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本を読んでいると突然に目が止まる箇所に出くわす時があります。心に響くと云うか共感した場面かと思われます。小説執筆時に細部まで映像を考えて書く事は少ないんです。北方謙三さんが「自分は細かな描写を書かない。いい女、いい男など『何をいいと、するか』は読者に考えてもらうことだ」とおっしゃっていたのが脳裏に刻まれていて。私も登場人物の印象は描写しますが、造形などは結構漠然としています。小説の面白さって、読者の想像力によるところが大きいんです。これって小説の面白さに限らず、人生の面白さにももしかして通じることではないだろうか。その人の持つ想像力は、〇〇〇〇をやってみよう。〇〇〇〇に行ってみようか。キッカケと云うアクションを起こすのも想像力が豊かで有ればこそ。小説を面白くするにも読者の想像力という感性、人生の面白さにも想像力が加われば小説が面白くなるのと同じく幅広く人生舞台も広がるかも。柚月裕子さんの小説はどれも頭に自然と映像が浮かぶので、きっと想像力を喚起されるんですねとある。こう云う感想で出くわすとどんなものなのか一度は、柚木裕子さんの小説を読んでみたくなるものです。柚月さんは子育てが一段落したときに、山形市にて池上冬樹さんが世話人を務める「小説家になろう講座」(現:山形小説家・ライター講座)の開催を知り、講師を務めるベテラン作家や編集者の話が聞きたいと講座へ通い始めた。同時期、地元タウン誌の手伝いで取材原稿を執筆して自身の文章が読まれる喜びを知り、自分が思ったことを表現できる小説の執筆を開始する。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆柿の実が採られることなくなったまま、勿体無いですね。柿の実で美味しい柿酢ができるのを知らないのでしょうね。柔らかくなった柿の実でも大丈夫です。 #青空バックに柿の実 #柿酢🔳完熟のトロトロ柿で大根漬け これも是非つくってみたい逸品です。🔳白菜と大根があったら漬物をつくろう
2024/11/27
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百人一首 70番歌 寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ さひしさに やとをたちいてて なかむれは いつくもおなし あきのゆふくれ 作者:良暹法師(りょうぜんほうし) 良暹。平安中期の歌人。比叡山(天台宗)の僧で祇園別当。その後大原に隠棲し、晩年は雲林院に住んだといわれている。康平年間(1058年 - 1065年)に65歳ぐらいで没したともいわれている。あまりのさびしさに家から出てあたりをながめると、どこも同じで寂しい秋の夕暮れだった。年老いて仲間が大勢いた比叡山から里に降りて独り庵に住むと、当時テレビ、ラジオがあるわけでなし、あまりの淋しさに表に出てみたのだろう。夕餉の飯を炊くかまどの煙はたなびいていなかったのだろうか。自分の心情が見える景色さえも寂しく感じたのであろう。結びの言葉の「秋の夕暮れ」は新古今和歌集(藤原定家が編者)の時代には、一種の流りになっていたそうです。新古今集の美学であった幽玄の世界、叙情的な景色を表す言葉だったのでしょう。ここには淋しさをも、枯れゆく寂寥感を美しいとする日本独特の美学としてきた原点があります。 ※藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだとされる私撰和歌集である。その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。 小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。 男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名。また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっている。100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。 春の歌 6首 夏の歌 4首 秋の歌16首 冬の歌 6首 旅の歌 4首 月の歌13首 桜の歌 5首 梅の歌 1首 心変りの歌10首 恋の歌43首・片思いの歌 14首 ・情熱恋の歌 10首・忍ぶ恋の歌 9首・その他 10首 男歌人 79人 女歌人 21人
2013/05/11
