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「マインドマップ」 トニー・ブサンが提唱した思考、発想法だそうです。自分達の頭の中で起こっていることを見えるようにした思考ツールだそうです。これをやると、情報の整理力、記憶力、問題解決力、プレゼンテーション力等の力が付くそうです。しかし、これらは其の道の人達の能力アップに必要なので、普通の生活にはそれほど活用度は無いと思います。ただ、年齢とともに物忘れの度合いが高くなるのに、それの防御訓練には常にいろんな事を連想(association)をするなど、頭の使い方(メンタル、リテラシー)が必要ですね。掃除をしていても、これはいらない、とか、どうすれば使い勝手が良くなるだろう、何故、こんなに汚れるのかなどを、考え、手直しをすることでも、随分思考回路は活動します。慣れない台所での手伝いも、知らない事ばかりです、覚えることも、実践することも、頭のフル回転です。人の批判も言葉には出さないが頭の中で、いろいろ考える時に自己反省と相まって正しい考えを探すことができます。などと、生意気なマインド・コントロールの一端を申しました。
2011年12月12日
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「忍とは」 「忍の一字は衆妙の門なり」(論語)忍耐の忍という字の精神こそ、人生のあらゆる苦難を乗り超えさせる原動力である。言葉で忍耐とよく言うが、耐え難い苦しみを耐え忍ぶことは、その局面で苦難の比重を見ることはできない。人それぞれの、耐力が違うので、これも並一に判断することもできない。「衆妙」=多くの優れた自然の道理、妙はいうにいわれぬ深遠な道とあるが、凡人には判断できない門のようですが日ごろ、身近な者との、心のわだかまりが、不和の原因となり、三者から見れば何でもない口論が、すべての人間関係を破壊してしまうのです。そんな、詰まらない事で不信の増幅をすることがどれほど自己満足になるのかと実に馬鹿馬鹿しい感情だと、傍から見て言えるのですが、当事者は異常と思えるほど、頑固に自己正当性を主張するのですが、誰も理解してくれません。こんな事を「忍耐」として我慢するのが「衆妙」になるのでしょうか。よく、感情の平常が持たない「切れる」と、弁解がましく言います、これも近代病の一つではないかと思います。家庭の感情破壊は大変なリスクを伴い、当事者は「病死、自殺」したり、無責任な者は すべてを放棄して、ホームレスの世界に飛び込みます。これでは家族から絶縁されても仕方のないことです。多分家庭は完全に崩壊しているでしょう、そんな恨みを身につけてまともな人生の過ごしようがありません。 しかし、それでも我意の制御のできないのはなんともなりません。お互いの対話の是非は殆どが良し悪しの差のない事が多く、よほどの暴言がない時は大した内容はありませんね。そんなことで、自分の人生まで放棄するのは馬鹿げたことです。許容量のない人間は何時も損をしているように思います。相手を受け入れる度量の広さが大切です。
2011年12月09日
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「天の采配」 「天何をか言うや、四時おこなわれ、百物生ず」(論語)天は無言である。だが、天は一刻も休むことなく、春夏秋冬の移り変わり、総ての事物の変化と成長と滅することを差配している。何をみても読んでも、地球上の何もがこれから先、人間のとって良いものは何もない、のみならず、最悪の環境が待っているように言われます。こんな希望のない楽しみのない世界に長生きをすることはないようです。でも、本当にそうなのでしょうか、人類の英知が住み易い環境を、自然の破壊のない、天に逆らわない、進歩を作るのではないかと思います。既に、人間の力で自然には勝てないことは、少なくとも日本人は思い知らされたのですから。どこまでも天の采配の中で慎ましく、人間世界を安全に過ごせる事を考えねばなりません。それには、核兵器、原発による地球破壊や、汚染などは絶対にしないことを宣言しなければなりません。
2011年12月08日
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「九割の医者はガンを誤解している」e-クリニックの岡本 裕先生著を見てこの本を読んでいると、医者も患者も「癌」を恐怖の病として、恐れ、不治の病と認識させられて、一旦この診断が宣告されたら、生きる望みを断たれたことになり、本人に告知をしなくても、家族は絶望のほかはないのである。その上、余命数ヶ月と言われればどうする事もできないのです。しかし、家族は諦めきれず、色んなことを調べ、保険扱いの出来ない医薬品でも探して飲ませます。勿論、それで効果があるとは考えられませんが、病院の言う何も出来ないからと、死を待つことは出来ません。然し、これが驚くような結果を生むのです。そうして、岡本先生の言われるとおり病院も主治医も「癌」の扱いを知らないのですから、これほど、馬鹿らしい話はありません。「癌」は大変デリケートで弱い細胞なのです、人間の多くの人はその癌細胞を持っているのですが、健康体では増殖されません。ストレスや不摂生を重ねるほど、治癒力が弱まり、病気になる体質を自分で作ったときに、がん細胞は働き始めるようです。だから、自己の「治癒力」さえ日頃から鍛えておけば、癌になっても、勝てると喝破されています。「癌」で死ぬことはないのです。自分の気力が無い時に、病気に勝てないと諦めた時に癌はどんどん増殖して、その人のあらゆる臓器を破壊してゆくのです。これでは、直りようがありません。気力を高め自己治癒力を健全することが、病気に勝つことのできる心身です。
2011年12月01日
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「当選」橋下氏、松井氏がともにダブル当選しました。大阪市民の同意を受けたと、橋下氏は、その責任の重さを感じていると記者会見で話しているが、大阪都構想も、その実現される結果が有権者の期待であり、現状よりどれほど無駄のない行政と、希望と安心して生活できる環境を実現することが、彼らに望んでの投票です。「大功を成す者は衆に謀らず」という教えがありますが、橋下氏の「独断専行」の誹りの本意は、正にこのこととすれば、立派と思います。今回の選挙戦で、橋下氏の批判ばかりで戦略のない人との戦いでは結果が見えていたように思います。改革を恐れる人々は賛同しなかったようです。勿論、これからの施政の実態を見ないと判りませんが、何時の時代も改革は多難であるこは間違いのないことです。
2011年11月27日
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「無知と迷い」人間どんな賢人でも総てを知っているわけではない、全く無知な面をもっているから知らないことには、大いに迷う。総じて賢人は、知らないことでも、知らないと言えず、つい分かったような態度と、さぞ、詰まらなさそうに知らないことを隠蔽しようとします。もっとハッキリと知らないと言えば周りの雰囲気も変わり、親切な人間も出てくるのですが、それのできない賢人が多いように思います。最悪の状態は、周りの人間までもが、賢人に同調することです。これでは何とも救済のしようがありません。然し、世の中には、意外とこんな人が多いのです。知らないことは、謙虚にその迷いから脱するべく、周りに頼めば、簡単にことは解決するはずです。特に長たる立場の人にこんな例が多いのは迷惑なことです。元社長とか、何様とかと言う人は、立場を離れれば、ただの人なのに、あいも変らず、他人を見下し、碌に挨拶もできない様な人間に周りは軽蔑しかしてないのを、分からないのも気の毒な人です。
2011年11月26日
