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暇と少しばかり金銭的余裕ができたので、 かねてから行きたいと思っていた伊勢神宮に行くことにした。 品川駅から初めて乗る新幹線ひかりでまずは名古屋まで行く。 そこから近鉄特急ビスタカーで伊勢市駅まで1時間半。 途中の景色で工場排煙がやけにもくもくと出ていて見ているだけで 咳き込んでしまうようなところがあった。そのときに停車した駅が四日市。 そういえば小学校の頃、公害の勉強をしたとき四日市喘息について学習したっけ! と思い出した。 今は公害問題は解決したのだろうか?しかし私なんぞは窓外の景色を 見ているだけで咳き込んでしまったのだから、今現在そこに住んで いる方々は大丈夫なのであろうか? と心配になる。 やがて農村部に入りしばらくすると伊勢市に。 伊勢市駅前はシャッターが下りている店が割と多かった。 伊勢神宮参拝で景気がいい所なのかと思っていたが。 伊勢市から歩いて5分ぐらいのところに外宮(げくう)がある。 伊勢神宮という名は通称であり、正式名称は 「神宮」 である。しかも外宮と内宮(ないくう)二つあわせて「神宮」である。 内宮はおかげ横丁もあって有名で、祭神は皇室の先祖神天照大御神。 外宮の祭神は豊受御大神で天照大御神に食事を供する神である。 日本書紀によると天照大御神が雄略天皇の枕元に現れておっしゃるには、 「食事を供してくれるものがなく、私は伊勢の地で一人いるのは 苦しいから、丹後にいる豊受大御神を私の近くによびよせよ」 とのことで、食事担当の神である豊受御大神が今の外宮の地に移られた ということになっている。 が、食事担当の神であれば同じ内宮に一緒にお祭りしたほうがいい ような気がするのだが、実際には内宮から数キロ離れた地に大だい的に祭られている。 不思議である。 豊受御大神は記紀神話にも詳細な記述がない謎の神である。 本当に外宮の祭神は天照大御神の食事を提供する神なのであろうか? 木々の圧倒的な存在感を感じる。遠くから外宮を見ているだけで 神聖な感じがする。入り口で案内の資料をもらい鳥居をくぐり 手水舎で清める。 まず最初に向かったのは、別宮の一つであり豊受御大神の荒魂を お祭りしている多賀宮(たかのみや)である。 この宮だけ小高い所にあるので石段を登っていく。 1993年5月号の『文芸春秋』に面白い記事が載っていた。 ライターの人が書いた記事だが、 「世界一の超能力者日本滞在記」 といった内容のものである。 私は80年代前半のアイドルについて色々書いている最中なので 93年なんかつい最近のような気がしてしまうが、記事を見ると 皇太子の御結婚や宮沢りえと貴乃花の破局の話がところどころに 出ていてやはり時代を感じさせてしまう。 立花隆の『臨死体験』が連載されていて中々面白かった。 特に皇室の方々の結婚は保守系雑誌の『文芸春秋』にとってメインの話題ともいえる。 「世界一の超能力者日本滞在記」について。 「世界一の超能力者」とは、ソ連のアカデミー調査で「世界一」の称号がついたということが売りのブルガリア人の女性のことで、番組企画で来日が決まったそうだ。 彼女は、ブルガリア国家認定のヒーラーだそうでヒーリングで病気治療を行うらしい。 その女性によると前世は日本人だったとのこと。 「ぜひ日本に行きたい」と熱望したことによって来日が実現したそうだ。 そして彼女が来日したら最初に行きたい場所が 伊勢神宮の外宮 であるとのこと。 この記事のライターと番組ディレクターで彼女と一緒に伊勢神宮に行ったのだ。彼女は外宮に到着するや正殿ではなく別宮である多賀宮に向かったそうである。しかも階段を上っていく速さも尋常ではなく誰もその スピードについていくことはできなかったと。 多賀宮につくや 「ここに神がおられます」 と言って彼女は涙を流しながらその場にひざまづいたという。 漏れ聞く噂によると彼女は 「そこは『ヤハウェ』が静まる場所である」 とも言ったという。 『ヤハウェ』はユダヤ教の最高神であり創造神、 そしてキリスト教やイスラム教の最高神でもある。 多賀宮は小さな社で、静かな場所でありながらも何か威厳を感じる場所であった。誰もいなかったのでしばらく一人でお参りをする。 私は超能力者でもないので多賀宮にそのような神の姿を感じることは 無かったのだが、ちょっと小高いところにひっそりと佇んでいる 多賀宮にそのような話があったというのは興味深いことである。 「文芸春秋」誌の記事の続き。 この記事のメインは実は多賀宮の話ではない。 この後彼女にメッセージが降りて奈良の飛鳥に行くことになる。 そこで彼女は卑弥呼の霊と交信する。そして飛鳥の石舞台古墳近くの公園で 「ここが卑弥呼のいた場所、ここが邪馬台国!」 と告げ、気分が悪くなって倒れるのであった。 実は同じライターが、同じ年の5月号の『ムー』(学研)に 「邪馬台国は実は奈良だった!?」というような記事を書いているので、その記事を読んだほうがもっと詳細がわかるはずであるが、こちらの方は未読である。 そう、「世界一の超能力者日本滞在記」は『文芸春秋』なんかよりも『ムー』にこそ最もふさわしい記事である。なぜに保守系雑誌の『文芸春秋』にこのような記事が掲載されていたのか。 さらに余談。 この記事では、取材インタビュー中に彼女がついうっかり 「天皇家とユダヤの関係の秘密」 について話してしまったと書かれている(が、その内容は不明)。 「だめだめ、まだこの話をしてはいけないと言われてたのに、 ついうっかりしゃべってしまった」 と言っていたそうで、後でそのときのビデオを調べてみたら、 その問題のインタビュー部分だけビデオに写っていなかったそうだ。 さらなる余談。 伊勢神宮といえば、三種の神器のひとつ 八咫鏡(やたのかがみ) が奉納されている。 八咫鏡は天皇陛下でさえ見ることができない秘宝中の秘宝らしいが、 明治政府初代文部大臣だった森有礼がこの八咫鏡を見たという噂がある。 そしてなんと八咫鏡を見た森有礼が、 「鏡の裏面には古代ヘブライ語による文字が書かれていた」 と洩らしたそうだ。 しかもその文字の内容は旧約聖書の われは在る、そして在る存在である という出エジプト記に書かれた有名な一節であると。 あまりにも出来すぎた話であるので信憑性は極めて薄いとは思うが、 その頃の明治政府は廃仏毀釈を行うなど、寺院関係は壊滅の危機に あったわけで、皇室神に対してこのような不敬なことは行わない だろうが、明治新政府はその頃とても横暴であったのだろうとは 想像にかたくない。 その森有礼は神道系の若者に暗殺されてしまった。 以上で余談終わり。 外宮の拝殿でお参りする。 隣には2013年に正殿の場所が移る式年遷宮地が広がっている。 正殿だけでなく、さきほど述べた多賀宮などの別宮、そして 周辺の神社の社もみな20年ごとに立て替えられる。 神宮の社は20年に一回すべて隣の空き地に新しく建設し直されるのだ。 それが式年遷宮と呼ばれる行事で2013年に執り行われる。 確か2007年から式年遷宮に向けての行事が始まっており、 それが山口祭と呼ばれるものである。 外宮参拝をすませ、その式年遷宮地の前に行きしばらく空き地を見ていた。 何もない空き地に犬小屋のような掘っ立て小屋が一つぽつんとたって いる。 そここそに「心の御柱」と呼ばれるものが埋まっているそうである。 その柱は誰も見ることができない秘中の秘でもある。 他の人はさほど遷宮地に関心を示していないようだったが、 私は飽きることもなくいつまでも見ていたい気分になった。 そしてしばらくこの場所を見続けていたのだった。
2008.07.29
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1980年は日本の芸能史に残る年となった。 我々は歴史の結果を知っている。 山口百恵が引退した1980年にデビューした松田聖子が、 新しい時代を切り開き、山口百恵という存在を過去へとおしやり、 トップアイドルになっていったということを。 だが、私は時々考えるのだが、 なぜ松田聖子がトップに立てたのか? と。 単なる歴史の偶然の結果だったのだろうか? それとも、歴史の必然として松田聖子が現れたのか。 (こんなことを考えているというのは 全くもって暇人の証であるが) さて、その問題はおいおい考えていくとして、 振り返ってみると80年デビュー組は 錚々たるメンバーがそろっている。 デビュー順に簡単なコメントを書いてみよう。 <岩崎良美>(当時18歳) 『赤と黒』でデビュー。2月発売 岩崎宏美の実妹。歌唱力も姉ゆずりの本格派。 ちなみに松田聖子は 4月に『裸足の季節』でデビュー 当時18歳。 松田聖子は「スタ誕」出身ではない。 「ミスセブンティーンコンテスト」九州大会 で優勝したが、父親の反対で本選に出場でき なかった。 だが、この優勝時のデモテープを聞いた CBSソニーのディレクターの推薦により 芸能界デビューを果たすことになる。 <河合奈保子>(16歳) 『大きな森の小さなお家』(6月) 「秀樹の妹・弟オーデション」で2万5千人の中から 選ばれる。デビュー2曲目の『ヤングボーイ』で 「ザ・ベストテン」に早くもランクインする。 <柏原よしえ>(14歳) 『ナンバーワン』(6月) 「スター誕生」を経て芸能界デビュー。 有力新人の一人ではあったが、本格的なヒットは 翌年の『ハローグッバイ』から。 <三原順子>(16歳) 『セクシーナイト』(9月) 前年から放映されていた「3年B組金八先生」で ツッパリ生徒役で出演。中心になった回は なかったが、存在感はピカイチ。 他の80年デビュー組は、 浜田朱里、甲斐智枝美(故人)がいた。 浜田朱里は、 「凄く綺麗だな~」 と思ってみていたのだが、 彼女の歌っていた曲がどんなものだったのか ほとんど覚えていない。 魅力に乏しい曲ばかり歌っていたのは彼女の不幸であった。 (その点、松田聖子、岩崎良美などは CMソングということもあってか、曲から入っていけた) 浜田朱里は、個人的には生き残ってほしかったアイドルである。 大人びた雰囲気だったからだろうか、 アイドルとしてはあまりふさわしくない ムード歌謡のような曲を歌っていた ように思う。 何曲か続けて失敗だったとわかったのだから 『青い珊瑚礁』みたいに明るくポップな曲を 歌わすことができなかったのだろうか。 閑話休題 歌唱力がある岩崎良美や、 デビュー曲が本人の印象にピッタリで 雰囲気が山口百恵(『プレイバックパート2』を歌う時の)に 1番近い三原順子は、「ポスト山口百恵」として、 松田聖子のように80年代のトップアイドルに なぜなれなかったのだろうか。 当時の三原順子は存在感があった。 『3年B組金八先生』では、 「顔はやばいよ、ボディ!ボディ!」 というあまりにもインパクトがある 伝説の台詞も残してくれた。 しかも、3年B組の中で、田原俊彦の実年齢が 18歳だったりするのに、三原順子は実年齢が15歳であった。 とてもその年齢には見えないほどに、大人びていたのが 印象的だった。 そんな、彼女のデビュー曲『セクシーナイト』は まさに彼女以外歌うことは考えられない曲で、 彼女のためだけの歌であった。 当然大ヒットする。 (『セクシーナイト』は前回の日記にyoutube上の動画をアップ) が、その大ヒットが仇になった。 あまりにも本人のイメージと同体化しすぎため、 『セクシーナイト』を超える曲は難しく、 以降、段々とパッとしなくなっていったというのは 皮肉である。 (余談だが、金八シリーズ出身の女性アイドルは あまりアイドル歌手としての寿命が長くない。 三原順子、伊藤つかさ、三田寛子(「2年B組仙八先生」)) がその例である。田原俊彦、近藤真彦、シブガキ隊などの 男性ジャニーズアイドルとは対照的である) 岩崎良美の2曲目の『涼風』は、 私の好きな曲でもある。 (この曲も前回の日記上にアップ。 他に良美の曲では『I THINK SO』も好きだ) 松田聖子のデビュー曲、『裸足の季節』と同様、 CMソング(資生堂シャワーコロン)となった。 『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」には、 松田聖子とともに出場している。 この時点での2人は、まったく同じラインにいたのだ。 『裸足の季節』は惜しくもベストテンに入らなかったが、 『涼風』はランクインすることができた。 この時点で、僅差といえども、岩崎良美は 一歩、松田聖子をリードしていた。 岩崎良美は、水着の撮影を一切拒否したという。 ということは、良美の目指す道はアイドルではない。 本格女性歌手、つまり自分の姉である 岩崎宏美のようになることをイメージしていたのでは ないだろうか。 だが、岩崎良美のピークはこの時であった。 この年、紅白にも出場しているが、 次年度以降フェードアウトしていく。 時代は「アイドル」を求めていたのだろう。 次の曲が、良美と聖子の明暗を分けた。 良美の『あなた色のマノン』に対して それと比べてあまりにも 聖子の歌が大ヒットしたのだ。 デビュー2曲目である『青い珊瑚礁』は、 同年の夏に公開されたブルックシールズ主演の 同名タイトル『青い珊瑚礁』とは直接関係はなかったが、 映画公開時期とシングル発売はほぼ同時期だったと思う。 そんな姑息?な手段を使って宣伝されたこの曲は、 新人アイドルとしては空前の大ヒットとなる。 『ザ・ベストテン』では、ついに1位になる。 その当時わずか3年という短い期間でしかなかったが 『ザ・ベストテン』にてデビューしたての女性新人 アイドルが1位になるというのは、初めてのことであった。 そして、次の『風は秋色』で松田聖子の人気は決定的になる。 この曲も『ザベストテン』で1位になった。 松田聖子はトップアイドルとなったのだ。 時代は、松田聖子の登場により ニューミュージック全盛から アイドル全盛の時代へ 急激に舵を切っていったのだった。 (続く) 『青い珊瑚礁』が『ザベストテン』で第1位になったシーン。 春やすこ・けいこが 「お母さ~ん、って言って泣いてたけど、 涙流してないやん!」 と漫才のネタに使ってしまったのが、 このシーン。 それにしてもありがたいのは、 『ザベストテン』のエンディング曲が (オープニング曲)がこの動画に収められている ことです。 エンディングのシーンも何もかもみな懐かしい。 「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」で 初めて聞いた『風は秋色』。 そのとき、 「こ、これは・・・一体・・・」 思わず耳を疑ってしまった。 曲の後、 「『風は秋色』? これって『青い珊瑚礁』と かわらへん!」 と鶴光も思わず口走ったのだった。 そう、『風は秋色』は『青い珊瑚礁』と 全く同じような曲調に感じられたのだ。 「こんな曲でいいのか?」 と当初思っていたのが、聞いていくうちに 段々なじんできた。 セールスも『青い珊瑚礁』を上回る大ヒット。 『裸足の季節』の時は、歌はいいけど顔は? だった松田聖子が、この頃急に、かわいく感じられる ようにもなってきたのだ。 (といっても私は当時中1でしたが) あらためて聴くと、松田聖子の透き通った声は とても魅力的だなあ。松田聖子の魅力が改めて わかった気がする。 浜田朱里の『思い出のセレナーデ』 (天地真理のカバー曲) いい曲だと思うけど地味めだな~。 もっと明るいはじけた曲か、 思いっきりセクシー路線(キャンディーズかピンクレディー のような衣装)にいったら どうだったんだろうと思うけど。 岩崎良美、松田聖子、河合奈保子、 80年組の漫才?がありました。 この続きが見たい!