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何に着眼するかが、進む道になる。それが好きだから、興味と関心を惹かれるから。趣味の選択、職業の選択、旅行の選択、伴侶の選択人生において様々な選択の場面があるわけです。いわば、選択の連続の結果が今の姿であると云えるわけです。何を基準にして選択しているか、逆に選択されているということもあるだろう。試験など受験する、合格点数に至らねければ刎ねられるわけです。日々の努力もあるでしょう。努力とは、コツコツ、コツコツと積み重ねること。「継続は力なり」継続できることは能力の一つであろう。すぐやる、必ずやる、できるまでやる、最後まで諦めないこの姿勢であれば大抵のことは身につけられるであろう。いやはや古希になって実感するとは情けない。とはいえ90歳まで生きれば、あと20年ある。先のことはわかりませんが、あると思ってコツコツ、コツコツやりましょうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日のランチは丸亀製麺 de あさり冷かけうどん ちょっと蒸し暑かったので「あさり冷かけ」にしたが、あさりはやはり、あったかいうどんに限るね!梅もそろそろ、もぎ取りのタイミングとなりました。熟して地面に約10個近く落ちていました。という訳で約半分ほど収穫しました。梅の木の課題は、一昨年の暮れにバッサリ枝落とししたので去年はほとんど収穫なし、今年は少しですが収穫できました。今後その枝を梅がもぎりやすいようになんとか横に寝かせようかと思案中です。※ 本日、気にとまったことや言葉から。以下■ ミョウガタケ(茗荷の新芽)を刻んで、熱々ご飯にカツを節といっしょに、醤油を落として口に掻っ込む。これがうまいんだなぁ〜と温泉♨️仲間から聞く。庭に育つミョウガダケで今晩やってみたい。■ 感動したら即行動。(孫正義氏の言葉) 心に響くMOVIE
2022/06/16
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望み、希望、やりたいこと、実現したいことなどあれやこれ、できるできないを考えずに一応に書き出してみる。最初からできることなんては、なかなかありえない。やり進める中でなんとかなりそうになってくるものと心得て、希望を持って先にすすめる意識をもって事にあたればいずれ良い結果となるだろう。希望を抱いてやり続けること。やり続ける中で視野が開けてくると云うものです。続けると云うことは行動する。行動し続けることです。夢をみる ▶︎ 夢を現実に引き寄せるためのアクションを起こす。行動することは、現実を変えてゆくことです。コツコツ、コツコツやり続けてゆくと、ある日、あれこんなにも変化していると気づくことがあります。継続は力なり、やり続けるから、力がついてくるのです。継続は力なり、やり続けるから、慣れてくるのです。継続は力なり、やり続けるから、パワーアップしてゆくのです。継続は力なり、やり続けるから、状況変化が起きてくるのです。継続は力なり、やり続けるから、周りから認められてくるのです。思い立ったら吉日。思い浮かんだ時がチャンス。チャンスとはキッカケ。気づかなければ始まらない。行動しなかったら事態は変わらないわけです。故に『 思い立ったら即行動 』行動よりも考動が大事だと云った人も居たが!これも行動してみると、新たに気付くこともあるだろう。行動したからこそ学べることが多いものです。一歩踏み出せば、新たな出会いも生まれるということです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆※ 本日、気にとまったことや言葉から。以下■ 今年のJAの農家からの米の買い取り価格(コシヒカリ)。福島県中通り 60kg 12400円 昨年 10600円 値上げ幅1800円値上げ幅は17%です。かなりの上げ幅です。昨今、各品目、各業種でほぼ軒並み値上げラッシュが続きます。■ 世界最古級に古い日本の縄文遺跡、青森県の大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土したもので約1万6500年前。これは模様のない無文土器だが、約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がっている。■ 日本の道100選にも選ばれている【磐梯吾妻スカイライン】福島市西方の高湯温泉と土湯峠を結ぶ全長約29km、最高標高1,622m、平均標高1,350mを走る山岳観光道路です。例年9月下旬から紅葉が色づき始め、10月下旬あたりまで見頃です。【詳しくはこちら】https://www.f-kankou.jp/spot/1713
2023/09/11
