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偐万葉・松風篇(その16) 偐万葉シリーズ第99弾は、松風篇(その16)です。偐万葉も遂に100回目前となりました。松風さんとは2008年8月以来のブログ交流ですが、歌も今回で402首となり、400首の大台に乗りました。ようやる(笑)。 <参考>1.過去の偐万葉・松風篇及び松風偐万葉集(1~3)は コチラからどうぞ。 2.松風さんのブログはコチラからどうぞ。なお、掲載の 絵画は全て松風さんのブログから転載させていただ きました。 偐家持が松風朝臣麻呂(まつかぜのあそんまろ)に贈りて詠める歌19首松鳥(まつどり)の 何や待つらむ ときすでに みやまの風の 秋深みかも世は捨てな みやまの森の 奥深く 鳴くとふ鳥の 声ぞ聴かまし (求道家持)鶴見野に のこるはだれの いちしろく 恋は告(の)らさね 人は知るとも (バレンタインの娘子) (注)はだれ=まだら雪 春の雪 消(け)ぬれど寒き 鶴見野を 行く人ひとり 青き衣(きぬ)着て切株に 立ちて反り身は 空き缶も 春の景色を 眺むるならし (鶴見珈琲麻呂) ビニールの 蛹(さなぎ)なるらし 忘れ傘 ポプラの洞(うろ)に 羽化待つらむか (偐蝉丸)寄り添ひて 枝さしのべる 木々たちの 青き空なり 春にしあれば すずかけの 木(こ)のした馬は 朝風を 胸分(むなわ)け駆ける 春の足音 (馬耳東風)カラスらも かこつ朝寒 大池の 島にし寄りて 春の日恋ふや (偐鴉持) うらうらに 春日(はるひ)は照れど みちのくの ことし思へば 胸ぞふたげるあは雪の ほどろに降り来(く) 避難所に 身を寄す人の いかにかあらむ 若き日は 夢と過ぎにし 若人(わかうど)の 春野走るを ともしとも見つ (オールドブラックジョー)離(さか)り行く 影はあれども 芝草の 道の春日(はるひ)は 待てといはなく 老いの身と 思(も)はねどおやぢ 銀輪の 影にはいささ 老いも負ひける (注)いささ=いささか、少しのさ蕨の 萌えにけるかや すずらんの 花咲きにけむ 青き外灯 待つひとの 来むとし待てば 待つ間にも むらさきつゆくさ なほ恋ひにけり (紫郎女)杏咲く 丘へ銀輪 漕ぐ人の 青き衣(きぬ)見ゆ 欅道(けやきぢ)の春春こそは 萌ゆる光の 立つなれば 槻の坂道 銀輪駆けな (銀輪家持) (注)槻=ケヤキ(欅)たてがみに ひかれるものは はるならむ むまなびかせる そのたてがみに (注)むま=うま、馬
2011.03.29
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第75回智麻呂絵画展 本日は第75回智麻呂絵画展であります。 東北関東大震災後初めての開催となります。 地震発生から早や2週間になりました。 震災でお亡くなりにになられた方々に心からなる哀悼の意をささげます。ご遺族の皆さまに神のご加護と慰めのありますように。そして、被災された皆さまには心よりお見舞いを申し上げます。どうぞお身体をお大切に、ご自愛専一にてお過ごしになられますように。一日も早い復旧・復興を、日本中の・世界中の、被災地に心を寄せる全ての方々と共に、皆さまのご健勝とお立ち直りをお祈り申し上げます。 また、原発事故が一日も早く収束に向かいますように。 どうぞ、当絵画展にてどちら様も暫しお心をおやすめ下されば幸甚に存じます。 絵師 智麻呂 館長 偐家持 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(福寿草と土筆) 上の福寿草と下のネコヤナギは小万知写真集から絵にされたものであります。福寿草 今し咲きたり みちのくの 春の楊(やなぎ)も あすは萌ゆらむ (偐家持)(ネコヤナギ)我妹子(わぎもこ)は いづちゆかめや 春の雪の 摘みにしなづな 野辺にそ咲ける (偐家持)つねならば 吾(あ)に摘むなづな いちしるく 野辺にそ咲ける きみしまさねば (偐家持)(ナズナ)吾子(あこ)がため グレープフルーツ 剥(む)く指に キッと力(ちから)を 明日(あす)へと込めむ (偐家持)(グレープフルーツ) 下の土筆は、智麻呂さんが通って居られるデイサービスの職員のTさんが春の野辺そのものを、ごっそりとスコップですくい上げてお持ち下さったものの写生です。小生が智麻呂邸を訪問した時には少し日も経過していたので、鉢の中の春野の土筆も少しまばらに(写真)なってはいましたが。 その次のムスカリも姫立金花(ヒメリュウキンカ)もTさんがお届け下さったものだそうです。(土筆)(鉢の中の春野)悲しめる 人にし添へや 野辺こそは 土筆(つくし)ぞ萌える 春にしあれば (偐家持)(ムスカリ)(ヒメリュウキンカ) 下はオキザリスの一種、大黄花カタバミですな。毎年、この花を智麻呂さんは描いて居られますが、今年は何故か恒郎女さんが勧めてもなかなか描こうとはされなかったらしい。漸くにして1枚ものされたのがこの絵であります。 画家も、そういつも周囲の注文通りにばかりは、描けないものなのであります。まあ、うまく花と気分がマッチして1枚描けましたので、恒郎女さんがこの花をご用意されたのも無駄にならずに済みました(笑)。(オオキバナカタバミ) 最後は、けん家持手土産の茶菓子です。そろそろお茶にしましょうか? では別館の方へどうぞ(笑)。 本日もご来場有難うございました。(「栗果の里」)(桜餅と草餅)<参考>明日26日はアースアワーの日とのこと。 この地球のこと、東北関東の被災地のことを思い、 共に祈りたいものです。 アースアワー公式サイト<追記・注>「福寿草と土筆」及び「ヒメリュウキンカ」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.25
