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楽しもう会でいつもお世話になっていたKさん夫妻が農園を去って半年。 Kさんとの交流は続いていますが、農園に出向く機会はめっきり減ってしまいました。 私にとって、自分ひとりで畑を管理するのはものすごくハードルの高いことだったのですが すでに自分で市民農園を借りているばんばんさんやnahokoさんの後押しもあって 8月末から農園の片隅を「野菜いっぱい農園」と名づけてお借りしています。 早速手はじめに、みんなでダイコンやら小松菜やらを蒔いてみたのですが まだ気温が高く、夏の虫たちが悪さをして見事に全部やられてしまいました。 もうぼちぼち涼しくなってきたかな~と思ったので、 先週末、息子と一緒に白菜とブロッコリーの苗、にんじんの種まきをしてきました。 しばらくきていなかったので、草だらけ… お隣のMさんが、手押しの耕運機を出してくれて、耕やすのを手伝ってくださったり もう立派な畑になっている同僚の看護師Yさんが声をかけてくださり これまた立派なごぼうを収穫させてくださったり 久しぶりに土にまみれました。 Mさんにいただいた今年最期のプチトマトは、ドライトマトにして Yさんからいただいたごぼうは、炊き込みご飯とごぼうチップスにして食べました。 気持ちもからだも浄化されたような気がしますね。 免疫力も高まったかも
2009年10月31日
ついに…うちの息子のクラスもインフル流行で学級閉鎖になりました。 期間はとりあえず今週火曜日から金曜日までの4日間。 状況が悪ければさらに長引くでしょう。 うちの子は元気で、休みになってかなりハイテンションですが…当然冬休みは短くなります ところでこのような場合、共働きで仕事をしている人は突然 「仕事1週間休みます。」はかなり厳しいですよね。 我が家の場合は隣の実家にお世話になっています。 …というより、日々、隣の実家なしでは暮らしが成り立たないのが現状です。 保育園のように、仕事の都合に合わせてお迎えに行けるわけでもなく、 夏休み、冬休みも当然のことながらやってくるわけで… 長期休暇は学童保育を利用してはいますが、それも定時で下校ですし。 本当に助かっています。 余談ですが、夫も含め、義母、義兄、義妹、みんな今まで一度も インフルにかかったことがないらしい。 潜在的な免疫があるのか??? 不思議です。
2009年10月28日
今年も稲刈りに参加させていただきました。 開口一番、田んぼの主Mさん曰く「今年の米はちょっと自信があるんです。」 お昼にいただきましたが、味も抜群!実りに感謝です。 手馴れた手つきで稲を刈り取る子ども達。成長を実感! そして母は強し。 私たちが今回収穫させていただいたのは「ヒノヒカリ」 横の方に植えた黒米や赤米は まだちょっと収穫には早い。ただ、こちらは風で倒れている稲が目立ちます。 ヒノヒカリと比べると、背丈も高いし、藁も細い。 でも、こちらの黒米や赤米のほうが原種に近いそうです。現在の稲は、コンバインで 刈り取りしやすく、また雨風に負けないようにずいぶん品種改良されているんですね そこでふとした疑問が… 私たちが普段食べているお米の藁って、ものすごく太い。 これで「しめ縄」とか編めるんだろうか… Mさんに聞いたところ、しめ縄専用の田んぼをつくっている人がいるらしい。 しかも…しめ縄用は稲が実る前に刈り取られているらしいです。 なんか複雑ですなぁ… 今回、刈り取った稲は、それぞれ1~2束ずつ持ち帰り、架け干しすることにしました。 それを来月持ち寄り、足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)にかけて脱穀する予定。 そして12月には、残った藁で藁づと納豆を作る予定です! できれば赤米の藁をいただいて、来年用のしめ縄も作れたらと思います。 師匠は栗拾いでお世話になったNくんのおじいちゃん。宜しくお願いします~
2009年10月24日
