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⭕️ いわゆる我が道をゆく 人生に明確な「答え」はなく「選択」があるだけ。自分が決めたことを「正解」にしていくゲーム。この言葉に出会ったとき、どこかそんなような気がする、同感する感覚を覚えた。長く生きてきて、正解探しをしてきたつもりはないものの、ずいぶんと時間を費やしてきた気がする。勉強も、仕事も、人との付き合いも、まるで「模範解答」が用意されているかのように、そこへ辿り着くのが人生の目的だと思っていたのかもしれない。しかし現実には、そんな答えなどどこにも書かれていない。思い返せば、分岐点はいくつもあった。進学や就職、結婚するか否か、住む場所をどこにするか。その都度「これでよかったのか」と自問自答したものだ。だが時間が経つにつれ、選んだこと自体が道になってゆく。失敗と思えた選択も、後から振り返れば不思議と必要な寄り道だったと思えることが多い。つまり、決めたことを「正解」に仕立て上げていくのが、人生という名のゲームなのだろう。そう考えると、肩の力が抜けてくる。世間体や他人の評価に合わせて「無難な答え」を出そうと焦る必要はない。むしろ自分の心が少しでも納得する方へ踏み出すことが肝心だ。その選択が大きな回り道になったとしても、自分が歩いた道であれば、そこにしか見えない風景があるはずだからだ。人生は試験問題ではない。答え合わせをする採点者もいない。自分の選んだ一歩一歩に意味を与えてゆくこと、それこそが「生きる」という行為そのものなのだろう。そう思えたとき、私はようやく、自分の人生を自分で生きているのだと、腑に落ちたのである。 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷🟢びっくりドンキー、モスバーガーのお得なモーニングセットは500円以下。 「コメダよりいいかも」びっくりドンキーの“500円以下モーニング”コーヒーおかわり自由なのが嬉しい!「穴場すぎる」「最強のコスパ」
2025/12/04
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【 語りを引き出す聞き手の技法 ―インタビューのコツ― 】インタビューとは、言葉を掘り出す作業である。だが、いきなり核心に迫ると、相手の心は身構えてしまう。まず大切なのは、語り手の心をゆるめる「導入の一言」だ。出だしは、できるだけ気楽に答えられる質問から始めるのがセオリーであろう。たとえば、「今日はどんな一日でした?」とか「この取材場所、落ち着きますね」といった世間話の延長から入る。あるいは、「最近ハマっていることありますか?」と軽く振ってみる。そうした何気ない会話が、心のガードを下げる。人は、安心を感じたときにこそ、本音を話し始めるものだ。最初の目的は「情報を取ること」ではなく、「口を開いてもらうこと」。一度話が滑らかに流れ出したら、しめたものだ。その人の呼吸、テンポ、言葉の選び方を感じ取りながら、相づちを入れ、うなずき、時に笑顔を交えて聴く。インタビュアーの表情が柔らかければ、相手の語り口も自然に解けていく。問いの立て方にもコツがある。「はい・いいえ」で終わる質問ではなく、「どんなふうに」「なぜ」「そのとき何を思いましたか」と、広がりのある聞き方をする。これが語りを深める鍵だ。質問の間を詰めすぎず、沈黙を恐れない。相手が考えている間の沈黙は、むしろ良いサインである。記憶の奥から言葉を探している瞬間だからだ。また、相手が語りだした内容の中に“熱”を感じたら、そこを逃さず掘る。「そのとき、どんな表情をしていました?」「誰がそばにいました?」と情景を浮かび上がらせるように問うと、物語が立体的に動き出す。単なる出来事ではなく、その人の人生の体温が伝わってくる。時には、相手の言葉を繰り返すだけでもよい。「○○が嬉しかったんですね」と返すことで、相手は理解された安心感を覚え、さらに語り出す。聴く側が“共鳴”していることが伝わると、饒舌のスイッチが入る。そして、流れの最後には少し深い質問を置く。「今、振り返ってみて、あの経験はどんな意味がありましたか?」――こうした問いが、相手の人生観を浮かび上がらせる。インタビューとは、心の階段を一段ずつ降りていく作業。急がず、押さず、ただ寄り添うように聴く。相手の中にある物語は、掘り起こすのではなく、自然に浮かび上がらせるもの。語り手が自分の言葉で自分を語り出したとき、その瞬間こそ、インタビューの醍醐味である。 🔷 🔷 🔷 🔷 🔷
2025/12/03
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数年前までカラオケは、私の苦手の意の一番に挙げられる事だった。それが今では苦にならなくなった。なんとならば率先してカラオケに足を運ぶこともある。詩吟を7年もやっているとおのずと喉が鍛えられて声の出が良くなっていた。いわゆる発声練習を続けてきたようなものです。そこにカラオケ同好会会長が昔の取引先の知り合いだった。詩吟と同じ公民館でカラオケ同好会をやっていて声をかけられたわけです。カラオケ同好会は月2回、24回参加して気がつけばマイクを持つ手に緊張の汗をかかなくなった。カラオケ同好会や詩吟ではボイストレーニングをやる事は有りません。たまたまyoutubuを見ていたらボイストレーニングが流れていた。この時代はwebボイストレーニングがあるのに気づいたわけです。学ぶ意思が有ればyoutubuで学べことができるのです。学びのコツは、反復トレーニングです。繰り返し繰り返し反復で学べば身についてくるのです。コツコツ、コツコツ反復すれば覚えるのです。今では私の18番になった松山千春の「大空と大地の中で」かつて30年位前だったでしょうか、4本のステレオの中央で聞いたこの歌、とっても素晴らしい、いい曲だと思ったがとても自分で歌えるような歌だと思えなかった。だが月日が流れて、、、気がつけば人前でこの歌を歌うようになっていた。この前は130人の詩吟新年会の余興の場で。私自身がこの大変身に驚いているような次第です。松山千春の「大空と大地の中で」をカーステレオにCDを流したら自動的に録音されていた事がわかり、その曲を反復してのリピートにして絶えず聴き、耳に旋律を焼き付けたことも持ち歌になった要因の一つであろう。