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「忍とは」 「忍の一字は衆妙の門なり」(論語)忍耐の忍という字の精神こそ、人生のあらゆる苦難を乗り超えさせる原動力である。
言葉で忍耐とよく言うが、耐え難い苦しみを耐え忍ぶことは、その局面で
苦難の比重を見ることはできない。
人それぞれの、耐力が違うので、これも並一に判断することもできない。
「衆妙」=多くの優れた自然の道理、妙はいうにいわれぬ深遠な道
とあるが、凡人には判断できない門のようですが
日ごろ、身近な者との、心のわだかまりが、不和の原因となり、三者から
見れば何でもない口論が、すべての人間関係を
破壊してしまうのです。そんな、詰まらない事で不信の増幅をすることが
どれほど自己満足になるのかと
実に馬鹿馬鹿しい感情だと、傍から見て言えるのですが、当事者は
異常と思えるほど、頑固に自己正当性を
主張するのですが、誰も理解してくれません。こんな事を「忍耐」として
我慢するのが「衆妙」になるのでしょうか。
よく、感情の平常が持たない「切れる」と、弁解がましく言います、これも
近代病の一つではないかと思います。
家庭の感情破壊は大変なリスクを伴い、当事者は「病死、自殺」したり、
無責任な者は すべてを放棄して、
ホームレスの世界に飛び込みます。これでは家族から絶縁されても
仕方のないことです。
多分家庭は完全に崩壊しているでしょう、そんな恨みを身につけて
まともな人生の過ごしようがありません。
しかし、それでも我意の制御のできないのはなんともなりません。
お互いの対話の是非は
殆どが良し悪しの差のない事が多く、よほどの暴言がない時は
大した内容はありませんね。
そんなことで、自分の人生まで放棄するのは馬鹿げたことです。
許容量のない人間は何時も
損をしているように思います。相手を受け入れる度量の広さが大切です。