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これほど短期間に、これほど多数の人が騙される光景は実に恐ろしいものだった。斎藤知事が失職という道を選んで行われたのが今回の選挙であったが、百条委員会で数々のパワハラが明らかになり、斎藤氏はそれをおおむね認めていた。 その中で頑なに拒否していた点が二つあった。一、 斎藤氏のパワハラを告発した西播磨県民局長の死に対する「道義的責任」。二、 公益通報者を保護するどころか、犯人探しをし、パソコンを取り上げ、クビにした件についての責任を認め、それは間違っていたという謝罪。 斎藤氏は、知事選に立候補し、一人で駅頭に立ち、自らの潔白を訴えた。たった一人という日が続いたが、彼を囲む人々の輪が広がり始めた。 淡路島出身の立花氏が、知事選に立候補、自らの当選は目指さず(「立花に投票しないでください」とポスターには書いてあった)。彼は、選挙期間中に二枚のポスターを貼っている。一枚目は、「暴言事件」で辞職した明石市長の泉氏が勝手連に担ぎ出されて当選した例を引き合いにだして、斎藤氏への支持を訴えるポスターだった。 二枚目は、実に悪質で、公益通報者の自死の原因は、十人もの女性と不倫を重ねてそれが公になりそうになったから自死を選んだという文面であった。 私たちは「情報」をどこから取るか?テレビ、ラジオ、新聞、そしてSNS。さらに「うわさ話」というものがある。 「斎藤氏は、旧態依然たる井戸県政の生き残りを図る抵抗勢力によってやってもいないパワハラをでっち上げられた」。「付箋を投げつけることがパワハラですか?」といった文面がSNSで、或いは「うわさ話」として拡散された。 斎藤氏に投票したという人が、「何が本当か分からん。斎藤さんはパワハラなんかしてないと聞いたよ」と言っていたのが大変に印象的であった。 斎藤氏が当選し、県庁に登庁した日、斎藤氏を支持した人たち(女性の姿が目立った)が、声を張り上げ、花束を持って氏を迎えた。「まるでアイドル」と評した向きもあった。 私も、「ああ、彼はアイドルになったんだ」と思った。 そして、百条委員会の委員長の自宅の前に街宣車で立花氏は乗り付け、散々に暴言と誹謗中傷をがなり立て、最後に、「自殺したらアカンからこれぐらいにしといたるわ」と捨て台詞をはいている。 これは、一兵庫県だけの問題ではない。一、 公益通報者は保護しなければならないという非常に大切な原則が知事選という場で踏みにじられたという点。二、 立候補の目的を自らの当選を目的とせずに他候補の当選を目的とする候補者が今後も現れたらどうすればいいのか?これは公職選挙法違反ではないのか? 三、SNSによる誹謗中傷を野放しにし、脅迫まがいの言動によって真実を明らかにしようという公的な組織に属する人々が、耐えられなくなった家族の懇願によってその職を辞する選択をしたこと。 傑作なのは、斎藤氏が、「SNSによる誹謗中傷は取り締まらねばならない」と発言している点だ。条例を作るそうである。彼は、一貫して立花氏との連携を認めていない。この言い訳がいつまで続くか見ものである。 公益通報者に対する保護が行われなかったという点について、所管している消費者庁が動くというニュースに接した。 斎藤氏が認めていない「公益通報者に対する迫害」については、あの橋下氏も批判しているようだ。 「急速に作り上げられた多数派」には注意した方が良いという声がSNSに上がっていた。 「民意」を振りかざす人が居る。「当選したら禊は済んだ」という愚にもつかぬ声を何度私は聞かされたか。衆院選での萩生田の当選がいい例である。 なぜ「短期間でこれほど多数の人が騙されたか」という一件は、80年以上前のナチスを支持したドイツ国民の例、犯罪者トランプを大統領に選んだアメリカ国民の例とともに私が考えねばならない一件となった。
2024.11.21
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N党という四分五裂した政党を作った立花孝志が、兵庫県の知事選に立候補して失職という道とを選んで再び知事選に出馬した斎藤を応援している。 「百条委員会、第三者委員会の調査も斎藤知事が白か黒か(結論は)出ていない」と立花は発言しているが、斎藤の数々のパワハラ、おねだり行為が白日の下にさらされ、県議会のすべての会派(百条委員会の設置に最後まで抵抗した維新も含めて)が斎藤に対する不信任案を提出し、斎藤が失職した事に対して「白か黒か結論は出ていない」とはよくも言ったものである。この男の体質はトランプと同じであるようだ。 最近の動画では、公益通報をした県民局長を、県のパソコンを私用に使い、自分の不倫の証拠がばれると自殺したと暴言を吐いている。 不倫どうのこうのについては、私はあずかり知らぬことではあるが、ピン!と来たことがある。日米間の沖縄返還を巡る密約をすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者の功績は大きなものであったのに、情報提供者であった女性との不倫関係の方がクローズアップされ、密約そのものに対する追及がうやむやになってしまった一件である。澤地久枝さんが『密約』という本を書いておられるので興味のある方は一読をお勧めする。 立花は、「机を一回ドーンと叩いて、付箋紙を一枚壁に投げつけただけ、これをパワハラというのか」とも言っている。 上記の事項は、百条委員会で斎藤も認めたパワハラ行為の百分の一にも当たらない。訪問した施設の玄関から少しばかり離れたところに車が止まって、歩かされたことに対して怒鳴り散らしたり、エレベーターのボタンを職員が押していなかったこと、待たされた事にも怒鳴り散らしている。浴衣を着なければならない時、わざわざ着付け師を用意させている。ナルシストである。 自分が、井戸県政を継続しようとする「抵抗勢力」の犠牲者であるかのように偽装しようとする斎藤を立花はデマを振りまき、百条委員会で明白になった事項を捻じ曲げてまで擁護する。 もしも斎藤が再選されるようになったら、兵庫県民は健忘症であると他の都道府県民から罵られても仕方がなくなるだろう。
2024.11.07
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トランプが大統領になった。 複数の裁判で敗訴した犯罪者を国民が選んだという事が信じられない。彼に一票を投じた有権者にとっては彼が嘘を平気で垂れ流すことも問題ないようだ。支持者にとっては彼の発言こそが真実であり、マスコミの報道が嘘なのだろう。 「ウクライナ問題はすぐに終わらせる」「ガザの問題もすぐに終わらせる」と発言しているが、どういう「終わらせ方」をするのかは明言していない。 ウクライナについては、ロシアがウクライナ東部を占領している現状を承認する形での「停戦」をウクライナに強いるのではないかと予測されている。 ガザの「終わらせ方」は、分からない。ネタニヤフは「ハマスの殲滅」を掲げているが、4万人超の住民を殺戮しておいてそんなことは不可能である。 ガザ住民を全員エジプトに追放して、ガザを無人地帯にすれば可能かもしれない。娘婿のクシュナーがガザの不動産を手に入れようとしているという情報を目にしたことがあるが、これはガセネタかも知れない。 ただ、「ガザ問題の解決」は、イスラエルサイドからすれば、「イスラエルの安全保障」が条件であるから、あり得ないケースではないかもしれない。 ウクライナ支援に使われていた金はイスラエル支援に回されるだろう。 ハリスが失速した原因の一つとして、アラブ系の有権者が、バイデン・ハリスがイスラエルに対する実効的な抑制策をとらなかったことへの不満が挙げられていたが、トランプが当選した場合何が起きるかを考えなかったんだろうか? 当選したトランプが何をするか? 日本に対してはアメリカ製品の購入(武器など)の義務化、軍事費の増加が求められるだろうし、USスティールの買収もトランプの提示する条件を呑まなければ頓挫するだろう。 買収によってしかUSスティールが生き残る道はないとされていた案件はどのような結末を迎えるか。 彼は、大統領に就任して何をやるか? まずは、自らに対して恩赦を決定するんだろうか?
2024.11.07
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「虎に翼」が終わったので、とりあえず「おむすび」の第一回を見た。入学式の日なのだろうか、新しいクラスの担任が一人一人の名前を呼びながら、ヒロインのお姉さんがいかにとんでもない伝説の人であったかをクラス全員の前で語る。そしてその後ヒロインはいきなり海に飛び込む。港に来ていた兄弟のうちの弟の帽子が風に飛ばされて困っているのを見過ごしにできなくて飛び込んだという設定になっている。そのシーンでは勿論髪も制服もずぶぬれである。しかし彼女が海から上がると髪は乾き、制服も普段通りになっている。そして、最後に、「ギャル」がバーン!と出てくる。ここまで見て、今回の朝ドラは見ないことにした。個人のプライバシーを公にしたり、海に飛び込んだ後で髪と服がすぐに乾いているなどが気に入らない。ただ、髪と服の一件は「そういうもんだ」とスルー出来ることかもしれない。第一回が始まった「無能の鷹」を面白く観たのだから、「荒唐無稽」が徹底されていればいっそのことすっきりするが、なにせ脚本が面白くない。で、今は、毎日ちびちびと「虎に翼」を見ている。5月の末に事故に遭って手術、入院となり8月の末まで病院で過ごしたことは以前書いたが、その時に娘に「虎に翼」を録画し、ダビングしておいてくれるように頼んだことが生きることとなった。4、5月の放映分は観たら消していたので仕方ないが、6月から9月分までDVDでいつでも見ることが出来るのはなんとも幸運である。台詞の一言づつ、カメラワーク、シーンの切り取り方すべてに目を配ってみている。9月から始まった授業の予習もやっているのだが、今のところ、デカルトでつまづいている。彼の膨大な「デカルト革命」とまて称される業績をいかに1時間に収めるか・・・。どこをカットするか考えなければならない。
2024.10.13
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関西学院大学の2024年度後期オープンセミナーを受講した。 全三回。共通テーマは「アメリカ大統領選挙の政治経済学」。本日(24年10月12日)のテーマは「アメリカ大統領選挙 2大政党制の歴史」。担当は、国際学部・宮田由紀夫教授。 元々は400人程度と見積もられていたのが、申し込みが450人あり、かなり広い教室はぎっしりいっぱい。講義は2時間であったが、1時間経過して10分ほどの休憩時間にはトイレに長蛇の列ができたところから、受講者の年齢層を推察願いたい。 配布されたレジメから目次の部分を紹介する。1 民主党と共和党の成立と変化。2 大統領選挙の仕組み。3 経済政策における保守・共和党とリベラル・民主党。4 科学技術(イノベーション)政策における保守・共和党とリベラル・民主党。5 独占禁止(反トラスト)政策における保守・共和党とリベラル民主党。6 文化・社会面での保守・共和党とリベラル・民主党。 民主党、共和党二つの政党の政策はその発足時点から大きく変化している。ただ、大きなテーマとしては、政治的には強力な中央政府を指向するか、州ごとの自治を優先するか、経済的には、自由放任主義を優先するか、各種の規制を重視するかの違いははっきりしている。 ただ、その中途にあって、南北戦争での対立、1929年の大恐慌に対処するためのニューディール政策をどのように評価するかなどによって、政権交代が起き、上院で多数派となった政党と、大統領の属する政党が異なる「ねじれ」の状態となっている。 以下、いくつかの「私の気づき」をメモしておく。◎イギリスが国教会のみを尊重することに反発した宗派がアメリカに渡る。アメリカは政教分離、言論の自由。保守派は「キリスト教を公立学校で教えるべきだと主張」。イギリスでは、現在もイギリス国教会の最高権威者として認知されている。◎連邦政府の支出が少なかったので、20世紀になるまで所得税は不要で、関税だけで賄うことが出来た。◎鉄道建設は、ゲージ(軌間)は、日本の新幹線のゲージと同様の幅から出発している。◎奴隷制農園は、労働集約的であったが、生産性は低くなかった。奴隷の健康状態も悪くなく、身長も白人と同じように高くなっていった。不適切な表現であるかもしれないが、地主は、牛や馬を大切にするように奴隷を扱っており、奴隷制プランテーション農場は経済的に淘汰されるものではなく、廃止には南北戦争が必要だった。◎宣戦布告は議会が行い、大統領は3軍の長として戦争を遂行する。◎第二次大戦まで連邦政府の科学技術政策は無かった。マサチューセッツ工科大学のブッシュ元教授が、ルーズベルトに大学の技術者による軍事技術開発を提案。◎ドイツの潜水艦(Uボート)発見のためのレーダー開発(マサチューセッツ工科大学)、近接信管(敵機が最も接近した時にそれを感知して爆発する砲弾に使用された信管)これはジョンズ・ホプキンス大学が担当。原子爆弾(機密保持と実験場所が必要になってきたので、ニューメキシコ州のロスアラモスに科学者が集められた) アメリカ大統領選挙は、11月5日。 オープンセミナー2回目は11月16日 「新大統領の下でのアメリカの行方」 3回目は12月7日 「新大統領の外交政策。 日本への影響」 今から楽しみである。
2024.10.12
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5月の24日に交通事故に遭い左肩と左の大腿骨の関節部分を骨折。手術を受けてその後はリハビリ。8月の26日に退院。家に帰ってからバスを利用して買い物に行ったりしたのですが、マンションがかなり急な坂の中腹にあることからやはり、足に痛みを感じます。 9月に入ると職場復帰するのですが、さすがに、家での自主トレに励まないといけないようです。
2024.08.31
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「古典推し」という番組がNHKで始まった。第一回が「平家物語」。私の大好きな古典なので、録画して見た。いきなり、「尊い」という言葉が出てきた。「素晴らしい」という意味のようだ。「推しが尊い」といった使われ方が番組の中では出てきた。 こういう運び方は、若い人たちに向けて「古典の良さを見直してみよう」系の番組をNHKが作ろうとしているのかなと思ってみていると、「扇の的」が出てきた。陸にいる源氏の武士たちに向かって漕ぎ出してきた平家の船には竿の先に扇がつけてある。「この扇を射抜ける者がいたらやってみろ」という挑発かなと思いきや、扇の的の横に立っている女性は巫女のような姿。つまり、この扇の的を射抜けたら源氏の勝ち、平家の負けを占うためのものなんだという解釈が出てきた。 手元にあるのが角川文庫版。そのような解釈は載っていない。 与一がみごとに扇の要際を射切ると、「沖には、平家舷(ふなばた)を叩いて感じたり、陸(くが)には源氏箙(えびら)を叩いてどよめきけり」とある。与一が扇を射切ってしまうという事が平家にとっての凶兆ならば平家の武士たちは「舷を叩いて感じ」るのだろうか?また平家の軍船の間から扇の的を立てた船が漕ぎ出してきたときに、義経が「あれはいかに」と側近に問うと、「射てみよというのでしょう。ただし、義経様が美人をご覧になろうと矢の射程距離内に入られますと射殺せよとのことでしょう。しかし、あの扇は射落とさねばならんでしょう」(拙訳)と答えていることから考えるに、「占い」説はやや無理があると思う。 他の本にそのような解釈があるかどうか調べてみたい。
2024.03.28
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三浦しをんの作品を読んだのは、『神去なあなあ日常』が最初だったと記憶している。他に『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』などが印象に残っている。 『舟を編む』をいつ頃読んだのかは定かではないが、全く引き込まれてしまった。それまでおよそ「辞書を編纂する人たち」に関心を持つ事は無かったが、常にカードを携帯し、女子高生の会話に耳を澄ませて新しい用例を収集して日本語が変化していく現場に立ち会い、同時にこれまで長年使用されてきた言葉の語釈を改めて考え直す。「右」という言葉をどう定義づけるか。「愛」と「恋」とはどう違うのか。また両者が合体した「恋愛」という言葉をどう説明するか。 辞書の紙をどうするか。「ぬめり」という言葉を初めて目にした。 大槻文彦が編纂した「日本初の近代的国語辞典」とされる『言海』。「言葉の海」。ここに載っている「猫」は、猫にたいする語釈の傑作と言われている。以下に紹介する。 ねこ(名)【猫】[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨコ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常ニ圓シ。 大槻の生涯を活写したのが、高田宏の『言葉の海へ』。これも大変に面白かった。 調子に乗って、『大漢和辞典』を編纂した諸橋轍次の事も調べた。こちらも言葉にならないほどの偉業と言っていい。 さて、『舟を編む』だが、映画化された。原作にかなり忠実な作品だった。 ところが今回のNHKの作品は、ファッション雑誌の元読者モデルで、現在はその雑誌の編集部にいる女性が、玄武書房初の中型辞典を編纂するという現場に移動になる処から始まる。正しくは、彼女が大泣きしているシーンから始まる。号泣、涕泣などいった「泣く」に関する言葉が字幕で入る。 第一回目のキーワードは、彼女がなんとなく使っている「~なんて」という言葉。個性の強い辞書編集部の面々と不安な日々を過ごすうちに、彼女は、辞書をひいて「~なんて」という言葉の意味を知ることとなる。 第六回目は、いよいよ、「なぜ紙の辞書でなくてはならないのか」問題が浮上してくる。岩松了演じる荒木が、中型辞書作成の企画が通った事を、彼が敬愛する松本(柴田恭兵)に知らせに生き、喜びのあまり二人で手を取り合ってぴょんぴょん跳ね、ぐるぐる回るシーン。しかし、本当に紙の辞書を作らねばならないのかと疑問を呈する経営者(堤真一)とどう戦うか。 「辞書はなぜ紙でなければならないのか」という問いを私も共に考えたい。そして、書店に行って、「この一冊!」という辞書を買いたい。 ※「辞書はなぜ紙でなければならないのか」と打つと必ず、「神でなければならないのか」と私のパソコンは変換する。ちょっと不思議。
2024.03.27
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神大の学生が、とまった旅館の部屋の障子を破り、胴上げをして天井を破損した一件を自分たちでSNSにアップして退学になったという。 不思議なのが、自分たちのあほな行動をわざわざSNSにアップしたということ。大学は、退学という処分の一択であったと推測する。「こんなことをやらかしてこの程度か!」という反応がおそらくは世間一般のものだと大学が判断せざるを得なかったからだろう。 中二病・高二病・大二病という言葉があるそうだが、二十歳のころかな。 振り返ってみるに、下宿で「二十歳になったんだから意義のあることをやろう」という話が持ち上がり、先輩たちに「先輩たちが徹マンをやって、何時間くらいぶっ通してやったんですか?」と尋ねると、30時間という答えが返ってきたので、「記録は破られるためにある」と卓に向かい、結局、35時間という「下宿大記録」を打ち立てた。これだけ長時間やると、四人の点棒の数はほぼ等しくなり、高校の数学の先生が言っていたことが頭の隅に浮かんですぐ消えた。それから四人で風呂に行って、前後不覚に寝た記憶がある。 つまり、その時の四人は、「世間様に迷惑をかけてでも自分たちのあほさを貫きたい」という考えはなかったし、またスマホもなかったこととてその行動を発信しようなどとは思いも寄らなかった。四人で、「あの時、オレら、あほやったよね」と振り返って笑うぐらいが関の山だった。 ふと思いついて調べてみると、ロシアのピョートル大帝は、25歳で200人近くの側近を連れて西ヨーロッパを視察、皇帝自らオランダの造船所で仮名で(ばれていたと思うが)ハンマーをふるって造船技術の習得に励んでいる。 ただ問題は、そうして働いた後の夜のこと、したたかウォッカをのんだ一行は、ホテルの部屋の窓を破壊し、テーブルや椅子、食器を盛大に放り投げたという。 当然、破損代金は、ロシア政府へ請求が行ったことと思われる。 ロシアを出発したのが1697年。それから300年ちょっとの時間がたった。 神大生たちの行動は、一罰百戒。「おれたちこんなあほなことが出来るんだぜ、えらいやろう」という思いで、世間に迷惑をかけるあほが少しでも減ることを願う。
2024.03.20
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梅や桃の花、白いモクレンの花は咲いているが、桜の本命のソメイヨシノは開花が遅れているのか、まだつぼみの状態だ。ただ、今年の入学式は4月の8日。あと20日ほどある。例年、入学式の大きな看板の前や満開の桜の下で記念撮影をされているお母さん(時としてお父さん)と新入生のためにその日に間に合えばいいなと思う。春は、一年の中で一番華やかな季節かもしれない。私の師は山形の方なのだが、春を迎える山形の新緑を語られる時にはひときわ言葉に熱がこもる。散歩をしていると、自転車、車では気が付かなかった自然の小さな変化が目に入る。特に今はベニカナメモチの赤い若葉が目に染みる。水分をたっぷりと限界まで蓄えているような赤い若葉。雪柳は私の好きな花の一つで、散歩の際に出会うとしゃがみこんで一つ一つの小さな花に見入ってしまう。
2024.03.19
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エジプトのピラミッドの回廊の中に、「最近の若い者は困ったもんだ」と書いてあるという事を聞いたことがある。半信半疑でいたのだが、最近、以下のような言葉を目にした。 「若い時に哲学をするのは恥ずかしいことではない、しかしもはや年もいっているのに人がなお哲学をしているというのはソクラテスよ、滑稽なことになるのだ。」 古代ギリシアの哲学者プラトンの『ゴルギアス』という本の中に出てくる。ゴルギアスは、ソフィストと称される人々のリーダー的存在とされていて、アテネの民会において論敵を叩きのめすための弁論術を教えて報酬をとるという今でいう教師のような者だ。 上記の言葉はゴルギアスの仲間のカリゥクレスのもの。 若い時に色んな思想にかぶれるのは良いけれど、年をとっても青臭いことを言うんじゃないよ、と翻訳(?)できるかもしれない。 おおよそ2000年ほど前の言葉なのにいまだに通用する。ヒトの考えることは背中に背負ったリュックのなかに入ってしまうようなものかもしれない。 ガザの惨状とウクライナのひとびとが被らねばならない死と荒廃を見るにつけ、「戦争をしない」という事さえも実現できていない人類が「進化」したのは、効率的な人の殺し方ぐらいのものかもしれない。
2024.03.18
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ビニール袋の中に一杯たまってきた発泡スチロールのトレイ、透明プラスティック、ペットボトルを近くのスーパーまでもっていく。きちんと分別して入れていく。先客は若いカップル。入れていく量は少なそうだ。ペットボトルのリサイクル率が低いと報じられていたのが気になる。袋の中を空にしてから、少しばかり南にあるコーヒー焙煎所に行く。 この店は西宮に越してきてからしばらくして発見した店。本業は焙煎なのだが、店内で飲むこともできる。最初に入ったときに驚いたのは、何の飾りけもない木のテーブルがどんとおいてあり、その周りにパイプ椅子が置いてあったこと。のちにパイプ椅子は簡素な木の椅子に昇格(?)して現在に至る。 必ずたのむのはコーヒーとドーナツ。なんともいい組み合わせ。この店のコーヒーは、ブラックで飲むことにしている。ふらっと入った店ではまず一口飲んでみて、ミルクと砂糖を入れることにしている。店によっては甘いミルクコーヒーになることもある。 学生時代からコーヒー(インスタントからはじまって)をのみ続けているから、コーヒーを飲んで眠れなくなるとか目が冴えるという事はないが、ただ一度だけ体験したことがある。結構有名なコーヒーのチェーン店で、コーヒーをたのんで、しばらくそのままにしていた。何か他の事をしていたと思うのだが、ややぬるくなったコーヒーを一口飲んで文字通り目が醒めた。恐ろしく不味い。それ以来そのチェーン店には入ったことがない。 他にも豆を売っているのに恐ろしく不味いコーヒーを出す店もある。 旨い,不味いは人それぞれだしその時の体調にもよるのだが、不味いものは不味い。 いまや、私が安心してコーヒーが飲める店は二軒だけになってしまった。
2024.03.17
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トランプが、NATOに対して、GDPの2%を軍事費として使っていない国は侵略されても守ってやらないと言い出した。次期大統領は俺だ、という文脈の中で。アメリカは孤立主義の長い伝統を持っている。南北アメリカで起きていることにヨーロッパは口を出すな。その代わり、アメリカはヨーロッパで何が起きようと手出しはしないと宣言(いわゆる「モンロー宣言」)したのは1823年。セオドア・ローズヴェルトに至っては、「棍棒を携えて静かに話す」という「棍棒外交」でラテンアメリカ諸国に対している。アメリカは第一次大戦に参戦しているが、戦後、自国の大統領のウィルソンが提唱した国際連盟には上院の反対で不参加。もめ事に巻き込まれてアメリカの青年たちが戦死するのはこりごりだという国内世論のあらわれだろう。ヨーロッパで二次大戦がはじまってもアメリカは参戦していない。本格参戦は、真珠湾の後。戦後、ソ連との冷戦がはじまると、米ソ直接対決は起こらなかったけれど、代理戦争が各地で起こっている。ヴェトナム戦争でプライドが傷ついたアメリカは、イラク戦争で「大量破壊兵器を持っている」と断定してフセイン政権を打倒。大量破壊兵器が見つからなかったので、途中から「イラクの人々を独裁から救う」と戦争目的をしれっと変えている。結果としてイラクは破綻国家となり、ISが跳梁跋扈する地帯になった。アフガニスタンでもアメリカは躓いた。トランプは、ウクライナを見捨てるつもりでいる。イスラエルに肩入れしてパレスティナ人が何人死のうが意に介さないだろう。一部では、韓国からも、日本からも撤退するのではという予測まである。それにしても私が全く理解できないでいるのは、バイデン81歳、トランプ77歳という年齢だ。民主党も、共和党も「若いモン」はいないのか?