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できるなら旅して旅先でその土地その土地の美味しいものを食べ歩きしたいものです。だがなかなか、そんな機会が持てないとなると居ながらにしてとなると、この時代お取り寄せということが可能であるのだ。際立って美味しいものでなくともB級グルメ、その土地の特産品で充分である。はい、ささやかな楽しみでもいいのです。ささやかな楽しみでも満足できるわけです。できるなら、ささやかな楽しみが数多くあったほうがいい。楽しみ事はささやかであっても嬉しいのだ。嬉しいことの積み重ねはいいね。ちょっとした喜びを重ねることで喜び体質になってゆくでしょう。昨日、市場の朝市が4年ぶりに開催❗️辿り着くまでが大変、道路が大渋滞1km以上車が並んで居ました。目玉はマグロの解体ショー、冊切身はセリもあり、ジャンケンプレゼントもありで盛りあがりました。セリも見ているだけでなく参加すると楽しい。長かったね市場まつりの朝車列どの顔も真剣勝負セリの声メバチマグロ、解体ショー。冊切り200gを800円でgetです。これはこれは美味しい刺身となりました。次回のマグロ解体ショーも忘れずに行くことにしよう。 ■ 人生を楽しくするために「やらなくていい」4つのこと
2023/10/30
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登山部の12月例会は泉崎村の烏峠(485m)と猫啼温泉井筒屋で納会鳥峠の名前も聞いたことなかったので期待もしていなかったのですが、、、なんとも実に眺めのいい眺望に出会うことができました。また行ってみたいと思わせる景色でした。57名の参加。烏峠は泉崎村の最高峰で泉崎村ではシンボル的存在の名峰であるそうです。古くは烏ヶ嶺と呼ばれたそうです。うつくしま百名山やふくしま緑の百景(烏峠の緑)、ふくしまの遊歩道50選(烏峠遊歩道)にも選定されいる烏峠(からすとうげ)は県南地域では有名スポットだった。私が知らなかったわけです。
2017/12/04
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郡山市湖南町浜路に「磐梯からし味噌」のともやさんがあります。味噌に唐辛子をまぶしたシンプルなものですが、これが評判を呼んでいるのです。今回、新しく新商品を考えませんかと提案してきました。湖南町ですから、「そば」「じゅんさい」「からし味噌」など地元の産品を元にして夏場に向けて例えば「ソフトクリーム」などを作ってみたらいかがでしょうかと。また「からし味噌」の新バージョンを加えてみてはいかがでしょうかと・・・新商品を出してゆくことが活性化につながります。新商品開発もプラス志向ですすめば、道は開けるというものです。この地域では、積もった雪を川に捨てています。どけてもどけても雪が降り積もり、空きスペースして川が雪捨て場となっているのです。雪の少ない地方の人にはめずらしい光景にうつることでしょう。
2008/03/04
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百人一首 86番歌 嘆けとて 月やはものを 思はする かこちがほなる わが涙かな なけけとて つきやはものを おもはする かこちかほなる わかなみたかな 嘆けといって私に月が物思いをさせるのだろうか? いや、そうではないでしょう。にもかかわらず、まるで月のせいのように、こぼれる私の涙です。 作者: 西行法師(さいぎょうほうし) 西行。俗名は、佐藤義清(さとうのりきよ) 1118~1190 平安後期の歌人。北面の武士として鳥羽院に仕えた後に23歳の時に家庭と職を捨てて出家。京都・嵯峨のあたりに庵をかまえ西行と号しました。日本各地を行脚しながら歌を詠み漂泊の歌人として知られます。新古今集には最多の94首が入撰。家集『山家集』。また彼の一生は「西行物語」に詳しく語られています。 月と花を好んで歌に詠み、恋歌が多いことで知られた 西行法師です。漂泊の歌人だけあって自由闊達な心で詠んだ歌が多く、現代人にも相通ずるものが感じられます。よく知られた歌に願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月(もちづき)のころ 時代が変わってもたいへん人気のある大歌人です。 「月前の恋」という題を与えられ詠んだ歌でした。月を眺めていると、やおら自然に涙が流れる。恋の悩みであるのに、まるで月が嘆けと言っているようです。月のせいにして、やおら流れる涙です。 昔から、月は物思いにふけらせ、悲しみにくれさせてしまう何かがあるようです。日本ではお月見という行事がある一方で、月を見ることは忌むべきことだとの考え方もありました。 西行は諸国を旅した人ですが、陸奥を旅した時に詠んだ歌に あはれいかに 草葉の露の こぼるらん 秋風立ちぬ 宮城野の原宮城野の原は、宮城県仙台市の仙台駅の東側にあたります。宮城野の原に行くのには奥羽街道を歩いて北に向かったことだろう。ということは我が家の近所を歩いたことが想定されます。こうしてみると俄然、西行法師も身近に感じますね。それからこの時代には旅籠と呼ばれる宿はあったのでしょうね。