2008.06.02
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80年代、70年代型の典型的なアイドルの一人として 私は、石野真子を思い浮かべる。 (彼女は78年デビューで、そのアイドルとしての 全盛期が80年なので、70年代と80年代をまたいで 活躍したアイドルであるが、デビューが78年であることから 「80年直前(デビュー)アイドル」とよぶ) かわいらしい八重歯で 愛らしい笑顔を常に振りまく石野真子は、 典型的というよりも 女性アイドルの鏡 ともいうべき存在であった。 時に 新人らしい初々しさや瑞々しさ、純粋さ そして、若さの中にひめられた 無尽蔵の可能性を感じさせるような そんな新人アイドルのデビュー曲と出会うことがある。 松田聖子 『裸足の季節』 岩崎良美 『涼風』(デビュー曲でなく2曲目だが) 中森明菜 『スローモーション』 三田寛子 『駈けてきた処女(おとめ)』 石川秀美 『妖精時代』 にそのような思いを感じたが 石野真子の 『狼なんか怖くない』も そんなデビュー曲の一つであった。 石野真子は、デビュー後、 瞬く間にトップアイドルに上り詰める。 しかし、「トップアイドル」ではあっても 後の松田聖子のように歌謡曲の頂点に到達 できたわけではない。 彼女が活躍した78~79年の歌謡界の状況は どのようなものだったかというと 77年から78年にかけてピンクレディーが空前のブーム を巻き起こし、社会現象を引き起こす中、 沢田研二、山口百恵がこの『怪物』ピンクレディー と競い、世良公則&ツイストも大ヒットを飛ばしてくる。 また かつての「フォークソング」が「ニューミュージック」と 名称を変え、78年~80年にかけて大挙おしよせてくる。 アリス、松山千春、オフコース、チューリップ、 南こうせつといった面々である。 そのような状況の中で78年~79年は、 「女性アイドル冬の時代」 ともいうべき時代であった。 石野真子の同期デビューとして、 シンガーソングライターの 渡辺真知子がいる。 石野真子は日本歌謡大賞新人賞をとったとはいえ、 この年、もっとも活躍した新人は 『迷い道』、『かもめが飛んだ日』の渡辺真知子であろう。 (レコード大賞最優秀新人賞) また、80年直前アイドルの 石川ひとみや倉田まりこが、どこか憂いを感じさせる中 (石川ひとみの場合、それが魅力でもあった) 石野真子は、常に明るく元気よく、振りもかわいく 天真爛漫正統派アイドルを見事に演じきっていた。 後の82年デビュー組みの作り手側は、 松田聖子の成功からの影響を 多分に受けたのに対して、 小泉今日子や堀ちえみが、 「石野真子に憧れて芸能界に入った」 というほど、 石野真子は82年組の中での影響が、 大きかったのである。 さて70年代後半にはもうひとつふれなくては ならない話題がある。 それは絶対的ともいえる歌番組 TBSの『ザ・ベストテン』(77年) の登場である。 歌番組は数多くあれど、その週のベストテンの曲を (可能な限り)全部出場させる、という執念にも似た 番組作りは、後に最高視聴率41%に達するほどの 国民的番組になる。 順位は、 レコード売り上げ、 有線放送ランキング、 TBSラジオランキング 視聴者からのハガキのランキング の4つのランキングを独自に 重み付けして算出し、 毎回、獲得点数と一緒にベストテン曲を紹介する というランキング至上主義に徹したものであった。 それによって、売れている曲、売れていない曲 というのが鮮明に分けられることになる。 「ザ・ベストテン」に出場できることは、一つのステータスになり、 番組で紹介する20位から11位まで最低ランクインしていないと 売れている曲と認知されなかった。 さて、よほどのマニアでもない限り、オリコンの順位を覚えている人 はいないと思うが、「ザベストテン」を見ることで ヒット曲とそのベストテンの順位が実感されるようになった。 例えば、『ルビーの指輪』はオリコンで連続何週1位になったかは、 当時知らない人がほとんどだったと思うが、 その時代、ザベストテンを見ていた人々は、 『ルビーの指輪』が12週連続1位という大記録を打ちたて、 出演者用座椅子の真ん中にそのことが記念されて 刻印されていることを記憶しているであろう。 その絶対的な歌番組「ザ・ベストテン」に 石野真子は、2曲ランクインしている。 『春ラ!ラ!ラ!』と『ハートに勝負!』 である。 ともに、1週しかランクインしなかったが、 「まさにこれぞ女性アイドルの歌だな」 といまさらながら実感する。 石野真子は81年に長渕剛との結婚で 女性アイドル時代を終える。 21世紀になっても忘れずにいたい 80年直前の女性アイドルである。つづく-------------------------------------- 心に残るデビュー曲『狼なんか怖くない』(78年)。 阿久悠の詞がさえる。 「ザ・ベストテン」には20以内に登場するも ベストテン入りならず。10位以内に入ることを 願っていたんだけれどなあ。 しかし、彼女の代表曲『ジュリーがライバル』となる。79年の紅白初出場曲。 石野真子『春ラ!ラ!ラ!』(80年)「ザ・ベストテン」初登場! 岩崎良美の『涼風』もあります。 他に三原淳子『セクシーナイト』(80年)、 伊藤つかさ『少女人形』(81年)も itoushirou2さん、ありがとう! 続けてリリースした『ハートで勝負』。 曲もちょっぴりセクシーでいいですね。
2008.06.02
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2月の最初の週に4日ぐらい、鼻水とくしゃみが出て 止まらなくなった。 「やばい、花粉症か? 今年は本格的なるのか」 と覚悟をしていたが、4日間で症状は 収まりほっとしていた。 その後は特になんともないが、職場では 3月の中ごろから花粉症に苦しんでいる人が 本格的に出始めている。 いつの間にか すっかり季節の風物詩になってしまったが、 花粉症はなぜ起きるのだろうか? 花粉という本来そんなに毒でもないものを、 免疫系が、こいつは「敵だ!」と認識して 過剰な攻撃を行ってしまうのが、花粉症である。 さらにいうとこの花粉の攻撃には、 本来、鼻粘膜の細菌などの撃退役として IgG抗体が、その任務にあたるはずなのに、 なぜか腸内で細菌を撃退するはずのIgE抗体が 作られてしまい、 この本来作られるはずではない IgE抗体が蓄積されることで、 アレルギー反応が引き起こされる。 つまり、花粉症であるということは 免疫機構が狂ってしまっているということで 単に鼻水やくしゃみや目がかゆい ということだけでなく 免疫力の低下や 免疫系の異常を伴っている病態 ともいえるわけである。 そう考えると恐ろしいですね。 やはり、花粉症になったら病院に行って 薬を飲んで一刻も早く治したほうがいいのだろうか? しかしである 私なんぞは野口整体の「かぜでからだを整える」 という考え方を知ってからは、 花粉症もからだを整えるための手段ではないだろうか? と勝手に納得している。 (野口整体を実践している人の多くは そう考えていると思うが) 野口整体では、冬場に頭蓋骨や骨盤が閉まっていたのが 1月の終わりごろから、頭蓋骨→肩甲骨→骨盤がゆるんできて、 ゆるみきった(開ききった)ところで、 からだが春入りした という。 つまり、「冬のからだ」から「春のからだ」へ十分に移行 できないことが、花粉症になることの原因(のひとつ) だというのだ。 症状を利用して、からだを春入りさせる。 そして、むしろ、「春入りできない体」の方が 花粉症になるより恐ろしいことなのである。 (野口整体的には) 花粉症は、前に書いたように免疫系の過剰反応であり、 副交感神経優位の体、つまり、からだをゆるめる方向 に働いている。 春はボーっとしたり、眠くなったりするのは、 からだにとって自然なことなのである。 春になると、気分的に不安定になったり、 ウツになったりする人が増えるのは、 冬の体から春の体への変更期にあるのも 原因の一つではないだろうか。 ボディーワークとしては、 肩甲骨はがしや 骨盤を開く体操などがよい。 イチローがやる、四股立ちで 肩を入れる準備体操なんか いいのではないでしょうか。 街は桜が一面に咲いていますね。 季節は春のピーク。 からだの春入りはそろそろ完了かな?
2008.03.29
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youtubeを最初に見たときに驚いたのは、昔のアイドルの映像がそのままアップされていたことだ。南野陽子や松田聖子、河合奈保子といった女性アイドルたちが、「ザ・ベストテン」などで当時見ていたそのままの映像がアップされているのを見て、夢中になって見てしまった。投稿してくれた人達には本当に感謝です。そのお陰で、当時の河合奈保子を好きになってしまったが(^^;(昔はそれほどのことでもなかったのに)そしてこれらの動画を見ていてこれら「80年代の女性アイドル」たちは、日本が誇る文化の一つであると言ってもよいのではないかと気がついたのだ。アニメーションやゲームのように世界に発信すれば広く受け入れられる「質」を持っているのではないだろうか。(韓国や中国では一部熱狂的なファンがいたのもそれを裏付けているのでは)というわけで「過去の遺産」としてしまうというのはもったいないと思ったわけで、勝手なことをこれから書いていこうと思っている。何が文化なのか、詳しいことはおいおい述べていくことにしてまず「女性アイドル」には語るべき歴史を持っている。20年にわたる歴史を持っているのだ。簡単に「女性アイドル」の歴史を振り返ってみる。 ◆ ◆ ◆ ◆「80年代女性アイドル」は、その歴史をたどっていくと70年代初頭にさかのぼる。「女性アイドル」の歴史は、多分、南沙織、天地真理から始まったと思われる。70年代初期には、南沙織の「17歳」、浅丘めぐみの「わたしの彼は左きき」などのように、次世代にも歌われ続ける名曲が生まれる。彼女らの大成功により、「女性アイドル」のスタイルが定着していく。基本的に、「80年代女性アイドル」はこのとき作られた「型」が継承されている。その後、類型の女性アイドルが次々と生まれていき、成功者も次々と現れる。70年代後半には、女性アイドルから出発した山口百恵が、アイドルの枠から大きく超えた国民的歌手になる。そして人気絶頂の中で完全な結婚引退をしたことで「伝説の人(神)」となる。1980年、山口百恵が引退したことで、その後継者は? ということで「ポスト山口百恵」という言葉が広まるが、その年にデビューをした松田聖子が、一気にアイドルのトップに駆け昇り、「ポスト山口百恵」という言葉を過去のものにする。松田聖子の誕生から80年代女性アイドルの歴史が始まる。以後、彼女は「結婚休業」するまで、トップアイドルの座に座り続ける。1982年、松田聖子の大成功、及び、同じ80年デビュー組(河合奈保子、柏原よしえ)の成功を受け、各プロダクションがアイドル市場に参戦し、空前のアイドル歌手のデビューとなる。その年、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、石川秀美、早見優などがデビューする。この年にデビューした女性アイドル歌手を「花の82年組」と呼ぶことがある。83年 82年デビュー組の多くがヒット曲を だし、ベストテン番組の常連となる。84年 菊池桃子 岡田有希子デビュー85年 南野陽子 斉藤由貴 中山美穂 浅香唯デビュー 「夕焼けニャンニャン」放映開始89年 「ザ・ベストテン」放映終了そして90年初頭には70年代から連綿と続いていた「女性アイドル」は消滅する。------------------------------------80年代、少なくとも80年代の中盤までの日本の音楽シーンは女性アイドルの時代であったといってもよいのではないか。そして松田聖子なくして、アイドル全盛の時代は訪れなかったのではないだろうか。その松田聖子のデビュー曲は「裸足の季節」。実は、私は松田聖子の曲の中で一番好きな曲である。松田聖子は、前年の日本テレビの「おだいじに」でドラマ初出演をし、太川陽介とキスシーンを演じていたりする。すでに山口百恵の引退が発表されており、CBSソニーは巨額の宣伝費を使って松田聖子を「ポスト山口百恵」の座へと狙っていた。「裸足の季節」は資生堂エクボのCM曲としても使われる。松田聖子の、そして80年代女性アイドルたちの歴史はここから始まる。
2008.03.16
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「ザ・シークレット」の宣伝用の画像を見てみた。感想としてはまたこのようなものが出てきたのかということぐらいしかない。そして違和感を若干感じる。「ザ・シークレット」が言っていることは「思考が現実をつくる」ということで、思考が作る波動が、現実を引き寄せる。(引き寄せの法則)だから、願望を実現したいのなら、自分の願望を願っていればそれが現実のものとなるし、悲惨なことを考えてしまえば悲惨な現実がやってくる、そして、それが「宇宙の法則」なのだそうだ。「願えば願望が実現する」というのは、潜在意識だとか波動だとか思考だとか、いろいろと理屈をくっつけて、マーフィーやナポレオンヒル、その他大勢が今までに数限りなく言っていたし、現在だってフォレスト出版から何冊も本を出している人が脚光を浴びるなど全く目新しくはない。こういう本やビデオでは、必ず成功者の体験が書かれているがでは、この「宇宙の法則」を利用して一体どれだけの人が願望が実現できたのであろうか。いや、願望が実現しなかった人が一体どれくらいいるのだろうか。小さいことなら実現したということはたくさんいるかもしれない。実際に計測したわけではないが、大きな願望が実現したという人が、全くいないわけではないだろうけど、それは少数派なのではないだろうか。つまり大多数の人々はそれを実行しても最大の効果が得られていないのではないだろうか。実現可能かどうか自分にとって一番大きな願望を思考して、引き寄せの法則によって願望が叶うかどうか調べてみればわかるであろう。(「ザ・シークレット」ではどんな願望も思考すれば 叶うといっているのだから)このような本を読んでいていつも感じているのは、思考だけですべて解決しようとしていて願望実現をしようとしていても、その人が願望が実現できない体になっている可能性を考慮に入れていないということにある。例えば、ストレスでみぞおちが硬くなっていたり、体の気の流れが逆になっていたり(心理的逆転)自分の意思だけでは「マイナス思考」からの脱出ができなかったりなどがあれば、思考だけで願望を実現するのは難しいのではないか。私は、引き寄せの法則そのものを否定するわけではないのだが、からだを整えてこころも整えるというボディーワークをやっているものから見て、あまりにも思考一辺倒な考え方に違和感を覚える。逆に言うとからだを整えてから(気の流れを変えてから)願望実現を行うとしやすくなると思う。(我田引水)あと、画像事態が無駄に派手な音楽などの過剰演出に商業主義を強く感じてしまうのも違和感の原因である。講釈を垂れている人の顔もあまり「いい顔」に見えないのだがそれは私だけだろうか。「ザ・シークレット」の宣伝画像を見て判断して欲しい。
2008.02.02
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2007年1月~3月期のドラマは、低迷が続くといわれている ドラマ業界としては近年珍しく、 「華麗なる一族」(TBS)30.6%、「花より男子2」(TBS)27.6%、 「ハケンの品格」(日本テレビ)26% というように、3本のドラマが最終回視聴率25% を超えるほど活況を呈した。 かつて、ニフティサーブというパソコン通信上に テレビドラマフォーラムというものがあり、 日夜ドラマについて熱く語られていた。 そのテレビドラマフォーラムには、 毎年暮れになると、その年一番だと思う連ドラを投票して 年間の最優秀ドラマを選ぶという年中行事があったのだ。 もしテレビドラマフォーラムが今あったなら 私は、2007年の最優秀ドラマ大賞に 「ハケンの品格」 を投票したい。 主演女優賞には、ヒロイン「大前春子」を快演した 篠原涼子に、 助演男優賞には、「ハケンの敵」であり、 大前春子に 「冗談はクルクルパーマだけにしてください」 と言われながら 激しくバトル&漫才を繰り広げ、そして 大前春子に求婚した東海林健主任 (主任ではなくなったが)を見事に演じた 大泉洋にあげたいと思う。 そして、 21世紀初頭の現代日本の社会構造によって生まれた スーパーハケンという前代未聞のキャラクター 大前春子にも、スーパーキャラクター賞をあげたい。 ★ ★ ★ ★ その昔、 資本家と資本家から搾取される労働者(プロレタリアート) との階級闘争をテーマにしたプロレタリア文学なるものが あったが、 21世紀の日本では、搾取される側である労働者の中に あらたな階級が芽生え始め、新しい階級闘争が繰り広げられ ようとしている。 それは、「ハケン」(非正規雇用者)と正社員(正規雇用者) である。 「華麗なる一族」がリバイバル作品、「花より男子2」が漫画原作 を元に製作されているのに対して 「ハケンの品格」は、まさしく、「今」の問題を扱っている という点で、2007年のこの時でしかない、というオリジナルドラマだったのである。 私の知っている限りだが、東京新聞、毎日新聞、読売新聞に この「ハケンの品格」が取り上げられた。 取り上げられたのはテレビ欄ではない。 ○○大学コミュニケーション論教授、メディア論教授などと いった人々が、「ハケンの品格」を論じていたのだ。 このように「ハケンの品格」は、ドラマの枠を 超えた話題を呼ぶようにもなった。 しかし、そんなことはどうでもよくて このドラマの最大の魅力は、なんといっても、 大前春子 というキャラクターである。 ヒロインなのに、画面上の90%以上は、むっつり、いや、 ムッとした顔で押し通し、 正規労働者と非正規労働者の間の溝を 弱者である「ハケン」の側から 正面きって正論を述べ、 仕事のスキルは正社員を上回り、 クレーン免許、エレベーター昇降、ホッチキス止?、 助産師、剣道4段、ロシア語、犬訓練師 という資格で得た能力でピンチ解決という、 久しぶりにカタルシスを与えてくれたドラマであり、 久々にみた、スーパーキャラに 私はしびれた。 東海林、里中、黒岩、森ちゃん、小笠原など 脇を固める人々もよかった。 それぞれの詳細について、いろいろと 書きたいことはたくさんあるのだが、 短くまとめることができない。 「それが何か?」 というわけで、大前春子よ、カムバック! と叫んで、あとはyoutyubeのシーンを御覧ください。 ◇ ◇ ◇ ◇ 派遣の森(加藤あい)が使いぱしりでコーヒーを 買いに行かされそうになった時のシーン。 東海林「派遣はそれでいいんだよ。単純な労働力なんだから」 大前「単純な労働力。それに頼っているのは誰ですか? 正社員さん」 東海林「その呼び方はやめろと言っただろう!」 大前「ひとりひとりの派遣の名前をきちんと呼んでから、言ってください」 ハケンという「階級」は企画すら出せない? 告白もあるが、やはり普通のドラマと違って・・・ アンチハケンであり、会社大好き、部長べったり ハケンの敵の東海林が、なんと、 大前春子も涙を流す
