日本人に愛され、国民の圧倒的な支持を得た映画が、 男はつらいよ 。
1969年8月に第一作が公開され、1995年までに48本。 渥美清
が96年に
亡くなった後も2本製作され、合計 50作品
のシリーズ。一人の俳優が演じた
最も長い映画シリーズとして、 ギネス世界記録
にも登録されています。
渥美清が演じた、フーテンの寅こと、 車寅次郎
。
露天商
として全国を旅していますが、実家がある 柴又帝釈天
にトランク
片手で、ふらりと帰ってきます。
寅さんの故郷が、どうして 葛飾柴又
になったのでしょうか?
山田洋次監督
の頭の中で、舞台を東京の 門前町
とすることは、初めから
決まっていたそうです。しかし浅草を初めとして、何処も戦後の開発が進んで
いました。
そこでふと浮かんだのが、作家 早乙女勝元
に連れていってもらった事がある、
葛飾柴又だったのです。カ・ツ・シ・カ・シ・バ・マ・タという、何処となく
明るくローカルな響きも、舞台を葛飾柴又にした理由だそうです。
ご朱印行脚
として、2017年に葛飾柴又を訪れたことがありました。
京成柴又
で下車すると、駅前広場に 寅さんの像
が立っていました。今では、
兄想いでたった一人の妹、 さくら
の像も立っているそうです。
寅さんの口上が、聞こえてくるようですね。
( 私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んで
風天の寅と
発します。皆様共々ネオン・ジャズ高鳴る大東京に仮の住居
罷りあります。
不思議な縁もちましてたった一人の妹のために粉骨砕身、
商売に励もうと思います。
西へ行きましても、東へ行きましても、とかく土地土地のお兄さんお姉さんに
御厄介かけがちなる若造でござんす。
以後、見苦しき面体お見知りおかれ
まして今日後万端引き立って宜しく御頼ん
申します。)
柴又駅前から帝釈天まで、 参道
が伸びています。
参道の両側には、 名物の草団子や塩せんべいの店
、そして 老舗の川魚料理店
が
軒を連ねていました。
ここが寅さんの映画< 男はつらいよ
>の舞台となった、 草団子屋
さん。
昭和44年第一作品目の映画に使用され、第四作まで 寅さんの実家
として撮影が
行われました。
お土産として、帰りに とらやの草だんご
を購入。
草餅と餡子が別々になっていて、自宅でお団子の上に、餡子を好きなだけ
盛り
付けます。
餡が甘すぎず、家庭でつくった餡子のような、 素朴な味
でしたね。
==つづく==
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