2024.02.13
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パソコンが使えれば、フェイクニュースも、加工した画像もアップできる。北朝鮮に至っては、国としてハッカーを育成して金を抜き取る犯罪に手を染めている。 車の免許は、運転者の人格とは関係なしに取得できる。 最近特に気になるのが、左折、右折の際にウィンカーを出さない運転者が増えていること。ウインカーは、他の運転者のためにあるという当たり前のことも失念しているのか? また、ドキッとするのは、路地から左右も確認せずに飛び出して来る自転車。 どうも、こんな愚痴めいた事しか浮かんでこないというのは、もう夜も遅いからか、と反省。
2024.02.13
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 昨年は大変な年でしたが、今年は、少しでもマシな年になるようにと戯れ歌を作ってみました。ご笑納くだされば幸いです。 この頃世間に流行るもの、パーティーひらいて金集め、帳簿に載せぬ小細工し、キックバックはサッカーと思えば法の抜け穴を無理に広げて蓄財す。 保護者を失う五人衆、事情聴取を受けるはめ、公民権を停止して新しき年寿げと、多くの民は待っている。万博誘致し手柄顔、旗色悪しと国頼み、庶民の懐あてにして「身を切る改革」どこへやら。「俺が兵器を買わせた」と大統領に言われたら、それは言わない約束と慌てるけれど5兆円。福祉・教育ケチってもご主人様には逆らえず。人を殺せる武器だって売っちゃいますよ、もうかれば。そんな自民の片割れは誰かとみれば、もとは「平和の党」でした。「日本を前へ」というけれど、前は奈落の可能性。 ハマスより分け不可能と、とにかくみんな殺すべし。二万の死体積み上げて、国を持たずに殺された過去振り返らずに国持って今度は虐殺専念す。難民キャンプを爆撃し、墓場の破壊もためらわず。 核で脅せば引くだろとプーチンさんの読み通り、「勝たせ過ぎてはいけない」と、支援は波の引くごとし。 「どこに正義があるのか」と怒る心を忘れずに螳螂の斧振り上げる、息も絶え絶え杖ついて意地で今年も生きまする。
2024.01.01
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5歳の時から日本で生活しているウクライナ人女性が、ミス日本コンテストにエントリーしたという。 彼女の言い分は、https://coolpan.net/current-affairs/former-ukrainian-man-karina-shiino-has-been-in-japan-for-the-miss-japan-contest-2024/ で検索できる。 私は、そもそも「ミス・コン」というシロモノがいまだにあるという事はどうなのかという疑問を持っているのだが、それは今は触れない。 「日本人」の一番簡単な規定は、「日本国籍を所有するもの」であると思うのだが、彼女は日本国籍を取得している。その点で全く問題はない。「日本語で考え、日本語をしゃべり、日本の文化が大好きで」という彼女は「内面は日本人」という事になる。 もしも「彼女はミス日本としてふさわしくない」というのであれば、選考規定の中に例えば「両親ともに「日本人」であること」と付け加えねばならない。さらに、「純粋の」日本人という一言を付け加えねばならなくなるだろう。これはおそらく、「純粋」という言葉を巡って問題となるだろう。 性自認と同じく、「民族自認」という問題は、日本以外の多民族国家では結構問題になってきたと思う。「ナショナリズム」の洗礼を受けた、あるいはその段階を通過した国々では「私は〇〇人である、ない」を巡って凄惨な殺し合いにいたった例も多い。ウクライナとロシア、アゼルバイジャンとアルメニアのような現在進行形の場合もある。 ふと考えれば、日本のプロ野球でよく使われる「助っ人外国人」という言葉、MLBで、大谷は決して「助っ人外国人」とは呼ばれない。 長い間、移民に対して寛容ではなかった日本の将来を考えるに、宗教的、日常生活での価値観の違いとどう向き合っていくのか。日本各地で重ねられている取り組みをもっともっと広く知らせる必要があるのではないか。 「郷に入らば郷に従え」ではすでにカタがつかない段階にまで来ていると思うのだが。
2023.09.24
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2009年8月16日に放映された「気骨の判決」が再放送された。主人公・吉田久を小林薫が演じている。私はこの人が好きで、今回の肩に力が入らない飄々とした演技を楽しめた。 今回、『気骨の判決』清永聡 新潮新書 を読んで、昭和34年にやはりドラマ化され、その時に吉田(ドラマでは吉村)を演じたのが佐分利信だと知って、ずいぶんとタイプの違う役者さんが演じたんだなと思った。今では、佐分利信と言っても知る人も少ないだろうが。 昭和17(1942)年の衆議院議員選挙で、時の東条英機内閣は、「翼賛政治体制協議会」(略称 翼協)という組織を作らせて、この「翼協」が「推薦候補」なるものを公表した。共産党は事実上壊滅、その他の政党もすべて自主解散している中で、有権者は、「推薦候補」か「非推薦候補」のどちらかを選ぶしかなかった。推薦候補には、1人あたり5000円の選挙費用が臨時軍事費から支出されている。 ※ちなみに、前年の12月8日、アジア太平洋戦争が始まっている。 この時に、「非推薦」となったのが、鳩山一郎、尾崎行雄、三木武夫、斎藤隆夫、大野伴睦、片山哲、二階堂進ら。戦後日本の政治を担った人たちといえよう。 結果から言えば、「推薦候補」の八割が当選、議場の圧倒的多数を占めた。東条にしてみれば、議会の圧倒的多数を「推薦候補」が占めれば軍に対する議会の批判を封じられると考えたのだろうが、何の策も用いることなく八割の議席を獲得できたわけではない。その裏には、激しい選挙干渉が繰り広げられた。「非推薦候補」の演説会は、その当日に村の常会がぶつけられ、またその演説会に参加した有権者は、投票日には警察官などによって投票を妨害されている。「非推薦候補」を支持するような人は非国民と呼ばれ、町内会では、半強制的に、「推薦候補」への投票が命じられている。 このような中、「選挙無効」の訴えが出される。鹿児島二区の冨吉栄二が、同じように非推薦で落選した三人とともに、選挙干渉の実態をつぶさに調べて霞が関の大審院(今の最高裁)民事部に訴状を提出した。他に持ち込まれた選挙無効の訴えは、鹿児島一区、鹿児島三区、長崎一区、福島二区。 「選挙の無効」は、法令では「選挙の規定違反」となっている。法令では、組織的な選挙干渉や妨害を想定していなかった。 吉田は、当時五つあった民事部の中で、訴状が提出された四つの民事部の部長に対して以下のように語っている。 たとえ政府であっても、その自由公正さを害する大干渉をしたならば、それは選挙の規定に違反するものであり、それが選挙の結果に影響を及ぼせば、選挙無効の判決をすべきだ。P56 P57から70にかけて、吉田久の人となりが活写されている。一言でいえば「苦労人」と言えよう。吉田は、経済的に恵まれない環境の中で司法官になりたいという夢を持ち、地方裁判所の「小僧」となってお茶くみをしながら勉学に励んでいる。本試験の受験者1200人、合格者39人の狭き門を吉田は2番で合格している。検事になってからは、地方回りを続け、裁判官の道を目指す。結婚して四人の子を授かるが、妻に先立たれ、子どもをおぶいながら井戸端でおしめを洗うという生活を余儀なくされる。彼はその生活の中で、何でも自分でやるという人間になっていく。 さて、裁判にかえろう。多数の証人を尋問するために吉田は、部下である4人の裁判官を引き連れて昭和18(1943)年、鹿児島に出張する。 事実に基づく証言を引き出すために、法廷から特高を退廷させるというやり取りもあり、妨害の実態が明らかになっていく。 さらに吉田は、職権で、鹿児島県知事薄田美朝(すすきだよしとも)を喚問する。薄田の名前で推薦候補者に一票を投じよという推薦状が発見されたからだ。薄田は「私が署名したものではない」と言い張ったが、「あなたの名前で出されたこの通知が特定候補者の当選に有利になったと思わないか」と問われ、「そんなことはないはずです」と答えたが、再度「影響がないという理由を挙げてみよ」という問いには答えることが出来なかった。 出張尋問が終わって吉田らが無事に帰京した昭和18年7月の「法律新報」に大審院長・長島毅の「戦争と法律」という一文が掲載された。 何でもか(ん)でも勝たねばならぬ。勝ちさえすればよいのである。わが国のすべての人と物と力はこの目標に向かって進まねばならぬ。また進みつつある。(中略)法律もまたこの方向に向かって進むべきである。人と心と物との動きに立ち遅れた法律はただ屑籠に捨て去られて顧みられない反故紙でしかあり得ない。法律は、急転回をせねばならぬ、またしつつある。人と心と力の結集は法律を戦争の目的へと追い込みつつある。ただ、法律はこの急転回の最中に於いて。その中心を失ってはならぬ。P113~4 吉田は、このような時世の中で、判決を出さねばならなかった。 ここで、中島敦『李陵』の一節を紹介しよう。 酷吏として聞こえた一廷尉が常に帝の顔色を窺い合法的に法を枉(ま)げて帝の意を迎えることに巧みであった。或る人が法の権威を説いてこれを詰ったところ、これに答えていう。前主の是とするところこれが律となり、後主の是とするところこれが令となる。当時の君主の意の外に何の法があろうぞと。『李陵・山月記』新潮文庫P108 長島の一文は、「中心を失ってはならぬ」という逃げ口上めいた部分はあれども、「合法的に法を枉げて」時局に迎合するものに他ならない。 鹿児島への出張で尋問を受けた薄田は、尋問直後に警視総監になっている。 吉田には、特高の尾行がつくようになった。 昭和19年、全国から裁判所長、高裁長官が一堂に集められる「全国裁判所長官会議」が召集された。会議自体は明治から春に開かれて情報交換などが行われてきたのだが、この年は、冬の2月28日に開かれ、全員に対して東条の演説が行われた。新聞に非公表の部分の抜粋を以下に示す。 私は、司法権尊重の点に於いて人後に落つるものではないのであります。しかしながら勝利なくしては司法権の独立もあり得ないのであります。かりそめにも・・法文の末節に捉われ、・・戦争遂行上に重大なる障害を与うるがごとき措置をせらるるに於いては、まことに寒心に堪えないところであります。万々が一にもかくのごとき状況にて推移せんや、政府といたしましては、戦時治安確保上、緊急なる措置を講ずることをも考慮せざるを得なくなると考えているのであります。P134 1891(明治24)年5月11日に、訪日中のロシアの皇太子が、警備をしていた警察官の津田三蔵に切り付けられて負傷するという事件が起きた。政府はパニックに陥った。当時、日本の皇族に対して傷害を負わせるような行為を行った者は大逆罪として死刑が執行されていたが、外国の皇族についての規定はなかった。規定がない場合は、現行法を適用するしかない。となると、最高刑としては「無期徒刑」しかない。 政府は、なんとか津田を死刑にできないかと相談する。獄中の津田を何とかして殺せないかといったことまで相談したらしい。結局、裁判官に圧力をかけて、津田三蔵を死刑に処すという判決を出させようとなる。彼らの前に立ちはだかったのが、大審院長の児島惟謙である。児島は、規定がない以上現行法で裁き、無期徒刑を判決として下すしかないと決心していた。 この児島と東京駅で出会ったのが、西郷従道。西郷は、ロシアと戦ったら日本は必ず負ける。負けてしまったら、司法権の独立も何もないではないかと迫るが児島は意思を貫いて津田に対して無期徒刑の判決を下す。 天皇が療養中のロシア皇太子を見舞い、手を尽くして看病した結果ロシアとの関係が悪化することはなく、むしろ、司法権の独立を守ったという事で諸外国から日本は尊敬を受ける結果となった。 ここでもう一度、東条の言葉を振り返ってみよう。 勝利なくしては司法権の独立もあり得ない。 このようにして司法権の独立を土足で踏みにじり、戦況の現実を「大本営発表」という形で捻じ曲げた結果が、開いた口が塞がらないほどの敗戦であった。 さて、判決の言い渡しは昭和20年3月1日に行われた。吉田は、妻に(彼は再婚している)「もう帰ってこれないかもしれない」と言い残して家を出たという。 主文「昭和17年4月30日施行セラレタル鹿児島県第二区ニ於ケル衆議院議員ノ選挙ハ之ヲ無効トス 訴訟費用ハ被告ノ負担トス」 吉田は、翼賛選挙そのものにも踏み込んでいる。「翼賛政治体制のごとき政権政策を有せざる政治結社を結成し、その所属構成員と関係なき第三者を候補者として広く全国的に推薦し、その推薦候補者の当選を期するために選挙運動をなすことは、憲法および選挙法の精神に照らし、果たしてこれを許容し得べきものなりやは、大いに疑の存する所」 さらに、選挙干渉が組織的に行われたことをすべて認めた。 吉田は、判決の4日後に大審院を辞職している。 中央大学の講師をしていた吉田を、中央大学は辞めさせることをしていない。 そして判決から9日後の3月10日、東京大空襲が行われ、大審院も崩壊し、吉田が言い渡したばかりの判決原本も行方不明となった。 敗戦後に、吉田は、吉田茂の要請を受けて貴族院の勅任議員となり、憲法制定、法律の実務にあたっている。憲法76条には、「すべて裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」とある。吉田の理想が実現したと言えよう。 吉田は、「正義とは何ですか?」と問われて、「正義とは、倒れているおばあさんがいれば背負って病院に連れて行ってあげることだ」と答えたという人柄が分かるエピソードだ。 近年、行方不明とされていた吉田の判決原本が発見された。最高裁の記録保管庫の未整理資料の中にあったという。東京大空襲の際も裁判所の書記たちは、命がけで、書類、判決原本を運び出していたのだ。ふと、「天命」という言葉が頭に浮かんだ。
2023.08.21
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『フィンランド公共図書館』吉田右子・小泉公乃・坂田ヘントネン亜希 新評論 「図書館」というものに対するイメージをすっかり破壊されてしまった。以前、『ニューヨーク公共図書館』という映画を見てあんまりびっくりしたので、二度見たことを思い出した。 ある新聞に、「図書館職員4分の3非正規」と書いてある。多摩地域の市立図書館の非正規職員は勤務時間は週4日、16時間までに限定。月収7万円。全国の図書館数は2003年の2759か所から22年の3305か所と増加している。しかし、正規職員の割合は53%から22%に減少。 学校図書館では、私の体験でいえば、その大半が、兼務。理科の実習助手との兼務、国語の教諭との兼務。その大半の人は司書の資格も持っていない。図書の貸し出しと返却の仕事。つまりは、「貸本屋」と同じ。 だから、この本を読んで、日本の現状とのギャップに驚いた。 これは、「ニューヨーク公共図書館」と共通しているのだが、多言語の利用者に対応し、どのような生活状態にある人に対しても平等に対応していること。もちろん、酔っぱらっている人、薬物使用者、「ちょっと元気すぎる若者」たちへの対応には警察の手を借りねばならないこともあるようではあるが・・。 驚くことには、「本の盗難防止装置」がないこと。著者たちも、「なぜないんですか?」と訊ねるのだが、訊ねられる方が、「えっ、なぜそんなものが必要なんですか?」という「そんなこと当たり前でしょう」という態度。 さすがに、「ゲーム・ソフト」は、盗難が相次いだために、チェックが入った様だ。えっ、「ゲームソフト」までおいてあるの?となるのだが、経済的に苦しくてゲームソフトを買ってもらえない子のために、おいてある。ただ、館長の考え方として「うちにはいらない」という少数派図書館もある。 本を丸々コピーしちゃったという人もいたそうだが、コピーは無料。 市民の対話が行えるようなスペースも充実している。3Dプリンターを使ってものを造ったりできるスペースも。パソコンを借り出して、仕事をしたり勉強したりすることもできる。 閉館後も、利用者は、図書館カードを使って中に入り、「セルフサービス図書館規則」を守りさえすれば自由にスペースを利用できる。これも驚き。規則はかなり細かいが、常識的なラインだ。 図書館で結婚式を挙げるカップルもいる。開館中に式を挙げると無料。閉館後に挙げると、実費のみ支払い。P16からP27まで、20条にわたる「図書館法」が掲載されている。 第二条 法律の目的 のみ以下に紹介する。 本法の目的は、以下を推進することである。 ①教養と文化への平等な機会。 ②情報へのアクセスとその利用。 ③読書文化および多様なリテラシー。 ④生涯学習及び能力開発の機会。 ⑤アクティブ・シティズンシップ、民主主義、言論の自由。 これらの目標実現のための基点は、公共性、多元性、文化的多様性である。 様々なニーズを持った人たちが図書館にやってくる。「マウスの使い方が分からない」「スマホの初期設定がしたい」「オンラインバンキングの利用法を知りたい」等々。 なので、フィンランドの図書館には、様々な分野を経験してきた人たちが勤務しているという。 全10章の中で、それぞれに個性的な図書館が紹介されている。 静寂と元気良さとのバランスをどうとるか。社会の中で居場所を失いそうになっている人(主として若者)へのカウンセリング。図書館職員をどう養成するか。 こうしてみると、公共図書館の在り方というものは、そのまま「国の在り方」に通じているようだ。貧寒とした国の施策、その中で、全力を尽くして利用者のために奮闘している日本の図書館職員さんには頭が下がる。 日本は危ない、と感じた本だった。 『オランダ公共図書館』も市立図書館に予約をした。楽しみであるとともに、彼我の差を痛感しそうだ。
2023.08.08