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偐万葉・ビッグジョン篇(その4) 偐万葉シリーズ第98弾は、ビッグジョン篇(その4)であります。 ビッグジョン7777(当方で勝手に付けた名は交野歩麻呂)氏とは昨年の5月からのブログ交流となりますが、今回のは昨年12月中旬から昨日までの同氏のブログ記事へのコメントに添えた歌や当ブログ記事への同氏のコメントに対する返事に添えた歌などをまとめたものであります。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョン7777さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が交野歩麻呂(かたののほまろ)に贈りたる歌20首あふちの実 冬野の空を 高々に 生(な)りてありけり 見れども飽かず (注)あふち(楝)=センダンのこと 雪舞へど 家内揃へば 大晦日 年の迎へも あたたかなりきいぎたなく あをなにしほと 朝床に あればスギナに 霜も見ざりき (寝枕走子) 道の隈 さやげる笹の 隈笹は 熊喰ふ笹に あらじといへる (佐檜隈麻呂(さひのくままろ))うきあしき ことみなやきて ほむらたつ とんどとむかへな あらたまのとし (ひむろの八一) 忍ぶれど 色に出にけり 歩麻呂ゆゑ 行きて可なりと 妻のいふまで (氷室兼盛)しあはせは ひとそれぞれの かたちにて しるもしらぬも あるもあらぬも (げんやかもち) 我が冬の 屋前(には)にし咲ける 花ぞこれ 見つつ重ねむ 金の盃(さかづき) (冬は酒麻呂)雪景色 見たくと思(も)はば 大雪の 旅人(たびと)にしなれ 春立つ前に (雪見浪速人(ゆきみのなにはびと))昔見し 越(こし)の雪原(ゆきはら) 今日(けふ)見れば いよよさやけく なりにけるかも (大雪旅人(おほゆきのたびと))蕗の薹(たう) 野の辺(へ)にひとつ 萌え出でて 交野遠山(かたのとほやま) 春立つらしも (野上憶良(ののうへのおくら)) 嵐吹く 三室の山は 知りぬれど 歌の嵐は 知識なかりき (氷室の能因法師)三字の書 笑(わら)ひて見ゆは 園児らの 過ぎにし夏の 思ひ出なるや (偐家持保育園) 古(いにしへ)の 人にもならへ い布(し)き折り 酒(き)呑み交はさむ ほほがしはの葉 (注)ほほがしは=朴、ホオノキのことつぼみても 朝にはまたも オキザリス こりずや咲かむ ひともかくあれ 我背子の 大和より見し 生駒山 われ難波(なには)より 見つつありしか大殿(おほとの)の 風鐸(ふうたく)ゆらし 吹きゆける 風は千歳(ちとせ)も 変らずあれど 言の葉の 雨もやさしみ 寄り添はな 人の心の みな美しきしくしくに 糸引く雨の 音なきは 道行く人の 涙なるらしうすべにに 咲くユキヤナギ 一枝(ひとよ)折り かざし花散る 道を歩かな (注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2011.03.24
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銀輪散歩で本日出会った花をアップします。 それから、忘れる前に昨日アップのサンシュユの花の香りについてご報告して置きます。花園中央公園のサンシュユの花、嗅いでみましたが香りはしません。(ハクモクレン) 青空のもと太陽の光を浴びるハクモクレンは、何か燃え立つような元気をくれる花であるが、曇り空の夕暮れ近くになると、何やら寒そうで、感傷を誘うようでもある。<参考>ハクモクレン夕風の 寒けく吹けば 白木蓮(はくもくれん) 地震(なゐ)に失(う)せにし 御魂(たま)かとぞ見ゆ (偐家持)(ミヤマトサミズキ)(同上、別名コウヤミズキ) ホップの実に似たような花。何であるかと調べてみたら、深山土佐水木(ミヤマトサミズキ)のようだ。別名、高野水木(コウヤミズキ)とある。<参考>ミヤマトサミズキ我背子は 今は深山(みやま)の 土佐水木(とさみづき) 咲ける山道(やまぢ)の いづちや行かむ (偐家持)(ネコヤナギ)(同上) <参考>ネコヤナギ妹と見し 去年(こぞ)の春野の 猫柳 芽吹く今年は ひとりかも見む (偐家持)(木瓜)<参考>ボケ(白い木瓜の花)寄り添ひて あるらむものを 木瓜の花 誰し散らして 離さうべきや (偐家持)(ユキヤナギ)(同上)(ユキヤナギ) ユキヤナギも今を盛りと咲いている。近付いて花群の中を覗き見ると、何やら満開の夜桜の並木の中に迷い込んだような錯覚を覚える。<参考>ユキヤナギ桜花 まだ咲かなくも 雪柳 寄りてし見れば 夜桜の道 (偐家持)(花園中央公園遊水池)(同上) 遊水池には青鷺、白鷺、カイツブリが居ましたが、自転車を停めて近付くと、バタバタとみんな飛んで逃げてしまいました。怪しい者ではないのに(笑)。後には、落日の影を映して、さわさわとさざ波が立っているだけでありました。(花園夕照)(花園夕照) やがても蜜柑色の夕日、欄干にこぼれたり・・ではないが、西空を見やるといつのまにか、夕日は蜜柑色に・・。彼の地にありても夕日は慈愛の色にてありますように。かなしみを とどむすべなみ みかんいろ したるゆふひに ねのみしなかゆ (偐家持)(悲しみをとどむ術無み 蜜柑色したる夕日に哭のみし泣かゆ)<追記・注>「ハクモクレン」及び「木瓜」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.22
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本日は朝から雨。午後からは止んで薄日も射したりしたが、銀輪散歩はお休み、終日家に籠っていました。ということで、ブログ更新に掲載すべき本日撮影の写真はないのであるが、15日の銀輪散歩の折に撮ったサンシュユ(多分そうだと思うのですが)の花の写真があるので、これを掲載して置きます。<参考>サンシュユWikipedia 山茱萸 (さんしゅゆ) (花園中央公園のサンシュユ)(同上)ミモザにも 負けず黄金に さんしゅゆの 咲ける春をし 贈るすべもが (偐家持)冬堪へむ 春は花咲き やまぐみの 秋には赤き 実も生るなれば (偐家持)(同上) 18日の深北緑地銀輪散歩でも同緑地の一角にサンシュユが咲いていました。18日の日記では掲載しなかったので、ここにアップして置きましょう。(深北緑地のサンシュユ) サンシュユとは難しい名前だが漢字で書くと「山茱萸」、中国名をそのまま音読みしたもの。「茱萸」は「ぐみ」のこと、ヤマグミという訳ですな。秋にはグミに似た赤い楕円形の実が生るそうだが、まだその実を見たという記憶がない。秋にはまた「実を見に」行かねば。食べられるそうだから、試食もせねばなるまい。(恩智川で釣りをする人) 恩智川や花園中央公園の遊水池では釣りをする人をよく見かけます。15日は少し寒い日でありましたが、このように釣りをする人を何名か目にしました。<追記・注>タテ長の「花園中央公園のサンシュユ」の写真2枚が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.21