弁当は何を持参したのだろうか。水筒は竹筒を利用したのだろうかなど想像したらきりがないですね。それにしても当時の人は健脚だったのですね。 ※今日5月27日は百人一首の日、藤原定家が100首選定した日です。藤原定家の撰による「小倉百人一首」がまとまったのが、文暦2年 (1235年)の5月27日。ということで『百人一首の日 』と言うようです。1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まであり、柿本人麻呂、山部赤人、阿倍仲麻呂、小野小町、在原業平、紀貫之、紫式部、清少納言、西行法師らが名を連ねています。百首の歌のうち、恋の歌が43首、次いで秋の歌が17首、合わせて60首を占めます。編集者である藤原定家の好みで選ばれたわけですから定家の好みがよく現れていると言ってよいでしょう。但し、この時、藤原定家は74歳だったとのこと。百人一首は、鎌倉時代に編集されましたが、当時、人々にはまったく知られなかったそうです。14世紀の後半(室町時代の中期)になって、連歌師・宗祗(そうぎ)によって研究・紹介されて、歌よみの間でようやく読まれるようになったとのことです。藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだとされる私撰和歌集である。その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。 小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。 男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名。また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっている。100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。 春の歌 6首 夏の歌 4首 秋の歌16首 冬の歌 6首 旅の歌 4首 月の歌13首 桜の歌 5首 梅の歌 1首 心変りの歌10首 恋の歌43首・片思いの歌 14首 ・情熱恋の歌 10首・忍ぶ恋の歌 9首・その他 10首 男歌人 79人 女歌人 21人
2013/05/27
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最近、facebookで話題になっている「人が集まる九ヶ条」人が集まってくる場所、いわばパワースポットですね。パワースポットとは、、、人が集まるには法則がある。その法則をまとめたものに「人の集まる九ヶ条」がある。・人は人が集まる処へ集まる・人は快適な処へ集まる・人は噂になっている処へ集まる・人は夢の見られる処へ集まる・人は良いもののある処へ集まる・人は満足の得られる処へ集まる・人は自分の為になる処へ集まる・人は感動を求めて集まる・人は心を求めて集まる人の集まるところを分析すると人が集まる処 → 人の集まる処にしよう快適な処 → 快適な処にしよう噂になっている処 → 噂になる処にしよう夢の見られる処 → 夢の見られる処にしよう良いもののある処 → 良いもののある処にしよう満足の得られる処 → 満足の得られる処にしよう自分の為になる処 → 自分の為になる処にしよう感動を求めて → 感動のある処にしよう心を求めて → 心を求められる処にしよう人が集まる核になるものを明確にしていこう。人を惹きつける魅力あるものはなにか。(高野山真言宗 築港高野山 釈迦院)
2013/02/13
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たのしみは 来秋になり ざる菊の 大きく育ち 咲くを見るとき玄関わきに、菊薫る鉢植えのざる菊を置いてみました。一昨日、「ときわ菊の里」で記念に一鉢購入でした。玄関ドアを開けたら朝一、大きな黄色いざる菊がある。小さな菊の花が沢山咲いていますが今年の春先に植えた1本の苗から育ったものだそうです。購入時にどんな肥料を施したらいいのかを教えてもらいました。「オール15」と呼ばれる窒素、リン酸、カリの化成肥料だと云う。朝の散歩中に肥料袋を積み置きしているのが目に入ってきたので確認してみたら「オール80」5kgだった。今まではまったく目に入らなかったものが、ひとたび意識の中にインプットされると周辺情報までも感知するようになるわけです。来年はたして同じように、大きなざる菊に育つものだろうか。今から新しいことにチャレンジするには、まずは情報収集からですね。育て方をweb検索してみました。肥料袋に入った肥料に直接、苗を植え込み育てるのか、初心者にはこれはいいかも! 袋栽培、気になるのでチェックしてみました。既成概念に捉われないことですね。ざる菊の栽培方法がよくわかるサイトがありました。