2008.01.05
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私の知り合いの鍼灸治療をされている方から、 忘年会に誘われたので、参加してきた。 忘年会と言っても集まる人々は鍼灸治療を行っている人、 ヒーリングを行っている人、元看護婦など臨床の現場に 携わっている人々がほとんどで、 しかも、参加者は10分間ほど 「研究発表」 をしなければいけない、 という変わった忘年会だった。 (ちなみに開催場所は、知り合いの鍼灸をされている方の 経営されている自然食レストランの2Fだったので、 食事はとても「豪華」でよかった) まずは、発表会。 鍼灸といっても「普通」の鍼灸治療でない人々が、 ほとんどだったので面白かった。 (ほとんど)すべての病気は寄生虫が関与していると考え、 フィンガーテストで寄生虫を検出して、 温灸や針で寄生虫を取り除く人、 (私たちの仲間で寄生虫が病気の原因と考える人は多い。 この人はその元祖) うつ病の人を、一緒にドライブや食事に連れてって 治してしまう人、 臼井霊気療法をやっている人、 看護婦を10年やっていたが現代医療では 病気が治せないと確信して看護婦を辞めて 仙骨治療を習っている人 私は、腰椎と「あいうえお」の関係、簡単な 「武術的」な身体操作について話した。 その中でも、私が面白いと思ったのが、 惑星のエネルギーの話である。 Tさんという鍼灸院をやっておられる方が 話をしてくれたのだが、 Tさんがエドガー・ケーシーのリーディングの本を 読んでいたところ、 人の魂は太陽系の惑星間を輪廻する ということが書かれていたらしい。 それを読んで、 人は魂レベルで惑星のエネルギーを欲しているかもしれない、 そして不足している惑星のエネルギーを取り入れることで からだによいかもしれない と思ったらしい。 そして、それぞれの惑星のエネルギーで 足りないもの、欲しているものをオーリングテストで探し、 気功の小周天(のような感じで)惑星の エネルギーを取り入れることにしたそうである。 その人は木星と海王星のエネルギーと 相性がいいとのこと。 そして鍼灸治療にも、それを応用して 診ている患者の人に、どの惑星のエネルギーを 欲しているかを調べて、そのエネルギーを 送っていることを始めたらしい。 私も送ってもらった。 私の場合、金星のエネルギーを欲しているということで 金星のエネルギーを送ってもらった。 そのエネルギーと比べるために月のエネルギーも送ってもらったが 月のエネルギーは繊細でさらさらとした感じで、 金星のエネルギーは穏やかだが迫力があり、違いが感じられたのが 面白かった。 そんなこんなで、後は、忘年会。 世の中には、いろいろな「治療」を「良心的」 にやっている人達がたくさんいるんだよなあ。 体が悪くなったとき現代医療しかしらなかったら 損なのかも、しれません。
2007.12.30
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ドラマのTBSと言われていた時代があった。かつて他局を圧倒的する質・量で人気ドラマをTBSは送り出していたのだ。TBSドラマ「うちの子にかぎって パート2」の(1984年 出演 田村正和 森下愛子)番組内で「うちの子にかぎって」がテレビで放映されていて、それを見た子供の母親がそのあまりの「バカらしい」番組内容に腹を立てTBSに電話で抗議をするというシーンがあった。「天下のTBSがこんなくだらない番組を放映するなんて どういうことですか!」とまくしたてるのだ。それを見ていた私はよくも自分の局を「天下のTBS」などといえるもんだな、とあきれてしまった記憶があるが、確かに「天下のTBS」と自他ともに認められていた時代が1980年代の中頃まではあったのだ。が、80年代後半からは、証券会社からの損失補てんの問題から始まり、様々なスキャンダル、内紛などが勃発、TBSは自壊していき、当然番組の質も落としていく。かつての良質なドラマ、人気ドラマを輩出したTBSドラマもその影響を受けていった。そしてそれが視聴率にも跳ね返っていく。そんな凋落するTBSドラマと入れ替わるかのように、フジの月9がその奇跡のような大躍進を見せたのだった。今や「ドラマのTBS」という言葉は死語になり、「ドラマといえばフジ」というのが世間一般の「常識」になっているのではないだろうか。 * * * *月9勃興の同時代に生きていて、普段なにげなくテレビを見ていたら、あまりその凄さは感じないのだけれど、月9をブランドにまで育てあげた製作スタッフは凄いことを成し遂げたのではないだろうか、と感じ、それを検証してみようと思ったのが今まで長々と書いてきたことの理由のひとつである。前回までは「月9ブランドの確立」というところまで書いてきたのだが、それ以後のことも含めて今まで書いてきたことをまとめてみる1988年 月9開始 新しいドラマつくり、 ドラマのTBSへの挑戦。 独自のシナリオ大賞を創設。 フジお得意の放送業界もので挑むが ぱっとせず。1989年~「君の瞳をタイホする!」がヒット。 フジらしい新しいドラマで、トレンディドラマ のさきがけとなる。 以後、「教師びんびん物語」などヒットドラマが 生まれる。1991年 「東京ラブストーリ」、「101回目のプロポーズ」が 単なるヒットではなく、社会現象になるまでの空前の 大ヒットドラマとなる。1992年~1996年 この期間の月9は平均視聴率が20%近くで、 しかもほぼ毎年最高視聴率が30%以上の 「お化け番組」が出現する。 「ロングバケーション」によって月9ブランドが 世間に認知される。1997年~2007年 月9ブランドの慣性効果によってしばらくヒット作品 が続くが、人気のでない番組も現れるようになる。 たまにヒット作品は出現するものの、枠としての力 はなくなってくる。 2001年ごろにはそのような状態が常態化する。 そして、現在、「月9」という言葉は以前使われるが 月9の枠にはかつてのような勢いはない。偉大なことがあったのだな、と自分が確認するために今までこのような文章を書いてきた。「月9」のような大きなうねりを引き起こす新しい力が現れることを願っている。(終)<千京から>あくまでも、月9の流れということについて書いてきたので、月9の転換点と思われるドラマだけにしか触れることしかできなかったのですが、個別の作品で取り上げてみたい作品も多くあります。その中で、今回はそんな取りこぼしたドラマの中から主題歌を集めてみました。「やまとなでしこ」(2000年 脚本 中園みほ)の主題歌 Misiaが歌う「Evrything」「やまとなでしこ」はいろいろな意味で面白い興味があったドラマでした。名シーンの一つが投稿されていたのでそちらも。「あすなろ白書」(1993年 脚本 北川悦吏子)の主題歌 「TRUE LOVE」(藤井ふみや)
2007.12.21
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1991年に「東京ラブストーリー」、「101回目のプロポーズ」という 大ヒット作品を放った後、フジの月曜9時のドラマ枠は F1層からの圧倒的な支持を得る(恋愛)ドラマを作る ということに向かっていったのである。 そしてこの月曜9時枠の凄さは、 91年以降、ほぼ毎年最高視聴率が30%を超える ドラマが出続けたことにある。 92年 素顔のままで 31.9% 93年 ひとつ屋根の下 37.8% あすなろ白書 31.9% 94年 妹よ 30.7% 95年 該当ドラマなし 96年 ロングバケーション 36.7% 97年 ひとつ屋根の下2 34.1% ラブジェネレーション 32.5% (ウィキペディア 「月9」の項を参照) かつて、30%を超える視聴率をとった番組を 「お化け番組」 と言っていたことがあるが、 月9は、お化け番組のオンパレードである。 まさにこの時代は月9の黄金時代であった。 この92年から97年までは、30%を超えなかった番組でも 平均視聴率は20%前後を取るという、今のドラマ低迷の時代から 考えると信じられない時代があった。 (この時期、低視聴率だった作品が、この黄金期の最初を 飾った脚本家・坂元祐二の「翼をください!」なのは 皮肉なことである) さて「月9」という言葉はいつ頃から一般に流布するように なったのだろうか。 実は私も詳しいことはわからない。 「月9」とは、一つのブランド名である。 フジの月曜9時枠のドラマは、 人気があって面白い良質な(恋愛)ドラマなんですよ という意味が含まれているのだ。 このことからして、最初に使用したのは フジの広報だと思うのだが、だが、一般視聴者が 納得しなければ、ブランド名としての「月9」は 定着するわけがない。 だが上の数字を見れば「月9」というブランドが 定着した理由もわかるだろう。 そして、中には大多数が面白いと思えなかった番組 でありながらも、月9のブランド名で視聴率が高くなって しまったドラマもあったかもしれない。 とにかく、「月9」というブランドは定着した。 ここで最初の疑問に戻る。 「月9」という言葉が定着したのはいつ頃だろうか。 わからないので推測することにする。 私の考えでは 早くて「ひとつ屋根の下」の放映の頃、遅くとも 「ロングバケーション」の頃ではないだろうか。 確かなブランドとして「月9」が認知されたのは 「ロングバケーション」の頃ではないかと思うのである。 91年からだいぶ時間がたってしまっているので、 なんだか遅すぎるような気もするが一応理由がある。 月曜9時にOLが街から消える という現象がまたもや繰り返されたのが この「ロングバケーション」だったのだ。 しかも、このドラマはF1層だけでなく いつもはドラマを見ないような人達、 男性サラリーマン、中高年、実年の人達など からも支持を得ることに成功した 「国民的ドラマ」 となったのである。 このとき、 かつてこの同じ月曜9時という枠に 「東京ラブストーリー」という熱狂した ドラマがあったことを思い出した人々が この枠のドラマの偉大さを再確認できたことによって、 月9ブランドが確立した原因の一つになったのではないか と思っている。 さて、 フジの月9のコンセプトが 「F1層からの圧倒的な支持を得る恋愛ドラマを作る」 ということにあったと最初に書いたが このことが具現された月9ドラマにどのようなものが あっただろうか。 92年「素顔のままで」 「あすなろ白書」 96年「ロングバケーション」 がそのコンセプトで成功した作品だと 私は思う。 これらの作品には共通点がある。 それは脚本家が3作とも一緒なのだ。 その脚本家は北川悦吏子(きたがわえりこ)である。 (95年「愛しているといってくれ」(TBS)も大ヒット) その中でも「ロングバケーション」は、 月9の集大成というもいうべき作品であった。 月9ドラマは、「ひとつ屋根の下」のように ホームドラマ風のものもあったが、 「東京ラブストーリー」で流れを決めた 保守本流の路線は、上記のような北川作品であろう。 * * * * 結婚式の当日、花婿に逃げられた葉山南(山口智子)が 白無垢の花嫁衣裳のまま逃げた花婿の部屋に押しかける、 そこには、ルームメイトの瀬名秀俊(木村拓也)がいて 失踪した花婿の代わり?にルームメイトになる南。 シャイでピアニストの夢をあきらめかけている瀬名、 男勝りで強気の売れないモデルの南、 二人の奇妙な共同生活が始まる。 それぞれ、別の相手を好きになるのだが、 (瀬名→涼子(松たかこ)南→杉崎(豊原功補 )) やがて二人はお互いの存在を意識しはじめる。 そして瀬名は、ピアニストになる夢をかけて 「オトワドコンクール」に出場する。 「ちょべりば」、「ロンバケ」、「ロンバケ現象」、 なる言葉も生まれる。 close to you (セナのピアノ曲)も人気に。 なによりも脇を固める出演者がすごい 竹野内豊(95年の「星の金貨」で脚光を浴びる) 松たかこ 稲森いずみ 広末涼子 やがて月9、その他のドラマの主役をはる ことになる役者陣が勢ぞろい。 稲森いずみが演ずる桃ちゃんの すっとぼけキャラも人気に。 キムタク、初の主演ドラマ(出演スタイルいつも同じだな) 山口智子、最後の連ドラ。 二人の掛け合いがなんともいえない! 豪華出演陣、北川悦吏子の最高の脚本。 日本中が二人の恋の行く末に注目する!! * * * * では、 この月9ブランドの確立はいったいどのような影響を 各方面にあたえたのだろうか? 続く <千京から> 「ロングバケーション」といえば主題歌 「LA・LA・LA LOVE SONG」(久保田利伸 with Naomi Campbell) そして、今でもピアノ曲として弾かれる close to you
2007.12.09
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「東京ラブストーリー」のヒットは、社会現象にまでなり その影響力があまりにも大きかったためか ドラマそのものだけでなく、プロデューサーである大多亮、 脚本家である坂元裕二にもスポットがあたり、表の舞台に 登場してくる。 坂元は女性誌やテレビ雑誌などにエッセーを連載しはじめる。 大多もメディアにたびたび紹介される。 大多亮は、フジテレビ報道部から広告部をへて異例の移動とも いえる(左遷?)ドラマ制作部門に配属される。 大きな変革がおきるときには、このような「異端の人材」が 必要とされるのであろう。 この「異端の人材」のプロデュースドラマが 「東京ラブストーリー」の興奮さめやらぬままに またも炸裂する。 同年 7月~9月期のドラマ、 「101回目のプロポーズ」 が、「東京ラブストーリー」をしのぐ大ヒットドラマとなる。 武田鉄矢が演ずる星野達郎が、突然トラックの前に飛び出し 「僕は死にまっしぇん! あなた好きだから!」 とマドンナ役の浅野温子に 命を懸けてプロポーズするシーンは あまりにも有名である。 「僕は死にまっしぇん!」は流行語にもなる。 (ちなみにこのシーンは、涙流れる感動の名場面なのだが、 このシーンのパロディが続出したため、ギャグとして しかこの名セリフは使われなくなる。 お笑いシーンと勘違いしている人もいる) 最終回視聴率36.7%、 チャゲ&飛鳥の「SAY YES」も「ラブストーリーは突然に」と同様 250万枚を超えるメガヒットとなる。 なんといってもこのドラマの話題は、「東京ラブストーリー」の 「おしゃれ」な配役とは一転して、「トレンディー」と対極にある 武田鉄矢を主演にもっていった所である。 当時の「トレンディー俳優」江口洋介をもってしても、 武田鉄矢の独特の個性の前では、 完全に色あせてしまっていた。 武田鉄矢、恐るべし。 しかし、それが大いに受けた。 私は当時、塾で小学生を教えていたが、 その小学生(6年生女子)から直接聞いた話である。 林間学校と「101回」の最終回が重なってしまい そのため録画予約を忘れた生徒が、 両親に「101回」のビデオ録画を頼むため 宿舎内の公衆電話に行列を作った そうである。その本人いわく 「「東京ラブストーリー」より面白かった」 (小学生も見ていたのね) 「東京」の方は、F1層(20~30代前半の女性)からの 圧倒的な支持を得たのに対して、「101回」の方は、 より幅広い層からの支持をえた 「国民的ドラマ」 になった。 最終回、ウエディングドレス姿で工事現場に やってきた浅野温子が、武田鉄矢に求婚する場面は、 感動のシーンである。 工事現場に落ちていたガラクタの指に入るわっかを、 浅野温子がひろって自分の結婚指輪としてはめるのだが そのときの浅野の顔がなんともいえずよかった。 それまでの上品ぶった笑顔とは違った 茶目っ気のある笑顔で、 そのシーンを見て私は不覚にも 涙を流してしまった。 さて「101回目のプロポーズ」で触れないわけには いかない重要なことがある。 脚本を担当した野島伸司についてである。 第2回ヤングシナリオ大賞でデビューした野島は 大多亮に目をかけられ、「君が嘘をついた」などの 脚本を担当し、ついにこの作品で大ヒット作を手がける。 だが、野島伸司の快進撃はむしろここからである。 90年代ドラマ史というものがあれば、 野島伸司の作品のために多くのページを 割かなければならないだろう。 その後も 「ひとつ屋根の下」で、 月9の存在をマックスまで高め、 「愛という名のもとで」で10時台のドラマで 30%の視聴率をとり、 TBSでは、「高校教師」が、 日テレでは、「家なき子」が、 30%以上の視聴率を記録するなど 記録的なヒットの連発屋となる。 同じ脚本家である内館牧子の著書では 野島のことを 「全打席満塁場外ホームランをかっとばしている」 とまで評している。 視聴率的にはそのような前例のない ホームラン王ではあった野島伸司であるが 番組内容はというと、いろいろと批判やクレームが 少なくはなかったし、見ていてあまり気分的によく ない作品も少なくない。 (私は個人的には、野島の作品はどうも好きにはなれない。 「愛という名のもとに」は映画「セントエルモスファイヤー」 のパクリとしか思えない) 91年は月9にとって大フィーバーの年であった。 そして月9は黄金時代を迎える。 続く <千京から> 今回は「101回目のプロポーズ」、 本文でもふれた、あの 「ボクは死にまっしぇーん!」 を見ていただきましょう。 感動のシーンだったんだ、と改めてわかります。 決して、ギャグシーンではありません!? そして野島作品から、 「ひとつ屋根の下」オープニング 財津和夫が歌う主題歌 「さぼてんの花」
