道がすいているのでですいすい。帰りには元旦から営業しているスーパーで買い物。 昨年は主日ミサだったので、神の母聖マリアの祭日だけのミサにあずかるのは、初めてです。元旦は例年山奥だったので、家で正月を迎えるのは、子ども達が大きくなってバイトや友人との予定がはいるようになった数年前から。 教会初詣に出かけるのを許可してくれた家族に感謝。 説教では「微笑みの価値」という詩を紹介してくださいました。隣の方はメモしていました。 「神の母」の意味についてのお話。 クリスチャンにとっては、主の降誕、クリスマスがいつも中心であること、それが私たちの新年。 「仰せのごとく我になれかし、我らを悪より守り給え」主任司祭さんが、自分でよく唱える祈りだそうです。すべてを委ねて生きる。その祈りの心を、今日の祭日にからめて話してくださいました。
2008.01.02
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