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「衣食足りて、すなわち栄辱を知る」=菅子 日常生活で衣食住が足りて、はじめて人間らしくなり、栄辱を知ることができる。「衣食足りて、礼節を知る」の教えもあります。人間は日々の暮らしも侭ならない環境では、やはり栄辱をしること、そんな心の余裕はないでしょう。昔の武士のように、「武士は食わねど高楊枝」とやせ我慢は出来ないものです。なれど、少なくとも、男一匹それくらいの気甲斐性がないと、と思わぬでもありません。物資も経済も豊かなときはそんな苦労もしないでしょうが、「貧すれば貪する」と言われるように一人苦労を背負っている人もいます。そんな方は、なかなか幸せを掴むことがでず、人生の大半を苦しみながら、以外に礼節を重んじ、爽やかに生活されています。 これは、賢人であると、敬う思いです。私も、いろいろ勉強しながら、斯くありたいと念ずるのですが、達観する事はできません
2011年11月24日
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「莫妄想」=妄想するなかれ=逆境の妄想が人間を駄目にする。然し、どうしても人間、妄想をするのは、逆境の時です。恐らく、好調な人生で妄想をすることはあまりないように思います。人生の末路の迷いが、妄想を呼ぶのではないでしょうか、確かに危険な妄想です。その可能性の少ない計画に夢の如き成功の想像は甘美な自分の人生を見るのです。禁断の果実の甘さです。時には、それが現実となることも無いとはいえないチャンスかもしれません。無駄と判っていて、止められない自分の気持ちは、妄想ではないのではと追求することは、正しいことだと声援があるように思います。これが「根気」と言うなら可能性はあるように思います。
2011年11月22日
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「小、忍ばざるときは、すなわち大謀、乱る」論語 「小さいことも我慢ができないようでは、大きなことはとてもできない」人間我慢することは、以外に出来ないことが多いものです。いろんな我慢の仕方がありますが、「ここ一番」に賭けるとき、我慢負けをすることは、諸兄にもご経験があると思います。賭け事ならず、仕事でも、恋愛でも、投資でも、後でもう少し我慢すれば、と後悔することは、よくあることですね。でも、これがが凡人、普通の人です。それだけに、諦めも早く、気持ちの回復も早いことになります。我慢強ければ大成するかと言われてもそうでない事の方が多いと思います。我慢と忍耐とは違いますが、肝心な時の忍耐は、時に大きな報酬を授かることがあります。これも、TPOをうまく利用してこそです。仕事の上でその効果を発揮できるチャンスがあることは、既にそれなりの実力が備わっていることですが。身近な関係者の間での忍耐や、我慢はお互いの絆のなかにあることだと思います。それは幸せを求め信頼できていることが前提だと考えます。
2011年11月20日
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「習慣」論語に(性は相近し、習いは相遠し){人は生まれ時は、誰ともそれほどの 違いはないが、その人の行動や考え方の習慣は人生の大きな差になる}と、 あります。そうです。人間性の違いは、成長の過程でそれぞれが、自己の性格と知識の判読により、生活の習慣は各個人で偏差ができます。それが、その人の人格になれば、大きく変わります。親子、兄弟、も同一にはなりません。ましてや、他人は、もっと違います。それを、世間の常識や道徳、を学びます、それ以上は公的ルール、法律などが、矯正を強いることになります。でも、そこまでの問題でない、個人の習慣差は「常識,非常識」の範囲で大変協調の難しい関係となります。厳格な法理でさえ結論の出しにくい問題が、最近のニュースでいろいろと物語っています。生きにくい世の中で、幸せの求めようがありません。七十億人の世界人口は、更にこの狭い地球上で互いにせめぎあいしながら、生きてゆかなければならないのですから、高齢化社会は尚いっそう苦しい環境です。
2011年11月19日
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「枯れた春情」男は幾つになっても儚い煩悩に惑わされるようですね。若いころのように、燃えるような気持ちにはならないまでも、既に人生の終焉に、儚い春情を感じるのは恥ずかしいことと思いますが、これも生きてる証なのでしょうか。決して実行動を考えているのではなく、夢想なのです。自分がどれほどの年齢かを思い知らされる、悲しい、寂しい、追憶です。死を恐れる訳でもなく、長生きを希求するためでもなく、ただ、流れに逆らわず静かな人生の結末を締めくくれればよいなーと考えているのに、・・・・と思います。 多分、自分は案外な長生きをするのではないかと、先行きを案じております。やはり、周りから惜しまれながら終わりたいと思います。やっと、いったかなどと陰口は聞きたく無いと念じております。
2011年11月11日
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「虎丘の門」photo USMさんの蘇州の旅より 一文を拝借「三煩」 貪欲、瞋、痴 即ち、人間の抱える三つの煩悩で蘇州の雲岩寺にある「虎丘の門」に掲げられた「入解脱門」を解釈されているのですが、人間の煩悩は限りなく、貪欲であり、自分の意に逆らうことに怒り、恨み、憎悪する心や、人として何が大切かも考えないおろそかさ、無明の性格は、悲しく、虎丘の、空門、無相門、無願門の三門を潜り解脱したい思いです。この歳になっても、その煩悩に悩むのは本当に「焼かなきゃ直らない」のでしょう。自分では善行を積み、不平を言わず、と般若心経を唱えながら心の改善ができない苦しみを味おうています。
2011年11月07日
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「マスコミかぶれ」こんな言葉があるのかどうか判りませんが。最近のテレビで、食事のレシピや、食品、家事のあらゆることがまことしやかに、些か過剰かと思えるほどその扱い方が報じられます。勿論、正しく間違いのない情報と思いますが、それを「金科玉条」の如く守ろうとすることに、何となく違和感を感じます。例えばご飯は、炊いたあと宵越しをすれば腐るので冷蔵庫に入れるか、冷凍しないといけない、若ししてないご飯は捨てるべきという事や、魔法瓶のお茶も宵越しはだめで、必ず廃棄しないと、腹痛の元になる。など自分の味覚判断は許されません。私の味覚は年齢と共に劣化しているので当てにはなりませんが。注意するこたは必要ですが、余りにも食材の無駄が多いように思います。情報の精度を云々することはできませんが、多少の妥協点は一緒に説明してほしいものです。東日本大震災で全てを無くした方々の気持ちを思えば、それほど完璧な生活が正しいのでしょうか、これは、別次元の事と考えるなら、そうかも知れませんが戦前、戦中、戦後の過渡期に生きて来た人間には、自分の努力で清潔にすることはできても、調整、判断の難しい「無駄」は許容することが出来ない様に思います。これも年寄りの愚痴と言われれば、引き下がる他ありませんが。
2011年11月05日
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「日本の社会保障の充実度」現在年金生活に入ってからの、病気になった時の社会保障の充実度は、感謝の極みです。既に社会に貢献できることは何もしていない、年金だけを頼りに生活をしている毎日ですが、その貴重な年金から「後期高齢者保険や介護保険」を天引きされ 大いに不満を感じたものですが、今の年齢になり病院に行き、高額の治療や入院、多くの薬代などの支払いは、総て上限があり、それ以上の支払いは国の負担となり細かく面倒を見てくれます。ただ、病院によっては差額費用の発生がありますが、これを注意すれば生活範囲内の支払いで賄うことができます。特に身障者1級の者は一回の受診料は500円ぽっきりです。当然治療費は莫大な費用であるのに、例えば「癌治療等」でも、この負担です。治療をする場合でも、病院により、出来るところと、出来ないところがあります。また、保険の適用の出来ないところも大病院であっても、無理と言われますので要注意です、大切な身内の生死に関わることでも。・・・以外に助かるのがいずれにしても、窮すれば通ずる道のあることは有難い事です。 それはインターネトによる調査です。一昔前と比較すると、随分と便利で広範な知識を得ることが可能になりました。最近は経験の深い医者でも、認識の出来てない人が多いように思います。それほど、情報が専門家と言えども公式に伝達されてないことが原因と考えられます。メディカルの進歩に総てが同調してないのが現実です。
