『ニューヨーク・タイムズ』紙記事は、「日本、軍の焦点を中国に再設定(Japan to Refocus Military on China)」という見出しです。ここでまずおことわりですが、英語圏の記事で日本の自衛隊を「military(軍)」を呼ぶのは、別に特別なことではありません。「自衛隊(Self-Defense Forces)」と正しく表記しつつ、同じ文章内で「Japanese military(日本の軍隊)」と書くのは、まったく普通のことです。「日本には平和憲法があって、武力行動は自衛に限られている」という注釈がどこかにあったとしても「自衛隊は軍隊ではない」という認識はありません。
そういうおことわりをした上で、以下ご紹介します。『ニューヨーク・タイムズ』は、日本の防衛力の南西シフトは「冷戦時代の防衛戦略の大転換となる(would be a sweeping overhaul of its cold war-era defense strategy)」と説明。しかも、これは北朝鮮や中国の最近の動きに対して日本がもっと東アジアで軍事的な役割を拡大するようアメリカが日本に求め始めているのと、時期を同じくするものだと。
ノルウェーでの授賞式に中国の民主活動家、劉暁波氏が出席できず、壇上には「空席」が置かれていたこと。ノーベル賞に対抗して中国がいきなり創設した「孔子平和賞」でも、受賞者に選ばれた台湾の連戦氏が欠席したため、代わりになぜか小学生の女の子が複雑な表情でトロフィーを受け取ったこと。この顛末を『フィナンシャル・タイムズ』は、「コミカル」であり、かつ「新しい冷戦の気配をかすかに感じさせた」と評しています。思想的に対立する陣営同士がシンボリックな賞やオリンピックのメダル争いなど、実際の戦争ではないところで国威を競い合うのがまさに伝統的な冷戦の手法だからです。冷戦世代にとって、今回の「ノーベル平和賞vs孔子平和賞」対決はそういう意味で、本当に既視感がありまくりでした。中国が軍事に限らず経済に限らず政治に限らず、多種多面にわたって国威を強調すればするほど、「新しい冷戦の気配がかすかにする(faint air of a new cold war)」と。