2007.11.30
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フジテレビのドラマ制作班は1987年から 今までに無い新しい試みを始める。 それは、 フジテレビ ヤングシナリオ大賞の創設 である。 この賞はシナリオライターの新人賞であり 既存のライターではない新人をフジテレビが発掘し、育てあげ 新しいドラマを作っていこうというのだ。 1987年はフジテレビが月曜9時枠に 「アナウンサーぷっつん物語」で 進出した年だが、 それまではテレビ局がこのような シナリオライターの公募を行うという ことは聞いたことがなく まさに前代未聞のことであった。 しかも大賞の賞金は500万円。 シナリオライターの新人賞は、 それまでにも 城戸賞、月刊誌「ドラマ」の新人賞、 シナリオ作家協会の新人賞などが あるにはあったが、大賞賞金はどれも30万円前後で 賞自体も地味な存在でしかなかった。 それを キー局が主催する賞金500万円のシナリオ新人賞 として華々しく打ち上げたのだ。 その試みは大成功をおさめる。 第1回 大賞受賞者 坂元裕二 第2回 大賞受賞者 野島伸司 1991年奇跡の年の、その主役のドラマの脚本を担当したのが、 ヤングシナリオ大賞の1回目と2回目の受賞者であるのも、 その起こった奇跡の凄さを際立たせている。 フジテレビのこの試みを「前代未聞」と書いたが、 フジのこの大成功のさまを見て、 日本テレビが1996年から「日本テレビシナリオ登竜門」を、 テレビ朝日は2001年から「テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞」 を開始する。 ヤングシナリオ大賞に遅れること、9年と14年。 改めてフジテレビのドラマつくりの先見性、本気度が わかるであろう。 そして1991年 1月から 「東京ラブストーリー」が始まる。 主演は鈴木保奈美。 そして織田裕二。 脚本は若干19歳で第1回ヤングシナリオ大賞をとった 坂本祐二。 プロデューサーは大多亮。 柴門ふみの同名作品が原作で、すでに柴門ふみは 売れっ子漫画家で原作も人気があった。 鈴木保奈美は、「君がうそをついた」(1988年)に出演いらい 人気を高めていき、ゴールデンの(フジの)ドラマに なくてはならない存在になり、この「東京ラブストーリー」で ついに初主演をはたす。 * * * * 完治に対してストレートに愛をぶつける赤名リカ、 それにとまどいながらもだんだんとリカを受け入れようとするが、 やっぱりさとみの方に行ってしまった完治、 いろいろな女に手を出しストーリーをかき混ぜてくれる三上、 「なんて優柔不断な女だ」と反感を買ったさとみ。 豪華なマンションに住み、華やかな都会で 4人(+α)の様々な恋愛が繰り広げられる。 まさにトレンディードラマ(の一形態)。 そして女性たちは、リカの視点で描かれるこのドラマを 見てリカに共感?し、最終回では涙する?のであった。 「月曜9時には若い女性が街から消える」 本当か嘘か都市伝説かわからない言葉もささやかれた。 (当時調査確認すればよかった) そして、主題歌も当たった。 小田和正の「ラブストーリは突然に」なくては 「東京ラブストーリー」は語れないであろう。 素晴しい名曲であり、「東京ラブストーリー」のオープニングの 映像もいい。 CDは270万枚をこえる超ミリオンセラーになる。 「ラブストーリーは突然に」をエンディングシーンに かぶせて番組のラストを盛り上げさせるのだが、 私の中ではこのかぶせシーンは 「3大かぶせ」の一つになっている。 (ちなみに、あとの2つは、かぶせ元祖「男女7人夏物語」の 「CHACHACHA」とかぶせ効果の極限を追求したのではと 思わせる「男女7人秋物語」の「Show me」である) そんなこんなで、あらゆる相乗効果が生じ 「東京ラブストーリー」は「空前のヒット」と なって社会現象にまで発展していったのだった。 そして そんなブームの余韻が残る7月に 再び社会現象化を起こすドラマが月9から 生まれるのだ。 続く <千京から> 今回はなんといってもこれ! youtubeからです。「東京ラブストーリー」の懐かしい顔、曲、を 当時を知っている方は、その頃を思い出しながら 味わってください。 おまけで、 「男女7人夏物語」、「男女7人秋物語」の オープニングを。 本当はこれらの曲が、エンディングシーンに かぶさっている映像があればそれを 使いたかったんですけどね。
2007.11.26
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阿久悠氏が本年の8月に亡くなられた。 追悼番組や追悼記事などで氏の活躍が、 報道されたが、氏が手がけたヒット曲の圧倒的な量 には驚かざるをえなかった。 ピンクレディー、沢田研二、尾崎紀世彦、都はるみ、 岩崎ひろみ、山本リンダ、フィンガーファイブ、・・・ 70年代を代表する多くの流行歌が 氏の手によって書かれたのだ。 70年代という時代が「阿久悠」を生み、 また、阿久悠が70年代という時代を作った といってもよいのではないか。 だが、 驚異的な数のヒット曲の作詞を手がけてきた阿久悠も、 80年代に入るとヒット曲の量産ペースは一気に落ちてくる。 80年代は、70年代とは全く異なった時代の流れに 移行していったのだ。 80年代は、阿久悠の時代ではなくなっていったのだ。 では、80年代という時代を形作ったもの、 時代を作った共犯者は一体だれであろうか。 異論はあると思うが、私は 「フジテレビ」 (ニッポン放送を含めてフジサンケイグループというべきか) が80年代という時代を、少なくとも「時代の空気」を つくり上げたと思っている。 MANZAIブームから始まったフジテレビの快進撃は、 「オレたちひょうきん族」、 「ビートたけしのオールナイトニッポン」、 「笑っていいとも」 を生み出し、 バラエティ番組の「質」を一気に変えてしまった。 「お笑い番組」の大変革である。 それは、ヒット番組を生み出しただけにとどまらず その時代に若き日々を送った人々によくも悪くも 影響を与えずにはおかないほどの、大きな変化を 与えたのだ。 その頃、中学・高校生であった私は、 これらの番組を楽しんで見てはいたのだが、 番組の影響というものを肌で感じていたのだ。 ひょうきん族、たけしのオールナイトニッポン が教室での話題になり、それを模す者が必ずいた。 これらに 影響を受けた私たちの学校のクラスでは、 明るく振舞わなければならない、 ひょうきんでなくてはならない、 ネクラは悪だ という見えない力に支配されていたことを 痛切に思い出す。 これは特定の地域の現象というより マスメディアによって全国的に一様に 押し広げられた現象ではないかと思われる。 一種の脅迫観念をも含みながら時代は 「軽薄短小」へ、「面白くなければテレビじゃない」 と突き進んでいくのだ。 その後もフジテレビは、 「オールナイトフジ」やそのスピンオフともいえる 「夕焼けにゃんにゃん」などを生み出し、 時代の軽薄性をさらに増幅させながら、 80年代末のバブル時代に到達する。 その時代に、「アナウンサーぷっつん物語」でドラマ部門に 殴りこみをかけてきたフジテレビのドラマ制作班であったが、 その内容と評価はどのようなものであったろうか。 「ぷっつん物語」を皮切りに、仕掛けてきたドラマは 「放送業界シリーズ」 というフジの十八番ともいえるフィールドでのドラマつくり であった。 だが、どう好意的に考えても、記憶に残るような作品を 残せたとは思えない。 そして、放送業界シリーズに見切りをつけ 翌年の1988年「君の瞳をタイホする!」が始まる。 後に、「トレンディドラマの元祖」などと呼ばれたりもするが、 この作品で、ついに「突き抜けた」フジテレビらしさを出した 作品を作ることに成功する。 (「アナウンサーぷっつん物語」も大いにフジテレビらしかった) <作品概略> 「 舞台は、渋谷の道玄坂署。 警察署が舞台なのだから、熱き血潮が飛びかう刑事ドラマか と早合点してはならない。 登場人物は当然刑事、婦人警官ではあるが、 事件のシーンはあまり無く、コンパやナンパのシーンが多く、 ブランド服に身を包み、渋谷などのお洒落なお店がよく登場。 当時おにゃんこで「うしろ髪ひかれ隊」の 工藤静香も「しずか」として登場する。 だが、その役回りは 柳葉や三上を振り回すだけの謎の女としてである。 なかでも主役の陣内孝則の役は、異常なほど軽薄で、 同僚刑事の浅野ゆう子にアプローチすることに 執念を燃やしている。 この陣内のキャラが大いに受け、後の月9の「愛しあってるかい!」 では、このキャラをさらに軽薄にして再登場。 内容は、さらに薄いものになった。 (文章の一部に「ウィキペディア 君の瞳をタイホする!」を参照) 」 こう書くと軽いだけのドラマの感じがするが、 結構面白く見ることができた。 まわりはおしゃれなのに、陣内は、ぼろアパートに住んでいたり、 陣内のアプローチを拒絶してきた浅野が最終回には陣内の愛を 受け入れたり、「見せる」場面も多々あった。 なにより驚いたのは、久々に見た浅野ゆう子が魅力的だったことだ。 アイドルを経て不遇を囲っていた浅野ゆう子が、この番組で 新たな魅力をアピールすることができたのだ。そしてそれが、 「抱きしめたい!」のW浅野ブームにつながることになる。 「君の瞳をタイホする!」は、「放送業界シリーズ」から 脱却した第一作目の作品であり、直接的にしろ間接的にしろ 後に「トレンディドラマ」と呼ばれるものの母体となるなど 月9の転換点である作品であったと思う。 そして特筆すべきこととして、この「タイホする!」には 大多亮がプロデューサーとして初めて名を連ねる。 月9は、「教師びんびん物語」などのヒット作を生み出しながら、 1991年に突入する。 そして、ついに1991年「月9」は誕生する。 奇跡の年が始まった。 続く <千京のシーン紹介> youtubeにあった「君の瞳をタイホする!」の第1回 オープニングシーンと主題歌の久保田利伸「You were mine」。 そして、番組のワンシーンがこちらに。 懐かしい顔がせいぞろいです。
2007.11.23
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今まで見てきたドラマについて、 いくつかのことを書いてみたいと 思っている。 正確には「ドラマ」そのものというよりは、 ドラマに付属するもの、ドラマを含む何かについて という方が正確かもしれない。 その「何か」が自分でもつかめているわけでは ないのだが、 暇を見つけて書いていきたいと思っている 第1回目は「月9(げつく)」について、 書いてみることにした。 * * * * * 「月9」とは、フジテレビ月曜9時から始まる 1時間のドラマ枠の名称の省略形であるが、 いつしかその時間に放映されるドラマをさす 名称になってしまったのはいうまでもないであろう。 かつて、このように放映枠の名が ドラマ名をあらわすものとして 呼ばれたことがあっただろうか? NHK日曜8時の大河ドラマ、朝の連続テレビ小説、 TBS日曜9時の東芝日曜劇場、TBS金曜日10時枠、 確かに数々のヒットドラマを生んできた「名門」とも よんでよいドラマの時間帯、枠はあった。 しかし、「日8」、「日9」とよばれることはないし、 「金10」も定着しているとは言いがたい。 (「月9」が「大河ドラマ」のような名称を持っていなかった ことが、「月9」の名を生んだことにもつながっているとは思うが) なぜ、この帯だけ「月9」という特別な名で 呼ばれるのかというと かつて 月曜9時のドラマ枠に 奇跡ともいえるほど、 大ヒットドラマが連続したからである。 その大ヒットが続くさまは、 まさに奇跡としか形容しようが なかったほどである。 「東京ラブストーリー」、「101回目のプロポーズ」、 「ひとつ屋根の下」、「あすなろ白書」、「ロングバケーション」、「素顔のままで」、「HERO」などなど。。。 (今はすっかり神通力が無くなってしまった感じの「月9」では あるが、「月9」の名は死語にはなっていない!) そんな奇跡的な大ヒットを生み出した「月9」は、 どのようにして生まれたのか、 またなぜこのようなヒットドラマを連発できたのであろうか。 さて月曜9時の枠がドラマとなった時、つまり 「月9」の1番最初のドラマ、 をご存知だろうか? その記念すべき1作目は 1987年4月6日から始まった 「アナウンサーぷっつん物語」である。 ドラマの概要(「ウィキペディア アナウンサーぷっつん物語」 の項目を参考に編集) 「名古屋のラジオ局に勤務していた女子アナ・西沢由美子 (岸本加代子)が民放キー局であるフジテレビに移籍する所から 物語が始まる。 実在のフジテレビを舞台にし、同局のアナウンサーが本人役 (同僚、先輩、上司など)で出演。 また「MONDAY60」というドラマ内の架空番組(放送時間は、このドラマの放送時間という設定)の中で自局の番宣も行われていた。 他に神田正樹、恋のライバル?として麻生祐未が出演 」 内容は、 フジテレビ社員に扮していた所ジョージなどは、 普段はまじめでおとなしい社員なのに必ず 最後にはキレまくったり、 「笑っていいとも」出演のタモリ、さんまにが出演したりなど サプライズゲストが番組内番組のゲストとして出演したり、 ラス前(最終回前の放送)では、なんと生放送で行われ、 島田紳助や渡辺徹が乱入し、岸本加代子を拉致?し アドリブを連発の放送になったり、 まさしく 「面白くなければテレビじゃない」 と、 バラエティーで80年代を席巻した、 フジテレビならではのドラマであった。 そう、月曜9時の枠とは、 バラエティで「天下を獲った」フジテレビが、 遅れをとっているドラマでも「天下を獲り」 に出た勝負のための枠だったのである。 「アナウンサーぷっつん物語」の開始が フジテレビのドラマスタッフの宣戦布告の 合図であったのだ。 続く ☆千京の思い出(おまけ)☆「アナウンサーぷっつん物語」が始まる半クール前(多分)、フジテレビで「甘えないでよ!」というドラマがあった。主演は斉藤由貴で、布川(シブ柿隊)や林隆三などが出ていたのさ。斉藤由貴が好きで見ていたのだが、布川と林隆三の乱闘シーンが必ずあったり、ドラマそのものも面白くなりだして次第に引き込まれていったのでした。このドラマを見ていて、「あれえ、この感じは他のドラマと違うなあ」と思いだしたんだよね。若いスタッフが楽しんで作っているそんな感じがしたのさ。「甘えないでよ!」のエンデング曲は、BaBe の 「Give Me Up」 「BaBe」って一体何者なんですか?最初の頃は思っておりました。ですが、このカバー曲がドラマになくてはならないものになっていったんですよね。「甘えないでよ!」が終わって少しさびしくなっておりました。そんなとき、「アナウンサーぷっつん物語」が始まりやした。そしてエンディング曲はBaBe の 「I Don't Know」「ぷっつん物語」を見てBaBe 懐かし~と思いましたよ。そして「ああ、この番組は、あの「甘えないでよ!」のスタッフが作っているんだ」と勝手に納得。「I Don't Know」は大ヒット~。そんな思い出があります。
2007.11.22
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オーリングテスト(バイ・ディジタル・O-リングテスト) の創始者・大村恵昭氏(ニューヨーク心臓病研究所)によると、 胸腺(の反応点)だけが、指が開く反応が、デフォルト になっている。 (通常は指が閉まるのが標準) オーリングテストだと、胸腺は体全体の免疫機能の 働きを調べる部位とされているが、 この指の強度の逆転現象は何に由来するのだろうか。 大村氏は医者なので、胸骨柄のポイントを 「胸腺」という臓器の反応点にしてしまったが、 胸腺という臓器とするよりも、「チャクラ」の働きを 見ているとする方がしっくりくるような気がする。 つまり「エネルギーの入出口」の状態を 見ていると考えるのである。 当然、臓器とは「計り方」の基準が違ってくるであろう。 胸腺の位置は、いわゆるハートチャクラ(第4チャクラ) と呼ばれるところである。 オーリングテストは、カイロプラクティックの筋力テストを ヒントに作られたが、臓器を見るだけでなく、さまざまな 応用というか拡大解釈をとることができる。 チャクラをみるのもその一つである。 たとえば、 第7チャクラ 高次エネルギーの流れ具合 (むしろ詰まっている原因を特定する) 第6チャクラ 特殊能力の発達の程度 第5チャクラ 広義のコミュニケーション能力 第4チャクラ 対人能力の程度 第3チャクラ 自我の強さの程度(固執・こだわり) 第2チャクラ 潜在的・後天的財力 第1チャクラ 地のエネルギーの流れ具合 普通、チャクラの状態(回転)を見るのに、 ペンジュラムが使われるが、 オーリングを使うことで、 数あるチャクラの特徴のどれかに 焦点を当てて「測定」できるのでは ないかと試みているところである。
2007.11.21
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「コマネチ大学数学科」という番組がある。 北野たけし氏と東大生女子チーム、だんかん氏を中心とする たけし軍団4名(コマネチ大チーム)が、毎回数学の問題 を解くという深夜番組である。 この番組がエミー賞という国際的な賞にノミネートされている。 エミー賞とは、 国際テレビ芸術科学アカデミーが主催し、米国以外のテレビ番組を 対象に、番組、俳優などに贈られる賞。大賞はニューヨークで 19日夜(日本時間20日)に発表される。 日本のテレビ番組では、かつて「料理の鉄人」が ノミネートされたことがあったが、大賞受賞はできず、 今回受賞すれば、日本のテレビ番組で初の快挙になる。 私は、番組の解説をされているサイエンスライターの 竹内薫先生との縁で、去年、番組に出る機会があった。 (そのときは恥をかきまくったし、12月に滝を浴びる ことにもなってしまったのだが) 北野たけし氏も竹内先生も国外からの評価には きわめて強いと思うので、ぜひ栄冠を勝ち取って いただきたいものだ! 「たけしのコマネチ大学数学科」 木曜深夜 1時15分からフジテレビ で放映中。