2011年11月03日
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「相思相愛」懐かしい言葉です、二人の出会いから新婚時代は何でもが二人であったように思います。しかし、子供ができて、家庭という形が「相思相愛」の熱さを冷やし、生活の秩序を守る環境に変わります。それからの五十数年は本当の社会の荒波に翻弄される毎日です。年齢と共に、二人の体力も自然に衰退し、病気に犯されることが多くなり、互いの自己管理が中心の生活になります。ただ、社会とは縁のない生活は、また二人だけの世界なのに、若いころの燃えるような気持ちは冷めて、真剣に相手のことばかりを心配する間柄になり、相手が病気にでもなれば、自分を忘れるほど心使いをすることになります。やはり、「相思相愛」なのですね。でも、口喧嘩は若きころの「愛」の表現の代わりのように、きりのないほど続きます。このようにして、人生の終焉を互いに楽しむことになるのですね。 世に言う栄耀栄華な幸せは出来ませんでしたが、それなりの人生であったと思います。勿論、これから先もこの環境が続くことを願ってます。
2011年11月02日
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「希望」ウイリアム・シェィクスピアの言葉に(不幸を治す薬は、ただ、もう希望よりほかにない)とあります。確かに人間が理性で制御することの難しいものは、 愛、希望、勇気、絶望、迷い、欲望、権力、復讐、憎悪、狂気、人間不信、などである。それでも、人は災害にあえば、絶望感に包まれながらも、一つ、一つ、目の前の問題を片付けてゆく努力をしようとする。こんな行動を支えているものは、やはり、「希望」というものに間違いなく集約されるようだ。「世の中には幸も、不幸も、ない、ただ、考え方でどうにでもなるものだ」と喝破しています。人間は愚かで、弱いものですから、その不幸の中に入ると、思考の全てがマイナスになりその呪縛から抜け出すのが至難の技となります。 だから、日頃から自己の「マインドマップ」を確認しながら、自分なりの標識を作っておかねばなりません。その道しるべの先に「工事中」となるとどうしたらよいものでしょうか、尋ねる人でもあれば助かりますが自分自身が立ち上がるしか方法はないでしょうね。
2011年10月30日
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「愛と回想」夫婦は人間関係で最も難しくまた何ものにも変えがたい関係ですね。妻が病に倒れてから知る、夫婦の愛の絆と、介抱しながらの出会いからの回想に、甘い辛い二人の五十数年の道のり想うと、心の底から感謝と愛おしさが湧き上がります。男は仕事があるからと随分と身勝手な我侭をすることで、彼女を泣かせ苦しめたと今更後悔しても遅いのですが、病の原因も私自身の所為と反省しています。償いの出来る状況ではありませんが、般若心経を唱えながらの介抱で一心です。ただ、今こんな二人で居れることも、神仏のご加護と感謝しています。大変、抹香臭い話で恐縮です。確かに大切な子供たちも居るのですが、夫婦の熱い関係の中には誰も入ることは出来ません。運命という約束があるのなら、この瞬間の継続は幸せであると想わざるを得ません。
2011年10月24日
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「耐用年数」よく言われることですが、実情に即しているかどうかは判りません。このビルの耐用年数は過ぎているから立ち退いて下さい。と言われても、ハイそうですかと立ち退く人は無いと思います。居住者が自分の責任で、その責任というても 個人の限界を超える事は出来ないでしょう。この「耐用年数」は、施工者、持ち主、居住者のいずれにも何等の責任もなく、食品の賞味期限のように厳しいルールはないようですが、今回の原発の事故については、災害という原因があったにしても、高温、高い放射線量、冷却水と蒸気など過酷な条件で使用されているこれの耐用年数が60年とのことだが、日本の原発の殆どが、それに近い年数のようです。当然災害に耐えることのできる構造では無い筈です。基本的にルールの改善と施策を考えねばならないときではないかと思います。原発だけでなくあらゆる公共物についても同様のことではないでしょうか。
2011年10月15日
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「衆愚運動」=新ポピュリズムと訳しておられる劇作家の山崎正和さん。メディアに踊らされる国民のことを評されているようです。国民の評価知識は、学業以外は、殆どマスメディアからになると思われます。最近は新聞などの活字離れもあり、メディアかインターネットからの情報が知識源と考えられます。ただ、その内容は視聴者の判断に任されるので、今回のように「風評被害」もあり、「放射能汚染」の過度の差別もあったようです。政治もマスコミも正確な情報と対策を行うことが重要です。「秩序感覚」のある施政と報道が求められます。東日本大震災を日本のリセットタイミングとして、政治も国民も新たな方針と施策に向かって建設的行動を自覚せねばならないと思います。
2011年10月12日
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「未経験」今回の東日本大震災は、現代社会の未経験な災害である。経済成長を求めさえすれば社会は自然にうまくいくと考えたことが、大間違いであったと大自然の力の強大さを思い知らされたようです。自由に欲望を追求すれば経済に活力がうまれ、環境が豊かになると勘違いしたのが、自然の猛威には勝てず、全てを失いはじめて人間同士の絆の大切さにきずかされ、互いの協力で一から立ちなるしか、生きられないことも痛感しました。思えば、原発など産業技術は自然環境の破壊を伴うもので、それで、自然を組み伏せることはおこがましいことです。やはり、自然と共存しながら謙虚に身の丈に合った、開発と便利さを求めなければならないと考えます。今回の災害を1000年に何回の目のことと考えると、またひどい目にあう事になるのではないかと心配です。地球上でつまらぬ自国の欲望だけを求めた争いに終始して、戦争という破壊行為を続けておれば、本当に地球の命はなくなるでしょう。
2011年10月11日
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「教育のあり方」大谷武三郎氏の(普遍教育実践講座」を読んで主婦も子供も日夜テレビ漬けで、読み書きもできず、学校の教師も道徳の指導ができないため、TVのバラエティーかスポーツばかりをみる、当に自我だけの無能な孤立した人間をつくり、本来の日本人という謙虚で礼儀正しい、思考の広い人間性を失っている。と嘆いておられる。最近の若者達のすべてが、そうなのではないが、そんな、若者や成人、老人が多くなったことも事実である。確かに教育改革は必要であるが、子供だけでなく、親も老人も意識改革が必要と思います。反抗的と見えるほど「反社会的」行動をする人の情けない、非常識さは許し難い思いです。こんな人の子供を非難しても改善されることは、期待できません。大阪府の橋下知事が根本的教育改革を実践されるのが、やっと、片目が開いた気がします。
2011年09月27日
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「クライシス」=危機、分岐点、原発の事故からの現在の状況である。寺田寅彦氏の言葉に「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」とある。災害に強いと言われた、日本が「想定外」と識者が弁明した、今回の東日本大震災と原発事故は、人知を尽くした防災対策を見事いえるほど、根底から破壊して、逃げる余裕も与えず多くの人命も奪い去った、又、原発も安全神話を覆す結果となった。まさにクライシスである。感情を表によう出さない日本人は、心で無常観を一層つよくしたのです。経験という人知で「はかりしれない」何か、(自然や神仏の働き)を感得しうる無常という感受性なのでしょう。これらの被災者のフォローと復興は、スピードと効率が必要ですがその未知の計画を今の政府に求め期待することがこれからの日本の真価となるのでしょう。