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本日は大学同窓会・青雲会の囲碁サークルの例会に参加して来ました。 調べてみると昨年の9月18日以来で実に半年ぶりの例会出席でありました。10余名の出席で、小生が着いた時には既に5名の方が来て居られました。田〇氏、玉〇氏と順当に(?)連敗し、安〇氏には勝ったものの、次の三〇氏には終盤にうっかりミスで取り込んでいた石が生き返ってしまい、その煽りでこちらの石が死んでしまうという悲惨なことになり大敗。どうも途中で入った電話の後のことにて、自身の迂闊を棚に上げ、その所為にして置くこととする(笑)。 かくて、本日は1勝3敗。通算で4勝9敗。昨夏の囲碁大会の4勝を加えても8勝9敗と負けが先行しました。梅田での囲碁もそうだが、どうも最近はよく考えずにホイホイ打ち過ぎているようだ。 例によって、会場の中之島まで自宅から軽量折りたたみ自転車「トレンクル」で出掛けましたので、往復はいつもの通り、銀輪散歩でありました。 本日は大阪城で写真を撮っただけなので、それを掲載して置きます。土曜日とあって観光客の姿も多く、結構な賑いでした。(大阪城梅林1) 上の写真は大阪城天守閣の近くの石垣の端っこから梅林を見下ろしたものです。下の2枚も同様です。後方に見えるのは生駒山です。(大阪城梅林2)(大阪城梅林3) 生駒山をアップで撮ってみました。(大阪城天守台付近から生駒山を望む。)難波津(なにはと)を 漕ぎ出て見れば 神(かみ)さぶる 生駒高嶺(いこまたかね)に 雲そたなびく (大田部三成(おほたべのみなり) 巻20-4380) 難波の港を西国へと漕ぎ出て行く防人たちが眺めた生駒山はこんな風であただろうか。この山の向こう、東のはるか彼方に彼らの故郷があり、妻や子、父母がいるのである。(青谷門) 北に目を転じると、京橋口の門、青谷門(あおやもん)が眼下に見える。 下の写真は帰途に撮ったもので、今度は青谷門から天守の方を眺めてみました。往路は上の石垣の角から青谷門を撮影したのでありました。(青谷門から天守方向を望む。)(東外堀) 上の写真も帰路のもので、青谷門脇の石段を登って撮りました。<参考>大阪城公式サイト 大阪府・「東北地方太平洋沖地震」にかかる被災地の支援について
2011.03.19
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朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 (藤原定頼) 本日午後にアクセス数が111111を超えました。その形姿は何となく網代木のようでもあるので、百人一首のこの歌が似合うかと(笑)。1111122011-03-18 14:01:1869.63.*.*1111112011-03-18 13:58:12*.e-mobile.ne.jp1111102011-03-18 13:55:45*.e-mobile.ne.jp1111092011-03-18 13:54:4969.63.*.* 網代木をゲットされた方は楽天ブロガーではありませんので、何方とも特定いたしかねますが、アクセス有難うございます。 網代木と来れば万葉のこの歌も外せないでしょうから、掲載して置きます。 柿本朝臣人麻呂、近江国より上り来し時、宇治河の辺に至りて作れる歌一首もののふの 八十(やそ)宇治(うぢ)河(がは)の 網代木(あじろぎ)に いさよふ波の 行方(ゆくへ)知らずも (巻3-264)<大阪府> 「東北地方太平洋沖地震」にかかる被災地の支援について さて、東北の方のこと、原発のことなど気にかかりますが、家に居るより外に出た方が節電にもなるので、午後から銀輪散歩に出掛けました。 この処、南方向が多かったので、本日は北へ。久し振りに深北緑地、野崎観音などを回って来ました。恩智川を北へ。JR住道駅前から寝屋川沿いの道に入り2kmほど行くと深北緑地である。(深北緑地への道 左側堤防の向こうが寝屋川である。) 深北緑地では、柳が青く芽吹き、寒桜などがもう咲いていました。(深北緑地の青柳 後方は生駒山系の山並。)青柳の 糸染めかくる 春風を 包み届けむ みちのくの地へ (偐家持)(寒桜)寒桜 はやも咲きたり 深北の 春日に霞み 生駒山見ゆ (偐家持) ソメイヨシノは未だ固き蕾なれど、寒緋桜の木一本ありたるが、やや咲きてひときは赤く、笑みもて我をさし招くかの如し。(寒緋桜) そして、コブシも咲き、足元にはタンポポやナズナが咲いているのでありました。(辛夷・コブシ)(タンポポ)(同上) 池では白鳥が羽づくろいをしている。鴨たちも日向ぼっこです。(白鳥と鴨) 深北緑地を出て外環状道路(国道170号)を渡り、東へ。JR線踏切を渡り右折。北条中学の前を過ぎて、JR野崎駅から野崎観音へ。(大東市立北条中学校)(JR野崎駅) 野崎観音。いつもは南側坂道を上って山門へと行くのだが、今日は正面から。正面は坂道を登り切ると階段なので、MTBを肩に担いで上らなくてはならない。長い石段、ちょっと息が切れますな。(正面坂道の石碑)(石段上から)※奥の白っぽい処が坂道の最上部、下からは結構の段数である。(野崎観音・本堂) 自転車を山門前で駐輪。門前で休んで居られたご婦人と暫く震災のことなどお話していると、寝屋川から来られた一人の女性が話しかけて来られた。境内を少しご案内し、四条畷神社へと抜けるハイキングコースがあるとお話すると、行ってみるとのこと。そこまではお付き合い致しかねるので、鐘楼裏の登山口でお別れし、小生は帰途に。 境内には馬酔木、椿、杏などが咲いていましたので、ご紹介して置きます。 (アセビ)(杏 桜かと思ったが少し感じが違うので杏かも。) 帰途は旧東高野街道から外環状道路に移り、大阪産業大学の南で恩智川沿いの道に入り、加納の緩衝緑地公園から花園中央公園へと走る。(ユキヤナギ) 恩智川沿いの道の辺には早やユキヤナギが咲き乱れていました。ここのはいつも少し早く咲くようだ。<参考>関連記事その他 深北緑地花散歩ほか(2009年8月19日) 朝は北へ、夕は南へ(2009年5月30日) 銀輪散歩始動(2009年1月6日) またも深北緑地(2008年6月7日) 深北緑地園ガイド のざき観音慈眼寺<追記・注>「同上(タンポポ)」「正面坂道の石碑」「あせび(2枚)」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.18
