配属希望先を無視され、不貞腐れた悠愛は、
( なんで木材なんやねん! )
とぶつぶつ呟きながら、 木材部輸出課 に連れていかれたのでした。
部室に入り、輸出課のスタッフ面々を見て、 目がテン・・・・
オツム、テンテンテン・・・
カラーシャツやストライプのシャツ を、誰もが着ているのです。今では当たり前
になりましたが、当時の サラーリー マンのシャツは 白が常識 。 かかる 色ものを
着用 しているのは、< ヤクザ >か または海外からの 帰任者だけでした。
日本からの木材輸出???
そう疑問を持たれたブロガーさんも、多いと思います。
1960~1970年前半まで、 北海道材合板 (樺、楡、楢など)が、キャンピング・
カーの 内装や 家具部材としてアメリカ・英国に、また ラワン合板 も、日本から
アメリカに 輸出されていたのです。
無垢の木材は、やがて つき板合板 、そして プリント合板 に変わっていき、供給も
日本から東南アジア諸国 へと、移っていきます。
従って悠愛が入社した時、輸出課からは ロンドン、ロス、 ニューヨーク に駐在員を、
派遣していたのです。その意味で輸出課というのは、木材部の中でもいわゆる
エリート集団 。
弊社の役員の息子、日経新聞やJALなど有名企業の社長の息子など、血筋のよい
サラブレッド ばかり。
1年先輩が、このような情報や業務内容を説明してくれました。
( んで、僕の時代から、 平民の子 でも輸出課に配属されるように、なったんよ。)
誰だれさんは、ニューヨークからの帰任者、誰だれさんはロンドンからの帰任者
と、話を聞くと
( おっ・・わいも、 憧れのロス に駐在する チャンス、あるじゃん!)として、
皇子の機嫌も治ったのでありんす。
翌日からは、ハーバード大学院卒、 語学堪能の皇子 は、ギャア~ジン
相手にビジネストーク、夜はヨコメシの会社生活だと思って、
オシャレでシックな レナウンボーイが、
ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ
イェーイ イェーイ イェイ イェーイ
と、鼻歌まじりで出社。
勿論、お抱えの御者があやつる、< カボチャの馬車 >でね。 そこに、皇子が
ちょこねんと座っているのよ。 サーモン・ピンクのYシャツに蝶ネクタイ 、
まるでナイトクラブの支配人の様な恰好で・・・
ところがですよ、会社で毎日やることと言ったら、 輸出用サンプルの 荷造り 。
< NO COMMERCIAL VALUE >という、グリーン ラベルを付けて。
なんやねん、おいらは 日通 に就職したんと、 違うねん!!!
夕方からは、上司達が書いた英文原稿の、 テレックスタイピング 。
当時は、まだメールなどありませんでしたから、海外との通信は 鑽孔テープ に英語を
タイピングして、それを流すのです。
昼間は、 女性がこの業務を行い、夕方から皇子のような新入社員が、交代して
残業業務を担います。
なんやねん、おいらは KDD に就職したと、違うねん!!!
ハーバード大学院卒の頭脳 を生かす場もなく、ただただ 肉体労働の毎日 。
一方、上司達は夕方になると、デスクから ウイスキーの 小瓶 を取り出し、
酒盛りを しながら仕事をしているのだす。
コンプライアンス からいえば、現代の常識では考えられない勤務態度。
元来が下戸で 酒が大嫌い、且日頃の不満がたまっていた皇子の 堪忍袋が、ある日遂に
切れました。
( あんたら、なんやねん。 社内で酒を飲みながら、仕事 するなんて!!! )
ニューヨーク帰りの 課長 が、じろりと私を睨みつけ、
( それが、なにか??? )
( 私は、こんなチンケな業務でなく、まともな仕事がしたいねん・・・)
( 何いうか、このアホ!!学校卒業したばかりの青二才に、 なにが出来るねん ?!
お前は生意気で目障りだから、しばらく 何処かで頭でも、冷やしてこい!! )
数日後、 札幌支店 への転勤辞令を、受け取ることとなりました。
( 要は上司の逆鱗に触れ、飛ばされたということ・・)
着任した12月の当日は、雪が舞い散るとても寒い日で、 頭どころか体の芯まで
冷え切ったので、ごじゃりまする。
== 続く ==
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