2011年09月22日
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「情報公開法の改正」政府が改正案を閣議決定し通常国会に提出したが、決まらず継続審議になった。こんな題目を見ると、やはり政治不信を強くする。福島第一原発の事故以来国民は東電と政治に対し、極度の不信を持っていると言われながら、適切な情報公開がされないのは国会は何を審議しているのかと考えられる。与野党ともに反省するべきである。野田総理は所信表明演説で、原発事故の収束と再発防止について、「国際的な視点にたって事故原因を究明し、情報公開と予防策を徹底する」と述べた。当然、原発政策やエネルギー政策の見直し、税と社会保障の一体改革など、国民への情報公開を徹底し、幅広い意見をくみ上げることが求められる。その「情報公開制度の見直し」が重要な一歩である。今までのような、行政機関の情報独占と開示拒否を改め、国民の行政参加を実現させることが大切である。(9月18日の社説より)
2011年09月21日
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「人種」今ではその差別はそれほどではないと思えるが。 同じ国民の中でも、差別があったが、それも表面的には少なくなったのではないか。ただ、差別は「人種」だけではなく、「上下、男女、地位等」あらゆるところにあるが、これはいろんなしきたりのなかで、自然に出来たようにも考えられる。悪用されなければ、それはそれで良いと思える。「人種」はどうにもならない、神の采配なので、これの差別があることが悲劇といえるのではないか。現在日本に在住されている「外国籍」の方々でも、既に帰化された人もあれば、そおでない人も、大方の人は日本を心の里にして、日本人よりも、日本人らしく生活されて居られ感激させられることも少なくありません。また、こよなく日本を愛し、国の繁栄に尽力されておられるのを見ると、頭が下がります。隣国の韓国などは、何かと日本を意識され、「追い付き、追い越せ」と頑張られ、当に追い越された分野も多いように思います。これも、親日ではなく、良きライバル国としているからではと思います。悲しい歴史もありますが、最も良き隣国として友好を図るべきと考えます。
2011年09月20日
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「小さな幸せを感じる心」新聞のコラムにあった記事から野田佳彦新首相の額に「幸せはいつも自分の心が決める」がかけてあるそうです。よい言葉と思います、「明日になれば忘れるほど小さな幸せ」人生の中で、幸せを感じるのは、多分こんな小さな喜びなのでしょう。その繰り返しが人間性を豊かにするのですね。そうして、その幸せは、自分の心が決めるのでしょう。自分の周りの家族にも、そんな気持ちを分けてあげたいと思います。
2011年09月19日
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「代受苦」仏教語で(亡くなった人たちは、生き残った者たちの代わりに死んでくれた。その尊い死に感謝して弔わなくてはいけない)ということだそうです。瀬戸内寂聴さんの教えですが、東日本大震災の犠牲者を悼みいわれて言葉ですが、心に響く言葉です。生あるすべてのものに、必ず訪れる別れは、その状況の如何によらず、残されたものの耐え難い悲しみです。逝く者も残る者も、永遠の別れを耐えてゆくのか、寂しく、悲しく、苦しいことです。その大方はお互いの絆ではないでしょうか。それを「代受苦」と思うなら甘受せねばなりません。「未曾有の大災害」と言うか「想定外の災害」として、諦めることは、傍観者の思いです。今までの生活のすべてを一瞬にして家族とともに消し去るように失うこんな恐ろしい、耐え難い現実を誰も、何としても受け入れる事は出来ないと思います。このことをいろんな立場の人々が、議論して「是非論」を話されても、被災者の気持ちは少しも納得できない筈です。「この苦しみを少しでも忘却できる」生活環境が必要なのです。 それは人それぞれであり、どんな環境でも苦しみから開放できることは出来ないかも知れません。それでも生きなければなりません。それが「代受苦」なのかもしれません。
2011年09月14日
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「医者の人間性」こんな失礼なことを、患者の立場で言うのは憚られるが、 最近病院通いが多いだけに些か腹立たしい ことがあり、自問自答してみたい。そもそも、医者は「先生」と呼ばれて 患者の診断をするのだから、患者は頭を下げて 言うことを聞くべきである。患者の言うことはいちいち聞くわけにはゆかない、 医者の言うとうりに、出来ないのなら、治療はできない、 勿論、薬も処方できない。 何もお互い口論したわけではないが、 同じ病院で妻も娘も課は違えども、お世話になっている、 特に妻の腎不全は、家族の手を多分に必要としており、私の役割は 四六時中離れられない状態である。 その実情を知りながら、「胃カメラや体調に合わない検査」を強要され たのでは、困ると頼んでいるのに、 一片の同情もせず、突き放すような姿勢は、同じ病院の医者かと 疑いたくなる、勿論、私の病状を優先する がためとは分っても、腹立たしいことです。検査をしないと、判断できない 医術は確かかもしれないが、患者の色んな負担は こちらもちで、結果何もなくても、「大丈夫」です、でかたずけられるのは 何とも許し難い思いです。 最近の医術は、すべてが検査で始まり、そのデータが理解できない 医者は病気の原因を明快に判定できない、 こんな医者が多いのは、嘆かわしい限りです。「医は仁術」と言われ 人間性を重視した医療が正しいと言われた 筈ですが、このような気持ちで、患者に接する医者は稀なように思います。 やはり、このような精神性は学生の時に 充分教育するべきと思います。国家試験にも医者の基本的精神のありかたを 審査するべきと考えます。
2011年09月07日
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「因果応報」 この言葉は子供のころからよく教えられました。この歳になって、痛感することが多いのも、やはりそんな「因果」を背負っていたのでしょう。人間は自覚ができてからは、人生の未熟さは当然としても、多くの悪因を好まずして作っているようです。親兄弟、身近な人々に、人として許されない悪口、悪行をしているものです。ましてや、成人してからの悪因は思い出すにも、憚れるほどのものがあるように思います。それの「応報」が人生の悪運のごとく、次々と報いを受けているのですが、勿論、自己の無能力もありますが、家族を不幸にしているのは、おおよそ「因果応報」ではないかと思います。善行も当然「応報」されているのですが、これは全て自分の能力と自惚れている間に、消滅してるのではないかと感じます。人間の弱さは誰の所為でもありません、自助救済が出来ないならば、頼みの綱は神仏しかないのかもしれません。これは個人の人生観によるところと思います。
2011年09月01日
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「自分に嘘をつかない」人間幾つになっても「虚勢」はなくならない。タイトルの表現はあまりよくないが、人間の成長は、自分を自己の意思で引っ張らねばならない、それは、自分を騙すと言うか「自分に嘘をつかない」と人生の飛躍が遂げられないこともある。また、他人との協調もあまりバカ正直ではできないこともある。自分を自分でコントロールすることは、余りに愚直すぎるのでは無理である。ただ、「嘘も方便」のうちはよいが、自我や虚飾に過ぎた発言のための、「嘘」は自滅に?がることになる。ナチュラルな人間性を演出するには、「嘘と謙虚」の使い方が上手なほど、立派に見えるのではないかと思う。高齢者が何故か「自己中」になるのは、自分の「尊厳や存在感」が希薄になり周りの人から無用扱いをされ折角の人生経験が無為になったと感じた時から、精神のコントロールが難しくなるように思います。 これも、最近の世相によるところもありますがテレビを見ても、意味のない「ダジャレと嬌声」に付いて行けない孤独感が一層自己破壊を強くしているのかも知れません。