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『ナチスの楽園』エリック・リヒトブラウ 新潮社 生存者のうち何千人もが、今や連合国管理となった収容所から出させてもらえなかったのだ。それも数ケ月間だけならまだしも、数年後になっても出られない者もいたのである。実にヒトラーが自殺して戦争が終わった後に、収容所内で栄養失調と病気のせいで衰弱死する者さえいた。 ダッハウでも、ベルゲン=ベルゼンでも、その他何十という難民収容所でも、囚人たちは、ヒトラーが築かせた塀の内側に閉じ込められたままだった。ドワイト・アイゼンハワー将軍が率いる連合国軍は、死体と汚物の放つ強烈な悪臭が敷地内に満ちていたにもかかわらず、彼らが収容所の外に出ることを許可しなかった。生き残った囚人たちをどう扱ってよいのか、誰にもわからなかったのである。(中略) 連合軍が運営するドイツ軍捕虜収容所では、元ナチスの将校たちは映画を見て、サッカーを楽しみ、大学の講座を履修することまで許されていたのだ。いっぽう、ユダヤ人難民収容所では、ホロコーストの生き残りたちが戦時の飢餓の埋め合わせとばかりに配給の増加を求めて闘争を繰り広げても、コーヒー一杯に湿った黒パンがつけ足されるのが関の山だった。P25~6 ここまで読んできて、「そんな馬鹿な」と思った人もいらっしゃると思う。私もそうだったのだ。その1ページ前に以下のような文章がある。 現在の私たちは、全世界が収容所の生存者たちを温かく抱きしめたという絵を想像しがちだ。連合国軍が到着するとともに収容所の鉄製の門扉が勢いよく開き、限界まで、痩せ衰えた囚人たちがぞろぞろと外に出てきて、ショックと罪悪感にうちのめされ、そして囚人たちが救援された事実に喜ぶ世界が、彼らに両腕を差し伸べるという絵図である。P24 私は、慌てて『夜と霧』(フランクル みすず書房 1970年第15刷発行)を取り出して、ページをめくってみた。 P26には、「英陸軍はこの収容所(ベルゼン)に到着すると、直ちに状況をフィルムに収め、これはベルゼンの公判廷で公開された」と記してはある。しかし、囚人たちがどうなったかは記してない。 解説には、「何が行われたか」は、様々な例を挙げて詳述されている。後半の写真では、「ベルゼン強制収容所解放後、英軍ブルドーザーによる死体処理」という解説付きの写真もある。この「処理」の仕方自体が無茶苦茶である。「人間の尊厳」の欠片もない「処理」の仕方である。 この本の副題は、「アメリカではなぜ元SS将校が大手を振って歩いているのか」。元ナチスの高官たちは、様々な手段を使って身元を隠し、海外に逃亡している。その最も有名な例は、のちにイスラエルの諜報機関によってアルゼンチンから拉致され、エルサレムで裁判にかけられたアイヒマンだが、こんなことが一日二日でできるわけもなく、「ナチスの時代ももう終わりだ」と考えた人々は、密かに逃亡ルートを作り上げていたとしか考えられない。 1974年に日本で刊行された『オデッサ・ファイル』は、『ジャッカルの日』に続くフレデリック・フォーサイスの代表作だが、元ナチSSの逃亡補助、名誉回復、西ドイツ社会への浸透工作などを描いた作品だった。 さて、元ナチSSに対してアメリカはどんな対策をとったか。じっくり読みたい。 ※以前に書いたことだが、『夜と霧』は後に「新版」が刊行された。「新版」では、「解説」と「写真」が削除されている。フランクルの「夜と霧」を理解するためには必須の「解説」「写真」をみすずはなぜ削除したのか、理解できないでいる。
2023.08.06
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『交通誘導員 ヨレヨレ日記』柏耕一 フォレスト出版 私には、数人の「これが面白い」と本の情報を提供してくれる知人がいる。 当然と言えば当然だが、「面白い本」というのが様々で、そのことが面白い。 実は、この本は、たまたま新聞一面の一番下段に載っている本の広告を読んで知っていた。「当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」という文章が目に入った。73歳と言えば今の私と同じ年である。急にこの本のことが身近になった。 これは全くの偶然だが、この広告を目にした午後に、知人とコーヒーを飲みながら話をしていた。知人は、「これ面白かった」と言いながらバッグから出してきたのがこの本だった。その「面白い点」とは何なのか。 簡単に言えば、「全然知らない業界の中身を覗ける面白さ」と知人は言っていた。 車に乗っていたり、街を歩いていると、どこかで交通誘導員の人たちを目にすることがある。よく行くスーパーの駐車場にも数人の誘導員の人を見かける。 道路工事などで片方の道路しか通行できなくなった時に、誘導員の人が、赤い旗と白い旗を持って、「ストップ」と「行ってよし」を示して車の流れをコントロールしている。 この本は「日記」となっているが、すべて「某月某日」となっており、副題がついている。 例えば、最初のエピソードの題名は「トイレ掃除」、副題は、「警備業法違反を隊員に強いる隊長の弱み」となっている。 この本の下段には注がついている。例えば「隊長」。どう書いてあるか。 警備員が多人数の現場や長期の現場では警備会社が決めた隊長がいる。小規模な現場ではその中からなんとなく責任者を決める。隊長といっても、責任が重いだけで、日当は一般隊員と変わらない人も多い。P12 さて、「警備業法違反を隊員に強いる隊長の弱み」とはなんなのか。 この日の仕事は、マンションの通路天井の電気系統の補修とエレベーター前のタイル張替えの見守りと住民への注意喚起。 2基のエレベーターの間にはアクリル様の半透明の仕切りが通路の半分ほど占めている。そのうえタイル工が作業をしているので一目でエレベーター2基の稼働状況を見渡すことが出来ない。(中略)エレベーターに乗る住人は半透明のアクリル板と囲い(タイルが乾くまで立ち入れないように)内に立ち入れないことから、2基のエレベーターの停止階確認のために動かなければならなかった。 2基のエレベーターの中間に位置する私は両方を見渡せるので「右のエレベーターが(1階に)とまっていますよ」と教えてやることはできた。そうすべきかなと考えた瞬間だった。2人でエレベーター前に来て左右を確認したうちの30代と思しき1人が私に向かって大声で恫喝し始めた。 「てめえ、警備員ならどっちのエレベーターが止まっているか教えろってんだよ。ふざけんじゃねえぞ、この野郎!オレたちの金で警備しているんだろ」P15~6 よく報じられるのが、「相手が反撃してこないことを知ったうえで暴言を吐いたり、暴行を行う輩」だが、これは典型的なケース。ついでに、警備会社からも命じられるのは「もめ事を起こすな」という事なので、著者は結局、本来業務ではないエレベーターボーイのまねごとをすることになる。 さて、問題はここから。 梅沢から、無線を持たされていない私の携帯に「警備服を脱いで私服で至急作業員トイレに来てほしい」と呼び出しがあった。 なんで私服でと不審に思ったが急ぎ私服に着替えトイレに駆けつけた。ここのトイレは建設現場によくある移動型仮設トイレではなく個室が3つ小便器が5つの本格的な仮設トイレである。 すでに梅沢と警備服の隊員が1人待っていた。梅沢はわれわれに向かって仮設トイレのベニヤ壁を誘導灯で指しながらトイレ掃除をしてほしいという。壁はきれいなものである。個室を覗くと1つの便器がかなり盛大に汚れていた。 「ハハア、警備服でやらせれば警備業法違反になるから私服に着替えさせたわけだ。なんであれ自発的に善意で私がトイレ掃除をしているとさせたいわけだ」と私なりに考えた。P17~8 隊長は、仕事先に迎合してトイレ掃除を思いついたのだろう。 さて、「警備業法違反」とは。 交通誘導警備は警備業法第2条第2号に「人若しくは車両の雑踏する場所における負傷等の事故の発生を警戒し、防止する業務」と定められている。よって交通誘導員にこれ以外の業務を押し付ければ警備業法違反となりかねない。私の同僚は、現場道路の清掃(70~80メートル)を隊長に命じられ、「警備業法違反」と拒否して翌日からその現場の勤務を外された。P18 その拒否した人の代わりに、他の人が派遣され、その人が「警備業法」を知らなかったら、現場道路の清掃をいやいやながらやっていただろう。 さて、「隊長の弱み」とは何か。著者は、「あなたのことは会社に通報しますよ」といい、「私は警備員になったんで、トイレ掃除で雇われてきたんじゃないですよ」と告げる。梅沢は家庭の事情から会社の寮に入っており、通報を受けて責任を取らされることを恐れたのか、日ごろの高圧的態度はどこへやら、低姿勢で詫びてきたという。 ここだけ見ると、著者はずいぶん権利意識の高い人なんだなと思いがちなのだが、この場合、この梅沢という隊長が、著者に対して理由もなく怒鳴ったり、軽蔑したような態度をとったという事が背景にある。もしもこの梅沢と著者との人間関係が円滑に行っていれば、著者は、「警備業法」の存在は知りながらも、「梅沢さんの頼みならしかたないですね」とトイレ掃除をしただろうし、頼む方も、「本来業務じゃないんだけど頼むよ」という言い方をしただろうと思う。 この「日記」のエピソードの大半を占めるのは、このような人間関係にまつわるエピソードである。 著者の夢は、「本書のベストセラー化により、警備員生活からの卒業」だそうである。私は図書館から借りたのだが、心ある、そして少しお金がある方はこの本を書店で買い上げて頂きたい。
2023.08.01
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『暁の宇品』陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川惠子 講談社 2021年 この本をぜひとも読んでみたいと思ったのは、「陸軍は陸軍の自由に使える舟を一隻も持っていなかった」という事がこの本に書いてあるとどこかで聞いたか、読んだかした覚えがあったからだ。 日本は島国であって、明治以降の陸軍の動きを見れば、何度も外征を行っている。その際に、兵員だけではなく、兵器から食糧、衣服、に至るまで目的地まで運ばねばならない。なのに、「陸軍は陸軍の自由に使える船を持っていなかった」とはどういうことなのか? 著者はこの本執筆の動機を、 人類初の原子爆弾は、なぜ、ヒロシマに投下されなくてはならなかったのか。本書の取材は、このシンプルな疑問を突き詰めることから出発した。P5 と記している。 アメリカが原爆投下の候補地を決定する際に数回開かれた会議で、広島は常に上位にランクされている。著者は、アメリカが標的として選んだ都市の特徴として、以下の言葉を記している。 an important army depot of embarkation (重要な軍隊の乗船基地) 広島で軍隊の乗船基地といえば、海軍の呉ではない。陸軍の宇品である。P7 呉という地名は知っていた。ところが恥ずかしながら「宇品」という地名は初めて耳にした。 陸軍が外征を行う場合、それに要する兵員と物資とは当然海軍が輸送するものと私は考えていた。というか、陸軍が自前で運ばねばならなかったなどという事は考えた事さえなかった。 日清戦争の3年前の1891(明治24)年、参謀本部は、「兵站勤務令起草文書」において「外征においては海軍に全面的に依存せざるを得ない」との方針を決定した。しかし海軍は、陸軍部隊を運ぶ海洋輸送の仕事は海軍の任務ではないとこれを拒んでいる。 著者は、この件について、「建軍当初からの陸軍(薩摩)と海軍(長州)の縄張り争いに加えて、この国の鎖国の歴史も無関係ではないだろう」と述べている。 諸外国が大航海時代に象徴される長い歴史の中で陸海軍の機能を分担、発展させてき たのに比べ、日本は200年以上にわたって国を閉じた。北前船などのごくわずかな例を除き、長く海運機能を失った。そして鎖国を解いたとたん、いきなり列強とわたりあう軍事力を整備せねばならなくなった。海軍からすれば諸外国に伍する艦船も足りないのに、 陸軍を輸送するどころではなかったとも考えられる。P42 ともあれ海軍に拒否された陸軍は、軍隊輸送を自前で行わねばならなくなった。ところが、その運用には根源的な問題があった。なぜなら陸軍は「自前の船」を一隻も持たず、船員もいない。海洋業務にかんしては、ないない尽くしなのである。P42 最初の外征「台湾出兵」では、大隈重信が急遽外国船を購入、旧知の三菱に依頼して輸送の実務にあたらせて出兵を実現している。 その後はどうなったか。民間船のチャーターが行われている。 国内最大の船会社となった日本郵船を通じて、外国航路用の大型船舶を外国から購入させる。これを「御用船」として戦争の間だけ陸軍が使う。戦争が終わったら陸軍が責任をもって船を再整備して日本郵船の社船に戻すという契約である。 船を持たない陸軍には、操船のできる船員もいない。そこで船とあわせて船員もセットで借りなければならない。そのため、外国から購入した船には外国人船員がそのまま乗務した。(中略) さらに付け加えれば、大型船で運んだ兵隊や軍需品を朝鮮半島の沿岸に陸揚げするためには、船と陸地とを中継する小舟が多数必要となる。これについても陸軍は自前の小舟を持っていない。そこで国内各地に点在する海運業者から大量に小舟を借り上げた。この場合も船体と船員がセットでの徴傭だ。(中略) さらに輸送船に荷を積みこんだり、小舟から沿岸に荷下ろししたりする際にも労働力が必要になる。陸軍にはすでに軍需品や糧秣を前線に届ける雑役を担う「輜重兵」制度があったが、舟の仕事にまで手がまわらなかった。それに海上の仕事には、それなりの熟練を要する。そこで陸軍は、国内各地の港湾で働く沖仲仕らをかき集めて荷役を手伝わせた。 P44~5 この陸軍にとっての海上輸送、著者いうところの「陸軍のアキレス腱」改善に取り組んだのが、宇品に置かれた「陸軍船舶司令部」である。 この陸軍船舶司令部の司令官の田尻昌次の時代に、「陸軍にとっての海上輸送」は大きく近代化された。 田尻についての記述は、第二章「陸軍が船を持った」、第三章「上陸戦に備えよ」、第四章「七了口(しちりょうこう)奇襲戦」、第五章「国家の命運」と続く。田尻は、家庭の貧困のためにせっかく入学した三高を退学、実家の但馬にかえって尋常高等小学校の代用教員となる。月給10円。これで祖父と妹二人を養わねばならない。背広も買えず、三高の制服で通したらしい。 教師としての楽しみを見つけたころに徴兵検査があり、甲種合格、即座に地元福知山連隊への入隊が決まる。祖父と妹二人はどうなるのか。 ちょうどその時、日露戦争への戦時要員として陸軍士官学校に全国の英才を集めるというニュースが飛び込んできた。将校への道が約束されている士官学校へ入学できれば家計は助かる。田尻は再び猛勉強の末に士官学校に入学。田尻21歳。新入生の彼は、エリート将校の卵である幼年学校出身者から散々に殴られる。理由は「髪が長すぎる」。 田尻は歩兵742人中47番。 彼は、入隊した新兵の教育担当となる。彼は新兵に対する古参兵のリンチを時として内務班に入って強制的にやめさせている。 中尉に任官後、但馬出身のかれは、藩閥の壁にぶち当たる。 彼はその理不尽さを乗り越えるために勉学に打ち込み、英語の学習にも励み、後には海外の文献も読みこなせるようになる。そのことはもともと合理的な精神の持ち主だった彼の才能を開花させ、後には米英の作戦資料を読みこなせるようになる。 彼は船舶畑をわたりあるく。 陸軍の運輸方面での開発に大きな影響をあたえたのが、第一次大戦のガリポリ上陸作戦(これを起案したのが英のチャーチル)だった。上陸作戦はトルコ軍の陸からの猛攻を受けて大失敗に終わっている。 この上陸作戦の敗因で注目されたことの一つは、手漕ぎのカッターは損害を受けやすく、無傷で上陸できたのは外付けエンジンの、自走できる鉄舟だったことだ。P71 これが、ノルマンディー上陸作戦などを描いた映画、例えば「プライベート・ライアン」などに出てくる上陸用舟艇である。 この開発は10年かかっても達成できなかった。この時期、田尻は参謀本部の末尾に席を連ねている。 田尻が中佐となり、現場を率いる船舶班長になったとき、予備役の技術者だった市原健蔵というという人物と出会う。市原は造船技術者であった。この時期、すでにアメリカが仮想敵国とされ、フィリピンのルソン島への上陸も想定されていた。 市原は、田尻に言った。 中央の方々し、一隻の船の中に兵装の歩兵35人と馬匹を同時に搭載せよとおっしゃいます。しかし、こんな条件で上陸用舟艇を開発するのは至難です。(中略) 船乗りには知られた事ですが、あの辺りの海域は日本近海とは比べようのない3メートル以上のあらうみ、それも手ごわい巻波が起こります。それを小舟で渡り切るには、兵隊と馬、さらには戦車の搭載を別々の種類の舟艇に区分けしなければ、どうにも安定が取れません。それに戦車の大型化も進んでいるという話ですから、それ専用の舟艇も別途、必要です。(中略)田尻は驚いた。一技術者が上陸地点の様子まで詳細に想定して舟艇開発に臨んでいる。P74~75 昭和三年に上陸用舟艇は完成する。 市原は、様々な種類の発動艇、装甲艇を完成させていく。 一方で、田尻は、「工兵」の中に「船舶工兵」をくわえさせるように努力、さらに、陸軍兵に「船舶練習員制度」を定着させようとする。 実際の現場では、波の影響で上下左右に激しく揺れ動く輸送船から重い背嚢を背負って銃を持ち、完全武装の状態で艀(はしけ)を伝い、海面に揺れる小舟に飛び降りなければならない。これには相応の経験と技術が必要で、タイミングを間違えばすぐに足を骨折してしまう。P83 日本は、満州事変を迎え、田尻も戦地へと派遣される。その詳細は、第四章「七了口奇襲戦」に詳述されている。 第五章「国家の命運」で、田尻は、大型輸送船、小型舟艇にも敵からの攻撃を防御する装備を持たせるべく陳情を続ける。 さらに、輸送船の煙突から出る煙が敵航空機に位置を突き止められる原因となると考えて実験を重ね、無煙炭と有煙炭とをある割合で混合すれば、煙はほとんど出ないという結果を得た。しかしそれを実用化する設備には予算は下りなかった。 田尻は、船員の身分保障にも取り組んでいる。民間の船員は、軍人でも軍属でもなく、ただの雇人扱いで、戦死しても何の補償もない。戦闘訓練も受けぬまま丸腰で危険な戦地に放り込まれ,朝から晩まで働かされる。 日中戦争は泥沼状態となり、終わりが見えない。そんな中で、近海の輸送業務に携わる海運業者、地元県知事から嘆願が寄せられる。「運用船を早く返してほしい。国内の輸送業務に使わせてほしい」。特に、石炭輸送に支障が出ていた。 (昭和14年になると)夏期の国内輸送の繁忙期に入る直前、陸軍運輸部で、「船腹の手当未済」と称せられた国内物資は300万総トンを超えた。各業界から寄せられた要望から田尻が算出すると、その手当のために最低限必要な船腹量は46万総トンに上った。 この46万総トンという数字が意味するところは極めて深刻だ。陸軍が中国で常時使っている徴傭船は公称80万総トン。その6割を解傭(船会社に返却すること)して民間輸送に充てなければ国力は保てない。(中略)しかし、軍が作戦に使う事の出来る船舶が現状の4割に低下すれば戦争を続行することはとてもできない。P157 このような中で、重要資源を東南アジアに得ることで活路を見出そうとする南進論が台頭してくる。 田尻は、ある決断をする。それが第六章「不審火」のP159から167に掲載されている意見具申書を陸軍中枢、厚生省、大蔵省、逓信省、鉄道省、商工省と船舶輸送に関係するすべての省に対して送ったという事である。彼は、自身の積み重ねてきた体験に基づき、事実に基づいて日本の船舶輸送が抱えている問題点を白日の下にさらした。とくに、民需と軍需の相反関係について述べた。昭和14年7月の事である。 昭和15年3月4日、宇品地区の運輸部倉庫から出火、倉庫4棟が全焼した。 