2018/11/14
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シニアになると1年間に2%も筋肉が減ると云われているとか。シニアになると運動量が減る、筋肉を使う生活習慣が少なくなる。筋肉は反復して使うと増える、逞しくなる。筋肉は使わないでいると退化してゆく。シニアになっても毎日筋肉を動かす生活習慣、ルーティンにしてしまえばいいわけです。2ケ月前から相撲の四股を取り入れ始めました。1週間に5回づつ増やしてゆき20週間で連続100回の四股踏みができるようになるという計画です。現在9週目に入り、連続45回の四股踏みです。始めた頃はしゃがみ込むとその場で立ち上がるには、掴まらないとできなかったのが、今ではその場で何も掴まらずにスクッと立ち上がることができるようになりました。脚力が回復していることが自覚できます。片足づつ交互に足を上げ1本足でバランスをとるわけですから必然的に体幹が鍛えられるということになります。雪が降り寒くなると日課の散歩をサボり、やらなくなり、例年春先になると体力の衰えを感じていたわけですが今年はそういうことがなくなる予定です。散歩をしなくても四股を踏むことによって脚力退化を防ぐどころか脚力アップが実感できるわけです。毎日続けるといい、運動習慣。自分にあった運動をやり続けるのと、身体を動かすことをしない生活では雲泥の差ができてしまうでしょう。生活の一部にしてしまうのにはルーティンにしてしまえばいいのです。
2021/01/25
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百人一首 83番歌 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかそなくなる 世の中なんて、どうにもならないものだ。思いつめて分け入った山の奥でさえ、鹿も悲しげに鳴いているように聞こえてくる。 作者: 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり) 藤原俊成(ふじわらのとしなり) 1114~1204 平安末期・鎌倉初期の歌人・歌学者。百人一首の撰者、藤原定家の父。西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人です。後白河法皇の院宣により『千載集』を撰進。歌論書『古来風体抄』、家集『長秋詠藻』などを著し、幽玄の歌風を確立した。平安期の古今調から鎌倉期の新古今調への転換期において、歌壇の第一人者として指導的な立場にあった。 この歌は27歳の時に詠んだ「述懐百首」の中で鹿をテーマにしたものとあります。 この歌が詠まれたころは、西行法師をはじめ、藤原俊成と同年代の友人たちが次々と出家していました。藤原俊成も悩み、悩んでもどこへ行こうと悩みはつきない、というこの歌を詠んだと推察されます。 ※
2013/05/24
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百人一首 64番歌 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 あさほらけ うちのかはきり たえたえに あらはれわたる せせのあしろき 作者:権中納言定頼 ( ごんちゅうなごんさだより ) 藤原定頼(ふじわらのさだより) 995~1045 平安中期の公家・歌人。中古三十六歌仙の一人。藤原公任の長男。書や管弦が上手い趣味人で容姿端麗で社交的な反面、小式部内侍をからかった時に即興の歌で言い負かされてそそくさと逃げ帰るなど軽率なところがあった。 朝がほのぼのと明けるころ、宇治川の川面に立ちこめていた川霧がところどころだんだん晴れていって、その合間から現れてきた川瀬に打ち込まれた網代木よ。百人一首は恋の歌が多い中に選ばれた宇治川の景色を詠んだ抒情詩のような歌です。※
2013/05/05
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百人一首 80番歌ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは ものをこそ思へ なかからむ こころもしらす くろかみの みたれてけさは ものをこそおもへ 作者:待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ) 生没年不詳。平安後期の歌人。女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。源顕仲の娘。待賢門院に仕えた。 あなたが末長く心変わりしないといわれますが本心をはかりかねます。お別れした今朝は、黒髪が乱れるように心も乱れ、もの思いにふけるばかりです。 この歌の出典は崇徳院の命で作られた「久安百首」にあるものです。久安百首は、テーマごとに歌を詠み、合計で百首にするというものでした。この歌は、男が届けてきた後朝(きぬぎぬ)の歌に対する返歌です。平安時代は男性が女性の家に行き一晩を明かすという慣習がありました。「後朝」というのは男女が一晩を明かした翌朝で、後朝の歌とは男が帰った後で女の許へ、歌を詠んで贈るという雅な慣習です。その歌に対して女性から返ってきたのがこの一首というわけでした。今の世であれば、別れたあとで携帯メールでやりとりをするようなものでしょうか。しかしその内容ですが歌を詠める教養と余裕が持てるだろうか。思うに平安貴族は、雅な教養を身に着けて生きていたのですね。 ※