2011年08月28日
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「期待外れ」 民主党のことです。自民党から、民主党に政権が移り多くの国民が、マニフェストの内容も期待どうりと、期待して投票したのにこれほど、外れた施政に呆れて、もう、政治家の言葉は金輪際、国民は信用しないでしょう。恐らく「菅総理」がうっかり、解散総選挙をすれば、民主党は殲滅されるはずです。それに選挙費用が800億もかかり、そんな税金の無駄使いは政府にもできないし、民主党もなくなるのあれば、今の内に民主党自身で「菅首相」を退陣させることである。そうすれば、2大政党制も政治的空白も税金の無駄使いも回避され、取り敢えず、民主党再生のチャンスは残されるのではないかと思われます。民主党議員100名以上の賛同があれば、退陣に追い込むことができるようです。いずれにしても、現状のままで、傍観して、成り行きまかせでは、日本国は沈没することになります。民主党の議員各氏は自己の利益よりも、真剣に国の現況を憂い「滅私奉公」の気概で立ち上がって欲しいものです。 (小林 節 慶大教授のコラム参照)
2011年08月02日
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「蘭亭叙」 中国の王義之が自らも神助があったとする書跡である。これの臨書を一年以上学んで、やっと一幅を書き上げてみて、未だ未熟の域を出ないことを痛感したところです。賞状技法書士の資格はありますが、これの字体は、楷書に近い行書なので、「蘭亭叙」の字体とは、明らかに異なり、自分の書の幅が広くなったように感じます。年齢的にも、筆を持つ指先が安定しないのですが、これも、日々の鍛錬のお陰で、維持できているようです。書は私の大切な趣味ですが、総てが独学で我流のため、今一歩が足りないように思います。ただ、書道は限りなく奥深く、その流れに乗ると留まることのできない、興味と喜びが湧き上がり、筆が踊ります。こんな時は、時間と生命力が欲しくなります。また、自分で己の無能力が腹立たしく、筆を折りたくなる時もあります。これも人生なのかと思いながらの毎日です。筆、墨、紙の選択も最近少し感じるようになり、墨色や筆の走り具合なども大きな楽しみです。正に自画自賛の境地です。最近、和紙封筒の宛名書きを400枚ほどさせて頂きましたが、賞状の字体と違う、書体で納めましたところ、喜んでもらい、小さな自信ができました。どうもわが身のことばかりで赤面の至りです。
2011年07月24日
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「想像力の衰退」大谷武三郎氏のコラムより「想像性が希薄なひとは、思いやり、優しさ、他をいたわる心などの温情や慈愛、義理人情にも希薄である。また理解力や連鎖的に起こりうることえの予知能力にも欠ける。さらに創造性は皆無である。チョッとした事に気が付かない人や、体系的に思いを巡らすことができない人が目立つ。家庭や学校で想像力を育てさせない状態が原因で、普通の簡単なことすら考えても分からない人が目立つ。また、エアガンで猫や小鳥などの小動物を撃つなど、その行為に何の痛痒も感じない虐待を面白がるのは、自然の環境を肌で認識する機会を与えられなかった結果なのか、相手の痛みを想像する気持ちを持ち合わせてない。創意工夫、周りの空気を読むなど、対人的協調性が欠如している人物になり自己で精神の向上はかり、進歩してゆく事ができない人間となり、限りなく人間から遠ざかって行くようだ」 と論じられている。正に私たち高齢者を含めて、人間らしくない、反逆的人物が目につくことが多いのは嘆かわしいことである。「なでしこジャパン」の女性達や、日本人として誇ることの出来る、優秀な若者たちも多いことも、嬉しいことに違いないがどうしてこんなに、人間格差ができたのか考えさせられる今日です。
2011年07月20日
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「迷いの人生」この歳まで生きてきてやはり、反省と心の迷いの多い人生であり、どのように自分を決着付けたらよいのかと?家族関係、対人関係、経済問題など、何一つこれでよいという納得できるものはありません。自分では、健康管理、自身のビジュアル観、清潔感などには、充分に配慮して、面接者に不快感を与えないように心がけているつもりだが、これはあくまでも自己判断の域をでないが、問題なのは言葉ではないかと、思う、これも、「自己中」的思考や、「強圧的」でなく、また「変にへりくだったり」ような態度に過ぎず、ノーマルでナチュラルな姿勢を堅持したと考えているが、これも自己の判断の域を出ない。若いころは、他人の批判より、自己主張を強く前面に出し、些か強引とも見えるほど自信に満ちた態度であった と、自戒してるが、それが一度失敗してしまった者は 誰から見ても反省と萎縮の姿勢であったと思う。それからは、日夜 般若心経三昧の自己リセットに切り替えたのですが、 そんな程度のことで、人生が好転するはずもなく、何時も社会の底辺を歩く貧しい生活に耐えねばならない境遇を過ごして来ました。「奢る平家は久しからず」の喩え道理自分を葬りさることもかなわず、ただ、ひたすら風雨に耐え忍ぶ忍従の生活しか許されない環境でした。こんな生活の中でも、少し与えられたのは、人を見る目、自己制御、不断の努力、という人間力かもしれません。「以って銘ずべし」なのでしょう。
2011年07月14日
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「ストレステスト」日本の福島第一原発事故から表に出てきた言葉。先進各国は既存の原発の再点検にこの「ストレステスト」の実施をどれほどの内容でするのかを模索しているようです。日本でも「ストレステスト」という言葉が先行して、その調査内容の具体案はこれからのようです。想定外をすべて想定内にする安全基準のハードルアップの設定を考えるようですが、先ずは、その検討委員会の皆さんの「ストレステスト」をしなければならないのでは、と思います。現内閣の要人達も当然この検査を受けるべきで、本気でストレスを感じて欲しいものです。誰の為の政治をしているのかも、自覚できてないのでは国は滅亡することを認識しているのかと疑いたくなります。大阪でも、知事と市長が、防災認識について対当意見を言いあっていますが、防災は、気がついたときに、対策を考えるのが当然で、市民の不安の大きい時、熱いときが、防災設備を実行するのに最大のチャンスと思います。特に、その危険性を強く感じている地域や団地などは、声を高くして自治体に協力を要請するべきと考えます。こんな時こそ、住民同士の連携と防災意識を高めて、素人なりの「ストレステスト」のやり方を討議することが、何時発生するかわからない災害への対策や準備、心構えになると思います。国も地方もそのための予算を準備するのが当然ないでしょうか。
2011年07月07日