その三日後の3月7日、田尻のもとに陸軍省から一通の命令書が届いた。 「陸軍中将田尻昌次を諭旨免職とする」。 広島を去るとき、東京に到着した時、田尻は実に多くの人たちに見送られ、迎えられている。直言による免職としか思えない。 そして第七章「「ナントカナル」の戦争計画」。第八章「砂上の楼閣」。第九章「船乗りたちの挽歌」。第十章「輸送から特攻へ」。第十一章「爆心」。 「ナントカナル」という言葉は、対米・英開戦が国家の意思として決定される前後によく使用された言葉のようだ。 真珠湾攻撃に先立って行われたマレー侵攻、そして東南アジア各地占領の目的は、対中戦争によって底をついた諸資源を獲得し、日本へと持ち去ることにあった。この点は動かせない。そうなると、東南アジア各地域で獲得した石油をはじめとする地下資源、食糧等をどのようにして日本に輸送するかが、まず第一に検討されねばならない。 第七章P209に、懐かしいNHKの番組名が記されている。「ドキュメント太平洋戦争」。いまでもはっきりと記憶にあるのは、「南方作戦に伴う船腹検討図表」である。番組では、これが動画化されていた。それは、南方と日本を結ぶシーレーンにおいてどれくらいの輸送船が失われるかの推計であった。 開戦時の大蔵大臣であった賀屋興宣の証言がある。 冷静に議論をしようとしてもすでに意図が定まっていて議論はあとから理屈をつけるということが多い。たとえば、最も重要な海上輸送力の計算をするのに、新造船による増加と損傷船の修理能力を一方に計算し、一方に戦争による減耗を考える場合、減耗率を少しづつ少なくみて、増強力を少しづつ多く見れば、結論のカーブは非常に違ったものになる。そこを人為的にやればなんとかやれると云う数字になるのである。冷静な研究のようで、それは大変な誤算をはらむ状況である。P213 損耗率の根拠として採用されたのが第一次大戦の際のドイツ潜水艦によるイギリス船舶の撃沈のデータで、10%だった。ところがすでに始まっている第二次大戦においてイギリス船舶は一年目に311万総トン、二年間で791万総トンとなり、損耗率は37%という数字になっている。 この数字は、同盟国ドイツが喧伝しているものである。陸海軍が知らないはずはない。 繰り返すが、対米英戦の目的は南方の資源を獲得し、それを日本に輸送することであったはずだ。そうなると、なにをおいても、その目的が実現可能かどうかを徹底的に調査する必要があったはずではないか。 少なくとも海軍は艦船の多数を割いて陸軍の輸送を護衛し、陸海軍の航空隊も輸送船の安全を保つことを最優先課題とするべきであった。 しかし、損耗率10%という数字はすんなり通ってしまう。さらに昭和17(1942)年、海軍は、ミッドウェー海戦において空母4隻、多数の熟練したパイロットを失う。しかし、海軍は、この事実を陸軍に対して隠し続けた(宇品の司令部は、この情報を掴んでいた)。日本が勝つか負けるか(戦前の冷静な予測はすべて負けると判断)の瀬戸際にあって、海軍はなお陸軍に対するメンツにこだわったわけである。 では、実際の船舶損耗はどうだったか。 戦争1年目、96万総トン。2年目、169万総トン。3年目、392万総トン。 緒戦の大勝利は、海上輸送に対する不安、日本の工業力がアメリカにはるかに劣ることなどの不安材料をすべて吹き飛ばしてしまった。その後の対応は「その場しのぎ」としか言えないことになる。 第九章「船乗りたちの挽歌」で、焦点があてられるのが、ガダルカナル島の攻防である。 著者は、ラバウルからガ島までは1035キロメーター。最新の輸送船団でも40時間かかる。さらに、輸送船団を守る航空機は、ラバウル基地から1000キロ飛んで護衛しなければならない。燃料のことを考えれば、ガ島上空に止まれるのはわずか5分。 海軍は、戦艦と巡洋艦を投入してアメリカが占領していた飛行場を猛攻、船員たちの間では、「飛行場は壊滅したらしい」という噂が広がった。 6隻の輸送船は、全船が砂浜に沿って一列縦隊に投錨。それを見届けて護衛の海軍戦艦は引き揚げた。 1万総トンクラスの船からの軍需品の揚陸は当然のことながら時間がかかる。そこへ、アメリカ軍が総力を挙げて襲い掛かる。破壊された滑走路以外にアメリカはもう一本の滑走路を建設、生き残った戦闘機が攻撃にあたった。また、ガ島から800キロ離れた島からも援軍が駆け付ける。結局、半数の輸送船が失われ、3隻が満身創痍で帰還する。 揚陸された物資は、輸送に必要なトラックもクレーンもなかったために放置され、アメリカ軍の攻撃を受けてすべて燃え尽きている。 二度目の輸送は、「特攻作戦」と言っていい状態で行われる。本来の上陸作戦は、武装した兵員を送り込み、十分な火器・弾薬、資材、食糧を送り込んで計画的に資材の揚陸を行わねばならなかったにもかかわらず、そんなことは行われていない。 ある船にいたっては、「浜辺にじかに船体を乗り上げ、死しても搭載物資を揚陸せよ」という命令が下っている。アメリカ軍も必死で爆撃を決行、結局、揚陸できたのは兵2000人、弾薬260箱、米1500俵だけ。 こうして、ガ島は、餓島となっていく。 そして輸送船団はつぎつぎと壊滅していく。 第十章「輸送から特攻へ」。 この段階になると、東南アジアの港の倉庫には資源が山と積み上げられていく。日本に輸送する船が足りなくなったのである。 宇品の船舶司令官室では、「特攻兵器」の生産と訓練が協議されるようになる。ベニヤ板に爆弾を積み込んで敵艦に体当たりする「特攻兵器」である。 全国から「船舶特別幹部候補生隊」と称し、採用後直ちに一等兵になれるという「特典」が餌となって全国から2000人の若者(15~19歳)が集められた。彼らがこの特攻兵器に乗り組み、敵艦に体当たりをする要員であった。 そしていよいよ第十一章「爆心」。 8月6日の閃光ののちに広がった類例のない惨状に対して宇品にいた佐伯文郎司令官がどのような行動をとったかがこの章の中心となる。 佐伯司令官は、司令部の全部隊を広島市に投入、江田島で待機させられていた少年たちも招集され、ベニヤ板の特攻艇、或いは上陸用舟艇に乗って川をさかのぼって、消火、被災者救助、治療にあたっている。備蓄してあった食糧、衣服も放出され、水道の確保、修理も行われた。炊き出しも行われている。 佐伯は、「広島市戦災処理の概要」という手記を残している。著者は、「長い間、この手記に強烈な「違和感」を感じていた」と記している。 そのあまりに適切な指揮ぶり、災害復旧に対する博識、そして何よりも米軍上陸に対して温存せねばならぬ兵員と兵器、そして食料をすべて被災者救援のために放出したという決断力。 例えば海軍は、江田島にいた海軍兵学校の生徒数千人を一切動かさず、温存している。 よく出来過ぎている・・・と思っていた著者は、軍事史家、戦史研究センターの所員と話していてその疑問を氷解させる。 佐伯は、関東大震災の際に、参謀本部に勤務、参謀たちは震災に対する災害復旧に対するあらゆる指揮をとっている。その経験が生きたという事になる。 佐伯は、原爆投下35分後に行動を起こし、さらに投下されたのが原子爆弾であるとの確認も行っている。 佐伯は各部隊に記録を残すように重ねて促している。遺体の処理にあたった特幹隊(引用者注 特攻要員)をはじめとする兵隊たちには紙と鉛筆を支給し、死亡者の本籍や氏名、それが不明であれば所持品や遺体の特徴などを詳細に書き残し、遺品は状袋に入れて提出するように命じた。これが後に膨大な原爆犠牲者の記録となり、後世に長く伝えられてゆくことになる。同時に、爆心に寝起きした多くの兵隊たちは、それぞれの故郷に戻ってから二次被爆によって次々と命を落とした。P352 さて、「なぜ広島に原爆が落とされたか」という問いに帰らねばならない。著者は、それは、呉ではなくて物流の中心点であった宇品をかかえていたからだ、と結論付けていた。しかし、宇品は生き残り、広島の被災者の救護に全力で当たった。 著者は記している。 原爆投下の前日、広島市上空に偵察機を飛ばして綿密な撮影を繰り返したアメリカ軍が最終的に原爆投下目標と定めたのは、宇品ではなかった。陸軍倉庫や軍需工場が立ち並び、特攻隊基地が置かれた宇品はほぼ無傷で生き残った。 アメリカ軍の海上封鎖によって宇品の輸送機能はほとんど失われており、もはや原爆を落とすほどの価値はなかった。さらに言えば、兵糧攻めと度重なる空襲で芯から干上がった日本本土に原爆投下の標的にふさわしい都市など残されてはいなかった。 それでも原爆は落とされねばならなかった。莫大な国家予算を投じた世紀のプロジェクトは、必ず成功させねばならなかった。(中略)それは終戦のためというよりも、核大国アメリカが大戦後に覇権を握ることを世界中に知らしめるための狼煙であった。P353~4 原子爆弾が完成した後、陸・海・空軍の首脳が集められ、原爆投下の是非が問われた。海軍は、人道上の理由から反対している。空軍は、すでに日本は石器時代に戻りつつあり、投下する必要はないと反対した。陸軍は、上陸作戦の中核とならねばならないことからいったんは態度を保留している。 例えばマッカーサーなどは、上陸作戦に伴うアメリカ側の犠牲者を5万人程度と推計している。上陸作戦が行われる前に降伏するだろうという見通しもあった。 ただ、政府にとっての心配は二つあった。 一つは、著者の言及している莫大な国家予算を投じて完成したものを何故使わなかったのか。という非難を恐れたこと。 二つ目が、ソ連の対日参戦である。対日参戦によって日本が降伏を決意したのは確実であるが、そうなると日本人はいったい「どの国に負けた」と思うのか? 原爆の使用は、「アメリカに負けた」という印象を造り出すのに有効である。そして原爆によって何人のアメリカ兵の命が救われたのかという宣伝が開始され、原爆投下の正統性がアメリカ国内を覆うようになる。最終的に、「原爆投下は百万人のアメリカ兵の命を救った」というところまで「犠牲者数」は、膨れ上がる。以上は『原爆はなぜ投下されたか』西島有厚 青木文庫 1971年 による。アメリカではきのこ雲の下で何が起こっていたかという事は不問に付される。1995年に「原爆展」を企画したスミソニアン博物館は、「きのこ雲の下」にも触れようとしたためにアメリカ在郷軍人会の猛反対を受け、館長が辞任する事態にまで発展、結局、エノラゲイのレプリカ展示でお茶を濁す結果となっている。 著者は終章に、田尻昌次がその自叙伝に残した言葉を引いている。 四面環海のわが国にとって船舶輸送は作戦の重要な一部をなし、船舶なくして作戦は成立しえなかった。船舶の喪失量が増大するにつれ、作戦は暫時手足をもがれ、国内の生産・活動・戦力を喪失し、ついに足腰の立たないまでにうちのめされてしまった。兵器生産資源及び食糧の乏しいわが国がこのような大戦争に突入するにあたりては、かかる事態に遭遇するの可能性について十分胸算用に入れておかねばならぬ重大事項であった。(略)もし再び同様の戦争が起きるならば、わが国は一年もたたぬうちに大戦末期の状態に陥ることであろう。P376 「一年もたたぬうちに大戦末期の状態に陥ることであろう」という言葉は重い。日本という国は、敗戦時と何にも変わっていない点がある。それは、資源の自給率が低いという事であり、さらにそこに食料自給率の低さという要素が加わっている。 軍事的判断ではなくて政治的判断によって、アメリカ大統領に言われるままに42兆円という国費を投じて旧型の兵器を買いこむ。これで、「戦争ができる国になった」と考えることがどれほど愚かなのか。この本が読まれてほしいと私が切望するのは以上の理由による。
2023.07.31
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「カチンの森虐殺事件」については名前だけは知っていた。この本を読んで、アウシュヴィッツなどと同じように、人間はいったい何をする生き物なのか、と考えざるを得なくなった。 「カチンの森虐殺事件」について、訳者の根岸氏の解説を引用する。 カチンの森虐殺事件とは、ソ連秘密警察NKVDがスターリンを頂くソ連共産党政治局に命じられて、ポーランドの将校と知識階級2万2000人(あるいは2万5000人)をロシア、ウクライナ、白ロシア(現在のベラルーシ)の各地で1940年4月から7月にかけて組織的にいっせいに殺害した、20世紀で類例のない歴史的蛮行を指している。なせ゛「カチンの森虐殺事件」と呼ばれるのか?一連の大量殺戮行為の中で、西ロシアのスモレンスク郊外カチンの森で、集団墓穴の遺体だけが最初に1943年に発見され、のちに事件の広がりがわかってからは全体の象徴とされたからだ。P188 カチンの森でポーランド人の遺体が発見されたのは1943年4月9日である。この発見は4月13日にドイツのラジオ放送から「ポーランド軍将校がソ連に殺害された」と発信されている。これに対してソ連情報局は4月15日に「1941年にスモレンスク西方で建設工事に従事していたポーランド軍捕虜は…ドイツファシストの手に落ち」・・やがて処刑された、と発表している。 この地域は1941年にはドイツ軍の手に落ちているが(1941年6月22日にドイツはソ連に侵攻、圧倒的な勝利を収めている)、1939年の9月1日にドイツがポーランドに侵攻して後は、独ソ不可侵条約の秘密議定書によってソ連が支配する地域となっている。 遺体発見後の経過を見てみよう。 世論はドイツを指弾した。発見された死体がドイツ製の弾丸で射殺されていた事実があったため、ドイツ政府は独立の国際調査団、ポーランド赤十字社調査団、ドイツ法医学特別調査団を招いて、現地調査に踏み切った。(中略) 国際調査団はドイツ以外の12ケ国から委員が選ばれた。(中略) 国際調査団は1943年4月28日にカチンの森へ到着した。現地で必要な人材や便宜はすべてドイツが提供した。委員には完全な行動の自由があり、検屍を望む遺体はどれでも自由に選ぶことを許された。P15 では、遺体はどんな状態だったのか。 カチンの森では、死体でいっぱいの深さ2,3メートルの集団墓穴が8つ発見された。埋葬のしかたにしある共通したパターンがあった。死体は顔を下に、両手は両脇に沿ったままか、背中でしばりあげられており、足はまっすぐに伸び、9から12層に重なりあって積み上げられている。すべて例外なく頭蓋骨を撃ち抜かれ、ほとんどがただ1度で銃殺されて、(中略)赤外線を使って軍服を顕微鏡分析した結果、犠牲者たちは襟の立った冬外套の襟越しに、あるいは直接頭部を拳銃で撃たれて処刑されたことがわかった。P17 結び方はすべて同一だった。縄は全部同じ長さだったから、あらかじめ組織的に用意されていたに違いない。現場でドイツ人科学者が行った顕微鏡検査によると、縄はソ連製だった。P18 さるぐつわをされ、しばられ、頭からかぶせられた外套で目隠しされた将校たちが抵抗したのは明らかだが、彼らはやがて銃剣の一突きで黙らされた。(中略)銃剣の刺し傷はたやすく識別でき、医学チームが傷を顕微鏡で検査したところ、刺し傷と衣服の刺し傷は、四つ刃の銃剣によってできたものだった。この種の銃剣はそのころソ連軍が使用していたことがわかっている。P19 殺された人びとの身元が確認できたのは、軍服のポケットの中身が個人情報の宝庫だったからだ。(中略)ソ連の収容所で受けたチフス予防注射証明書、個人の身分証明書、日記、手紙・・アルミニウム製の軍用認識票、個人の名刺、スケッチ画、写真・・ (中略)遺体の上にはソ連の日刊紙がたくさん置かれていた。 さて、以上の事から何がわかるか。著者は、遺体から回収された日記の日付の最も新しいのは何年、何月、何日のものだったかについて述べる。そしてソ連の日刊紙の日付で最も新しいものは何年、何月、何日付なのか・・。ソ連政府がカチン地区を支配していたのは1941年の晩夏までで、その後、ドイツ軍が攻略している。 遺体の身元が判明した時点で遺族は、「捕虜殺害犯は誰なのか」の真実と正義を求めてチャーチルとルーズヴェルトに期待をかけている。 「ドイツがこの事件を利用して連合国の間にくさびを打ち込もうとしている」という憶測はもっともだったし、ポーランドの指導的立場にいる人々を大量に虐殺してそこに自国を支持してくれそうな人々を送り込んでポーランドを支配しようという動機は、独ソ両国ともにあった。 ルーズヴェルトは、「この事件は、ソ連が引き起こしたものである」という見解を徹底して拒否し、自分に対して「殺害犯はソ連だ」と報告書を上げてきた外交官を南太平洋の島に左遷し、チャーチルは、ポーランド語の新聞が、「ソ連犯人説」を報じるのを禁じている。 そして、ソ連軍は反攻に転じて、カチン地区を再び自国の管理下に置いた。ドイツが敗北すると、ドイツの罪を裁くためにニュルンベルク裁判が開催されたが、カチンの森虐殺事件について取り上げられることはなかった。 ザヴォドニーのこの本は1962年に出版されている。読んでいて気になったのが、「今のところ〇〇の件については詳しいことは判明していない」という表現が何カ所か出てきた事だ。「ソ連崩壊によって多くの資料が利用できるようになったのになぜだろう?」と思ったのだが、それまで秘匿されていた資料の多くが(すべてではない)利用できるようになってから書かれた本の多くが、この本から多くの部分を引用しているということが「解説」に載っており、納得できた。 1998年、本書は著者の母国ポーランドでついに陽の目を見た。アメリカで世に問われて以来27年を要したことになる。半世紀間カチン事件がタブーとされてきたポーランドで、合法的に出版されたことは、ポーランドの自由化の到来を告げていた。翌年ワレサが大統領に選ばれる。P199 著者は、徹底して「事実によって語らしめる」という態度を貫いている。激越だが内容空疎な言葉は一カ所もない。 ※1991年にソ連邦が自壊した時に、カチンの森で共産党政治局(国家の最高意思決定機関)が指示しソ連秘密警察(NKVD)が捕虜の大量虐殺を実行したことを認めた。しかしロシアにはいまだに「ドイツ軍の犯行」と主張し、カチンの犠牲者が賠償金を請求するから公式の責任を認めない人々がいるという。すべての機密文書が公開され、ロシア政府がポーランド政府にたいして正式に謝罪するという事は行われていない。 つまり、ロシアは、カチンの森の一件については真摯に向かい合っていないという事になる。ポーランド側からすれば、ロシアは依然として脅威であり続け、現在のウクライナ侵攻によってそのことが裏付けられたという事になる。 ※P21に「殺害された人びとの中には一人の女性までいた。彼女はポーランド空軍の中尉で、ソ連軍の捕虜になってから他のポーランド将校とともに抑留され、カチンで銃殺死体となって発見された」という箇所がある。 これがおそらく『カチンの森のヤニナ』のもとになった記述であると思われる。西宮図書館であと4人待ち。
2023.07.22
