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久しぶりに佐倉を訪れた。京成佐倉駅前に立つと銀行ATMは三井住友しかなく、ファーストフード店もない。街中にコンビニも氾濫していない。まあ田舎なのであるが、それでもポツンと手芸や陶器の創作ショップがあったりする。美術館もある。それらが皆、徒歩圏内である。サイズが人の身の丈に合っていて居心地のいい街なのである。 この季節、新緑は船橋より濃厚で空気も澄んでいる。この日は塚本美術館に日本刀を見に行ったのだが、無料なのに他に来訪はなし、一人で鑑刀を堪能できた。 他の見どころも多い。日本初の大学病院と言える順天堂、佐倉藩時代の雰囲気を味わえる武家屋敷街、国立佐倉歴史民族博物館、旧堀田邸などもある。みな徒歩圏内である。祭りも盛んだ。10月の佐倉祭りは多数の山車が町内を練り歩く。街の各所には江戸の昔を今に伝える建築物や文化財がさり気なく残る。現代的な開発に取り残された為とも言えるが、地域を育んだ歴史や伝統を重んずる住民の静かな気迫をひしひしと感じ取れる心のオアシスだ。 歩き疲れて美術館のそばのベンチで休んでいると女性に声をかけられた。お蕎麦を食べて帰りたいので美味しい店を教えてくれ、という。みず知らずの人同士が知り合える、美味しい食べ物と出会えそうな、佐倉はそんな街である。
2015.05.17
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14日のサンケイ朝刊コラムでオスプレイ配備に批判的な東京新聞を、サンケイ自ら安全性への懸念を認めつつも、役に立つ所もあるじゃないか、と東京の論調を批判している。自己破綻のロジックだ。もっと許せないのは弱者を切り捨てる御用メディアであることを自身が表明していることだ。オスプレイが導入される地域住民の痛みなどは考えようともしない。権力者発想そのものなのだ。このコラム、視点がユニークなのでいつも読む。時折漂ってくるアナクロ的な異臭も楽しみだ。
2015.05.15
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13日は、「神道とその周辺」の講義で内館牧子さんによる相撲と神道との関連についてのお話しだった。寸前の会場着だったため最後列しか空いていない。声が全くと言っていいほど聴き取れず内容不明。したがって専ら愚念雑考に終始。日本の相撲の形式は独特だ。力士は素裸で土俵に立つ。「正直潔白」であることを神前に示すためだ。締込みには紙垂(しで)を配し邪気を祓う。横綱はさらに注連縄を締め回す。仕切りの時には両手を大きく広げ二拍手し神への敬意を表明する。四股を踏むのは八百万の神々への礼だろう。相撲が神事であることが一連の所作で分かるのだ。日本の様式はすべからく神との対話の形をとることが多いようだ。 講義が終わって代々木の刀剣博物館へ。新作名刀展をやっている。反りを含めた刀身全体のバランス、切先周辺の佇まい、波紋の主張、何といっても鉄の凛とした質感。まったく堪能した。外人客の多いことにも感じ入る、みな視線は熱い。私たちは素晴らしい宝物を先人から頂いている。 「かよちゃんを救う会」の募金額が5千万円を超えましたが、まだ目標には遠く及びません。みんなで支えましょう。
2015.05.14
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私の住む千葉県船橋市の近くに流山市があります。そこで今、重い心臓病と闘う子どもがいます。まだ一歳でとても可愛い女の子です。この子を救う唯一の道は渡米して移植手術を受けることだけだそうです。緊急を要します。募金にご協力下さい。「かよちゃんを救う会」
2015.05.10
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年単位でのブログさぼり。今はのたりのたりの毎日だ、まあ失業者だね。無理してアイデンテティを探せば作家かな? 以前と変わらず続けているのは月一回の雑誌への執筆だ。取材を兼ねてスーパーマーケットやショッピングセンターの見物、これは素直に楽しい、世の中の今が体感できるから。またこの四月からは神道を学びに渋谷の大学へ通っている。この”神道”という言葉が嫌いだ。いやな臭いが付いているよね、歴史の責任だね(ということは人間のせいか)。でも神社巡りはいい気分になる。老若男女問わず手を合わせているよね。あの人たちは、アマテラスとかスサノウとかを拝んでいるわけじゃないという気がする。もっと素朴な祈りなんじゃないのかな。そんな興味からぼちぼちやっています。
2015.05.07
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以下、雑誌への掲載エッセーです。注文してから買うというネット通販の新手法 本や家電品などスペックの明確なもの、知名度のある食品などはネットで物を買うことは今では当たり前だ。しかし靴の販売は試着が不可欠なためネット通販はこれまで難しかった。しかしここでも流通革新が起きつつある。大手のアマゾンや国内ベンチャーのロコンドが送料無料で返品できるサービスを始めているのだ。消費者はサイズや色の違う商品を自宅に複数取り寄せて試着したうえで気に入ったものだけを選んで買うことができる。2011年に事業を始めたロコンド(東京港区)の仕組みを説明しよう。約12万点の品揃えの中から消費者は何点でも自由に注文できる。送料無料で翌日に宅配便で手元に届く。注文主は実際に履いてサイズを確認し、手持ちの服などと合わせることで購入の可否を決める。梱包のなかに着払い返品伝票が入っており30日以内なら返品可能だ。もちろん室外に出ることはできないが、従来のネット通販の難点をほとんど解消できる。課題は事業者の採算である。ロコンドは事業を始めて4年目となり売上は順調に増えて約75億円となるが未だに累積赤字を解消できていない。品揃えのための在庫費用と送料負担が要因だ。まだ事業として成立するか不透明だが、他分野への広がりも期待できるので動向が注目される。マーケティングをしないマツダのクルマづくり クルマが売れない時代にマツダが一人気を吐いている。万人受けのするスタイルや省エネを標榜するメーカーが多いなか、同社はデザインや走りの良さを優先させた逆張り路線を走る。業界4位ながら他社に比べても販売実績も比較的良いようである。マツダの開発責任者の発言を聞いたことがある。2006年にモノづくり革新を始動した直後に円高不況でマツダは赤字転落に陥った。しかし革新するなら今しかないというトップ判断があって進めた。キーワードは、「ぶっ飛んだクルマづくり」。あのクルマに乗ってみたい、万人ではなく3%のユーザーに共感してもらえる突き抜けたオンリーワンデザインを妥協せずに行おう、というものだった。市場調査をしたり統計情報に頼ったりして平均値を求めるようなマーケティングを回避するということでもある。スモールメーカーだからできるニッチ戦略という見方も可能だが、結果的にクルマが売れ販売シェアも高まっている。戦略は当たったといえる。トヨタも北米市場テコ入れのためマツダにOEM供給を受けるという。成熟した消費社会のなかでは、意識してマーケティングの常識を外すという発想が必要となるのかもしれない。日本アクセスの競争差別化MD 食品卸の日本アクセスは地図出版の昭文社が発行する旅ガイドブックシリーズ「ことりっぷ」と連携する新事業を始める。旅ガイド誌に載った観光地の産品を日本アクセスが仕入れスーパーなどに卸すことを目論む。同誌は20〜30代の働く女性をターゲットにした旅ガイドブックで、2008年から刊行し現在は内外の観光地100タイトルをもち累計で1000万部を発行する。雑誌出版の世界で出色のヒットだ。成功の要因は、焦点を手近身軽な「女子旅」、隠れた観光スポット、地元だけが知る美味しい食べ物に当てたことだ。日本アクセスはこの流れを商機と捉えたのである。手始めに小売業向けの商談会である「春季フードコンベンション」で構想を発表した。知床、会津、軽井沢、金沢、京都、高知、長崎、石垣の8つのエリアを選び、地場の名産品をそれぞれ15商品ずつ集めて120商品揃えた。例えば軽井沢エリアからは素材にこだわったブルーベリージャムやくるみバターのほか、地元で人気の専門店の生チーズケーキなど15品目を用意した。京都エリアからは抹茶バームクーヘンやわらび餅、茶葉、ゆばちりめんなど地域色の強い食品を揃えた。小売業の競争差別化の手段にもなり得るこのMDを今後小売業に提案していく計画だ。生乳流通で脱農協の独自販路乳製品は、生乳を生産する搾乳酪農家→中間流通業者→乳業メーカーという形で流通される。もっとも中間流通段階の96%は農協系列の地域ごとの指定団体が集荷と販売を一括で担う仕組みである。個々の農家は生産した生乳を全て農協に委託し、乳業メーカーとの価格交渉には参加できない。出荷量が増えれば流通コストは下がるはずだが、農家の規模に関係なく単位当たりの手取りは変わらない。方や売り先は大手乳業が優先で、充分な生乳が調達できない中小メーカーも多い。流通の歪みはすなわち商機でもある。規模のメリットを発揮できない不満をもつ大規模農家、生乳確保が思うようにならない悩みをもつ中小乳業メーカーをつなぐのがMMJ(ミルクマーケットジャパン、群馬・伊勢崎市)である。同社は全国各地の大規模酪農家から牛乳を買い取り、中小の乳業メーカーに売る。MMJのタンクローリーが酪農家の庭先から生乳を集荷し乳業メーカーに運ばれ飲用牛乳になりまた乳加工品となる。農協を外すことにより「売り手よし、買い手よし」の商法が可能となった。創業から12年経ち契約農家も30戸となった。多くが乳牛100頭前後の大規模農家である。歩みはゆっくりだが着実に成長していると言えよう。
2015.05.07
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列島に弱い低気圧が近づく。朝は冷え込んだが、日中は晴れて寒気和らいだ。10.3・-1.4℃オードブル(484)、鶏もも肉の幽庵焼きセット(303)+一番だしの煮物、里芋の胡麻和え、小松菜とベコンの玉子炒め、薩摩芋の磯辺揚げ、ひき肉と野菜のカレ炒め
2013.01.06
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小寒。今日から節分まで寒の内。もっとも昨12月から寒波が次々と押し寄せ今年は寒い冬。高気圧が関東平野へ張り出す。風はない。南にある気圧の谷の影響か晴れだが雲多し。この冬一番の寒さ。4.7℃。子持ちワカサギ唐揚げ×、肉まん、焼き餃子×、稲荷寿司、酒
2013.01.05
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正月気分も抜ける。「おもしろきこともなき世を おもしろく 生きんとするや 花木も鳥も」。自然は飽きもせず面白そうに一瞬一瞬を生きる。日出6:51・日入16:41で冬至との比較では其々+4分・-9分だ。日没時間は最も早い時よりもう10分近く遅くなっている。気分はまはや日脚伸ぶ、だ。低気圧は北に抜け冬型緩む。西からは幅広の高気圧が接近。晴れたが寒さは厳しい。6.9℃。酒、味噌汁メシ(400)、野菜と海鮮天ぷら揚げ浸し(♡)セット(476)、+彩り野菜炒め(♡)、大根の味噌あん(♡)、炒り豆腐(♡)、小松菜胡麻和え、チズケキタルト(548)
2013.01.04
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関心は薄いが箱根駅伝の復路・決勝だ。まだ正月気分が残る。縦型に目の細い冬型。今年の三が日東京はよく晴れた。9.9℃。「麦畑の眩しき晴れや三が日」(野村喜舟)新年になって、iPS細胞を使って免疫療法につなげようと研究が新たな展開を見せている(^_^)チンジャオロースセット(208)、蒸し鶏のねぎ塩たれ、温野菜のタルタルソース、田楽蒟蒻、春雨の和えもの、ピナツ(517)、酒(800)、鯖棒寿司(400)⇨1925
2013.01.03
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AM3起き。古来から事始の日。でも気分はまだ正月「沖かけて 波一つなき 江戸の川」(mg)。低気圧去り、次の寒波来る前のニッチ、暖かそう⇨東南寄りの風はかなり強いが寒くはない。14.4℃。9時布団へ。昨12年は円安進行76円台→86円台。野菜たっぷり焼きそば(350)、里芋と烏賊煮(317)、沖縄そば(400)×、ビル系。
2013.01.02
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低気圧は北で気圧線が込みあう。東京は幅も緩やかな高気圧に覆われ晴天に恵まれ風も弱そう。⇨穏やかな初晴の元旦、初凪だ。とても温かい冬日和だ。10℃らしい。元旦は「時間の誕生日」元旦やしずかに在れば酒呑みて=元日の街の静謐。「このあたり同じ家並みや松立てて」(島田青峰)=こういう風情は絶えた。紅鮭の塩焼きセット(195)、+帆立の照り焼♡、炊き合わせ、大根のかにかま餡かけ、薩摩芋の胡麻マヨ和え♡、白菜と蒸し鶏のゆかり和え、厚焼き玉子、黒豆。ソセジパン。チズケキ、飯(150)。酒多量。
2013.01.01
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昨30日18時の大気図は稀に見る形。通過する低気圧と東進する高気圧の狭間で気圧線がほぼ90度に立っている、あまり見たことない形だ。首都圏は晴れて気温も高そうだが、北風が冷たそう。⇨結果は、思ったほど寒くはなかった。むしろ暖かともいえる陽気。11.3℃ 大年である。明日元日の日入は16:39、日出は6:51、冬至時点から日入は7分遅くなっている。もちろんまだ冬真っ盛りだし、日出はだって2分遅い。しかし自然は正直である。春は確実に近づいている。 今日は兄弟が久しぶりで会った。やはり家族はいい。日本を救うのは血縁ではないか? この日、近くの百貨店に出た。正月を迎える品を求める客で賑わっていた。人々の表情は穏やかの一言だった。高度成長は無いが、そこそこ豊かなこの国は満更捨てたものではない。幸せも 中ぐらい也 おらが国かけ蕎麦、餅(胡麻、きなこ等)、ドライフルーツ(バナナ、林檎、桃)、スパミート、酒多量
2012.12.31
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つごもりである。西から低気圧が北へ進む。この低気圧が東へ抜けると冬型の気圧配置になり寒くなるようだ。朝から細雨がそぼ降る。外気温は概して高い。8.3℃おでん(半平、蒟蒻、牛蒡巻き、つみれ、薩摩揚)、麻婆豆腐丼やはりコンクリ 背に腹は変われんと 総選挙また不祥事か 悲願アベノクラシー 潰える日案の如 小沢未来を 騙し撃ちドイツ見よ カネじゃない生き方だ 原発は
2012.12.30
