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復活節第5主日の聖書朗読箇所http://www.seseragi.gr.jp/06-gospel/g-index.htmその前の金曜はこの前半部が朗読されました。最後の晩餐でのイエスの言葉。弟子達への遺言のような大事な言葉です。「心を騒がせるな」という言葉について短い説教がありました。人生で大きな悲しみ、苦しみ、問題に直面したとき、私たちは、うろたえ、心を騒がせます。それが人間です。だからこそ、今日の福音の言葉があるのです。はっとさせられました。「私は道であり、真理であり、命である」「イエスは道」ということを考えてみましょう。イエスのあとを歩くのではなく、イエスは道そのもの。イエスを歩くとは、イエスを生きるということです。「道」ということで思い出すとがあります。S中高、志願生だったこ頃、よく山登りに連れて行ってもらいました。地図で見ると頂上への道ははっきり分かるのに、実際山に行くと、けものみちも多く、どれが道かわからなくなることがよくあります。けものみちをたどっても頂上へは行けません。こんなこともありました。目の前を歩いていた学生が、わっと声がして、突然姿が見えなくなってしまいました。道の脇のやぶにひっかかっていました。大事に至らなくて良かったですが、疲れたり、油断したりして、道の上を歩いているつもりが、落ちてしまうこともあります。道のそばにお花畑があって、休みたくなることもあります。ずっとそこにいたのでは、頂上へ行けません。順調のようでも、思わぬ障害物があることもあります…ーーー復活節第5主日ミサでの説教が心に残っています。同じ朗読箇所をとりあげた方のブログで説教や解説を読んでも、取り上げる箇所、視点が違っていて、はっとさせられます。聖書深読でも、参加者個人が同じ聖書を深く読んで感じる思いの違いに多くの気づきをいただきます。
2008.04.26
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だれかの祈りに 祈りは包む人の心を疲れてうたた寝する背中に母がそっとかける毛布のように祈りは包む人の体を子どもたちがくるまったまま朝まで夢を見るシーツのようにだれもがだれかの祈りに包まれて宇宙のどこかで眠る青く光る産着をまとっていつか目覚めを待つ地球のように祈りは包む人の命を病室でベッドを見守る人が深夜にかけ直すおふとんのように祈りは包む人の涙を十字架から降ろした亡きがらをひととき包む真っ白い布のように 晴佐久昌英 神父ーーー「家庭の友」2008年5月号巻頭に掲載されている詩です。自然の中で祈るシスターの写真も添えられています。この号は、聖母月の特集のほか、井上洋治神父「私の人生記」が掲載されています。最近の井上神父様の写真や南無アッバミサの写真、「風の家の祈り」も載せられています。
2008.04.16
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