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ある人の話を聞いた。 ロシア(ソ連)は、広島、長崎に対する原爆投下についてすぐに調査に入っている。 そしてすぐに「人道に反する行為」として批判している。 さらに、常任理事国であるアメリカの国際法違反の侵略行動(ベトナム、イラク、中南米の政治へに介入)を国際社会は批判もしない。しかし、ロシアは同じことをやっても非難される。 アメリカがやっていて、ロシアがまだやっていないこと。それは、核の使用だ。 アメリカの歴史をみると、暴力によって領土を拡大し、先住民を虐待し、黒人奴隷を酷使して財を成し、中南米を「裏庭」と称して「こん棒外交」を展開、「アメリカ的価値」を至高のものとして押し付けてはばからず、1929年の世界恐慌によって世界大戦の遠因を作り、リーマン出区によって世界経済を混乱させた。最近になってやっと銀行に対する「規制」を言い始めている。 こんなアメリカが、他の国に対して「ならず者国家」とレッテルを貼ることができるのか。 西部開拓時代に使用されたコルト45のニックネームは、「ピース・メーカー」だ。 アメリカの情報収集能力は実にお粗末だ。 イランのホメイニ革命を予測もできなかった。イラクには「大量破壊兵器がある」とCIAの情報をうのみにして戦争を仕掛けて「大量破壊兵器」がないと、「政権を民主化する」とさっさと戦争目的を変更した。 ロシアによるウクライナ侵攻は擁護できない。しかし、これまでのアメリカの上に記したような国際法違反を同時に追求することは必要だ。 ウクライナは善、ロシアは悪という単純な二分法で「今」を見てはならない。 大変に考えさせられた。
2023.07.11
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「プリンツィプがいた現場には足跡が刻まれ、その背後の建物には「ボスニア解放の英雄」として彼を称えるプレートが飾られ、この建物の一部は彼が属した「青年ボスニア」の記念博物館として残される。(中略) しかし、ボスニア内戦が始まるとプリンツィプがセルビア人であるという理由から、ムスリム勢力によって足跡やプレートははがされ、博物館は閉鎖された」。(1) プリンツィプは、オーストリア皇太子夫妻を暗殺し、第一次世界大戦の原因となったサライェヴォ事件の当事者である。その彼が一時は「ボスニア解放の英雄」として称えられた時期があった。そしてそれは、スロベニア・クロアチア独立という動きの中で始まるユーゴスラビア解体とボスニア内戦によって噴出した民族国家建設、そしてそれに伴う民族浄化によって断ち切られる。 この内戦の際に、ボスニアはセルビアの侵攻に備えて「紛争の国際化」を図る。アメリカのルーダー・フィン社と契約。同社は、民間企業だけでなく国家もクライアントとする企業であり、「戦争広告代理店」ともよばれている。同社はセルビアを悪玉とし、ボスニアを善玉とする工作を始める。 この時にセルビア側の残虐行為に対して使われたのが、「民族浄化」、「強制収容所」という言葉である。同社がクロアチアをクライアントとしたときに、「ホロコースト」という言葉を使って在米ユダヤ人の抗議を受けため、「民族浄化」という言葉を使っている。 この工作は見事に成功、ユーゴスラビア連邦(実質セルビア共和国と同一)は国連から除名される。(『戦争広告代理店』高木徹 講談社 第2、6、10、14章の要約) 紛争が生じた際に、「善玉、悪玉」という二項対立的思考で捉えることは注意を要する。それは、現在のウクライナ戦争でも同じである。武力に訴えて国境線の変更を図ろうとするロシアの行為は非難されねばならないが、かといってウクライナ側を正義として描くのは慎重を要する。 セルビアでは、1980年5月4日にユーゴスラヴィアにとって絶対的なカリスマであったチトーが亡くなった。それを境として徐々に噴出していた「ナショナリズム」に訴える言説がマスコミを中心に広がりつつあることへの危険性を指摘する声が挙がっている。 1987年9月3日、ユーゴ人民軍内でコソヴォ自治州出身のアルバニア人兵士が4人を殺害する銃撃事件が起きた。その一週間後の9月11日、この事件に関してベオグラード共産党支部長パヴロヴィッチは、国内で高まりつつある反アルバニア感情や民族主義的論調に対して以下のように述べている。 「このような主張が見逃しているのは、まさに次の点である。ユーゴスラヴィアのどの地域においても、ナショナリズムを無力化することに最も成功した手段は、ナショナリズムを自らの境遇、自らの民族において無力化すること。そして、あるナショナリズムと別のナショナリズムの衝突は、その衝突においてどちらかのナショナリズムが単に誘発されたに過ぎないと見なされるか否かにかかわらず、兄弟殺しに至るような憎しみや、また兄弟殺しさえも導くという事である」。(2) 確かに、セルビア人は、ユーゴスラヴィアを構成する諸民族の中でも特別な地位を主張するに足る歴史的な偉業を成し遂げている。一つが、小アジアからバルカン半島へと版図を広げようとしたオスマントルコと敗れはしたものの果敢に戦ったこと、そして第二次大戦中に、いち早くナチと協力したクロアチアと異なり、パルチザンを組織、徹底的抗戦を貫いたことである。 しかしセルビア人は自己の偉業についてことさらに語ることを抑制している。ナショナリズムの噴出がどのような事態を招くかを、知っていたからである。 元々、ユーゴスラヴィアは、単一国家ではなく連邦制を採用している。それは戦前のユーゴスラヴィア王国ではセルビア人主導の国家運営の側面が強く、クロアチア人など他の民族の反発を招いたことから「共産党は、セルビア人の「覇権主義」的傾向や中央集権主義を非難し、各民族の自決を支持する立場をとった。党内では自決をめぐってユーゴスラヴィアの解体および各民族の分離と独立が議論された時期もあった」。(3) 以上のことから、各共和国の自決(独立)の可能性は内蔵されていたという事もできよう。 1987年のパヴロヴィッチの演説の2年後にはベルリンの壁が崩壊し、ソ連に追随していた東欧諸国では次々に政変が起きている。隣国のルーマニアでは、独裁者チャウシェスクが処刑されている。 1991年6月25日にはスロベニア、クロアチアが独立を宣言しユーゴスラヴィアは解体の過程に入る。1992年2月29日にはボスニアで独立承認の国民投票が行われて独立。4月6日にはECが独立を承認する。ボスニアには当時約430万人が住んでいたが、44%がボスニア人(ムスリム)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人であった。独立宣言の翌月には内戦が勃発する。 このボスニア内戦において、最初に述べたように、「戦争広告代理店」は、セルビアの大統領ミロシェヴィッチを徹底した悪玉と宣伝、ボスニアのシライジッチ外相を善玉として描くことに成功する。これは、セルビア側が残虐行為を行わなかったという意味ではなく、その行為について「民族浄化」、「強制収容所」という欧米諸国の人々の嫌悪感を引き出すキャッチフレーズを使用して効果を上げたという事である。 『ボスニア内戦』佐原徹哉 有志社 では、第Ⅵ章(P195~306)でセルビア人、クロアチア人、ボスニア人それぞれの残虐行為を取り上げている。セルビア人については50ページ、クロアチア人については30ページ、ボスニア人については20ページが割かれている。 そして著者は以下のように述べている。 「ボスニア内戦を戦った三つの集団は同じ文化の中で育った人々であり、身につけた文化に規定された行動をとっていたのである。彼らは同じ言語を話し、同じメディアを受容し、同一の教育制度の中で育成され、同じ消費文化を享受し、そして何よりも同じ体制下で七十年以上も共に暮らしてきたのである。(中略)ボスニア内戦は、異なる価値観を持つ民族集団同士の「殺し合い」ではなく、同じ価値観と行動規範を持つ「市民」が、混乱状態の中で、互いの中に他者を見出そうとした現象であった。そして、このことがボスニア内戦の持つ現代的意味であろう」(4)佐原徹哉 有志社 P304~5 ※波線、引用者。 「処刑の任に当たった兵士の中にはスレブレニッィアの出身者がいて、捕虜の何人かと顔見知りだった。捕虜たちは彼に、昔の友誼に免じて命を助けてくれと訴えたが、いかんともし難かった。彼は「貴方はよい人間ですが、殺さなければならないのです。貴方が民族主義者じゃないこともよく分かっています」と悲しくつぶやくことしかできなかった。(中略)処刑が始まると同時にアルコールが配られ、酩酊状態で任務をこなしていった」。 (5) 「ナショナリズム」「ナショナリスト」という言葉には多くの規定が知られている。しかし私は、ジョージ・オーウェルの以下の言葉に賛同する。 「ナショナリズムは自己をひとつの国家その他の単位と一体化して、それを善悪を超越したものと考え、その利益を推進すること以外の義務は一切認めないような習慣を指す」 (6)「ナショナリストは自己の陣営によってなされた暴虐行為は非難しないばかりか、そんなものは耳にも入らないという珍しい能力を持っている」(7)「すべてのナショナリストには、過去は改変できるものだという信仰が付きまとう」(8) 「歴史修正主義」に陥らないように常に自戒の言葉としたいと思っている。
2023.07.02
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1966年6月29日に、ビートルズの4人が来日している。会場になった日本武道館の使用の是非を巡って賛否両論あった事を思い出す。 テレビ番組も放映された。冒頭で流れたのが確か「ミスター・ムーンライト」だったと記憶している。 先日、「バタフライエフェクト」で、ビートルズの軌跡を二度にわたって放映していた。前期「青の時代」では、ブライアン・エプスタインという有能なマネージャーを得てビートルズが創り上げられていく過程を追っていた。 アメリカ公演のことを取り上げていた。 南部での公演は、スタジアムは「白人席・黒人席に分ける」というのが、当然とされていたところ、「そんなことをするのなら公演はしない」と彼らは言い出した。実はそれは当たり前で、彼らが最も尊敬していたミュージシャンは、黒人だったからだ。 彼らの言い分が通って、スタジアムは白人、黒人が混合という当時としては異例の空間が出来上がった。その空間の中で、コンサートを聞いたのが、ウーピー・ゴールドバーグ。 彼らは様々な国でコンサートを開いたが、フィリピン公演の際に、ジョンがジョークのつもりで「我々はキリストより有名になった」という一言が物議をかもし、デモが起きるわレコードは燃やされるわという事態となり、彼らはほうほうの体でフィリピンを後にする。 そんなこんなで彼らはコンサートを行わなくなり、スタジオ録音に軸足を移す。 確かポールだったと思うが、コンサートをやらなくなった理由として、「誰も僕たちの音楽を聴いてくれない。ただ騒いでいるだけだ」と語ったのが記憶にある。 後半。彼らの音楽は体制をこえる。ソ連、東欧圏にも彼らの音楽を求める若者たちが出てくる。 思うに、彼らが新しかったのは、それまでの主流であったプロの作った曲を歌い、演奏するのではなく、自分たちで作詞、作曲するスタイルだったように思う。 ソ連、東欧では彼らの音楽は「退廃音楽」とされて長髪も目の敵にされた。 レコードも当然発売禁止。しかし、ひそかに西側の放送を受信した若者は、使用済みのレントゲン写真にレコードの溝を刻んで楽しんだ。肋骨の写っている写真に刻まれたビートルズの「肋骨レコード」の始まりだ。 さて、東欧圏でも例外的に規制が緩かったのがバルト三国の中のエストニア。この国の一人の若者が当時発売されたばかりの「ヘイ・ジュード」に、ロシア語の歌詞ではなく、エストニア語の歌詞を付けて歌ったことで国民的歌手となる。 歌詞は、エストニアの人たちの感じていた不満、フラストレーションを見事に表現、後にもっと大きな規模で開催されたコンサートでは、禁止されていたエストニアの国旗が翻ることとなる。 ソ連崩壊後に独立を果たしたエストニアには、「公共の場所では、エストニア語以外の言葉を使用する事を禁止する」という法律がある。エストニアには、もちろんロシア人も住んでいる。しかし彼らは、公共の場、例えば郵便局の中で局員にロシア語で話しかけても局員はいっさい対応しないでいいという事になっている。 普通に考えれば、「母語をしゃべることを禁止される」という事は基本的人権の侵害という事になる。しかしそれ以前に、東欧の国々、或いはウクライナでは民族の文化と言葉の使用が禁止され、ロシア語話者が優遇され、その国の文化は悉く「ロシア化」されたことを想起すれば、現在の事態は、理解できる。ましてやプーチンによる「特別軍事作戦」という名前の侵略行動という時代の中でのロシア語話者に対する二級市民扱いはやむを得ないことかもしれない。 ナショナリズムの噴出はいい事ではない。哀しいことだ。
2023.06.30
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朝ドラの「らんまん」を楽しく見ている。長田育恵作、神木隆之介、浜辺美波、志尊淳他の出演。 先週、ちょっと面白い部分があったので、紹介とコメントをしてみたい。 高藤なる人物が、浜辺美波演じる西村 寿恵子を見初め、来年開館する鹿鳴館のためのダンス指導者(ついでに妾)としようとする。レッスンは順調に進み、エリートたちが夫人を伴って会した場所で、お披露目が行われる。 高藤曰く。 「鹿鳴館は外国人に我が国が文明国であることを認めさせることが第一義、そのためにはダンスが必ずや必要となるものです。」 そして寿恵子と踊り終えた後で、 「どうです。鹿鳴館は目的ではなくただの手段です。我が国を認めさせ、屈辱の不平等条約を撤廃し、今度は我が国が他国へ出ていく。西洋諸国がそうしたように。」 「ダンスはただの手段だ」と始まった鹿鳴館でのダンスパーティーは、ほどなくして「目的」となる。要するに、明治のエリートたちは、ダンスの楽しさに目覚めてしまったわけだ。ダンスというのは、女を抱いて踊るという事だが、西洋人も中々粋なことをやってくれる、というセリフが少し前の回でささやかれていたと記憶している。 ジョルジュ・ビゴーの風刺画に、ドレスと燕尾服に身をかためた男女が鏡の前に立っている、という作品がある。鏡の中にはドレスと燕尾服を着たサルが写っている・・、というオチがつく。 形から入る。ダンスを楽しみ、パーティーには必ず夫人同伴・・というのが文明国と彼らは認識していたようで、まさに「猿真似」。 高藤曰く。 「この場にいる我らこそ民草を導いていくのです。日本は一等国となるのです。」 「民草」。このような言葉が発せられる以前の幕末の事。吉田松陰は、「草莽崛起(そうもうくっき)」という言葉を使っている。「草莽崛起」とは、在野の志ある人々が大義のために一斉に立ち上がることを意味する言葉である(wiki)。 松陰は、「民草」などという言葉を使ってはいない。万太郎のモデルとなった牧野富太郎は、「名もなき花、雑草などというものはありません。すべての草花は名を持ち、立派に生きています」と述べているが、その言葉と正反対なのが「民草」という言葉のようだ。 高藤が、寿恵子に、「あなたは変わらねばならない」と言い、「あなたと私は対等のパートナーだ」と言ったのに対して、「なぜ私は変わらねばならないのですか。私は菓子屋の娘ですが、両親のことを恥じたことはありません」と告げる。そしてダンスを教わったクララに対して、「心のままに生きることの大切さを教えていただきました。私には好きな人がいるんです」と語り、会場を後にする。 寿恵子を追おうとする高藤に対して彼の妻は「みっともない!」と言い、「男と女が対等だとあなたはおっしゃいましたが、あなたはすぐそばにいる女が目に入っていない」「この国の行く末を描くのに女の考えは聞こうともしない」と告げ、会場を去る。 鹿鳴館は、1883(明治16)年、外務卿井上馨によって「欧化政策」の一環として建設されている。今から140年前。 「この国の行く末を描くのに女の考えは聞こうともしない」という高藤の妻の言葉は、果たして明治初期を象徴する言葉なのか? 国会を牛耳る面々。政党内部でのセクハラ、パワハラの多発。立派に今でも残念なことに通用する言葉ではないか。 様々な面で日本が「一等国」から滑り落ちた現状を見るに、ただ単に「男である」という点にのみしがみついてその「特権」を手放さない男たちの責任の大きさに思いが及ぶのは私だけだろうか。
2023.06.19
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1929年6月12日、アンネ・フランクが誕生している。13歳の誕生日に、アンネは、父オットーからプレゼントとしてサイン帳を贈られているが、彼女はそれを日記帳として使い始めている。日記帳には「キティー」という名前を付けている。 1942年7月5日に、アンネの姉のマルゴーに対してユダヤ人移民センターに出頭すべしという命令通知が来る。翌日、かねてから潜伏場所を決定していたオットーは、家族を連れて潜伏場所へと移動する。 1944年8月4日の朝に、密告により彼らは潜伏場所から連行される。アンネとマルゴーは、ビルケナウ収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送され、そこで、1945年の2月から3月の間に発疹チフスで亡くなる。 「ユダヤ人問題の最終的解決」は、そもそも合理性を全く欠いている。潜伏場所から連れ出される際に、親衛隊の隊員は、オットーが第一次大戦の際にドイツ軍の中尉であった事を知ると、思わず敬礼をしそうになったという事である。また同じ第一次大戦の際に、毒ガスを実用化したフリッツ・ハーバーはユダヤ人である。二次大戦が勃発した時点でドイツ在住のユダヤ人は5万人程度だったと考えられている。 東進するにしたがって居住しているユダヤ人の数はどんどん増えていく。そのユダヤ人たちを全く区別することなく「ユダヤ人」としてひとくくりにして殺害している。 各地のユダヤ人たちを列車に乗せて収容所に送り込む際には、ユダヤ人移送のスケジュールの方が、弾薬、食糧などの輸送スケジュールよりも優先されたという例さえある。 兵として活用することも、労働力として活用することも、高度な知力を活用して新兵器の開発、暗号解読の任に当たらせるという事も一顧だにされていない。 そのような「合理的な」選択をしていれば、アインシュタインは、アメリカに亡命することなくドイツで原爆製造の先頭にたっていたかもしれない。ただ、それが可能になるためには、アメリカのマンハッタン計画のような効率的な組織が必要であって、ヒトラーの独裁体制のもとでは不可能だというオチがつくのだが。 習近平は、中国共産党の長期にわたる権力闘争から生み出された「集団指導体制」「国家主席の任期は2期まで」という教訓を踏みにじって長期独裁、個人崇拝体制を確立しようとしている。彼は、古今東西の「独裁者の末路」を研究し、「自分だけは例外」という結論に達したのだろうか?それとも中国は未だに「開発独裁が必要な国」と中国を位置付けているのだろうか?