2013/05/21
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百人一首 40番歌しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問うまにしのぶれど いろにいでにけり わがこいは ものやおもふと ひとのとうまに作者:平兼盛(たいら の かねもり)平 兼盛(たいら の かねもり生年不詳 - 991年1月21日)は、 平安時代中期の歌人である。三十六歌仙の一人。父は光孝天皇の曾孫にあたる大宰大弐・篤行王。臣籍降下前は兼盛王と名乗っていた。官位は従五位上・駿河守。恋をしていると顔色に出ているのか、何かもの思いをしているようですねと尋ねられることがある。「拾遺集」の詞書では、この歌は960年に村上天皇が開いた「天暦御時歌合(てんりゃくのおほんときのうたあわせ)」で詠まれたとされています。ここでは、「忍ぶ恋」の題で同じく百人一首に収載されている壬生忠見(みぶのただみ)の「恋すてふ」の41番歌、恋すてふ(ちょう) わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしかとどちらが優れているか最後まで競った歌です。この2首は、いずれも甲乙つけがたい歌であったために判定に困りましたが、帝がこちらの歌を口ずさんだことで兼盛の勝ちとなったという有名な話があります。※
2013/04/11
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たのしみは うまぶどう苗 来春に そろって新芽 顔を出すとき馬ぶどうの実、この実が最近、注目を浴びているのだとか。朝の散歩の途中で採取できる場所があるのですが、種を播いて育てたら効率がいいと思うわけです。これだけ播いておけば来春は何本か芽が出て育つだろう。前回、馬ぶどうのことを書き込んだのは調べてみたら2011年11月2日でした。まもなく4年になるわけです。月日の経つのは早いですね。漬け込んだ馬ぶどうはまだ飲み切っていません。ちなみに漬け込むのは梅と同じようにまだ青い実で熟成しないうちに摘んで漬け込む方法もあるらしいが、どちらがいいというデータがあるでもなし、いろいろ試してみたらいいとの書き込みも見られます。自宅に垣根仕立てにして馬ブドウを栽培していた人がいたことをwebで発見。馬ブドウの実を10kgも自宅で収穫できたらいいかもね。馬ブドウのこと現代農業の記事で知り、すぐにアポをとって情報交換しながら馬ブドウの知識を深くして栽培普及をやられたようです。即行動の人はものにしてしまうようですね。私の場合は4年ものまわり道ですがようやく入り口にさしかかりました。やはり気になることは気にかかるわけでございます。たのしみは 馬ブドウの実 数年後 垣根仕立てに たわわ実るとき
2015/10/19
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うどんと言えば本場四国の「さぬきうどん」や群馬県伊香保の水沢うどんが知られていますが、ご当地郡山にも49号線中山峠に、風神うどんがあります。風神うどんすきが知られておりますが、地元の風土にあった芋煮うどんメニューを始めたと聞いたのでさっそく取材がてら寄ってみました。そのボリューム感と味と値段は、本場四国のさぬきうどんに匹敵するものでした。百聞は一見にしかずです。聞けばオーナーはこの道40年近い麺通なお方です。うどんの美味しさを知ってほしいとこの地にお店を構えて30年余り、いままでお世話になった地元の方々への味の還元ですともおっしゃっております。 いもにうどん500円、リーズナブル価格で野菜たっぷり、おいしいうどんです。なんともビックリです。うどん好きな人に、ぜひお知らせしたい風神の「いもにうどん」です。いもにうどんは、野菜たっぷり具だくさんです。お野菜をふんだんに使った健康志向の煮込みうどんです。どんなものが入っているのだろうとチェックしましたら「ごぼう、ねぎ、菜の花、竹の子、昆布、大根、さやえんどう、里いも、鶏肉、揚げ玉」と「煮込みうどん」がいっしょになったボリュームたっぶりのうどんです。店主にあとで聞きましたら入っている野菜は季節により多少ことなるそうですがお客様のよろこぶ顔がみたいからとよそではマネのできない自慢の芋煮うどんを考案したとのことです。風神さんは、国道49号線を郡山市磐梯熱海町から猪苗代湖に向かう中山峠の手前、左側の和風風車が廻っているお店です。郡山市熱海町中山宿 うどんすき風神024-984-3354