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曇天をもたらした低気圧は東へ去る。気圧図は東西に寝た状態で幅も緩やかに。朝は曇りがちであったが、昼前頃から晴れる。しかし午後も遅くなると陽が陰る。総じて温暖。11.5℃イカフライ、アジフライ、生キャベツ、チキンと茸のソテ○、ほうれん草とべコン炒め○、根菜のカレ和え、白菜胡麻和え、マカロニサラダ、チズケキタルト、グリンカレライス○同胞は マクド腹スマホ面 小アキンド維新の会 辺野古容認 メッキ剥げ眠り人 選挙サボるは こいつらか
2012.12.29
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西高東低型が崩れ西から低気圧が近づく。朝から本曇、夕方にはお湿り程度の雨。7.4℃鯖塩焼き、高野豆腐と野菜の生姜餡○、筍と油揚げの金平、ほうれん草胡麻和え○、馬鈴薯マスタド和え○タブレびと 画面睨んで さも店員民の素 セカキョロガツに 定めたり許さんぞ 児の敵打ち ブロンソンのよう事無かれ 子殺された父親が 仇を打つ操作ミス 実はパン買いに ウソではないと国交省
2012.12.28
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定期執筆している流通コラムで既掲載分を載せています。消費は統計で見ると芳しくはありません。ただあまり全体の数字だけで判断することはよくありません。魂は細部に宿るのです。常に客に驚きと感動を与えることが大事なのです。その意味でTDLやセブンオレブンのオ定ニギリにはとても興味があります。そしてオーダーメード商品やサービスには可能性が大きいと思えます、とくにファッション分野には。内なる自尊心を刺激します。 景気の先行きはどうなるか 内閣府でまとめる景気ウオッチヤー調査(街角景気)は信頼性の高いものだ。タクシー運転手や小売店の店員などに売れ行きなどを聞き景気の実感をズバリ聞き取るものだ。12年6月の現状判断指数は43.8と好不況の分かれ目の50を下回った。50を下回ったのは2ヶ月連続で前月比での落ち込みは3ヶ月連続である。梅雨や台風などによる天候不順などの季節商品が低迷した。この間ユニクロやマクドナルド店舗の既存店売上も果果しくなかった。内閣府は景気の基調判断「これまで緩やかに持ち直してきたが、このところ弱い動きが見られる」と2ヶ月連続で下方修正した。一部には天候等の要因だけでなく震災復興需要の一巡ではないかという悲観的な見方も巷に見られる。車なども落ち込んでいるからだ。その後梅雨明けし日本列島を猛暑が襲っているところから消費は再び活性化するのでは?という期待もあるが、消費増税の行方は人々の消費意欲を減退させるものである。なにしろ社会保障や雇用確保面など生活インフラに何ら改善しないなかでの増税突っ走り路線だけに先を見通せない五里霧中のなかに全国民が置かれているといっても過言ではない 准医療機関を模索するドラッグストア ドラッグストアは事業拡大に可能性を見出せる数少ない小売業界の一つだ。6割の企業が店舗投資を増やすという調査がある。柱である健康関連商材をもつので食品の品揃えを増やし安売りする余地がある。国民医療費を抑えるための国による医薬分離の政策も業界にとって追い風である。物販に続く柱として医師が出す処方箋に応じて医薬品を提供する調剤併設店を増やすことができる。商材の親和性や従業員の育成面でも他業態に比べその優位性は高いのである。そしてドラッグストアの可能性はある面で医師の代替ができる点だ。「HAC」を展開するCFSコーポレーションは予防医学に事業余地を見出す。同社は都市部の積極出店に遅れをとり現在でも業界地位は10位前後である。店舗の多くが住宅街にある。商圏は老いる、すなわち高齢者が増加するのである。店内の一角で体組成、骨密度などの測定機器を設置して、選任の管理栄養士などが食生活をアドバイスする。有料サービス会員になれば日常の運動量を基にカウンセリングも受けられる。郊外の大型店に行くことが困難な地域の高齢者を深堀りすることができる。人は健康に長生きしたいのである。 卸機能をもちつつある小売業 流通に関する教科書を開くと必ずや製配販という用語にお目にかかる。しかし今やこれは死語に近い。圧倒的なブランド力を背景に有力メーカーが販路政索をつくり卸と小売を組織化するというのが製配販の仕組みであるが、現代流通で覇権を担うのは巨大化した小売業だ。そして覇者たる小売は一様にモノづくり、配送へ注力する。近未来の流通は一部を除いて小売主導で卸、メーカーへと流通という大河を遡っていかざるを得ないのである。小売業態のイノベーションと称すべきコンビニ業界を見るとそれがよく解る。プライベートブランド商品の売上は今や大手3社で5000億円超と目されるが、一方でPB商品がどう調達されているかはあまり知られていない。最大手のセブンイレブンの例で仕組みを解明してみよう。セブンには商品本部と約80社のベンダーで組織する「日本デリカフーズ協同組合」という組織がある。ここでは80社が保有する工場数は170余り、ほとんどがセブン専用工場である。本部では適宜、メニュー開発会議が開かれ各ベンダーの試作品が検討され採用されたメニューレシピは共有され全国各地のベンダー工場で分担生産されるのである。まさに流通の溯りが端的にここに見える。 独禁法違反で警告されるビール卸 三菱食品、伊藤忠食品、日本酒類販売の3社がイオンに仕入原価を割ってビールを販売していた疑惑で3社は公取委から警告されるようである。当初はイオンが独禁法違反(優越的地位の乱用)で3社の値上げ要請を拒否したのでは?という疑いがあったがこちらはシロとされた。もっともイオンは今後値上げを要請されても応じないという姿勢を強調する。背景にイオンのビール販売への自信があるようだ。嗜好性の強いビールは小売PBが太刀打ちできない分野というのがこれまでの定説。そこに挑戦したのがイオンのPB「バーリアルラガービール」だった。イオンがPBとして第3のビールを発売したのが2010年だった。味もまあまあ88円という安さもあって発売後1年間の販売本数が1億3000万缶(350ml缶換算)に達した。これでイオンは自信ももち、本物のビール販売へ乗り出したというわけだ。一方、若者のアルコール離れもあってNBブランドのビールの売れ行きは精彩を欠く。苦肉の一策として卸も原価を割って安売りをせざるを得なかったのだろうと推測されるが、図らずも改めて大手小売のパワーを再認識させられた出来事ではあった。
2012.12.16
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客の飽きとどう闘うか ユニクロの既存店売上は最近では前年を割り込むことが多い。実は同社のIR資料から分析すると売場1平方メートル当たりの売上はここ5~6年ほとんど増えていない。成長企業と見られる同社の意外な側面だ。一方で個性的な小売業態は勢いがいい。例えばアディダスグループのリーボックが手掛ける「Your Reebok」だ。同社のスニーカーを好みのアッパー、アウトソールを選んで一足だけの自分の靴をオーダーできる。またリーバイスではジーンズに客が選んだ刺繍をあしらうなどのサービスを始めている。他にもこのようなカスタマイズサービス手掛けるブランドが増えている。背景は買い手・売り手の双方にメリットがあるためだ。客にすれば既製品では皆と同じで嫌。かといってフルオーダーは敷居が高い、馴染みのブランドに自分なりの工夫を加えることなら手軽であるうえ他人との違いを際立たせることができる。ブランド側からすれば客を繋ぎとめる効果があるというわけである。ブランドや店舗は生鮮食品と同じ悩みをもつ。何もしないで放っておくとじきに腐っていく。小売業やブランドは客に飽きられないように終始進化しなければならないのだ。百貨店の松屋が始める挑戦 百貨店のイメージは、古くからの優良顧客に濃密な関係をつくり、ときには顧客宅への外商をも辞さないという商法だ。しかし顧客の高齢化とともに百貨店自体も衰えてきて現在に至るというところか。もっとも囲い込む「お得意様」の重圧が軽ければ百貨店でも挑戦が可能だ。その一例が松屋だ。同社は独自に企画編集した婦人向け雑貨売場の外部出店を始める。もともと同社は小型店開発には積極的である。例えば今や新名所となり日々観光客が押し寄せる東京駅丸の内口にある東京ステーションホテルに「松屋 東京丸の内」をオープンさせている。しかし今回は「松屋」の看板を掲げない出店という同社としては初めての試みだ。第1号店は本店にも近い有楽町駅前の商業ビルに店舗を出す。店内では日常使う雑貨約500品目を品揃えする。笠、ポーチ、ストール、ハンカチなどだ。働く20代の女性を狙い価格帯もそれなりに抑える。この1号店でノウハウを蓄積し、今後は駅ビルやショッピングセンターなど本格的に外部への出店を強化していく目論見だ。百貨店ブランドはまだ健在だ。端緒ではあるが眠れる巨人、の百貨店がやっと動き出した。三菱食品がネット通販参入 流通業界のネット取組はこれまで積極的とはいえない。デジタル革命は小売や卸にとって夜明け前と論ぜられるのももっともだ。とくに食品卸は小売への遠慮もあるのか実験程度だったのが実態だ。しかし事情は変わってきたようだ。食品卸、最大手の三菱食品がネット通販への参入を打ち出したのだ。それも本格ともいえる取組である。同社はデジタルガレージと組み、共同出資会社「FOZA」を立ち上げ年明けにもネット通販事業を始める。専用の通販サイトを開設し国内外で取引する約40万品目の調達ネットワークを背景に、常時1.6万品目を販売する。ネット上での決済や広告はデジタルガレージが行い、物流は三菱食品が専用の物流センターを新設して全国の注文客に配送する仕組みだ。楽天などの仮想商店街にテナント出店するのではなく、新会社を設立して参入するというところに三菱食品の本気度が窺える。ネット通販によって同社はモノを直販することの実績を重ねることができる。卸活動の強化も狙いのひとつだ。食品卸が自らネットで消費ニーズを把握することでスーパーなど提案力を強化できる。もっと早くに展開をすべきだった。 成熟消費も活況な個人輸入「セカイモン」は個人輸入の代行を行う。米国競売大手イーベイと提携して米国内で出品された商品を国内ユーザーが落札するとセカイモンが代わりに出品者と交渉を行い、商品を国内まで配送する。日本のユーザーにとっては英語でやりとりする手間が省ける。送料はアメリカ国内分及び国際送料が発生する。また落札金額の15%分の手数料をセカイモンに支払う。サイトで扱う商品数は多く約1億アイテムに及ぶ。この個人輸入サービスが好調だ。セカイモンを展開するショップエアラインの2012年度の扱い総額は20%増の46億円だった。この度購入できる金額を3千ドル(約24万円)から1万ドル(約80万円)に引き上げる。上限額が1万ドルになることで中古車やバイク、家具なども扱えるようになる。13年度は高額商品の取引を強化し5割増の70億円を目指す。事業の好調の背景は歴史的円高もあるが、ありきたりの商品では満足できないスペシャルを求める消費者のホンネがある。統計的平均ではなく、個別の消費者として市場を捉える必要がある。もっともこの個人輸入代行支援ビジネスには、各種のトラブルが尽きないことも事実である。
2012.12.04
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復興特需だけではない。卸の復活 普段の生活では目につくことの少ない黒子の存在だが、卸売業の業績が回復している。専門紙の日経MJの調査によると11年度の全業種合計の売上高は昨年度に比べ3.1%の増加、営業利益も約20%伸びた。2年連続での増収増益だから特需効果ではない。東日本大震災後の需要の反動増に加え、この1年間の卸各社の消費者に近づこうとする事業努力が奏効したものと考えるべきだ。努力の第一は地道な内部コスト削減がある。例えば日用品卸のパルタックが神奈川県にもつ最新鋭の物流センターの誤配送確率は10万回に1回、業界平均のおよそ10倍だ。常時25000種の在庫をもち4000近い配送先があっての数字だから驚異的と言わざるを得ない。卸の復活を促した第2の要因は積極的な商品開発である。例えば食品卸の日本アクセス。同社の展示会にはNBメーカーのブースを圧倒するように種類豊富なPB商品が並ぶ。アクセスが国内の食品メーカー100社以上と共同開発した新ブランド「バリュープロミス」だ。規模の制約から自社でPB開発に限界のあるローカル・スーパーマーケットや百貨店からの評判は好意的である。不要論の声は止まるところはないが、どっこい卸は強かに存在感を主張している。 出版不況で進む取次ぎの業績格差 11年の本や雑誌の市場規模はピーク96年と比べ3分の2に縮んだ。このさなか取次ぎ卸2強の業績力が逆転した。07年3月期に日販を純利益額で2倍近くも上回ったトーハンだがその後は凋落、12年3月期には純利益が16億円あまりとなり日販の32億円の2分の1にまで落ち込んだ。この逆転の要因は明確である。出版卸は利益を上げるためには書店からの返本を低下させることが生命線となる。現状のトーハンの返品率は約39%、日販は33%だ。この差が両社の収益力の格差を生み出しているのだ。日販は10年4月から返品率を下げるため飴と鞭の方策を始めた。すなわち返品の少ない書店には報奨金を払う一方で予め取り決めた数値以上に高まった書店には違約金を要求したのである。トーハンが同じような手法を採用したのは翌11年夏だった。ところでトーハンは販売面でも苦境下にある。これまで取引のあった有力チェーンから次々と絶縁を迫られている。丸善、文教堂などが相次いで帳合いを変更する動きに出ている。2強体制が崩れ1社の取次ぎの力が突出することを喜ばない向きも業界にはある。トーハンは改革できるのか。 小売業のメーカー化の流れ かつて世界を席巻した日本の家電メーカーが苦悩する。急速に力をつけつつある韓国や中国の新興勢力の前で震えあがるだけのようにも映るの「もの作り日本」の現在である。一方、家電不況は小売業にとって千載一遇の人材獲得の好機だ。例えばベビー用品小売の西松屋チェーンでは09年から家電メーカーの退職技術者を積極採用する。狙いはPB開発だ。従来は商社に漠然とした要望を伝える程度で主体的な関与は技術的に無理があった。その結果、出来上がった商品は使い勝手の点で難があり売れ行きは良くなかった。例えばPBベビーカーはせいぜい3千台も売れば限界というのが実態だった。真のPB開発には理科系人材を内部に取り込む以外にないとの判断から家電メーカーの技術者をスカウトし始めた。好結果はすぐに出た。その後、メーカー品が折り畳み時に指が挟まれるという事故が話題になった。そこで転進社員が中心になり安全性を考慮した商品を発売し、割安さも評価されて同社のヒット商品となった。2年間経過して累計販売は6万台となったのだ。大手製造業のリストラは今後増える。人材が小売業に流れる流れは止まらないであろう。 小売業は接客業というのが原点 個人的な体験だが最寄りの駅前にあるスーパーにはイライラさせられることが多い。最近ではPBが充実してアメニティは増した。食品などもNB商品と比べても品質は遜色なく言うことはない。難点はレジ行列の長さだ。このスーパーでは夕方のピーク時でもコスト面からか半分以上のレジが稼動しない。うんざりするほど待たされることもある。「なぜ閉鎖レジを開けないのか、手の空いている社員を使え」と苦情を言っても相手はパート社員だからなのか聞く耳はもたず状態である。木で鼻を括るとは彼女たちの態度のことだ。客からの苦情が疎かにされているとしか感じられない。飲食業やサービス業は接客をとりわけ重視する。基本品質の差別化が図り難いからだ。苦情者を顧客に変えようとする気迫がある。小売業でも客にいかに不満足を与えないかということが重視された時代があった。今では小売業はそれよりもPB開発に躍起になっているように見てとれる。満足を与えるよりも不満足の解消を優先させるべきだ。いくら良い商品が並べても不快な店には行きたくないのが客の本音だということ小売業は忘れてはいけない。