2023.06.12
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日曜6時からの「クール・ジャパン」。テーマは「縄文」。私が高校の時に教わった「縄文」のイメージは最近の研究の成果によって大きく覆されている。三内丸山の発見が大きかったと思う。確か、どんぐりか栗の実のDNA分析をしたら、ただ山に分け入ってそこに落ちている実を拾って食べたのではなく、「栽培」を行っていたことが明らかになったことなどがそうだ。東北地方では、鮭の遡上によって豊富な食料が得られたこと、鮭の他にも何十種類もの魚介類が食されていたことも貝塚の発掘で明らかになった。 日本史の場合、あまり縄文に割いている時間はないのだが、時間がない中でも教えているのは、「釣り針」の事。教科書の写真を見るように指示して、釣り針の「かえし」について質問する。「なんでこんな部分が必要なんやろう?」。「かえしが無かったら、せっかく釣っても魚が暴れたら逃げられてしまう」。これはたいてい正解が出る。今の釣り針と同じ形をしていて、違うのは材料だけ。金属か、動物の角や骨で作るかだけ。 いまから数千年前という大昔に、釣り針の今の形ができたなんてすごいよな。 番組では、土偶、それもおそらく一番有名な遮光器土偶が紹介され、青森の某駅には巨大な遮光器土偶が駅舎の前に建てられており、列車の接近を知らせるために目が光ることも出てきた。愛称「シャコちゃん」。 縄文グッズ。ストラップ、これは金属製の遮光器土偶の小さなレプリカ。あと、縄文模様とか。 縄文人のヘアスタイルを取り入れた髪型にこだわっている美容院とか。 最後、「縄文大工」と自称する人が登場。元々チェーンソーにあこがれて大工を目指したのだが、樹齢何百年という樹でもいとも簡単に切り倒してしまうということに違和感を持って宮大工に転身。ところがそこでも金属製の大工道具に違和感を持ち、縄文の石斧を自作してみて、「これだ!」と思い、以後、縄文の住居を建てたり、衣・食ともに縄文方式を採用し、全国を廻って子どもたちに、石斧で樹を切ってみる体験をさせたり。 何百年という樹齢を持った樹を切り倒すときは、チェーンソーなら簡単だけれど、石斧を使うと18日くらいかかると説明、「樹に対して、伐らせてもらいますと言いながら切るという優しさを持ってほしい」。 で、いったんスタジオに。「この人をどう思うか?」という鴻上氏の質問にみんな肯定的な発言。 面白かったのは、フランス人の答え。「ぼくが樹なら18日かけてコツコツ伐られるよりも、チェーンソーで20分で片づけてほしい」。「もちろん冗談だけどね」と彼は付け加えたけれど、ワタクシは深く納得いたしました。 この番組が面白いのは、ワタクシが当たり前と思っていることが、他の地域、国では当たり前ではないことが出てくるところ。 ある回で、何かの商品を(失念)紹介した後で、鴻上氏が「こんな商品を販売する自動販売機は海外では受け入れられますかね?」と質問したら、「うちの国では、自販機ごと盗まれる」という答えがあって、大笑い。今でも覚えている。
2023.05.22
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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(フィリップ・K・ディック)は、ハリソン・フォードとルトガー・ハウアーが出演した映画「ブレード・ランナー」(1982年製作)の原作とされているが、力点の置き方も筋も原作とはかなり異なっている。 第三次世界大戦(核戦争)が終了し、地上には放射能を含んだ灰がふりそそいでいる。作品が書かれたのが1968年、時代設定は1992年となっている。 動物も大半が絶滅したと見えて、本物の生き物を持っていることがステータスシンボルとなっている。逃亡して地球にやってきたアンドロイド(映画ではレプリカント)を抹殺するのが主人公リックの仕事で、映画で「ブレードランナー」と言われている彼の仕事は、「バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)」と実もふたもない書き方がされている。 リックはいずれは本物の羊を飼いたいと思っているが、今は本物そっくりに作られた「電気羊」を飼うしかない。 本物そっくりと言えば、タイレル社が作っているアンドロイドもどんどん性能が向上してきて、人間と見分けがつかなくなってきている。確かに彼らの寿命は5年と設定されてはいるのだが、なぜこんなにも見分けがつかないアンドロイドを作るのか? もちろん区別をするための方法は作られている。一問一答形式の情緒を測定するための機器で、普通人間ならこう答えるだろうと考えられている答えから有意にずれるとアンドロイドと認定される。 しかし、同じ賞金稼ぎで、アンドロイドに対して極度の憎悪を持っている男が現れる。リックはこいつはアンドロイドではないかと疑うが彼はそうではない。 最新型のアンドロイドはほとんど人間と見分けがつかない外見をしている。後半でリックは一人のアンドロイドとベッドを共にする(これは「違法」とされているのだが)。 そんなアンドロイドをレーザー銃で抹殺することに対して何のためらいも持たない彼に対してリックは自分の方がおかしくなっているのかと混乱をきたす。 サイエンス・フィクションであるが、倫理と哲学を内蔵している作品であり、現在進行形で起きているAIの「進化」についても考えるきっかけを持っている。 「ユーラシアグループ」が定期的に公表している「人類滅亡の原因」の中に「AI」が「気候変動」「核戦争」などと並んではいるようになったのがもう数年前。 日本の国会では、チャットGPTを使うという方向で議論が進んでいるようだが、6月号の『世界』で、片山善博氏が、「大臣の国会答弁とは本来は大臣自らの考えと言葉で行うべきである。ところが、多くの大臣はそれができないので、やむなく官僚たちが答弁作成を代行しているのが実態である。・・西村大臣の発言に違和感を覚えるのは、例えていえば学生に課せられた論文について、それが代行作成されるのを当たり前のこととしたうえで、その代行作成者の労力軽減のためにチャットGPTを活用したらどうかと仕向けているようにしか聞こえないからである。・・大臣にはその職責に必要な資質と知見を備えた人が任命されるべきである」。P67~68。 スマホの開発にあたった技術者が自分の子どもにはスマホを持たせないという冗談みたいな話を聞いたことがある。 スマホ、そしてAIが人間に何を与えるかと同等に「人間から何を奪うか」を考えた方がいいかもしれない。
2023.05.17
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仲代達矢さんの「バリモア」を観る。 出演者はバリモアとプロンプターの二人。実質、仲代さんの独り舞台と言ってよい。以前、NHKの番組で、芝居のセリフを部屋のいたるところに貼って覚えようとしておられる姿を紹介していた。ただ、今回の芝居はそんなことでカバーできるようなものではない。この膨大な量のセリフを仲代さんはどうやって自分の中に入れたのか。 それと、妻が言っていた「集音機がいらなかった。ものすごくはっきりと聞こえた」というセリフの明瞭さ。これまでの舞台で、「今日はセリフが聞こえにくかったね」という「しょうがないなぁ」という愚痴が一切なかった。客席に背を向けていてもセリフが聞こえる。本当はこれが基本なのだが。 以前というか、かなり昔に「オイディプス」を観た時に、神戸文化ホールの中ホール二階の最後列に座って観劇した時に、息も絶え絶えな主人公のささやくようなセリフが、「ささやくようにはっきり」聞こえた時の感動を思い出した。 ジョン・バリモアは、俳優一家に生まれ、自身も俳優として一世を風靡した実在の人物。「ハムレット」「リチャード三世」などの当たり役を持っている。しかし老いと過度の飲酒によってもうぼろぼろになっている。 舞台では、バリモアとプロンプターとの間の稽古の様子が演じられる。演じられる演目は「リチャード三世」。セリフもかなり、というかほとんど忘れている。いったい誰のセリフであったかも怪しくなっている。その稽古の間に彼は、四人の元妻の事、家族の事、精神病院で亡くなった父のことを思い出す。稽古には身が入らず、プロンプターとの言い争いも始まる。プロンプターが自分を見捨てて去っていったと思ったバリモアは、まるで幼子が母を求めるように、「帰ってきてくれ!」と叫び続ける。さいわいプロンプターは再び帰ってきてくれる。 セリフが覚えられなくなる。過去の栄光の中でしか生きられなくなる。体も動かなくなる。役者が齢を重ねるにつれてぶつからねばならない事柄ばかり。それを90歳の仲代さんが演じる。 時々、仲代さんは、私たち観客へのサービスとして滑稽で軽妙な動きを見せてくれる。そのたびごとに観客席からは笑いの波が起きる。 楽しい時間にも終わりが来る。カーテンコールは通常二回まで。しかしこの日は、三回。みんなの気持ち、何度でも仲代さんを見ていたいという気もちの表れだろう。 今年3月に亡くなられた奈良岡朋子さんは、93歳で舞台出演を控えておられたという。 仲代さんは、百歳まで舞台に立っていただきたい。
2023.05.16
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『スターリン批判 1953~56年』和田春樹 作品社 2016年 500ページ近い大冊。1953年3月5日午後9時50分にスターリンが死ぬ。そして紆余曲折を経て1956年2月14日にソ連共産党第20回党大会が開催される。大会3日目の16日にミコヤンがスターリン批判演説を行い、25日の大会最終日に秘密会でフルシチョフが秘密報告を行う。 この第20回党大会に関する記述は第7章P283からP316まで。つまり、前半の約300ページを使って、スターリン批判をいかに行うかが検討されたかの経過の分析がある。まず、古参ボリシェヴィキの要求によりスターリンの命令によって処刑あるいは流刑にあった人たちの名誉回復が図られる。 「スターリン批判をいかに行うか」は、大会直前まではっきりとは決まっておらず、原案はある程度集団討議で決まったようだが最後はフルシチョフの判断で行われたようである。 各国共産党にその内容がいかに伝えられたか、「スターリン批判」はそののちソ連共産党内部でどうなったか、これは第八章(P319~P400)。 秘密報告は、朗読という形で各組織の党員、非党員に伝えられている。 それに対する各地、各組織、各国での反応が記される。 スターリンの生地。「グルジア共和国の首都トビリシでは、スターリンの命日の3月5日に、午前10時ごろ、市の中心部にあるスターリン広場に立つスターリン像に向かう、150人ほどの青年学生の追慕行進がみられた。行進は、スターリンの肖像と花輪を掲げていた。彼らは、道で出会う人々に脱帽して敬意を表せと要求し、さらに自動車の運転手には警笛を鳴らすことを求めた。(中略)運動は一層激化した。「政権交替を実現せよ」「ミコヤン、フルシチョフ、ブルガーニンを追放せよ」・・などの要求が出された。」P322~3 結局この「反乱」は武力によって弾圧される。 著者は以下のように記している。 「この反乱は、盲目的なスターリン崇拝で育てられた人々が、グルジア・ナショナリズムの感情にかられてモスクワの国家権力に怒りを爆発させたものだと見ることができよう」P323。 この本の中で著者が意識的にその動きを紹介しているのは『歴史の諸問題』という歴史家の雑誌である。 彼らは長年にわたって、「権力に奉仕するための歴史叙述」を行う事を強いられてきた。第8章の中でも『歴史の諸問題』誌に結集する歴史家たちの運命が記されている。 ここで初めて知ったのだが、ゴルバチョフが提唱して有名になった「ぺレストロイカ」という言葉は、実は「改革」という意味で1920年代から使われていたようだ。そしてこの時も盛んに使われている。 3月29日に発行された『歴史の諸問題』には、以下のような文章が掲載されている。 「ソ連の歴史家たちは、20回党大会の歴史的な決定の光に照らして、自分の仕事をペレストロイカしつつある。このペレストロイカは一つの極論を避けて、別の極論にいたるというようなことを意味しない。引用をやめて、個人名を削るということが個人崇拝の克服ではない。大事なのは歴史過程と個人の役割の真実にそくした、マルクス主義的解明なのだ。歴史家の仕事のペレストロイカは深く、有機的で、思慮あるものでなければならない。それは速攻戦ではありえない。・・・・成熟した問題の正しい解決は、何よりもまず歴史家の集団的努力の結果として、自由な意見交換、創造的討論、真剣な学問的研究のまとめとして、可能になるのである。」P327。 その他の論文も、それまでタブーとされていた諸問題にふれている。 そして、各地から、「スターリン批判」に対する疑問、質問が山のように寄せられるようになった。 「すべての誤りをスターリンのせいにするのが、個人崇拝ではないのか」。 「私は女教師です。私の生徒たちは私に質問します。「どうしてスターリンの生きているうちに、誰も彼の誤りのすべてを認識しなかったの。なぜなの」。私はどう答えて良いか、わかりません。助けてください」。 1945年8月15日にポツダム宣言受諾つまり日本の敗戦という事実が天皇によって伝えられた時、「なぜ私が生きていて戦争が終わるのか。指導者の人たちは「一億玉砕」と言っていてなぜ生きているのか」「「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っていた東条さんはじめ軍のえらいさんはなぜ生きているのか」という問いは大きな規模で発せられることはなかった。 当時の記録の中には、もちろん責任を問う声もある。しかし圧倒的多数は、「その日その日を生きるのに必死だった」という声である。 赤軍では、ジューコフが、「軍人要員に対するスターリンの疑い深さが、戦力に巨大な害をなした」。「特に方面軍司令官・軍司令官の養成はひどい状態だった」。と秘密報告を肯定している。 スターリンは、ヒトラーとの間の「独ソ不可侵条約」を信じ続け、同じようにヒトラーもそれを信じていると考えて、「ヒトラーを出し抜いた」と考えていたようだ。スターリンは、1937年から38年にかけて赤軍の元帥5人のうち3人、司令官級15人の内13人、軍団長級85人の内62人、師団長級195人中110人。大佐以上の高級将校の65%が「粛清」されている。 彼は、自ら作り出したこの惨憺たる状況に照らして、「今ドイツとことを構えるのはまずい」と考えたようで、ソ連のスパイ、或いは他国の共産党からの警告(ドイツ軍がソ連に攻め込もうとしている)をすべて無視、ポーランド分割によって国境を接することとなった最前線の赤軍部隊に対してはわざわざ「挑発に乗るな」という命令を出している。 「1941年6月22日、午前3時15分、ナチスドイツはソ連邦への侵略を開始したのである。総兵力はおよそ330万」。『独ソ戦』大木毅 岩波新書 p35 「その弱体さがもたらした災厄には、すさまじいものがあった。ドイツ中央軍集団の矢おもてに立ったソ連西正面軍には、開戦時に62万5000の兵力があったが、7月9日までに41万7729名の戦死者、戦傷者、捕虜を出し、戦車4790両を失っている」。同書P46。 そして彼がラジオを通じて国民に向かって「祖国戦争 侵略者に対する国民の聖戦」を宣言したのは7月3日であった。『赤いツァーリ』ラジンスキー NHKD出版(下)P287 この11日間、彼は何をしていたのか?崩壊した赤軍を罵り、誰が自分を騙したのか、犯人は誰なのか・・・。彼は怒り狂い、罵り、そしてやっと正気に返ってマイクの前に立つ。 この祖国戦争、後に「大祖国戦争」と呼ばれる戦争を勝利に導いたという結果が、スターリンの権威を確固たるものとする。 ソ連国内でスターリン批判以後もスターリンを完全に否定できなかったのは、この「功績」である。 ソ連国内で徐々に強まったのが、スターリン擁護の声である。批判の急先鋒であった人々は発言に注意するように強いられる。近隣諸国、特にハンガリーで起こったスターリンに屈従して国民を強権的に取り締まった政治家に対する10万人のデモは激しく鎮圧され、「ハンガリー暴動(動乱)」というレッテルが貼られてソ連軍が出動する。 この事態について著者が各章ごとにその日記を引用しているモスクワ大学史学部教授ドミトリエフは、以下のように記している。 ロシア人であることは恥ずかしいことだ。たとえハンガリー人を鎮圧しているのがロシア人民ではないとしても、ソ連の共産党政権であるから恥ずかしいのだ。しかし、ロシア人民は沈黙している。奴隷の民のように振舞っている。他国民を鎮圧する国民は自由ではありえないと言った良き人々がかつていた(チェルヌイシェフスキーを指す)。ロシア人民の名とその血により、どす黒い流血の惨事がなされている。でも人民は沈黙している。その良心は眠っている。その意識は欺かれている。彼らの中にはこのどす黒い惨事に反対する抗議の声がないのだ」。P388。 今のロシア国民に対しても同じことが言えはしまいか。 そしてフルシチョフは、1957年の1月7日、以下のように演説した。 我々はスターリンを批判したが、それは彼がお粗末な共産主義者であるからではない。彼を批判したのは若干の逸脱、否定的な性質のゆえであり、重大な誤謬を犯したからである。しかし誤謬を犯しながらも、適法性違反を犯しながらもスターリンは革命の獲得物、社会主義の大義を擁護するためだと確信していたのである。基本的な点では、主要な点では、一人一人の共産主義者がスターリンが闘ったように闘ってほしいと思っている。P396。 取って代わられはしまいかという猜疑心、自分の思い通りにならぬといういらだち、自分の命を狙っている者がいるという不安…2000万人ともいわれる人々を殺害したことが「若干の逸脱」で済まされたところに、その後のソ連、ロシアの悲劇があった。 プーチンは言っている。「スターリンの時代は、強制収容所だけではない」。そしてロシア国民は、プーチンによるウクライナ侵攻を止められないでいる。 「他国民を鎮圧する国民は自由ではありえない」。「ロシア国民であることが恥ずかしい」と言う人々はいる。しかし彼らは鎮圧され、拘束されて、国外に逃亡する者もいる。国内にとどまってプーチンを批判する人たちは孤立している。 日本の現状を見るにつけ、この本から学べることは多いと読み終わって考えている。
2023.05.15
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サーロー・節子さんの講演を聞く。関学賞、名誉博士学位記授与式の一環として行われた。前半はキリスト教系の大学らしく、聖書の朗読、讃美歌を歌う。サーローさんの旦那様が宣教師である(関学で教えておられた)ということも関係していると思う。 サーローさん、車いすで、耳も少し聞こえにくいようだったが、声は力強い。 「核と人間は共存できない」という信念のもとで、長年活動。アイキャンがノーベル賞を受賞した際に代表してスピーチをされた(その映像は講演の後で流された)。 13歳で被爆され、倒壊した建物の中から這い出して助かった経験を語られた。関学側から3名の若者が登壇してサーローさんに質問したのだが、3名のうち2名までが、祖父が被爆体験を語ろうとしなかったと発言。3名の中で2名、簡単に比較はできないけれど、語れない、語りたくない人の割合ってそれぐらいあるのかなと思う。 遠縁にあたる岸田文雄首相について「核のない世界を求めるのがライフワークと言いながら、核抑止論を基盤とする米国の核政策に同調している。つじつまが合わない」と批判。その上で「皆さんの周囲にいる専門家の支えを得て、日本政府の矛盾に満ちた核政策を学び、政府にあなた方の声を届けてください」と呼びかけた。※「中日新聞」より引用。 「オバマ大統領が「核なき世界を」と演説したあとで、安倍さんがアメリカに使者を送って、「そんなこと言わないで」とお願いしています。こんなことは日本のマスコミは報じていません。」という言葉にはさすがに仰天した。さらに、「(今の日本の政治の現状について)日本はあまりにも静かすぎますね」という言葉には深く頷かざるを得なかった。螳螂の斧を振り上げる努力だけは怠りたくない。
2023.05.14
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TOHOシネマズで「銀河鉄道の父」。 ※以下、多数のネタバレあります。ご注意ください。 映画は、賢治と父との関係に絞って描いている。父・政次郎は、親の喜助に言わせれば、「父でありすぎる」人物である。病気になると必死で看病し、賢治の数々の奇行をも結果的には認める。賢治の妹のトシの死後は、「わしがお前の読者になる!」と言ってその通りに行動する。父が真宗の総代であるにも関わらず日蓮宗に走る賢治。「人造宝石を作ります」という賢治をも見守る。 政次郎は、喜助に対して「わしは、新しい時代の明治の父親だ」と言い放ち、「新しい父親」らしく生きようとする。ただ問題は政次郎自身が「新しい時代の父親」とは何なのかがよくわかっていないらしいことだ。 それでも彼は、賢治を受け入れようとする。 賢治の白いトランクの中にぎっしり詰まっている原稿を最後は出版社に持ち込んで、三巻の全集に結実させる。 賢治が生死の境をさまよっているときに来客がある。「帰ってもらいなさい」という言葉に逆らって賢治は「このままでは首くくるしかない」という農民の訴えに対して、アドバイスをするのだが、「ひょっとしたら連作障害ではないか」という言葉は「今困っている」農民には何の役にも立たない。農民が帰った直後に賢治は昏倒する。政次郎は、話の途中で割って入ろうとはしない。必死で耐えている。賢治は「待っていてくれてありがとう」とか細い声で言う。そのまま死の床に就く賢治は、「体をふいてほしい」と頼む。すぐに飛んでいこうとする政次郎に対して、妻は、「私も賢治の母です」と言って、政次郎に代わって体を拭いてやる。 命のともしびが消えそうになっている賢治に対して政次郎は、大声で「アメニモマケズ」を朗誦する。賢治は、「御父さんからほめられた」と嬉しそうにほほ笑む。 政次郎は言下にそれを否定し、いくつもの時に、わしはお前をほめた!という。映画の最初の方で、妻が政次郎に「賢治さんは、お父さんに褒められたがっているんじゃないですか?」という言葉が伏線になっている。 役所広司も菅田将暉も素晴らしかった。トシの俳優さん(森七菜)もよかった。 政次郎という人物については知るところが少なく、本『銀河鉄道の父』門井慶喜 講談社文庫を買う。カバーは、まるまる映画版。 久しぶりに、2日間という短期間で読了。賢治も含めて周辺の人々の政次郎の人物像に対する証言、そして政次郎が賢治に対して実際に何をしてやったかという状況証拠をもとにして作者のイマジネーションを全開にして書かれた作品である。
2023.05.13
