一人で飲んでも、ウイスキー。
スナックやバーでのボトルキープは、かってのウイスキーから焼酎に
とって代わられ、過去の勢いは何処にもありません。( 皇子のボトル
キープは、コカコーラね。。 )
日本ウイスキーの歴史を紐解くと、1918年寿屋( 現サントリー
ホール デイングズ ) の竹鶴正孝がスコットランドから、伝統的製法を
持ち帰った のが始まり。彼は1923年、サントリーの山崎蒸留所の
所長となり、 その後ニッカウヰスキーを創業。
昭和30年代から昭和53年まで、ウイースキー市場は、日本の高度
経済成長と 共に拡大し、30年代の5倍ほどの水準まで拡大。その後
減少 を続け、 58年のピークから比べると、なんと 8割の減少となり
ました。 しかし、 2008年から炭酸水で割る、< ハイボール >の
ヒットから、 ウイスキー の出荷量は09、10年と2年連続で前年比2ケタ
増を記録。 その後、 11,12年と横ばいが続いています。
皇子が学生の頃コンパでは、サントリーレッドやホワイトを飲み回し、
社会人となるとワンランク上の、サントリー角やオールドを飲むという
時代でした。 ボトルの形から、サントリー角はカメノコ、オールドは
ダルマと呼ばれていたのです。
また、ウイスキーの最高級品はスコッチウイスキーとして、海外出張
時 には制限本数の3本まで、お土産として買って帰ったものでした。
人気があったのは、ジョニ黒そしてシーバスリーガル12年。
そして忘れられないのがなんといっても、サントリーのテレビ・
コマーシャル。
( 少し愛して、長~~~く愛して )と、甘いハスキーボイスで
大原麗子が囁いた、1977年のサントリーレッドのコマーシャルは、
世の中のお父さん方のハートを、がっつりと掴みました。彼女は
1990年代のオールドまで、サントリーのコマーシャルにシリーズで
出演。
また、1981年度サントリーウイスキー、トリスのコマーシャル
< 雨と 子犬 >が、カンヌ国際広告映画祭のCM部門で、金賞を
受賞。
これは、サントリーウイスキーコマーシャルの中で、最高の感動作品と
言われているものです。
ハイボール後の次の戦略として、ウイスキーメーカーは< 水割り >
< オン・ザ・ロック >で、今年は勝負に出るとのことですが、
果たして彼等の思い通りに、消費者は動くのでしょうか?
あの大原麗子は、もういませんし。。。
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