2012.11.18
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人の気力はすごい カズ氏45歳だ。フットサルW杯に日本代表で参加した。日本が初めての出場を果たしたサッカー。1998年のフランス大会では無念にも代表から外された。その後は所属チームを転々とし、現在はJリーグ2部。それでも「夢は日の丸をつけてのW杯出場」と言い続けてきた。森光子さんが亡くなった、享年92歳。「放浪記は私の人生そのもの」と入院中も病をおして公演を続けた。老いても筋肉を維持できるように朝晩のスクワットを日課とした。二人に言えること人は「仕事」をしなければいけない、気力をもたねばならないということだ。姑息な中国 北京マラソン。当初、主催者の中国陸上競技協会か、選手登録ホームページの国籍欄に「日本」の選択肢を設けず、日本からの問い合わせに対しては、「日本人は参加できない」と明言していたようだ。しかし中国内のネット上で批判されると主催者は狼狽して態度を一転、参加を認める方針に転換。「日本人の参加を拒否したことがない」と釈明する醜態。この国の二枚舌の政治姿勢には憤慨するばかりだ。しかし信念をもってやったなら国内の批判にすぐ動揺するとは何とも情けない。 野田佳彦を見直した 遺言政治、野党と談合したなどと叩かれるばっかりの宰相だが、ここ何代か続いた放り投げ・無責任の政治屋とは持ち味が異なる。リング上で闘って、何かを勝ち取って死ぬ、そんな気概を感じさせる解散ぶりだった。この男、お坊ちゃんではない。野人に近い。その死んでもやりたかったことが増税とはスケールの小さいことだがその気概だけは買った。 とりあえず第三極に期待したい 自民だと官僚と二人三脚の復活だろう。民主だと官僚に力負けするだろう。石原と橋本だったら少しはこの国の諸悪の根源である官僚システムを少しは封じ込めることができるかもしれない。でももっと若いヤツが日本にも出てこないのか。慎太郎ヒネた竜馬か第三極というところだ。それにしても生ゴミとなって捨てられた河村や渡辺はどうするのかね。それに橋本はなぜあんなに河村を嫌っているのだろう。
2012.11.18
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今週は穏やかで暖かい小春晴れの続く一週間だった。山茶花も開花した。■このところ再審無罪が続く。のう天気の裁判所や検察の暗闇は日本と言う国の縮図でもある。今回の東電女性社員殺害事件で、こいつらは失態が明らかになっても検察はなお「「捜査・公判に特段の問題はなかった」と一般人に意味不明なことをいう。開き直りは官僚の特質だ。いくら新聞が批判してもこいつら独裁者は聞く耳をもたない。■田中真紀子は政治家の資格なしと新聞はたたく。しかし大学の認可問題での彼女の言動、あれは確信犯かもしれない。乱暴なことをやらなければ官僚の思うままだ。ちゃぶ台返しをしなければ官僚の決めたルールのまま日本の行政は進む。官僚支配を崩すには,諮問会議を全廃しなければだめだ。■「男らしさ」を求める気分が日本人のなかに広がっている。民主党は官僚に支配され男らしくない。橋本徹や石原慎太郎はフラフラするかれらを攻めてはっきりとものを言うので男らしい。民主主義は荷も決められないので男らしくない。独裁は一刀両断なので男らしい。中国は男らしいが、日本は男らしくない・・・。うん確かに日本人の琴線にふれる気分だ■日本の各地に活断層が見つかっている。航空写真など新手法で見つかりやすくなっているという。表面は静かな大地だが、地中にはいつ暴れ出すかわからない活断層がある「みずほの国」。社会の気分も、一見、ぬるま湯だが、奥には爆発の活断層が眠っているのかも。この国は沈滞を爆発を繰り返してきたのだから。■中国という体制には違和感を覚える。日本を恫喝しつつも国際世論には敏感。日本を揺さぶる。彼の国への信頼感はこと政治外交という分野では消え失せた感じだ。かれらの挑発に乗り、尖閣で海戦が起きるかもしれない。勝っても負けても日本は右傾化が強まるだろう。。■日本政府の沖縄への仕打ちは明治以降変わっていない。属国扱いだ。沖縄の新聞にはこうある。「県民の間から普天間飛行場への電気・水道の供給停止などの声が出始めている」 「もはや(本土は)沖縄を侮辱しているとしか見えない」。沖縄独立論も出始めた。中国は日本から沖縄を分断する狙いをもつかもしれない。■ソニーやパナソニックの不振。組織を思い切り小さくして(事業部ごとに分社化して、働かざるを得ないように自分ならする。親方日の丸でおんぶにだっこの社員が多すぎるのだ、かつてのソニーの輝きはどこへいった、井深さんや森田さんは泣いているだろう。■大学が増えすぎて質が低下したという。粗製乱造のどこが悪いのか。粗悪大学が増えれば受験生はそんなところに行かなければよい。自己責任だ。
2012.11.11
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東京駅が改装された。スカイツリー開業もし街そのものが、メディアになった。情報を求めて人々はリアルである街に出始めた。東京駅丸の内口そばにある、はとバスは連日、人々で賑わっている。残念なことは客が年配、つまりはベテラン層ばかりであることだ。今、もっとも元気なのはこれらの年代だ。若者はSNSにはまり込み外へ出ようとしない。電車の中を観察するといい。皆、能面の顔になってケータイを睨めるだけではないか。小売業も提案力を失い、画一化を強めるばかりだ。専門店よ復活しろ、と言いたい。 再び消費に生活防衛色が強まるか 総務省の調査で見ると東日本大震災で落ち込んだ消費は今年前半まではほぼ順調に回復してきた。消費が平時モードに戻った、と論じられた所以である。人々は節約消費に息苦しくなったのだと論評された。しかし再び消費は生活防衛色が強まりつつある可能性がある。例えば消費持ち直しの象徴と目されてきた高額品販売の雲行きが怪しい。百貨店の美術・宝飾・貴金属分野の売上が7月に9ヶ月ぶりに前年実績を下回ったのだ。一時的な変調なのかどうかは不明だが気になる。別な状況証拠もある。8月の国内既存店売上が5ヶ月ぶりに前年を上回ったユニクロだ。客数を2.5%伸ばしたことが牽引した。ユニクロは誰もが知る価格破壊のリーダー企業である。スーパー業界でも低価格販売を仕掛けた西友やイオンは健在であり他のスーパー企業も応戦の構えを崩していない。他の分野を眺めても今年の前半までの「消費持ち直し」という楽観的な気分はもはや流通業界にはないのが現状だ。この数十年の間、経済成長は無く所得も伸びない状況が続いている。社会福祉の安定も掛け声ばかりで何も進まない。そのくせ消費増税がこの先待ち構えている。生活防衛食が強まるのは当然かもしれない。 シニアという呼称への違和感 イトーヨーカ堂は首都圏の主要店舗でシニア世代向けの展示販売会を開いていくという。第一弾を「敬老の日」に絡めて9月12~17日に木場店(東京・江東)で開いた。シニア関連商品を取り扱う衣料品や雑貨、食品メーカーの40社余りが参加し高齢者向けの食品の試食や靴の足型測定や、60代モデルのファッションショーなどを催した。同社以外でも小売業界のターゲットは「高齢者」である。確かに経済的に見れば有望な消費層だろう。しかしコンビニを見て欲しい。別にシニアや高齢者向けなどと宣伝していない。重要なのは商品の質なのである。また当の本人はおそらく自身がシニアと呼ばれることを喜ばないだろう。ましてやシニア専門などという商品を進んで買いたいとは思わないと思える。彼らはアイビーファッションで身を飾りビートルズを愛したプライドの高い人たちだ。一緒くたにシニアと決めつけるのは失礼という気がする。せめて呼称から変えたらどうか。英語では類似の言葉に「advanced」、「veteran」がある。いずれも「進んだ」や「熟達した」など尊敬の意味が込められている。日本語にも「長(おさ)」という言葉もある。 スカイツリーの「問屋国分」今年5月に開業した東京スカイツリーが盛況である。現在も休日には展望台への入場に1時間以上待たされることもある。人出は既に2000万人を超え周辺の商業施設も活況と見られる。そのなかで異色の存在が食品卸、国分のオフィシャルショップ「問屋国分」である。「黒子」役であるはずの卸が一般を対象とした出店だけに注目される。目を引くのが「市(いち)」と呼ばれる一画だ。江戸の日本橋界隈を再現したミニジオラマが展示され、通行人の賑わい、魚市場、大店の暖簾・・の街なみが人々を楽しませる。「市」で江戸にタイムスリップし創業300年の国分の歴史を体感した来場者を次に待つのが「蔵」ゾーンだ。ここでは同社の調達の力を感じ取ってもらうのが狙いだ。一例は100種類に及ぶ「かりんとう」の展示である。実際の小売店頭にこんなに並ぶことはまずないから、日本中にこんなに多くの「かりんとう」があることに人々は率直に驚く。60万種の飲食良品を扱う同社のビジネスを納得してもらう目的だ。この施設は目先の利益を追いかけるのではなく食品卸の存在を一般にPRする場であるが、一種の産業観光の場としても楽しめる場である。 ネットが牽引するニッチ産業 昨今はネット社会の功績だけでなく各種の弊害も議論される。もっとも総体として見ればメリットの方が大きいと思われる。例えば知名度が低いため需要規模が小さい商材をビジネスとして成立させやすくなったことがあるだろう。ネット時代以前であれば途方のない粘り強い営業による説得が必要であったはずだ。各地で獲れる珍しい魚などを仕入れ、外食店などに販売するニッチ・ベンチャーのプロ・スパー(愛知・蒲郡)はキハダマグロに似た味の「アカマンボウ」を自社のHPで紹介する。刺身の他マリネやユッケなどの調理法を紹介し飲食店に販売するのだ。ネットが普及する以前には考えられなかったビジネスである。中堅種苗業のトキタ種苗(さいたま市)は独自に開発したセリ科の「ステッキオ」など20種以上のイタリア野菜の種子を扱う。同社ではHP上でレシピを公開しホームセンターを通じて販売する。なじみのある食材の新しい食べ方を提案する例もある。小売流通の寡占化の流れのなかで消費なかでも食品分野は画一化の流れが顕著だ。一方、珍しい食材を求める需要も高まるばかりである。この狭間がビジネス機会だ。ネットは強力な武器となる。
2012.11.11
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進むキャッシュエス社会と高まる不安 現金をもたなくても買い物ができる便利な時代が確実に到来しつつある。代表的な電子マネーの「スイカ」、「エディ」の利用者は今や4千万人にのぼりほぼ3人に1人が使っているのが現状である。予め入金しておく方式に加え携帯クレジットも始まった。利用可能シーンも鉄道・バスなど交通機関、旅館・ホテル、小売店、自動販売機など面的に急速に広がってきた。最近では電気・ガスなど公共料金の他、自動車税も決済できるなど利便性が拡大しつつある。利用者層も拡大している。若者だけでなく中高年層への普及も広がっている。あるスーパーによると40歳代以上の主婦の半分が電子マネーで買い物をしているというデータもある。しかし最新テクノロジーが故の課題も見えてきた。第1に紛失・盗難の場合どうするかという問題がある。事後の届出などをしても不正利用の危険性は残る。また決済時に暗証番号を入力するが盗み見られ悪用される可能性もある。さらに落としたりしてハードウェア自体が損傷した場合の電磁情報に与える悪影響も懸念が払拭できない。それらにも増して普及のための最大の鍵は現金を代替する程の魅力的な用途を今後開発できるかということになるだろう。欲しいモノがない、消費のコモディティ化 昨年の小売業の売上高はスーパー1.1%、百貨店0.9%と共に前年比で減少になった。不振の主犯としていつも槍玉に挙げられるのが天候不順である。しかしスーパーは3年連続、百貨店に至っては9年連続のマイナスである。一時期隆盛を誇ったコンビニ業界も依然として水面下にある。このような状況を見るともはや天気のせいにはしていられないだろう。中小企業研究所の調べによるとヒット商品の寿命は年々短くなっているという。70年代にはヒット商品の60%が5年以上寿命を保ったに対して今世紀に入ると5年以上ヒットし続けた商品の数は10%以下になったということである。主要な消費財はほぼ行き渡り、「消費は既に飽和している」(セブン&アイHDの鈴木会長)、「心の底から欲しいと思うモノがない」(しまむらの藤原会長)ということもあるだろう。反対の見解もある。「06年は景気回復の流れがより確実となった」(伊勢丹の武藤社長)。メンズの服飾部門が好調に推移しているようだ。野村総合研究所の最近の調査によると自分が気に入った付加価値には対価を支払うという消費者が増えているという。消費者の琴線訴えかける商品・サービスの開発が求められる。ジャパン・クールを世界へ、大手商社の新戦略 刺身や天麩羅などはもちろんのこと最近では醤油や味噌などの日本の食文化は今や国際的に定着しているが、近年、日本のポップ・カルチャーがクール(カッコ良い)という評価が世界中で高まりつつある。世界6割のシェアをもつアニメ産業が良い例である。これに続けとばかりに大手総合商社が今度は日本映画の振興に進出し始めた。三井物産は昨年の6月に松竹と資本・業務提携していたが、出資比率を従来の1%から3%に高め共同事業を積極化させる。年間5本程度の映画を共同製作する。携帯電話向けの動画配信も始めた。住友商事は既に映画の製作から流通まで手がける子会社をもっているが、投資額を増やしアニメ映画の製作を強化する。昨年の映画興行収入が初めて洋画を上回るなど国内市場も堅調であるが両社の狙いは主に海外市場にある。既に双実は米国のアニメ流通大手を通し日本製アニメのネット配信を始めている。世界中にネットワークをもつ商社の総合力を活かそうという意図がある。文化庁はメディア芸術の振興に向け作家の育成のため来年度予算案に4億円を計上した。総合商社の突破力に国の支援も加わり日本のソフトパワーが世界で開花することを希望したい。機能改革で生産性向上を図る卸売業界 製造業に比べ大きく見劣りするのが流通業の生産性である。とりわけ人手の割合の高い卸売業の労働生産性をどう高めるが課題となる。鍵がITの有効活用であることは論を待たない。そこで期待されるのが小売・卸間の取引システム共通化の動きである。イオン、伊藤忠食品など大手スーパー及び卸の20社以上が商品の受発注から納品、支払までの取引に使う通信システムを共通化する実験を春から行うことを発表した。商品コードの共通化は既に実現しているがデータの通信方法などはバラバラであり卸各社は小売企業ごとにソフト開発をする必要があった。新方式では商品マスターなどのデータを小売側で共通化し通信法もインターネット・インフラを用いる。取引システムを共通化することで時間を削減できる。商品にICタグを導入して出荷・在庫の管理をメーカー・卸・小売の各段階で管理する実験も行う。これらによって人件費の削減、在庫減少、品切れ防止、顧客の購買動向の把握などの効果が期待できる。昨年に内閣府から規制緩和によって日本産業の生産性が7%以上向上するというレポートが出されたが、規制緩和に拠らずともITを活用して現在の仕事の仕組みを変えることでも生産性向上は図ることができる。