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神戸シネリーブルで、「マリウポリ」を観た。110分。日に一回だけの上映。ナレーションなし、BGMなし。特にドラマチックな場面があるわけでもなし、淡々と様々な情景が流れるだけ。見ている間は「何という退屈な映画だ」と思っていたのだが、映画館を出て元町から阪神の各停に乗って、メモをつけ始めるといろんなことが鮮明に浮かんできた。 たいていは見渡す限りのがれきの山。地平線の向こうに小さく夕日が沈んでいく。 女性二人の会話。トイレに行こうとしたら爆撃があって、慌てて家に飛び込んだ。とか。 ぺしゃんこになった家の屋根の上に十数羽の鳩が止まっている。「300羽いたんだ」と住民。 そういえば、最初の方で、「これ近くに落ちてきた奴で、まだ熱いけれど拾ってきた」と知人に渡す男性。受け取った方も「またかなり熱いなロケット砲の破片かな」なんてことを言っている。 スタッフとの会話もない。少なくとも「なぜここにとどまっているのですか?」という質問もなく、「それは〇〇だからだよ」という答えもないままドキュメンタリーは進んでいく。 室内で撮っているから映像は概して暗い。青空が出てくるとほっとする。 ドキュメンタリーとしては、「ニューヨーク公共図書館」なんかは、それ自体がドラマという映像に溢れていたから全く退屈しなかった。 しかしこの映画は、観客がスクリーンの映像から意味を読みとらねばならない。だからナレーションがない。BGMの代わりに砲声、爆発音、機関銃の音が聞こえる。「マリウポリ」と言っても、どこの地区かもわからない。アゾフスターリ製鉄所も出てこない。ロシア軍のこともウクライナ軍のことも出てこない。 観る人間にこんな感情を起こさせようといった誘導もない。 ただ、画面に映っているのは荒涼とした廃墟のような地域に夕日が沈むシーン(ここはやや長めのショット)、火が燃え、煙が立ち上る市街地のどこか。だが、馬鹿でもわかるのは、此の荒涼たるがれきの山を築いたのは誰なのか、そのことによってこの地域に住む人たちの生活はどうなったのかという事を問い、考えることではないか。 映画「マリウポリ 七日間の記録」のサイトからこの映画についての情報を紹介する。 2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。ウクライナ東部の都市マリウポリは、ロシア軍の砲撃によって廃墟の街と化した。2016年に同地の人々を記録したドキュメンタリー「Mariupolis」を制作したリトアニア出身のマンタス・クベダラビチウス監督が、侵攻直後の3月に現地入りし、破壊を免れた教会に避難した市民たちと生活をともにしながら撮影を開始。死と隣りあわせの悲惨な状況下に置かれながらも、おしゃべりを交わし、助け合い、祈り、また次の朝を待つ人々の姿を映し出す。 取材開始から数日後の3月30日、クベダラビチウス監督は現地の親ロシア分離派に拘束・殺害されてしまうが、助監督でもあった婚約者によって撮影済み素材は確保され、監督の意志を継ぐ製作チームが完成に漕ぎ着けた。同年5月に開催された第75回カンヌ国際映画祭で特別上映され、ドキュメンタリー審査員特別賞を受賞。 最初の方の画面を見ると、「マリウポリ 2」と出てくるのは、そういう意味である。映画自体の制作過程が大変な悲劇の中で行われたものであり、その面での注目を浴びているのだが、映画自体もじっくりと反芻すると、とんでもない量のメッセージを含んでおり、「観る側」の努力が必要とされる映画だと思う。
2023.05.06
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3月で、50年間立ち続けた教壇を降りた。一つは、気力、体力ともに「教える」という事、そして自分なりに「これが私の授業」と言えるレベルが保てなくなったということが大きい。 それから一か月が過ぎた。今は、「毎日が日曜日」にならないようにしている。 一つはバスで通える大学の聴講生になった事。春と秋の二期制で、講義は一コマだけ、百分。春学期のテーマの中から選択したのは、「ウクライナとバルト三国」この二つの地域、国家のロシアとの関係。 二次大戦の時にソ連軍とたたかったドイツ兵を英雄としてたたえる人たちが現在も存在している。それは、「ドイツ兵は自分たちをスターリンの暴虐から守ってくれたから」という理由に依っている。 ある時期までは、ナチスドイツがユダヤ人に対してくわえた計画的虐殺は「ホロコースト」と呼ばれ、「何物にも比肩できぬ歴史的悲劇」とされてきた。 しかし、それに対して異論が提出される。スターリンによる「粛清」である。 当然のことながら、「どちらがよりひどかったか」という比較の問題ではない。ただ、西欧を中心としてそれまで確固たるものとされてきた「ホロコースト」唯一論が揺らぎ始めたのは事実で、現在では、同等の悲劇として認定されつつある。 そして、ロシアのウクライナ侵攻以後、様々な「ウクライナ本」が出版されてきたが、その中にみられる「ウクライナ千年の歴史」という記述はただしいのかという問題。 この場合の「ウクライナの歴史」というのは、「ウクライナ人の歴史」なのか、「ウクライナ国の歴史」なのか、「ウクライナ地域の歴史」なのか? ウクライナという国が最終的に独立したのは、ソ連が崩壊した1991年。しかし、例えば中公新書の『物語 ウクライナの歴史』では、確か、スキタイ民族にさかのぼって「ウクライナの歴史」と認定している。その後の黒海沿岸のギリシャ人の植民市も「ウクライナ」に含まれている。 これに対する批判としては、「プーチンの大国主義的言辞への義憤とともに、往古の「ウクライナ人」国家の存在を所与としたうえで、周辺大国(ポーランド=リトアニア、ロシア帝国/ソ連)による多年の支配に抗して民族精神と文化を育み、近世以来の幾度もの闘争を経て独立を達成したという、ロマンティックな歴史像も盛んに流布されている」というものがある。ただ、この現象に対しては「擁護の余地もないような侵略に対して抗するためにはこのような「物語」も必要ではないか」という指摘もある。 ウクライナについても、バルト三国についても表面的にしか調べていなかったので、目からウロコの日である。 二つ目は家事。夕食担当。献立を考えて冷蔵庫の中の食品の在庫を調べて必要な食材の買い出し。製作から片付けまで。 三つめは地域の「九条の会」。企画を考えて、一緒に活動してくださる方を募りたい。 四つ目はやはり読書。放っておくとやはり社会科学系のものに偏りますから、図書室の司書の先生にお薦めの本を訊ねています。
2023.05.05
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知人に誘われて、「門戸寄席」に行く。演者は笑福亭銀瓶師匠。演目は「百年目」。米朝師匠で何度も聞いた大作であり、傑作。 門戸寄席は、阪急・門戸厄神の近くの落語の定席。こんなところにこんなものがあるとは初めて知った。小学校の先生が退職後、地域の交流の場になればという思いで作られたという。篤志家である。 知人から、銀瓶師匠の『子弟』を紹介される。『子弟』を読み終えてから、「百年目」と合わせて再度紹介したい。
2023.01.21
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加賀乙彦さんが亡くなっていた。「宣告」などの小説で知られる作家で精神科医の加賀乙彦(かが・おとひこ、本名小木貞孝=こぎ・さだたか)さんが12日、老衰のため死去したことが17日分かった。93歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。陸軍幼年学校在学中に敗戦を迎え、戦後、東京大医学部を卒業。東京拘置所医務部技官などを経て、1967年に「フランドルの冬」を刊行した。 死刑囚の心理を描き、信仰と人間の救済を見つめた「宣告」で日本文学大賞、「帰らざる夏」で谷崎潤一郎賞、自伝的な大河小説「永遠の都」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。日本ペンクラブ副会長などを務めた。日本芸術院会員、文化功労者。ここまで、共同通信社。 『宣告』を読んで、緻密かつ濃密な文章に引き付けられた。『帰らざる夏』も読んだのだが、精神科医としての小木貞孝さんが執筆したドストエフスキーの『罪と罰』の中のラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺害する前の奇妙な脱力感についての説明など、実に説得力があった。 古本屋で、『宣告』が、10円という価格で売りに出されているのに出会ったときは何とも言えない感情がわいてきた。私にあれほどの感動を与えてくれた作品が10円!!怒りというか、悲しみというか、今の世の中で「本」がどんな位置に置かれているかについての脱力感というか。 のちに、明石から西宮に引っ越すとき、自分の本の処分に困った。明石の家は、私にとっては、本の収納を考え、妻にとってはシステムキッチンに重点を置いた設計にしてもらった。二階にも書庫を作ったので、特に基礎工事はしっかりやってくださいと注文を付けたことを思い出す。 西宮の住まいは、コンパクトなだけに本を置く場所は限られている。結局、何とかおけるだろうという本を短時間で適当に選んで、あとはすべて業者に処分してもらった。一々本を選んでいたら、何日も何週間もかかったと思う。 図書館に寄贈できるような貴重な本はない。古本屋が引き取ってくれたのは数冊のグラフ雑誌だけだった。 今、読みたい本はたくさんある。三年生の日本史のテストは終わり、採点も終わった。あとは、一年生の歴史総合の授業。そのテストが終わり、採点、評価を付けたらそれですべての仕事は終わる。並行して作成してきたプリント類はすべて「燃やせるごみ」として処分、数冊のファイルのみを残す予定。 それから、本を読み、散歩をし、ルーペとカメラを持った自然観察、プチ旅行。できれば無料のコンサートにも行きたいし、映画も見たい。 そういう静かな生活を送りたい。
2023.01.18
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P85の「第一次大戦の勃発と展開」に入る。 まず普仏戦争ののちのビスマルク体制から説明。主目的は、フランスの孤立。露と提携してあとオーストリア、イタリアと結ぶ。ところがヴィルヘルム2世が即位してビスマルクを引退させ、大軍拡に走る。ロシアの機嫌を取らなくてもいいと、ロシアとの条約を破棄。その結果、英・仏・露の三国協商、独・墺・伊の三国同盟が成立する。P85の三国同盟条約を紹介。「条約該当事項」とは何かを問う。 一国が攻められたら、他の二国は参戦するという内容。だから、次々と多数の国が戦争に引きずり込まれた。だから、「世界大戦」となった。 さて、今の事。 日米安保。 今、台湾周辺が緊張関係にある。中国が台湾に侵攻した場合、アメリカは台湾を防衛しようとする。中国がアメリカを攻撃した時に、日本は参戦しなければならないか、しないでいいのか? 生徒の間では、「しないでいい」が多数。「しなければならない」に手を挙げた生徒をあてると、「集団安全保障があるから」。集団安全保障について説明。 集団安全保障は、長い間、「日本は権利としては持っているが行使できない」というものだった。つまり、日本には憲法第九条があり、敵の侵略にあった場合、自衛権はある。だから、自衛隊は、「専守防衛路線」をとるというのが、歴代自民党政権の考え方だったが、安倍政権で「行使できる」と変えた。つまり、アメリカが攻められた時は日本はアメリカを助けるために参戦しなければならない、これが「集団安全保障」。 ウクライナは、まだNATOに加盟していないから、欧米は武器提供だけで押さえているが、ウクライナがNATOに加盟していたら、参加国すべては、ウクライナを守るためにロシアと戦わねばならない義務を持っている。 岸田首相がアメリカを訪問して防衛費をGDPの2%にすると言い出した。総額42兆円。アメリカのトマホークミサイルも買うと言っている。敵基地攻撃能力もあるといいだしている。これらのことは国会できちんと審議されていないし、選挙で国民の審判も受けていない。防衛費の財源も決まっていない。さて、国会ではどんな議論が行われるか。みんなも注意してみておいてください。
2023.01.18
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今日の「プロフェッショナル」で、「校正」を職業としている大西寿男(おおにしとしお)さんをとりあげていた。 校正という仕事は、単に原稿の誤字、脱字をチェックするだけではないようだ。書いてある内容が正しいかどうかもチェックする。 職業柄だろうが、私も、本を読んでいて時々気になることがある。スペイン関係の本を読んでいて、スペインの古代の文化を紹介する部分に、「陶磁器」という単語があった。「陶磁器」という割と一般的に使われる言葉なのだが、陶器と磁器とは多くの点で違う。まず焼成温度。中国で磁器が現れるのは、後漢の時代(もっと前という説もある)、一般的には宋代だろうと思う。だから、スペインの古代には「磁器」はあり得ない。「土器」あるいは「陶器」と書くべきではないか。この旨を書店に伝えると、当初は何が問題なのかが伝わらなかった。二度目で、著者と連絡が取れたという事で、私の意図を理解してもらうことができた。 2020年10月5日付で、中央公論社が以下のような「お詫びと訂正」を掲載している。「中公文庫『盤上の向日葵』下巻(2020年9月25日発行)の初版本に、編集部のミスによる誤りがありました。」 その下に「訂正表はこちら」とあり、クリックしてみると、信じられない数の「ミス」が掲載されている。 大西寿男さんによれば、校正者の得る収入は、一字につき0,5円だという。400字づめ原稿用紙100枚の作品で、4万字。これを校正して2万円。もちろん、原稿用紙に文がびっしり書いてあるわけではないから、もっと減るだろうが。ただ、誤字、脱字を「校正」して事足れりとするのと、編集者の目をすり抜けた間違い、それも様々な分野にわたる事実関係の間違いまでチェックしようと思えば、どれほど時間がかかるか。 大西さんが校正を頼まれるのは、多くが文学作品のようなのだが、大西さんは、「ここの部分は必要なのか?」という問いをゲラに書きつけている。そのことによって作品がよりブラッシュアップされると作者からは感謝されている。 若い時から校正に関わり、こだわりをもって仕事を進めてきた大西さんに挫折が来る。出版不況。校正にかける時間は削られ、こだわろうとすれば、睡眠時間を削るしかない。うつ状態となり、仕事ができなくなる。 そこからの再出発。 私たちは、編集、校正、印刷、製本が終わった「本」を手にしている。その重みを感じることができた作品だった。
2023.01.15
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岸田が、バイデン詣で。褒められていた。42兆円の大軍拡と、アメリカからの兵器の購入。アメリカと緊密に協力して中国にあたる。アメリカも沖縄以南の島を「防衛」するために部隊を再編制、自衛隊もミサイルを配備し、弾薬の貯蔵量を増やして継戦能力を高めるという。 まさに「新しい戦前」。 ただ、立ち止まって考えると、岸田がバイデンに約束したことはすべて閣議決定であり、42兆円の財源も決まっていない。第一、「敵基地攻撃能力保有」は、先の選挙では争点にもなっていない。国会でも審議されていない。 岸田は、「もう約束しましたので」というだろうが、それを許せば、国会の持つ意味はないに等しくなる。彼は、42兆円問題、敵基地攻撃能力保有の是非について選挙で問うと言っておきながら、言を左右にし始めている。 安倍から岸田に代わったとき、マトモな日本語をしゃべる人間だからまだましかと思った私の不明を恥じなければならない。 「集団安全保障」は、実行できると、長年法制局が堅持していた「集団安全保障は持っているが、使用できない」という歴代自民党内閣の路線を閣議決定によってひっくり返したのはアベだが、独断で安倍の国葬を決め、日本の安全保障政策をウクライナ問題と「台湾有事」を誇大に宣伝することによって「専守防衛」路線をひっくり返した岸田は、アベ以上の危険人物であった。 幸い、「防衛費増額に伴う増税」には80%が反対し、内閣支持率は下がりっぱなし。 国会軽視、国民無視の岸田を野垂れ死にさせるためには、統一地方選挙で、自民・公明を「候補者が自民、公明である」というだけの理由で、落選させなければならない。 思い出さねばならないのは、自民党の候補者が、「私は消費税値上げには命を張って反対します」と言って当選し、消費税値上げに際しては、誰も離党しなかったことだ。 「あの人は自民党、公明党だけどいい人だ」は通用しない。何度騙されるのか。 もう一度書くが、「自民党、公明党の候補者である」というだけで落選させねばならない。選挙の際の公約を平然と投げ捨てるのは、自・公の党であり、その候補者なのだ。 「安保で食ってるやつら」「兵器産業の代理人」を一人でも減らさないと、私たちの安全は保てない。 国会で、どんな議論がはじまるか。どの党のどの議員がどんなことを言うかを見ておかないと、どの党のどんな議員に一票を託せるか判断ができない。
2023.01.13
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今日の夕食です。久しぶりのカキフライ。我が家で食べることができるのは私と長女。 手前右は、鶏のミンチとネギの青い部分を縦に細切りにして炒め、そこにレンチンした人参の細切り、シメジを放り込んで皿に盛り、溶けるチーズを上からふってトースターで焼いたものです。 向こう側左のひし形の容器に入っているのは、豚のこま切れともやし、トマトを炒めてウェイパーで味付けをしました。トマトの酸味がいいです。 ご飯は、最近は、次女の提案で雑穀を入れています。豆が入っていたりして中々いいものです。 だいたい、献立は日曜に一週間分考えます。月曜、火曜と近くのスーパーが10%安売りの日ですから、買い込んで、冷蔵、冷凍と分けて収納します。 カキフライは、お店で食べるようなサクッとした感じにはなかなかなりません。しょっちゅう作っていれば、コツがつかめそうですが、金銭的になかなかそうはいきません。
2023.01.11
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卵生のほか、胎生の種類が存在する。狭義には、哺乳類のように胎盤を形成する型のものを指すが、魚類では子宮の中で卵を孵化させる、いわゆる卵胎生も胎生に含める。卵生の種ではパッケージされた卵を産む種が多い。一部のサメでは子宮内で孵化した仔魚が、後から産まれてくる卵や他の仔魚を食べて育つ。これは共食いと呼ばれる行動の一種で、肉食性のサメに見られる。また、子宮内で孵化した仔魚が母体からの分泌物を吸収して育つサメもおり、子宮内で胎盤様の器官を形成して母体から養分などの供給を受けて育つ(へその緒を持つ)。Wiki 先日、テレビをつけたら水族館の映像が目に飛び込んできた。沖縄の「美ら海水族館」だった。何の気なしに見ていたら、サメの紹介が始まった。大きな水槽の中にいるジンベイザメ。ぼんやり見ていたら、「これ、サメの卵なんです」という言葉が聞こえてきたので、びっくりして画面をしっかり見た。なんか大きなネジみたいな形をしていると思ったら、「潮の流れのはやいところに産み付けますから、流されないように、岩の間にねじ込むようにするんです」と解説。「サメって卵から孵るのか」と思っていたら、「お母さんの体から生まれるサメもいます」と続いた。あ、「卵胎生って言葉をどこかで聞いたことがあったけれど、これか!」と自分の中で一人突っ込み。「サメの人工子宮も作っています」という言葉を聞いた時は天地がひっくり返るほど、驚いた。何らかの理由で早産したサメの赤ちゃんを育てるための研究なんだそうな。それにしても、「サメの人工子宮」。世の中には私の想像もつかないことをやっている人がいるものだ。でも、サメってなんでそんな風に分かれたんだろう?という疑問がわいてきた。これは、図書室だなと思っていってみたら、ない。市立図書館で予約してみようと思っている。 大学入試では、理科は生物をとったのだけれど、これは、化学、物理がダメという消去法でもあり、生物にやや興味があったからだった。小学生の頃は御多分に漏れず恐竜大好きで、これは地学。話はそれるが、地学って、生物でも物理でも、化学でもないという分野をとりあえず入れとけって感じで成立している分野のような気がする。朝起きて朝食食べて出勤して・・・という生活のスタイルが4月から変わる。妻はそのことをとても心配しているのだが、弁当作るというミッションも増えそうだし、何よりも散歩をしてゆっくりと自然を眺めてみたい。引き出しの中に眠っているルーペの出番が来そうだ。ルーペは、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んで、その後テレビでも自然観察の楽しさを語る番組を見て購入したもの。
2023.01.10
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「神戸新聞」23年1月9日付2面の「政流考」という欄に、「その金で何が買えるか」という副題で、「防衛費17兆円増 欠けた視点」という一文が掲載されている。 「4600億円あれば、日本で盲導犬を待つ目の不自由な人全員に盲導犬が買える。985億円あれば、全世界の難民に1年分の経口補水塩を供給できる。1999年出版の「あの金で何が買えたか」は、作家村上龍さんが当時日本を襲った金融危機を受けて書いた絵本だ。」当時の公的資金の注入を頭において村上さんが書いたことに触れたのち、以下の様に続く。 「20年以上前の本を思い出させたのは、昨年末に大した議論もなく決まった防衛費増額だ。防衛費は今後5年間で約17兆円増えるという。」 「防衛費は27年度以降、毎年4兆円程度の財源が必要になる。慶応大の井出英策教授(財政学)の試算によれば、国内の全大学の授業料を無料にし、介護費用の自己負担をなくしてもお釣りがくる額だ」。 コロナによる死者は、1月で1万人に達した。しかし、病床のひっ迫度合いは一向に改善されていない。エッセンシャルワーカーと呼ばれた医療従事者、特に介護、看護にあたる人たちの労働条件が大幅に改善されたというニュースは私の耳には届いていない。 ウィズコロナというのは、月に1万人もの患者が亡くなっても仕方がないという事なのか?「緊急事態宣言」など思いもよらないという雰囲気だ。 麻生が、「思っていたよりも反対が少ない。国民の理解が得られた」とほざいている。ウクライナ戦争、いわゆる台湾有事が報じられる中で、「生活」が忘れ去られ、「これもか!」と驚くほどの品目で値上げが続き、高齢者の医療費負担増が実施され、さらに、賃金は上がらない。一人当たりGDPも世界27位。「私の生活は満足すべき状態なのか?」と問う前に、「なんだか危ないから防衛費を増やすのは当然、或いは仕方がない」という人の割合が世論調査によっては50%に達するのは、どう考えても、「生活が置き去りにされている」としか思えない。 この傾向は、容易に、「楽していい生活している公務員」という言説と結びつく。「親ガチャ」という言葉が一時流行った。嫌な言葉だ。何が嫌かといって、本丸を除外した言葉だからだ。「親ガチャ」ではない。本当は「政府ガチャ」なのだ。 現在の自・公政権になって何年たつか?その間に、あなたの暮らし向きはよくなりましたか?選挙で票を投じる時に、まず考えなければならないのはこのことではないのか?
