神戸シネリーブルで、「マリウポリ」を観た。 110 分。日に一回だけの上映。ナレーションなし、 BGM なし。特にドラマチックな場面があるわけでもなし、淡々と様々な情景が流れるだけ。見ている間は「何という退屈な映画だ」と思っていたのだが、映画館を出て元町から阪神の各停に乗って、メモをつけ始めるといろんなことが鮮明に浮かんできた。
たいていは見渡す限りのがれきの山。地平線の向こうに小さく夕日が沈んでいく。
女性二人の会話。トイレに行こうとしたら爆撃があって、慌てて家に飛び込んだ。とか。
ぺしゃんこになった家の屋根の上に十数羽の鳩が止まっている。「 300 羽いたんだ」と住民。
そういえば、最初の方で、「これ近くに落ちてきた奴で、まだ熱いけれど拾ってきた」と知人に渡す男性。受け取った方も「またかなり熱いなロケット砲の破片かな」なんてことを言っている。
スタッフとの会話もない。少なくとも「なぜここにとどまっているのですか ? 」という質問もなく、「それは〇〇だからだよ」という答えもないままドキュメンタリーは進んでいく。
室内で撮っているから映像は概して暗い。青空が出てくるとほっとする。
ドキュメンタリーとしては、「ニューヨーク公共図書館」なんかは、それ自体がドラマという映像に溢れていたから全く退屈しなかった。
しかしこの映画は、観客がスクリーンの映像から意味を読みとらねばならない。だからナレーションがない。 BGM の代わりに砲声、爆発音、機関銃の音が聞こえる。
「マリウポリ」と言っても、どこの地区かもわからない。アゾフスターリ製鉄所も出てこない。ロシア軍のこともウクライナ軍のことも出てこない。
観る人間にこんな感情を起こさせようといった誘導もない。
ただ、画面に映っているのは荒涼とした廃墟のような地域に夕日が沈むシーン ( ここはやや長めのショット ) 、火が燃え、煙が立ち上る市街地のどこか。だが、馬鹿でもわかるのは、此の荒涼たるがれきの山を築いたのは誰なのか、そのことによってこの地域に住む人たちの生活はどうなったのかという事を問い、考えることではないか。
映画「マリウポリ 七日間の記録」のサイトからこの映画についての情報を紹介する。
2022 2 月 24 日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。ウクライナ東部の都市マリウポリは、ロシア軍の砲撃によって廃墟の街と化した。 2016 年に同地の人々を記録したドキュメンタリー「 Mariupolis 」を制作したリトアニア出身のマンタス・クベダラビチウス監督が、侵攻直後の 3 月に現地入りし、破壊を免れた教会に避難した市民たちと生活をともにしながら撮影を開始。死と隣りあわせの悲惨な状況下に置かれながらも、おしゃべりを交わし、助け合い、祈り、また次の朝を待つ人々の姿を映し出す。
取材開始から数日後の 3 月 30 日、クベダラビチウス監督は現地の親ロシア分離派に拘束・殺害されてしまうが、助監督でもあった婚約者によって撮影済み素材は確保され、監督の意志を継ぐ製作チームが完成に漕ぎ着けた。同年 5 月に開催された第 75 回カンヌ国際映画祭で特別上映され、ドキュメンタリー審査員特別賞を受賞。
最初の方の画面を見ると、「マリウポリ 2 」と出てくるのは、そういう意味である。映画自体の制作過程が大変な悲劇の中で行われたものであり、その面での注目を浴びているのだが、映画自体もじっくりと反芻すると、とんでもない量のメッセージを含んでおり、「観る側」の努力が必要とされる映画だと思う。
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