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レヴィアタン三態 <偐家持が詠める歌3首>レヴィアタン 海ゆ来たりて 町潰(つひ)え 怨嗟と祈りの 空に雪舞ふ福島の レヴィアタンなり な目覚めそ 今し闘ふ 人ぞ雄々しき今ひとつ レヴィアタンあり 円買ひの 貪欲なれる 獣(けもの)にしあり<関係記事>お見舞い申し上げます(2011年3月13日)
2011.03.17
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偐万葉・るるら篇(その6) 本日は偐万葉・るるら篇(その6)であります。 るるらさんとは一昨年2月以来のブログ交流ですが、この程ブログのコメント欄を閉鎖され、歌を贈れなくなりました。で、るるら篇はこれが最終になろうと存じます。最終のコラボです。 <参考>過去の偐万葉・るるら篇はコチラからどうぞ。 偐家持がるるらの郎女に贈りて詠める歌19首 並にるるらの郎女が返せる歌10首 るるらの郎女の返せる歌 夜通して 光る蜘蛛の巣 織り上げた 恋の朝露 薔薇も頬染め (注)上は(その5)末尾の (白玉を 貫きとめよ 蜘蛛の糸 恋の朝露継ぎて見が欲し) の返 歌。行くといふも 行けぬときあり 行けぬゆゑ 行くとは言はず 行けぬと言へり (裏腹の麻呂)行けぬゆゑ 行けぬといふも 行けること あらば行くゆゑ な恋ひそ吾妹 (口先の麻呂)敗残の 兵にもあるや 黒揚羽 破れ片翅(かたはね) 陣の越ゆく (蝶のいくさ) るるらの郎女の返せる歌 ふるさとを 思ひ越えゆく 多々良川 アゲハに思ふ 兵の帰郷を 雨降ると 来ぬはをこなり 火男(ひをとこ)を 待つやお多福 紫陽花濡れぬ (野愚痴雨情) るるらの郎女の返せる歌 雨雲も 通り過ぎ行く 梅雨なれば 晴れてお多福 めでたくもありあじさゐの 届く頃なり 我妹子の 裏の松山 雨な降りそね ゾウの群れ いかにかせむや ハーブの葉 喰はれてるるら ムシもならざり (飼育係家持) るるらの郎女の返せる歌 五つ星 付けられ嘆く ハーブ園 口コミ止める 術(すべ)も知らなくゾウムシを 流すはよけど 過ぎたれば 元も子も無し 梅雨明けたまへ (乙女の実朝) 我妹子の 帰り来たれば 白百合の 花も咲(ゑ)みてや 咲くにしあらむラベンダーの 花と帰り来(く) 我妹子(わぎもこ)も うすきむらさき 秋にも咲くや 色々な こと色々と あり大晦日 今日降れる 雪も吉事(よごと)ぞ 来る年待たな (注)577577の旋頭歌です。冬堪えて 継ぎて咲きにし 山茶花こそ 春の少女(をとめ)と われは言はなむ (山部茶人(やまべのちゃひと)) 朝雀 さにもな恋ひそ 山茶花は 我が恋妻に ありてしあれば (大伴焼餅(おほとものやきもち)) るるらの郎女の返せる歌 焼餅も 梅の蕾も 膨らんで ついでにお腹も 膨らみかなし (小野小腹の涙)透明の 風少し吹く 日だまりに ひらひらしてる 春のはなさき (花咲郎女) るるらの郎女の返せる歌 幕明けて 見れば霞も 風となり 去りつつあとに ひらり彩舞う 春の雪 消えにしのちや 去り行きし ひとのくれたる 笑まひに似たるヘレボルス 咲くをうれしみ 我が庭に エオスの女神(かみ)も 見つつやあらむ るるらの郎女の返せる歌 群青の 幕引きへた 天空に エオスの女神(かみ)の 馬車の音(と)きこゆ (注)ヘレボルス=クリスマスローズ エオス=Eos、ギリシャ神話のあけぼのの女神。 島山(しまやま)に 風花(かざはな)散り来(く) ひさかたの 天(あめ)の苑にも 梅の咲くらし るるらの郎女の返せる歌 里山に 積もるは雪か 花びらか 歩ける道に 足も戸惑ふ遠き日に 母が愛(め)でたる 木瓜(ぼけ)の花 見る人なけれ 今年も咲きぬ咲きぬれど われ朝寒の 隠(こも)り虫 薺(なづな)の花の 雪かと惑ふ (偐虫麻呂) 巣隠()れる 虫も戸ひらき 菜の花の 筑紫春野は 今盛りなり (筑紫虫麻呂) るるらの郎女の追和せる歌2首 田の中で はしゃぎ笑って いる子らの 姿まばゆく 蘇る春 帰れると 言い残し母 旅立って 今意味知った 我のことかと (注)掲載写真はるるらさんのブログからの転載です。<追記・注>「白百合」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.15
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東北太平洋沖巨大地震発生から早や3日目の夜となりました。 被害の甚大さに言葉もありません。 被災された皆さまには心からお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになられた方やそのご家族のお悲しみを思うと心が痛く、涙を禁じえません。そして今なお、救助を求めて居られる方、孤立されている方、一刻も早く救助の手が差し伸べられますように、そのご無事をお祈り申し上げます。おほなゐの うばひしいのち みちのくの ひとしおもへば こころぞいたきおほつなみ うちたふしゆく いへいへの ひとつひとつに ありししあはせちのかみの いかなおもひか きまぐれか などてねこそぎ うばひてゆけるあくしんの つかひなるかや おほつなみ たはたもいへも いましのみゆくひとびとは いづちきえにし あとかたも なくなりにける まちのかなしきいまはもや がれきのやまと なるまちを ゆくひとかなし つまこよぶこゑちちははも つまこもうばひ なにごとも なきかをのうみ そこしうらめしみのひとつ あればよしとし おもへかし なきてののちは まけずあゆまなよりそひて ともにぞいきむ みちのくの ひとにしわれも なすべきなさめ
2011.03.13