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「無償の奉仕」これが心に何の含みもなくできれば立派。一番身近な「無償の奉仕」は家族ではないだろうか。親が子供に尽くす行為と気持ちはすべて愛故に出来る事と思います。この気持ちは、夫に対するものとは、同じ無償の奉仕でも妻の立場が、親の立場に変わり、その内容の重さは明らかに大きな差があります。そのことに夫がきずくのは夫の権威がなくなった時からですね。即ち愛の対象から外されており、「有償の対応」になっております。そうでないご夫婦もたくさん居られるでしょうが、これも本音と建前があり、真実を知ることもできません。他人様に「無償の奉仕」が出来るかと言えば、常識的にはノーでしょう。「社会的奉仕」はどうかとなれば、多少の含みをもって行動する人はあるように思います。ただ、形から入るのではなく「奉仕」の現場に行けば、「滅私」の精神で没入される人が多いことも事実でしょう。今回の某復興大臣のような、自分の立場の認識も欠如した者も、目的は「国が奉仕」をどんな方針でやるかを、現場の人々に説明するべきを、自分が国の変わりにしてやると勘違いをしているようです。その原因を作ったのも、政権与党の内閣です。心構えも、準備も対策も、打ち合わせされてないことが、明らかです。無放任な指示命令ではないかと感じます。政治は実行されてないと判断するしかないような現実です。高額の報酬を手にしながら、塗炭の苦しみを国民に強いているのです。こんな国政を許していて、われわれの将来はあるのでしょうか、心配です。
2011年07月05日
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「知恵と勇気の目を」ある新聞のコラムに掲載された、京都の桑田さんという三十三才の公務員の方の記事ですが、 これほどの、正見と正思を持たれた人物が居られることに、心から感銘いたしました。概略を記します。「映画の「スターウォーズ」を観られてそのストーリーに触発されたようです、善悪を分別する知恵や、正義にのっとって勇気を行動に転化する力がなければ、民主主義も絶対の善ではない、例えば、今の政権与党である民主党は、失敗に継ぐ失敗で、経済破綻、隣国の脅威、天災の対処の不適切さ、原発の対応の失敗など、国民は厳しい批判の目で見ているが、首相や内閣は自己保身と延命策に 汲々としているばかりで、批判を謙虚に受け止めてないばかりか、所詮、国民は「大衆迎合主義」で自己判断し、正しく意見できることは殆ど出来ないと見られている。また、政治家も立候補したとき、当選したときの気概は、政治家の森の中に入ると、気持ちの衰退、結果平等、自分本位、怠惰、国家権力の増大に親近性を帯びてしまっている。権威、権力の乱用になれば、暗黒の未来になるでしょう。それだけに、選挙は、大衆の雰囲気に流されず、マスコミの一面的報道に惑わされず、何が、誰が本当の政治家なのかを見抜ける力を養いたいものです」と喝破されています。大変国民としては荷の重いことですが、日頃から、あらゆる報道に関心を持ち、その内容を自分なりに咀嚼できる力を付けることが「桑田」さんの訴えられる「知恵と勇気の目」の気持ちではないかと思います。
2011年07月04日
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「清潔度の認識」年齢が違い、生活環境が違えば当然変わる。そもそも、清潔度とは対人的より、個人的な感覚ではないだろうか、最近テレビでも何かと「清潔度」の話題が多いがこれも、生活が豊かな故と思える。戦前、戦中、戦後、そして現代と生活の欲求が向上してきたからなのか、必需品がどこの家庭でも充実してきたので、あまたの洗剤メーカーが過剰に宣伝するためか、防臭,防カビ、除菌の製品と洗剤が便利を通り越して、強圧的にも感じるほどである。それに、同調するがごとく、家事などをうっかり手伝うなどすると、あれこれとうるさいこと甚だしい。確かに戦前という時代は、地球環境も比較にならないほど、「清潔」であったと思われる。だから、殆どが真水での洗いで「清潔」としたものです。しかし、防臭、防カビ、などは生活臭として、容認していたのでそれを少しでも改善するのは、ただ、掃除と洗濯 だけでした。徹底した掃除のやり方は、素手でどんな所も磨き上げたものです。それが、精神教育にもなり、人に対する礼儀や慮りの気持ちを身に付けさせられたと思います。率先垂範する姿勢と、物を大切にすることや、作業手順の規律や、細部を見逃さない気配りなどを体で覚えたものです。こんな教育は、今では特殊な分野の団体でしか受けることはできないのが実情です。最近よく見る「消費期限、賞味期限」なども時代の流れの象徴の一つですね、少しでも日にちが過ぎると即捨てる、何の抵抗も感じないようです。この違和感は時代錯誤の人間であるためなのでしょうか。 いまや、地球上は雑菌の蔓延した、いろんな物に汚染された環境の中で生活しているようですね。当然私も、「几帳面と清潔は欠かせない」 時代の人間です。だからと言うて、自分で何もしない、小言だけをいう人の「清潔感」に同調する気はありません。
2011年07月02日
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「原発の是非論」私どもには判らない問題ですが、確かに今回の福島第一原発での事故は、日本だけの問題ではなくなりました。それぞれの国によって、その対応の違いは当然ありますが、当事国の日本は力在る大国におもねることなく自国の将来も含めて、世界の範となる「原発対策」を実行ししなければなりません。その結論は「廃止」なのかそれとも、今回の事故で知りえた多くのデーターや実績と経験は、今後の改善策として、安全であり、安心できる「最良の原発」を造ることができるのではないでしょうか。とすれば、「原発」肯定論になりますが、それが正しいのかどうかは、自分だけでは、判定できる能力はありません。また、今回の事故でどのように判断しても「原発」は危険であり、安全な装置にはなりえないと、結論されるならば、これも否定はできません。すべては、国の主導による、見識者の判断に任せるほかに、今後の大勢の決しようがありません。国民として言えることは、絶対に自分たちの利得をもとにした強圧的採決だけはしないと約束してほしいものです。人類を含む、地球上の生物、植物すべての生存にかけて正しい結論を期待したいと思います。
2011年06月27日
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「日本を創る」 震災と文明 フォロワーシップ (東北からの提言)”任せきらない市民社会” 哲学者 鷲田清一氏 東京で水がなくなり、ペットボトルが届くのを待つだけだという。おかしいですよね。川にいっぱい水があるのに、それが一番、象徴的でね。これまで不思議に思わなかったけど当たり前でないことが、二次災害の中で露出したわけです。食べること、排泄物の処理、出産、子育て、教育、看護、介護、みとり、紛争解決。・・・・そういう人間が生きるうえで絶対に必要な「いのちの世話」をわれわれは行政や 民間のサービスに「委託する」というお任せの構造でずっとやってきた。近代以降ね、それまでは家族と地域社会でやったことを。震災でその利便性が裏返しになって、戻った地点は原始生活以下。そのときの我々の姿は、クレーマーですよ。行政が頼りない。情けない政局には、なにも「もう任せられない。自分たちでやる」とも言えない無能力者である。それは震災で生じたのではなく、これまでずっと抱えていながらみんなが「見て見ぬふり」してきた問題でしょ。「市民社会」「民主主義」と言いながら、いかに未成熟で無能力だったか。原発にしても、その安全性に疑問を投げかける事故や警告もいっぱいあったのに、殆どの人が目をつぶって耳を貸さなかった。おかしくなったのは「明日は今日より良くなる」と言う感覚、基本的に明治以降ずっと持ち続けていたからです。「縮小する」と言う知恵を、一度も蓄えてこなかった。右肩上がりの幻想とお任せの構造によって、われわれが近代の、150年かかって喪失してきたものを取り戻すのは大変なことです。でもやらないとどうしょうもない。 鳩山政権が出した「新しい公共」という考え方は間違ってないと思う。政党が「大事なことは政党にまかせるな」と言ってるんですよ。自分たちで考えてくれって。ものすごいパラドックスでしょ。でも「公」のことはみんなで相談して責任を取る気概のことを、シチズンシップと言うんです。本来、誰も社会全部の責任なんて、しょいきれない。でも、公共のことは誰かがやらないといけないから交代でやる。それが市民社会というものです。大事なのは任せきりにしないこと。今は先頭に立てないけど、後ろでちゃんと全体を見てて、リーダーに「ここが手薄かも」「ちょっと行き過ぎかな」とアドバイスできる。いざとなれば自分が出てゆくーそれを「フォロワーシップ」って呼んでるけど、これからはリーダーシップよりも大事なことだと思う。そういうフォロワーが30人に一人いれば、すごい力になると思う。梅棹忠夫先生の言葉に「請われれば一差し舞える人物になれ」普段は後ろに下がっているけど、いざ頼まれたら一差し舞える、それがフォロワーシップ。 私も実に同感しました。