2007.11.20
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6月ごろ。カルチャーセンターで知り合いになった編集者の方から連絡があり会うこととなった。そして「本を出しませんか」と言われた。「編集会議で社内でのゴーサインが必要なので、目次案、企画趣旨、サンプル原稿を作って送ってください」と言われ先週送ったところ、「編集会議を通ったのでよろしくお願いします」と連絡がきた。私は過去に出版実績もなくこんなにすんなり決まってしまっていいのかと思うぐらい簡単に決まってしまった。自費出版ではなく、商業出版である。当然印税ももらえる(はずである)。内容は、文系や主婦やOL向けの数学の入門書。数学本のブームの余波が、私なんぞのところへも影響を与えているのだ。そしてでは、そろそろ原稿を書き始めようかと思ったやからなんと私が企画していた内容の本がすでに出版されているではないか。私が盛り込もうと思っていた内容の99%がその本の中に取り込まれている。うーむ、どうしょう。と今、考えている最中。
2007.10.09
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東京・阿佐ヶ谷にて手当ての会を行います。足もみ、からだゆらし、からだの歪みをとるボディーワーク、など、広い意味での「手当て」をし合う会を予定しています。ゆったりと体を休めたい方、リラックスされたい方、残暑の疲れが出ている方など、ぜひいらしてください。時間 9月1日(土) 14時半~17時頃まで会費 1500円参加ご希望の方は、千京までご連絡ください。
2007.08.27
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2時間目が終わったとき職員室に戻ると、 生活指導担当のS教諭から 「このまま職員室にいてください」 と言われた。 そしてS教諭は 「教員は全員職員室に 戻るよう」 にという放送を入れた。 何事であろうか、 副校長から説明があった。 「本日10時ごろ、この学校の近くで、刃物を持った 上半身裸の60歳ぐらいの男がうろついているという 通報が教育委員会からありました。 ついては、校門の出入りの厳重チェックと本日の部活動 その他を一切中止し、5時間目終了後、臨時の全校集会を 体育館で開き、その後、生徒たちは集団下校を行うことに します」 職員室内には緊張につつまれる。 そして各学年ごとに分かれて それぞれの対応を練る。 不審男の確保の情報が入れば、この緊急体制も 解除されるのだが、そのような情報は入ってこない 様子だ。 というわけで、全校集会が行われた。 ・不審男がうろついている可能性があること ・安全のため、方向別にグループを作って 集団で下校すること ・不審人物がいたら警察に連絡すること を校長が生徒らに伝えた。 すでに生徒たちは、在宅の地域ごとに グループが決められていて、震災時などに そのグループごとにまとまって帰ることに なっている。 そして、教員も生徒たちに付き添って 途中まで一緒に行動する。 私も、ひとつのグループに付き添って いくことになった。 校門を出る。 いつもと変わらぬ風景、 待ちを歩く年配の人、自転車に乗っている 子供づれの主婦、宅急便の若者・・・。 平和だ まったくもって平和な光景である。 不審者がうろついているために行っている 集団下校で、 なぜか私は、いつもなら全く何も感じない風景に 平和 そのものを実感することができた。 生徒たちも緊張のかけらもなく ダラダラとしゃべりながら歩いている。 こんな感覚の時に何か起きるわけがない。 15分ほど一緒に歩き、私は再び 学校に戻った。 不審者も捕らえられなかったが、 何事も起きなかった。 このエピソードを書こうと思って 一週間が過ぎてしまった。 20日は、全国で終業式が行われたところが 多かったと思う。 その日になんと 宮城県の小学校で女子児童が男に刃物で刺された。 なんということだ。
2007.07.26
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先月は体育祭があった。 実は2校に行っているので2回ほど体育祭に 参加した。 こちらは、特にすることもなく生徒の競技を 見ていただけだが、面白いことに気がついた。 女子がやたら泣いているのだ。 クラス対抗リレー、 ムカデ競争 大縄とび 100メートル、200メートル、800メートル走 など 何か競技が終わった後、一人、もしくは複数の女子が 常に泣いて、周りで誰かフォローしたりしている。 何が悲しくて、いや感激して?そんなに泣いているのか? 最初、その学校の特有の原因があるのか、とも思ったが 行っている2校で、見事に女子が大量に泣いていた。 自分の中学時代を思い出しても、運動会や体育祭に 泣く要素が見当たらなかったし、 自分のクラスや赤組、白組が勝ったり負けたりしても 喜んだり残念がったりはしたけど、泣くことはなかった よなあ。 当時は、まわりの女子が泣いていた記憶がないので、 一体これはなんなのだろうか?と不思議だった。 泣いている子に直接 「なんで泣いているの?」 と聞くのも気がひけたので いまだに謎のままである。
2007.07.25
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うわー、日記の更新は5月以来か~。 ずいぶん日数が経ってしまった・・・。 実は5月の連休明けから中学校の仕事を始めて、 今までの生活とは結構感じが変わってしまった。 それはそれで楽しいからいいんだが、 フルタイムの仕事となってしまい 自由時間はかなり減ってしまった。 というわけで、ウン十年ぶりに中学校に 入り浸るようになったわけで、 当然、給食も食べることになる。 自然医療、オーラヒーリングなどの立場からは 牛乳は悪だ! ということになっている。 牛乳に含まれるカゼインが内分泌器官(チャクラ)の 働きを弱めるとか、カルシウムを取り込むのではなくて 排出させることになるとか いろいろと言われている。 私も中学校(もしくは高校)卒業以来 牛乳を飲む機会は激減したし とくにここ10年ほどは数えるほどしか 飲んでいない。 しかし 給食は牛乳とセットである。 というわけで、毎日昼時には 提供される。 (お金も払っている。当然牛乳代も込みだ!) 飲む気にならないと飲みはしないのだが 喉が渇いているときに飲んでみると これがうまいのだ! 最近は給食の時には飲まず、職員室の冷蔵庫に 入れてキープしておいて 授業の終わった後に飲んでいることが 多い。おいしいですよ。 とまあ、近況報告でした。
2007.07.25
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昔々、私が高校のころ、とある喫茶店にて 「生徒諸君」1巻(講談社フレンドコミックス)を 見つけ何気なく目を通し始めた。 読むやいなや私は 「こ、これは!?」 と思わず口走ってしまったのであった。 * * * * * ヒロイン・北城尚子が聖美第四中学校に 転校してくるところから物語が始まる。 始業を始めるチャイムが鳴るなか 私服でミニスカートとといういでたちで 廊下を歩く北城尚子。 その姿をきょとんとした顔で見つめている 生徒達に、 「チャイムなったです」 とすました顔で言う北城。 あわてて教室に戻る生徒ら。 そして 2-Aの教室前。 北城は教室を確認し ドアを開けて入るやいなや 「起立!」 の掛け声をかけて、すたすたと教壇の前に進み クラスメートを起立させ、偉そうな顔で 日直に「礼」をうながす。 目の前の人物が何者かもわからなく 生徒達はあっけにとられつつ、 礼、着席をすると、北城は黒板に向かい 北城尚子 と書き上げる。 さらにわけがわからず ポカーンとする2年A組の生徒。 そこへ、担任である金田先生が 教室に入ってくる。 金田も最初、北城が誰だかわからなかったが やがて北城が今日転校してくる予定の 生徒であることが判明。 「そう!アイアム転校生。 マイネームイズ ナオコ=キタシロ 通称 ナッキーよろしくね」 * * * * * 「こ、これは・・・」 私が今まで漫画を読んできた中で 数々の転校シーンがかつてあったが、 このような衝撃的な 転校生初日挨拶シーンが あっただろうか? 転校生が、転校初日、あたかも教師のような態度で 登場するというシーンに私は衝撃を受けた。 それまでの私の記憶の中で、 もっとも衝撃的な転校初日のシーンは 「愛と誠」(梶原一騎原作) で、名門青葉台学園高校に太賀誠が転校してきた シーンである。 教室でクラスメイトに転校生の紹介をしている時、 太賀はポケットに手を入れたままの「不良スタイル」 でみんなの前に立っている。 さすがの温厚な先生もそれには怒った。 「ポケットから手をだしたまえ!」 と先生が言うやいなや、先生の顔面に太賀の 裏拳が炸裂する。 鼻血を噴出し、のたうちまわる 先生を横目にしながら太賀は、 「先生の言った通りにポケットから 手を出しただけです。そこに運悪く 先生の顔があったんだからしょうがない」 と悪びれずにしゃあしゃあとしている というシーン・・・。 しかし、その太賀誠も先生に つれられて教室に入ってきている。 (余談だが後に太賀は通称悪の花園と 呼ばれる花園学園高校 (またの名を「高校外人部隊」) に再度転校する。そのときは大人しく普通の転校生 シーンを演じている) インパクトという点で、私の中では ナッキーの転校シーンは大賀誠を 超えてしまった。 生徒諸君の第一巻は「転校生登場シーン」の歴史に まぎれもなく1ページを付け加えたと私は思う。 とそんなことを思った、高校1年の暑いとある 夏のことであったのだった。
2007.05.04
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テレ朝で「生徒諸君」をやっている。 何気なく見たのだが、 内山理名の演ずる北城尚子に 違和感が無かったのに 少し驚いた。 バラエティなどで時々見かける 「素」の内山理名は、ナッキーとは 対照的だと思う。 普通、自分が知っている原作を 誰かが演じたり、吹き替えをしたり すると 「なんか違うよなあ~」 と思ったりするが (例 「キャンディ・キャンディ」のテリー の吹き替え。 古いなあ(^^;) 内山ナッキーは結構いいじゃないですかと 本当に思った。 むしろ演じているのが内山理名だということを 忘れさせる。 (読売新聞のドラマ評での記者の意見の中には 内山の演技が空回りしていて見ていて寒々する、 などが書かれていたが) ドラマでは教師編ということで、原作も最近の作品 らしいが、もともと元祖「生徒諸君」がたいへんな 人気を博していて、かつて映画化(小泉京子主演)、 ドラマ化、アニメ化などされてきた。 実は私は、「生徒諸君」第一巻には衝撃を受けた 思い出がある。 これから(馬鹿馬鹿しい)その衝撃体験を 述べたいと思う。 続く
2007.05.03
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以前「体外離脱しそこない体険」を書いたのだが、 この「しそこない体険」には金縛りがついてきた。 しかし、だからといって金縛り体険には、必ず 「しそこない体険」がついてくるわけではない。 私は眠りが浅いのか、割りと金縛りに遭遇してしまう。 金縛りはレム睡眠時に起きる睡眠障害の一種と 考えられていて、人によってはいろいろな未知なる ものとの遭遇を(したと)認識する人もいる。 私の場合、一番多いのは からだに何かが入ってくる感覚 である。 金縛り時はからだが電気ショックを受けたような 感覚になり、当然からだを動かすことができないので 結構苦しいのだが、 そんな体の中に何か目に見えないものが ガッーと入ってくるのを感じる場合が最近 のケースでは多い。 いったいなんでこんな感覚になるのだろう と思っていた。 金縛りが解けてしまえば、その後は特に なにもなく普通に眠れてしまうのだが。 さて あるとき本屋で一冊の本を立ち読みならぬ、 座り読みをしていた時である。 (最近の大型書店は椅子があるところが 増えてきているので非常にありがたい) その本とは 「ヘミシンクで起きた驚愕の前世体険」 (ビジネス社・鈴木啓介) であるが、私と同じような感覚について 書かれていたページがあったのだ! その本には、著者の鈴木氏が金縛りに 遭遇する場面があるが、そのときに 何か自分の中に入ってくる感覚が を感じたと書かれている。 そして、その入ってきたものは ハイヤーセルフ であったとのことだ。 この本は一介のビジネスマンである鈴木氏が ヘミシンク体険をきっかけに ハイヤーセルフとチャネリングできるように なったり、そのほかいろいろもろもろの 事象がおこったりという話である。 しかしながら(残念ながら?)私にはまだ一向に ハイヤーセルフさんは、(陽には)現れてきていません。 やはり、私の体険は「脳がそう感じた」ということ なのだろうか。 ちなみに↓の本「ヘミシンク 驚愕の前世体験」(ビジネス社)は、読むだけでハートチャクラが開くというメッセージを著者のハイヤーセルフさんからいただいたそうです。(ミクシィコミュニティ 「ヘミシンク 驚愕の前世体験」より)
2007.04.23
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オステオパシーという有名な手技療法がある。その中にクラニオセイクラムセラピー(頭蓋仙骨治療)というのがあってこれまた有名で、高いお金を払っていろいろと学ぶのだが、ただ仙骨、後頭部に手を当てているだけでも相当に効果がある。当てられている人はなんとも言えない気持ちよさを感じることとなる。私は、チャクラコーディネートというのを薮塚先生から習っているのだが、その講座ではトラウマ消去法というのがある。仰向けに寝てもらって、親指とひとさし指で髪の生え際とこめかみの近くを押さえる。抑えられた人は、トラウマをイメージしながら目をつむってただ寝ている。指を押さえる人は押さえながら、その人の眉間を右目でじっと見ている。そうすると受けている人は、からだがピクピクと動くようになる場合がある。(チック)人によっては連続的な動きが出続ける場合がある。一応これがトラウマが消去(開放)される過程ということらしい。メカニズムについては不明。指で前頭葉部と側頭葉部を結んでいるのも効果の要因であるらしい。最初、トラウマをイメージしてもらってオーリングを行うと、ぱかっと開いてしまうが、終わった後、イメージすると指がきつく閉じるということで効果を確認する場合もある。だいたい20分ぐらい行う。暗い静かなところで行うと効果が大きい。さらに薮塚先生が開発した方法があって、これがもっと強烈な効果を生むとのことであった。名づけてTBB法(手でびよんびよん法)なんかふざけたような名前であるが、効果は大きい。寝ている人から少し離れて、頭のななめ45度くらいの空間からひとさし指、中指を曲げ空中で指にからみついたゴムを引くごとくびよんびよんとひっぱる動きを続ける。別に直接触れたりしているわけではないが、エネルギーが強い人が行ったり、問題の深い人に行うと飛び跳ねたり、呼吸が一瞬とまってしまったり過去世のことを話し始めたりと、深く入りこむことができるらしい。私もやってみたのだが、確かに感じやすい人はからだの動きが出てしばらく止まらなくなったり、頭に反応がでてきたりして、みんな深いところにアプローチができているような気がすると言っていた。(私自身が受けたのでは、そこまで体感できていない)私自身が行ったところ冒頭に説明した頭蓋(仙骨)手当と人差し指・親指法とびよんびよん法を交互に組み合わせていくと効果が大きいように思われる。面白いことが多いので、これからもいろいろとやっていくつもり。
2007.04.07
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「現代思想」のゲーデル特集号を読む。あまり期待していなかったのだが、これが意外とわかりやすくて、面白い記事も多く非常にためになったのだ。サイエンティストの思想を一冊の本として特集できるのは、ゲーテルとアインシュタインぐらいであろう。ゲーテルの業績を簡単に列記してみる。1階の述語論理は完全である、という完全性定理自然数論を含む公理系には、真ではあるが証明不可能な命題が必ず存在する、という第一不完全性定理上記公理系の無矛盾性は、その体系内では証明できない、という第二不完全性定理一般連続体仮説のZF公理系での相対無矛盾性の証明(ZF:ツェルメロ・フランケルが定式化した公理系で 現在の数学がこの公理系で展開しうるであろうとされている公理系。これに選択公理(C)を足してZFC公理系が用いられている)おまけとして、回転する宇宙モデルの時間がつながってしまう、アインシュタイン方程式解の導出などがある。ゲーテルの業績に関心をもっている人には、この本は本当にお勧めである。連続体の大きさを、ゲーテルはアレフ2であることを予想し、そのための巨大基数の公理を採用していたということなども、素人なりに納得できました。現代思想のほかの特集記事は意味不明な文章が多いが、これは本当にお勧めである。
2007.03.26
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竹内先生の科学インタープリター養成講座の最終日。 「科学インタープリター」 聞きなれない名前である。 私もここ1,2年目にするようになった言葉だ。 専門家の発する科学の言葉を、一般の方にわかりやすい 言葉で翻訳して伝えるという職業のこと。 先端の科学技術がますます一般には届かなくなっている 現在、実は必要な仕事だと思われるが、日本でのこの 仕事はお寒い状況である。 たった一人独力でこの道を開いた竹内薫先生の偉大さが わかる。(竹内先生を御覧になりたい方は、火曜日のニュースZERO をみてください) 講座の後飲み会。 参加者の一人で4月から物理の大学院に進むK君は 今日が大学の卒業式だとのこと。 K君メールくださいね!