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昨日(10日)は、友人の虫飼蝶麻呂氏に誘われて、西宮市夙川公民館で開催の万葉講座を受講して参りました。蝶麻呂氏は昨年も受講されたようであるが、小生は初参加である。万葉講座だけでは勿体ないと、天気も好さそうなので銀輪散歩も兼ねてMTBで行くこととしました。 自宅を朝7時過ぎに出発。講義は午後1時からなので、早く着き過ぎるが銀輪散歩であるので、早やめに出掛けることとした。 コースは梅田までは囲碁例会の時に走るコースと同じである。中央大通りから大阪城公園をかすめて谷町筋に出て、天満橋を渡り大阪天満宮経由天神橋筋商店街を抜けて国道1号に入り梅新交差点まで。梅新交差点を過ぎると道は国道2号となる。囲碁の時は出入橋交差点辺りで右折、北に向かうのであるが、今日は西宮までなので、西行き直進である。 やがて淀川に出る。淀川大橋到着が8時43分。自宅から1時間40分かかっている。(淀川大橋)(淀川 1)(淀川 2) 淀川の次は神崎川を渡る。神崎大橋である。(神崎大橋)(神崎川) 神崎川を渡り暫く走ると尼崎市に入る。武庫川手前までが尼崎市で武庫川を渡ると西宮市である。武庫大橋到着9時40分。自宅から2時間40分掛かっている。橋の上で蝶麻呂氏に電話し、昼飯一緒にどうかと言うが、彼は未だ宝塚市内の自宅にて、12時半に現地に行く予定にしているとのことで、昼食は一人でとることとなる。まだ早いので、武庫川河畔の道や周辺を暫く走り回って時間潰しをするが、さしたる発見もなく、また国道2号に戻って西へ。(武庫大橋東詰)(武庫大橋西詰とMTB) 武庫大橋は石造りの雰囲気のある橋なので写真に撮って置く。(武庫大橋)(武庫大橋) 武庫大橋から眺める武庫川も1枚アップして置きます。武庫川畔の眺めは以前にもアップしているので省略です。<参照>武庫川銀輪逍遥(2010年1月14日)(武庫川。川面に雲が映っている。)水底(みなそこ)は 空(そら)にあるらし 武庫(むこ)の川 春の白雲 潜(かづ)きてあれば (偐家持) 国道2号を行くと小さな森が見えたので立ち寄ってみると八幡神社でありました。拝殿を写真に撮った処で、デジカメが電池切れ。以下の写真は携帯電話で撮影です。(道の辺の八幡神社) 夙川に至り、川沿いを北へと入る。(夙川) 両岸が公園(夙川公園)になっている。桜の木が約1700本も植えられていて、「日本の桜名所100選」にも選ばれているそうな。 公園の一角では児童たちが遊んでいて黄色い声が賑やかなことでした。(夙川畔の地蔵堂)(公園の一角で遊ぶ子供たち) 夙川沿いに、万葉講座の会場となっている夙川公民館の前を通って、阪急夙川駅前まで行き、少し早い昼食を済ませる。昼食後周辺を銀輪散策。(阪急夙川駅)(夙川カトリック教会) 会場の夙川公民館に戻り、受付を済ませ、入場。蝶麻呂氏より電話があり、「今、苦楽園の辺り。間もなく着くので、席を取って置いてくれ。」とのこと。彼も宝塚から自転車でこちらに向かっているようだ。最前列右側に席を確保し蝶が飛んで来るのを待つこととする(笑)。(池の上に建つ夙川公民館)(万葉講座看板) 今日の講座のテーマをこの看板を見て初めて知る。何と「家持」ではないか(笑)。講師の山内さんは犬養万葉顕彰会の関係でお名前は夙に存じ上げていましたが、お顔を拝見するのは初めて。蝶麻呂氏によると彼と同じく甲陽学院高校ご出身なので高校の同窓生になるとか。 講義は家持の生涯を概観しその歌を通して天平時代を眺めてみようというもの。家持の生涯とその歌の鑑賞は、一昨年の若草読書会のお花見で小生が講義したのと似たようなテーマであり、その折に調べたことや知識を復習しているみたいな気分でありました。 講義は午後1時から4時半まで途中15分の休憩を挟んで3時間を超えるものでありました。休憩時間には、昨年12月の星田妙見宮万葉歌碑除幕式以来のN氏とも偶然再会。今回も自転車でやって来たとお話すると呆れられました(笑)。その折には自宅から会場までは2時間半と申し上げましたが、勘違いで3時間でした。更に呆れられてしまいますな。 講義終了後喫茶店で蝶麻呂さんと暫し閑談したる後、国道2号を東へ一緒に走り、西宮駅付近で蝶麻呂さんと別れる。暮れかかる国道2号を一路東へ。淀川に差しかかる頃にはもう暗くなっていました。(淀川夜景。梅田方面を望む。) 大阪城大手門前まで帰って来たのが午後7時16分。さすがに帰途は疲れがたまって来たのか、途中での寄り道などロスタイムもないのに朝の往路よりも時間がかかっている。暗くなるとスピードも落とし勝ちになるが、脚の筋肉が疲れていてスピードを上げても長くは続かないのでありました。(夜の大阪城大手門) 自宅近くの坂道はもう喘ぎながら上って行きました。帰宅は8時半ジャスト。3時間半近くかかったことになる。今日は久し振りに少し太腿が筋肉痛である。
2011.03.11
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今日は囲碁例会の日。自転車で出掛けました。いつもはトレンクルなのですが、今日はMTBで行きました。 往路、大阪城公園の「ピース大阪」の西側にある石碑に気付き、近寄ってみると「城中焼亡埋骨墳」とある。何度も前の道を走っているのに今まで気が付かなかったようです。(城中焼亡埋骨墳) これが何であるかは下の説明板の写真をご参照下さい。 さて、碁の方ですが、出席者は福〇氏、竹〇氏、荒〇氏、平〇氏、青〇氏と小生の6名。小生の成績は始めに福〇氏に辛勝したものの、荒〇氏、青〇氏には、見落としがあって大石が死ぬ羽目となり、中押し負けで、1勝2敗。どうも調子が出ない。まあ、これが実力ですかな。 帰路の写真などをご紹介して、本日の記事といたします。先ず天満橋の上から、水上バスを撮りました。通常目にするのは右側に見えるタイプの水上バスですが、左側のようなレトロタイプのものもあるのですな。(水上バス) 大阪城公園に差し掛かり、建て替えられた大阪府警察本部の庁舎も1枚撮影。左手奥に見えているのはNHK大阪の建物。(大阪府警本部) 大阪城公園の中を一回りして噴水広場を経由してJR森ノ宮駅前から中央大通り(国道308号)に出て、東へ。(大阪城公園噴水広場) 近鉄東大阪線吉田駅前で右折、南へ。花園中央公園・ラグビー場に向かう。ラグビー場のすぐ西側に花園図書館がある。建物が野球帽を被っているみたいなので、これも撮影。(花園図書館)(花園ラグビー場メインスタンド) さて、次の写真が本日のメインです。花園中央公園に立ち寄った目的は夕照風景を撮るためでありました。高校ラグビーのメッカ、花園ラグビー場のメインスタンドも西日に映えて金色に輝いているのでありました。 しばし、暮れなずむ花園中央公園の夕照銀輪散歩であります。(花園夕照・その1)(花園夕照・その2)(花園夕照・その3)なつかしき 色に染みたる 花園の 夕べの空を 恋ひて来しわれ (偐家持)落陽は 慈愛の色と 歌ひたる 人にしなけど 恋ひて来しわれ (偐家持) 葉を落としきった木々の枝と夕照が織りなす景色はただひたすらに美しい。振り返って生駒山を眺めると、山の端の雲も薄紅色に染まっているのでありました。(生駒山夕照)神さぶる 生駒高嶺に 立つ雲の 茜に染みぬ 妹恋ふらむか (偐家持)
