60ばーばの手習い帳

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August 20, 2017
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星 葛…カツ、くず



 謡曲『定家』に定家葛の話が出てきます。
雨に遭った旅の僧が雨宿りしていると、里女が現れ式子内親王の墓に案内して、
まとわりつく葛は定家葛だと言います。
2人の悲恋を語った女は、自ら式子内親王であると名乗り、僧に救済を願いました。
その夜、僧の弔いにより、やっと墓から葛が解けたといいます。



 テイカカズラ  小石川植物園 6月3日


 藤原定家は、かの有名な小倉百人一首の選者です。
父、俊成は勅撰和歌集の選者となり、宮廷和歌を指導する和歌の頂点に立つ
家柄の人でした。
その跡継ぎが定家です。

 新古今の世界は、定家と後鳥羽院との出会いによって成立しました。
後鳥羽天皇の即位はほとんど偶然でした。
平家とともに海に沈んだ安徳天皇の次の天皇を決めかねた後白河院が、
2人の親王を召したところ、後鳥羽のほうがなついたので即位が決まった、
といいます。

 後鳥羽院は、実に様々な芸に秀でた人でした。
スポーツマンであり、武芸全般・狩猟・水練を好み、一方和歌と琵琶に優れた
才能を発揮しました。
 定家、式子内親王たちを高く評価したのも後鳥羽院でした。

 式子内親王は俊成から歌作の指導を受けており、俊成の娘2人は内親王の
上臈女房になっています。定家も当然、式子内親王の元へ出入りしています。
 が、それはあくまで歌を媒介とした関係であって、隠れた悲恋などとは
無縁でした。
 内親王の有名な歌、
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする

が、定家との忍ぶ恋の歌では、といわれたりしましたが、忍恋(しのぶこい)は、
基本男性の立場から詠むものだということが、研究によりわかってきたそうです。
内親王は、「忍恋」のテーマを与えられて、男性の立場に立ってこの歌を詠んだ
ことになります。
 ですから謡曲『定家』は後世の創作ということになります。

 承久の乱後、後鳥羽院の歌壇は消滅しました。
が、定家は、妻の実家西園寺家の後ろ盾と、鎌倉との結びつきがあって、繁栄の一途をたどります。
 鎌倉の三代将軍、実朝も定家を和歌の師と仰ぎました。
後鳥羽院の後、即位した後堀河天皇は温和で和漢の学問に詳しい人でした。
定家は『新勅撰和歌集』の選者に任命され、紆余曲折を経て完成させ、
小倉百人一首を選出した後、80歳で亡くなりました。
 最後まで筆をとっていたと伝えられます。
たらちねのおよばず遠きあと過ぎて道をきはむる和歌の浦人

父の及ばなかった遠い祖先の官位に自分も続くことができ、和歌の道も極めることができました。

 満足のいく人生だったようです。

  参照元:田淵句美子『異端の皇女と女房歌人』角川選書
      田淵句美子『新古今集―後鳥羽院と定家の時代』角川選書
村尾誠一『藤原定家』笠間書院 コレクション日本歌人選011








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Last updated  August 20, 2017 12:01:03 AM
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