これからはyoutubuボイストレーニングでカラオケの質を向上させてゆく事ができるかも。🔳 りかせんせのボーカル講座(歌を上手に聴かせる方法)(大空と大地の中で ボーカル講座)🔳 ソプラノ歌手が解説、松山千春「大空と大地の中で」youtubu (松山千春デビュー曲、「旅立ち」の解説、ボイストレーナー川島ゆみ)🔳 昴(谷村新司)ボーカル講座 りか先生 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆4日連続の雪日です。積もって溶けて、また積もりまた溶けるの繰り返しで積雪15cmほど。会津では1953年の統計開始以来の観測史上最高の1m21cm、例年の4倍の積雪だそうです。道路も鉄道も止まり陸の孤島状態になっているとのことだ。郡山市でそれだけ降ったらしばらく麻痺状態になって大混乱に陥ってしまうだろうね。
2025/02/08
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「国破れて山河あり」と中国の詩人、杜甫は国都長安が戦乱のために破壊されてしまいはしたが、自然の山や河は昔どおりに残っていると詩に詠みました。福島の原発事故は、2年半も経過しても自宅に近づくこともかなわない人たちが沢山いるのです。自分の家なのに近づくことすらできないのです。福島県民の置かれた状況は、原発事故により、県外に避難している人がいまだに52,277人もいます。(2013.8.12現在)県外に避難せずに県内の近隣市町村に避難している人も多いのです。原発のある双葉町には、30年帰れないのではないかとも言われている。なにしろ未だに汚染水事故は続く、炉心溶融(メルトダウン、メルトスルー)した燃料がどうなっているのかすらわからないのです。放射線線量が高くて危険で近づけない状況です。原子力発電所と呼びますが燃料は核爆発を起こす核と同じなわけです。冷温停止状態になるまで水で冷やし続けないとならないわけです。未だ放射能数値が高くて近づけない場所が多いのです。30年と云えば一世代です。故郷は、孫子の代になればかつて住んでいた場所という認識に代わってしまうでしょう。第二次大戦を終え、戦後は終わったといわしめたのは高度成長時代の象徴である東京オリンピックであった。はたして3.11以降を震災後ということで、戦後に対して災後というそうですが、2020東京オリンピック、あと7年で災後の復興が成し遂げられるのであろうか。現在、仮設住宅に住んでいる方々があと7年で復興できるのであろうか。ちょうど昨日が2年半、足して9年半です。アバウト10年で原発事故からの復興をなしとげられるのであろうか。原発の核融合は、ひとたび重大事故により冷やせなくなると温度が上がり暴走して炉心溶融(メルトダウン、メルトスルー)を起こすわけです。ひとたび炉心溶融を起こすと周辺環境汚染をひきおこし人が住めない環境になってしまうわけです。また、原発を動かすさなかも末端労働者は高額アルバイトで雇われ、被ばく労働から、元気だった青年も白血病でなくなるということが実際に起こっている。先日、浜岡原発で一緒にアルバイトで働いた先輩が白血病で亡くなったと話されたのを聞いた。安全な電気をつくる技術の開発をすすめればいいのだが、利権やら法律やらいろいろあるようですね。「国破れて山河あり」杜甫の詩『春望』の冒頭の句 「 国破れて山河あり、城春にして草木深し( 国は滅亡したが山や川はそのままで、町には春が訪れ草木が茂っている )」から。 【意味】 国破れて山河ありとは、戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。 杜甫(とほ、712年 - 770年)は、中国の詩人。中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。杜甫が活躍した時代は日本では奈良時代、712年は古事記ができ、759年万葉集ができた時代です。【訳】 国都長安は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や河は昔どおりに残っている。この城内は春になっても、草木が深く生い茂っているのみで、人陰すら見えない。自分はこのいたましい時世に感じて、平和な春ならば花を見て楽しいはずなのに、かえって花を見ては涙をはらはらと流してしまう。家族との別れを恨み悲しんで、心を慰むべきはずの鳥にも心を驚かされる。戦火は三ヶ月もの長い間続き、家族からの手紙もなかなか来ないので、万金にも相当するほど貴重に思われる。自分の白髪頭をかくと、心労のために髪の毛も短くなってしまい、役人が頭につける冠をとめるかんざしも挿せないほどになってしまった。
2013/09/12
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百人一首 50番歌君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかなきみがため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひけるかな作者:藤原義孝(ふじわらのよしたか) 954~974 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。子に三蹟の一人藤原行成がいる。天然痘によりわずか21歳の若さで死去しました。死去。君のためならば捨てても惜しくはないと思った命でさえ、逢瀬を遂げた今となっては長くありたい命と思うようになった。自分の命はあなたのためなら捨てても惜しくないと思ったのに、今となってはあなたといっしょにいたいと長くありたいと思うような心変わりであり、あなたあっての私ですをメーッセージに託したわけです。詞書には「女のもとより帰りてつかはしける」と記録が残っています。女のもとに逢瀬に出かけ一夜を共にし、帰ったあとに歌を詠み贈ったものでこうした歌は「後朝(きぬぎぬ)の歌」と呼ばれます。余情を歌に託しました。 【 詞書(ことばがき )】とは、その歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書き。