2011.03.09
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偐万葉・カコちゃん08篇(その5) 本日は偐万葉シリーズ第96弾、偐万葉・カコちゃん08篇(その5)であります。カコちゃん(カコの郎女)さんとは一昨年の3月からのブログ交流となりますが、偐家持が「カコの郎女」さんにお贈りした歌も今回で丁度100首となり、大台に乗りました(笑)。100首以上となるのは8人目になります。 今日は「ミモザの日」にて男性が女性にミモザの花を贈る日とか。この日のことを教えていただいたのがカコちゃん08さんでもあってみれば、この日に彼女の偐万葉をアップするのも、不思議な廻り合わせということになりますな。 <参考>過去の偐万葉・カコちゃん08篇はコチラからどうぞ。 カコちゃん08さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がカコの郎女に贈りて詠める歌20首ヴィオロンの 少女(せうじょ)に恋を したる日の ごとにぞ赤き 窓のカフェなり コスモスは 風の子空の子 野山の子 大空駆けむと 今しも咲ける (秋桜郎女)夕風に そより紛れて その色に 青きサルビア 似つきもぞする (青衣郎女) 秋風に 恋ひてぞあれば かはせみの 色も笹間に 隠さうべきや (翡翠郎女)青首と 薩摩の芋に 迫られて なすすべなかり トーマス秋茄子 (神学大膳) 八雲立つ 春の桜も よかれども 秋たそがれの もみぢこそわれ (濃墨七雲(こいすみななくも))奴名川(ぬなかは)の 玉ぞ得難き 川蝉の 青き一閃 水面(みなも)し打てりLA(ラ・) VIE(ヴィー)と 書きて生きめと 生命(いのち)なき ものに告(の)りてや 何語らしむ (静物と生物) 行き逢ひの 坂にしあれば もみぢ葉の 秋の暮れ道 ふたりし行かむ (偐加古郎女)年々に 秋はあれども もみつ葉の 今燃ゆ色は 今のみにして 電飾は つばらに降れる 冬の夜の 微塵の星ぞ われも童女(わらはめ) (童夢娘子) 初春の 空の色の葉 くれなゐの 花はわが情(おも)ひ 熱き血の色 (卯謝野晶子) 鬱金香(うこんかう) 瓶子(へいし)に三本 うすあかきを 刺してもみたり 春にしあれば (チューリップの郎女) (注)鬱金香=チューリップの別名春や待つ くれなゐ匂ふ をとめらし 妹が屋戸にし さ百合の咲けば (雄神川家持) 万国橋 由来は知らね 横浜の 戦後を見つつ ここにしあれり (過去郎女)まだ節分 咲かぬかさくら 武家屋敷 下駄のはな緒は 春日(はるひ)にぞ咲く (下駄履き家持) 朝鳥の 来鳴く窓辺に チューリップ 咲きて大空 春の色なり (赤頭巾ちゃん)我妹子の ブログにも早や チューリップの 春のまた来て 窓辺に咲けるガーベラの 運び来たれる 春の日の 光やさしみ 野辺にぞ出でな (ガーのべラ麻呂) 恋ひつつも 明日香の春野 咲く花の なほしぞ秘めむ たちつぼすみれ(注)掲載の写真及び絵画はカコちゃん08さんのブログからの転載です。<追記・注>「ブルーサルビア」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.08
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第74回智麻呂絵画展 今日は朝から雨になりました。こういう日は智麻呂絵画でも眺めながら家でゆっくりおくつろぎ下さいませ。朝の内にこう書いて下書保存して居りましたが、朝の雨はいつしか止んで、午後からはお日様も出て参りました。まあ、好いお天気です。しかあれど、本日は智麻呂絵画展でお楽しみ下さいませ(笑)。 第74回展の開催であります。多数のご来場お待ち申し上げます。(明日香のスミレA) このスミレは和郎女さんが先日智麻呂邸にお持ち下さったものです。 一昨年の11月に若草読書会で明日香旅行をいたしましたが(下記「明日香小旅行」参照)、その折に明日香の野辺で和郎女さん達はスミレを採取されたようです。その野のスミレを和郎女さんはご自宅に持ち帰り、鉢植えにて大事に育てられていらしたとのこと。昨年の春は花をつけなかったのかどうかは存じ上げませぬが、今年は見事に花を咲かせたということで、その鉢植えを智麻呂邸にお持ち下さった、という次第。 昨日、智麻呂邸で小生もその可憐なスミレの実物(下記写真「明日香のスミレB」)を拝見し、春野の気を感じると共に、一昨年の明日香小旅行のことも懐かしく思い出されたものでありました。 <参考>明日香小旅行(2009年11月29日) (続)明日香小旅行(2009年11月30日) 明日香小旅行下見(2009年11月24日)(明日香のスミレB) 和郎女さんがお持ち下さった「明日香の菫」の実物写真。大きな鉢に植えられています。フラッシュをたいてしまったので、花の色が薄くなってしまいました。 智麻呂画伯も春野のすみれ、いたくお気に召したようにて3枚も描かれていました。明日香野の すみれ描(か)かむと せしわれぞ 花なつかしみ 三枚(みひら)も描(か)けり (山部智人(やまべのともひと))(明日香のスミレC) 上の「山部智人」さんの歌は、勿論山部赤人のかの有名な次の歌のパロディであります(笑)。春の野に すみれ摘みにと 来(こ)しわれそ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける (巻8ー1424)(明日香のスミレD) すみれの万葉歌というと赤人の上の歌が先ず思い浮かぶのですが、さらに2首ご紹介して置きましょう。山吹の 咲きたる野辺の つぼすみれ この春の雨に 盛りなりけり (高田女王(たかだのおほきみ) 巻8ー1444)茅花(ちばな)抜く 浅茅(あさぢ)が原の つぼすみれ いま盛りなり わが恋ふらくは (田村大嬢(たむらのおほをとめ) 巻8ー1449)(苺A) 苺たちが何やら顔寄せ合って相談している風でもありますが・・さて、何を相談しているのでありましょうか。 