2011年06月25日
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「上から目線」という言葉を最近聞きますが、どうかと思います。よく使われるTPOの、意味合いが判りませんが、「お前は、上から目線で、俺に物言うのか」と言ったような、ことでしょうか。「高圧的、上司の部下への命令、社会的立場を利した威厳を持たせる態度と言葉」等を真似た発言を言うのでしょうか。極端な言い方をすれば、「何かをしてほしい、それは嫌だ」と言えば、これも、上から目線の態度になるのか?「何となくふてぶてしい態度」をするのも見方によれば、上から目線、になるのではないだろうか。どうも、歳を取ると、物事を皮肉るような考えになりやすいが、不理解なのも、事実である。しかし、判断に苦しんでいます。このような、新語が多い、最近では、親子同士で感情の亀裂が生まれやすく、困ったことです。時代の流れは何時の世代も、同じような錯誤があるのでしょうね。 言葉は、人の死生をも揺るがす。といわれますが、不仲ですんでいる間はまだよいのですが、これが、離婚、離別、など家庭の崩壊に関わるとなると、重大問題です。以外に、最近の家庭では多い問題ではないでしょうか。
2011年06月22日
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「ルールと役所判断」それに携わる関係者が間違っているのではなく、そのルールを決め、指示する立場の人に判断と柔軟性がないことと、国の決めた方針があまりにも、通り一片に過ぎるのではないかと思われる。 今回も東日本大震災の被災地で、生活保護の打ち切りが、福島県南相馬市で150世帯が、いわき市で2世帯が、その対象になったようです。その理由が 東電の補償金や、全国から寄せられた義援金を受け取ったから、「収入」があると認定されたからだそうです。また、宮城、福島の弁護士会の調べによると、避難所生活には住居費がかからないのでとかで、生活保護費を打ち消されたそうです。自治体では、支給された額を調べ、家電購入、住宅補修、等生活再建費用を除き6ヶ月間の生活手持ち資金があれば、打ち切りをしてるようです。それを使い果たせばまた、申請をすれば復活しますとの、話のようです。 被災者は、あらゆる被災条件がありそれぞれの人々により生活環境も条件も違うはずです。各地方自治体の財政が苦しいのは判りますがそれを、国が援助する、緊急予算ではないかと考えます。本当に被災地援助を考えているのなら、これこそ多少のばら撒きと言われても、断固実行するべきではないかと、痛感します。
2011年06月21日
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「確立と嘘」今日ラジオを聞いてると、最近の東電の原発事故の問題から、それを発表する「東電、政府、マスコミ」のそれぞれが、確立の予想と、想定外の進展に、つい、「嘘」を言いたくないが、前言をつくろうための言い訳が事実と反する説明になりそれの追求に耐えられず、また、苦しい嘘を言わねばならないようです。 天気予報も「確立と予想」の組み立てなので、結果として「嘘」の情報になることもあるようです。でも、これも最近は随分と確立の精度は高くなったと言われてます。将来のことを聞かれたら当然、現状の状況をベースに、関係者と協議の上で、推定し、確立的判断を建てなければなりません。しかし、それはどこまでも、予想以上のものではないのです。だから、間違うのは仕方がないと彼らは思うのでしょう。ただ、今回の事故に対して現地の人々も絶対間違いのないことを、求めているのではなく、東電と政府に求めているのは、誠実さなのではないでしょうか、自分たちの過ちを何かに転嫁したり被害にあった人達や、現場で危険にさらされながら働いている人達に心からの謝意や慮りが、真実として伝われば、これほど批判的ニュースにはならないと思います。これに類する事件は多いけれど、それに対する責任者の姿勢が問われる事件が後を絶たないのは悲しいことです。真っ先に頭を丸坊主に剃ったり、土下座したりする、パホーマンスを見せるのも、まだ、被害者は苦笑いをしながらでも、許せるのではないでしょうか。これに真心が付いておればと思う次第です。
2011年06月14日
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「謙虚に生きる」少し恥ずかしいタイトルながら人間の生き様は人それぞれですが、自分だけの世界は以外に少ないというか、ないのではないかと思う。孤独と言うのも、自分が言うのであり、自分が求めているのではないかと言える。人間関係は他人と色んな係わり合いがあって生きているのが本来の姿です。それは、必ずしも友好的な関係ばかりではなく、いや、非友好の方が多いのでしょうが、いずれにしても、誰かとかかわりがあるから、不満も出るのでしょう。不思議なほど人間は愚痴が多く、生活の中の習性のように口をついて出てきます。時には、精神異常かと思えるほど、ひつこく、口汚く、非常識なことまでを、相手にぶつけるのは、想定以上です。これでは、融和はありません。話し合うはじめの言葉を、互いが「謙虚」に話せば、相手を慮っていれば、好意的であれば、多分、穏やかな対話ができる筈なのですが、すでに気持ちが敵対しているのですからできないのでしょう。日々のストレスはこんなところから蓄積され、互いに病に倒れるまで、いや、死ぬまでこの争いは続くように思います。こんな人生を求めているはずはないのに、心の底に澱のように溜め様としているのです。実に馬鹿馬鹿しい人生です。 「謙虚」にあわせて「感謝」があります。そんな気持ちを大切すれば、どれほど気持ちの良い生活ができるのかと思います。難しいことでは無いはずです。
2011年06月13日
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「唯我独尊」=この世で、自分ほど偉い者はいないとうぬぼれること。最近大阪、府議会の過半数を占める、維新の会代表である、橋下知事がマスコミの中から、批判されるなかでの、言葉がこの「唯我独尊」であると皮肉られている。多くの大阪市民からは、若い弁護士知事として、今までの府政を委ねるのには大変期待できると、賛意を得てきたが、その、民意をかりての強行施政が目に付きだしたといえる。ただ、政治の改革は八方美人的な円満方針では、議会の強硬派に牛耳られ、今の民主党のような 骨なし政治になりかねない。思い切った改革をするには、多少独善的といわれても民意は応援してくれると、自認しているようですが、確かにその通りだと思います。「唯我独尊」であることは、あまり感心しませんが彼は、独断をしているとは見えません、「君が代起立条例」は論議すれば、少し行き過ぎと思えるふしもありますが、元来自国の尊厳を教育者が子供たちの前で明らかな批判行為で見せる方が問題ありと、私も思います。知事の姿勢は若さに似ず、強い愛国心と道徳を重んじる、また、職権を利得に考えるような、為政者や役人、官僚を排除したいとしたする、行政は民意に沿った方針として今後も賛成の票を投じることは間違いないと信じます。「唯我独尊」はそれができる立場でないと、出来ないことです。彼の想いは、こんな小さなことで満足するような人物ではないと思います。大阪府政だけでなく、日本の真の復活を期している有能者であると期待しています。
2011年06月11日
