最後の晩餐
とは・・・
キリスト教 新約聖書
のマタイによる福音書第26章やヨハネによる福音書第13章等に
記されて
いる、 イエス・キリストと12使徒
による最後の夕食の場での
話ですね。
使徒の一人(ユダ)が
イエスを裏切ることが告げられ、 パン
を自分の体、 葡萄酒
を
自分の血として、弟子たちに
与えました。
その情景は多くの画家によって描かれましたが、特に有名なのが レオナルド・ダ・
ヴィンチ
による、最後の晩餐。
イタリアミラノの サンタマリア・デッレ・グラツイエ教会
、 食堂の壁画
として
残っています。
絵画と違い壁画ですから、海外での展示などありえず、イタリア旅行の際
同教会を訪れてみました。
作品画質保護の為、見学は 完全予約
制 で
1
回の 入場者数 は
25人
、 鑑賞
時間 は
わずか
15分
の制限
。従って、最後の晩餐の鑑賞を確約している
ツアーは、それほど多くはありません。
壁画のサイズは 420x910CM という、 巨 大な作品。
レオナルドは1495年
から制作に取りかかり、1498年に完成。
ほとんどの作品が
未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つ。
フレスコ技法ではなく、 乾いた漆喰に
テンペラ
で描かれたことや、所在する環境から
最も損傷が激しい絵画としても知られています。
ここでしか見学できないわけで、
本物をこの目で見る機会を
得たことは、
とても
感動的且ラッキーな事でした。
最後の晩餐ではありませんが、日本では 水杯
(みずさかづき)という言葉が
あります。
二度と会えないかもしれない別れの場で、お互いの杯に水を入れ、今
生の別れを
惜しみ、 水を飲み交わす
のです。
最も身近な例が、 水杯を交わして戦地へ赴く
。
特攻隊
が
このような儀式を
行い、出撃に臨んだそうです。
建武3年(1336年)、 足利尊氏
が数十万の軍勢を引き連れて、山陽道を怒涛の
如く東上してきます。これに立ち向かう 新田義貞
を総大将とし、兵庫に
陣を構える
朝廷方
の軍勢はわずかその二十分の一。
楠木正成
の作戦は、義貞や後醍醐天皇から拒否され、正成は死を覚悟して
湊川の戦場
へ赴きます。
その途中、 桜井
駅にさしかかった頃、 正成
は数え11歳の嫡子 正行
を
呼び寄せます。
「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「 お前は河内に帰れ。
自分が
討死にしても帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わないこと。
一族郎党
一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、
形見にかつて
帝より下賜された短刀を授け、 今生の別れ
を告げたのでした。
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