お寿司でも鰻重でも 松竹梅 、また洋食のコースでも ABC と、 料金が3種類 の
ものを 用意している、お店が多いです。これを、実はビジネス界では、
< 松竹梅 >の 法則 といいます。
日本人は、
「 一番安いものはちょっとなぁ・・・
でも、一番高いものも気が引けるなぁ(´・ω・`)」
といったように、 高い松 か 安い梅 かの両極端を回避して、 真ん中の竹 を選ぶ人が
多くなる 傾向があるそうです。
そんな人間の行動を心理学では、「 極端の回避性 」とか「 中心化
傾向 」と 呼んでいます。これは、 世間体や見栄 が大きく心理的に働いて
いるからで 、 匿名性の 高い インターネットでこの理論に基づいて、3通りの
販売をすると 一番安い ものが、 一番多く売れる 傾向にあるというから、面白いですね。
この竹を選ぶ心理の一つに、日本人が重んじる< 中庸 >という、 価値観 も
あるかもしれません。これは、意識するとしないとにかかわらず、日本人の
DNAとして千年以上の昔から、受け継がれている価値観からなのです。
< 中庸 >とは、 孔子の『 論語 』 のなかで、「 中庸の徳たるや、
それ至れる かな 」と書かれたもので、それから 儒学の伝統的な中心概念 として、
尊重されて
きました。
それゆえに他人との衝突を避け、他人のことに介入することを、避けようとします。
日本では自己権利を主張する者は、 秩序を乱す者として周りから敬遠、排除され、
村八分にされる 風潮が、今でも社会や企業内に残されています。また、人間関係を
うまく 保つために、まわりの人たちとうまくやっていくことを、個人の権利主張より
も 優先する という空気が、いまだ日本社会には残存しているのです。
日本社会では、紛争の解決方法としては、 法に訴える
という手段ではなく、組織の長や
地域の市村長などの お上の権威に頼る 傾向が、よくみられます。つまり、当事者双方で
白黒をつけず、水戸黄門や遠山の金さんに見られるような、「 喧嘩両成敗 」的な
穏便な 人情味ある解決方法 が、喜ばれるわけです。
一方、アメリカをはじめ西洋社会では、第三者との対立に対する解決策としては、
法に訴え自らの権利をオープンに主張 し、相手の誤りを指摘する方法を採択する。
日本社会の「 義理 」や「 人情 」といった、 非論理的な判断基準 が
入り込む 余地は全くありません。
日本人が 世界基準 で丁々発止戦うためには、中庸と和という因習から脱却し、
言いたいことを発言し、そして自分のやりたいことをやり通す、 新しい価値基準を
共通概念として保有 する必要があるとは、思いませんか?!
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