2007.03.23
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知り合いのGさん(女性)の主催しているボディーワーク講座に参加した。受講しつつ、他の人にも指導できるように習っている。そのワークが終わった後、Gさんらと雑談をする。いかにしてお金を回していくか、なんて話をしていた時、彼女は「お金なんて自分で使い切れない以上もっていたって どうしょうもないのにね。私の瞑想の師匠のところに ビルゲイツからよく電話が、かかってくるんですって。 『眠れないからなんとかしてくれ!』 と。たくさんお金をもっていたって 全然気が休まらなくて精神的にまいって しまうなんて、おかしいわよね。 そんな時かならず師匠はこういうそうよ。 『すべて手放せ。そうすれば開放される』 ってね」 私「えっ、そうなんですか。ビル・ゲイツは最近引退を表明しましたよね」「あら、そうなの。知らなかったわ」 ◆ ◆ ◆ビル・ゲイツも瞑想をしていたのか!というか、自身の精神安定のため瞑想に頼っていたとは・・・。ご存知のように、ビル・ゲイツは、2008年にマイクロソフトの職から引退し、慈善事業団体の運営に専念することを表明している。大きな話題にはなったが、なぜゲイツがこのような決断をしたのかということについては、格メディアもふれていなかったように思う。すぐあとに、ウォーレン・パフェットも兆を超える多額の金額をゲイツの財団に寄付したことから、パフェットの助言もあったのではないかと言われていたが、日本の瞑想の師匠のアドバイスだったとは!Gさんに確認したら、瞑想の師匠からその話を聞いたのは、ゲイツが引退を発表する前であった。こんな話、どんなビジネス誌、業界紙、ITの本を読んでも載っていないぜ。ただし、この話のウラは取れていません。
2007.03.09
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私の大きな興味というか関心の一つは、・宇宙はどうなっているのか?・あの世はあるのか?・宇宙、超宇宙、あの世をひっくるめた 世界の構造はどうなっているのか?ということを知ることにあるのだ。これらを知るための道具が☆素粒子研究や宇宙論などの物理学☆身体・意識・深層意識の研究☆スピリチュアルについての研究であると考えている。1.物理学について物理学は物の理(ことわり)であるのでしょせん、意識とか魂には到達することができない。だが、物理理論の数学的な必然(論理)によって空間や時間の離散性、11次元空間、多元宇宙という驚くべき結論に到達しようとしている。2.スピリチュアル(魂)についてスピリチュアルについて考えてみる。物理は魂や意識に到達できないと先ほど書いたが実は、脳科学者と呼ばれている人たちの中には、意識、魂、というものを物理的な理論によって解明しようとしている。その人たちの仮説は、意識とは、脳の分子的(あるいは量子力学的、場の量子論的)な解析によって解明できるものである。いわゆる魂は存在しない。というものである。その人たちにとって、当然過去生などは存在しないし、あの世も存在しない。あの世や過去生を体験したという人がいても、脳内現象によって錯覚させられたと主張するのである。つまり、過去生やあの世は、ある種の脳内物質の分泌、もしくは脳内の刺激であると結論されるのである。 ある意味まっとうである。 だが、これも仮説である。私自身は、あの世はあるだろう過去生もあるだろう魂の輪廻もあるだろうという仮説の方を支持する。こっちの方が面白いというのが支持する理由であり、それ以上でもそれ以下でもない。死んだら終わり、というより死んだらあの世があったという方が面白いではないか。ただ、サイエンスの方に期待したいのは、いわゆる「臨死体験」や「過去世記憶」、「超常現象」と呼ばれるものが、ごまかしや嘘や偶然、見間違い、勘違いでないかどうか、既成の科学理論の範疇で説明できるか、などの切り分けを徹底的にやってほしいと思う。ただし数理物理学者は、論理や計算、数理的な直感などが発達はしていても、身体性やスピリチュアル的な直感が閉ざされている人がほとんどではないだろうか。ただ、ロジャー・ペンローズや、ジョセフィン素子でノーベル賞を受賞したジョセフィンなどは、長年の数理的洞察と数理的感覚が磨かれたことにより、物理的世界でない対象の存在に関心を移している。またスピリチュアルな感覚に重きをおく人は、数量的論理性を軽視するようになってくる。もともと計算や数理的感覚が苦手な人が多い。これらの両方に適度な感覚を持って付き合っていくことがこれからの時代重要であるように思うのである。3.身体についてこの世の情報を感じるのは自分であり、自分がもっている五感である。そして意識、無意識が世界と宇宙とつながっていく。(これも仮説であるが)自分の感覚を磨いていくということによって宇宙の中の一部であるということが体感できるに違いない。よって、身体感覚の感性を磨くということが非常に重要なことになってくるであろう。
2007.03.02
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☆無意識運動講座のお知らせ☆誰でも簡単にできる簡単な体操で、自分のからだを調整法していくための講座をやっています。体操といっても、ヨガなどのように決まりきった型があるわけではありません。その人のその日の状態やそのときの体の調子に合わせて、体を動かしていくことで自分の体をよりよく調整することができます。ラジオ体操のように意識的にからだを動かすのではなく、無意識を使ってからだを動かすと、からだは驚くほど変わっていきます。興味のある方はぜひご参加ください。 <何をするか?> ・ オーリングテストによる体のバランスチェック・ オーリングテストの簡単実習・ ひとりでできる簡単な操体法・ 簡単にボディーラインを整える全身グルーミング・ 簡単な武術の技を応用した体験実技と身体調整法日時・場所 3月11日(日)、17日(土)、24日(土)、31日(土) 18時半から20時半 杉並区公共施設どれも簡単な運動ですので、お気軽にご参加ください。参加ご希望の方は、場所・日程の変更がある場合もありますので、必ずご連絡ください。◇ 参加費 2000円 ◇詳細はメールにてお問い合わせください
2007.03.02
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前日は、竹内薫先生の科学インタープリター講座に参加し、本日は、同じ朝カルで、竹内先生と時代の寵児ともいえる脳科学者・茂木健一郎さんとの対談に参加した。つい最近まで、竹内先生のオフ会&忘年会は、茂木さんのグループと合同で行っており、7,8年前に2回ほど参加したことがある。そのとき、挨拶程度に茂木さんと話をしたことがあるが、講座などで茂木さんの話をきくのは、今回初めてである。会場は80名以上の人が集まり満員であった。私は、空いていた後ろの席に座り始まるのを待っていた。そして、開始時間少し前に、茂木さんが入ってきた。そのとき私は茂木さんを見て、少し驚いた。なんというかまわりと明らかに存在感が違うのである。よく華やかだったり、際立つ個性の人に「オーラが輝いているようだ」というような比喩を使うことがあるが、茂木さんの場合はなんというか、我々、一般人という平均化され均質な存在の中に全く異質の存在というか個性が投げ込まれてきたというか、とにかく「普通の存在ではない」ことだけは見ただけでわかるのだ。その印象にたがわず茂木さんは、人の話をきくときも話を聞いているのか、聞いていないのかわからないしかめっ面で微動だにせず、と思いきや突然話始めたり、「文系や理系の区別などテンションが上がらない」と切り捨て、「脳トレなどちゃんちゃらおかしく、なぜこれがはやるのかということを問題にしなければならない」などとその特異な個性を存分に発揮されていた。おだやかな表情で対談を進行させ、質問にもできるだけ真摯に答えようとしている竹内先生とは、あまりにも対照的であった。そして、その茂木氏の言動は、私の中でじょじょに違和感に変わっていった。「プロフェッショナル」のようなマスメディアでで見る茂木氏とは違うと。しかし、よくよく考えてみると、マスメディアに出始めた頃の茂木氏を見たとき、私は「以前オフ会で見た茂木さんとは違う。なんでこんなに愛想と人当たりよく振舞っているのだろう」と思ったことを思い出した。一見すると愛想もなにもないこの姿こそ、茂木さんの公の姿なのだ。マスメディアで見慣れてしまった姿として誤解をしてしまっていたのだ。久しぶりの茂木さんを見ていて、あまりの印象の強烈さにそんなことをしばらく考えていた。対談は「境界人 現代日本を科学する」で、境界人とは、いわゆる「文系」と「理系」の両方に属して活躍したり、本流と非本流のどちらにも属しているとはいえなかったりといった、まあ一言で言えば一種のアウトローともいうべき人たちのこと。茂木さんや竹内薫さんは何かひとつの組織に縛られているのではなく、いくつもの分野を横断して活躍されている「境界人」の代表ともいうべき人達である。境界人ということで言えば、私はどこの本流からも大きくはずれて、もはや境界にはいないので、あまり自分自身についてぴんとくる表現ではないのではあるが。境界人という言葉は、竹内先生の初期の著書「宇宙フラクタル構造の謎」(徳間書店)の中に・いわゆる境界人についてというタイトルで掲載されている。この「宇宙フラクタル構造の謎」の中には、竹内薫さんが日本の大学の権威や社会の中で「境界人」として生きる苦悩に触れられており、わからないことは質問状を書いてくれればそれに答える、ということも書かれていた。その人間味あふれる姿に、私は感動し、ハガキを書き、ご返事をいただき、当時非常勤の講師をされていた成城大学に授業を聴講に行ったことが、私の竹内先生との実際の出会いの始まりであった。さて対談の中で、「インフラ」について、茂木さんはよいことを言っておられた。茂木さんのブログに書かれているので、ぜひ見て欲しい。インフラを失ってしまえば、それまでの栄華も夢幻に消える。逆に今、自分が社会に会わないと思っていても活躍できるインフラを作ってしまえばいいということか。茂木さんの話の中で印象に残ったことがある。それは、久高島の海岸に石を置く姿無き女性の行為に代表されるものや、伊勢神宮について日本語で表現できないところで、茂木さんはその本質をつかめたというのである。茂木さんは、それはマスメディアでは絶対には表現できなく、それは誰にも伝わらず、消え去っていくものでしかないが、実はそれらが本質的なことなのだということを言われていた。確かブログにもそのようなことが書かれていたが、ぜひそれを言語化して伝えて欲しいと思った。特に伊勢神宮の本質というのは興味がある。脳科学や物理、文学、マスメディア、多種多様な知識人との間を横断する茂木さんだからこそ、気がつき、つかめたということなのであろう。やはり境界人(「横断人」の方がピンとくるような気もするが)は、これからの時代のキーマンになっていくのだろう。茂木さんは、原典を読むことの必要性と世間の価値にあわせるのではなく、愛を軸にした自分の中の規律で生きることの重要性を訴えていた。また随所に竹内先生と茂木さんの友達として同士としてのやりとりがあり、とても素晴らしく感じた。それと、ブログのコメントには誤読が多いと言っていたなあ。この閉塞した社会を打破するために、そんな茂木さんの強烈な個性にやはり期待してしまうのだ。
2007.02.25
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朝日カルチャーセンターで行われている、竹内薫先生の「科学インタプリター講座」に参加している。2回目。科学インタプリターというのは、最新の(とは限らないが)科学や技術を一般の人に詳しくわかりやすく「翻訳」して伝える仕事である。従来、「科学ジャーナリスト」、「サイエンスライター」などのジャンルで呼ばれていた。科学インタプリターの事情は日本ではお寒い限りで、大体は、大新聞社に属していたりする人が大半でフリーで科学インタプリターで飯を食っている人は、科学書の翻訳をメインにやっている人を除けば、竹内先生ぐらいしかいない。日本での需要はお寒い限りである。この辺の事情はまたいずれ書こうと思う。竹内薫先生は、日本テレビ系毎夜11時からのニュース番組ニュースZEROの火曜日のレギュラーになっているので、その番組の裏側についての話であった。番組は、生の報道番組ということで、目まぐるしく進行状況が変わっていくそうである。たいへんそうだ。ご苦労様です。その後は飲み会。「小林真央ちゃんがいるからニュースゼロは持っている 面がある。彼女見たさに番組を見ている人が結構いる」「僕もそれで、見てるかもしれませんね」「私は知花くららが好きなんですけど、彼女はどうでしょう?」「今年は巨人に優勝してもらわないと、視聴率的にも苦しくなる からぜひ優勝して欲しい」「○○大学の数学者からイチャモンをつけられた。また一つ妖怪教授の本のネタになった」「某物理学者はUFOを見て、その起動原理を解明するため物理学者になったと言っていたけれど、どうかねえ。」などなど。竹内先生の朝カルでの次回講座は、コマネチ大学数学科没問題をみんなで解く講座だそうで。毎回、没問題をみんなで解いて、美しい解法には裏コマネチフィールズ賞もでるそうです。竹内先生は巨人ファンで、取材で西尾キャスターやラルフアナウンサーとともに宮崎キャンプに行き、原監督や小笠原、星野全日本監督と話をしてきている。羨ましい。飲み会の途中、妙な音が突然鳴り出したあと、アナウンスが入った。「21階で火災報知器が作動いたしました!」そして相変わらずうーうー言っているが、こちらは、地下1階なので、まるで気にせず話続ける。結局、それほど大事にはいたらなかったようだ。24日は、竹内先生と茂木健一郎氏の対談が朝カルにてあるので、これから行ってきます。
2007.02.24
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『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(光文社ペーパーバックス 城繁幸著)この本の存在は発売された当初から知っていて、本屋で立ち読みもした。(2004年7月発刊)そしてベストセラーになって評判になっているのもわかっていたが、じっくりと読む機会をもたずにきた。だが最近改めてこの本をじっくりと読んでみようと思い、読んでみた。面白い! 内容すごすぎ!何が面白く、凄かったのか。本文の内容をかいつまんで説明してみる。<本の内容 なぜ成果主義が崩壊したか>☆管理職・管理システム・社内文化などの問題☆◎成果主義(目標管理制度)の評価方法を知らない管理職に評価を一任。しかも相対評価ゆえ、頑張っても必ず低評価が生まれる。そして実態は、権限の小さな部の部員が一方的に低評価を押し付けられ、権限のある部の部員たちは高評価のオンパレード。よって正当に評価ができないシステムとして動き出す。☆人事部の問題☆◎この目標管理制度の恩恵を一番受けているのは、この制度を導入した人事部。この制度によって社内の権限を強化することに成功した。自らをエリート集団と自覚する人事部員はもちろん全員高い評価。そして評価は相対評価のため、そのしわ寄せが他部門にいく。その部門ではいくら実績を上げても評価は低く、年収、昇進に響いてくる。目標管理制度の矛盾点が出てきても、自らの失敗を公言することとなるため、人事部では制度の抜本的改革ができずに、病根をさらに拡げる結果となった。☆社長の問題☆◎当時の社長(秋草直之)が馬鹿その結果、社内は混乱、社員同士の競争、反目、疑心暗鬼などが生じ、結果、優秀な社員は転職、新入社員も業界平均以上の割合で退社し、社内モラルの低下により数々の不祥事を引き起こし、業績は悪化の一途をたどるという結果となった。そして、このような状態にあっても、会社の御用組合と化している労働組合は当然のごとく本来の働きをまっとうできない。さらに当時の社長・秋草直之はこのような当時の状況を「働かない社員が悪い」と自らの責任をなんら問わずに言い放ったため、ますます、社員内、社員の混乱はヒートアップしていくという状況であった。中でも人事部に在籍していた著書である城繁幸は、人事部に対して怨嗟もこめたのであろう批判を容赦なくあびせる。・はっきり書くが富士通人事部は「詐欺集団」である。(本文P.154)・私が書きたいと思った2番目の理由は、富士通人事部の「無能」と「堕落」ぶりだ。 (本文P.222)ここまで批判された本がベストセラーとなり、馬鹿さ加減を白日のもとにされされた富士通人事部は、今どのようになっているのであろうか。相変わらずのままなのであろうか。本にも若干書かれているが、私が感じた最大の馬鹿らしさは、これだけ業績を落とし、富士通の真意を失墜させ、6期連続下方修正という前例の無い失敗をした当時の社長の秋草が、社内でなんらの咎めも受けることなく、会長に就任したということである。一般社員の業務査定なら最低評価であるはずなのに、社長はのうのうと会長になるという最大の矛盾。このような組織、大企業が存在しているとは、思わず笑いがでてきてしまう。この内容はぜひ、ドタバタサラリーマン喜劇として、舞台や映画、ドラマなどの作品として演ずるべきだ。三谷幸喜に脚本を頼んでテレビドラマを作成すれば、「ハケンの品格」を超える、社会風刺&ドタバタコメディーとすることができるであろう。かつての筒井康隆のようなブラック&スラプティック小説、ドリフの全員集合のようなコントにも脚色できるかもしれない。そして私が最大のミステリーだと思うことは、このようなひどい組織であった富士通が今もなお倒産することなく存続していることだ。今は改善されているのであろうか。こんな馬鹿な自体が大企業で起こっているとなると、我々の税金で運営している霞ヶ関をはじめとする官公庁などは、それ以上のとんでもないことが起きているのであろう。そして、それこそが、我々の社会の最大の問題でもあるのだ。