2012.11.07
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この大震災で世界各国が支援の手を差しのべてくれたが、アメリカは「トモダチ作戦」の名のもとに異様ともいえる支援をした。米韓合同演習に向かう途中の空母や多くの艦艇や兵士、さらに原子力災害に対処する専門部隊まで日本に送り込んだ。僕はかねがねなぜアメリカがここまで日本支援にこだわるのか、ちょっとやり過ぎではないかと疑問に思っていた。ひょっとしたらトモダチ代はえらく高くつくのではないか。こんな川柳を創ったほどだ。「トモダチへ 請求書の 宛名書き」 その狙いというか背景が一部解ったように思える。目的はカネだ。在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)に関する新たな特別協定が4月1日に発効したそうだ。これから毎年度1881億円ずつ5年間にわたって日本側が負担することになる。総額は1兆円近くになる。 これまでの特別協定は、在日米軍基地で働く日本人従業員の労務費と米軍施設の光熱水料の二本立てだった。日本側の支出は1993年度の1052億円をピークに減り続け、2010年度は206億円にまでなった。新協定ではこれが大きく金額がハネ上がり高止まりすることになる。 このことを知らない日本人(僕も含めて)は、アメリカの「友情」をまったく疑っていない。やはりアメリカは親友だなどとお人好しに終始している。何という甘ちゃんだろう。アメリカはトモダチの裏にちゃんと取るべきは取っているのだ。あの国はしたたかで計算高く、執念深い国民性だ。ビンラディンを10年も追いかけ仕留めた事実をみてもそのことははっきりとしている。計算といえば「トモダチ作戦」に用意した予算はアメリカ自身にいわせれば最大で65億円だそうだ。対して日本は1兆円の対価を支払う。友情は高くつくのだ。
2011.05.05
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ビンラディンがアメリカの特殊部隊によって殺害された。彼の妻までも撃ち殺された。驚いたのは国の暗殺作戦に当のアメリカの人々たちがもろ手をあげて賛成していることだ。新聞によれば「大統領は本当の指導力を発揮した」などと言う輩がいるらしい。個人がすれば山賊・強盗行為と非難されることも国家が行えば正当化されることに正直言って強い違和感がある。 一連の経緯を見るとアメリカによるラディンへの敵意は一貫している。2001年9月にテロが行われるや直ちにアメリカは彼を容疑者と決め、アフガンを攻撃しイラクとも戦争をした。オバマになっても方針は変わらなかった。自ら「ビンラディンの殺害か拘束を最優先するよう指示した」と言っている。そして5月1日にラディンを特殊部隊が急襲して殺した。10年以上に渡る「悲願」の達成である。何という執念深さだろうか。 思うのは敵や目標をもったときの人の力だ。とくにそれが国家や国民に共有されると威力は計り知れないのだ。これは僕らの国にも前例があるのだ。昨3日の憲法記念日の東京新聞の社説になるほどと思った。「第十三条、第二十五条第一項、第二項は、廃墟に立つ日本人にとって希望の灯火となりました。人々は憲法に励まされ『今日は昨日よりも、明日は今日よりも良くなる』と信じて懸命に働きました。」と書いている。ちなみに十三条は個人の尊重、二十五条一項は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利であり、第二項は社会保障の充実のことだ。 思うところこの国の昨今の深い霧は僕らが、僕といってもよいが、目指すものを失い根無し草となっていることに原因があるのだと思うのだ。自分探しや国の形探しを今しなければならない。
2011.05.04
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暫く記事を書かない間に、季節は春から夏を過ぎ、今では秋を感じる今日この頃となってしまった。つくづく、時間の過ぎ行くのは早いし、また、日本という国は、四季の変化に恵まれているのだな、と思う。変化は季節だけではない。政権も自民党から民主党に変わり、近々、新しい政府が誕生する。はっきり言えることは自分も含めて、日本人が行き方を変え始めたということだと思う。変化は着実に起きているのだ。日本は変わりつつあるというのが実感だ。では、どんな変化かと言えば、うまく言えないし、言うと長くなるので控えるが、月並みな言葉を使えば、産業主義から生活主義への変化ということか。民主党の天下が長続きしなくともこのトレンドは変わらないと思う。これまでの大企業というか産業重視の態度とは明らかに一線を画するものだ。自分としてはこの国を楽観的に捉えている。日本はこれから少しずつ良くなっていくと思う。裁判員制度が始まった経緯はともかく、これによって日本人は少しずつ真面目になりつつある。 ところで、素朴な疑問がある。総武線の快速電車の新日本橋駅の英語表示は、「Shinnihombashi」とあり、新橋駅は、「Shimbashi」となっている。日本人が発音するときは、mを発音することは難しく、自分も含めて大方はnと発音するだろう。なぜ素直にShinnihonbashi、Shinbashiと表記しないのだろうか。一度、JRに問い合わせてみようか?
2009.09.05
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暦の上での話である。実感として夏を感じはじめるのは、やはり六月に入ってからだろう。まだ今の時季は、「春暑し」、「夏めく」といった表現が似合うようだ。とにかく緑と花の季節だ。折りからの黄金週間、近くの公園や田畑をブラブラと散策するのもよい。きっとなにか発見があるだろう。 いつもと違ったことをするのは脳にも効く。脳に必要なものは、栄養、睡眠、知的刺激の三点セットだ。注意深く鍛えることで人のニューロンは死ぬまで増え続けるらしい。またシナプスもどんどん連携していく。つまりは、アタマは一生良くなり続ける、創造力は生きている限り成長するということだ。 そのためには、好奇心をもって、世界を眺めることだ。そうすることで現代の精神風土である、「うつ」からも逃れることもできるかもしれない、自分はこのように思うのだが。
2009.05.05
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実感では春たけなわだが、季節では晩春から初夏である。この時期は何といっても緑だ。桜のような華やかさはないが、植物の葉っぱが春光を受けてきらきらと輝く。生きてるぞと生命の息吹を人々に感じさせてくれる。やはり一年のなかでも最良のときだろう。 新緑と一口に言ってもその色合いは様々だ。薄緑、浅緑などの淡い色、濃く深い色合いの緑、利休色などの黒ずんだ緑、浅黄など黄色っぽい緑・・・。多様性に富んでいる。花の色鮮やかさも好いが、緑のヴァリエーションを楽しむのもこの時期ならでわだ。そのなかで今が盛りのつつじが美しい。漢字で書くと躑躅だが、書ける人はまずいない。花期が長いので街路にも普通にみられる。つつじの良さはその慎ましさだろう。白い花でもややくすみを帯びている、赤い花でも紫っぽい色合いで自己主張をしていない。それが折からの新緑にうまく溶け込んでいる。あくまで主役は葉の緑ですよと言ってるみたいだ。 築地川ありしあたりやつつじ燃ゆ(清水基吉)、岡持が干され都心の夕つつじ(木村蕪城) 青やかの画布につつじ燃ゆ出しゃばらずとも我ここにあり(自作) 残念なことは都心では花や緑が、とても少ないことだ。自然のなかで子どもが安心して遊べる場所もあまりない。この面では、周辺のベッドタウンの方が遥かに恵まれている。東京もオリンピックなどを誘致することを考えずに、公園をもっと増やしたら良いと思うのだが。例えば、少子化で余った学校を地下に移し、上は原っぱにすれば子どもも伸び伸びと安全に遊べる。地下に移った元学校は、大人が知的に遊べる図書館や美術館に利用すればよい。どうしても「城」を残したければ主要な道路に自転車レーンをつくって、この国を自転車大国にすることだ。そうすれば後世に名が残るよ、都知事さん。
2009.05.04
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大晦日といっても、今日が終われば明日が来るだけで、自然の摂理には何の変化もないのだが、一応、けじめということもあり、人並みに今年2008年を振り返る。経済指標的には、07年の秋以降から景気の変調が見られていたようだが、私的な新聞記事スクラップを見ると、08年になっても世間はまだ”好景気”に浮かれていたようだ、庶民にはさっぱり実感はなかったものの。 春頃までは、地価は一部で小バブルの様相を呈していたし、相次ぐ商品の値上げで、インフレが懸念されるほどの情況だった。なかでも食料品の値上げは、消費者に生活不安を抱かせるほどだった。しかし夏以降、経済の空気が一変した。金融危機はあっという間に実体経済に襲い掛かり、企業の利益は急減、消費はまだかろうじて踏ん張っているが、この先はわからない。半年前とは180度変わって、今ではデフレが懸念されるようになってきた。むしろ、09年以降にさらに厳しい事態が心配されている。 とくに目先の心配は雇用の問題だ。日本はそれでもヨーロッパに比べて失業率が低いが、それは非正規雇用があるためだ。90年代後半から規制緩和され、今では全雇用者の4割が派遣や期間雇用で働いている。トレンドに流されやすいこの国ではあるが、たかだか10年ばかりで世界に冠たる非正規労働者の大国となってしまった。終身雇用の独特のモデルといわれたこの日本がである。儲かれば何でもありという資本の論理もさることながら、それを放置した政府の無責任ぶりに腹が立つのは私だけか? もっとも、こんなことを言うと批判を浴びそうだが、責任の半分は雇われる側にもある。新聞の三面記事などでは連日のように、所持金が僅かで寝袋を抱え野宿をして、ハローワークに相談に行く失業者の話題が載る。なぜ、そのようになるまで、事態を放置したのだろうか。自分の生活ではないか? 企業などは所詮、景気の好いときは、ちやほやするが、自分の都合が悪くなると、牙を剥き出しにする、不況になればクビを切られるとは予測しなかったのだろうか? そう思えば、雇用されている間に、貯蓄をして、資格を取ったり、自己啓発に努めるなど、今の不安定な立場からどう脱出するかを考えるべきだった。クビになれば追い出されると分っていたうえで企業の寮に住まいするなど、あまりに用心が欠けていたのではないか? セーフティガードは必要だが、共産主義でもない日本では、自己責任が原則だ。倫理にかける企業や無策の政府にも責任があるが、半分は、問題意識をもたなかった雇用される側にもあるというのが私の考えだ。こんなことは公器の新聞などはあまり書かないが、この際、言っておくべきではないかと思いブログに載せた。 遅きに失したとはいえ、セーフティガードが利き出している。少し、時間の余裕を与えられた恰好となったのを機会に、自らのライフプランを考えることだ。都合のよいことに製造業などはクビ切りに躍起となっている一方、介護、外食などサービス業は人手不足だ。農業なども今後、企業の参入規制が緩和される方向である。今、悲惨な目に会っている人々にも活躍の舞台は開けている。 少し、上から見下ろすように見える文章になってしまったが、今、痛感していることを書いた。ご批判はあえて受ける気である。
2008.12.31
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政府の規制改革会議の第三次答申が固まったそうだ。これを基に来春、規制改革三ヵ年計画を再改定することとなっている。政治のリーダーシップが漂流しているため、どこまで実行性があるのか怪しいが、答申事体はいいことを言っている。なかで派遣労働者の雇用に規制をかける文言などは評価できる。これまであまりに野放図に企業に、ハケンを認めてきたことへの反省がある。なにしろ日本は世界に冠たるハケン大国なのである。ハケン社員は、労働組合もないため、経営層は簡単にクビを切ることができる。資本の論理というのは冷徹だ。こんなときこそ規制が必要だ。 また農業分野でこれまで半ば強制してきた減反政策を改め、農家の意思で自由に耕作をするシステムに転換する政策を打ち出したことはいいことだ。当たり前のことなのだが、これまで農家は自分の考えでモノ作りができなかった。こんな異常なことは早く止めるべきである。 話は変わるが、国の来年度予算の麻生首相の重点化枠のなかで、水田等の有効利用、耕作放棄地解消支援にお金が回ることはいいことだ。目の前の緊急課題に目を向けることは大事だが、同時に将来の国の形を変えることとなる芽に着眼するのも大切なことだ。余談だが、この重点化枠というのは、麻生さんのヒットだと思う(麻生さんが初めてということでもないようだが)。支持率が落ち、いいことのない麻生政権だが、重点化枠という手法は、政索に首相個人の思い入れを注入することができるので、素直に誉めてあげてよい。この調子でいい意味でわがままをどんどん発揮して欲しい。 規制改革には、ひとつ注文がある。規制改革の重点として街路や防災施設など都市インフラの民営化を大胆に議論して欲しい。例えばオーストラリアやイギリスのように。詳しいことはわからないが、営利性の乏しいインフラを、所有は行政が、維持管理は民間に任せているそうだ。このことで公的債務は減り、内需拡大にも寄与しているという。雇用も拡大できるだろう。 一方、日本では地方自治体など官が保有も管理も独占しているのが実態だ。こんな仕組みが高齢社会、つまり人もカネもなくなる将来、いつまで続けられるのだろうか? もちろん既得権益をもっている人たちの抵抗は強いだろうが、蛮勇を振るって改革してもらいたい。
2008.12.23
