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サイド自由欄

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トールも製作に関わったオラクルカードです♪
2010年05月30日
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―― ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

 世の中にある人と住処と、またかくのごとし。 ――


さつきのひかり@絶賛棚卸し中ですww
なんかしらんがウエサクだからなのかな? 爆


さて、冒頭はご存知、鴨長明の「方丈記」です。
人の世の無常を描いたもの…と言われています。
私は学校で習ったこの最初のくだりを暗誦しているだけで、全文読んだことがないのではっきりは言えませんが(爆

でも、最近、、いやけっこう前からかなあ、時々このフレーズが頭の中をぐーるぐる。



これね、人もそうじゃないかなあって思うんですよ。

鴨長明さんも、「世の中にある人と住処と」って言っているから元々そのつもりかもしれませんが、
どちらかというと無常感を強調したい感じですよね。

そうじゃなくて、私が感じるのは「人は、世界は変わること」。
万物流転は無常観の根本でもありますが、無常の寂しさよりも、今の私は変化することの可能性を感じます。

もうずーっと言ってることなんですが、人って揺れるものだと思います。
揺れながら揺れながら、自分の足を降ろす位置を少しずつ決めて
そうして自分がどうありたいかを作ってゆくもの。

足の位置を間違っちゃうことだってあるでしょう。
でもそのことに気づいたら、次に修正すればいいだけです。

それは、いつだって変われるし、変わってゆくものだ、ということでもあります。


身体が同じ身体でありながら、日々少しずつ細胞が入れ替わっているように。


そういう、「流れゆくもの」という認識が私の中にはあって。
さらにもうひとつ、確信というかもう根拠もなく「知っている」と言いたくなるくらい、自分の中で確定していることがあります。

それは、「人は善きもの」ということ。

うん、あまりにもデフォルトでいつも書くのも忘れるのですが、ものすっごい根っからの性善説信奉者なんですね、私。


だけど、我ながら笑ってしまうのが、その「善きもの」のスパンがめちゃくちゃ長くてですね^^;
もちろん今生の何年とかでもそうかもって思いますが、長ければ一万年とか、十万年とか、平気でそんな感じ 爆

だから、今ここで生きている人の中に、「悪いことをしてしまう人」がいるのも知っているというか、今生の間ではわかりあえないこともあるかもしれないね、とは思っていて。
さまざまな理由があったり、魂の学びがあったとしてもそれはそれとして。

基本的に、三次元で犯した罪は、三次元できちんと償われるべきだと思います。
そこを間違ってはいけないと思います。
たとえその生で償うことがないように見えても、どこかで必ず帳尻は合わされているのでしょうが。。


だけど、生まれ変わり死に変わり、そして、いつか。

乗り越えて過去となった経験はかけがえもなく、魂は大事ななにかを知るのかもしれないなあ、と思ったりもするのです。
そのときに、無駄な経験というものはひとつもないのだろうと思うのです。
どんなに一見ネガティブなものであっても、越えてしまえばそれは、得がたい宝石のひとつなのでしょう。


「人は善きもの」というより、「魂は善きもの」って言ったほうが、感覚として正しいのかもしれません。

すべての魂はとても善いもので、だけど今、それを選んでいない人もいて。
だから「三次元での罪は罪」で、それはまた別の話として。

遠く俯瞰して、経験としてどこを流れるかということだけで見たならば、
それは流れゆく河の、右端を流れるか左端を流れるか、そんなことかもしれないなあ、と思ったりします。

そして河は同じくとんでもないスパンで(笑)善き方向へむかって流れているのだと、また根拠もなく信じきっているので 笑

ありとあらゆる経験を積んで、そして人は軽いほうへ柔らかいほうへ、少しずつ変わってゆくのだろうと思うのです。
「その人である」という、多分ずっと変わらない部分も同時に持ちながら。


痛みや怒りを手放せなくて、ちょっと抱えていることは
どこかのゆるやかなカーブを流れるときに、外側を選んで流れてみるってことなのかもしれません。

ほとんどまっすぐに流れる内側の水のように、早く到達することはできないかもしれないけれど
それは流れないこととは違います。
また違うカーブでは早いほうを流れるかもしれません。

留まっているように見える水面の泡沫さえ、やはり現れては消え、その下の水はゆるやかにでも入れ替わってゆくのでしょう。



幼稚園に行き始めた小さい子が、行くのイヤだって泣くことありますよね。
行ったらお友達もたくさん、楽しく遊べることを知っているのに
でもやっぱりママと離れるのがイヤで。
そんなとき、早く行かせようとすればするほど、子供は嫌がって泣き喚いてしまったりします。

