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2010.12.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
gooブログを見ていたら、坂の上の雲が第一位と載っていた。私も検索して、NHKのHPに着きました。

坂の上の雲

「1903年、真之(本木雅弘)は季子(石原さとみ)と結婚。新婚家庭に、律(菅野美穂)が子規の形見分けの品を持って訪ねてくる。律は季子ともすぐ打ち解け、真之の幼いころのことを話す。時局は日本とロシアの対立が避けがたい情勢となり、海軍は連合艦隊を編成。海軍大臣の山本(石坂浩二)は大方の予想を裏切り、司令長官に東郷(渡哲也)を任命する。真之は、東郷から連合艦隊の作戦参謀を命じられる。旗艦「三笠」への乗船を前に真之は季子と共に、母の貞(竹下景子)がいる好古(阿部寛)・多美(松たか子)夫妻の家を訪問。秋山家は一家そろってひとときを過ごす。一方、ロシア国内では児玉(高橋英樹)の命で陸軍の明石(塚本晋也)が革命勢力を秘密裏に扇動する活動に当たっていた。外務大臣の小村(竹中直人)は戦争回避のための交渉を続けていたが、政府は04年2月、ついに開戦を決意する。」

日本は植民地化しているアジアに於いて、西洋の仲間入りをしようと背伸びしているのです。
戦艦を買う金も、武器を買う金も有りません。しかしながら富国強兵を目指して軍備を整えましたが、ロシアに勝てるわけは有りません。
「開戦すると日本の人口の1割は死ぬ」と真之も言っていました。

勝てる見込みがないと考えられるロシア戦どうして日本は踏み切ったのでしょう。小村は戦争回避の交渉を続けていたのですがその回避法はどうだったのでしょうか。

歴史書ではないのでNHKは詳しく説明できるかは分かりませんが、日本人は今考えるべき事はその当時の日本人になって、国の行く末を考え、ロシアとの戦争をするのかどうかを考えることでしょう。



ロシアはどうだったのでしょう。その前に日清戦争というのがあります。
ウィキペディアで概要を調べます。

「日清戦争ー概要
1894年(明治27年)、朝鮮国内の甲午農民戦争をきっかけに、6月朝鮮に出兵した日清両国が8月1日宣戦布告にいたった。日清戦争の原因について開戦を主導した陸奥宗光外務大臣は、「本源にさかのぼれば日清両国が朝鮮における権力競争」と回想した(『蹇蹇録』)。

近代化された日本軍は、近代軍としての体をなしていなかった清軍[3]に対し、終始優勢に戦局を進め、 遼東半島などを占領した [4]。また戦争指導のため、明治天皇と大本営が広島にうつり、臨時第七議会もそこで召集された。

翌年4月17日、下関で日清講和条約が調印され、 日本は清から領土(遼東半島・台湾・澎湖列島)と多額の賠償金などを得ることになった。 しかし23日、 ロシア・フランス・ドイツが日本に対して清への遼東半島返還を要求し、その後、日本は三国の要求を受け入れた(三国干渉)。 なお、5月末から日本軍が割譲された台湾に上陸し、11月18日付けで大本営に全島平定が報告された(乙未戦争)。台湾が軍政から再び民政に移行した翌日の1896年(明治29年)4月1日、ようやく大本営が解散された。

帝国主義時代に行われた日清戦争は、清の威信失墜など東アジア情勢を激変させただけでなく、日清の両交戦国と戦争を誘発した朝鮮の三国にも大きな影響を与えた。近代日本は、大規模な対外戦争をはじめて経験することで「国民国家」に脱皮し、その戦争を転機に経済が飛躍した[5]。また戦後、藩閥政府と民党側の一部とが提携する中、積極的な国家運営に転換(財政と公共投資が膨張)するとともに、懸案であった各種政策の多くが実行にうつされ、産業政策や金融制度や税制体系など以後の政策制度の原型がつくられることになる[6]。さらに、 清の賠償金などを元に拡張した軍備で、日露戦争を迎えることになる。