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こんなときにこそ産業政策を 今週は、われわれの身近な経済に厳しい寒波が押し寄せた一週間だった。日経新聞の12日付けの記事では、「経済急降下の11月」という見出しで金融危機が波及し、企業・家計の両部門で記録的な指標悪化が鮮明となったことを伝えている。経済の血液である金融の病弊が、実体の景気を凄まじいスピードでダメージを与えていることがわかる。 とくに、過酷な影響を受けているのが、雇用者だ。なかでも待遇面で不利な立場にあるパートや派遣社員などの雇用者だ。景気が悪化すると、これらの立場の弱い労働者が真っ先にリストラされる。今、深刻で早急に対処すべきは、雇用対策であることは、専門家ではない一般の人々にも明らかな事実だ。 しかし、与党そして政権の感覚はいかにも鈍い。例えば、派遣労働者を正社員として雇う派遣先企業に最大一人当たり100万円を助成するというが、噴飯もののアナクロだ。給料を払えないからハケンをクビにするのである。100万円欲しさで、人を雇おうとするはずがないではないか。そううち大波は、正社員のクビ切りにも広がる可能性がある。 雇用不安の背景には、需要不足がある。企業は売り先が乏しくなったため、まず人件費を削ろうとするのだ。こうなると最後のパトロンである国が、進んで需要創出をするしかない。つまりは公共事業だ。私は、これまで財政支出抑制による財政の健全化を主張してきたが、ここまで逆風が国民生活を襲う情況になると、もはやそうも言っていられない。まず内需浮揚が不可欠だ。 しかし、橋や道路をやたらに造ることには反対だ。これまでもこの種の土建公共工事は効果がなかった。今回の騒動の震源地のアメリカでは、次期大統領のオバマも公共投資の大判振る舞い路線を打ち出したが、環境やITなど、将来の国の産業活性化につながる方向に焦点を絞っている。同じカネを使うのでもまともなやり方だ。 日本でもそういう方向で考えるべきだ。電気自動車の普及や家庭向け太陽発電などに優遇的な予算措置を設けたらどうか? 新薬開発ベンチャーなどにも補助金を与えたらどうか? 地方自治体の事業をNPOなどに委ね、もっと大胆に民営化を進めるべきだ。要は、この国のもっている潜在力を生かすべきだということだ。 一方で、現在、検討されている対策は、土地譲渡税をタダにしたり、不動産開発に国が出資したりする、などが検討されていて、相変わらず不動産立国から抜け出せていない。喜ぶのは不況に苦しむ不動産業界と土地持ちの富裕層だけだ。こういう発想しかできい、自民党はやはり信頼できないなと実感させた。やはり政権を変えるしかないだろう。
2008.12.14
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きのうは、FP研修を受けるため、文京シビックセンターへ向かった。暖かい日の午前、秋葉原で電車を降り、散歩を兼ねて会場へ。秋葉原の「電気街」などというのは昔の話だ。今は「オタク街」だ。でも気のせいだろうか、昔のような活気が感じられない。買い物の大きな荷物をもっている人も少ない。不況のせいか、郊外の大型店に行っているのか? 時間というものはつくづく非情なものだ。 神田川沿いを御茶ノ水方面に向かって歩く。東京の街も随分と快適になった。道路は広く片側二車線だ。頻繁に車は通るが、排気ガスを感じることはない。時々、左に覗く神田川の水面も綺麗でヘドロなどもない。魚も棲めそうな感じだ。所々にグリーンポケットがあって、休めるようになっている。ゴミも少ないから見苦しくない。散歩やサイクリングにはとても好いだろう。こんな風のない快晴の日には・・・。日本ではないようだ、どこか見知らぬ外国の街を歩いているようだ。 ここには何かが足りない、何だろう。そうだ。不愉快な排気ガスの臭いやドブ川の悪臭もない代わりに、ある種の街の臭いも存在していないのだ。例えば、中華料理屋なら脂っこい臭いがするだろう、蕎麦屋だったら削り節の臭いがするはずだ。何か商売をしている家があれば扱っている品物の臭いがする。しかし、周りは塔のような高いビルばかり、日曜日の午前中ということもあり行き交う人も少ない。ただ、白くだだっ広い空間が広がるばかりだ。 無機質化しているというのか、中性化したといえばいいのか、のっぺら坊とでもいうのか、それはそれで美しいのではあるけれど、街から何の臭いも漂っていないのだ。何の情報も伝えてこないのだ。ときどき、すれ違う人も犬を連れて穏やかな表情だ。グループの若者もほがらかに談笑している。平和そのものだ。でもただ静か、というだけかもしれない。 大分、前になるが上海を訪れたときのことを思い出した。街はどこかドブ臭かった。街灯が極端に少ないので、日本人の感覚からすると辺りは真っ暗に近い。そして道路は人々の所かまわず吐く痰で汚れ、屋台の肉饅頭や餃子の湯気や臭いが立ち込めていた。かといえば外国人と見るや子どもを抱いた女の乞食がいつまでもついて来て離れようとしない。百貨店に入れば、店員は無愛想を通り超して、まるで怒っているような態度だ。店を出て空を見ると暖房で燃やす石炭で空は濁り、観光客は例外なく喉をやられてしまう。まあ、当時は、何て嫌なところだろうと思ったものだが、きのう、美しくなった東京の街を歩いて、なぜか汚い上海が懐かしくなった。もっとも今では一変してはいるだろうが。 さて、会場の文京シビックセンターに着いた。超高層のビルなのだが、何とこのゴージャスな建物は、区役所だった。もちろん、いろいろな催しが開かれる市民センターでもあるのだが、こんなもの凄い施設を税金でつくる必要があるのだろうか? ふと思ってしまった。 研修のコンテンツは、コンプライアンス問題だ。法令等遵守という意味だ。FPも弁護士や税理士と同じように法律に触れてはもちろんいけない。下手をやると資格を剥奪される。もっとも、コンプライアンス問題をあまり強調すると、逆の解釈が出てくる。つまり、法律に触れなければ、言い換えれば警察に捕まったり、社会的に弾劾されるようなことに至らなければ何をやってもいい、という理屈が成立してしまうことだ。つまるところ、内面の良心や価値観よりは、外面の正しさが良ければそれでいい、という人間が出てきても不思議ではない。倫理観の欠けた社会だ。なぜか、宅配業者を装って元厚生次官を襲ったあの中年男のことを思い出してしまった。
2008.11.24
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深夜のワールドカップ予選カタール戦を観た。いつも出来のバラツキが大きい日本チームだが、今回のゲームはとても出来が良かったように思う。安心して観戦できた。個人的には勝因は3つあると見た。 第1は、中盤がしっかりしていた。センターライン付近のプレスが利いていて、相手チームが力まかせの速攻やロングボール攻撃をできないようした。中盤はチームの背骨だ。それがしっかりと機能していたためディフェンス陣もオフェンス陣も余裕ができた。 第2は冷静な試合運びだ。カッカせずに大人のゲームができた。カタールチームのラフな試合ぶりとは対照的だった。イエローカードの数に如実に出ていた。だから疲労が少なかった。後半になると明らかにカタールは攻められなくなり、体力面でも日本チームが優った。 第3は球際の強さだ。皆、良かったが、なかでも玉田、大久保、岡崎、松井らの、諦めない、身体をはったプレーは、これまでの日本の戦い方にはなかったものだ。これまでは線の細さばかりが目立ったのだが。お隣の韓国チームのようにしぶとかった。いつも、このようなプレーが発揮できれば、少なくともアジアではナンバーワンなのだが。 スポーツの世界は、戦略の巧拙がはっきりと出るが、世の中はそうはいかない。プレーヤーつまり人々のルール、要は生き方が異なるからだ。例えば、社会保障審議会の年金改革の中間報告だ。来年から本格議論が始まるのだが、どこに焦点を当てるか、決めることができないため、小手先の検討に留まっている。もっとも案をつくる厚労省も、政治でどこの党が主導権を取るかわからないため、及び腰で、各論併記とせざるを得なかったのだろう。 但し、個人的な意見とすれば、継ぎ接ぎだらけの今の年金システムを土台から作り直さないと問題は解決しないのではないかと思う。今の制度の最大の欠陥は、格差問題を解決できないことだ。一人一人の所得を捕捉できないからだ。例えば個人事業者、不動産を多くもつ地主など・・・、名義を変えれば細工の余地が大きい。これまで実施できないでいるが、やはり納税者番号制度を取り入れることが必要という感じがする。しっかりと捕捉して高額所得者を管理するほかはない。
2008.11.20
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週間稚感(11/11~15) 世の中の風きを自分なりにいつもウォッチしているのだが、今週は何とも重苦しい雰囲気だったね。君はそう思わないかい? こんな感じだ・・深い森の中の澱んだ古い沼の淵に独りいるんだ。水面を覗き込む。でも黒くドロッとしていて見通しはまったくきかない。動くものは何ひとつない。でもときどき水面に波紋が広がることがある。しかし大きなうねりとはならないで、すぐさま消えてしまうのだ。「古池や蛙飛び込む水の音」という句がぴったりだ。芭蕉さんはやはり凄いね。 空を見上げる。垂れ込めた低い雲が太陽を遮っている。でも雨が降るようなことはなく、風もそよとは吹かない。不快ということもない、寒くもないし暑くももない、一種、快適ともいえる。でもここには自分のほか、人っ子一人いないんだよ。だんだん不安になってくる。それで、戻ろうと思うのだが、ここまで来た森のなかの小道はなぜか消えているんだ。この古沼の小宇宙に閉じ込められているんだ。前にも進めない、後ろにも戻れないのだ。ハンマースホイの絵画のようだな。「リネゴーオンの大ホール」がぴったりだ。 今週は一回限りの、一人当たり1万円程度にしかならない現金を国民にどうやって配るか、で騒いだ一週間だった。大の大人がくだらないことで右往左往した。誰もこんなことで世の中、明るくならないことを承知のうえだ。だからストレスが溜まる。今のは政治の世界だが、マスコミも苛立っている。新聞やテレビは鬼の首を取ったように総理大臣の読み間違いをやゆする。まった無意味の話ではないか? そんなことにアタマを使うのではなくて、何か、前向きのことを提案すればと思うのだが、批判のための批判に終始するばかりだ。どうも日本人がみんな知能指数が一気に下がってしまったようだ。 こんな状況のなかで、人々は元気をなくすばかりだ。元気が出るはずがないね。本来なら掛け声をかけて、「さあ、眠ってばかりいないで、皆起きるんだ。首回し体操をして、屈伸運動をして歩き出すんだ!」と掛け声を発する人がだれもいないのだから。政治もマスコミも”冬眠”してしまっているのからね。 みな、キッカケを待っているんだね。目覚まし時計が鳴るのをね。でも誰かがセットしなければ鳴るはずはない、このようなときは、外国や天変地異が人の眠りを覚めさせてきたのだ。歴史的にはね。もっとも大地震などはまっぴらなのだが。待つしかないね。誰かが目覚まし時計を鳴らすまで。でも目覚まし時計は必ず鳴るよ。ミクロの原子世界を考えてみよう。原子核の周りを電子が回っている。電子はエネルギーを出しながら回るわけなのに、どうして原子核へ落ちてしまわないのだろう。「定常」という軌道をもっているからだ。人間は原子からできている、世界には「あるべき秩序」というものが必ずあるのだ。
2008.11.15
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街がだんだんつまらなくなってくる 昨日の8日は、神田駿河台の中央大学会館(っていうのかな?)でFP継続教育セミナーを受けた。今年中に単位を取らないと、FP資格を更新できないので、もっぱら駆け込み勉強というわけだ。もっともFPは弁護士や医者と違って、無資格でも開業できるから問題ないわけだが。ただ、苦労して得た資格だからまあ更新しておくにこしたことはない。本当は、今日の9日も研修を受ける予定を立てていたのだが、昨日から体調が悪く、昨夜は、風邪のためか、咳がひどく夜もよく眠られなかった。ということで、人混みを避け、そこで今日はサボったわけだ。 単位を得るためだからテーマは何でもよかったわけだが、たまたま選んだテーマは、午前も午後もカネもちのための保険や不動産投資をどう提案するか、という話だった。要は、いかに税金を逃れるか、という知恵を授けるための講習なのだ。 改めて復習してみると、この国には、不動産を対象とした税制などの優遇制度がきわめて豊富だ。相続財産なども土地が圧倒的だ。土地神話は、地価が下がっても衰えていない。そのような富裕層へFPだけでなく税理士、司法書士、弁護士などが、知恵を授けては、節税(税逃れ)の知恵をつける競争をしている。ニホンコクは、土地神話からまったく抜け出ていないのだよ。 FPも商売だから、カネをせびり取れそうなところに目がいく。FPの上得意は、地主のほか、医者、中小企業主・・・がいる。蜜にたかる蟻のように群がることとなる。この節税ビジネス、一概には悪いとはいえないが、本来なら国庫に入り、貧しい人に再配分されるべきカネがカネ持ちに偏在しているのは、ちょっと違和感を感じる。そして、その片棒を担いでいるのが、自分たちFPであることを考えると、ちょっと複雑な気持ちになった。要は税金を納めないでいる人が多くいるのだよ。この国が格差社会といわれる所以はこんなところにもあるのだ。 ところで、駿河台という場所、大学とスポーツ店、古書街などがあり、休日でも人でごったがえしていた印象があるが、今は隔世の感。この日は、雨も降っていたせいか、人通りはほとんどなかった。いくつかあった大学も郊外へ移転してしまって、今では、そこにでもあるオフィス街と化してしる。昔のような油くさい(洋食屋が多かった)ような、汗臭いような、街の臭い、といったものが懐かしかった。今さらながら、と言われるかもしれないが、ちよっと寂しくなった。街の個性がどんどん失われていく、これが進化ということなのだろうか? 進化で思い出したが、先日、アホウドリの話をしたが、私が最も感動したことを書き忘れた。アホウドリには、体を支持するために、もちろん骨格というものがあるが、驚いたことに、骨は中が空洞になっているのだ。まるで注目のナノ素材のカーボンナノチューブみたいに。こういう工夫で軽い体を構成しているんだね。自然の進化というものはすごいね。それにひきかえ・・・という感じですね。以上。
2008.11.09
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週間稚観11/2(Sun)~8(Sat)◇チェンジという言葉が風を呼んだ アメリカの大統領選挙の話だ。得票率では圧勝とはいえないが、オバマが勝った。自由主義という別名の放任経済が長いこと支配し、国をメチャメチャにしたから、当然という結果だろうな。 若者が政治に関心をもってオバマを担ぎあげたことが大きいね。アメリカは変われるからいいな。それにあの国は不死身だ。何しろ潜在力が大きい。特許の数だってダントツの世界一だ。とくに生命科学、ITなどは他国の追随を許さない。今のことろは、最悪だけど。GMやフォードは倒産の危機にあるという話だ。不況のなかで選挙どころではないと言われたが、お陰で議会の党派シェアもすっきりしたではないか。日本ももっとしっかりとしなければいけない。◇人間がだんだんバカになっていくようだ 例の大阪の轢き逃げ事件の犯人の男のことでそう思った。引き摺ったままクルマを走らせれば、相手は死ぬとわかっていた、と言っている。また傷ついたクルマの偽装工作もせずに駐車場に放置し、本人はホストクラブに逃げ込んでいたという。まったくアタマの回路がどうかなってしまっているのではないか。 今週は、交番のいい年をした警官が、同僚の婦警に向かって拳銃を向けて、「撃つぞ」って脅かしたということもあった。こんなキケンなヤツが実弾の入った銃をもって正々堂々としている、というのは気持ちの悪い話だ。 気のせいか、とくに最近、こういう連中が世のなかに増えてきたように思う。素粒子の働きがまだよくわかっていないように、人のココロというものも謎の固まりなんだね。だって人間も物質なのだから。◇話し変わってアホウドリに感動 警戒心のない鳥なので日本ではこんな不名誉な名をつけられているが、実は優秀だ。、まず姿が美しい。大きいものになると翼の長さは3メートル以上にもなる。羽ばたきをせずに真っ白に、優雅に滑空する。もっとも他の鳥より胸の筋肉が弱いので羽ばたきが苦手なのだ。空の高い部分の下降気流と海面近くの上昇気流をうまく使って空を泳ぐ。一度に500キロも飛ぶのだ。子どもづくりのときを除いては50年の間、空を漂い続ける。 どうですか? アホウどころか何とも優雅、進化の優等生のようなライフスタイルではないか? ストレスがないので50年という長命に恵まれているのだね。“幸せ鳥”と呼称を変えてあげたほうがよいね。でもマイウェイで警戒心のないところがアダとなって、漁師などが捕まえて食べたりするらしい、生息数がどんどん減っているらしい。なにしろ生涯で子どもを一羽しか産まないから深刻だ。少子化の影響はアホウドリにまで及んでいる。