2008/05/21
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親からしてもらったことを振り返る内観と云う方法があります。内観道場に出向いて外部との情報を遮断して1人内省するわけですが、何も道場に行かなくとも自宅でもできるわけです。家を新しく建てることは、人生に於いて初めての大仕事であったろう。私が子どもの頃の記憶に借家の天井に新しい柱が数本並んで置かれてあった。天井なんてありません。梁に渡して置かれていた。いずれ家を建てる希望を持って柱一本からと思った父30代の初めの頃だった。本を買ってきたことがあった。記憶に残っているのは表紙が小鳩くるみだったが題名は憶えていない。その後に月刊誌の「ぼくら」を毎月買って帰ってくるのが楽しみだった。クリスマスにはケーキを買って帰ってきた。自転車で砂利道だったはず、形を崩さずにどんなふうに持ってきたのだろうか。人生で最初の大きな嬉しいショックは、両親がマイホームを建てたときだったろうか。母の実家の屋敷林から大きい杉の木を切り倒して軒の梁にする作業を一緒にやった思い出がある。杉皮を剥いで、次は薄皮を茶碗のかけらで削いでゆく、気長に丁寧にやる作業です。自分も関わった家づくりですから思い入れのある新築の家であった。東京オリンピックが開催された昭和39年、小学6年の春先だったろうか、それまでは2間しかなかった借家生活からのおさらばであった。家族5人が一部屋生活だったのだ。24坪ほどのけっして大きい家ではなかったが廊下のある家が嬉しかった。そしてオリンピックを観るために白黒テレビがやってきた。冷蔵庫もやってきて一気に近代文明社会に参加です。今まで何回引っ越しをしたのか数えてみたら9回も引っ越しを経験していた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の昼はそば乾麺を茹でる。そば乾麺にも最近は工夫をこらし美味しく食べられるものがあります。「挽きぐるみ極細そば」細いので、ゆで時間2分半。岩手県奥州市の小山製麺。 #挽きぐるみ極細そば #小山製麺
2024/07/24
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生誕100周年とか生誕120周年などの文字を、たまに新聞などで見かけることがあります。作家や画家など著名な有名人であることが多いのですが、記念館などで誘客増員をはかるイベントであったりTVの追悼記念番組放送だったりする訳ですが、それはそうとして、わが家の父母の生誕100周年があってもいいではないかと、ふと思ったのです。昭和3年生(1928)だから4年後の2028年だ。私自身があと4年は少なくみても健康でいないとならないわけです。そしてそれは私の健康目標ともなるわけです。その間に親にどんなことをしてもらったかを内観して、思い出して記録として書き出してみましょうか。これはやってみる価値有りそうですね。どこまで思い出せるかということも含めて再発見もあるかも。心の引き出しを開ける作業となるわけです。内観という言葉は聞いてはいたものの実行するには至りませんでした、今回思いついたのは自分で自分に問いかけてゆく1人内観、そしてそれは思い出したことを文字起こししてゆくわけです。生誕120周年で記憶にあるのは、宮澤賢治です。8年前に岩手県の大沢温泉に行ったおりに帰路、花巻市にある宮澤賢治記念館に立ち寄ったことがありました。私の両親は有名人ではありませんが私にとっては宮澤賢治よりも身近な存在であります。もしかして私が22歳の時に亡くなった爺さんは今年50回忌かも。両親の前に爺さんの50回忌の弔いをやってみましょうか。 ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆両親の生誕100年祭を思いついたと、朝活で話したら、私の次に話し始めたAさんは、私の両親は、生誕100年を通り過ぎてしまったが生母のことについて話してみますと、おもむろに話し始めた。5歳の時に病気で亡くなってしまった母ですが、小学校に上がる前に4kmちょいある御代田小学校に一緒に歩いて一緒に行って私は一人校庭でブランコ、鉄棒で遊んで一時間位母が校舎から出てくるのを待った。母は家庭科の時間に裁縫を教えていたのだった。小学校への道中、田圃が続く中に丸い島になった松林が2ヶ所あり、松の木の根っこに腰掛けて休んだ記憶がある。