題詞。序。端書き。※ ----------------------------------------------------------------------1〜50番歌まで並べてみました。1 番歌 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇 2 番歌 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 持統天皇 3 番歌 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂 4 番歌 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 山辺赤人 5 番歌 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫 6 番歌 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持 7 番歌 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿 8 番歌 わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師 9 番歌 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町 10番歌 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関 蝉丸 11番歌 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 参議篁 12番歌 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ 僧正遍昭 13番歌 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成院 14番歌 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣 15番歌 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇 16番歌 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む 中納言行平 17番歌 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣 18番歌 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣 19番歌 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢 20番歌 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ 元良親王 21番歌 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師 22番歌 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ 文屋康秀 23番歌 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里 24番歌 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに 菅家 25番歌 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな 三条右大臣 26番歌 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ 貞信公 27番歌 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ 中納言兼輔 28番歌 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば 源宗于朝臣 29番歌 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 凡河内躬恒 30番歌 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑 31番歌 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 坂上是則32番歌 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹 33番歌 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則 34番歌 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに 藤原興風 35番歌 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之 36番歌 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ 清原深養父 37番歌 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける 文屋朝康 38番歌 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな 右近 39番歌 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき 参議等 40番歌 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 平兼盛 41番歌 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見 42番歌 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは 清原元輔 43番歌 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠 44番歌 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし 中納言朝忠 45番歌 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな 謙徳公 46番歌 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな 曾禰好忠 47番歌 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり 恵慶法師 48番歌 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな 源重之 49番歌 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ 大中臣能宣朝臣 50番歌 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝
2013/04/21
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郡山市湖南町浜路に「磐梯からし味噌」のともやさんがあります。味噌に唐辛子をまぶしたシンプルなものですが、これが評判を呼んでいるのです。今回、新しく新商品を考えませんかと提案してきました。湖南町ですから、「そば」「じゅんさい」「からし味噌」など地元の産品を元にして夏場に向けて例えば「ソフトクリーム」などを作ってみたらいかがでしょうかと。また「からし味噌」の新バージョンを加えてみてはいかがでしょうかと・・・新商品を出してゆくことが活性化につながります。新商品開発もプラス志向ですすめば、道は開けるというものです。この地域では、積もった雪を川に捨てています。どけてもどけても雪が降り積もり、空きスペースして川が雪捨て場となっているのです。雪の少ない地方の人にはめずらしい光景にうつることでしょう。
2008/03/04
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夏だ!ということであさかの学園・クラスの暑気払いに参加!1泊2食付き@3500、市内在住60才以上は宿泊料800円の逢瀬荘です。冷えたビール付き、温泉付き、信じられない低価格なのです。市外の在住の方は2900円で素泊まり可能。5人部屋でいびきの大合唱でとても熟睡できる状況ではありませんでした。冷房換気扇を一晩中、肌寒いのだけど寝汗をかく、前の晩の体重計と朝風呂後の測定差が約2kgそんなに寝汗をかく!?というわけで、今日は昼寝で睡眠補給でした(笑)次回からは、いびきの合唱を避け、泊まらずに帰った方が無難なことを学ぶ!!正式名称は「郡山市高齢者文化休養センター・逢瀬荘」とリーフレットにありました。価格表を載せておきます。逢瀬荘の前の斜面に山百合が群生アップで撮影したら、もう赤とんぼが草の葉に羽根を広げているのを発見する
2018/07/15
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日日是好日(にちにちこれこうにち)祖母の口癖の一つに「この世は苦娑婆(くしゃば)だから」という言葉がありました。ですから、当然それは母親にも伝わっており、その言葉を聞いて育ちました。そうか苦しいことがたくさんあるのかと私の潜在意識に刷り込まれていたかと思います。あとで知ったのですが「この世は苦娑婆」はお釈迦様の教えの一つなのだそうですね。おしゃかさまは「人生は苦海(界)の波に、もまれている」と言ったそうです。苦娑婆の「苦」とは「困難」ごとです。その困難ごとにどう対処するかです。苦難観をいかに捉えるか苦難とは、サムシンググレートからの警告!を軌道修正して戻らなくてはならないこと。苦難のない人生に、幸せはこない。苦難を乗り越えるから、人格が向上、形成されるですから、苦難を喜んで迎え入れてください。困難を避けるのでなく、困難ごとに敢然と立ち向かってゆく難が有るから「 有難う(ありがとう)」の精神です。「困難なときほど、おもしろい」「困難なときほど、やる気になる」なぜならば困難は、授業料困難は、自分の能力を啓発してくれる困難は、心の目が開くきかっけになる困難という「まさかの坂」は、自分の能力が花咲くはからい「辛い」ことは「幸い」への入り口。「辛」に横棒一本加えれば(気がつけば)「幸」になります。仏教では「諸行無常」といってすべての存在、すべての現象は何一つとして変化しないものはないと教えているそうです。人間の幸、不幸も同じことで悪いこともいいことも、いわばひとときのことにすぎないと、次々に変化してゆくわけです。ようはその時の心の持ち方を日日是好日と思えればいいようです。苦しみがあったらそこに取り組むことで道はひらけてゆく。困難や危機が差し迫ったら全力で対応する。そこに解決の力が生まれてくる「もうだめだ」と思うことでが思考停止・ストップさせてしまう。『苦難は幸福への入り口』と考えましょう。苦難こそが、おのれの中に潜む新たな能力を引き出してくれるという心構えをもちましょう。苦難を克服しましょう。自ら勇気を鼓舞しましょう。自分が自分の主人公です。自分の筋肉だって、自分が反復してくりかえさなかったら、新たな筋肉がつかないのと同じです。意志あるところに道はできる。志です。心という考え方を、前向きに「日々是好日」と考えましょう。「なにがあっても大丈夫!」の心境になれればいいわけですが、、、、とは、言ってもという方には・・・「常に活路あり」をおすすめしましょうか。つねに活路ありとは・・・活路がないとあきらめる弱きな心が、活路を遮断するわけです。できないと思うあなたのあきらめ心が、活路を自らダメにしてしまうわけです。勇氣を持って、大丈夫と思ったらいいわけです。思う心は自由ですから。打つ手無限と思って、事に対処してゆく、それでもダメなときは、打つ手を考えられる人に尋ねたっていいじゃないか。学校でのテストカンニングは、いけないことですが、社会に出てからの人に聞くことは、だめだとは言われないのです。普段から、いい友、信頼できる智慧ある人と友達になっておきましょう。