赤ちゃんを寝かしつけようとするときも、この子が寝たら○○しよう、なんて考えてると絶対察知されませんか 笑
こっちも隣で寝る気だと、さくっと寝てくれたり。
…ついでに自分もほんとに寝かしつけられちゃったりしますけど 爆

怒り、とか不安、とかいうものも、そんな感じなのかもしれません。


リアルの生活の中で腹の立つことがあって、その三次元的な対処は終えたものの苛々は収まらず。
感覚を探っていって、今と昔と両方の理由を見つけたものの、それでも感情だけがなかなか収まらない。
そんなことが先日ありました。

で、最終的にどうしたかって言うと。

よしキミは怒りたいのだな、じゃあそれにとことん付き合おうじゃないか。

…と覚悟を決めたんですよ。
抱っこ法のやり方ですね。その気持ちを全部受け止める。大事にする。

だけどこれ、自分にやるには少なくとも私はある程度の覚悟が必要で^^;
それなりに余裕のあるときに、心のギアをそのモードにかちんと入れないとできません。

瞬間的にむっとしたりするっていうのは、人間である以上しょうがないと思うので、
その後の自分の気持ちに対する対処の方法、ってことになるでしょうか。


ところがねえ。
気合を入れて、かちん、とギアを入れた…… 瞬間? ではないのでしょうけど。
ぽかっと怒りが解けてしまったんですよ。

そりゃもう、脈絡もなく、いきなりだったような気がします。
唐突だったのでいつだったかのメモとってなかったんですよね…記録に残しておけばよかったなあ。

あるとき突然、ぽかっっとかすこっっとか、ちょっとお間抜けな擬態語を使いたくなるようなお気軽さで、ふっと消えてしまって。
よく覚えていないのですが、覚悟を決めてから、かなりすぐだったような気がします。長くても数日だったかと。

や、あの覚悟はなんだったですか? とか思うのですが

「傷を抱く」覚悟をすることそのものが大事だったのかな、と。


傷も大事な自分の一部であると、その存在を認めて
時間がかかってもその気持ちを聴いてつきあってゆく覚悟を決めて

・・・そしたら、駄々こねてた子が満足して眠ってしまったみたいです。

リアルで抱っこ法やっていると、気持ちを思う存分聴いてもらった子が
満足して突然かくっと寝ちゃうことが多いのですが、ほんとそんな感じ。
そのワガママ(想い)を叶えられなくても、「ワガママを言いたかった気持ち」をじっくり聴いてもらうことで満足するのですよね。

怒りとか不安とかも、怒りたかった気持ち、不安になってしまう気持ち、
それを聴いて欲しかったのかな、って思います。


ネガだから、持っていてはいけないから、消さなくてはいけない、んじゃなくて。

自分の大事な気持ちだから、ちゃんと聴くよ。
あなた(ネガ)だって、私を構成している一部分であることに間違いはないんだし
そもそも生まれた理由は、なにかを大事にしたいとか、なにかの傍にいたいとか、そういう柔らかな気持ちだったはずだよね。
あなたは最初から、そんなに尖ってギスギスしていたわけじゃない。

私の怒りは、私にそういって欲しかったのかもしれません。


先に、覚悟が必要、って書きましたけど。
何でかって言うと、生半可な気持ちでやると相手にばれちゃうのです 爆

赤ちゃんを寝かしつけたりするのと一緒で。
すっかり安心して寝かす(これも意識を「手放す」ことですよね)には、
まず疑いなく逃げずにここにいるよ、
あなたが寝た後でテレビなんか見ないわよ(笑)、って信じてもらわないといけません。

だから、かちんとギアを入れるときには、いったんきっちり諦めるというか
「このまま一緒に寝てもよし」、ネガ相手だったら「このまま抱えててもよし」、それが私の望みだ、ってくらいまで心を決めてかかります。
ここにやっぱり、それなりに勢いというか気合が必要です^^;

だけど、そうすると今までどうしようもなかったものが逆に動き始めたりする。
なんだか逆説的ですけど、少なくとも私の場合はそういうことが多い気がします。
勿論、そうまでしなくても動くものはそれでいいと思うのですけどね。


そうやって心を決め、流れに任せて一度ぐっと深いところまで潜ったなら、
人はずっと流れてゆくものだから、季節のめぐりに木々が成長するように、善いほうへ流れてゆくものだから、
ふと気がつくと夜が明けて小さな花が咲いている、そんなふうに
自然のうちに何かが変わってゆくのかもしれないなあ、と思います。





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最終更新日  2010年05月30日 21時01分54秒
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