2007.02.17
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10日(土)チャクラヒーリングミーティングに参加。チャクラというのもともとは、サンスクリット語で車輪という意味で、人の体には見えないエネルギーが回転しながら入ってくるポイントがある。主なところが7つある会陰丹田みぞおち胸の中心(ハートチャクラ)のど眉間頭頂がそのポイントになり、その裏側部分もチャクラにあたる。チャクラは当然(普通の人には)見えない。だから認知のされ方は極めて低い。経絡やツボだって目に見えるわけではないのだが世間からの認知度という点では、はるかに大きい。目に見えない、現代医学的検証はできないという点では、経絡もチャクラも一緒なのだが、針灸治療などで効果が現れている部分もある点や、国家資格になっていることもあり、世間的には認められているといってもよいだろう。そんなわけだから、チャクラの話になるとスピリチュアル的要素がふんだんに出てくる。私が習っているチャクラの先生は、神智学、現代医学などの知識なども使い、組織的、合理的に話を組み立ててチャクラ、それをとりまく世界を説明されようと試みられているので好感がもてる。現代科学では、「意識」というものの意味を捉えることに全く成功していない。アプローチの方法も脳内の物理的・化学的働きとして理解しようとしているので、いきずまっているのではないか。といっても、私もまだまだ、意識やチャクラそのものが本当に実態としてあるのか、というものについて、なんともいえないのではあるが。ヒーリングという場で見えてくるものがあるのかもしれない。続けていく中でいろいろと考えてみよう。ミーティングの後の喫茶店にて、参加者の人たちと話をする。その中の主婦の方が話されていたことは、息子さんが超能力を発揮しはじめて、家でポルターガイスト現象が起こり、さまざまな信じられない怪異現象が起こったそうだ。それをきっかけに、こちらに来られるようになったとか。まさにオカルトの世界である。その人がうそをついているとは思わないが真実として素直に受け入れられない話であった。世間をくまなく捜せば、こんな人がどれくらいの割合で存在するのであろうか。
2007.02.13
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今年は山登りもかねて、いろいろな神社などに行っている。目的はおみくじを買うことだったりするが(笑)北口本宮浅間神社私の仲間の方が、現在の日本の神社の中で、もっとも気のレベルが高い神社のひとつであると言っていたので、どのようなものか体験しにいく。ご神木が2本立っているが、これがまた巨大ですごい。この神社は富士山への登山口にもなっていて真裏に富士山があることから、富士の気を直接受けることになるわけだからすごいはずだ。この暖冬の中も雪が固まっていて歩けず、登山道を進むのは断念。大山阿夫利神社下社までは、ケーブルカーもあって、観光名所としても有名。下社の石段の下のお茶屋のおばさんの営業力はすごい。素通りできないほど声をかけてくる(笑)そこから90分ほど上に行った山頂に本殿があるのだが、シャッターが閉まっていた。見晴らしは絶景である。出雲伊波比神社埼玉県で一番古い形式の神社だそうで、偶然見つけたので参拝する。小高い丘に、まさしく神域のように木が立っていて雰囲気がよい。よい気を感じる。さすがにこのごろは、おみくじもあまりよいことが書かれなくなってきた(笑)。年初に地元で買ったおみくじが一番よかった!最近はおみくじに石や小物などがセットになっているものが売られていて、色々な種類をゲットしようとしているのだ。
2007.02.09
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先日、とある講演会に行ってきた。120人ぐらいの参加があり、超満員であった。ものすごく面白かった。(面白いということと、その内容が真実であるという ことはまた別問題である)なんで、この講演会に参加することになったのだろうか・・・。よくよく考えてみると・・・。私のアイソレーションタンクについてのブログ記事を見て、掲示板に書き込みをしていただいたebiさんという方と、モンロー研究所などのやりとりをしていて、エハン・デラビィ氏についてebiさんが教えてくれたのが最初のきっかけとなった。私はあまりこの人物を知らなかったのだが、ネットで調べたり著作を読んだり(「太陽の暗号」、「フォトンベルトの真実」(ともに三五館)など)しているのだが、「なんだよこの内容は! 眉唾100%だよなあ」と思いながらも、もともとこういう内容が好きなもので、何冊も読むようになってしまい、明窓出版の本にたどりつき、「フォトンベルトの真実」に出てくる「なぞの風水N氏」の本を読み、Intuitionのホームページを見ることになり、N氏の講演会にたどり着くこととなった。この講演会の内容は、2012年12月23日頃ピークを迎えるアセンションについて。というかアセンションの全貌についてである。(アセンションについて意味不明の方は私の過去ログを 参照されたし)内容をかいつまんで言うと・2012年にアセンションは絶対起こる、・日本の山々にオリオン星雲のエネルギーが降りて 日本はアセンションの先導役となる。・日本の山はピラミッド(としての本来の役割を担っている)・人類の遺伝子が変化する。よって人類が変貌する。・2012年以降太陽系文明が始まる。・2008年からこのようなことが、はっきりと目に見えてくる。だてにこの関連本を10冊近く読んでいるわけではない。しっかりとついていけたぞ。話す人が話すと、このような内容でも非常に説得力がある、ということがわかった。これから世の中どうなっていくか楽しみだ。
2007.01.29
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*ニコニコタッチ*秋から冬にかけて、人の頭蓋骨(後頭骨)、肩甲骨、骨盤は閉じていき、春に向かって段々と開いていく。今回はこれらの部位に、簡単なタッチングを行うだけの調整法を行う。やり方は簡単で、一定方向にさすってあげるだけ。立って後ろ側を向いてもらう。1.お尻(骨盤) お尻は、引き締まって上を向いているのが理想の形である。 よって、軽く両手でお尻を閉めて斜め上方に軽くさすり上げる。 <効果> お尻が引き締まり、形(見た目)がよくなる。姿勢もよくなり 背筋も伸びる。これもすぐ効果がわかる。第三者の人が、タッチをされている人を見てるとお尻の形がよくなっていくのが、はっきりとわかる。このタッチを逆に、お尻を下方に開くタッチで行うとお尻が落ちぶよぶよとした感じになる。お尻が垂れたような状態になる。されている方もお尻がどよんとした状態になる。2.お腹の裏 背中側のウエストラインを開いていくようにタッチ <効果> ウエストが細くなりくびれができる。 お腹に集まった力が分散されるので腰痛予防になる。これも効果が見てわかる。3.肩甲骨 肩甲骨を寄せて下げるようにさする。 <効果> 胸が開く。姿勢がよくなり呼吸がしやすくなる。肩甲骨を上げて拡げるという逆を行うと、猫背になってしまい呼吸が苦しくなる。女性の「寄せて上げるブラジャー」(矯正下着)というのは肩甲骨を上げて拡げるということをしているのに等しいらしい。だから着用していると、姿勢が悪くなり呼吸が苦しくなる。生きる=息をする ということだからからだによいわけがない。そのような下着を着けている人は、この肩甲骨を寄せて下げるタッチを行うといいだろう。3.後頭骨 寄せて上げる。お尻の時と同じ要領で軽めの圧で行う。 <効果> 人は疲れてくると、後頭骨がゆるみ、開いて落ちてしまう。 それを直すような方向でタッチすることで、頭の疲れが取れる。これらを今の時期からやることで、「春に向けてのからだ」に向かう自然な動きをサポートすることができ、プロポーションもよくなる。なお、、古武術や武道の技が紹介されている月刊誌「秘伝」に、創始者の河野智聖先生が多く書かれているので、ニコニコタッチの詳細についてはバックナンバーなどを参照してほしい。
2007.01.27
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1月21日(日)、大阪からミクシィ仲間が東京に来られるということで急遽、私のボディ講座を行う。ぜひ参加したいということである。実にうれしいことだ。ほかに東京のマイミクの方と私の友達2名の計4名が参加してくれた。そのうちの一人は、若かりしころ沖ヨガのインストラクターをしていた50歳の女性であるが、なんと彼女の旦那は23歳年下ということで、多くの女性から大いなる羨望と夢と多少の嫉妬?の目を向けらる。さて、参加された方から、講座のレジメがほしいという要望をいただいているので、ブログに一部を書こうということになった。今回は、武術家で野口整体を修められている河野智聖先生について習っている動体学や快気法、ニコニコタッチセラピーを中心に行った。動体学の詳しい詳細は、河野先生の著書『生命力を高める身体操作術』(経済界)に詳しい。以下のことの詳細はこちらの本を参照されたし。☆動体学☆われわれが背骨と呼んでいるものは首にある7つの頚椎、肋骨の裏にある12個の胸椎、その下の5つの腰椎があり、腰椎の下に骨盤がある。実は、5つの腰椎というのがとても重要であり人間の基本的な運動は、この5つの腰椎に関係があり、実は臓器にも関係が深い。腰椎 運動の種類 体との対応部分 感受性1番 上への運動 頭 考える2番 左右運動 消化器系(胃腸など) 感情3番 ねじれ運動 泌尿器系(腎臓など) 頑張る4番 しゃがむ 生殖器 集中する5番 前後運動 呼吸器 行動する あまり聞いたことがない人も多いと思う。そこで、腰椎と運動の関係について体感してもらう実習を行う。<実習>ぴよんぴよん、飛び跳ねている人の腰椎1番に手を当てると、飛び跳ねるのが楽になる。2番に手を当てると左右への横倒しがしやすくなり3番に手を当てるとねじれがしやすくなる。4番に手を当てるとしゃがみやすくなり5番に手を当てると前後への倒しがしやすくなる。手を離すとそれぞれの動きに抵抗がでてきたような感じになり、鈍くなる。これは簡単なことで体感できるのでみんな驚く。上、左右、ねじれ、しゃがむ、前後の運動は人の基本的な運動であり、われわれの複雑な運動はこれらが組み合わさったものである。ただ普通はすべての動きが混ざり合っているためそれぞれの動きが相殺しあってしまう。手を当てることによって、それぞれの動きのひとつに焦点が集まることで、その動きがしやすくなる。<おまけの実習 人の重さ>「あ」と発声していると、その人は「軽く」なる。「う」と発声していると、その人は「重く」なる。「お」と発声していると、前方にいる人を崩すことができる。モデルの人に出てきてもらい、最初に持ち上げてその人の重さの感覚を覚えておく。次に「あ」と言ってもらっていると最初に持ち上げたより軽くなり、「う」だと重くなる。われわれが「あっ」と言う時の感覚は軽い語感であることがわかると思う。逆に「うー」という時はトイレできばっている時とか下に向かうエネルギーであることが理解できると思う。重要なのは、本当に軽くなり、重くなるということだ。これも簡単に実験ができ、結果がでるのでみんな驚いていた。軽くなる重くなるといっても実際に質量が変わるわけでなく、気が下方に向かうとからだがずっしりと重くなり、気が情報に向かうと軽く感じるのであろう。そういう意味でいうと「あ」は腰椎1番に関係していて「う」は腰椎4番に関係していると考えることもできる。ちなみに「お」は、「おーい」と相手を呼ぶ場合でもわかるように、遠くの相手届く大きなエネルギーがある。前方に進もうとするとき、他の人が壁となって進むのをさえぎってもらう。普通に進めば力と力のぶつかり合いになるが、「お」と言いながら前進すると、用意に相手を崩して進むことができる。<さらにおまけの人の重さの実習>・「頑張っているね」「好きです」など相手の心に響く言葉を なげると重くなる。・「なにやってるんだ!」などの批判を行うと軽くなる。・尾骨に焦点を当てると重くなる(かなり重くなる)。・空手の三戦(サンチン)の型を行うとずっしりと重くなる(最高に重い)。以上続く。
2007.01.24
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武術的身体の特徴として、肝心なことを書き忘れていた。それは、からだの一部分を使うのではなく、多くの部分を使って全体の力を引き出す、全体力を使うというものだ。この部分がいわゆる「古武術はからだに優しい」ということにつながるのだろう。荷物を持つときも、ただ手首以下で力を負担するのではなく、少しねじるようにもって荷物を体につけて、体全体でその負担を分けるようにすることで、からだに優しくなるのだ。技としても、全体が動くことで相手が予測できなくなり、小さな力でも相手を崩すことが容易になる。話変わって先週末はかぜで寝込んでいた。神田明神の寒中禊の行事に申し込んでいたのに、参加できなかった(悲)皆様、かぜにご注意を。
2007.01.15
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今年の目標のひとつは、武術的身体になるためのからだを作ることである。武術的な体は、K-1やプライドのような格闘スポーツのような筋骨隆々の体を目指すわけではない。ここでいう武術とは「古武術」とだいたいイコールである。甲野善紀さんが注目されたことで、「古武術」がクローズアップされ始めた。最近では、空手家である宇城憲治氏が他のスポーツなどの指導者にからだの使い方の指導などをされている。しかし、本来、「古武術」というカテゴリーがあるわけではない。江戸時代には、様々な流派があり、それらには、剣術のほか柔術や棒術、また活法(からだを整える術)などが備わっている。それらは一部現代にも、連綿と受け継がれて来ている。昔の日本人と今の日本人とは、体の使い方が違う。これが大前提になっている。私なりに考える武術的身体の特徴として・骨を自在に操る(肋骨、骨盤、肩甲骨など)・関節を自在に操る(手足股関節)・重力などの自然現象を利用する・意識を活用するである。これらを総合的に活用することで、現代人が忘れている、およびもつかないパワーや崩しが得られるのである。しかし、現代人は上記のような体の使い方を忘れてしまっているので、「古武術の技」が神秘に見えるのだろう。
2007.01.01
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このクソ寒い中、滝行に行った。これは行きたくて行ったというわけではなくとあるきっかけで、テレビ番組に出演することになり私の趣味のひとつが滝行であることを伝え聞いた(左のフリーページに滝行の記事があります)番組の制作会社の方から、「千京さんのキャラを立てるためにも、滝行のシーンを撮影したいのです。ぜひよろしくお願いします」と言われ、しぶしぶ行くことになったのだ。実は、6年前の12月にも滝行経験がある。このときは滝行2回目の初心者で、人に連れていってもらったのだ。そこの滝場の周りは、滝のしぶきが凍って小さなツララ状になったものが2,3センチ積もっている、という恐るべきところであった。そして、滝行2回目の私は、あまりの冷たさに2,3秒ほどしか滝に入っていられなかった。とても滝行といえるものではなかった。が、クソ寒い中、滝から出てきて全身ずぶぬれになりながら下着に近いかっこうでいても、まったく寒くなく体がぽかぽかしてきたのだった。寒中滝行は血行によいかも!と思ってから、6年。さすがに再度行こうという気力もなく実行できていなかったが、このさいかつての気持ちよさを思い出すことができるいい機会かもしれない、と思うことにして、冬の滝行に挑むことにした。ディレクター、カメラマン、女性のADと私の4人で、東京から車で2時間の某所まで行った。滝の名所でも有名ではあるが、さすがに平日午前10時半には人もほとんどいない。ディレクターから、「30秒から1分入っていてください」との指令が。入る前、Tシャツ1枚でいても、これからもっと寒い思いをすると思うと寒さはない。前回、2,3秒でくたばったので、不安があったがディレクターからオーケーの声がかかるまで入り続けることができた。オーケーの後、戻ってくると「もう1シーンお願いします」と、また入ることに。結局、3回入ることになった。今回は、前回ほどぽかぽか現象はおこらなかったが、冬の滝行、それほど困難なものではないなということがわかった。だが、今回のように何か強制的なことがおきなければ、自主的にも行わないだろうとも思った。結果、無事に終わってよかったとほっともした。その後、スタッフとわかれ、私は一人温泉に入り温まってから家路についたのであった。
