パクス・ジャポニカ Vol.2

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2011/06/08
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テーマ: 城跡めぐり(1254)
少なくとも「いつ・誰が・なぜ」の3つを意識しながら城跡を見ているのですが、その3つともわからないのが神籠石(こうごいし)です。


663年の白村江の戦いで、百済救援のために出兵した倭国が唐・新羅の連合軍に敗れると、天智天皇は西日本に12の山城を築城したことが、日本書紀や古事記に残っています。
こちらは「古代山城」とか、朝鮮半島の影響を受けているので「朝鮮式山城」とも呼ばれ、太宰府防衛のために築かれた 大野城 がその例になります。


一方で朝鮮式山城と同じく山頂付近を石垣の壁で囲んだ建造物が存在し、こちらは「神籠石」と呼ばれています。
朝鮮式山城が文献により場所も記述されているのに対し、文献に登場しないのに遺跡だけが存在するのが神籠石で、吉備の 鬼ノ城 なども神籠石に分類されています。


石城山神籠石は山口県光市の北部にあり、石城五峰の1つである標高357mの鶴ヶ峰を頂点として、石城五峰を囲むように列石が並んでいます。
石城山神籠石遠景 (500x375).jpg

なぜここに神籠石があるのかも不思議に思うところです。

列石は総延長約2.5kmで山腹を取り囲み、東西南北には門が配置されています。
石積みで囲んで東西南北に門があるのは朝鮮式山城にも見られるのですが、都市を城壁で囲んで東西南北に門を置くのは、中国大陸の影響を受けているように思います。
(台湾で見た 台北府城 台南府城 左営旧城 なども城壁で囲んで東西南北に門がありました)

石城山神籠石の列石は今もよく残っており、山腹に沿って連なっていました。
石城山神籠石列石.JPG
近代や近世になって造られた石垣かと思うほどの高い技術だと思います。


列石は南側が高く、北側が低く配置されており、その標高差は約90mもありました。
石城山神籠石列石 (4).JPG

石城山神籠石列石(5).JPG
朝鮮式山城と同じ時期だとするならば7世紀に造られたことになりますが、この石積みの技術には驚きました。

石城山神籠石西門列石  (2).JPG

これだけのものを築くには、相当な権力者でなければ無理だと思います。

石城山神籠石北門.JPG
北門の石積み

谷を横切る場所には水門が設けられ、山頂から水を流していたようです。
石城山神籠石東水門.JPG
東水門
暗渠が造られ、今も水が流れていました。



神籠石については定説がなく、「神域説」と「山城説」の論争があったのですが、この石城山神籠石については山城とする説が有力となっています。

個人的にも石城山神籠石は山城だと思うのですが、石城山はとても神秘的な感じで、市街地からそんなに遠くないのに、野生のニホンザルを見かけたりもしました。

実際に石城山には石城神社があり、創建は574年と伝えられることから、神籠石よりも古い可能性があります。

石城山神籠石随身門.JPG
石城神社随身門

石城山神籠石石城神社.JPG
石城神社本殿(重要文化財)
祭神は大山祇神・雷神・高?神で、大山祇神と言えば海の神・戦いの神です。
現在の社殿は1467年に大内政弘の再建と言われています。

また、石城神社境内近くには第二奇兵隊が本陣を置き、石城山を練兵場として利用していました。
石城山神籠石第二奇兵隊本陣跡.JPG
奇兵隊本陣跡
本陣の周りには土塁や空堀の跡があったのですが、これは奇兵隊時代に造られたものだと思います。


石城山が山城だとしても、朝鮮式山城と同じく唐・新羅の連合軍に備えて7世紀に造られたものかどうかの疑問が残ります。
また、唐・新羅の連合軍に備えて造られたとしても、なぜこの場所だったのかも不思議に思うところです。

石城山からは瀬戸内海を見渡すことができ、瀬戸内海からの侵入に備えたとは言えるかも知れません。
石城山神籠石より瀬戸内海.JPG
東側の柳井方面

石城山神籠石周防灘.JPG
西側の周防灘

見通しがいいとは言え、山城を築くにあたっては、防衛するための何かが必要かと思います。
後に周防の国府が置かれた防府は60km以上西に離れた場所にありますし、奈良の大仏などの原料になった長尾銅山は100km以上も離れており、山口・防府あたりにはもっと築城に適した山がいくつもあります。

石城山の南側には古墳が点在し、有力な豪族がいたと思われますが、大陸・半島から逃れてきた渡来人が築城したとも考えられます。


実際に石城山を訪れてもさらに謎は深まるばかりで、海側に出て 象鼻ヶ岬 を眺めながら、つくづくと考えてしまいました。
石城山神籠石象鼻ヶ岬.JPG





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最終更新日  2011/06/13 12:49:41 AM
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