また我が家には注射器やガラス製アンプルの薬があって頼まれると近所の人に注射を打っていた。どこの家にもあるのかと思っていたが母は嫁ぐ前に看護師の資格を持っていたので鍋にお湯を沸かして、注射器を煮沸して消毒していた。近所の若い娘さんを集めて和裁、洋裁を教えていた。父親がシベリア抑留で帰ってきたのが昭和24年だったのでその間の生活の糧にしていたのだろう。それから自転車の後ろの荷台に薄い座布団を乗せられて西に向かった着いたのは開成山の競馬場に競馬を観に行った。土手に腰掛けて競争する馬を眺めるだけで、また自転車に乗って帰ったわけですが当時は道路は砂利道の振動でけつが痛くなった記憶があります。玄関前に植えられている我が家の菊の花。菊の花は比較的に長い間咲き続けています。
2024/11/15
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朝、新聞を開いて目に飛び込んできた広告です。「 薬に頼らず『血糖値』を下げる 」一年8ヶ月ほど、糖尿病の薬を飲み続けていてふとこの薬いつまで飲み続けなければいけないのだろうかと思うようになったわけです。週刊ポストを購入して、さっそく開いてみました。6ページの記事でしたが最近読んだ糖尿病の本に書いてあることとほぼ同じでありましたが、改めて「薬に頼らずね血糖値をコントロールしていこう」と決意を新たにする引きもどしをしてもらったと思えば週刊ポスト560円は安いものです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆※ 本日、気にとまったことや言葉から。ゆうちょ通帳アプリとはゆうちょ通帳アプリは、ゆうちょ銀行の総合口座(通常貯金・通常貯蓄貯金)を利用している人が、スマートフォンで通帳の残高や入出金明細を確認したり、送金や支払いをしたりできるアプリです。主な機能は次のとおりです。通帳残高の確認入出金の履歴の確認月々の収支の確認ゆうちょ銀行や他の金融機関への送金払込書やQRコードによる支払いの確認ATMでの入出金🔳小型室内循環加熱ヒーター
2024/11/26
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いわゆる常識と思っている事は人によって異なる。このくらいのことを知っているのは常識だろうと思っても本人と、すり合わせ確認してみないとこちらの思い込みである場合があります。それと物事の解釈も人それぞれである場合が多い。コップの水が半分以下になってしまったのを見てもまだまだ残っている大丈夫だと思う人と、残り少なくなってしまった、継ぎ足しておこうと思う人。コップの中に残り量は見た目には同じでも、それを見る人によってその心情は異なっていることがある。状況説明をして私はこう思うと自分の解釈を述べた上で話をすすめないと齟齬が生じる場合がある。その原因は、常識と解釈の基準となる物差しが人によって違うことによって齟齬が生じる場合が起こるわけです。いわゆる誰もが目に見えない自分流のオリジナル物差しを持っているわけです。考え方の習慣とも云えるでしょう。その事象・現実を、どう見るか、どう捉えるか。すなわち「どう解釈するか」でその現実の在り方が変わるわけです。コップ酒が半分になったのを見て、もう半分しか残っていないと思うのか、まだまだ半分残っているじゃないかと思えるか。前者は早ガッカリ不満モード、後者はこの半分をじっくり呑めば充分まだまだ楽しめるじゃ〜ないかと悟るわけです。解釈の仕方によっては気分が真逆にもなる訳です。ようするに、どう解釈するかにより起きた現実、現象の捉え方まで変わるわけです。解釈は人それぞれ。解釈の仕方にその人その人の個性が垣間見れます。その人らしさが現れます。その人の解釈によって、その人の行動が決まるでしょう。判断が変わるでしょう。次の一手を決めるものとなるでしょう。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆味噌バターらーめん¥870 by 大阪屋 (郡山市湖南町福良)野菜たっぷりです。味噌バターのメニューは何年ぶりだろうか。次回訪問時は、ライスセットとラーメンの組み合わせ。or カレーライス。猪苗代湖の西側、湊町の赤井の大イチョウの黄葉を観にドライブ途中に立ち寄りました。いつのまにか福良もバイパスが完成してから旧市街地にある大阪屋をスルーしそうになりました。この店なら郡山市内にあったとしても繁盛店間違い無しと云っていいかも。※ 本日、気にとまったことや言葉から。便利屋新聞広告から https://ranman-sougou.jp/最近、目につくようになったQRコードの入った広告。これでアクセスしてもらえれば情報量満載広告となりますね。
2024/11/25
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