2008.11.08
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8) いよいよ僕のアタマのなかの旅も当面の終点に近づいてきた。五・七の原理は、俳句や短歌などの文学だけのものではない。実は、日本語そのもののリズムなのだ、こんなことを思っている。2つの例をあげよう。ひとつはエッセー、もうひとつは論文、両方とも感覚より論理を重視する文章だ。俳句や和歌などと対照の世界にある分野だ。 「カタカナ、ひらがな、漢字の三種類の文字をもつ、われわれの言語の場合、文字の綾なす表情は特に豊かで魅惑に満ち、ローマ字論者の機能主義を打ち負かして余りある」(『文学する』谷川俊太郎) 「村上春樹はその小説の最初から最後まで、死者が欠性的な仕方で、生者の生き方を支配することについて、ただそれだけを書き続けてきた。それ以外の主題を選んだことがないという過剰なまでの節度(というものがあるのだ)が村上文学の純度を高め、それが彼の文学の世界性を担保している」(『激しく欠けているものについて』、内田樹) どうだろう? ほとんどの文字のまとまりが5字以内に収まっているではないか。「漢字」、「三種類」、「文字」・・・。つまり、日本語というものはその構造からいって、素数を原理とし、歌文化につながる必然性をもっているのだ。四季に恵まれ、感性を重視する文化も寄与している。日本は世界性をもっている、というのは言いすぎか? ところで、二番目の文章、もちろん抜粋なのだが、意味がよくわからない。もとより作家論など、どこまで意味があるのだろうか? 僕も村上作品が好きで、よく読むほうだが、何となく魅力があるとしか言えない、しかし言葉では表わすことができない。 書いている本人だって、「純度を高めて世界精神を担保しよう」などと考えては書いていないだろう。演繹ではなく帰納で書いているのだ。世界を観察して、“今これを書かなくてはいけない、このことを書きたい”というのが心象だろう。作家ではなくふつうの人だってこう考えるはずだ。 ところで「欠性的な仕方」ってどんな仕方なの? あまり見かけないリアリティのない言葉だ。何となくわかる気はするがあいまいな表現だ。少なくとも僕にはわからない。(完) これまで、8回に分けて日本語について考えてきた。“わけの分らないゴタクを並べて”と感じる人も多いのだと思う。しかし、これらの文章は、僕には、どうしてもこのとき書かなければいけないことだった。自分は何を言いたかったのだろう? 端的に言うなら、日本は話し言葉の豊富な国だ、ということだ。なせかは分らない。その話し言葉を何とか、いろんな人に伝えたり、後に残したい、というところから文字が生まれた。 この言葉の豊饒さは、ひよっとしたら世界に誇る日本人の資産かもしれない。事実、マンガの“ギャオウ”、“ウギャー”などの擬態語は外国語に翻訳できないでそのままローマ字で表わされると聞く、それでもマンガは世界で理解されているようだ。ポストモダンの世界では日本人は言葉を武器にできるかもしれない。だから僕は言葉に興味をもった、僕はこれからも言葉を大事にしたい・・こんな心象や決意表明などを忘れないように書き留めておこう、こんなことが根っこにあって、読む人には、つまらないとも思える文章を書き連ねたのだろう。これらは自分のための文章なのだ。
2008.11.02
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇日本語-モーラ:拍、素数(7) 次に僕は以上のようなことを考えてきて、日本語自体のもつユニークさに気づいたのだ。自分がほとんど無知の世界に平気で入っていけるところが個人の強みだ。研究者であればこんな乱暴・冒険はできないだろう。 まずモーラだ。「拍」と訳される。発音するときの語の長さのことらしい。この点で、日本語の仮名ひとつひとつが基本的に同じ長さで発音される、と本に書いてある。そう言われればそうだ。あ・い・う・え・お、か・き・く・け・こ、みな同じ長さで発音している。ちなみにアルファベットを順番に発音してみると、それぞれ発音の長さが違うことに気づく。この日本語の音長が一定さが、どういう効果を表わすかというと語を好きなように繋ぎ合わせることが可能になるということだ。言葉のいろいろな組み合わせができるようになるのだ。このことが話し言葉の自由さに貢献しているのではないだろうか。 もうひとつの発見(あくまで僕自身の発見だ)は、日本語と素数の関係だ。短歌や俳句は基本的に五・七の組み合わせだ。これはともに素数だ、それも3を除けば最小の素数なのだ。素数というのは学校で習ったように1を除けば自分以外では割り切ることが不可能な数字だ。日本だけの歌は素数で構成されているのだ。 “それがどうした”、“どんな意味をもつんだ”といわれると反論することは僕にはできない。数学の観念世界のなかの素数が、現実社会のなかで、どういう意味をもつのか、僕には未だに理解できないからだ。 でも現実には、素数への好奇心は世界の数学者を魅了して止まないのも事実だ。日本でも素数の法則の研究に情熱をかたむける数学者を登場させた小説がベストセラーになった。これだけ注目されている素数なのだから、何らかの意味をもっているのだろう。これ以上、還元できない基本の数字なのだから宇宙の解明へ繋がる地平をもっているのかも? 僕は、そんな気持ちをもっている。 そして、ここが大事だが、そのような世界性をもっている素数が、日本の和歌の原理となっていることに不思議に思い、どこかで誇りをもっている自分に気がつくのだ。(続く)
2008.11.02
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週間稚観10/27(Sun)~11/1(Sat)◇解散引き伸ばし、しかし年内もあり 麻生サン、解散を先延ばししたネ。阿吽の呼吸で総選挙とみていた野党が真っ向ケンカに出てくるのが目に見えるようだネ。現政権は、「民主党は国民生活無視だ」と大声で叫び支持率を上げ、解散に打って出るのではないだろうかね。やんちゃっぽい人のようだから何をするかわからないゾ。 新聞なんぞでは、解散は1月になるとあるが、おいらは年内もありうると見ている、支持率しだいだナ。もっとも起死回生で打ち出したはずの、頼みの経済対策は、国民の支持を得るには説得力が弱いネ。◇追加経済対策はへそがない 追加経済対策の中身をみると迫力がないねえ。どこに焦点が当たっているかよくわからないからだネ。おいらは、今の日本の問題は、所得再分配の仕組みが働いていないことにあると思うんだヨ。これまでも“みんな同じ。生きてエーいるからアー”(何かのCMにこのフレーズがあった)で来たじゃあないか。少なくとも戦後はネ。でもどこかで道を踏み外してしまったんだ。気がついてみりゃ、絶対貧困者が増えている、格差拡大どころの話じゃない。 今度の対策でも、しきりと生活支援を強調するんだが、住宅ローン減税、子育て支援・妊婦検診の無料化、高速道路料金値下げなどでは、いまこの瞬間に、不安のなかにある生活者、とくに所得の低い、生活苦に喘ぐ人々を安心させる効果はないヨ。 保険料の滞納で健康保険証を取り上げられる人が増えているじゃないか、障害者自立支援法といいながらサービス利用料を取るというのは矛盾じゃないかい? ネットカフェや個室ビデオ喫茶に追い込まれる人々をどうするんだ? 答えはあるのかい? こんどの経済対策に盛られているのかい? まあ、一つだけ評価できるのは、フリーターを雇った会社には奨励金を出すことを決めたことだネ 定額給付金などは人気取りだと見られても仕方がない、効果はないだろうネ。第一、将来、消費税が上がると分かってりゃあ、誰もパッと金を使おうなどとは思うはずがないネ。これが人の心理ってもんだ。振り込め詐欺屋にまたビジネスチャンスを与えるのが関の山だと思うネ。◇内需強化のビジョンがない 経済対策の最大の欠陥は、将来のビジョンの見えないことだネ。企業向けには環境投資のための減税などが盛られている。これもいいやね。でも今、大事なのは企業向けより、国民向けの明確なメッセージだネ。 国民の生活力アップを最大の政策目標とするべきだネ。その決意がないんだネ。当面、円の高い水準が続くだろうから、この間に為替高で内需が高まるように方向転換できるチャンスはあるんだよ。だって輸出は弱くなるかもしれないが、円の購買力は強くなるんだヨ。例えば、所得税は、課税所得330万円以下は現行、10%の税率だが、これをゼロとするぐらいの大胆な見直しが必要だヨ。 その代わりに、所得の高い人の税率を上げる、つまり所得の再分配機能を強めるわけだネ。高額所得者は面白くないだろう(ヒョっとしたら税金の低い外国に移住する人が増えるかもしれない)が、そうでもしないと収まらない、と思うだがね。放っておくと“日本沈没”で、そのうちこの国には住めなくなるヨ。小松左京のように外国に間借りしなけりゃならなくなる。◇とりあえず、それなりの効果は出よう 要は、国民の生活を底上げするような抜本策が必要だということだナ。まあ、このような経済対策でも現ナマを出すんだから、それなりの効果はあるだろうヨ。 麻生サンはこれを武器に解散総選挙に打って出るかもしれないヨ。しかし目論み外れの結果になりかねない、そんな感じがするネ。◇緊急連立を こんなことをグダグダ書くと、どこかで“批判ばかしで評論家的だ”と言われそうだネ。おいら的には、与党も民主も互いに歩み寄って、金融経済危機に対応した連立政権を作ることがいいんじゃないかと思うヨ。こういうときだから野合などと言う人もいないだろうヨ。どっかで読んだ新聞社説がいうように、未曾有の事態を前に、総選挙どころではない、と思うよネ。しかし長い間、国民の信任を得ていない政権与党は何を言っても、何をしても説得力はないんだヨ。 野党の意見を大幅に入れた政権をつくり、総選挙は当面、先に延ばすことが必要だ。それで少し、落ち着いてから民意を問えばいい、と思うんだが。政治家もあまり自分たちのことばかし考えるのは止めた方がいいネ。
2008.11.01
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5) まだある。擬声語つまり、擬音語・擬態語が多いことでも、日本語は郡を抜いているらしい。とくに僕は擬態語に注目する。例えば、泣いている状況を表現する場合でも、「わーわー」、「ぎゃあぎゃあ」、「しくしく」、「わんわん」など普通で使うだろう。 これが英語だとどうなるか? 「鳩子さんは、そんな彼をジロリと流し見た」は、「Hatoko cast a sharp side-long glance at him」だ。どうしても説明的になってしまう、だから文字数が多くなる。日本人が故か、臨場感にも欠ける気がする。それより、ジロリという語を使った方が感覚的というか、その表情までもがこころに浮かぶではないか。身近にあった「日本語オノマトペ辞典」(小学館)には4700の擬音語・擬態語が掲載されている。そして、このオノマトペ、今でも増殖中だ。「ぴこぴこ」、「胸キュン」、「プッツン」・・などは最近の誕生ではないか? 「オレオレ」は擬態語なのだろうか?◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6) この言葉の多さが特徴の日本語だが、これが、はるか昔に文化大革命を起こした。話し言葉を書き言葉に翻訳する動きだ。言語ビッグバンだ。立役者は、平仮名だ。この発明が歴史を変えた。気持ちを声に出さないで、直接、文字に表現する文化が爆発したのが平安時代だ。9世紀後半のひらがなの発明がイノベーションだった。 日本人は漢字を輸入して、日本語で発音するために万葉仮名というものを発明した。中国の漢字をひとつずつ音の響きで漢字に置き換えたもので、中国の漢字に似てはいるが、実は日本語だ。これで日本人は日本語で書き表わす手段を得ることになった。問題は万葉仮名で表わすと簡単な文章でも、文字の数がおそろしく長くなってしまう、なにしろ漢字の読みを全部、漢字で表わすのだから。これは明らかに使い勝手が悪い。 そこで万葉仮名の一部を抜き出したカタカナを発明した。これで漢文を訓読することが可能となり、漢字カナ交じり文というスタイルができたのだ。これで書き文字のハンドリングがぐっと良くなった。しかしカタカナは、あっちこっち尖って美しくない。また書くときに続け文字ができず、書くスピードが鈍る。「できるだけ話言葉に一致させよう」という意図は前進したが、課題も多かったのだ。 そのうえで、万葉仮名の形をもとに視覚的に美しく、続けて書けるように工夫され、発明されたのが、ひらがなである。これがなぜ文字の革命かというと、表意文字としての漢字と合わせて使えば、文章を書いたときに、美的にも美しく、書く手間も大幅に短縮することが可能になったからだ。 ひらがなのスーパーパワーは歴然だ。たとえば“かなしい”という言葉。即座に「悲しい」、「哀しい」、「愛しい」の漢字を思い浮かべることができる。ひらがなで書くことで、読み手はイメージをふくらませ、最も適した漢字を連想するのだ。これで日本語の多様な話し言葉がすべて、使いやすい書き言葉に移し変えることができるようになったのだ。 この発明が偉大だったことは明らかだ。世界に誇る日本の物語文学が華麗に花開いたことは皆が知っている事実だ。とくに担い手の多くが女性だったことも特長だ。さらに言えば、905年の古今和歌集に始まり、新続古今和歌集(1439年)まで500年あまりの間に21の勅撰和歌集が生まれた。勅撰とは天皇などの命令で編纂されることだから、いかに当時の日本がいかに自国の文化創造に燃えていたかを偲ばせる。その意味では、平仮名が日本のルネッサンスに火をつけたのだ。 ついでに言うと、まず、すべてを受け入れておいてから、改良して自分のものにしていく、といった行き方はいかにも、日本人の特性を感じさせる。日本人の個性だ。大衆に文字を広めようという政索のもとに、計画的・体系的に行われたハングル文字とは異なるところだ。このあたり、文字の歴史をみると民族論にもつながっていきそうだ。 (続く)
2008.10.29