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「喜寿の悩み」人間七十七歳にもなって、未だわが道に迷う。もうすぐ七十八歳に なろうとしているが、人間として、親として、家族として、自分の人となりはこれで良いのかと疑問に思うことが多い。 最近の自分の生き様を見ていると、協調性、同調性、対話力、融通性、があまりなく、何時も、批判、不満、不愉快、無口、逃避と、全く可愛さのない、老人である。これでは、誰もが近寄らないのは当たり前である。ただ、本人はそれで良いとは考えず、前向きになりたいと、努力はしているが、老醜といえる年齢は怨讐とも思える、戦中の貧しい時代を忘れることが出来ず、無駄のない節約、規律のある行動、「不言実行」の精神などを、いまだに尊重していることが、時代の錯誤に繋がっているのかも知れない。それに、この歳になって何故と思えるほど、毎日の家事全般をこなしているのも、心底には、「やることは、やっている」の気持ちが強いのも否定できない、しかし、これも、出来る体力があり、気持ちがあることは、自分が恵まれていると思えば、他人には言えないことである。それもこれも、含めて、自分自身がもっと楽しめないのかが判らない。自他共に喜ぶ、七十七歳の「喜寿」とは思えないのは、心が貧弱なのか、向けばのない気持ちをブログにぶつけているようで恥ずかしい思いです。
2011年06月05日
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「風評被害と自然の猛威」今回の東日本大震災は、何もかも想定外の災害であった。すでに、三ヶ月を過ぎても、被災状況はなんら変わりません。あのときの状況を、日本国民のみんなが、いまだに対処できないことに苛立っております。想えば、地上にある全てを飲み込こんだ、巨大な津波は想像を絶する実に驚きの猛威であった。映画のセット映像でもかくほどとは考えられない恐ろしさである。原爆のように一瞬に消え去るのではなく、逃げ惑う人々を追っかけながら食べつくす怪物のようでその恐怖感は見るものを震撼させるばかりのまさに地獄絵を想像させるほどである。被害の甚大さも当然のであるが、被災者の人々は神も仏も信じられない、気持ちであろうし、時が経つほど、想いは息苦しいほどの悲愴感にさいなまされておられることと察します。そんな中で、世間の風評は更に鞭を打つような、残酷さを与えているのです。 勿論、原発で汚染された農作物は誰でも食べることはできませんが、その地域全体を風評汚染させることは許されないことです、これも、その原因を作った立場の者が責任ある、対処をするのが当然であると思います。出来れば、その地区の作物を全部一応買い取り調査の後に安全検査票を付けて販売すればよいのではないでしょうか。その仕事も現地の人に出来るだけ、アウト・ソーシングすれば雇用対策にもなり、一挙両得ではないでしょうか。是非、検討願いたいものです。
2011年05月25日
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「癌告知の是非」肉親としては、苦しい選択の一つです。必ず治る約束があれば、手術も納得して受けることができるが、手術もできない、末期的状態での告知は私は出来ないと思います。何らかの回復の可能性のある処置をして、その状況の流れの中で、少しでも、病状が好転する兆しを確認できて、先々の「癌」の増進がどうなのかを知ることが先決と、痛感しました。結果は、増進の進度が遅く、初期の状態からの変化の少ない状態で、現状の透析の進渉状況が悪くないことを確認した時に、家族、親戚(兄弟)と相談の上「告示」をすることに決めました。それでも、本人は心穏やかではありません。家族の日ごろの献身振りを認識し、共に日ごろから心身共に苦しんできたことを、充分察していたので、気持ちを立て直してくれました。ただ、此処までこれたのも、病院の主治医の厚い配慮があってのことですが、病院の基本的姿勢は、国で決められた、治療法以外の手当ては、口答でのアドバイスも治療も一切行わないのが、自己と病院の防衛の為と感じます。 大変残念に思いましたが、これも仕方のない現実と認識しました。見方によれば、患者の生命を放棄されるのです、家族としては、同じ感覚にはなれません。やはり、国保の対象外になっても、費用が高く要しても、対外医薬品を調達せねばなりません、これの、選別は大変難しいことですが、患者に適応すれば最高の喜びになります。二種類の漢方薬を入手でき、入院中から服用することで、検査数値は驚くほど改善され、入院時の危険数値は、殆ど正常時に近いほどに改善されました。今は、退院して、居住区の透析専門医院の送迎に任せ、週三回の通院をしております。しかし、決して全快したのではなく、これからの余生を私と、どれほどながく過ごすことができるのか互いの体の弱点を助け合いながらの、夫婦喧嘩をしながらの生活を過ごしたいと諦観しております。
2011年05月23日
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「勘当」昔はよく聞いたけれど、近頃は、あまり耳にしない。それは何故なのだろう?人権擁護のためか、父親に権威がなくなったためか、子供が父親を超えるほどの才覚ができたからなのか、母親の権威が大きくなったからか、父親と子供の権威が平等か、子供の能力が親以上で、逆に子供が親を勘当したい位なためか、どれが、正しいかは分からないが、父親の権威が地に落ちたのは間違いのないことだと思います。そもそも、「権威」とはと聞かれると、「権威」=他を従わせる力のあること、または、優れた価値を持っていること、とあります。そうなると、父親は自信が無くなるのでは、昔は、父親には、本人の能力以上に、家長としての責任と権限があったので、「黒を白と言われても、従わざるを得なかった」ほどの横暴も許されたが、現在は妻も強くなり、子供も母親の庇護のもとで父親に対して強権発動をされても、任じるより仕方がないのが今の姿ではないでしょうか。 然し、現実は「勘当」したいような、子供達も少なからずあることも認めざるを得ません。学校も家族の絆を教えているようにも見えないので、家庭の統率がとれないことが、現代社会の人間性を歪めているのではないかと感じます。確かに、「勘当」と言う親の権力だけの行為は許されないとしても、もう少し家族の常識のある人間関係が欲しいものだと考えます。
2011年05月20日
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「執念」=固く思いこんで動かない気持ち一つの目標に向かって成功したいと言う執念は立派だが、その人の「過ち」を何時までも「執念深く」許さないのも、悲しいこだわりのように思う。勿論、それほど執念深くさせるほどの、行為があったことは認めるが、既に数年を経て充分改心しているのに、何かの口論の度にその本音を思い知らされるのは、些か興ざめな感じがするのは、男の身勝手なのだろうか、これほど改心して精一杯の 奉仕をしてる筈なのに、こちらも切れてしまいそうだ。そんな、「執念」は自分自身にとっても何のプラスもない筈です。これを女の特性と許せるだろうか、いや、多分許すでしょう。これも、男の特性なのですから。「執念+自分のご都合主義」そのためには「嘘」も交えてこちらを非難するのも、許し難い。無能力な年寄りには、殆ど勝ち目のない今日この頃です。自分も、無責任になり適当に口裏を合わせて、負担を軽くする生活を心得れば少しは楽になると思いますが。それも、以外に難しいのです、つまらぬ真面目さという性格が邪魔をします。人間の「諸行無情」を痛感しています。
2011年05月19日
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「自分が嫌なことは、相手も嫌な筈」一緒に生活をしている家族や友人の間柄でも、「親しい仲にも礼儀あり」と言われるように、常に相手の気持ちを慮(オモンバカ)ることが大切であることは周知のことである。然し、案外そのことの出来てない人間が多いことも事実である。「好意的注意」これも甚だ迷惑なことで、相手は自分はあくまでも善意の気持ちで言いたくもないことだが「一言注意」した、と平然と言われるとムカつくことがある。ことの成り行きも見定めず、内容も理解せず、一点だけを見て判断されるのは、軽率の極みである。仮に自分が言われる立場なら分かる筈である。「自分が嫌なことは、他人も嫌なのである」強圧的に発言するのは、最悪である。自分の言動もよく反省しながら、状況判断を間違えない、助言なら当然、好意的に理解し自己修正をするだろう。それは、後に強い信頼関係になり協調性のある家族、友人になることでしょう。、
2011年05月18日
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