対照的に敗戦国の清は、1880年代のアフリカのように列強による勢力分割の対象にされ、複数の要衝を租借地にされて失った。その後、義和団の乱で半植民地化が進み、滅亡(辛亥革命)に向かうことになる。清の「保護」下から脱した朝鮮では、日本の影響力が強まる中で甲午改革が行われるものの、三国干渉に屈した日本のプレゼンス(政治的・軍事的な存在感)低下や親露派のクーデター等によって改革が失速した。1897年(明治30年)、朝鮮半島から日本が政治的に後退し(上記の開戦原因からみて戦勝国の日本も清と同じく挫折)、満洲にロシアが軍事的進出をしていない状況の下、大韓帝国が成立することになる。」

日露戦争について
「戦争目的と動機  

大日本帝国

三国干渉および義和団の乱後満洲を勢力圏としていた ロシア帝国による朝鮮半島への南下(朝鮮支配)を防ぎ、日本の安全保障[5]と半島での権益を確保することを目的とした戦争。

 ロシア帝国

遼東半島の旅順、大連租借権等の確保と満洲および朝鮮における自国権益の維持・拡大を目的とした戦争 。 」


大韓帝国は冊封体制から離脱したものの、 満洲を勢力下においたロシアが朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった
ロシアは高宗を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感( 1861年にロシア軍艦対馬占領事件があった為 )を持っていた 日本がこれらを買い戻し回復させた。
当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、 ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった 。1904年2月23日、開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動を可能にするために 日韓議定書を締結し、開戦後8月には第一次日韓協約を締結、大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をすることとした 。大韓帝国内でも李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では独自改革が難しいと判断した 進歩会は日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった 。一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。」

以下、下記の項目の通りの歴史があると言うことで、歴史の勉強をやり直すべきです。
「4 背景
4.1 ロシアと日本の対立の場となった朝鮮半島
4.2 日英同盟
4.3 直前交渉
4.4 各国の思惑
4.5 外貨調達
5 経過
5.1 開戦時の両軍の基本戦略
5.2 開戦
5.3 黄海海戦・遼陽会戦
5.4 旅順攻略
5.5 奉天会戦
5.6 日本海海戦
5.7 樺太攻略
5.8 講和へ
5.9 年表 」

ここで、日韓併合問題が出てくるわけです。
韓国は日韓併合で日本に悪いことをされたように主張して日本に謝罪を何度もさせました。
今年も「自衛隊は暴力装置」「沖縄は甘受すべき」発言の、日本攻撃韓国大好きの仙谷官房長官が、菅首相に謝罪させました。
しかし、日本は韓国のロシア支配から防衛したのです。
韓国は悪くすれば北方4島と同じ運命になる可能性もあったのです。日本謝罪は筋違いです。

日韓併合も韓国の要請により、すべて要請を受けて行動しています。さすが武士道の国という感じです。

ロシアの侵攻を受けるとそれは略奪暴行が行われ多はずです。敗戦で日本は経験済みですしウエブ検索すると出てきます。
日本は謝罪する必要はないのです。正しかったと主張するのが国際政治には必要なのです。
どこの国がヘイコラと謝罪していますか、韓国は中国と同じ嘘を100回言えば本当になると言う格言を守っている国です。嘘で固めている国です。だから中国人同様世界の嫌われ者になっています。


日露戦争についてこういう記事も有りました。
「日露戦争は世界史を転換させた一大事件である。日本は、朝鮮半島が東侵主義的なロシアの手に陥ることを防止するため、国家安全上、真に止むを得ず国の存亡を賭して開戦に踏み切った。ナポレオンでさえ敗退させた世界屈指の大国たる帝制ロシアに対し、極東の新興小国日本が勝利しようとは我が同盟国であったイギリスですら思わず、世界中が日本の敗北を予想していた。しかしその予想は見事に覆る。
この日露戦争の勝利はアジア・中東・北欧などの諸民族に勇気と希望を与え、岡倉天心の言う‘アジアのめざめ’が生まれた。即ち、日本を範として白色人種の支配から脱しようとする気運が世界的に始まった。
日清・日露の両戦役に勝利を収めた日本は、国際社会においてその地位は確立されたかに見えた。しかし欧米列強は日本の指導的地位を認めないばかりか、アジア唯一の先進国として警戒の目を向けるようになった。ここに我が国の国防は新たな展開を要することになるのである。 」

今アジアが元気なのも、この日露戦争、次の大東亜戦争による植民地解放によることが大きいのです。
日本人は自己PRをしない国民ですが、世界を相手にする場合は自己主張すべきなのです。

以上が今日勉強した内容です。





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最終更新日  2010.12.15 06:53:05
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