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3) 日本人は太古の昔から、文字がなかったせいもあるが、話す言葉がとても大きな役割を果たしたのではないか、と思える。「日本は言霊の国」だといわれる所以だ。言葉を発するとそれがその通りになる、だからやたらなことを喋ってはいけない、ということだ。確かに、今でもペラペラとムダ口を弄ぶ人を嫌う傾向はあるし、人生運を変えようと改名する人もいる。名はその人の固有のものとして、他の人から呼ばれるからだ。シャーマニズムの名残りだという専門家の見解の真偽は私などにはよくわからないが、どこかで現代人も「言霊」を半ば無意識に信じているのかもしれない。言霊まで行かなくても、冒頭でも述べたように、語られた言葉を尊重する文化がこの国にはある。◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)例えば、「笑う」の類似語をあげてみよう。「微笑む」、「薄笑う」、「含み笑う」、「忍び笑う」、「盗み笑う」、「独り笑う」、「作り笑う」、「そら笑う」、「苦笑う」、「泣き笑う」、「照れ笑う」、「ほくそ笑む」、「物笑う」、「あざ笑う」、「吹き出す」、「馬鹿笑う」、「高笑う」、「大笑う」、「顎を外す」、「笑い転ける」・・手元にある類語辞典をちょっと調べただけでもこの多さだ。だれでもわかることだが、ちょっとずつ意味のニュアンスが異なる。これが英語の場合どうなるかというと、例えば、「大声で笑う」を英訳すると、「laugh boundly」、「どっと笑う」は「burst out laughing」、「微笑む」は「smile」となる。動詞の数が少なく、必要なときは形容詞で補う形なのだ。つまり日本語は、話し言葉としての語彙数がとても多いのだ。そして、その豊饒な言葉をシチュエーションのなかで、使い分けることをするのだ。どうして、こんなに過剰ともいえるような語彙を、日本人がもつようになったか、僕なんぞには到底分らないが、事実として僕たちの文字世界は豊饒の海である。
2008.10.26
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇文字の歌の原型は歌謡(2) 日本固有の文学である俳句や和歌の原型は、メロディーをつけて、口に出して歌われた歌謡がそうらしい。つまりは、歌謡曲が日本の定型詩の原型なのだ。古事記や日本書紀、初期の万葉集に載っている歌は、実際にいろいろな人がメロディをつけて音声で歌ったものを文字に起こしたものだということらしい。時代がもっと降ってくると、最初から文字で表現するようになるが、少なくとも最初は、あたかもテープ起こしのように、人が語る歌謡を文字に移したものらしいのだ。そして、歌っていた人は、おしなべて名もない人々だった。作者不詳で、今でも、各地に残る民謡などと同じように。 日本は、中国から漢字を輸入するまでは、文字をもたない国だった。文字をもってからは、これまでたかだか1500年程度だから、実際には話し言葉だけの時間の方がずっと長かったのだ。普通の日常会話(どんな話し方だっろうか、僕にはわからない)の他にも、折々にメロディをつけて歌われただろう。最初は即興でも評価がよければ、次第に部族内に定着し記憶される。だから無文字時代の人々の歌う歌が、文字を日本人が覚えてから、あたかもテープ起こしのように、書き移らせられたという推理はとても自然で無理がない、と思える。 歌謡曲だった痕跡ともいえるのが枕言葉だ。「あらたまの・年」、「ひさかたの・月」、「さ野つ鳥・雉」・・だ。最初は何らかの意味があったのだろうが、今は分らない。しかし狙いは明確だ。歌い手、聞き手の双方に感覚イメージを強調させる効果だ。語呂合わせで同音の繰り返しも使われる。例えば、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣に」(古事記1)、視覚的な効果のために、対照表現も用いる。例えば、「茜さす 日は照らせれど ぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも」(万2)。これらはみな、実際に声に出した歌われたことを示す痕跡のようなものではないか、と思うのだ。以下では、話し言葉が日本ではとても重要な役割をもっていたことを考えてみよう。
2008.10.26
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇歌の国、日本(1) 今昔物語集にわりと好きな物語がある。任地の筑前国に赴任した長官に従って、ある侍が妻を伴って下って行った。しかし、その侍は現地で愛人をつくり、長年連れ添った妻をまったく顧みないようになった。妻は、夫に裏切られた心労もあってか、いつしか重い病にかかってしまった。愛人宅に入り浸り、妻の元へ帰ろうとしない夫へ、何度も手紙を書いて勤め先の役所に届けさせるのだが、夫は、一向に気持ちを入れ替えることがない。 ある時、何回目かの手紙を、夫が役所内のそこらに打ち捨てたのを、他の官人が発見した。そこには、“食べるものもなく、だれ一人知るべのいないこの土地で私は死んでいくのが悲しい”という文意と共に、次のような短歌が認められていた。「問えかしな 幾夜もあらじ 露の身を 暫しも言の葉にや かかるとも」。意訳すると、“もう一度、おいでいただけないでしょうか? もういくらも命のないわたくしですが、ほんのしばしの間でも、あなたのお言葉を力に生き延びることができるかもしれません”とでもなるのか。 その手紙を見つけた人は、文面はもちろんだが、何よりこの和歌に感動して、この手紙を上司の長官に見せたのだ。長官もこの歌に大いに心を衝き動かされ、早速、その妻を助けにやったが、既に妻は死んでいた。長官はあまりの夫の非情さに憤慨し、その侍を身ぐるみはいで、門の外へ放逐してしまったということだ。 このように、文字で表現する歌が物語のテーマとなるのは、外国のことは知らないが、日本では多い。とくに為政者が庶民の詠んだ歌に感化されて、自らの失政を改めたり、一介の庶民が、歌を詠みあって交流を図る内容が多く描かれている。歌は単なる文学ではない、政治や社会活動にも影響を与える、この国は歌の国なのだ。 これだけ歌が日本文化に根づいているのは、日本語の特性に由来しているのではないか、と考えた。つまりは、日本語そのものの構造が五七の詩歌表現に適していると思うのである。だから俳句や和歌は日本人の思考の仕方にとても自然だ。最近では、文字数に囚われない自由詩や五行詩なども注目されているようだが、五七でつづられる俳句・短歌のようなメインストリームにはなり得ないのではないか、と思える。以下において、日本語と五七表現の日本の詩歌スタイルとの関係を考えてみたい。
2008.10.26
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週間稚観10/19(Sun)~25(Sat)◇円高を活かそうじゃアねえか 安全さを求めてマネーは、より安全とされる円とドルに向かっているねエ。腐っても鯛たぁドルのこったね。ところで買われた円マネーはどこへ行っているのだろうね? 株式市場が元気ならここへ行くわなア。しかしご存知の状況なので、行き場を失って、銀行の預金口座に眠っているらしい。 集まる円マネー(だから円高になっている)を何とか内需拡大に使えねえかな? 国や地方の財政は破産寸前で公共事業どころじゃあねえ。そんなことすりゃ、日本国債が売られ長期金利が跳ね上がるヨ。一方で、高度成長時代のまんま、全国の都市施設は耐久年数をとっくに過ぎている。都市再生が必要だってこったね。都市中心部の容積率を緩和することがいい。そのうえで都市再生債を国策で発行するんだ。今ア、地方が債券を発行する場合、国の関与があるし地方債発行には自治体も及び腰の状況だア。 容積率アップで都市機能を再生するという理由がつけば、「また借金を増やすのか?」といったア批判も避けられるじゃあねえだろうか? もっとも今の恐慌前夜といった状況じゃあ債券を買ってくれる投資家もあまりいねえだろうが・・。何とかこの円高を国内活性化に使えないか、とふと思ってしまった。◇犯罪も? この体たらくで地方分権? とんでもねえ 「この税金ドロボウやろうどもメ」とまでは言えねえだろうが、使いきれねえ国などの補助金を他に勝手に転用する、呆れた実態が次々と判明したねえ。使い残すと、地方も国も困る、というおかしな予算システムと麻痺した役人の脳ミソの回路に問題の根っこがあるねえ。これが民間企業なら、成果を出して予算が余れば誉められる話だ。なぜ、簡単なこの理屈が、税金の使い方に反映できなのだろう? おそらく元が血税ってアタマがねえのだろうね。そこで一案だ。まだ誰も言っていねえ。 地方政府をみなNPO法人に変えてしまっちゃどうか? 使いきれねえで予算が残れば法人の利益になる。NPOは事業法人だからね。予算の消化団体から事業法人へと変身させるんだよ。共済年金は無くなるかもしれねえが、ふつうの厚生年金で保障は残るよ。妙案と思うんだが。変化を嫌うヤツラ役人は反対するだろうね。それに、形を変えても、小賢しくまた悪さをするんじゃねえか、って疑いも消えねえ、議会なってもんも半分グルだ、住民の監視が必要だネ。◇何でもバランスが大事だネ 毎日、株価や為替がジェットコースターのように動く一週間だったね。あの世界は心理で動くから、それだけ人の気分がパニックになっているんだネ。しかしパニクっているのはみな、プロたちだね。一方、平常心をもつ個人は静観している(もっとも、どうすることもできねえような洗い値動きだ)。それだけ実態とかけ離れた相場だってこったネ。 こういうときは、今、起きていることと正反対の話題を探すことがいいね。「絶望論に負けそうになりながら米経済紙ウォールストリート・ジャーナルの電子版を眺めていたら、ほっとする発見をした。株式市場大荒れの中、読まれていた記事のランキング1位が金融危機でも米大統領選関連でもなく、かかと15センチ超のハイヒールが人気、という話だったのだ(毎日、『発信箱』)。」こんなニュースを見ると、どっか嬉しくなるヨ。庶民の暮らしなんぞ経済異変とはあまり関係がないってこった。話は変わるが、紙の新聞なんてもう要らないね。
2008.10.25
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二.笠地蔵のお話し(前回からの続き)爺さま、子どもと荷を交換する 村へ帰る坂道を登り始めて真ん中ほどの辺りまで戻ってきました。すると、10歳ばかりの一人の子どもが、笠を持って歩いているのに、出会いました。吹雪に吹き飛ばされないように小さな背をかがめて、うつむきながら前を向いてこちらに歩いて来ます。折から吹雪の真っただ中です。一人前の大人でも大変な苦労なのに、こんなまだ子どもが行商に歩いているのでした。 伊之助爺さまは、子どもの背に残っている笠を見て、“おらと同じだ、飢饉で笠も売れないんだな”と思い、急に子どもが哀れになりました。売れない笠を持って、これから町まで帰るのはさぞや大変だろう、この吹雪だし、大いに難儀するだろう、と思いました。 心のやさしい爺さまは、「おらの持っでる木綿と取替えっこするべ」と声をかけたのでした。旅の子ども商人は、嬉しそうに、「それだば、何とか交換してけろ」ど言いました。爺さまの反物を子どもに渡し、子ども商人の持っていた笠五枚をもらいました。伊之助爺さまは、笠五枚を背中にくくりつけて、「婆が待ってるだ、家さ帰るべ」と、帰り足を速めたのでした。爺さま、峠地蔵に笠を供える だんだん日が暮れてきたらしく、辺りは薄暗くなってきました。それでもようやく山の上まで来て、爺さま、今度は山を降りにかかりました。山の道端に、私たち――つまり六体のお地蔵です――が立っていました。 爺さまは、私たちの肩や頭に、雪が四センチも五センチも積もっているのを見ると、「こら、お地蔵さんたち、寒そうだねや。可哀そうに」と言って、背中の笠を降ろして、私たちに積もっている雪を払って、何と一枚一枚被せてくれるではありませんか。それでも一枚足りないのを見るや、自分の被っていだ古ぼけた手ぬぐいを被せて、私たちに、「お地蔵さまだちもええ年越しばしてくだせえ」と手を合わせて、山を降って行ったのでした。 もちろん私たちは、爺さまが、先に、子どもの商人を哀れに思って、自分では要らない笠を反物と交換する光景をしっかりと見ていました。このやさしい爺さまに私たちは手を合わせました。笠地蔵の恩返し さて、これからは爺さまたちを中心に見ていきましょう。それから爺さまは、急いで自分の家へ帰ってきました。家に着いて、爺さまは婆さまに、今日あった子ども商人とお地蔵さまの話をしました。 婆さまも、「そりゃ、ええごどした」と喜んでくれました。内神様、お先祖さまに、わらびとぜんまいの入ったお粥のお膳に、買ってきたマスを一匹のまま、お供えして拝みました。そしてその晩はそのまま寝てしまいました。 寝て、いくらか経った頃、トン、トン、トン、トンと戸をたたく音がしました。「はい、今起きるはで、待じでけろ」。爺さまは、この吹雪で、道にでも迷って、泊めてもらいたい人がいるのだろうと思って、戸口まで来てみたら、そこに六俵の米俵とお供え餅が一重ね置いでありました。“誰れが持ってきてくれだんだべ”と、辺りを見渡したけれど誰もいません。“おがしい、おがしい”と思って、外に目をやると、笠を被った地蔵さまと、手ぬぐいで頬被りした地蔵さまが、歩き去っていくのが、雪明りで見えました。 爺さまは、思わず手を合わせて、「なむ地蔵菩薩さま、ありがとうごす。なむ地蔵菩薩さま、ありがとうごす」と唱えました。届けられたお米でその正月も祝うことができました。その後、爺さまと婆さまは、暮らしに困ることもなく長生きしたということです。そのときの地蔵さま、つまり私たちは、今でも山の上に、立って村の人々を見守っています。 とっちばれ
2008.10.19