2008/06/05
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百人一首 90番歌 見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず みせはやな をしまのあまの そてたにも ぬれにそぬれし いろはかはらす 血の涙を流して、その私の涙を拭いた袖をあなたにお見せしたいものです。雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶり濡れに濡れたにもかかわらず、色は変わらないのですよ。 作者:殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ) (1130年頃 -1200年頃)。平安末期の歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原信成の娘。後白河天皇の第1皇女殷富門院亮子内親王に仕えた。1192年に殷富門院に従って出家し、尼となっています。 この歌は「本歌取り」の歌です。源重之(百人一首48番)が詠んだ 「 松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか 」本歌取りは、和歌の技法のひとつで、昔の有名な歌の一部を引用してアレンジして歌を作るものです。 本歌取りは、百人一首の撰者、藤原定家の時代に流行ったものです。 本歌である重之の歌は「松島の雄島の漁師の袖くらいだろう、私の袖のように濡れているのは」と辛い恋の涙を詠っています。殷富門院大輔は、「私の袖を見せたいもの。涙も枯れ血の涙が流れ、袖の色が変わってしまったのです。松島の雄島の漁師の袖はこうはならなかったでしょう」と重之に返した歌でした。 重之と時代を超えて恋問答を展開したわけです。 ※
2013/05/31
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夜の六本木のお店に、友人の紹介で「この商売で生涯現役よ」と今年80歳にもなる焼きそばの名人がいるというふれこみだったので、須賀川市仁井田のニラづくり名人・森農園の『ニラの花芽』持ち込んで焼きそばを焼いてもらいました。ニラの花芽は初めてだということで、初ものを食べる時は、東の方角を向いて声を出して「 わっはっは」と笑うのだということでみんなで合唱の『ワッッハッハ』でした。焼きそばは2つの大きなフライパンを使って、麺は麺だけで、野菜は野菜で、それぞれ別々に焼きあげ最後に混ぜ合わせるというのがコツだそうです。ふんわりと焼きあがり、とても美味い評判の焼きそばと言われるのがよくわかりました。焼きそばの麺は、ごく普通の近所のスーパーで売られている3つワンセットになっているものですが、それをいっぺんに焼いて大皿に盛りつけます。2皿でてきました。残るとおみやげに持って帰ってと渡されます。このお店、お坊さん仲間が来てカラオケを歌うそうですが、朝晩の読経のお勤めを長年やっているので、さすが鍛えたのどで披露される歌声は響きが違うのだそうです。 私がこのお店に伺ったのは、突発性難聴やら、膝の痛みで座れない。長年、腕がまっすぐ上に上がらず痛みがあるなど、なんとかなるんだったらヨロシクとの声がかかり、いざ出陣とあいなった次第です。
2014/09/13
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「物(もの)を開(ひら)き務(つと)めを成(な)す」と読み下す。 人間の知恵を開発し、事業をなしとげること。 「開成」の語源。 『易経(えききょう)―繋辞上』に、「夫易、開 レ物成 レ務、冒 二天下之道 一、如 レ斯而已者也」とある。「夫(そ)れ易は、物を開き務(つと)めを成し、天下の道を冒(おお)う。斯(か)くのごときのみなる者なり。」語句の意味:夫(そ)れ:そもそも(文頭の感嘆・提示の語)易(えき):『易経』、またはその思想(陰陽の変化を説く書)開物(かいぶつ):万物の道理を明らかにすること成務(せいむ):人間の務め(仕事や責務)を成し遂げること冒天下之道(てんかの みち を おおう):「天下の道を冒す」は、天下の原理・道理を包み込む、あるいは体現するという意味如斯而已(かくのごときのみ):このようなものでしかない、これに尽きる現代語訳:そもそも『易(えき)』とは、万物の道理を明らかにし、人の務めを成し遂げさせ、天下の道を包み込むものである。ただ、それだけのことに過ぎないのだ。解釈:この一文は、『易経』という書物や思想の本質を簡潔に述べたものです。つまり、『易』は単なる占いの書ではなく、自然や社会、人間の在り方すべてを含んだ「道(タオ)」を示し、それによって人間の営みを支えるものである、という高い評価を示しています。そして最後に「斯くのごときのみなる者なり(ただそれだけのことなのだ)」と結ぶことで、逆説的にその偉大さを強調しています。このような語り口は、荘子や韓非子、また朱子学などにも見られる中国古典の特徴です。「開成」を取りあげたのは、郡山市内に開成の地名があるのです。開成山大神宮の敷地内に一文字が85cm角の郡山市内では一番の大きさがある開成山石碑です。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◼️油揚げの美味い食べ方、5選 https://l.smartnews.com/m-kE7AoJa/4FSaIt船引町のお人形様と呼ばれる藁人形。かつては5体あったそうですが今は3体に減ってしまったとのことを散歩中の近所のお年寄りに教えてもらった。江戸時代に疫病が流行った時に部落の出入口に疫病除けとして創られたのが始まり。顔立ちが火伏せの面と似ているかも。だが俄然こっちの顔の方が迫力があるね。人の背丈の倍位あります。この造形デザインを考えた先人のセンス凄いじゃ〜ないですか。
2025/05/02
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