…の後に続く言葉は?責任…をとる 責任…感責任…を負う 責任…がある辞書で「責任」を引いてみると、「当然果たさなければならない義務や任務」「失敗や損失に対する責めを負うこと」とある。「義務」や「任務」という言葉は、拘束感が強い。一方で、「この範囲はやる」けど「それ以外はしない」というニュアンスも感じてしまう。おまけに「責められる立場を任される」なんて…ずいぶんネガティブじゃありません?最近、ある人からこんな話を聞きました。「責任とは、立場を引き受け、 自分ができる範囲で何ができるかを考え行動すること」英語で、責任とは「responsibility」「Response=応答、反応」+「Ability=能力」ということらしい。なんだか背筋が伸びました。どこにいても、誰といても、どんな立場でも、その時の自分のベストを尽くしているか?振り返らなにゃならんと思いました。
2009年10月07日
私は小さいころからわりと「ほめて育てられた」と思う。まぁ、ある程度の年齢になれば、それがさほど秀でたものではなかったことにも気がつくのだけれど、親から自信をつけて育てられたことはよかったと思っている。…が、ひとつだけ。例外があります。それは「運動」に関すること。特別ダメだしを受けたわけではないけれど、「うちの家系は運動は得意じゃない」と言われてきたためか、運動に対して感心や、少しでも向上したいと思ったことがなかった。なので、小、中、高、大学を通して、クラブや部活動等でも「運動」に向き合うことなく大人になりました。そんな私が…こともあろうか今年、「運動」を人に教える立場になってしまいました。私の職場で開いている健康教室のひとコマです。そういうことになった以上、このままではいかんということでフィットネスクラブにも顔を出しました。例えばエアロビクス。エアロビクスの教室はALL鏡張り。いつも通っている人たちが楽しげに踊りまくるその横で、ワンテンポ遅れてついていけない私…そしてそんな姿も全身鏡に映ります。「いやだな~、もう来たくないな~」そういう気持ちになりました。でも、その経験からわかったことがあります。運動が必要な人こそ、フィットネスクラブの敷居は高い。運動が好きな人は、運動をする必要性なんていう理屈はいらないはず。だけど、運動が苦手で、避けてきた人ほど、本当は運動が必要。現に健康教室に来る人たちはこのタイプの人がほとんどです。運動のハードルが高かった私は、運動が得意でない分、運動の敷居が高い人たちの気持ちはよくわかる。そんなわけで、「何で運動が必要なのか」「運動すると身体はこんな風に変わる」「誰でも出来て続けられそうな運動は何か」そんなことを考えながら、仲間と一緒に教室を運営しています。そして私も、「働きながら、このくらいならできそう」な筋トレや、10分ウォーキングをできる範囲で実行中。運動や筋肉のことも、勉強してみるといろいろと面白い発見があるものです。その話はまた今度!
2009年10月04日
…というものがあるらしい。「自分の関わったのはここまで」「あなたが言ったからこうしただけ」だから私は悪くないと主張する人が最近増えているらしい。う~ん。私はどうだろう。私の場合、友人関係や職場関係では常に「調和」を心がけている。違う意見をもった相手でも、一端は受け止めて、調和を試みる。一端は長いものにも巻かれてみる。「人に流されやすい」そんな自分が嫌だなと思うこともあるけれど、巻かれて調和をはかりつつ、自分の意見もいうように心がけている。そのほうが、結果的には自分の意見も受け入れてもらいやすいようだ。「私は悪くない」まず自己主張ありきでは、人間関係ではあきらかに損をする。私は経験上、そう思っている。だけど…親や夫、子どもなど、とても身近な人になるとそうはいかない。外と家とで違うのはなぜだろう?身近な人ほどお互いに「感情」をすぐ口に出してしまっているような気がする…「感情」がぶつかりあうと、「自己主張」がぶつかりあう。「私は悪くない、悪いのはそっち」とつい、言いたくなってしまう。「自分を殺して相手にあわせる」はよくないけれど、「感情」をすぐ出す前に、「調和」を心がけるようにしたい。これからは特に、家族が少し離れて暮らすようになるからこそ。それはとても大事なことのような気がします。
2009年10月03日
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