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笠地蔵の恩返し一.私たちは、お地蔵さま お釈迦さまがこの世さ、いらっしゃらね間、人々のこごろば救うため、つかわされた弟子がわんど地蔵ですじゃ。たくさんいらっしゃるお釈迦さまの弟子のなが、庶民にどって一番、身近のどごさいるのが、わんど地蔵だはんです。その意味でわんど地蔵はふつうの人々の一番の味方だはんです。 漢字は、たげ便利で、字読めねでも意味ば分りますじゃ。地蔵の「地」さ世界ば、「蔵」は、“うち包む”ば意味します。づまりは、大地さ全ての命ば育む力ば内さもっでいるように、苦しんでいる人々ば無限の優しさで包みごみ、救う役目さもっているはんです。 人のこごろどいうものは、実に頼りねもので、近ごろ人気のクラゲのように、フワフワど人の精神のながでいづも漂っでいますじゃ。ちょっどしだ出来事や、そのどきの気分で、苦しみのね、穏やかな世界ど、苦しく辛い世界ば行っだり来だりしているはんです。その、ふきゃふきゃ揺れる、人間のこごろの移ろいのながで、人々ば見守って、常さ正しい方へ導ぐ役目ばもっでいるのがわんど、地蔵の仕事だはんです さきほど言った、わんど地蔵が、一番、庶民さ近いどいう意味は、こごろの面だげでなぐ、人々が経験する出産、学業、仕事、病気、怪我、貧困、交際、老い、死・・・、現実の生活のながで味わう、あらゆる苦しみがら、人々ば助け出すごどさあるのす。だはんで、わんどは、お寺の境内はもちろん、道端など、人々の近ぐさいづもいるのです。庶民の仏さま神さまですはんで。 まだ、いろいろの名前でも呼ばれます。「延命地蔵」、「商い地蔵」、「刺抜き地蔵」、「雨乞い地蔵」「縁結び地蔵」・・挙げればキリがありません。変わったどごだば、博打打ちのための地蔵菩薩なんでものもあらんじゃし。ご利益(ごりやぐ)はいろいろ、はっきりいえば、何したばってありじゃです。生きていぐうえで人が望むごどは、みなわんど地蔵の受けもづ領域さなるんです。 わんど、地蔵への信仰が盛んさなったのが江戸時代ですじゃ。もちろん、当時の庶民にしても、大昔みたいに大真面に、地獄や餓鬼や修羅の世界があるなど信じていたはんではありません。むしろ生きていぐための方便どして、すべてのごどば神や仏頼みさしたうえで、現実の人生ば楽しんだはんですきゃ。つまりは、嫌なごど、心配なごどばこごろのながでリセットしてすまう、いわば生活の知恵だはんでした。 でも今は、あまり盛んだばありません。今の人々ももっど上手こさ立ち回ればよいのにな、どつぐづぐ思でゃ。んだすればもっど楽さ生ぎるごどができて、いろいろの嫌の事件も減るはんでは、ど思でゃ。わんど、地蔵さにどっては、ちょっと寂しい気分ですじゃ。 今も、盛んなのは、幼ぐて亡ぐなたわらしたちのための地蔵信仰ぐらいじゃ。今だばわらしたちば守ら仏さま神さまどしてのイメージの方が強いでしょう。これがらのお話しは、まだ人々の、わんどへの信仰が盛んだった昔々のお話しじゃ。 ああついでに、大坂でお上のご用で保育園の土地ば無理やり、召し上げたどいうニュースがありますたぁーきゃ。わらしだちが大切さ育てていたイモ畑ば踏みにじって跡形もなぐしてまっだいうごどじゃ。そのどき、代官はわんどの仲間の地蔵も捨て去ったどいうごどじゃ。どぐに、わんど地蔵の大好ぎなわらしだぢの気持ちば踏みにじったごどは許せません。思い上がった人間サ祟りばしねばなりませんなア。二.笠地蔵のお話し村の峠地蔵 私たち六体の地蔵は村で峠地蔵と呼ばれています。お山の峠に立って、山の向こうから悪魔がやって来ないように防ぎます、またこちらの村の幸せが逃げないように見張って、いつも守っているのです。私たちは村の守護菩薩ですから。 村の護り菩薩ですから、私たち六体の地蔵は、いつも人々の語ることば耳を傾け、庶民の思いを理解しようとしています。誰か、病気の人はいないか、病気で苦しんでいる人はいないか、といつも気にかけているのです。なかでも大人に比べ弱い小さな子どもや、真面目に働く人、苦しんでいるお年寄りたち見守っているのです。 さて、村に、伊之助爺さまとウメ婆さまの二人が暮らしていました。二人には子どもがいません、男の子と女の子がいたのですが、幼い頃に二人とも亡くしたのす。ところでこの地方は冷害に苦しめられ、村も作物が全滅となって、大飢饉が、何年も何年も続きました。年貢が納められないどころか、村人自身も食べるものも無くなってしまいました。さすがに、このようないきなり起きる天変地異にはお手上げです。私たち地蔵でも、為すすべはありません。 そんな状況なので、節季節季に、村の人々がしてくれる私たちのお祭りもすっかり絶えてしまいました。もっと寂しいのは、始終、泥を擦り付けたり、水を掛けたり、紐で縛ったり、いたずらをしに来る村の子どもたちが、ぱったりと姿を見せなくなったことでした。可愛い子どもたちと遊べなくなってしまったことが一番つらいのでした。子どもたちにも、もう遊びどころではないのでしょう。そしてこの冬、年の瀬を迎え、大雪が降るなかでも私たち六体の峠地蔵たちは寒さに震えていたのです。伊之助爺さま、行商に出る さて、伊之助・ウメの爺婆夫婦のお話しをしましょう。年の暮れになり、正月が近づいても、爺さま婆さまの家では、餅をつくことができません。年越し魚に、いつも供えるサケが手に入らないばかりか、マスさえにもこと欠く状況でした。ひどい冷害で田んぼや畑が全滅となり、作物が穫れず、収入がまったくないのです。 マスの一切れでもいいから、神さま仏さまに供えようと、婆さまは夜なべをして、これだけは何とか収穫できた麻で麻糸(からむし)玉(へっちょ)を織りました。夜が明けると、爺さまは婆さまが織った麻糸玉を担いで、山を越えて町の漁師のところへ売りに行きました。途中、峠に立っているお地蔵さまに手を合わしてお願いしたのですが、不景気なのはどこも同じ、一人も買ってくれる人はいません。 困った爺さまは、町一番の木綿問屋であれば、買ってくれるかもしれないと思い立ち、大店の暖簾をくぐりました。木綿問屋の主は治兵衛さんといい、心のやさしい商人でしたので、「これは、伊之助爺さま、この大吹雪のなか、ああご苦労さま、山を越えて大変だったね。よくわかりました。お金五分と木綿一反でその麻糸玉を引き取らせていただきましょう」。こう、治兵衛さんが、言ってくれました。爺さまは、喜んで交換して、木綿一反を風呂敷に入れて担い、鮭は買えないので、鱒を一匹買って、婆さまのもとへ勇んで帰っていきました。(続く)
2008.10.19
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週間稚観10/12(Sun)~18(Sat)◇冷凍インゲンよ、お前もか スーパーで売ってる冷凍野菜に想像を絶する農度の農薬が含まれていたってねエ。国の内外で6回の検査をすり抜けたわけでナゼという感じだが、検査はみなサンプル調査だア、言ってみりゃ、安全さは、“統計的に見る限り”なんだネ。できゃしねえだろうが、全数検査でもしなければ防止は無理だってこった。またワザと入れられりゃア、防ぎようがねえ。 こうなりゃ、自分の食うもんは、庭を掘り返し、自分で栽培するしかねえ、土壌検査もしにゃならねえ。では、肉はどうするんだ、魚は? 蕎麦ア、畑に蒔くとこから始めにゃアならねえ? 商品経済以前の五百年前に戻るのかい? そういうわけにもいくめえ。どうやって食の安全を図ったらいいんだ! ◇失政が問題だ 今回のアメリカ発の金融危機の真犯人は政治だって思うネ。国がリーマンを救済しなかった、下院が金融安定化法を否決した・・。みんな、政治の判断ミスじゃねえか。G7会議後、各国の方策で金融機能の崩落の恐れは峠を越えた感じだが、今度は、景気そのものが不安になってきたネ。ここでも政治家が失敗しねえか不安だナ。 アメリカだけの問題じゃねえよ。国内も同じだア。やはり赤字国債で景気を盛り上げようという動きになってる。定額減税の財源として、自民・公明は財政投融資特別会計の金利変動準備金を充てる方向だってぇじゃねえか。この3兆円は本来借金返済のための元のはずだア。これを財源に使うのは、「隠れ借金」といえるんじゃねえか? 小手先に頼って大きな手術をしようとしねえ政権与党は安易過ぎるネ。また効果もねえだろう。「そう、将来が不安だからだ。年金や医療など安心で希望の持てる未来を示す方が有効な景気対策だと私は思うのだ(毎日新聞:16日「発信箱」)。おいらも賛成だ。◇円高で日本を変えろ 今の騒動は“ならず者金融エコノミー”の行き詰まりだネ。でも、ほとぼり冷めりゃア、また、ならず者は姿を変えちゃ、暴れまくるだろう。しかし回復に2~3年かかり、ドル安は続くって話だ。一方、IMFの予測でも日本はケガが軽いし、お隣の韓国みたいに国売りの通貨売りも出ていねえ。中国もまだ元気が続きそうだア。時間の余裕はまだあるってこった。 この間に、経済の形を内需型に建て直せねえだろうか? 例えば、地産地消法でも作って意味のねえ輸入を制限したらどうかね、社会保障改革も立ち止まれねえよ。もうちっと遠い将来のために教育改革も不可欠だね。付け焼刃の景気対策は、はっきり言やあ、ムダだア。また、輸出から内需へと大きく舵を切らなければ、政治家はみな言うよ。でも、これまでだって言うだけで、できなかったじゃねえか。そのときのリーダーが政治の実権を今、もっているんだ。できる、と思うだけムダか、やはり政治の担い手そのものの交代が必要だってこったネ。日本でも“Move”だね。
2008.10.18
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朝日新聞だけがテロ支援解除を擁護した 連日、同じ話題で芸がないとは思うが、どうしても書いておきたかった。朝日新聞が、アメリカが北朝鮮をテロ支援国家指定を外したことについて理解を示す社説を13日に載せた。「北朝鮮に原子炉などを封印させるところまできた流れを、ここで(アメリカが)逆戻りさせるわけにはいかない」と思ったのだろう、というのがその理由。各紙のなかで異彩を放つ社説だ。 しかし、この“思いやりのある”論説は、違和感のある、甘々かつトンチンカンな見方だ。おそらく、朝日のこの社説を書いた人は、現状の動きが北の核廃絶の流れに沿っていると見ているのだろう。 しかし、北がこのまま“核”を完全に手離すかは、あの国だから未知数だ。むしろ、反対の可能性がある。北には、核が唯一の交渉カードなのであり、それを簡単に手離すはずがないのは目に見えている、というのが素直な見方だ。子どもに面白い玩具を与えれば捨てろと言っても聞く耳をもつはずはない。北は、衰弱するアメリカを手玉に取りながら、核開発を隠れて推進する可能性の方が高い。 また北は、今回のアメリカの決定を、日本人拉致問題をうやむやにするための道中手形と受け取るかもしれない。推移は北の思う形となっていて、北は日本の主張を無視してくるだろう。いずれにせよ、日本が主張する拉致問題は遠のかざるを得ない。 ここで流れをもう一度、引き戻さなければいけない。あの国に、おかしな誤解を与えないためにも、日本だけでも断固たる行動をとるべきだ。 武器は経済支援だ。北にカネを一銭たりと渡してはならない。麻生さんもアメリカの決定を理解する発言をしたようだが、この問題で対応を誤ると、さらに支持が低くなり前二代と同じように国民から見放されることとなる。
2008.10.13
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どうしてもこの事だけは言いたい! 拉致問題があるということを承知の上で、また何度もこちらが慎重行動を要請していることを百も承知のうえで、アメリカは暫定とはいえ、テロ支援国家指定を解除した。しかもアメリカ自身が引き起こした金融の不始末をどう処理するか、という国際会議の最中である。何と勝手な国なんだ、アメリカという国は。多少とも残っていたアメリカに対する好意的なイメージは全く破壊された。 国益上の判断というのがアメリカの言い分だろう。なら日本も国益に立って北朝鮮との立ち位置を考えるべきだろう。それは六カ国協議の席を立つことだ。北もテロ指定から外れる成果を得たことで、核兵器の存在で他国を威すことはもうしにくくなる。 だとすれば、日本にとって拉致問題はテロ行為だし、国益なのだから、テロ国家とは話し合わない方がよい。これ以上、六カ国協議に残っても、テロ国家指定から解除されたことで、もはや北がこの面で譲歩する可能性は低い。席を立って、北と交渉の場が無くなっても、日本には何の損はない。大きな損をするのは経済支援が欲しい北だけだ。なぜ、六カ国協議に日本はこだわるのだろう?
2008.10.12
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週間稚観10/5(Sun)~11(Sat)◇パニックだ! 内外で大きく動揺する毎日だったな。いくら金融や経済対策をしても、不安の連鎖で誰にも見向きもされないよ。まさに市場にとっては恐慌の雰囲気、一般の私たちも、この先どうなるんだろうと、漠然とした不安のなかの一週間だったね。 気分としてはノーベル賞でも話題になったクラゲだ、頼るべき足場がないんだね。こうなると震源地がどこかは問題ではないな。瞬時に、玉突きのようにものごとが連鎖する昨今、今は対策を取っても人々の心理がパニックになっているのだから火に油を注ぐようなものだよ、何をしたってダメだ。パニックってるわけだからね。 こんなときは、大きく息を吸って、背筋を伸ばして座り直し、眼を閉じて嵐が過ぎ去るのを待つしかないんだね。少し気持ちが落ち着いたら、みなで社会を組み換えたいね。まじめな態度で、だれかが言っていたように、雇う・つくる・売る、買うという経済の当たり前に立ち戻ることだとつくづく思うよね。◇議席を人質にとるな 与党はどうやら政権に居座ろうとしているらしいな。本来は新総理の誕生を機会に総選挙に打って出て劣勢を挽回しようとしていたはずではないかね? 与党のシナリオは全く狂ってしまったのだろう。今では経済変調を理由に景気対策を強化する必要がある、としているが、どこから財源を用意するつもりなんだろう、最終は赤字国債しかないじゃないの。一度、蛇口を開けばあとは歯止めは効かない、結果は金利上昇・不景気→日本国の破滅だね。 しかし、一番の問題点は政治が国民からみると信用できないことだ。むしろ今の政治を続けることこそが最大の問題だろう。政治が自らを変えられないのなら、選挙を通じて有権者が動かすしかない。責任がどこかは、はっきりしている。早く、総選挙をするべきだ、と思うんだがね。理想は大連立だ。抗うヤツは追い出せばいい、くだらない議論をしている時間はない、それだけ今はすべてが危機のなかにあるのだから。一日でも早くこの国をまともにしなければね。◇大局を見たい ときには時空を遠く見ることが必要だと実感した一週間だったな。大阪の個室ビデオ事件で、犯行理由を新聞は「金に詰まって」と書いてあるが、やはり余裕のない心の問題だと思わざるをえないな。こんにゃくゼリーの事故の温床は、規制する法律が無く、業者に再発防止を指導することしかできない、それをいいことにメーカーが居直るわけだ、“オレたちは間違ったことしちゃいねえ”とね。 法律にふれなければ何をやってもいい、という思い込みがあるんだね。みな、目の前しか見えていないんだ。 「(成功の秘訣?)過去に対するリスペクト(尊敬)を大切にすることでしょう。私は過去を忘れなかったから、変化し続けることができました」(ミッシェル・トロワグロ)。「いや応なく、人は老いていくわけで、そしていや応なく、死が訪れるわけで」(亡くなる直前の緒形拳さんの言)。ともに大きな視野でものごとを見ることを教えてくれるね。 そこで関心は江戸の後半だ。すべてがバラ色だったわけではないが、庶民生活が爆発した時代、どうしてあの時代の人々はあんなに楽天的に生きることができたのだろうか? 生きているうちに楽しまなければ、という現世志向は古来からの伝統。余剰の発生はもちろんだが、それを支えたのは農村では「村請」、都市部では「町内」という連帯責任の制度であり、共同体の連帯感をつくった。 そしてもう一つが、お地蔵さま、お稲荷さまなどの庶民信仰で、これが最後の拠り所だった。この共同社会性と信仰、この二つが一定のセーフティネットとして働いたのだと信じているんだ。ただ、最大の江戸文化の爆発に貢献したのは、半ば国を閉じたことだと考えるのだが。つまり海外への渡行、貿易を制限したことだ。このことで海外の悪影響を遮断できたし、内需拡大ができた。もっとも一度開いた国をまた閉じるのは平時ではできないが。
2008.10.11
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