ルターの宗教改革「一語否(いちごいな)」(1517年)と覚えたことなども思い出されました(笑)。ジャスミン革命ならぬイチゴ革命であります。(苺B)(伊予柑) この伊予柑は恒郎女さんの大学時代のご友人からの贈り物とか。彼女は恒郎女さんよりも学年が下の後輩で、とても勉強の出来た方で、そうでもない(失礼。恒郎女さんご自身のお言葉でありますので<笑>。)恒郎女さんと何故か気が合い、親しくお付き合いされ、それが今に続いているという。現在は或る外国語大学の先生をなさっているらしいのですが、郷里が伊予松山なので、よく伊予柑を贈って来て下さるらしい。坂の上の雲、ならぬ「坂の上の蜜柑」であります(笑)。 さて、この伊予柑、先日のバレンタインチョコのSちゃんにもお裾分けなさったようですが、何故かヤカモチもお裾分けの栄に浴しましたな(笑)。とても大きくて甘い蜜柑でありました。(桃) すみれの花が赤人なら、桃の花は家持です。春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下(した)照(で)る道に 出で立つ少女(をとめ) (大伴家持 巻19ー4139)(ショートケーキ) このショートケーキは前回訪問の際のけん家持が手土産にお持ちしたものの一部。その日は木曜日でありましたが、木曜日は智麻呂さんのリハビリ支援のためにトレーナーの理学療法士のTさんが午後からご訪問下さる日でもある。何度か智麻呂邸で顔を合せているうちに親しくなったTさん、なかなかの好青年である。彼ならケーキがよかろうといつもの和菓子を洋菓子に変更したのでありました。智麻呂さんが絵に描きたいと指定されたものを除いてティータイムに皆で一緒に戴きました(笑)。そして、除外されたケーキは、本日このような美味しそうな絵に。ご馳走様です(笑)。ひろろさんが仰るように2倍美味しいのでありますな。<参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ <追記・注>「明日香のスミレA」「明日香のスミレC」「苺A」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月8日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.07
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本日は墓参の日。本来は2日が墓参の日なのであるが、最近は第一土曜日か日曜日になることが多い。今月も2日が囲碁の例会であったので、今日にずれ込んだ次第。 墓は生駒山系の山裾の高みにあるので、西方の眺めは素晴らしい。空気が乾燥しているからか、淡路島や六甲の山並みも一望である。と言いつつよく考えると、その眺望の写真は撮っていなかった(笑)。過去の墓参の記事には掲載していますので、ご参照を。<参考>2010年12月29日「煤逃げ墓参」 2010年3月8日「同期会」(墓参) 墓石に家紋が彫ってある。我が家の家紋は桜である。椿や桜は縁起が悪いとして武家は家紋にはしなかった、というようなことを何かで読んだ記憶があるから、先祖は武家でないことだけは確かだろう。家紋は桜だが墓石に刻まれている曾祖父の名は梅吉である(笑)。この梅吉さんは小生の生まれる前に亡くなって居られるので記憶がないが、曾祖母は小生が3、4才の頃まで存命であったので、ぼんやりと記憶している。大阪のおばちゃんらしく、いつも飴を持っていて、縁側で日向ぼっこしながら、その飴が目当てで曾祖母と並んで座っていたような気がするのである(笑)。(桜の家紋) 墓の帰り道で目にした花たち。(沈丁花)(サンシュユ)山茱萸(さんしゅゆ)は 春の霞と 咲きたれば まだ朝寒も 明日は啓蟄 (偐家持)(パンジー) 高々とハクモクレンが今にも咲き出しそうに空に張り出していましたが、こういうのを目にすると、何やら自然と春の喜びなるものが内側から湧き出して来る気分になります。(ハクモクレンの蕾)大空へ 飛び立たむとす 木蓮の 白き蕾の 春の朝なり (偐家持) そして、何と言う名かは知らないが、小さな可憐な花が一輪咲いていました。うすべにの ちひさき花の 奥にもや 暗き宇宙の 神秘のあれる (偐家持)
2011.03.05
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昨日に続き今日も時々風花が舞う寒い一日となりましたが、午後から恩智川沿いのいつもの銀輪散歩道を南へ、大和川まで走って来ました。友人の偐山頭火氏に頼まれていた冊子を手渡すためもあって、この方面への銀輪散歩となったものであります。12時15分自宅を出発。 何と言ってテーマもありませんので、小生の銀輪散歩道である恩智川沿いの道を写真でご紹介することといたします。(恩智川沿いの道・東花園付近)(恩智川沿いの道・池島付近)(池島弥生橋) 弥生橋の東側には池島遊水池公園がある。(遊水池公園・弥生橋の上から)(恩智川沿いの道・弥生橋南詰)(恩智川沿いの道・八尾市上之島付近)(恩智川沿いの道・八尾市高安付近) 八尾市から柏原市に入り、法善寺付近から恩智川は細流となり、太平寺の手前で流れは東方向に曲がるので、恩智川沿いの道は、ここでお終い。国道170号に出て、南へ1kmほど走ると大和川に出る。 偐山頭火氏に冊子を渡して用を済ませた後は、大和川沿いを走る。国豊橋を過ぎ、府道183号(本堂高井田線)を直進し、JR関西線の鉄橋を潜った処にある芝山橋で大和川を渡ると芝山である。大和川はこの芝山を廻って大きく蛇行している。(芝山)(芝山橋。手前が大和川、右手の山が芝山である。)(注)芝山と芝山橋の写真は今回撮っていなかったので昨年の12月5日の銀輪散歩 で撮ったものを使用しています。 芝山は万葉集巻9-1751の高橋虫麻呂の歌に出て来る「島山」のこととされている。(歌意は上の12月5日銀輪散歩の記事に記載しています。) 島山を い行きめぐれる 河副(かはそひ)の 丘辺(をかべ)の道ゆ 昨日(きのふ)こそ わが越え来(こ)し か 一夜(ひとよ)のみ 宿(ね)たりしからに 峯(を)の上(うへ)の 桜の花は 滝の瀬ゆ 落ちて流 る 君が見む その日までには 山下(やまおろし)の 風な吹きそと うち越えて 名に 負へる社(もり)に 風祭(かざまつり)せな 芝山をぐるりひと廻り。