2023.01.09
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隣の市である尼崎のA LAB(あまらぶ アートラボ )で、「はしもとみお 木彫展」に妻と二人でいってきました。作者は小学校の頃は、人間との付き合いが苦手、でも動物の相手はできたという子どもさんだったようで。最初、獣医になろうとしたが、阪神大震災でたくさんの死を体験。失われた命にいつでも触れられるようなものをという気もちで、木彫の方に進まれたそうです。 「生命感のあるものが彫りたい。技術的にどんなにうまくても、生命観のないものには心が動かない」とビデオで語られていました。猫、犬だけではなく、熊もマントヒヒ、オランウータンもいる。ライカ犬もいました。かなり大きな作品から、指の先に乗りそうな小さな作品まで実に多彩です。 こんなすてきな展覧会が無料(ベイコムの後援)。ちょっと足を延ばせばいろんな楽しいところに行けるものです。1月29日の日曜日まで展覧会はやってます。お近くの方はどうぞ。 画像は、「はしもとみお」で検索してください。
2023.01.08
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ニューヨーク共同】米南部バージニア州ニューポートニューズの小学校で6日、6歳の男子児童が教室内で30代の女性教師を拳銃で撃ち、警察に拘束された。教師は重体。 警察は「偶発的事件でない」と説明、計画的犯行の可能性を示唆した。教師以外に負傷者はいない。事件前に教師と児童の間で「争い」があったとしているが、銃が持ち込まれた経緯や犯行動機など詳細は明らかにされていない。 事件を目撃した児童の一人は地元紙に「(男子児童は教師を)故意に撃った。教師は腹を撃たれ膝から崩れ落ちた」と述べた。ある母親は「娘が泣きながら電話してきた。学校は安全であるはずなのに」と憤った。2023年1月7日 11時16分 掲載 2023年1月7日 11時17分 更新 秋田魁新報 ☆イギリスやオーストラリアでは、深刻な銃乱射事件が起きると厳しい銃規制策を打ち出し、効果を上げている。アメリカの場合、乱射事件が起きると、「自衛のための銃所持」が主張され、むしろ売り上げが伸びているようだ。 西部劇をよく見ていた時、「コルト45」(コルト・シングルアクション・アーミー)は、通称「ピース・メーカー」と呼ばれていることを知ってアメリカの一つの面を垣間見たような気がした。西部開拓は、「明白な天命」(manifest destiny)と呼ばれて、「未開」の先住民(インディアン)を文明化することが白人の使命だとされた。彼ら先住民たちが頭のてっぺんからつま先まで大切に使っているバッファローも、毛皮だけひん剥いてあとは荒野にほったらかしにしていたようだ。映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」にもそういう場面があったと記憶している。 これは、アメリカの捕鯨と日本の捕鯨との大きな違いでもある。アメリカの捕鯨は、クジラの油をとることが主流だった。クジラの油を照明用に使い、アメリカ産業革命期の長時間労働に対処しようとしている。油をとった肉は海洋に投棄された。 日本の捕鯨は、アメリカ先住民と同じで、クジラのすべてを使い尽くす。 今、日本の捕鯨は、多大のバッシングにあっている。「クジラやイルカは賢いから殺すべきではない」という人たちがいる。「豚や牛は、神様が私たちに与えてくださったから食べてもいい」というなんとも身勝手な意見を耳にしたことがある。閑話休題。 全米ライフル協会は、銃規制を主張する候補に対してネガティブキャンペーンを張る。当選したい候補はどうしても銃規制には腰が引けてしまう。 アメリカは、これほど深刻な事件、或いは多人数が巻き込まれる銃撃事件が起き続けても銃規制を止めないのだろうか?これだけは、心底理解できない。
2023.01.07
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ロシアのプーチン大統領が、1月7日のクリスマスから36時間の停戦を軍に指令したというニュースが流れた。ウクライナ側からは「時間稼ぎだろう」という声が聞こえてくる。 ただ、1月7日にクリスマスを祝う国があるという事を知って私は驚いたことがある。それは、「ワイドスクランブル」(22年12月25日)。ロシア正教のクリスマスは、1月7日。ウクライナ正教会は、信徒に対して、12月25日にクリスマスを祝ってもいいと通達。ウクライナ市民の間には、「ロシア的なものをすべてなくしたい」という人もいる。「ヨーロッパと同じクリスマスを祝いたい」と説明していた。東方正教は、国家ごとの教会を認めている。その点はカトリックとは違う。ウクライナ正教会はロシア正教会から数年前に独立している。 なぜ1月7日かといえば、東方正教会が使用している暦が太陰太陽暦のユリウス暦、ヨーロッパ諸国が使用している太陽暦はグレゴリオ暦で、太陽暦。両者の間には現在13日の違いがあり、12月25日の13日後は1月7日になる計算だ。 1月7日をクリスマスとしている国は、ロシア、ベラルーシ、セルビア、モンテネグロ、ボスニアなど。 『ヨーロッパ歳時記』上田茂雄 岩波新書 黄245 によると、12月25日がクリスマスになったのは、325年のニケーア宗教会議。ここでは、神・キリスト・聖霊の三位一体説が決定された。なぜ12月25日なのかといえば、この日は当時の古い暦では冬至の日となっており、「世の光」としてのキリストの誕生を祝う日として一番ふさわしいと考えられたからのようである。 またクリスマスプレゼントを子どもたちがもらうのはクリスマスではなく、12月6日にもらうもので、今でもドイツ、オランダ、スイス、ポーランドなどの国では、子供達は12月6日の朝枕元にプレゼントが置かれているという習慣が続いているという。 また日本ではクリスマスイブにチキンを食べるが、主にカトリックの国では、 11月14日から12月24日までの40日間は断食期間となっているので、24日まで肉は食べられない。クリスマスイブのメインは魚料理。イタリアなどのカトリック国や、中東欧の国々では、お肉の代わりに魚料理がメインになる。カトリック国ポーランドでは、鯉(こい)のフライや、うなぎの燻製、ビートルートで作ったバルシチという赤いスープ、ピロギという餃子のような食べ物を中心に、12種類の料理を準備するそうだ。
2023.01.06
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NHKで、「略奪美術品の返還」がテーマの番組。副題は「パンドラの箱」。 フランスのマクロン大統領が、アフリカでの演説で、アフリカから略奪された美術品は返還されるべきだと発言し、それが火付け役になって各国で植民地時代に略奪した美術品の返還が急速に進み始めた。 アフリカ分割の端緒となったベルリン会議以降、各国は略奪品を収蔵して展示する博物館を建造して国力を誇示しているという歴史がある。 ヨーロッパではタブーであった「返還」という言葉が使われ始める。 一つの焦点となったのが、「ベニンブロンズ」と称される銅製の像の数々。フランス、ベルギー、ドイツ、そしてイギリスでも返還の動きが始まる。 ただ、事はそう簡単ではなく、ベニン王国の王族は我々が受け取る権利があると主張。他に、ベニン王国があったナイジェリアの州も権利を主張、もちろんナイジェリア政府も。 ナイジェリア出身の議員は、その点を危惧するが、なかなか受け入れられない。しかし、こういう時に、多様性に満ちた社会は違った視点を持てるという証拠。 アメリカからも返還に待ったをかける声も。 ベニン王国はイギリスから銃の援助を受けて周辺の諸国との戦争に勝利して奴隷を獲得し、銅の腕輪(マニラと呼ばれる)を奴隷取引の通貨として使っていた。ベニンブロンズは、この腕輪を溶かして作られた。男は57個、女は50個で売られたそうだ。 返還に待ったをかけた女性は、「奴隷として売られたものの権利」を主張する。我々も、奴隷として売られた地域、国でベニンブロンズを見る権利があるではないか。 他には、受け入れ先の環境が整っているかを危惧する声。環境が整うまで、ヨーロッパの国は、「いったん預かる」という形にしておいて、徐々に返還したらどうかという案もある。 国際政治がらみの動きもある。ベルギー国王は、コンゴ共和国を訪問している。コンゴには、多くの地下資源が眠っているが、最近攻勢をかけてきているのは中国。ベルギーとしてはコンゴとの関係を再構築したい、そこに文化財返還という問題が絡んでくる。 「略奪した文化財の返還」という何の問題もなさそうな一件の持つ複雑さを知らされた。
2023.01.05
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ワイドスクランブル」アネクドート 以前、ラスプーチンという怪僧がいた。いまはプーチンがいる。そして将来はチンになる。※チン=朕 中国・・・ ロシアでは22年1年で12名の有名実業家が原因不明の死を遂げている。窓から飛び降りて亡くなった人も。私のアネクドート。「ロシアの窓は床からの高さがあまりない。死体を放り出すのには好都合だから」 世論調査。戦争継続 7月は57% 12月は25%。 戦争停止すべし 7月は32% 12月は55%。 プーチンが、CIS(独立国家共同体)の首脳を招いて会談し、金の指輪をプレゼント。「つけてるよ」と映像をアップしたのはベラルーシのルカシェンコのみ。ムスリム系諸国では、「男は金の指輪のような装飾品を身に着けるべきではないという慣習がある」ために、誰も映像をアップせず。そんなことも調べてなかったのか、という声あり。※これは知らなかった。調べてみたら。「トルコ便り」NOVAROMAのブログhttps://ameblo.jp/novaroma/entry-12038249563.html に載っていました。感謝いたします。軍事訓練。ロシアでは、1993年に停止されていた。今年の9月1日までに復活予定。対象は、17、18歳。内容は、「自動小銃の撃ち方」「手投げ弾の投げ方」「戦場での応急措置」。ロシアの兵力90万人のうちで地上軍は30万人4(韓国軍より少ないそうだ)。これを150万人までもっていくつもりらしい。「兵士の母の会」は、どう動くか? ☆ニューヨークタイムズが報じたらしいが、ロシア兵の中には自動小銃の撃ち方も知らないものもいて、wikiでしらべたという・・・。 18歳と言えば、日本の裁判員制度で、18歳、19歳が対象になるという。対象者の間では賛成の2倍が反対。「正しい判断ができるか自信がない」とか「残酷な写真など見たくない」という声あり。 今日、用事を終えて帰宅したら午後5時。夕方の空に浮かぶ白い月がなぜかすごく印象的だった。
2023.01.04
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箱根は、復路も駒沢。これで大学駅伝すべてを制したことになる。今は、結果だけを見ているが、一時は、炬燵にあたりながら往路も復路も見ていた時がある。父がまだ健在であったころだからずいぶんと昔になる。 娘は今日から仕事。たいてい、仕事始めは明日4日からだと思うのだが、経理の〆があるから出勤なのだそうな。 私はと言えば始業式は10日。 生徒のレポートを読み進めている。1クラスにだいたい1人ぐらいの割合で、とんでもない悪筆がいる。私も字が汚いという点においては人後に落ちないので、少々の悪筆は判読できる。想像力を働かせて読み進むが、結局、「もう少していねいにきちんと、ゆっくりでいいから読める字を書いてください」と赤ペンを入れることになる。 録画しておいた「混迷の世紀」の「食糧問題」を見る。中国の影がいたるところに出てくる。簡単に言えば、中国の王朝交代史は、食えなくなった農民たちが巨大な集団となり、その中から次代のリーダーが出現するという繰り返しともいえる。 だから、中国のリーダーたちは、食の問題にこだわる。とにかく、「全国民を食わせる」という課題を遂行していれば、民主主義か独裁かなどの問題はかすんでしまう。 日本の政権とは大違いであり、自給率の低さにも関わらずこれほど大量の食品を棄てる国民によって現政権は支えられていることになる。 ミサイルは食えないが、ミサイルで食っている連中が煽る「日本の危機」に乗っかって42兆円がどぶに捨てられる。 私は決して非武装中立論者ではない。しかし、食、医療、教育といった国民生活の根幹にかかわる部分がこれほど悲惨な状態になっていることに目をつぶって防衛も何もあったものではない。 かろうじて自給率100%を達成しているコメでも、肥料価格の高騰から大規模経営の米生産団体でも赤字が積み重なっていると、紹介されていた。 最後に、「本日も晴天なり」について。舞台が私の故郷米子の近く(といっても西に40km離れている)の松江。私が心待ちにしているのが、おばあさん。演じていらっしゃるのが原泉さん。私はこの方の大ファンで、なんとも矍鑠とした凛とした風格が、私の祖母とよくにているのです。98で亡くなりましたが、最後まで意識ははっきりしていました。「日露戦争の時は、砲撃戦で障子が震えて怖かった」という記憶を持っていたおばあちゃんでした。90過ぎたころに「最近のヨーロッパの共産党の動きは面白い」というのを聞いた時は開いた口がふさがりませんでした。いわゆるユーロコミュニズムの言です。 「明治生まれはすごい」という事を時々聞きますが、わが祖母は正にその通りでした。
2023.01.03
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「混迷の時代2023」を見る。ダニエル・ヤーギン、「天然エネルギーはタダですが、問題は風力、太陽光を電気に変換するためには銅をはじめとする様々な金属が必要なのですが、それらは地球上に偏在しており、特に中国に分布しています」。さてその状態をどう見るか。 ジャック・アタリ、ウクライナ戦争後の食の問題。「日本の農業は、高齢化が進んでいて、農業部門を大切にしていかないと取り返しのつかないことになります。さらに、食材も考えなければならない段階に来ています。例えば昆虫食。日本には優れた料理人がいますから、何とかなるでしょう」。実に痛烈な皮肉。 農業が若い人にとって魅力的な仕事になっていない。 資源の問題。日本という狭い国に、高速道路が縦横に走っている。私も普通車に乗っているから言えた義理ではないのだが、小型車ではいいのではと思う。ふとスペインに行った時のことを思い出すのだが、小型で丸っこい形をした車が日本よりはるかに多いことに気が付いた。日本は石油を産出しない。そのことを考えた方がいい。 広田神社に参拝。参拝者は三列に並んでいる。少しづつ動いている。娘が、「亀の歩みみたいだ」というので、「亀歩」で検索してみると、沖縄のスナックが多く引っかかった。 箱根、往路は駒沢。 それからガーデンズに行ってズボンうけとり。JOSEPHというブランドで、オンワード樫山のメンズ部門。袋に入れてもらったが、袋のデザインが白の地に黒の横線でスタイリッシュ。 Tコーヒー。いちごトーストという新製品。厚切りトーストの上に練乳を塗って、いちごの細かく切ったものが乗っけてある。いちごのショートケーキみたいだ。「福袋」を買ったけれど、大正解。千円で二千円分の価値。
2023.01.02
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