2006.12.07
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坂本政道の「体外離脱体験」(たま出版)に 体外離脱のモンロー研究所の創始者、ロバート・モンローの著書「究極の旅」を読んだ日に、初めての体外離脱をした。というようなことが書いてあった。その記述を見て、そのような体験の本を読んだら、自分も体外離脱体験ができるだろうか?とふと思った。そして、「体外離脱体験」を枕元に置き眠った。そして、その夜。私は夢を見ていた。私は、明晰夢を見たことがないので、夢を見ているときは、夢の世界の中でそれを現実だといつも思っている。そして、その日の夢でも、なんら夢であることを疑わずに夢の世界で過ごしていたのだ。突然、夢の空間が異常をきたした。周りの風景が、突然真っ赤となり空間がひび割れた。な、なんだ! 天変地異か!?私は、びっくり仰天驚いたと同時に夢からさめ、からだが金縛り状態に陥っていたことに気がついた。すると何かに、からだが引っ張られる感覚が私を襲った。そして耳元には、「なにしてんの?」という声が聞こえてきた。私は金縛りの中、必死にもがき続けた。数秒後、金縛りから解けた。そして完全に目が覚めた。リアルな体験ではあったが、覚めてみればさっきの金縛りごと夢である可能性があるなとも思えた。************モンローの「魂の体外旅行」(学研)を図書館で借りてきた。巻末のQ&Aに、Q「体外離脱の危険性はどのくらいか?」というのがあった。A「眠るの同程度の危険性だ」 (全く危険性が無いと言っている)と書いてある。そして、この本には、本書のようなモンローの著作を読むだけで体外離脱ができる可能性があると書かれていた。先日の体験を思い出し、この本を横に置きながら昼寝をすることにした。(この本は分厚くて、読んでると眠くなる)眠りに入った。そして、やはり金縛りが私を襲った。今度も声が耳元で聞こえた。(何を言っているか不明)そして、足や手がひっぱられる感覚が生じたが、私はさすがに怖くなり、その引っ張られる流れに抵抗しようとしているうちに金縛りが解けて、完全に覚醒した。今の所、体外離脱体験なし。体外離脱のしそこないの体験は、この2度だけである。
2006.11.23
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「あちらの世界」と「こちらの世界」があると仮定する。「こちらの世界」とは我々の住んでいる世界である。そして「あちらの世界」とは、我々の世界を含んでいるが、我々にはその実態を把握できない更に大きい世界のことで、その世界があると仮定してみるのはいろいろと楽しい。いろいろと対比することができる。 「こちらの世界」 「あちらの世界」浄土真宗 現世 極楽浄土キリスト教 この世 天国(地獄)船井幸雄 結果の世界 原因の世界モンロー研 フォーカス21未満 フォーカス21以上梅田望夫 インターネットの外側 情報発電所量子力学 波動関数が収縮 波動関数の存在する場所 して得られる結果数学 実数をもとにした数学 複素数をもとにした数学「あちらの世界」の数学の項には、 「複素数をもとにした数学」と書いた。今回はそのことについて述べる。虚数という数がある。これは2乗するとマイナス1になる数で、実際の数として存在しない。つまりこれは「想像上の数」ということでi と書く。(i×i=-1)高校の数学で習うのだが、数学を専門に学ばない人はなんのために習うのか、疑問にもたれた方も多いと思われる。実際、虚数の存在がなければ、2次方程式X^2+1=0 の解を求めることができない。(解はプラス・マイナスi)だが虚数だけでもだめで、実数と虚数を組み合わせた数でなくてはならない。その数を複素数という。実は2次方程式のような代数方程式は、複素数まで数の概念を拡張させることで、完璧になる。いわゆる「複素数係数の代数方程式は複素数解を持つ」という代数学の基本定理である関数の概念も複素数まで拡げることができる。複素数を変数にし、複素数に値を持つ関数を複素関数という。そして微分の概念を複素関数にまで拡張する。そのような意味で微分可能な複素関数を正則関数という。さてさて、こんなことを長々と書いてきた意味はというと実は、正則関数と実関数を比べることで、「こちらの世界」と「あちらの世界」との対比ができるのである。<仮定その1>「あちらの世界」は美しく完璧。「こちらの世界」は「あちらの世界」の姿を反映してはいるが 崩れた形での反映となっている実関数と正則関数の特徴を比べてみよう。実関数で1回微分可能であっても、その導関数が連続であるとは限らない。ましてや1回微分可能であっても2回微分可能であるともいえない。そして、任意回数微分可能であっても、解析関数でない場合もあり実関数の場合は、それぞれ関数として異なるカテゴリーに属する。だが、正則関数は1回の微分可能性がいえれば、導関数は連続であり、しかも、2回、3回、・・・、任意回微分可能で、さらに解析関数でもある。これはかなり、凄い話だと、私なんぞは、初めて知ったときに思ったものである。なぜ複素数の世界は、こんなに美しい世界なのか?私には理解ができなかった。これが「こちらの世界」と「あちらの世界」の差異であるとは誰も述べない。<仮定 その2>「こちらの世界」でわからない問題を、「あちらの世界」で考えることで、解決することがある実積分で、原始関数が求めらない関数の無限積分で、複素平面(あちらの世界)を経由することで無限積分を求めることができる場合がある。孤立特異点のまわりの弧で積分したときにローラン展開した時の1/Zの項以外の値が0になってしまうことを利用することで、このような問題を解くことが可能になる場合がある。今まで述べたことは、数学を専攻したものにとっては自明のことである。だが、あちらの世界を反映したことだとは気がついていないだろう。複素関数論は「あちらの世界」の数学だったんですよ!更に発展させた、多変数複素関数論、代数幾何などは更に「あちらの世界」度が進化していると思われるが詳細な対応は私には力不足でできない。以上、単なる与太話ですので、あまり気になさらずに。
2006.09.23
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アメリカのモンロー研究所に実際に行って来た人の話を聞きにいった。モンロー研究所とは何か?それは体外離脱をして、ガイド(守護霊)や過去世に実際に遭遇したり、死後世界やそれ以上の世界を探求するワークを行っている非営利機関である。体外離脱とは、いわゆる幽体離脱のことで、寝ていて気がついたら寝ている自分を天井から視ていたというのが体外離脱である。(実際にはこのような完全体外離脱ではなしに 自分のからだはそのまま、意識だけが別のところに いく、バイロケーションという状態で、行われるのが 普通らしい。だがこれに習熟すると完全体外離脱も 行われるとのこと)モンロー研究所ではどのように体外離脱を行うのか。それはヘミシンクというCDをヘッドホンで聞くことにより脳波を体外離脱しやすい状態にもっていく、ということである。ヘミシンクは、バイノーラルビーツという、右脳、左脳に異なる周波数の音を聞かせると、左右の脳がその周波数の差になるように整っていくという技術をもとに作られている。ヘミシンクを聞くことで、体外離脱を行い、ガイドとの遭遇、死後世界、輪廻転生ポイントなどの別次元に移行することができるというのだ。(ヘミシンクCDはネットで調べれば、容易にわかるように 簡単に手に入る。瞑想音楽と合わせたものなども売られている)私自身は森田健の「不思議の科学1~3」で初めて、モンロー研究所について知ったが、あまりにもこのときの森田健の話が、作り話っぽいというか、物語っぽいので、全く関心を示さなかった。しかし、坂本政道の「死後体験1~3」(ハート出版)を読んで考えが変わった。坂本政道によると「私は超能力者ではない。だれでもがヘミシンクという技術を用いることで、死後世界に行くことができる」「死後の世界があるか、ないかという議論をしてもしょうがない。 実際にヘミシンクを聞いてみれば、それ(死後世界)が 体験できるのである」東大出の技術者でもあった坂本政道の実直の訴えかけに共感することとなり、モンロー研関係の本を調べ始めた。現在は坂本のほかにも、モンロー研初の日本人トレーナー藤崎ちえこの著作もある。(藤崎の本はあまりにも「美化」させすぎていて 問題があるように思えるが)また、坂本、藤崎らによるヘミシンクを用いた、体外離脱ワークもある。(そのほかにボイスなど多数あり)値段が半端ではないので、実際に体験しにいくということには、いたっていない。が、その報告を聞いて、実際に自分で体験しないことにはどうにもならんなと、痛感した次第である。
2006.09.18
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前回、リサ・ランドールらの5次元の話を書いた。が、リサらの5次元にしても、超ひも理論の10次元、もしくは超ひも理論を含むM理論の11次元時空は、数学的にそう考えても大丈夫であるというだけで、まだ実証されたわけでもなんでもない。仮説の域を出ていないのだ。ただ超ひも理論は、・場の理論の発散の困難を回避することができる・低エネルギー近似で一般相対性理論の アインシュタイン方程式が出るということから、これはひょっとしたら本当くさいかもということで、大ブームとなり、世界中の秀才、天才がこれらの問題を考えることとなった。物理学で最初に高次元が登場したのは、今やすっかり有名となったカルツァ・クラインの理論である。一般相対性理論の成功の後アインシュタインは重力場と電磁気力を統一する理論を完成することに生涯をかける。だが、成果はだせなかった。そんな時にカルツァという数学者から一通のアイデアが書かれた手紙が来る。そこにはおどろくべきことが書かれていた。我々の宇宙は4次元であると通常思われているが、これを5次元と考えて、5次元時空におけるある種の計量を考えると、電磁気場のベクトルポテンシャル、スカラーポテンシャルが、現れるのである。これは、ひとつの成果である。だが、この5次元目は一体何を意味するのか?クラインは、この1次元分の余剰次元は、小さく小さくなってしまった(コンパクト化)と考え、のちにこれらをまとめてカルツァ・クライン理論と呼ぶ。(続く)
2006.09.13
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リサ・ランドールという女性物理学者が、今全米の注目を浴びている。43歳。2006年1月11日号のNewsweekでは、2006年世界のキーパーソンの一人に選ばれている。彼女は、私たちの存在する宇宙が、5次元時空であってもおかしくないということを数学的に示すことに成功した。(我々の世界は空間3次元+時間1次元の4次元時空)高次元空間の可能性は、超ひも理論によって開かれた。超ひもが量子力学的にふるまい、特殊相対性理論に反しないためには10次元の時空でなくてはならない。ただし、このときの10次元時空のうち、余剰の6次元はものすごく小さくなってしまっていて、宇宙は本当は10次元なのに、近似的に4次元時空にみえるという解釈であったのだが、リサらの提唱する理論によると、高次元空間の中に我々の3次元が浮かんでいるかもしれないということを数学的に示したのだ。つまり我々の背後に4次元の異空間が、大きな口を開けてまっているかもしれない。だが、ブレーン理論によると、我々は3次元に束縛されていてそこから逃げ出せない。ただし、重力のみ(正確には重力子)が、異空間を行き来することができるのだ。この、新たなる次元を探す実験も現在進行中である。前回の日記では、「アセンション」について書いたが、これの意味する次元上昇と物理的な時空次元での5次元とのつながりは? である。私としては、精神世界的な用語と物理理論の言葉は同一視しないほうがよいと思われる。「波動」、「振動数」、などは実際の物理的概念とは別だと考えたほうがよい。「量子」などという言葉も要注意である。でも、精神世界的世界が、真実をあらわしているのなら本格的な物理理論との接点というものも、これから発見されてくるとは思うが、まだまだ先のことであろう。
2006.09.12
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先日、サトルエネルギー学会主催の講演会に行ってきた。サトルエネルギー学会の詳細については、HPを見てもらうととして、2人目の講演者の題目は、アセンションについてであった。やはり、ここでもでたか、アセンションの話題が。最近、行く先々でアセンションの話題に出くわす。今、ちまたで言われるアセンションとは、「次元上昇」のことを言い2012年12月23日をピークとして、地球と人類が次元の上昇を体験することによって、全人類を襲う変動のことをさす。次元上昇によって、人類がよりスピリチュアルな存在になることと考えれている。この次元上昇をアセンションと呼んでいる。もともとは、1周期が5150年に及ぶマヤの長期暦が20012年12月の冬至ごろに終わることから、何か地球規模の異変が起きるのではないかと言われていたのが、前世紀の末から、マヤの長期暦の終了とは別にフォトンベルトへの突入、シューマン共振の変化、など付帯項目がいろいろとつき、最近では、それらを統合して、2012年12月の冬至ごろに、アセンションが起こるということが、全世界の精神世界系の中での共通理解となってしまっている。その講演では、古神道の周期も20012年に向かって収束していて、それのみならず、大小さまざまな時代の区分を示す周期が、2012年ごろに変化点を迎えるらしい。学会と銘打っているので、質疑応答、討論の時間も設けていたが、会場の参加者はアセンションを疑わざるべきものとして捕らえているように見えた。そして少しずつではあるが、確実にじわじわとこのアセンションの考えを受け入れていく人々が増えていっているのだ。これを見て、2012年に何も起きる予定ではないのかもしれなくともアセンションは起きる!と信じている人々のエネルギーが、本当に何か起こしてしまうのかもしれないと思ってしまった。
2006.09.04
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昨日は、朝日カルチャーにて「ファイマンの重力理論を読む」という講座に参加。満員御礼、こんなに重力理論、つまり一般相対性理論に関心がある人がいるのか!?ファイマンが書いた本を読むことになるのだが、ファイマン流だけあって、通常の一般相対性理論の本がとるアプローチがとられていず、量子論からのアプローチになっているようだ。朝日カルチャーということで、あまり数式部分については触れないと竹内先生は言われていたが、ひょっとしたら秋から、物理数学ということで。微分形式を使って電磁気や一般相対論やゲージ理論まで扱うような講座を行うかもしれないとのこと。講座の後は、飲み会へ。いつも参加されている常連の皆さん。アマチュアサイエンチストさんryuuzei さんすみません! 掲示板は楽天日記使用者以外から、アクセスできないようになっておりました。直します。更新頻度をもう少し上げたいと思います。竹内先生はいい人です。
2006.07.15
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毎日曇っていて雨がふったりと相変わらず梅雨状態である。私のまわりでは、今年の梅雨に体調を崩したり、熱風邪を引いたりという人が多い。今年は特別な梅雨なのであろうか?梅雨は、湿気が多く皮膚呼吸がしずらく呼吸器に負担がかかりやすい。息苦しさを感じる人も多いと思う。また、食物の細菌も繁殖しやすくなりそれを解毒するため肝臓に負担がかかる。そして肝臓に負担がかかりすぎると解毒が追いつかなくなって、汚れた血が体中を回ることになる。これが中毒症状である。では、どうすればよいか。まず呼吸器の問題の解消法だが、呼吸器に負担がかかっていると大腿部の裏側が縮んでくるのでそこを伸ばす。具体的には、大股で20歩ぐらいあるくと裏側が伸びてくる。また足指を一本、一本引っ張って伸ばしていく。誰かにやってもらうと気持ちよさを実感できる。そして、肝臓と心臓への手当。文字通り手をあてるのだ。肝臓へのこんにゃく恩湿布もよい。
2006.06.26
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気がついたらもう何日も、というか何週間もブログを書いていない。書こうと思っていることは、たくさんあったのだけれど・・・。自分の中でブームになっていた「体外離脱」も、本も何冊も読んだし体外離脱し損なった体験も含めて書こうと構想を練っている間にブームが去っていこうとしている・・・。たけしのコマネチ大学で、「ヨセフスの問題」というのが、面白かったのでこちらも書こうと思っていたのだが3週間以上たってしまった。毎日書いている人は偉いなあ。
2006.06.12
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