途中で舗装された登り道があったので、自転車で上って行ったが頂上手前で行き止まりでありました。先はケモノ道のような道で自転車では入れない。今日はMTBであるから、トレンクルのように肩に担いで山の中に入って行くという芸当は出来ない(笑)。それに風花が舞い落ちて来たので引き返すこととした。国分神社の前を通って国豊橋へ。(芝山の中腹から大和川を望む。)島山(しまやま)に 風花(かざはな)散り来(く) ひさかたの 天(あめ)の苑にも 梅の咲くらし (偐家持) 上は、本日のるるらさんのブログに書き込んだ歌ですが、当ブログ記事にこそ相応しい歌のようでもありますので、追加で此処に記入して置くことといたします(笑)。(国豊橋上から大和川上流を望む。中央奥白い建物の裏山が芝山。)(大和川。中央は大和川に注ぐ石川である。) 大和川に別れ、再び恩智川沿いの道を走って帰途に。途中でよく立ち寄る喫茶ナナで珈琲休憩。(カフェ・ド・ナナ) 帰途は道の辺の花などを写真に撮りながらのんびり走る。(桃の花)(水仙)(木瓜) 往路では気付かなかったが、恩智川の川面では鴨たちが群れて遊んでいました。しかし、風花の舞う冷たい風に少し寒そうです。「葦辺ゆく鴨の羽交ひに霜」が降るほどではありませぬが。(鴨) 恩智川に別れて、近鉄東花園駅前でケーキを、花園ラグビー場前で和菓子を家づとに買い求め、午後4時過ぎに帰宅。約4時間の銀輪散歩でした。(花園ラグビー場)(ラグビー場の歌壇の葉牡丹)<追記・注>「恩智川沿いの道・八尾市高安付近」「桃の花」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月9日これらを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.04
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偐万葉・童子森の母篇(その4) 本日は桃の節句。あかりをつけましょぼんぼりに・・ですが、本ブログは偐万葉シリーズ第95弾、偐万葉・童子森の母篇(その4)をお届けすることといたします。 <参考>過去の偐万葉・童子森の母篇はコチラからどうぞ。 童子森の母さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が童子桜郎女に贈りて詠める歌16首 並びに童子桜郎女の作れる歌2首ほか 童子桜郎女の作れる歌山眺め 心狭きと 思へる日 前に進めと わが影かたる (童子桜) 満天の 星は変らね 満天星(だうだん)は もみぢ降り積み 冬に向くらし月星(つきほし)の いづくや暗き 夜の更けて 林檎畑に 雪降り続く 猫たちの 夢見のうちに さ夜の雪 いつし降れるや ほの明かりたるウニ食はば 三つずつ食はね 山と積み 残らず食はね 甘き身の へにこそ死なめ おかはりはせじ (大伴ウニ持) 上は、童子桜郎女のウニを好むと聞きたれば、偐家持戯れに作 れる歌なり。 (元歌)・・・海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍 おほきみの 辺にこそ死なめ かへりみはせじ・・・ (大伴家持 万葉集巻18-4094)二人見し 雪野の朝の 晴れたれば わが待つ春も いやそこならむ (クーのシー麻呂) 雪の壁の 先に朝日(あさひ)の あるならむ 津軽の人は なづまず行()ける (大雪旅人(おほゆきのたびと))カランコエ カランコロとか 言ひしひと ありと笑みつつ 津軽に咲ける (ゲゲゲの郎女) (戯れ詩) 西の魔女が死んだと聞いたら、行って慰めてやり、 東の魔女に子が生まれたら、一緒に喜んでやり、 南の魔女がもめていたら、喧嘩するなと仲裁し、 北の魔女が悲しんでいたら、ともに泣いてやる、 津軽の魔女はそんな魔女になりたい、と言ふのでありました。 (宮沢変治) (童子桜郎女の返せる戯れ詩) 笑はれちまった二人組に 今日も 優しいたよりあり 癒されちまった北の魔女 今日は 風さへあたたかい (中原童子)雪おろし わが打つ腰の 痛みかも 津軽の夜は ギシギシいへる (見舞の家持) 銀輪を 五台つらねて 過ぎゆきし あとの雪だるま 灯篭まつり (実行委員会)朝床を 出でてぞ見れば ゼラニウム 薄桃色の 春や立つらし (猫春団治) 童子桜郎女の返しける歌 ぱらぱらと 春まつ前夜 豆まきて 桃色花に 福願う母 (豆まき童子)わが里は 春にしあれり みぢのぐの 津軽に春の 来(く)らまくはのち (変武天皇)梅の花 桜と共に 津軽へと 今し立ちぬる 春しまし待て (偐春待)玉かぎる 夕さり来れば 雪踏みて 恋ひぞ来にける 灯篭まつり (弘前式部)さ夜更けて 灯(ほ)明かり恋(こほ)し 雪の道 うつつも夢も うすきむらさき (弘前式部) 高山の 雲間に咲くとふ 雲間草 津軽も春と 今しぞ咲ける (雲間草持)雲の間の 花は咲きたり 桃色の 春を津軽に 告げ来たるらし (雲間草持) (注)掲載の写真は全て童子森の母さんのブログからの転載です。
2011.03.03
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本日は囲碁の例会。梅田スカイビルまでトレンクルで銀輪散歩して来ました。出席者は青○氏、福○氏、竹○氏、平○氏、荒○氏、村○氏と小生の7名。本日も不調にて、荒○氏には勝ったものの、青○氏、福○氏、村○氏には敗れて前回同様の1勝3敗でありました。これで今年の通算成績は7勝9敗となり負けが先行です。 帰路はいつものコースではなく空堀商店街を通り抜けましたので、第64回智麻呂絵画展で智麻呂氏がスケッチされた空堀商店街入口の風景を写真に撮って来ました(笑)。絵と見比べてみて下さい。(空堀商店街。谷町筋からの入口。) 商店街を東へ、谷町筋を渡り上本町筋方向へと抜けると熊野街道に出る。雨がポツリポツリ降って来たが、雨具を取り出すのも面倒なのでそのまま走る。少し濡れたが大したこともなく家に到着。久し振りの銀輪散歩でありました。(熊野街道)<追記・注>「熊野街道」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月9日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2011.03.02
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